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ウィッチ・トライアル 完結

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魔女になりたての少年——黒森鹿住。
彼の前に現れた、魔女の教育係を名乗る少女——篠宮早希。

世界の裏側に潜む魔女たちによる、能力の奪い合いを目的とした闘争と策謀。
二人は手を取り合い、それに立ち向かう。

忍び寄る敵の影は、しかして。

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プロローグ

 木々が折り重なる影の向こうに、何者かが潜んでいるような気配がする。

 錯覚だと分かっていても、不安が抑えられないのは、人類が暗闇に持つ原始的な恐怖心によるものだろう。

 鹿住(かずみ)は、気持ちを落ち着けるために、ゆっくり息を吐いた。

 季節が夏から秋へと移り変わりつつある今、夜半の森の中にたゆたう大気は冷たくも暑くもなく、過ごしやすいとさえ感じる。

 それでも、一人でなら長く居たいと思う空間ではない。

 夜の森とはそういう場所だ。

「準備はいいですか、鹿住さん」

 だから、鹿住はここにいる孤独な人間ではなかった。

 薄っぺらいフィールドジャケットを羽織って、木立の間にある狭い空間に佇む黒森鹿住(くろもりかずみ)を、ひときわ長い木に寄り添うように、制服姿の少女が見守っていた。

 高校生男子としては平均的な背格好の鹿住よりも、二回りは背の低い彼女が着ているのは、市内のとある中学のブレザーと、裾ライン入りのスカートだ。

 紺というよりもブルーと呼ぶべき目の覚める色合いだが、懐中電灯と月の明かりしかない夜の闇の中ではそのままの色にはならず、地味に感じられる。

 こんな森の奥まで入ってくる巡回補導員がいるとは思えないが、もし見つかったら制服姿の彼女は即座に補導されて、学校できつくお叱りを受けるだろう。

 だが、少女が浮かべている不安の表情は、学校の指導を恐れてのものではない。

「大丈夫、だと思う」

「失敗しそうだと感じたら言って下さい。私は鹿住さんをサポートするためにここにいますから」

「失敗しそうなとき、って言われても、どうなったら駄目で、どうなればいいのやら……」

 少女——篠宮早希(しのみやさき)は、鹿住の行動を恐れているのである。正確には、彼が魔術の制御に失敗する未来を。

「問題ありません。鹿住さんが正しく龍脈の魔女であるなら、根源へ至る泉(ソース・オブ・オリジン)がすべて教えてくれます。自身の内側に疑問を問いかければ、それで答えが出る——魔女とはそういうものだそうですから」

「そこに心配があるわけなんだが」 

 早希が口にした専門用語交じりの説明に対して、ぼやきつつも鹿住は視線を険しくする。

 結局のところ、少女の言うことがこれまで正しかったことを鹿住は知っているし、今この場では素直に試すより他に選択肢はないのだ。

 魔女である——いや、龍脈の魔女になって間がない鹿住には、国から派遣されてきている、魔女の教育係(ケースオフィサー)である早希の意見より参考になるものはない。

 男なのに魔女と呼ばれることには疑問を感じるが、魔女であるかどうかと性別は関係ないと言い切られれば、納得するしかなかったように……。

 そんなことを思って、ふたたび鹿住は深く息を吐いた。

「始めるぞ」

 頬をぴしゃりと自分の手で叩いて気合いを入れ、足もとに視線を落とす。

 そこにある一抱え程度の丸い石と、平たい板状の石の組み合わせは、ひと目では飼っていたペットの墓か何かだろうと想像してしまうものだ。仮に気がついても、特に意識することなくその場を歩き去ってしまうのが自然な、実にささいなオブジェである。

 だが——それは、分かる人間にしか分からない目印なのだった。

 ここでいう分かる側の人間とは、すなわち魔女か、あるいは、魔女の操る魔術の知識を持つ者。

 そして何種類かいる魔女の中でも、このオブジェが重要になってくるのは、龍脈の魔女と呼ばれる一部の魔女たちだけ。

「地に潜む龍へ問う。ここは其方の定められし住処なりしや——」

 根源へ至る泉への問いかけで、帰ってきた答えを元に言葉を紡ぐ。自分で発声しているのに、それが何かを完全に理解しているとは言いがたい、魔女の用いる神秘の言語だ。

 それはつまり呪文であり、咒言であり、魔法詩である。

 力ある言葉とも呼ばれるそれが世界に浸透して、その在り方に働きかける。

 一連の工程は、これまでにも何度か体験しているが、決して慣れたとは言えない。いや、幾ら繰り返しても結局のところ慣れるものではないだろうという確信が鹿住にはある。

 六番目の力(オドパワー)は、物理的な存在ではない仮想的なエナジー。それで世界を改変するという異端の技術が、魔女とはいえ、この世界の住人である鹿住に馴染むわけがない。

 そんな感慨にふける間に、鹿住の視界の中では既に変容が始まっていた。

 石のオブジェを中心に、半径三メートルほどの大地に青い光が広がっている。

 清浄な印象を受ける蒼い光は、当初はゆらゆらとしていたのだが、徐々に光輝を強めて、いまでは鮮烈とさえ感じる段階になっている。

 森の奥であるから、街からでは観測できないだろうが、もし、今このとき上空を飛行機が飛んでいれば確実に気付くだろう。

 ——この光が、魔力(マナ)を感知出来ない人には認識できないものでなければ、だが。

 魔女が使う魔法を感知できるのは、同じ魔女か、一部の特殊な人間に限られる。でなければ、この現代社会で魔女などという非科学的な存在が隠れ住まうことなど不可能だ。

 光はさらに強くなり、辺りを圧するかのような輝きを放っている。

「ここまでは問題ありません。以前、研修で見た龍脈管理でも同じような輝きが漏れていました」

「漏れてるってレベルじゃないよな……」

「いけませんよ。集中してください、鹿住さん」

 なら話し掛けないでくれよ、と思いつつも鹿住は素直に口をつぐむ。

 気付けば、額に汗が浮いていた。

 魔女は、魔法の使い方を自分で発見することは稀だ。魔女になったときに自然に知る——いや、根源へ至る泉に保存されている、それぞれの魔女の原型(アーキタイプ)へのアクセス経路によって魔術の使用法を引き出せるようになる。

 よって、鹿住は今回の魔法を大して意識することなく使用できているのだが、この魔術が極度の集中を必要とするものなのは、この身体の反応で理解できる。脳のどこかが、ひどく繊細な作業を続けているのだろう。

「これ……失敗したらどうなるんだったか?」

「来る前に説明しましたけど、聞いてなかったんですか?」

 冷たく問いかける早希に、頷きを返さないでいると、彼女は不満を示すように唇を尖らせて続けた。

「このまま地の魔力を逃せないようでは、辺り一帯が異界化してしまいます。——とはいえ、今回失敗したぐらいで、ただちにその危険があるわけではないですけど。そもそも、まだ魔力溜まりの初期段階なので……」

「そうか……」

 冴え冴えとした光には次第に濃淡ができて、より強く輝く部分が大地に線を引いているかのように見えてきた。

 編み目のような、蜘蛛の巣のようなそれは、何らかの法則に従って一種の幾何学的な図形を形作りつつある。

 しかし、そこまでだった。

 鹿住はこの作業を始めてからずっと感じていた、根源へ至る泉からの警告を、早希に伝えるために言葉へと変えた。

「——悪い、どうも無理っぽい」

「……どういうことです?」

 次の瞬間。

 龍脈の魔女たる黒森鹿住が、図書寮から教育係として派遣されてきた篠宮早希の監視の下行った初めての龍脈管理の儀式は——ものの見事に失敗した。

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第一章 放課後、見知らぬ少女に呼ばれて

   1

 平凡に学校に通っていた少年が、ある日突然に見知らぬ女の子の呼び出しを受ける。

 よくある物語の始まりだ。

 だから、鹿住はそんなことが自分に起きるとは思っていなかった。

「あ、鹿住くん、これ……なんか君に渡して欲しいんだって。さっき、校門のところで、知らない中学生の女の子と会ってさあ。黒森鹿住って人はいますかー、だって。……ねえ、君、何かヤバいことでもしたの?」

 放課後。帰宅しようとしていたら、下駄箱付近の階段踊り場で、同級生の女子に呼び止められて、こんなふうに言われる前までは。

「いや、全然心当たりないし。なんだよそのヤバいことって」

「さあねー。ま、よく分かんないけど、中学生を泣かせちゃダメだよ?」

 ざっくばらんとした性格のクラスメイトが、相変わらずの誤解をそのままに、鹿住の手に封筒を押しつける。

 女子が好んで使うような、パステルカラーの封筒だった。

 手紙の主は、大きなスーパーか百貨店にはたいていあるだろう、文房具コーナーだかファンシーグッズ売り場だか分からないところで売っている便箋セットを使ったのだろう。

 紙には匂いが付けられているのか、ふわりといい香りが漂った。

「だから、悪いことは何もしてないっつーの……」

 早々に立ち去った彼女の背に、届くかどうか分からない一言を投げかけた後で、鹿住は手紙の封を切った。

 ——急なお手紙、すみません。

 お話ししたいことがありますので、今日の五時に駅前通りから少し離れたところにある城南公園まで来てもらえませんか。

 お話の内容は、あなたに起きた最近の出来事についてです。

 きっと心当たりがあると思います。

 ええと……勧誘とか、そういう怪しいことではありません。たぶん、色々と戸惑っていると思いますけど、私ならその辺の説明ができます。まずはお話だけでもかまいません。

 気になる内容はこの通りだった。

 几帳面さのうかがえる綺麗な字で、インクの色はやや淡い青。

 罫線の引かれた便箋の上で踊る手書きの文字の連なりからも、差し出し人の人柄を感じさせる気がする。

 たぶん真面目で、礼節をよく理解した、清楚で可愛い子だろう。

 とまあ、鹿住としてはそんなふうに期待を高めたいところなのだが……後段の文面がいけなかった。

 ——お話の内容は、あなたに起きた最近の出来事についてです。

 ——きっと心当たりがあると思います。

 確かに心当たりはある。

 むしろ、とうとうこの時が来たのかという感覚だ。

 先月のあの出来事から後、鹿住の生活は緊張を強いられるものになっていた。これまでの生活とは異なる、特別な環境下に彼は置かれていたのだ。

 少し躊躇いはしたものの、誘いに載って出かけようと決意する。

 身の回りの環境はすでに変わっているわけで、それならばそれに見合った対応というものがある。そう、前もって考えていたのだ。この誘いに乗って、動き出すべきだった。

 そう思い、手紙を封筒にしまって、固めた意志とともに歩き出そうとしたとき。

 進路を二人組の女子に塞がれた。

「あれあれ、あの人が噂の先輩だよ」

「うわ、すっごい……なんだか凜々しいっていうか、格好いいねー」

 ネクタイの色とまだ真新しい制服から、鹿住は彼女らを下級生たちだと見て取る。

 きゃいきゃいとはしゃぐ彼女達の視線の先は、残念ながら、鹿住には向いていなかった。

 うちの学校にそんなイケメンいたっけなと嫉妬まじりに思いつつ、彼女達の視線を追った鹿住は「ああ……」と納得の声を内心で漏らす。

 階段を降りてきたのは、一学年上の先輩だった。鹿住は二年生なので、つまり、最上級生ということになる。

 彼女が一年生の噂になるのは自然だ。

 逆に二学期に入った今だから、一部の生徒だけしか騒がなくなった、とも言える。

 自分の代でも、一学期の間ずっと、耳を澄ませばどこかから彼女に対する憧れの声が聞こえてきたものだ……。

 彼女は、短くばっさり切った髪なのに女性らしさがまったく損なわれていない端麗な容姿と、モデル業が出来そうな優れたプロポーションと、いささかならず奇矯な男子ぶった口調に、ここら一帯の土地を持ち余している名士の家の娘という色々揃った背景の持ち主で、それこそ何かの物語の登場人物のような存在だった。

 ——九法院翠(くほういんみどり)。

 どこか大げさなその名前を知らない人物は、この学校では完全にもぐりだ。世事に疎い鹿住だって、彼女のことはよく知っている……まあ、それには別の理由もあるのだが。

「やあ、鹿住くん。こんなところで長居しているとは君らしくないね?」

「……俺らしいってどんなんですか、先輩の中では」

 話し掛けてきた翠に、気安く言葉を返す鹿住を見た、下級生の少女達がざわめく。

 鹿住は彼女達に背中を向けていたので、何を言っているのかまでは聞き取れなかったが、たぶん「なんであんな奴が……」「名前を覚えられているってどういう関係なの?」みたいなことを言われているのだろうと考えて、顔をしかめた。

「浮かない顔だけど、何かあったのかい? ……ん、その手紙は?」

 しかし、翠にはいつものことだからか、そんなギャラリーの存在が目に入っていないようで、鹿住の表情が変化した理由が分からなかったようだ。

「ラブレターっすよ」

 鹿住は、手紙を見せびらかすようにひらひらとさせる。

「……君が、誰かから恋文を貰うような人間ではないことを、私はよく知っているよ」

「繰り返しますけど、先輩の中で俺ってどういう扱いなんですかね?」

 鹿住が半眼で問いかけるものの、翠は皮肉げに唇の端を歪めただけで答えなかった。

 ……そう。

 黒森鹿住は、九法院翠の知り合いであった。

 鹿住がこの学校に入学して少ししてからの付き合いなので、もう一年は超えている。気の置けない親友とまでは言わないが、もう一人の女生徒を含めた三人の関係は、知人というよりはもっと深い、友人同士の枠にも収まり切らないものだった。

 鹿住からすれば、翠は年上の先輩であるため、少しだけ距離感がある。だが、それは彼女と行動を共にしていると、自分の至らない部分を思い知らされることによるものかも知れなかった。

「まあいいっすけど、正真正銘のラブレターなんで。……差出人は、ちょっと俺のこと勘違いしている感じがありますけどね」

 思わせぶりなことが書かれているとまでは、こんなところで口にできない鹿住がそう言うと、翠は急に無表情になった。

「ふむ……なるほどね。——まあ、ほどほどにしたまえよ」

 何をどう理解したのか、彼女はそんな風な言葉を残すと去っていた。

 その身を翻す所作の美しさに、下級生達が歓声をあげる。

「もうなんでもありだな?」

 嫉妬しているわけではないのだが、ごもごもと愚痴めいた一言を口の中で呟いて、鹿住は下駄箱から靴を取り出した。

   2

 城南公園は、この街にある公園の中では大きな方である。

 芝生や木々による緑の印象が強い公園で、散歩道として使うことを想定されているのか、曲がりくねった通り道が四方の入り口から、大きな池を囲む中心まで延びている。

 その中心の池のほとりで、数本あるうちの一本の照明付き鉄塔によりかかって、鹿住は呼び出しをかけてきた篠宮という人物のことを考えていた。

 名字を知っているのは、封筒に署名があったからだ。

 だが、下の名前までは書かれていなかった。

 篠宮という彼女が、自分の秘密を本当に知っているかどうかは分からないが、了解しているものと思って話をしなければならないだろう。

 場合によっては……。

 と、いざというときの想像をしかけて、鹿住は頭を振った。

 盛夏はとうに過ぎて、季節は秋に差し掛かっている。日が暮れ始めるにはまだ多少あり、この陽気の中で、まず起きなさそうな悪い想像をする必要はないだろう。

 思考を変えようとして、時刻を確認する。

 寄りかかっている塔の上部に付いている時計は見ずに、スマートフォンを取り出すと、指定された時刻にはまだ三十分はあることが分かった。

 コンビニで少し時間を潰してきたのだが、それでも早すぎたようだ。

 鹿住は呼び出した少女の顔を知らない。

 だから当然、彼女の呼びかけを待つことになる。

 クラスメイトの話では、外見は中学生ということだから、見ればそれらしい人物はすぐに分かるだろう。そう思っていたのだが、城南公園は平日の人気スポットなのか、そこそこの人出があって、学生の姿はあちこちに見られる。

 大半は二人以上で行動を共にしているので、それらはたぶん違うのだろうと思うが……。

 それらしき人物がいないか、鹿住は周囲の観察を始めることにした。

 あの子かな? と思う中学生らしき少女がいたが、鹿住と視線が合うとさっと避けられてしまった。

 なんだろう、高校生に因縁でも付けられると考えたのだろうか。

 基本的に人畜無害なつもりの鹿住からすると、心外であった。

 が、まあ多感な時期の中学生の子どもだし、仕方ないかな……などと自分が高校生であることを棚にあげて考える。

 実はこれで二人連続で視線を避けられたのだが、そこは意図的に気付かないふりをする。

 鹿住は、目つきが悪いと言われたことは過去に何度かある。

 陽光が強いときなど、眩しさの関係でやぶにらみ気味になってしまうのだ。一般には、普通に睨んでいるのと区別が付かない。

 三人目の犠牲者を注視しようとしたところで、不意に横合いから声をかけられた。

「あの……もしかして、あなたが黒森鹿住さんでしょうか」

 びくりとして、鹿住は振り返った。

 唐突に呼びかけられたので驚いてしまったが、そこにいた少女は落ち着きのある雰囲気をまとって、静かに佇んでいた。

 長い黒髪を腰まで伸ばした、小柄な女の子だ。

 市内の、進学に強いことで有名な中学のブレザーの制服に身を包んでいる。

 世間でもっとも多いブレザーの色は濃紺だが、少女が着ている中学の制服は上下ともにずいぶんと鮮やかな青色で、可愛いことは可愛いのだが、意外に着こなしにくいなどともっぱらの評判だ。だが、彼女にはよく似合っていた。

 少女は、鹿住より確実に頭一つ分以上低い位置から、大きな黒い瞳で鹿住の顔を見あげるて、返事を待っていた。

「えっ、ああ……もしかして君が?」

「はい。篠宮早希と申します。急なお呼び立てをしまして申し訳ありませんでした」

 ぺこり、と綺麗なお辞儀をして、少女は瞬きを一つ二つする。

 大人びた言葉遣いだが、口調はどこか舌足らずな気もした。緊張しているのかもしれない。

「黒森鹿住、だ」

 名乗った鹿住に、少女——早希は、はい、と頷く。そして、舌先で唇をちろっと舐めて続けた。

「男の人——だったのですね」

「もちろんそうだけど。そんなに可愛い顔してるかな?」

「いえ、そんなことはありません……あ、いえ、悪い意味ではなく……その、事前の情報と相違がありまして」

 鹿住は、言い訳する彼女の最後の言葉に気を惹かれた。

「事前の情報って?」

「それは図書寮(ずしょりょう)の——あ、えっと……もしよかったら、場所を変えませんか」

 左右をちらちらと油断のない目つきで見てから、少女は鹿住にそう提案してきた。

 鹿住はしばし考えて。

「じゃあ、映画でも見に行くか」

「いえあの。そうではなくて……もう少し内密な相談ができる場所といいますか」

「内密な相談、ね。なかなか大胆なことを言うんだな?」

 そこで、ようやくからかわれていることに気付いたのか、かぁっと頬を赤らめる早希を見て、鹿住はにやりと笑った。

 ……なるほど。大人ぶった態度はしているけど、わりと純情なんだな。

 自分の秘密を知っているであろう少女の、性格の一端を掴むことに成功して、鹿住はほくそ笑んだ。

 この子が九法院翠みたいな難物だったら、色々と困ったことになることが予想されたので、ちょっとつついてみたわけだが、幸いにもあれほどの癖がある少女ではないようだ。まあ、普通はそうだと思う。

「——行きます。ついてきてください」

 へそを曲げた様子の早希が、一方的に言い捨ててから、足早に歩き出す。

 その背中の小ささを見て、あまりからかいすぎないほうがいいのかな、と鹿住は思った。

   *

  

「……ここは……」

「市立図書館です」

 当然知っているのだが、まだ憤懣やるかたないといった様子の早希に事実を指摘する危険は犯さず、鹿住はあいまいにうなずいた。

「秘密の会話をするには、あまり適した場所じゃない気がするんだが」

「そうでもありませんよ。黙って付いてきて下さい」

 反論を許さない口ぶりに、鹿住は素直に彼女の背中に続いて館内に入る。

 古い本が大量にある空間ならではの独特の匂いが、鹿住の鼻先をくすぐった。早希は慣れた様子で館内の奥に歩みを進める。

 関係者のみ、と書かれた札の立っている廊下を無言で通り抜けていくものだから、ついていく鹿住の方が気後れし始める。自信たっぷりの彼女の所作からすれば、特に問題はないのだろうが……。

「ここです。入って下さい」

「……えっと」

 立ち止まった先には扉が一つ。

 部屋名の表示をしているプレートには、管理室、の三文字が横書きで記載されている。

「大丈夫です」

「そうか」

 何が大丈夫なのかはまったく分からないものの、早希の醸し出す空気に気圧された鹿住は扉を開ける。と、そこには一人の女性がいた。

 度の強そうな厚い眼鏡に、ニットのカーディガンを羽織っている。年代は三十代前後だろう。彼女は鹿住のほうに目を止め、困惑としかめ面の中間の表情になって口を開いた。

「ここは一般の方は立ち入り禁止ですが……?」

「あ、えっと……その、すみません、間違いまし——」

 言いかけた鹿住の脇をすっと通り抜けて、早希が前に出る。

 定期入れか、生徒手帳のようなものを掲げながら彼女が口にしたのは。

「すみませんが、三十分ほどここを使用させてください。館長からお聞きおよびのことと思います」

「え……あ……すると、あなたが?」

「はい。この通り、図書寮のほうから来ました」

「そう、ですか……」

 なにやら謎めいたやりとりを交わす二人を、鹿住はほけーっと眺めて、何々のほうから来ましたという表現は訪問販売詐欺めいているよなあ、などと考える。

 そうしているうちに話はついたらしく、

「ええと……では、失礼します」

 司書か何かと思われる女性が、早希に頭を下げて去っていく。上下関係の逆転に驚きの念を覚えつつも、鹿住はあたりを見渡した。

 管理室と名付けられた室内は、一般の図書館利用者向けの閲覧室とは異なり、ところ狭しと本棚が並んでいてスペースに余裕がない。

 その一方で、端には折りたたみ机が複数くっつけて並べてあって、よく分からないが作業中と思しき本がいくらか積み重ねられている。

 ああ、なるほど、蔵書を修理しているのか……。

「では……始めましょうか?」

 合点がいったところに、早希の少し冷たい声が響いて、鹿住の思考は遮られた。

   3

「鹿住さん——貴方は最近、魔女になりましたよね?」

 二人きりの静かな室内に響いたその問いかけは、質問ではなく確認の声音でなされた。

 相手が確信をもっているのであれば、隠す意味もない。鹿住はこくりとうなずいた。こういう展開になることは半ば予測していたので、気持ちの準備は出来ている。

「どこでそれを? 俺の性別も知らなかったみたいだけど」

「それを話すには、先に私の所属を明らかにしたほうがよさそうですね」

「中学生だろ?」

「そういう話ではありません」

 早希が首を左右に振って、長い黒髪がふわりふわりと揺れた。

 思わずからかってしまったことを鹿住は反省する。反応が分かりやすいのと、可愛らしいので、ついついやってしまいたくなるが、怒らせたいわけではないのだ。

 特に、彼女が自分にとっての敵になるのか味方になるのかが明確でない間は。

 少女はこちらに革のケースのようなものを差し出してきた。

「私は、図書寮で働いています」

「これは……生徒手帳じゃないんだ? 身分証明書?」

 差し出されたパスケースを受け取ると、ポイントカードと同じサイズのプラスチックカードが目に入った。父親の勤め先の社員カードに似ているが、写真は貼られていない。

 そこには早希の姓名と、国会図書館〜から始まる長い長い名称が書かれている。末尾は「図書寮職員」の五文字だったが、それに加えて括弧書きで「教育係」と書いてあった。

 二つ折りの状態に戻したケースを返しながら、鹿住は聞いた。

「教育係って?」

「つまり、私が鹿住さんの担当の……いえ、順を追って話しますね。……先ほどのカードに書いてあったとおり、私は図書寮というところで働いています。一応ですが、公務員の一種になります」

「へぇ……図書館の人ってことかな?」

「違います。この名称は伝統的なもので……実際の私たちの職務は、日本に存在している魔女の——とりわけ、龍脈の魔女を管理することです」

「龍脈の魔女?」

「自覚はまだありませんか? そもそも、魔女がどのようなものかについてはご存じですか?」

「いや……」

 鹿住は否定した。

 魔女になるというのは不思議な体験で、魔女になったという自覚を得た後、自分が知るはずもないことを少しずつ知っていくようになる。たとえば、魔法の源が魔力——六番目の力(オドパワー)であることをいまの鹿住は知っている。

 その知識をどこで記憶したのかは分からない。まるで、誰かが寝ている鹿住にこっそりと睡眠学習の装置でも仕掛けて、朝に人知れず回収しているのでは、というぐらいのひそやかさで、いつの間にか身に着けた知識なのだ。

 そういう意味では、魔女についての知識はそれなり以上にある。

 だが、それが正しいものかどうかの答えあわせをする機会がなかった。極論してしまえば、妄想とまったく区別が付かないのだ。

「まずはそこからですね……ええ、かまいません、私はあなたをサポートするためにここに派遣されてきましたから」

 胸を張るように姿勢を正して、早希は説明を始めた。

「この世界には魔女と呼ばれる人々がいます。彼女たち……といっても、鹿住さんのように男の人もいますから、女性だけじゃないんですが。……えっと、それで……魔女は、その姿を隠して社会生活を営んでいます。そうする理由の一番大きなものは、偏見と蔑視です。とくに現代だと、魔法使いだなんて自称しても人は信じません。超能力者のほうがまだリアリティがありますから」

「まあ……そりゃそうだよな」

「魔女には色んな種類がいます。だいたいは魔女が生まれる要因で分類されているそうなんですが、使う魔法の特殊性などで名前が付いている場合もあります。龍脈の魔女は……いちおうは前者になりますね」

「箒に乗って空を飛ぶようなのは?」

「……あんまり聞いたことがないですね。あの、真面目に聞いていますよね?」

 記憶を辿るように斜め上に視線をやりながら話していた少女が、さっと流し目をくれる。

「そのつもりだが。いや、魔女っていえばやっぱり箒かなって……」

「なるほど。その辺も誤解があるかもしれませんね。魔女と呼ばれてはいますけど、いわゆる欧米とかでの、折れたとんがり帽子を被って、箒に乗って、ローブを着て、壺に入った魔法薬を調合する……というような魔女だけを魔女と呼んでいるわけではありません。むしろ、今どきはそういう魔女はいませんね」

「そうなんだ」

「もっとシンプルに……魔法使い全般を指す言葉として、魔女と呼んでいるのだと捉えてもらったほうがいいかもしれませんね」

 そこで、早希は言葉を切って、部屋の端にある作業机の前に移動した。

「座りませんか?」

「そうだな……」

 促された鹿住が手近なパイプ椅子を引いて座る。話はまだまだ長くなりそうだった。

「魔女の中では、龍脈の魔女というのが特別な存在なんです。少なくとも、この国にとっては」

「ほう。……相槌を打つしかやることがないな」

「真面目に聞いてるか、と確認はしましたけど、別にいちいち反応していただかなくてもいいですよ」

 早希は笑顔を浮かべた。

 やや苦笑寄りの笑顔だったが、年相応というよりは、若干の老成を感じさせるようなものだった。落ち着き振りがなかなか堂に入っている。

 そこで鹿住の頭にふと閃きがやってきた。

「もしかして、篠宮って、年齢ごまかしてるのか?」

「はい?」

 元から大きな目をさらに大きく見開いて、早希がまばたきをした。

「いや、中学校の制服来てるけど、流石にその年齢で会社……じゃないのか、まあなんかよく分からないけど、働いてるとかありえないだろ? 見た目はそんなんだけど実はハタチぐらいとか」

「……し、失礼ですね」

 ……あれ、この反応は。

 鹿住に席を勧めた早希も、同じように椅子に腰掛けて鹿住と向き合っていたのだが、今は俯き顔で、握った拳をぷるぷると震わせている。

「まずったか。えと、十八ぐらい?」

「十五です。正真正銘の」

 言葉遣いには丁寧さと敬意が残っているが、声は氷点下だった。

「そ、そっか。中学生なのに働いてるのか、えらいな」

「とってつけたように子ども扱いしてもらう必要はありませんよ」

 そんなつもりはなかったのだが、さらに少女の神経を逆撫でしてしまったらしいことに気付いて、鹿住は冷や汗をかく。

「その——そうだ、龍脈の魔女が特別な理由について教えてくれ! なんかすごいんだろ」

「……そうでしたね。……説明に戻りましょう」

 不承不承ながらも言いたいことは飲み込んだ、という様子の早希に、鹿住はほっとする。

 心証をよくするために、続く言葉には真剣に耳を傾ける。

「龍脈の魔女は、その名の通り、龍脈との結びつきが深い魔女です。知っていますか、龍脈のことは」

「地球のパワースポットとか、そんな感じのやつだろ。漫画知識だけど」

「ええ、そんなところです。ただ……パワースポットに当たるのは龍穴ですね。龍脈というと、龍穴に流れ込む力のラインのことを指します。龍脈には魔力(マナ)が流れて、それが交差して集まる場所が龍穴と呼ばれる用になります。ちょっと違う場合もありますけど……。それで、龍脈にそって集まりすぎた魔力は、行き場をなくして龍穴から地表にわき出してくるわけです」

「星自体が魔力(マナ)を作っているんだよな……」

「魔女の認識ではそういうことになりますね」

 ふっと短い吐息を漏らしてから、少女は続けた。

「龍脈の魔女は……龍脈の力を得て生まれる存在で、龍穴から溢れる魔力を管理することを得意とします。——ところで日本列島ですけど、たまに龍の形だと言われますよね?」

 唐突に質問された鹿住は、頭をひねる。

 そうだっけ、と思ったが、とりあえずうなずいておくかという気持ちで適当にうなずいた。

「日本には、龍脈と龍穴が多いんです。古来から」

「へぇ……」

「魔力というと一般的には暗い、よくない雰囲気があると思うんですけど、純粋な魔力はそうじゃないんです。人を癒やしたり活力を与える働きがある場合もあります」

「うん」

 話の矛先があちらこちらへと飛び始めて、鹿住はついていくのが億劫になる。

 魔力という言葉には、魔の一文字が付いてはいるものの、神秘とか奇跡の力と呼んでも差し支えない側面も持っていることは知っている。

 知るはずもないのにいつの間にか脳に書き込まれていた知識の一つだ。

 などと考えていた鹿住は、続く二言三言を聞き逃してしまった。

「——つまり、日本は龍脈の上に成立しているんです」

「うん? その、もうちょっとお手柔らかに頼みたいんだが」

 自分が聞いていなかったことを棚にあげて、再度の説明を要求する。

 しかし、それに対して早希が不満げになることはなかった。

「うーん、そうですね……簡単に言ってしまうと、龍脈が沢山あるから日本は繁栄してこれたってことです」

「繁栄ね……してるっちゃあ、してるんだろうけど」

 いまどきの若者として、技術が進んだ社会に住んでいることは理解している。けれど、みんなが幸せかというと、必ずしもそうではないみたいだ、と鹿住は思っている。

 それで、繁栄という表現に納得できないままに返すと、あに図らんや、早希は強く頷いた。

「はい、そうなんです。この三十年で——日本の龍脈には、かなりの問題が生じています」

   4

「問題が……出ている? 龍脈に?」

 オウム返しに鹿住は問いかけた。

「日本全国の龍脈の管理がいいかげんになってしまっていて、そのせいで色んな問題が起きるようになってきています。たとえば、高齢化現象もその一つ……といえば、理解できるでしょうか」

「えぇ……」

 魔女云々の話は、鹿住にとっては大問題なのだが、日本全体に影響してくるような大げさな話だとは思っていなかった。

 それも世界でも類を見ない日本の高齢化の理由が、龍脈の管理不足で引き起こされるなんて……。

「マジ? 龍脈が管理されてないと、みんなセックスしなくなるわけ?」

「せっ……言葉は選んでくださいっ! せ、セクハラですよ!」

 顔を赤く染める早希に、鹿住は悪い悪いと呟いた。

 これぐらいの言葉でこんな強い反応があるとは思わなかった。

 さっきは年齢を高めに見積もってしまったが、確かに中学生なんだなー、とこれまでで一番実感した鹿住である。

 そういえば、ここに来る前もこの手のからかいには弱かったな、などと思い出す。

 目を合わせることすら出来なくなった様子の早希に気付いて、鹿住は助け船を出すことにした。

「龍脈の管理が重要だってのは分かったけど、それで……なんだっけ?」

「え、ええ……最初にちょっと言いましたけど、私たち、図書寮の職員は、日本の現状をよしとせず、龍脈の魔女の支援を開始しました。始めたのは八年ぐらい前からだと聞いていますが」

 私はそのときにはまだ当然いないので、と。

 当然、にアクセントを置いて言う早希に、鹿住は苦笑する。そして、

「支援って? 具体的には?」

「新しい龍脈の魔女の発生を確認したとき、専門の教育を受けた図書寮の教育係が、その魔女に付きます。なりたての頃が……えっと、一番……制御とかを失敗しやすいので」

「教育係が……。ということは、……つまり?」

 先ほどの職員カードに書かれていた「教育係」の文字列を思い出しつつ、鹿住は確認した。

 答えはわかりきってはいたが、念のためだ。

「はい。私が……あなたの教育係です、鹿住さん。これからよろしくお願いしますね」

「断ったりとかは……?」

「……これでも政府機関ですから、それはやめておいたほうがいいかと」

「問答無用ってこと?」

「まあ、そうなりますね……すみませんが」

 くすっと笑って早希が頷く。

 天を仰いだ鹿住の視界に移るのは、図書館の管理室の天井。その狭い天井が、鹿住の未来を象徴しているような気さえしてくる。

 が……ひとつ、いいこともあった。

「……悪くない、か」

「はい?」

 いや、なんでもないと言葉を濁す。

 同じつきまとわれるなら、かわいい女の子のほうがましだな、なんて面と向かって言えば、この子がまた激しく反応するのは予想だに難くない。そう思って黙り込んだ鹿住に、いぶかしそうな表情を浮かべた早希だったが、少し経って、気を取り直したかのように力強く口を開いた。

「というわけですので、早速始めましょう」

「始める? ……何を?」

「実習——とでもいいますか。魔法の使い方のお勉強です」

 ふんすと、やる気をみなぎらせてぐっと手を握った少女を見て、鹿住は頭を掻いた。

「勉強は得意じゃないんだが……」

「大いなる力には大いなる責任が伴うといいます」

「名言みたいに言ってるけど、それ、アメコミヒーローが元ネタじゃあ……」

「大切なことは誰の言葉であっても変わりませんよ。さあ、行きましょう」

 早希が伸ばした手が鹿住の手を掴む。

 引かれるままに歩き出した鹿住の内心は複雑だった。

   *

 図書館を出ると、だいぶ日が陰っていた。

 空が橙色に染まるまでにはまだしばらくあるが、生真面目な中学生ならもう家に帰ろうとする時間帯だろう。そう示唆すると、早希はへそを曲げた。

「子ども扱いしないでください」

「大人扱いして欲しいのか、子ども扱いして欲しいのかはっきりしてくれ」

「むう……」

 今度は言い負かしたと思ったのもつかの間のことで、すぐに話題が切り替わった。

「鹿住さんは、魔法はもう使ってみましたか?」

「んー……まあ、ぼちぼち」

 自分が魔女と自覚してからというものの、それなりの回数、魔法を試している。

 遠くから人がいるかどうか判別するとかいった、どちらかという地味な感じの魔法が多くて、あまり派手な魔法は使っていない。というか、使う方法がまだ脳に入ってきてない。

「根源へ至る泉(ソース・オブ・オリジン)との接続は出来ている、ということですね」

「ソース……? あ、あれか、知識のコピペマシン」

 根源へ至る泉という単語自体は、鹿住の記憶に書き付けられていた。脳に知識を送り込まれてくるというと、どこから知識が湧いてくるのかと不思議に思うのが当然だが、その手品の種がこの根源へ至る泉だ。

「コピペって……そんな言い方する人、初めて見ましたよ」

「そう呼んだ方が分かりやすいと思うんだけどなあ……。なんだっけ、意識や記憶の集合体みたいなやつがどこかにあって、それと魔女は繋がっているんだよな?」

「はい、その理解で正しいです。むしろ、鹿住さんは偶然というかちょっとしたきっかけで、魔女の知識と繋がっただけの普通の人……という認識のほうが正しいぐらいですね。魔女の本体は根源へ至る泉にあると言われているぐらいですから」

「でも、あっちにも俺たちの記憶はある……ような気がするんだが」

「よくご存じですね? 歴代の魔女の記憶は、根源へ至る泉に蓄えられていきます。ざっくりしたイメージで話をすると、泉の中に箱があって、そこに鹿住さんや他の魔女の知識が貯まっていくという感じですね。特徴的なのは、箱は個人で一つではなくて、それぞれの魔女、というくくりで一つということですが」

「つまり、龍脈の魔女の知識が、連綿と受け継がれていっていると」

「同じ龍脈の魔女でも、別系統の龍脈の魔女なら、それぞれ別に分かれていますけどね。分かりやすく言えば、この町の龍脈の魔女にはそれ専用の箱がある、という感じです」

「いつからそんなことになったんだろうな? 最初っからなのか?」

 思いつくままに疑問を口にしたが、それまですらすらと答えていた早希が口ごもった。

「そこまではちょっと……色々と仮説はあるらしいのですが、まだ分かっていないそうです」

 ふうん、と鹿住は頷いた。

 興味のあるところだが、国の専門家でも分かってないのなら聞いても仕方の無い話だ。

「まあいいや。魔法は使ったことあるけど、あまり大した魔法は知らないな」

「コモン魔法だけですかね?」

「……コモン?」

「あっ……いえ、すみません、つい使ってしまいましたけど、それは一般的な表現ではないです」

 早希は、しまった、とばかりに舌を出す。

「先輩がそういう言い方をしていて……魔女なら誰でもが使えるような魔法がコモン魔法、龍脈の魔女とか、そういう名前の付いたそれぞれの系統の魔女が使う魔法はレア魔法、そして特定の魔女だけが使うオンリーワンの魔法がスーパーレア魔法だって」

「それって……」

「……分かっちゃいますよね?」

「お茶目な先輩なんだな。ってか、ソシャゲにハマりすぎだろ」

「一応、あれでけっこうすごい先輩なんですよ」

 弁護するように言い添える少女に俺は首を傾げた。

「ふむ……まあ、篠宮がそう言うんなら、そういうことにしとくか?」

「一応、本当なんですよ。いえ、まあ、確かにソシャゲは大好きみたいですけど……お給料をつぎ込んでるって言ってましたし」

「真似しないほうがいいぞ」

「っ、しませんよ」

 よしよし、これで一人の若い子の悲劇を救うことができたぞ、と自分の若さを棚に上げて思う鹿住であった。ガチャに突っ込んだ最高額は小遣い二ヶ月分である。

「そうですね……せっかくだから、今日は龍脈の魔女ならではの魔法に挑戦してみましょうか?」

「レア魔法ってやつか……いや、せっかくやるならスーパーレア魔法にしよう」

 聞いたばかりの表現を使っていう鹿住に、早希は難しい顔をした。

「段階を踏んでいったほうが上達は早いと思いますけど……」

「世の中にはせっかくなら大きいつづらを選べという言葉がある」

「聞いたことないです……」

 適当を言った鹿住に、冷静に返す早希は呆れ顔だった。

   5

 鹿住がわがままを押し通すつもりだと気付いたのか、早希はそれ以上の反論をしなかった。

 代わりに、無言で連れてこられた先は薄暗い人のいない路地で、それを見た鹿住はおそるおそる口を開いた。

「ヤキを入れるつもりだったらそう言ってくれ」

「焼き……? ……あ、そういうことですか。……って、そんなわけあるはずがないでしょう、まったく、あまりからかわないでください」

 ぶちぶちと不平を漏らす早希。

 いつの間にやら、真面目な彼女をからかって遊ぶ癖がついてしまった鹿住だったが、特に反省する気もなく、

「しかし、こんな暗いところに連れ込まれたら…………はっ?」

「身体をくねらせるのをやめてください、気持ち悪いですから」

 などとさらにふざけて、早希の不興を買う。

「冗談はともかく、こんな路地の奥で何をしようってんだ?」

「人には見られない方がいいですから。魔力そのものは一般人には見えませんが、魔法で火を出すと、火は普通に見えちゃいますからね」

「ここで魔法を使うのか?」

「そういうことです。理想をいえば、龍脈の上で行うのが一番なんですが……龍脈の魔女の場合、固有の魔術を使うなら、龍脈から魔力を引き出すのがやはり順当だと思いますし」

「それは道理って感じがするな……なら、移動したらどうだ?」

「ですが、その方法で失敗すると、最悪の場合、大地震とかを引き起こしてしまうかもしれませんし」

 いきなり物騒なことを言い出した早希に、鹿住は口をぽかんと開ける。適当な言葉が見つからない。

「……あ、いえ、大丈夫ですよ。鹿住さんはまだまだなりたての魔女ですから、そこまで地域の龍脈と親和性があるとも思いませんし。いまは六番目の力(オドパワー)を引き出すだけでも一苦労なはずです」

「ならいいんだが……」

 と頷いたところで、ひとつ不思議なことに気付いた。

「俺がまだなりたてって、どうして知ってるんだ?」

「龍脈の魔女は、その土地と関連して存在するものです。先代の魔女がいなくなってから、まだそんなに時間が経っていませんから、代替わりした鹿住さんはなりたて以外の何者でもありません」

「いなくなった……か」

「ええまあ……その辺の話は、後で」

 一瞬、固い表情になってうつむく早希に、鹿住は重ねて問いかけようとしたが、その時。

「——見つけたわ。ふふ、見つけたわよ」

 闖入者があった。

 路地の入り口付近に仁王立ちしていたのは、鹿住の通う学校と、同じ市内にある私立の女子高校生の制服を着た少女。

 大きめの乳白色のカーディガンを上から羽織りつつも、かなり丈の短いスカートを際どくひらひらさせている。

 容姿で目立つのは、金に近い、明らかに色を抜いていると分かる派手目な茶髪。

 ピンクのシュシュを使って、髪の束を頭上にタワーか何かのように持ち上げている。目元はつけまつげと強烈なアイラインで飾り立てていて、女子のファッション事情に詳しくない鹿住でも明らかにギャルっぽいといえる雰囲気だ。

 片手に持った通学用と思われるバッグには、ごちゃごちゃと飾りがついている。その一方で、中身はずいぶん軽そうだ。

 あれじゃあ、もしかして外側のほうが重いのでは……などと、ついいらぬ心配を鹿住がしてしまうほどに。

「アンタが龍脈の魔女……よね」

 ネイルアートで飾り立てた爪を唇の下に当てて、少女はにやりと笑う。

「いや人違いだが、ってかお前誰だよ」

「あはははは。無駄よ、無駄。否定しても分かるのよ……分かるの、なぜならアンタがそうだって教えてくれた人がいるんだから!」

 名前すら名乗らないギャルに、鹿住は舌打ちをする。

「一体どこの誰なんだ、その迷惑な奴は……」

「興味深いお話、ですね」

 意外にも、早希は鹿住の隣で冷静に頷いていた。

 生真面目そうな早希は、こういうテンションの高いギャル系の少女を苦手としているものだと思っていたのだが。やはり、中学生の若さで働いていれば度胸も据わってくるものだろうかと鹿住が感心していると。

「しかし、困りましたね……。ちゃんと色々説明してからにしたいと思っていましたが」

 早希は、なんだか意味ありげなことを隣で呟きだした。

「どういう——」

「けどサ、男が魔女なんて、変な感じよね? 早く辞めてしまいたいんじゃないの?」

 問いただそうとした鹿住を、ギャル系の少女が遮る。

「やはり、そういう目的ですか……なら、つまりは貴方も魔女、というわけですね」

 鹿住が口を開くより早く、今度は早希が敵意の視線と共に、彼女から見て年かさの少女を詰問する。

 敬語……というか丁寧語ではあるものの、含まれる敵意を敏感に感じ取ったのか、ギャル少女は早希を睥睨して、嘲笑の笑いとともに応じる。

「そうよ。伝承(デンショー)の魔女って言えば分かるかしら、ガキんちょ」

「ガキんちょではありません——おばさん」

 ぴしり、と空気が固まった。

 なぜか鹿住は心臓が痛くなる。

 路地奥のこちら側には篠宮早希。出口に近い向こう側には名前を知らないギャル系の女子高校生。二人の間を、揺らめくオーラがせめぎ合い、視線が交わるたび火花が散る。そんな錯覚を覚えたのだ。

「舐めた口を聞いてくれるじゃない、中坊のくせに」

「伝承もきちんと発音出来ないような、舌足らずの魔女風情にそんなことを言われる筋合いはありませんね」

 ——なんだこの展開?

 いつの間にか二人のバトルみたいな雰囲気になっている。竜と虎が背景に出そうだなと、途方に暮れかける鹿住だった。そんなとき、唐突に早希が囁いた。

「鹿住さん、構いませんからやっちゃってください」

「……は?」

「龍脈の魔女の、正式な教育係として認めます。あの魔女を撃破しましょう」

「いやいやいや」

 話の流れがおかしい、と鹿住は抗議する。

 確かに、このギャル少女は自分を狙っているようなことを言っていたが、途中から主題は完全に自分から逸れていた気がする。平和を愛する善良な一般市民たる鹿住としては、撃破、などという過激キーワードと関わり合いになりたくない。

 だが、そこにもう一人の少女が曰く。

「そうね。そうよね。アタシは龍脈の魔女の力を奪いに来た。カノジョのアンタが見ている前でそいつからすべてを奪いとって——アンタのことを、綺麗さっぱり、忘れさせてやるのも悪くないわ」

 奪う? 忘れさせる?

 ギャル少女の言葉には色々と引っかかるものがあったのだが、鹿住は次の早希の一言に目を剥いた。

「別に私は鹿住さんの彼女なんかではありませんが……受けて立ちます」

「受けて立つなよぉぉぉおおっ!?」

 早希が何を言っちゃっているのか、本気で理解に苦しむ鹿住だった。

 というか、明らかに自分に取ってよくないことがありそうな展開に、焦りを禁じ得ない。

 ついでに彼女発言をさらっとスルーされたのも、ほんのり残念。

「ちょ、ちょっと待て。とにかくお前はまず名前ぐらい先に名乗れよ! 落ち着こう!」

 今さらながら、声を荒げることでペースを取り戻そうとした鹿住だが。

 時は既に遅く。二人のやりとりから始まった唐突な展開に翻弄されっぱなしだった鹿住に、ギャルは名前を名乗るとともに——

「——アタシの名前は杏奈(あんな)。アンタに、魔女の決闘(ウィッチトライアル)を申し込むわっ!」

 声も高らかに、闘争の開始を宣言したのだった。

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第二章 放課後、ギャル魔女に襲われて

   1

「アンタに、魔女の決闘(ウィッチトライアル)を申し込むわっ!」

 杏奈(あんな)と名乗ったギャル風の少女がこちらを指さしていたが、鹿住は首を傾げただけだった。

「魔女の決闘(ウィッチトライアル)って……何なんだ?」

「魔女と魔女が、存在をかけて戦うことをそう呼ぶんです」

 教育係らしく、早希の補足は的確だった。

「存在をかけて……?」

「ってアンタ、魔女の決闘がなんなのかも知らないワケぇ? そんなんでよく魔女やってられるわね!」

 細すぎて化粧で引いたラインなしでは見えない柳眉を逆立てて言うギャル——杏奈に、鹿住はうなずいて。

「知らないんだから仕方ないだろ。こないだなったばかりなんだよ」

「信じらんない」

 勝手な言いぐさだと思うが、反論の言葉がない鹿住は彼女を放置して、早希に再び先ほどの問いかけを繰り返した。

 逡巡する素振りを見せてから、早希が答える。

「魔女と魔女の戦いでは、負けたほうは能力を奪い取られます。その……記憶を失ってしまうことがあります。その辺りも含めて……存在をかけて、になるわけです」

「なるほど」

 すんなりと首肯した鹿住に訝しげな顔を向けて、早希が口を開く。

「あんまり驚いていませんね……怖くはないんですか? ……すみません、急にこんなことになるとは思っていなかったので、前もって説明ができませんでした」

「負けなきゃ……」

 え? という顔になって早希が鹿住の顔を見上げてきた。

 鹿住の錯覚でないなら、その瞳は不安に揺れている。日常生活に実害があるような、大事なことを急な形で伝えることに胸を痛めているのだと、鹿住は見て取った。

 だから、彼女の頭に手を置いて、励ますように言った。

「負けなきゃ、別に問題ないんだろ?」

「それはそうですが……」

「それに、魔女になってからの記憶なんて、たかが知れてるからな。なくなっても、俺には何の問題もないさ」

 重ねてうそぶいて、鹿住は手持ち無沙汰にしていた杏奈に向き直った。

「……話は終わったの?」

「ああ……、待たせたな」

「最後の言葉を交わす時間ぐらいはあげるわよ、アタシってこう見えても優しいからね——出てきなさい、傀儡人形(ドール)!」

 すっと屈んだ杏奈が、二つのブレスレットで手首を飾った右腕を伸ばして、手の平を地面に付けた。と、彼女の手の平と地面の間から、辺りを圧する輝きが生まれる。

 その青く鮮烈な閃光は、鹿住も過去に数度見たことがある。魔力の凝集光だ。

「こんなところで戦闘用の魔術なんて……っ」

 下唇を噛んだ早希がうめく前で、光はさらに強まり、そして弾けた。

「くっ」

 まばゆさに目が眩みそうになって、目を閉じる鹿住と早希。

 視界が遮られたのは、ほんの一瞬。

 だが、目を再度開いたとき、夕暮れ時を控えた元の暗さに戻った路地には、新たな存在が屹立していた。鹿住はどこか納得できない心持ちで呟く。

「なんだこの不格好なマネキンみたいなのは……」

「気をつけてください。これがきっと彼女の魔術です」

 現れたそれは、一見すると、木製の操り人形(パペット)だった。吊り紐こそないが、木目の浮いた棒状のものが幾つか組み合わさって、形だけの人型を作っている姿がそっくりだ。

 サイズはあまり大きくない。鹿住よりもゆうに頭一つ低い早希より、更に背丈が低い。

 ただの木製の人形ではありえないことだが、重力に逆らって直立している。

 しかも、それが一体だけではなく、都合三体現れていた。

「驚いたかしら? 驚いたわよね、これがアタシの魔法よ。生み出した傀儡人形を自由に操れるの……ふふっ、さあ、いきなさいっ、アタシの可愛い傀儡人形(ドール)!」

 自慢げに胸を反らした杏奈が指示すると、一列に整列した人形のうちの一体が鹿住たちの居る場所に向かって歩きだした。

 一歩毎にかたりかたりと身体の各部パーツを揺らして、近づいてくる人形の動きは、さほど早くはない。だが、肩をかくかくと揺らすそいつの動きには害意が感じられる。

「——質問なんだが、こういうときどうすればいいんだ?」

 対処法がまったく分からない鹿住としては、そう早希に問いかけるしかなかった。

 この年になるまで喧嘩の経験がなかったわけではもちろんないのだが。害意をもって近づいてくる人形に対する対処法というのは、経験の埒外である。

「攻撃系の魔術は知っていますか?」

「いや、そんなこと急に言われても……試したことはあるけど、ちゃんと使える自信ないぞ?」

「なら、話は簡単です」

 意外に肝が据わった様子の早希が、冷静に鹿住に提案する。

「——逃げましょう」

   *

 早希の一言の後、駆け出した二人だったが、程なくしてその逃げ足が止まる。

 理由は単純で、路地の先が袋小路だったからだ。

「誰だよ、路地で魔法の練習しようなんか言ったのは」

「こんなことは想定していません!」

 危機的状況だからこそか、鹿住の唇からはつまらない軽口が漏れる。

 その一方で、生真面目に対応する早希は、左右に視線を走らせて、行き止まりの路地には脇道もなく、ここから先の行き場が全くないことを確認している。 

 その態度に自らの言動を若干反省させられた鹿住は、余裕を見せつけるかのようにゆっくりと追いかけてきた杏奈に相対する。

 過去に試した魔術の中で、この状況で使えそうなものを脳内検索する。

「よし、ここはあの魔法で……」

「鹿住さん!」

 どういう意味かは分からない呼びかけ声はしかし、意識の大半を根源へ至る泉(ソース・オブ・オリジン)に振り向けた鹿住には届かなかった。

 イメージするのは、無限に続く星空の果てにある、茶色と黄緑色がマーブル模様を織り成している小さな天体。そこに意識を近づけていくと、地表が鬱蒼とした木々で覆われているのが分かる。さらにより近くへと意識だけになった身体を飛び込ませる——見えた。

 静かな森林の奥で、密やかに湧き出している小さな小さな泉。その湖畔に自分が立っている姿を想像して、指先を湛えられた水の表面へと伸ばす。

 ——接触した指先から、知識が流れ込む。

「草原を駆け抜ける自由、森林を吹き抜ける清浄」

 唇が紡ぐ、神秘の言語。魔女による魔術の詠唱。

 最後に、ギャル魔女と彼女が操る傀儡人形に向けて手をかざして、魔法発動のためのキーワードを一気呵成に唱える。

「来たれ(コール)——深緑の烈風(ディープウインド)!」

 無風だった路地に、急速にわき上がる風。それが鹿住の生み出したものだった。

「風使い!?」

 驚きの声を上げて、反射的な動作で顔をかばおうとしている杏奈。

 それに対して、魔法の直接の影響下にない早希はやや冷静に、しかし瞳は見開いて、呟く。

「レア魔法? ……いえ、風を呼ぶだけの基本魔術に、色による属性付加を行った応用魔術ですか。先輩だったらこれはコモン魔法に分類するんでしょうけど……しかし、何か……?」

「吹き飛びやがれっ」

 解説めいた早希の言葉の途中で、鹿住は叫んだ。早希の発言を遮る意図があったわけではなく、高まっていく魔力に保持の限界を感じたからだ。

 鹿住の言葉に従うように、高められた魔力がすべて風の暴力に転換し、路地を吹き抜ける——。

 ばさささっ。

 風をはらんで何かが激しく翻る音。風圧に押された傀儡人形はひっくり返る。

 だが、しかし。

「ちょっと! 何すんのよっ!!」

 風の攻撃力はそれ止まりで、吹き抜けた後で傀儡人形は普通に身を起こしてしまった。その身体に損傷の気配は見られない。

 なのに、杏奈が頭から湯気を出す勢いで怒っている理由はというと……。

「黒だったな」

「鹿住さん、いちいち言わなくてもいいです。……けれど、それにしてもああいうのって高校生なら普通なのでしょうか……?」

 鹿住が呟いて、それを制した早希ですら、つい頬を染めて言及してしまったように。

 ギャル魔女こと、杏奈のスカートの中身が大開帳されてしまったのだった。表面積のえらく狭い、黒くてスケスケのパンツが、スカートが完全にひっくり返って全開になってしまったせいで、隠す間もなく一般公開。

 それが鹿住の使用した風の魔法が、敵の魔女にもたらした最大の被害である。

 見た目がギャルなので、パンツぐらいどうってことないのかなと思っていた鹿住だったが、杏奈が顔を真っ赤に染めていることからして、精神攻撃としてはかなりの威力があったらしい。

 とはいえ。

「——殺す!」

 完全に、やぶ蛇でしかなかったが。

   2

「殺す、ぜーったい殺す」

 頬を赤く染めた杏奈が地団駄を踏む。

 またスカートがめくれあがりそうになっているが、鹿住達はそれどころではない。三体の傀儡人形がこちらに向かっているからだ。

 歩みは遅いが着実に近づいてきている。

 背中に壁を背負っている鹿住と早希としては、何とか撃退しなければならないのだが、鹿住が先ほど使った風の魔法はまるで効果がなかった。

「くそ……打つ手なしか」

「諦めるにはまだ早いですよ。使える魔法は一通り試してみるべきかと」

 落ち着いた様子の早希が、乱れた髪を手ぐしで整えている。鹿住は、この絶体絶命の状況下で、早希はどういう心境なのだろうかと訝るが、口は違うことを言う。

「……簡単に言ってくれるけど、他に使える魔法って、飲み水を出す魔法と、タオルを乾かす程度の熱風を出す魔法しかないんだが」

「……あの、なんていうか、もう少しこう、男の子らしい魔術を普通は試すものなのでは? 手の平から火球を出すとか、雷を呼ぶとかそういうのありません?」

「んなこと言われても、普通の男子は魔法なんか使えねえから」

 ある意味で、男らしくないと中学生の女の子に指摘されてしまった鹿住は、ぶすっとして反論する。

「なら……仕方ありませんね。ここは私が引き受けます」

「……え?」

 疑問の声をあげたときには、既に早希は一歩前に踏み出していた。

 整列して更新している傀儡人形が、どれほど危険なものかが分からないというのに、無造作に立ちふさがる少女の背中を見て、鹿住は反射的に手を伸ばしかけて。

 その手が届くより先に、懐から取り出した数枚のカードのうち一枚を、早希が投げ放つ。

「——ソロモン七十二柱の悪魔よりシャックス! この一帯に満ちた魔力を盗みなさい!」

 あどけなさと厳しさの同居した声とともに、放たれたカードが白熱して燃え尽きるように消え去る。

 と。からんからんからんからん、と音がして。

 バラバラになった傀儡人形が地に倒れ伏す。

「……何なの?」

「鹿住さん、今です! 逃げましょう」

 鹿住の手を取った早希が走り出して、目を白黒させている杏奈の脇を駆け抜けようとする。

「ま、待ちなさい、小娘!」

「——ソロモン七十二柱の悪魔よりバティン! 私たちをどこかへ跳ばして!」

 傀儡人形が使えないというのに、身体で進路を遮りに来た杏奈に対して、早希はさらに一枚カードを放る。

 と、唐突に鹿住の視界がぶれる。

「なんだ!?」

「手を離さないでください!」

 そもそも離すという発想はなかったが、その一言を聞いて鹿住は早希と繋いだ手をぎゅっと握りしめた。その頃には視界は完全にぐにゃぐにゃになっていて、上下左右の判別すら困難になっていく。

 二人の間で確かなものは、お互いの手の感触のみ。

 そう思ったときには、目に映る周囲の光景は正常なものに戻っていた。ただし。

「……ここ、どこだ?」

「私の魔法を使って、短距離の転移を行いました。どこだかは……すみません、分かりません。指定できないんです」

 少なくともそこは路地裏——いや、野外ですらなかった。

 本物ではないだろうが、大理石風のフローリング風の床に、オフホワイトの綺麗な壁が見える。そこには、ソファにテーブル、大きなベッドなどの家具一式が設置されていた。

 間違いなく、室内である。

「ん? ちょっと待ってくれ。篠宮も魔法は使えるのか? いや、さっき確かに使ってたの見たけど……そういうことじゃなくて、えっと、つまり、篠宮も魔女ってことなのか?」

 今、自分たちが居る場所について気になることもあったが、先に湧き出た疑問から解消しようとする。

「そうですが……話してませんでしたか?」

「やっぱり、龍脈の魔女ってやつ?」

「いえ、私は違います。……それより、ここは一体どこでしょう? さっきの杏奈さんがここをすぐに見つけるような魔法を知っているかどうかは分かりませんが、どっちにしても不法侵入になってしまってると思いますし……」

 早希の視線を追って室内を見渡した鹿住は、思いついたことを口にした。

「マンション、じゃないな……。ホテルか何かかな? ベッドが妙にでかいし」

「そうですね……電話がありますし、これを使えばフロントの人と話せるとは思うんですが……ここにいる理由の説明ができませんし、こっそりと出てしまいたいところですが……」

「だな。まずはここから出よう」

 そう言って見えていたドアに向かった鹿住だったが、ノブを回そうとして違和感に気付く。

「ん……? 開かないぞ」

「鍵でも掛かっているのではないですか?」

「そうなんだけど、外し方が分からない。こっち側につまみはないみたいだし」

「おかしいですね……?」

 鹿住のノブを掴んだままの手を覗きこむように早希が屈むと、ふわりといい匂いが漂ってきた。

 長い髪からやってきたシャンプーの香りだろう。このまま吸い込むのが何か悪い気がして、息を止めつつ、一歩下がる。

「……どうなってるんでしょう?」

「そうだな」

 上の空で返事をしてしまって、変な顔をされたことで自分が変な応答をしたことに気付く。

「ああ……ごほん、仕方ないから中を調べてみるか。最悪は電話するしかないかな……」

 室内に戻るつもりで振り返って、再び部屋を視界に収める。

 大きな液晶テレビの据え付けられている向かいにはソファとテーブル。間接照明が中心に室内を柔らかく照らし出していて、奥のバスルームと思われる洗面台のあるスペースにはなぜだかガラスの仕切りがされている。細長いというか、あまり広くない部屋に不釣り合いなまでの巨大なベッドが、中央に鎮座——

「……?」

「どうしましたか、鹿住さん」

 おもわず足を止めた鹿住の背中から、疑問げな声がかけられるが、彼の意識の大半は別のことを考えていた。もしかして……と思いながら、より観察的な目で辺りを見渡すと、それが目に止まった。

 壁に埋め込まれた、券売機のような機械。

 これが、お金を入れて料金を精算するためのものだろうとは分かる。

 だがしかし……ホテルのお金は、一階にある窓口、じゃない、フロントで払うものではないだろうか。とすると、これは、つまり。

「ドアが開かないなら、少し休んでいくのも悪くないかもしれませんね」

「えっ?」

 がばっと振り返る鹿住に、早希はのけぞるように上体を反らせて、

「……? 誰か、人が来たときに、魔法を使ってごまかして出ていくこともできるかと思ったのですが……私、そんなに変なことを言いましたか?」

 首を傾げる。

「あ、ああ……いや、別にそんなに変じゃないよ、はは」

「……少し変ですよ、鹿住さん」

 ごくりと鹿住は息と共に焦りを飲み込む。

 彼女はまだ気付いていないようだったが、たぶん間違いない。対面ではなく料金を精算するタイプのホテルと言えば、つまりはアレだ。

 気付いてみれば、あの巨大なベッドが部屋の中央に主役のように存在している理由も明白だった。

 男女のカップルが利用するためのホテル。

 どう考えても制服の二人がここにいるのはまずいし、一人が中学生であるというのはもっともっとまずい。

「でもまあ、ここからは早く出たほうがいいと思う」

「そうですか? たしかに、私の魔法はカード一枚ごとに決まった回復時間が必要になるので、無駄に使いたくはないのですが……ああ、そうですね、ちょうどいいことですし、私の魔法について説明しておきましょうか」

 早希が先ほど使った魔法については、なるほど興味がある。

 ソロモン七十二柱の……とか言っていたから、七十二通りの魔法が使えるのだろうか。なかなかに便利そうではあるが……。

「それは後にした方がいい」

「ですが鹿住さん、敵と味方がそれぞれ何をできるかの知識は重要です。孫子の兵法にも『彼を知り己を知れば百戦殆うからず』という言葉があります」

「あー、それは、そうだろうとは思うけどな……」

 ずずぃっと前に進み出て、下から見上げてくる早希に今度は鹿住がのけぞった。

「ですから、私のこともよく理解してもらわないと困るんです」

「……いやだから、ここでそういう発言は……」

「……はい?」

 背伸びをしていた早希が、きょとん、と目を丸くする。

「別に場所がどこがなんて関係なくないですか? あの魔女から逃げ切れたとは決まっていませんし、安全なうちに……」

「いやだからね……?」

 どのように説明すればいいのかと、鹿住は頭をかいた。

 

   3

「信じられません……」

 偶然転移した先のある種の宿泊施設——ぶっちゃけてしまえば、ラブホテルとかレジャーホテルとか言われる場所——を出てしばらくしても、早希は鹿住と視線を合わそうとはしなかった。

「俺が悪いのか……?」

 思わずそう愚痴ってしまう。

「分かっていたなら、もっと早く言ってくれればよかったんです」

「別に情報を出し惜しんだわけじゃなくて、気付いてすぐに喋ったつもりなんだが」

「……信じられません」

 頬を膨らませる早希に、鹿住は腕組みをして首をひねった。

「んなこと言われたって……嘘は吐いてないぞ」

「ともかくです。今後ああいうことがあったときは——」

 理不尽な説教を始めかけた早希を遮って、鹿住はにやりと笑った。

「ああいうことがあったときって、篠宮にホテルに連れ込まれるようなことか?」

「ち、違います! ……いえ、事実は違いませんけども、そうじゃありませんっ!」

 ぷんすかしている早希の顔を見て、内心頬を緩ませる鹿住だった。

 しかし、向かいからやってくるギャル風にアレンジした制服姿の少女を見るや否や、彼は一転して口元を引き締める。

「見つかったみたいだな」

「そうみたいですね……どうやら、探索系の魔法も使えると思ったほうがよさそうです」

 早希の分析に同意して、鹿住は頷いた。

 ラブホテルがあるような場所のご多分に漏れず、街中ではあるものの周囲は閑散としている。こういったホテルは、利用客が人目に付きにくいように、入り組んだ裏通りに向けて出口が開けてあったりするからだ。

 それはつまり、ここで戦闘が起きても、別段都合の悪くない場所だということになる。

「こんなところに隠れてたのね、お二人さん。……子どもだと言ったのは取り消してあげたほうがいいかしら?」

 目を細めて放たれた後半の言葉は、鹿住の横に立っている早希に向けたもの。鹿住は彼女をかばうように一歩踏み出して、

「ああ、不本意ながらな」

「はい、まったく、本気で不本意です」

 転けそうになった。

「そこまで言わなくていいだろ?」

「……なんでですか? そういう話だと思ったんですけど」

 男心の分からない中学生の女の子にかぶりをふった鹿住が、杏奈に向き直る。

 まだ、例の傀儡人形は出していない。彼女があれらを呼び出したら、自分も相応の手段を使わざるを得ない。だが、その前にやっておくべきことがあった。

「お前には一つ聞きたいことがあったんだ……。お前、俺を倒したらどうするんだ?」

「何? いまさら、命乞いってワケぇ?」

「そういうんじゃねえよ、俺に勝ったら龍脈の魔女の力が手に入るんだろ。俺の力を奪いに来た、って言ってたよな? その目的はなんだ?」

「目的……?」

 一瞬、動きを止めた杏奈だったが、爆発したように笑い出す。

「くっくく……あは、あはははははははは! 馬鹿ね、アンタ、目的なんてないわ。私は強くなりたい。アタシのすることには誰も口うるさく説教(セッキョー)できなくなるぐらいにね!」

「なるほど。つまり……遠慮はいらないってわけだ」

 鹿住は拳を握りしめる。

 見せつけるようなその所作を見て、警戒して一歩下がりかけた杏奈は、しかしその場に踏みとどまった。

「カッコつけちゃっても無駄よ。さっきアンタが使ったような魔法ではアタシとアタシの傀儡人形は倒せない。——来なさい、傀儡人形(ドール)!」

 先ほどの繰り返しだった。地面に手を突いた杏奈は操り人形のような形をした、魔法で動く傀儡人形を魔力の輝きと共に三体生み出す。

 そして、それらはゆっくりとこちらに向かってきた。

 違ったのは、鹿住が自分からその人形共に近づいていったことだ。

「鹿住さん?」

「もう一つ使える魔法があったのを思い出したんだ……。こういうのが、魔法のうちに入るのかどうか分からないけどな」

 無謀な行動と見た早希の呼びかけに、鹿住は返事をしながら、周囲から魔力を集め始める。

 先ほどの魔法とは異なり、風が巻くなどの顕著な変化は何もないが、鹿住の身体全体が青く光り始める。魔女のような人間にしか見えない魔力光だが、ここにいる三人には視認できる。

 どこからか取り出したカードを構えている早希と、腰に手を当てた杏奈がその様子を見守っていたのはわずかな間だけだった。

「……何をする気か知らないけど。いいから殴っちゃって、傀儡人形」

 あっさりと命を下した杏奈の言葉に従って、一体の傀儡人形が鹿住に近づいて、その腕を振るう。

 移動の鈍重さからは予測もつかない機敏な動作で繰り出された腕が、横凪ぎに胴を払う直前で、鹿住が差し出した肘が、人形の上腕部を受け止めた。

 びしりと響く衝撃に鹿住は、たたらを踏むかのように若干後ろに下がって。

 ……それだけだった。

「なんですって? ——傀儡人形(ドール)!」

 不快げに眉を歪めた杏奈が、そう叫ぶ。と、傀儡人形の別の一体が手近な建物の壁を殴りつけた。

 強烈な一撃だった。

 腹に響くような重い音の後、コンクリートの壁にめり込んだ腕を人形が引くと、パラパラと崩れた破片が落ちる。

 早希は顔をしかめた。さっき鹿住が受けた一撃にも、この程度の威力があったはずだった。

 だが。

「そうよね……手加減しすぎたってワケね。もう一度いくわっ」

 今のデモンストレーションに自信を取り戻したのか、杏奈がひとつ頷いてからそう宣言したが、それを鹿住が遮る。

「いや……今度はこっちの番だろ、っと」

 言葉と共に鹿住が拳を繰り出す。

 早希が見たところ、意外に喧嘩慣れでもしているのか、その動作には気負いがなかった。そして、攻撃を受けた傀儡人形は、中身が空のマネキンならこうなるだろうか、といった感じに軽く吹き飛ぶ。

「なっ……?」

「案外、弱いな」

 その一言は鹿住の正直な本音だったが、杏奈の感情を逆撫でした。

「一斉にかかりなさい!」

「おっと」

 もう一体の傀儡人形の攻撃をひらりと避けた鹿住が、道の中央に出て傀儡人形を迎え撃った。

   *

 周囲を傀儡人形に取り囲まれているものの、相手は三体だけだから、鹿住に対する包囲網は完全というほどではない。

 特に、彼の反撃を受けた人形が面白いように吹き飛ぶ現状では、常に陣形のどこかに穴が開いている状態だとも言える。

 三対一の組み合わせ自体には手こずっているようだが——当然だろう、見ていない側から攻撃が飛んでくることもあるのだから——形勢的には鹿住の有利だと、早希は見て取った。

 構えていたカードを使って援護する必要はなさそうだ。念のためカードはしまわずに出しておくが、ほっと息を吐いて少しだけ気を緩める。

 そして、鹿住が使っている奇妙な魔法について考えた。

「……魔力による身体強化、ですか」

 早希のたどり着いた結論はそれだった。

 状況からして間違いないだろうが、魔女の魔術としては、鹿住が使用しているそれはいささか常識外れだといえる。

 魔女は魔女と呼ばれるだけあり、女性に発現することが多い。だから、というと性別への偏見になってしまうが、魔女の決闘(ウィッチトライアル)の場面において、直接殴り合うような戦い方は珍しいのが実情だ。

 今回の場合は、鹿住が一方的に杏奈の使い魔である人形たちに殴りかかっているわけだが、肉弾戦であるのは違いがない。

 魔力の運用が単純という点では、初心者魔女に向いた魔法だと早希は評価した。

「この……このぉ!」

 血相を変えている杏奈と、傀儡人形は魔術的な意味で繋がっているらしい。具体的な指示がなくても三体の人形は的確に動きつづけている。

 鹿住に殴られて吹き飛ばされても、飽きることなく彼にむらがって、隙あらば後方からの攻撃を仕掛けたりする。

 これまでクリーンヒットはないものの、頭部への攻撃は、当たる角度によっては一発逆転もありえるだろう。

 そういう意味では一見、形勢はほぼ拮抗しているのだが……。

 魔力の限界なのか、ダメージの蓄積なのか、少しずつ人形たちの動きが鈍ってきていた。

 このままであれば鹿住が勝つだろう。

 が、その後のことを考えると早希は若干憂鬱だった。魔女の決闘(ウィッチトライアル)に付き物の後処理については、まだ鹿住に説明していない。

 勝ったものが負けたものの能力を奪い、結果として負けたものは記憶を失う……という点について、彼がどう考えるのかは予測ができない。

 能力を奪う行為は、必ずしもしなければならないことではない。しかし、龍脈の魔女はその性質上、敵を確実に減らしておくべきなのだった。教育係の早希としては鹿住を説得する立場になるだろう。

 ……理解してもらえるといいけれど。

 そう思ったときのことだった。

「こうなったら仕方ないわ! ——傀儡人形(ドール)!」

 早希が考えごとをしている間に、あらかたの形勢は決まっていた。

 一体の傀儡人形は地面に倒れ伏し、残り二体がなんとか戦闘を続けている。三対一で拮抗していたものが、二対一になってはもう終わりに近い。後は時間の問題だ。

 そんな状態で、なぜか口元に大きな笑みを形作った杏奈が叫んだ次の一言に、早希は目を剥く。

「——合体するのよっ!」

 

   4

「合、体……?」

 呆然と呟いたのは鹿住と早希のどっちが先だったか。

 ともかく、杏奈の言葉を受けた人形たちは寄り集まって、倒れていた一体の上に覆い被さるように地面に身を投げていく。

 次の瞬間、人形達は青い光を発しながらお互いに吸い付くようにくっつき、溶け合って一体になった。木目調の表面がぐにゃりと解け崩れて、全体としては不定形の何かに変わる。そして見る間に膨らみ始めた。

「……なんだ?」

 驚きを隠さずに鹿住が呟くと、杏奈が鼻で笑った。

「見てなさいよ、これがアタシの可愛い傀儡人形(ドール)の本当の姿なんだから……」

 そのように言われて、黙ってみているほど鹿住は素直な人間ではないのだが、ぐにゃぐにゃと溶け合ったアイスのようになっている青白い物体に蹴りを入れる勇気もない。

 仕方なく、事態の推移を見極めようとする。早希も同じだった。

 ぐも、というくぐもった響きが聞こえたのはその頃だ。

 音の発信源は、言うまでもなく傀儡人形だった何か。青い光が薄れてきて、木目調の地肌らしきものが下から覗き始めたそれは、先ほどまでと同様に人型でありながら、同時に先ほどまでとはかなり異なったフォルムであることが明らかになりつつある。

 異様に大きな頭に、同じく巨大な拳と、足首から先の部分。これらは先ほどと同じ木目調だった。

 だが、それらを繋ぐパーツは、チューブのように細く、色も乳白色。そして、中央の胴体部分などは一抱えほどの球体でしかない。

 そのレトロなロボットのようというか、落書きのような造形をみた鹿住が思わず口にする。

「見た目はかなり弱そうになったぞ……?」

「そうですね……」

 早希ですら、さきほど同様に気をつけてくださいと鹿住をたしなめるのかと思えば、合体した人形の外観のあまりの間抜けさによってか、そのように気の抜けた台詞を口走る。

 それでも杏奈は言い返さなかった。代わって、

「甘く見てると……怪我するわよ。合体人形(ゴーレム)! やっちゃって!」

 自信を込めて、傀儡人形改め合体人形に、そう命令する。

 指示を受けた合体人形が大きく拳を振りかぶって——腕の部分がチューブになっただけあって、関節などの物理的な限界に囚われない挙動だった——鹿住が一瞬早く避けた地面を殴りつけた!

「——っ」

 衝撃に地面が掘り返されて、土砂が吹き上がり、土煙が立ちのぼる。

「こいつはやばいな……直撃喰らったら死ぬぞ、マジで」

「降参するなら許してあげてもいいわよ? 魔女としての力は頂くけど……ねっ」

「そう言われて降参するやつがどこにいるんだよ」

 鹿住は軽口を叩いた。

「じゃあ仕方ないわね」

 言葉なく行われた杏奈と人形の間での意思伝達に基づいて、次に合体人形が狙ったのは、鹿住ではなかった。

 狙われたのは、それより後ろに待機していた早希だった。鹿住が口を開いて叫びかけたと同時に、早希は、目の前に迫った合体人形の拳に目を見開いた。

「篠——」

「——ぁっ」

 鹿住の見ている前で、振るわれた合体人形の拳が、細く小さい早希の身体に命中して、少女の身体は高く宙を舞った。

 そして、そのまま地面に落ちる。

 少女は身じろぎ一つしない。

 早希が地面と接触したときの、ずさりという物音よりも、鹿住の耳に長く残っていたのは、一瞬だけ聞こえたような気がする悲鳴のほうだった。

「……て、テメェ……」

「キャハハ、軽く払っただけなのに、吹っ飛んじゃった」

「なんで……あいつを」

 鹿住が言葉にできたのは、それだけだった。

 なぜだ。なぜ、早希を狙って、戦っている相手である自分を狙わなかった——ただそれだけを口にしたかったのに、怒りに目眩がして、思考がうまく言葉にできない。

「なんでって? アハハハ、決まってるじゃん。馬鹿のひとつ覚えみたいな魔法しか使えないアンタと、あのガキンチョだったら、危ないのはあっちだもの。ずっと狙ってたのよ、チャンスをね……そう、本当なら傀儡人形のままでも勝ててたんだもの。アンタだけならさ」

「……んだと?」

「アハッ、アハッ、アハッ……気付いてなかった? 気付いてなかったの? アンタ、雑魚じゃん。初心者にもほどがあるわ。魔法での身体強化って、面白いアイデアだったけどさぁ……」

 鹿住は黙り込んだ。

「アタシが手加減してる傀儡人形といい勝負な時点で、その五倍は強い合体人形(ゴーレム)に勝ち目なんてないわよ……ははは、アハ、アハハハハハハ……ねえ、今どんな気持ちか、教えてよ。あの子をぶん殴られて、悲しい? イラッとしてる? 歯がゆい? でもざーんねん……」

 ただ、歯を食いしばる。

「アンタはここで終わりよ。龍脈の魔女の力はアタシが有効に活用してあげる」

「有効に……活用、だって?」

 嘲笑する杏奈に、鹿住は苦労して、たった一言を歯の隙間から押し出した。

「そうよ、力は正しい使い手のところになくっちゃね? アンタのような雑魚にはいらないわ」

「正しい使い手……か、まあ、俺は正しい使い手じゃないのは確かだ」

「残念だったわね。まあ、全部忘れちゃうらしいし、あんまり気にしなくてもいいわよ。それってちょっとアタシには残念なんだけどね。ずっと悔しがっててくれたほうが楽しめるもの」

 くすくすと笑いながら、杏奈は最後の指示になるはずの命令を、合体人形に送る。

 それを受けて、合体人形の両腕が上がり始める。両手で鹿住を押し潰すつもりなのだろう。

「でも……悪いけど、龍脈の魔女の力は、お前なんかには渡せないんでな」

「アハ」

 その一言をただの負け惜しみと思ったらしく、杏奈が笑い声をあげる。

 鹿住は、その笑いが始まるやいなや、滑らかに一歩踏み込んで、自分をひねり潰そうと近づいていたゴーレムの胴体に拳の先を当てる。

「——ハァッ」

 そして、強く呼気を吐いた。

「……なにそれ? おまじない?」

「いや。終わった」

 片眉を上げた杏奈に、鹿住は告げる。

「……つまらない冗談ね。いいわ、死んでもらっちゃ困るけど、手足ぐらい潰れても構わないし——合体人形(ゴーレム)!」

 静寂。

 杏奈の命令に一切反応しない合体人形と、鹿住の間に静かな風が吹き抜けた。

「どうしたの? 合体人形! ——合体人形ッ!」

 血相を変えて呼びかける杏奈の声を受けても、合体人形は動きを見せなかった。

 その代わりに、ピシ、と。

 小さい、それでいて致命的な物音が聞こえた。

 聞き違いだったと言われても納得する程度の音が、いくつも連なってから、ビシリというひときわ高い音がした。同時に、合体人形のボディに大きな亀裂が入る。

「そんな……」

 亀裂は広がっていき、球体全部をひびわれが覆った。さらに、どういう理屈なのかは分からないが、全身にダメージを負ったようで、球体以外の顔や拳についてもひび割れていく。

 青い光が内側から溢れだす。

「そんな、そんな、そんな——!」

 言葉にならない悲鳴が辺りに響いて。直後、威容を誇った合体人形は砕けちり、光だけを残して跡形もなく消える。

「……意外に脆かったみたいだな?」

 残光も消え失せたとき、鹿住はゆっくりとそう呟いた。

   5

 目を開いた早希は、最初戸惑ったような表情を浮かべた。

「あれ……鹿住、さん……?」

「目、覚めたみたいだな……見た感じ怪我はなさそうだが、大丈夫なのか?」

 鹿住がそう言うと、早希はまばたきをした。するとすぐに、さきほど起きたことを思い出したようで、独り言のような呟きを始める。

「ええと……そうでした、私、あの人形に殴られそうになって……慌てて防御魔法を使ったんですが、発動が不完全で、衝撃が殺せなくて……それで気絶しちゃったんですね」

 身体のあちこちに触れているのは、怪我がないか確認しているのだろう。

「ずいぶんとヒヤっとしたぞ」

 鹿住が心配していることに態度からも気付いたのか、早希は頭を下げた。

「すみません。大丈夫です」

「本当に平気か?」

 数メートルは吹っ飛ばされた光景が脳裏に残っている。鹿住は念押しした。

「ええ……膝をすりむいた程度です」

「どこだ? 見せてみろ」

「え、あのちょっと」

 重なっていて見えないほうの足かと思って、手を伸ばす。

 足を掴んで向きを変えて、最後は持ち上げてみるが、怪我の痕跡はなかった。

「見た感じ、どっちも大丈夫そうだが……もっと上のほうか?」

「やめてください」

 ぱしん、と手をはたかれる。

「比喩的な表現です……というか、スカートをどけようとするとか、一体なんなんですか」

「……あれ?」

 言われてみて鹿住は初めて気付いた。掴んでいた布はスカートだったのだ。

「……いや、すまん、ちょっと取り乱してたみたいだ……」

「何をどう取り乱したんですか、欲求不満ですか」

 きっ、と流し目で鹿住の顔を下から睨み上げてくる。

 これは間違いなく怒っている。

 短い付き合いだが、早希が浮かべる表情の種類をだいぶ理解してきた鹿住はそう思った。

「本当に……その、悪気はなくてだな……」

「信じられません」

「ええー……」

 取り付く島もない態度に、鹿住はうなる。

 本当に、一点の曇りなく純粋に少女の怪我を心配していたので、心外ではあったが、まあ確かにスカートを捲ろうとしてしまったのも事実だから、強くは出られない。

「まったく、謎の魔女に襲われて一大事だというのに……はっ?」

 愚痴っていた早希が目を丸くした。

「あれからどうなりました? あの……杏奈とかいう魔女の人は?」

「あいつなら……」

 視線を投げた先を見て、早希は再び驚きの表情になる。そこには杏奈が倒れていた。

「勝ったんですか」

「ああ……まあ、なんとかな」

「あの大きな合体人形は強敵だったはずですが……よく勝てましたね」

 再度の賞賛に、鹿住は何も言わずに立ち上がって、倒れている杏奈のほうに近づく。意識を完全に失っているようで、彼女はぐったりと地面に倒れ伏している。

「それで……前に言ってただろ、能力を奪うってやつ。あれどうやるんだ?」

「あ、ええと……それなんですけど……」

 早希は起き上がると鹿住の後を追いながら、説明を始めた。

 魔女は魔女の能力を奪うことができる。相手の意識がなくなっているか相手が承諾しているときに、特定の魔術儀式を行うことにより能力を簒奪するのだ。

 だが、それを行った後は、能力を奪われる側の対象者は魔術に関する記憶を失ってしまう。

 魔女歴が短い鹿住のような場合では、若干の混乱で済む。しかし、魔女歴が長い場合にはかなりの悪影響がある。場合によってはまるまる数年の記憶を失ってしまったり、極端な場合では意識がもどらなくなることもある。

 ちなみに、相手が眠っているときに儀式を実行しようとしても、普通の状態であれば儀式の最中に身体の異変に気付いて目が覚めてしまうらしい。

 つまり、寝ているときにこっそりと儀式を行われて、能力と記憶を失うようなことは考えにくい。とはいえ、寝ている場面に何かされるような、無防備な状態を敵に見せれば、不意打ちで昏倒させられてしまう危険が十分にあるのだが。

 などということを早希から説明を受けている途中で、鹿住はひとつ質問をした。

「こいつの場合、どうなると思う?」

「……そうですね、普通は、いつから魔女だったかは分かりませんから、確かなことは言えないものですが……この人の場合は、何年も魔女だったとは考えにくいですね」

 しばらく考えてからの早希の返答はもう少し続いた。

「昔から魔女だったにしては行動が直情的でしたし、そもそも魔術の腕もそこまでではありませんでした。それに、ここには以前、鹿住さんの先輩にあたる龍脈の魔女がいたわけですが、その辺のことを知っている様子がありませんでした」

 それを聞いて、鹿住は一息吐いて決心した。

「そうか……まあ、見逃してまた襲われたら叶わないし、篠宮を殴ったことは許せないしな。……儀式、やろう」

「…………」

 待っても返事がなかったので、鹿住は早希を見た。

 すると、彼女は少し慌てた表情を浮かべて早口に応じる。

「……あっ、はい、儀式でしたね。やり方を教えます……といっても、根源へ至る泉(ソース・オブ・オリジン)に問い合わせれば、魔女なら自然に分かるはずですが……」

 それから三十分ほどして。

 その場には、鹿住と早希と魔法のことをまとめて忘却した、平凡なギャル系の少女が一人残されることになった。

   *

 その日の夜。

 片付けが苦手な鹿住の部屋には、飾り気はないが生活感はかなりある。たとえば、壁に掛けられたカレンダーは曲がったままだが、来週のある日には赤丸が付いていたりして、気にせず使っているのが見て取れる。

 鹿住は、そんな自室で電話に出た。

 スマートフォンのディスプレイが表示していたのはクラスメイトの名字だったが、彼から電話を貰ったのはこれが初めてだ。

「はい……? え、冗談だろ? 冗談じゃない?」

 寝耳に水の話に、電話の相手へ嘘じゃないよなと再三確認するが、相手は「嘘じゃない、マジだ」と譲らない。

 常識的に考えれば、その連絡が真実であると信じる理由は何一つなかったが……嘘を吐く理由も冗談以外では考えられず、ちゃんとした緊急連絡網の伝言だと繰り返し念押しされたので、鹿住は自分の次の電話番号をコールして……同じように、相手に嘘つき呼ばわりされた。

 翌日の朝。

 鹿住は、昨夜の連絡と同じ内容がローカルニュースで報道されたのを見てようやく、連絡内容が嘘ではないことを知った。

 昨夜は家族に告げていなかったのだが、そういう連絡があったことを伝えて……既に着ていた制服を脱ぐために自室に戻った。

 仮に同じような連絡がもう一回あったとしても、やっぱり信じないだろうなと思いつつ。

 連絡の内容を思い返す。

「——学校の校舎が突然崩壊したから、しばらく休校になるんだってさ——」

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とじる

第三章 放課後、遊園地で中学生と

   1

 可愛らしい動物の絵が描かれたマグカップのような品々は、贈り物専用で、実用品ではないと思っていたが、どうやらその認識は間違っていたようだ。

 ファンシーショップの陳列台を前に、品定めしている早希の背中を眺めながら、鹿住はそんなことを思った。

 学校が臨時休校になった日の昼下がり。

 自宅の居間で、日頃は生で見れない時間帯のテレビを見ながらくつろいでいたら、チャイムの音が鳴って、玄関に出ると早希が待っていた。

 制服姿の彼女は、開口一番、愚痴から始めた。

「まさか、鹿住さんの学校があんなことになってたなんて……どうして教えてくれないんですか?」

「いや……だって、連絡先知らないし……」

 そもそも、連絡する必要があるとは思わなかったのだが、そこは棚に上げる鹿住だった。

「それにだな、今日のニュースでやってただろ?」

「私の部屋ではテレビが見られないので」

「いまどきテレビぐらい……」

 口にしかけて、早希にも家庭の事情とかがあるのだろう、と思った鹿住が黙り込む。

「一昨日にこっちに引っ越してきたばかりなので、まだ荷解きも一部しか済んでないんですよ……。細々したものはこっちで買う予定でしたし。これもすべては鹿住さんのせいなんですけど」

「ええ……どういう理屈だよ」

 困惑を隠さずに鹿住がそう言うと、早希は呆れ顔になった。

「忘れてませんか? 私は鹿住さんを教育するためにここに来たんです」

「あ、あー……いや、忘れてはなかったんだけど、全然結びついてなかった。そっか、それで……わざわざ、この街に引っ越してきたのか?」

「家からはとても通えませんから」

 聞くと、早希の家は海の向こうであった。といっても、当然同じ国内なのだが。鹿住は綺麗な標準語を話す彼女に感心しながらも、簡潔に所感を述べた。

「……そりゃまた、遠いな」

「遠いんですよ。鹿住さんにも少しは感謝してもらいたいものです」

 その言葉は多少恩着せがましくもあったが、鹿住は素直に頷いた。

「分かった、なら……篠宮の買い物に付き合うよ」

「はい?」

「どうせ今日も色々教えてくれるんだろ? 昨日、別れたときにそう言ってたしな……学校が崩れたのは予想外だったけど、家まで来たってことはそういうことだよな?」

「え、ええまあ……そうですけど……それと買い物と何の関係が?」

 実際、鹿住が指摘した通りの予定を立てていた早希は、頷きながらも話の展開が理解できずに、疑問げに眉を寄せている。

「色々揃える必要があるんだろ? それなら、買い物しながら説明してくれればいいよ。その、魔女の心得ってやつをさ」

「はあ……」

「一石二鳥だろ?」

 名案だとばかりに頷いている鹿住に、早希は疑わしげな視線を向ける。

「本音を言ってもらえます?」

「家にこもってるのに飽きただけだなんて、そんなことはないな……」

 平然と言って、にやりと笑う鹿住に、早希の口元にも微笑みが浮かんだ。

   *

 そうして、二人は町の中心からは少し外れたところにあるショッピングモールにバスを使ってやって来ていたのだが。

 自分が言い出したことなのに、鹿住は既に後悔を始めていた。

「魔女の話が全然ないままに……もう四軒目、か……」

 女の子の電話と買い物は長いと聞いていたが、真面目そうな早希がここまで目的を忘れて買い物に没頭するとは思っていなかった。

 その早希は、ファンシーショップの次は、家具とインテリアの店のカーテン売り場で商品を吟味している。カーテンなんて、遮光能力以外は、柄と色ぐらいしか気にすることはないと鹿住には思えるのだが、早希はひとつずつ触れて確かめている。

 たぶん、肌触りや匂いも重要なのだろう。味見まではしていないので、味は考慮外なのだな、と鹿住はそう理解して。

「っていうか、まだ買うものは色々あると思うんだが、ここでカーテンとか買ったら、めっちゃ荷物になりそうな予感がするぞ……それでいいのか……そういうものなのか?」

 思わず、疑問が口に昇る。

 すぐに、考えても仕方がないとため息をついて、鹿住は近くに設置してあったベンチに向かった。ベンチが設置してあるのは、なるほどよく考えられているものだと思う。

 これが、女性客に連れられてやってきた男性のための設備なのは間違いないところだ。

 鹿住が椅子に座ってしばらくすると——体感的には三十分ぐらい経っていた——どこか後ろ髪を引かれる様子を見せて、早希がこちらに歩いてきた。

「どうした?」

「すみません……どちらにするか迷ってしまって」

「ゆっくり考えていいぞ」

 まるで本心ではないが、このまま座ってうたた寝をするのも悪くないと考えた鹿住がそう言うと。

「いえ……他にも色々買わなければいけないものがありますし……ここは一旦後回しにして、後で決めようと思います」

「そ、そうか……」

 それは結局、選ぶ時間が延びるだけなのでは? と思った鹿住が喉をごくりと鳴らす。

「次は……そうですね、食器を見ましょう。さっきのファンシーショップに戻って——」

「い、いや、ちょっと待った」

 とんでもないことを言い出した早希を鹿住が遮った。

 さっき二十分ほど迷って購入を決めたマグカップは食器ではなかったのだろうか?

 いや、今はそんなことはどうでもいい。

「そ、そうだ、飯……食事にしないか? 流石に腹減ってきたんだよ」

「すぐに決まると思いますし、食器の後でもいいのでは? お皿とお茶碗とコップが幾つか欲しいだけ——」

 一時間はかかりそうだ。

「いや、でもさ、ほら、魔女の説明も全然聞けてないし……さ?」

「……あ」

 どこか懇願するような調子になってしまった鹿住の言葉。

 言われてみれば……という表情で口をぽかんと開けた早希が、そんな声を漏らした。

   *

「……つまりですね、鹿住さんの学校が壊れたのは自然な現象ではなくて、龍脈の魔女を狙う魔女の仕業だと思うんです」

 フードコートに向けて歩き始めた二人。

 急に雄弁になった早希の頬が赤いのは、さきほどまで立場を忘れていた失態を恥じているのだろう。

 少し固い口調に戻っているのも、緩んでしまった空気を取り繕うためのものだと思うと、その背伸び感が妙に可愛らしい。鹿住はそう感じながら、言葉を選んで答えた。

「魔女って、昨日俺が倒した……?」

「……たぶんですが、それとは別の魔女だと思います。タイミング的にそのほうが自然ですから」

「そんなに都合よく魔女が次から次へと出てくるものなのか?」

「これはまだ話す機会がなくて、話せていませんでしたが——」

 断りを入れてから、早希が続ける。

「龍脈の魔女は、代替わり時期に狙われやすいのです。実感していると思いますが、魔女はなりたての頃は知識が不足していますから……平たく言えば、ずいぶん弱いです」

「……傷つくなぁ」

「誤解しないでください。それはあくまでも、本来の力からすれば……です。通常、龍脈の魔女は地脈から供給される膨大な魔力を操ることができる分、普通の魔女よりは格段に強力になります」

「自信が湧いてきたぞ」

 混ぜっ返すような口調に、早希は綺麗なカーブを描いていた眉をしかめた。

「……真面目に聞いて下さいね?」

「はい、すみません」

 気分はまるで小学校の先生とその生徒である。

 どちらがどちらかまでは——言う必要がなかった。

   2

「おや? 鹿住くんじゃないか。……そっちの子は誰だい? 君の妹さんにしては、ずいぶんと整った顔立ちのようだけど」

 フードコートの一角で買った食事を前に、さあ食べるかという段階で、鹿住は不意に後ろから声をかけられた。

「ああ……先輩。なんでこんなところに?」

 振り返ると、鹿住の先輩の九法院翠がそこに立っていた。

 昨日の下校時以来の顔合わせになるが、いつも通り、そこだけ別の世界を切り取ったような優雅な立ち姿であった。

「ってか、ナチュラルに人の顔をディスるのやめて貰えませんかね……」

「そんなつもりはなかったんだけどね。君だって、彼女ほど外見が優れている自信があるわけじゃないだろう?」

「そりゃまあ、そうですが」

 かくいう翠自身が頭ひとつふたつ抜けた美人なのがいやらしい。

 平凡な容姿を自認している鹿住としてはそう思わざるを得なかった。

 まあ……翠は早希と同じで、美少女というカテゴリーに入りはするのだろうが、方向性が違いすぎて、どっちが上という比較は難しいな、と考える。

「えっと、ありがとうございます? ……あの、鹿住さん、この人はいったい……?」

 褒められっぱなしだった早希が面食らいながらもお礼を呟いて、すぐに小声で鹿住に問いかけた。

「あー、うちの学校の先輩でな……まあ、それなりに付き合いがある、というか」

「九法院翠だ。君は?」

 鹿住の紹介を横から制するように、翠は名乗った。

 ばっさりと途中で断ち切ったような髪型に相応しい、男前な態度だった。

 社交辞令については、鹿住や同級生よりもよほど大人っぽく振る舞うことのできる早希もこれには戸惑ったのか、

「あ、はい……篠宮早希です。えっと……鹿住さんとはその……色々とお世話になってます?」

 最後が疑問形で終わる自己紹介をしてしまっていた。

「ああ、つまり、君がラブレターの子か」

「はい?」

 早希が疑問の声を上擦らせた。

「あ……いや、先輩、それは」

「鹿住くんが私に自慢していてね。正真正銘のラブレターを受け取ったとかなんとか……君がその差出人なんだろう?」

 あちゃあ、と額を手で覆う鹿住。

 なんでまたこのタイミングで……と思ったが、既に手遅れだった。

「それは——」

 早希は言いかけて止め、鹿住に厳しい流し目を寄こしてくる。

 鹿住が龍脈の魔女になったので、教育するために手紙で呼び出したにすぎず、ラブレターなんかではない——などと主張したくても主張できない彼女の立場がそうさせた。

 その代わりに、覚えていてくださいね、という視線になったのはやむを得ないところだ。

「ああいや、心配しないでくれたまえ、誰かに言いふらす気はないとも」

 涼しげに笑って、翠はそんなことを言うが、鹿住には彼女の魂胆が分かっていた。

 代弁するなら——

 ——事情はだいたい分かっている。ま、そんなものだろうとは思っていたけどね? せっかくだから、からかって楽しませてもらうよ——

 長い付き合いだから、翠のそういう思考回路は予測できるのだ。

「は、はあ……ありがとうございます」

 誤解を解かない覚悟を決めたのか、そう言って、早希はため息を吐いた。

「それで、先輩はなぜここに?」

「いや……特に理由はないんだけど……学校が急にああなったので、少しばかり退屈でね」

 話を変えようとした鹿住が、最初の質問を繰り返すと、翠は気負いのない様子で答えた。自分と同じ理由に親近感を覚えつつ、鹿住は同意の頷きを返した。

「ああ……分かります」

「まあ、私に彼氏がいたら、君たちのようにデートでもしていたかも知れないがね」

「デートでは……いえ、なんでもないです」

 反射的に否定しかけたらしい早希が、語尾を濁して俯いた。鹿住は、これは後が怖いな……と思って、苦笑いする。

 そこで唐突に、翠が「ああ、そうだった」と呟いて手を叩いた。

 なんとなく、わざとらしい挙動だと鹿住は感じたが、自然に問いかけが口を突いて出た。

「どうしたんです?」

 ショートカットで背の高い少女は、鹿住の問いかけに答えて曰く。

「——実はちょうどここに遊園地のペアチケットがあるんだが。君たち、遊園地に興味はあるかい?」

「……なんでそんなものが?」

 直感で、状況の疑わしさを感じ取った鹿住が眉をひそめた。

 妙に都合のいい——よすぎる話の展開である。そもそも、そんなものを持ち歩く必然性が全くないわけで。持ち主の性格も考えると、これはなんらかの企て、あるいは陰謀の匂いがするのだった。

「いやあ、それが、昨日の君の話を聞いて、前に人から貰っていたのを思い出したんだよ。残念ながら、自分一人では使うこともできなくてね。貰ったときには半年の期限はあったんだが……このまま使われずに期限を切らしてしまうのも勿体ない話だから、誰か使ってくれる人がいればいいな、と思って持ち歩くことにしたのさ」

 ……やっぱり。

 鹿住は、そのチケットが自分達用に購入して準備されたものであることを半ば確信しつつも、抵抗してみせた。

「先輩なら、誰かを誘ったら絶対にオーケーされますよ。自分で使ってはどうですか」

「異性を誘うような度胸は私にはなくてね」

「……それは嘘だろ」

「ん? 聞こえなかったな……」

 わざとらしく耳元に手を当てる翠の顔には、満面の笑みが浮かんでいた。

 ここまで来れば明らかな話で、もともと今日学校で自分に渡すつもりだったのだろう。もちろん、彼女のことだから——

「先輩のことですし、ただってわけじゃないんですよね……?」

「話が早いのは好きだよ」

 鹿住と翠のやりとりに、目を白黒とさせている早希。その顔が、次の一言で急激に赤くなった。

「この遊園地には観覧車があるらしくてね、記念に二人で写真を撮って送ってくれたまえ」

「そ、そんなのダメです」

「……おや? どうしてだい? せっかく付き合い始めたんだから、記念ぐらいあってもいいじゃないか。そう思うだろ?」

 翠の言い分は無茶と言えば無茶で、断ろうと思えば普通に断れるはずだった。しかし、魔女に関するすべてを隠さなければならない早希には、二人の関係を否定することは難しい。

「……ぷ、プライバシーの侵害といいますか」

「ふうん、まあ……そうかも知れないね」

「で、でしょう?」

 先ほどからどもりまくりの早希が、胸を撫で下ろしかけたが、鹿住の知る翠はその程度で許すはずもなかった。

「じゃあ、送ってくれなくてもいいよ、今度の学校のときに鹿住くんの携帯で見せてもらえばいいさ」

「えっ……」

「それならプライバシーは保たれるだろう?」

「い、いえ、それでも……恥ずかしいですしっ!」

 強い調子で言い切った早希だったが、翠の笑いがますます深まるだけだった。

「恋人同士なんだから、はやく慣れたほうがいいと思うよ。それともあれかな、実は君、あまり鹿住くんのことが好きではなかったりするのかな……?」

「うっ……そ、それは」

 その通りですが何か、と言えればどれだけ楽か——。

 鹿住から見た早希の表情には完全にそう書いてあった。なぜかちょっと傷つくものを感じながらも、鹿住が助け船を出そうとしたとき。

「わ、分かりました」

「うんうん」

「へ?」

 ぐぎぎ、と奥歯を噛みしめていた早希は、写真を撮ってくることに同意したのだった。

 その答えを聞いて、翠は本当に楽しそうに笑っていた。

 ここまで思惑通りにいくなんて思わなかった——とその笑顔は語っている。

 前回のギャル魔女の件といい、早希が案外挑発に乗りやすい性格だったことを確信した鹿住は、一人頭を抱えた。

   3

「どうしてこんなことになったんでしょう……」

 呆然と呟く早希に、鹿住は少し考える振りをしながら、辺りを見わたした。

 二人の横を、大学生らしい男女のペアが通り抜けていく。その二人は傍から見ても恋人同士だと分かる接近具合だった。

 その向こうでは、メリーゴーランドが緩やかに回転しているのが見える。

 視線を別のほうにやれば、まだ小さな子どもを肩車した男性が、アイスクリームの販売所の前に並んでいる。空中ブランコの乗り物の前に並んでいる女の子とその母親らしき人物が見えるから、きっとその四人は同じ家族なのだろうと思ったが、鹿住の勘なので事実は違っているかもしれなかった。

 辺りの景色で確認するまでもなく、そこは遊園地であった。

 先輩の九法院翠から貰ったチケットを早速使用して、鹿住と早希の二人はここにやって来ていたのだ。

「……俺の勘だけど、篠宮が喧嘩っ早いのがいけないんじゃないかと思うんだが」

「私が喧嘩っ早いなんてことは……あるかもしれません」

 いったんは否定しかけたのだが、鹿住と合わせていた視線をそらして、遠い目をする少女。

 その瞳に辺りの光景がどれだけ映っているのだろうかと鹿住は考えた。生真面目な早希のことだから、きっと色々と反省しているのだろう。

 だから、鹿住はなるたけ明るく言った。

「せっかく来たんだし、なんか乗ろうか? どうだ、あの、ぐるぐる回ってる象の乗り物とかは」

 その言葉に早希はようやく鹿住を向いて、それから彼が指さす先を見る。

 が、なぜか沈黙している。

 仕方ないので代わりのものを指さしてみる。

「んー? 気に入らないか? じゃあ、あの、なんだろ、プロペラ機みたいなやつとかはどうだ?」

「……鹿住さん。おすすめしてくれている乗り物……どちらも子供用に見えますが、何か深い意味でもあるのでしょうか」

「あー……そうだったか……いや、女の子が乗るような奴がよく分からなくてだな」

 今回ばかりは素で間違えていたのが伝わったのか、頭をかく鹿住を見つめていた早希は表情を緩めた。そして、手を伸ばして、鹿住の腕を取る。

「鹿住さんの言うことももっともです」

「んん? 子供用に……?」

 早希の手の温かさに動揺していた鹿住がそう返すと、少女は口を尖らせつつも不快ではなさげに微笑む。

「って、もう! そっちではなくて……せっかくですから、遊んだほうが得って話です」

「ああ、そっちね。じゃあ何か乗ってこうぜ」

「まずはあれにしましょう」

 そう言って、早希が指さした先にあったのは。

「……あれか?」

「最初はここの目玉からじゃないです?」

 ——絶叫間違いなし、三六○度回転四次元スピンコースター!

 などと書かれた、明らかに剣呑そうなブツだった。

 確かに、電車で最寄り駅に降りたときにも広告ポスターで見た気がするから、この遊園地のメインアトラクションなのは間違いないところだろうが……。

「俺たち、飯食った直後だからな……」

「激しいのに色々乗ってカロリー消費したほうがいいですよねっ」

 ……あれー?

 想定していたのと違う、少女のアクティブさに驚く鹿住だった。

「ここの遊園地、コースターが三つに、落下系も二つあるんですよね。あまり有名でないところにしては、充実してるというか……楽しみです。鹿住さんは? ここに来るのは初めてですか?」

「子どもの頃に来た記憶はあるんだけどな……」

 その頃は、身長制限で、ジェットコースターは子ども向けのものですら乗れなかった。

 冷静になって考えると……。

「……あれ、俺、今回が初体験なんじゃ……?」

 その事実に気付いた今、鹿住は嫌な予感しかしないまま、可愛らしい少女に腕を引かれていく。

 幸運は不運の顔をしてやってくるというが。

 この場合、不運は幸運の顔をしていたのではないだろうか。

   *

「す、すまん……」

 ベンチに横になってぐったりしている鹿住がそう言うと、早希は首を横に振った。

「いえ……私こそすみません。鹿住さんがああいう乗り物は苦手だとはつゆ知らず……」

「俺も今回初めて知っ……うっぷ……よ」

 真っ青な顔色の鹿住の額に浮いた汗を取り出したハンカチで拭って、早希は立ち上がった。

「そのまま横になっていれば、少しよくなってくると思いますから……冷たい飲み物でも買っておきますね」

「すまん……」

 それ以上の言葉を口にするのが難しく、鹿住は持ち上げた手を振ることで返事の代わりにした。

 立ち去る早希と入れ替わりに、太ももの辺りで振動を感じる。スマートフォンにメッセージが着信していた。振動パターンから発信者が重要な連絡先リストに入っていることが分かる。

 こんなときに……と思いながら、鹿住は寝たままポケットからスマートフォンを抜き取って、画面ロックを解除する。表示されていたメッセージを読んで、ため息を吐く。

 思いつくままに返信を打ち込んだ。

 ——日頃使わない絵文字まで使うとか、ちょっと楽しみすぎじゃないですか、先輩?

 少し考えて、特に追記することはないなと思って、送信ボタンを押す。

 九法院翠がどんな顔をしてさっきのメールを打っていたのだろうかと考える。多分……書くときは真顔で、送信した後で腹を抱えて笑ったのだろう。それが一番彼女らしい。

 以前、自分と翠が待ち合わせ場所に来ていて、二人の共通の友人である女の子が遅刻してきたときにも、そんな場面があった——

 一年前、高校に入学してまだ間もない頃の記憶を思い返していると、早希が戻ってきた。

「鹿住さん、今日何か用事でもあったんですか?」

「……ん? いや、別に……なんでそう思った?」

「携帯を見てましたから」

「あー、ただメールが来ただけだよ。今回のスポンサーから」

 深読みのしすぎだなあと思いつつ、鹿住がそう答えると、早希は表情を歪ませる。観覧車に乗ってカップルっぽい写真を撮ってこい、という無慈悲なオーダーを思い出したのだろう。 

「……そういえば、それがありましたね……」

「忘れてた?」

「ええ……忘れたままでいられたらよかったんですが」

 苦笑を浮かべた早希が冗談めかして言った。少し体調が戻ってきた鹿住はそれに応えて、ベンチの上で身を起こす。

「嫌なことは忘れられないっていうけど、忘れるってのは自己防衛なんだよな」

「自己防衛、ですか?」

「心の中で一番傷になる出来事と繋がっている記憶の線を切って、思い出せなくするんだ。そうすれば、同じことで二度悲しむ必要がなくなる……まあ、通常の人間の脳では、一つの記憶に繋がる線が幾つもあるような状態だから、そこまで都合よくはいかないみたいなんだけど」

 手渡された紙コップ入りの冷たい炭酸水を受け取りながら、鹿住が説明する。

「はあ……なるほど?」

 話の展開が急すぎたのか、鹿住がこんなことを言い出すのが予想外だったのか、早希はあまり理解していないような顔をした。

「いや、魔女の記憶が失われるって話で、そんなことを思い出しただけだよ。余談ってやつだな……さて? そろそろ次のに並ぶか?」

「……いいんですか? 鹿住さんには向いてないと思いますが」

 話を打ち切った鹿住が、コップの中身を口に運びながら、別の絶叫マシーンへの挑戦を示唆したが、早希はためらう様子を見せた。

 彼女を安心させるために、そして自分の安心のために鹿住は続けた。

「いや、俺は下から見てるから」

「それは申し訳ない気がしますけど……正直、他のにも乗ってみたいですし……」

 鹿住への配慮を見せつつも、早希はどこかうずうずした様子を隠せないでいる。ずいぶんとこの手の乗り物が好きらしい。

 そんな彼女の様子を見ていると、篠宮早希という少女は、魔女の教育係とかそういう堅苦しい非日常の存在ではなく、年相応に可愛らしい女子中学性なのだと鹿住に実感させた。

「本当に気にしなくていいぞ、せっかくだし楽しんでこいよ」

 からかいではなく本心で伝えると、早希は感謝したように頭を下げる。そこで、鹿住のために次の言葉を呟くのが生真面目な彼女らしい。

「後で、鹿住さんが楽しめる別のアトラクションにも行きましょうね……」

「……そのときは、自己防衛が必要でないやつにしよう」

 それが、ちょっと考えてからの鹿住の返事だった。

   4

 幾つか絶叫マシーンを回った後。

 二段重ねのアイスクリームを食べながら一息ついていたところで、早希から、そろそろ鹿住さんが次に行くところを決めてください、という提案があった。

 ジェットコースターの類が極端に苦手だと知ったばかりの鹿住としては、あまりこれと言って興味を惹かれる場所はなかったのだが、自分だけが満足しているのも悪いのでと言って彼女は譲らない。確かに、複数の絶叫系の乗り物をすっかり堪能した様子が、少女の表情からもうかがえた。

 それで、鹿住は乗り物(ライド)系ではないアトラクションを適当に選んだのだが……。

   *

「いいですか、絶対に先に行ってはいけませんよ」

「ああ、分かった」

「かといって、動かないのもダメです。私は鹿住さんの背中を見ていますから、一定の速度で、注意深く進むようにしてください」

「だから、分かったって」

 厳しい口調で指示してくる早希に、鹿住はおざなりに頷いた。

「いいえ、鹿住さんは分かっていません……本当にこれは重要なことなのです」

「なあ……やめたっていいんだぞ?」

 今、二人が入場しかけているそこはホラーハウス、いわゆるお化け屋敷であった。

 鹿住の服の端を掴んだまま、早希は首を横に振る。


「いえ……言い出したのは私ですから……ここは責任を持って我慢してみせます……」

 鹿住としては、まさか、早希がお化け屋敷程度をそこまで苦手にしているとは思わなかったのだ。

 休憩していた場所から見えていた展望台でもいいかと思ったものの、やや寂れた感じのこのアトラクションが一番近かったので、とりあえず寄ってみただけだったのだが。

 確かに、真面目ぶっていながらも子どもっぽく意地っ張りなところがあるこの少女が、可愛い悲鳴を上げるシーンはちょっと楽しいかも知れないな、ぐらいのことは思ったのは事実だが、入る前からここまで怖がられると、なんだか罪悪感が湧いてくる。

 なので、やめたらどうかと言うのはこれで二度目。

 けれど、なぜか彼女は頑なにやめようとしない。

 その心情がいまいち理解できないままに、鹿住はとうとう足を踏み入れようとして——。

「べ、別に怖いわけではないのです。あくまでも苦手なだけです」

 ……ああ、この子、本当に意地っ張りだなあ、と納得するのだった。

   *

「ひっ」

 入って数十秒で早希は息を飲んだ。

 なんのことはない、ちょっと不気味な感じの音楽が流れだしただけなのだが。

 このホラーハウスの装飾は、日本風ではなくて西洋風になっている。それも、どちらかというとハロウィン的というか、怖さや不気味さだけではなく若干の可愛らしさがある作りで、子ども向けにセーブしたアトラクションという雰囲気だなと鹿住は思っていた。

「……本当に、大丈夫なんだろうな?」

 ところが、振り返ってみると後ろの少女は、サバンナで生まれたばかりのトムソンガゼルよろしく足を震えさせている。

 このまま進んでいいものかどうか、本気で悩ましい。

「だだだ、大丈夫です。ちょっと緊張しているだけです」

「……まあなんだ。落ち着こう。まわり見てみろよ、そんなに怖い系じゃないみたいだぞ、ここ」

 つややかでくせのない髪に、天使の輪っかができている——今は暗いから見えないが——早希の頭に手の平をぽすんと載せる。

「っと……そう……ですね。確かにあまり怖く……いえ、苦手ではないような気がします」

 頭を触られる瞬間には目を閉じていた早希が、鹿住の言葉を聞いて目を開いた。ややおっかなびっくりではあるが、周囲をちらちら見た後で、早希は若干の落ち着きを感じさせるコメントをした。

「だろ。子どもの頃の経験とかで怖いと思ってるのか知らんが……早希ぐらいの年代になれば、こういうのは自然と怖くなくなってるもんなんだよ」

「そうですね……確かに、もともと怖くはありませんが、苦手だという思い込みが強かったような気がします……」

 素直なのか素直でないのかよく分からない返事をして、早希は掴んでいた鹿住の服を離す。

 ちょっと名残惜しさを感じたが、鹿住はそのまま歩き始める。

 すぐに、最初のネタがやってきた。

 暗い通路を歩いていると、不意にガタン、と大きな音がして、上からいくつもの何かが降ってくる。ほぼ同時にスポットライトがそれらを照らしだして、それがハロウィン定番の目と口を彫られたカボチャだと分かる。周囲をそれらに取り囲まれたわけだ。

 普通のハロウィンのパンプキンとは違って、なぜかそれらは血塗られている。内側からは黄緑に発光しており、照らすライトも青紫で、なかなか不気味な感じではある。どこかに設置してあるスピーカーから「けけけけ」という笑い声が流れる……。

 それは、鹿住の感覚では怖いというよりは、ちょっとびっくりするかも……という感じだったが。

「あのー……篠宮さん?」

 ガタンという音が聞こえた直後、ぐわしっと後ろから抱きつかれて、肺からすべての空気が押し出された。ぶっちゃけ、出てきたカボチャの群れの三倍は驚いた。

 鹿住を抱きしめている腕と、顔も伏せているらしく、鹿住の背中にぐりぐりと押しつけられている少女の頭から、ぶるぶるとした振動が伝わってくる。その辺の状況を鹿住が理解したときには既に、天井から降りてきていたパンプキンは上に引き上げられて消えていた。

「……もういなくなってるので、そろそろ離して貰えないかな」

 鹿住の声には、照れも緊張もなく、早希のあまりの反応への戸惑いが強かった。

「………………本当、ですか?」

 しばらくして、伝わってくる震えが止まり、くぐもった声が背中の後ろから届く。

「大丈夫、カボチャは消えたよ」

 言葉にしつつ、なんか間抜けだなあと思うのだが、早希にとってはそうではないらしく。

「……信じますよ?」

 そんな風に呟いてからようやく、鹿住を拘束していた腕を解くのだった。その反応に、鹿住は前途多難の思いを新たにする。

 十秒後。

 影から包帯ミイラ男らしきものがうなり声とともに姿を現したかと思った瞬間。

「ひゃうぃんっ」

 言葉にならない声と共に、今度の早希は全身で鹿住にしがみついてきた。あまりにぴったり密着しているので、柔らかいとか柔らかくないとかどころではなく、身体のラインすら正確に感じ取れそうなぐらいだった。

 ……まあ、柔らかかったが。

「……すす、すみません」

「ごっつぁんです」

 しばらくして、自分から身を引いた少女に鹿住はそう応える。

 そして七秒後。

「あひぃっ」

 再び二人はくっついた。

 これは結合の強さでいえばイオン結合ぐらいはあるぞ、と邪念から逃れるために、鹿住は密着度合を化学の結合の種類に置き換えて考える。

 それからも数歩進むごとに早希は跳びはね、悲鳴をあげ、当然のように抱きついてきた。

 そして十分以上が経過して……。

「べ、べべ、別に怖がってはいないのです、あくまでも苦手なだ——けふぃあっ」

 謎の叫び声に吹きだしそうになったが、屈み込んでがっつり涙目になっている少女の前で笑うわけにもいかず。必死で堪えている鹿住もまた、恐怖に震えているように見えなくもない。

 時間的にはもうゴールに着いてもおかしくないのだが、半分腰が抜けたようになった早希が何かあるごとにしゃがみ込んでしまうので、まだ出口は見えてきていない。

 こんな状況なので、流石に、早く終わらせてやりたいと鹿住も考えている。途中退場という手もあるのだろうが、どんなに打ちのめされても早希が気丈に立ち上がるせいで、まだ余裕があると思われているのか何なのか、特に係員などが来るということはなかった。

 もしかすると、毎度毎度、鹿住に抱きついていたので、カップルの演技だと思われていたのかもしれない。

 しかし、ここにきて、完全に腰が抜け、半ば放心している早希は立ち上がることもできない。

「すみません……手を繋いでください」

 少女の申し出に従って、鹿住が手を引く。

「ごめんなさい、私、やっぱりどうしてもこういうのダメみたいです」

「いや、無理させて悪かった……反省してる」

 事実としては、無理についてきたのはどっちかというと早希のほうだったが、鹿住はそのことは心の棚にしまって少女に謝罪する。正直、ここまで怖がるとは思っていなかった面もあって、素直な罪悪感の方が強かった。

「とにかく……出口まで後少しだと思うから……外に出たらしばらく休もう」

「はい……頑張ります。さっきの鹿住さんみたいですね」

 余裕はなさそうだったが、早希は自分で言ってくすりと微笑みを浮かべる。

「俺が手を引くから、目を閉じとくってのは?」

「それは、逆に怖いので……」率直だった。

「じゃあ……とりあえず、しっかり手を握っててくれ」

 それ以外の対策は思いつかなかった鹿住はそう言って、頷いた早希とともに歩き出す。運がいいことに、残っていたオブジェは後一つだった。そして運が悪いことに、最後に待ち受けていたそれがまた、なんとも強烈だった。

 筆舌に尽くしがたいものが筆舌に尽くしがたいやりかたで姿を現したとき、鹿住ですらも一瞬、胸の内で心臓が跳ねるのを感じたぐらいである。

 当然、早希の反応はすごいかと思ったのだが、棒立ちになった彼女はなぜか無反応。

 鹿住を驚かせたそれが機械仕掛けの動きでゆっくりと姿を消した後で、鹿住は少女の腕を引きながら顔を覗き込む。そして、気付いた。

「——きゅう」

 少女は、完全に目を回して鹿住に倒れかかってきた。

   5

「ずいぶん遅くなってしまいましたね」

 早希が自身で言うように、あれから一時間と少し経っていた。

「二人ともあまり遊園地向きじゃなかったな」

「私は……別に、お化け屋敷にさえ近寄らなければ大丈夫ですから」

 完全に目を回していた早希も、今ではすっかり調子を取り戻している。実際のところ、回復までの時間は鹿住よりも早かったぐらいだ。

 それでも、お化け屋敷の一幕については流石に反省したのか、もう強がるのはやめたらしい。

 鹿住は少し笑ってから、早希のほうに向き直る。

 早希が背中を向けて座っている窓の向こうには、夕暮れに赤く染まった遊園地の敷地と、太陽の沈みかけた山が見えている。

 あの後、展望台に昇って市内を一望し、さらに若干数のアトラクションを回った二人は、今こうして最終目的である観覧車に乗っているところだった。

 この観覧車は三十分ほどかけて一周するので、地上に戻る頃には日が沈んでいるだろう。

 ぽつり、と早希が切り出す。

「写真……撮っておきますか」

「……そだな」

 向かい合っていた座っていた鹿住が、早希の隣に移動して腰掛ける。

 いいよな? と目で合図する。

 それに応えて頷く早希を見てから、鹿住はスマートフォンを握った腕を伸ばして、外側のカメラを自分たちのほうに向けた。

「もう少し近づかないと……それらしくないですよ」

「ああ……これぐらいか?」

 恋人同士ではないのに、肩を寄せあって写真を撮る。

 それなりの理由があってそうしていることを知っているのに、不自然で決まりの悪い感じを鹿住は覚えた。

 回転動作のための機構音をのぞけば、外界の音と切り離された静かな観覧車の箱。

 二人だけのその空間の中でフラッシュが瞬き、パシャリという慣れ親しんだ音と共に、仮想のシャッターが切られた。

 手元に戻したスマートフォンの画面を確認する。

 一度だけの試行でも、案外うまくフレーム内に二人を収めることが出来たようだ。

 そこにはぎこちない笑顔の少年と少女がいた。どうにもわざとらしい表情だが、まあこんなものだろう。翠だって、当然、怒りはしない……と思ったとき。

「鹿住さん」

 隣に座った少女に名を呼ばれて、鹿住は顔を上げた。

 すると視線の先に早希の細い手と、彼女が手にしているスマートフォンが——パシャッ。

「っと」

 先ほどのと似通ったフラッシュとシャッター音がして、ようやく鹿住は早希が自分たちの写真を撮ったのだと理解した。

「せっかくですから。記念に……と思いまして」

 鹿住の疑問の眼差しに、涼しげに応えた早希は、そう言って撮ったばかりの写真をチェックする。つられて、覗き込もうとした鹿住だが。

「ダメです。見せません」

 少女は、スマートフォンの筐体を立てて、鹿住からの視線をブロックする。

「そりゃなんかズルくないか?」

「鹿住さんにはそっちの写真があるじゃないですか」

 指さす先には、鹿住のスマートフォンがある。確かにその通りだが、

「不意打ちだったから、どんな顔で写ってるのか知りたいんだが……」

「大丈夫ですよ、いつもの目つきのよくない鹿住さんです」

「……それ、けっこう気にしてんだよ、俺」

 鹿住が悄然とそう言うと、早希は微笑みながら「ごめんなさい」と謝った。どこか穏やかなその表情は、すぐに斜めに差し込む夕日に溶けるように消える。

「まあ、いいけどさ」

 印象的でありながらも儚いその光景に、鹿住は反論を続ける気力を失った。もとより、本気で抗議していたわけではなかったというのもある。

 自分が撮った写真に視線を落とす。

 こちらはぎこちない作り笑顔だが、早希が撮った方の写真で、彼女はどんな表情を浮かべているのだろうか。それを知ることができないのだけが、残念だった。

 ふと気付けば、観覧車は頂点に近づいていた。

「いい景色だな」

「そうですね」

 陳腐なやりとりだったが、変に気の利いたことを言うよりもよかった。魔女の件がなければ出会っていない二人には、相応しい距離感だ。そんなふうに鹿住は思う。

 そこで唐突に早希が呟いた。

「……鹿住さんみたいな人でよかったです」

「何が?」

「私の担当する魔女の話です」

「ああ、その話か。……あれ? ……確か、最初は俺のこと、女の子だと思ってなかったっけ?」

 最初に会ったときに、たしかそう言われた。

「ええ。そうです。女の子だと思っていたので、ちょっと不安でしたけど……思っていたより、怖い人じゃなくて」

「思っていたより……って」

「目つきのことじゃないですよ。あ、いえ、すみません……」

 頭を下げかけた早希に、鹿住は手を「それはいいから」というように振った。

「やっぱり、年上の男の人ってちょっと怖いって感じがあるので……安心しました」

「……そうか」

 なんと言っていいか分からなくなった鹿住はただ頷いた。

「これからもよろしくお願いしますね?」


 それは、この場面では自然な申し出だったが、鹿住は少し考え込んでしまった。どうかしましたか、と問いかけてきた早希に対して、

「……ああいや、教育係って……いつまで、とか期限みたいなものがあるのかなと思ってな」

 と応じた。

「特に……決まりのようなものはありませんし、基本的にはその……ずっと、になります」

 なぜか言いにくそうに早希が言う。

「そっか。ならいいんだが」

「そうですか?」

 やや食い気味に早希が反応するので、鹿住は気圧されつつも頷いた。

「あ、ああ……まあ、いきなり放り出されても困るしな」

「ええ、よろしくお願いします」

 くすり、と笑う早希に見られて、鹿住は苦笑いを浮かべた。

   *

 観覧車での短い旅が終わり、地上が再び近づいてきて……。

 少女が再び唐突に口を開いた。

「鹿住さん、今夜の予定ですが、空いていますか?」

「は? え? 今夜?」

 混乱しかけた鹿住に、早希は頷く。そして、言いにくそうに、

「今日は色々とありがとうございました。買い物に付き合って貰った後、遊びにも誘ってもらって。……それで、なんですが」

 一旦、口を閉じて切ってから、しっかりした声音で続ける。

「龍脈の魔女の講義が遅れた分として、今夜は補習を行おうかと思いまして。そろそろ、龍穴の操作にチャレンジしてもらいたいんです」

「……あー……なるほどね……了解」

 鹿住は、応えながらも首をかくんと倒すのだった。

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とじる

第四章 放課後、先輩と悪だくみ

   1

 深いため息を吐いた少女は、ストローからドリンクを吸う。

 ずっ、とカップの底に到達したことが分かる音をさせたところで、早希は唇を外してこちらを見た。

「どうして……失敗したんでしょうね」

 その口ぶりにとがめる調子はなかったものの、鹿住は肩身の狭い思いをした。

 何しろ、その発言はこれで三度目だ。

 二人で遊園地へ訪れたあの日。しめくくりに龍脈の制御に出向いて、失敗したときの帰り道で、一度目。

 翌日に、再び鹿住の家を訪れた早希は、初回だからそういうこともあると鹿住を慰めた。この時点では、彼女自身、次は成功するはずだと思っていたようだったのだが……。

 同じ日に、龍脈制御の意義やら他の地域での事例について、いくつか説明を受けた後での再トライでも再び失敗する。ここで、二度目の「どうして……」を鹿住は聞いた。

 三度目を聞いた今は、その翌日である。

 学校の校舎が倒壊してからでいうと、三日目になる。まだ授業再開の連絡はないが、昨晩に緊急連絡網が回ってきて、今週末には今後の予定についてもう一度連絡があることになっている。臨時で野外教室でやるか、外部の施設を使うかのどちらかで検討しているという噂だった。

 そんな状況の中で、本日、鹿住と早希の二人は近場のファーストフード店に来ていた。

「で、どうするんだ? 今日もやるのか?」

 気乗りしない様子で、鹿住は確認する。

 龍脈制御の魔法をこれ以上試すことについては、鹿住は反対だった。同じことを繰り返してもうまくいかないのは目に見えているし、失敗するたびに早希が沈み込んでいくのもあまり気分のよいものではない。

 いっそのこと、一週間ぐらい間をおいてはどうかと提案する。

「そうですね……確かに、単純に繰り返しトライするだけでうまくいくとは思えませんし……ですが、問題もありまして……」

 言いながら、テーブルに肘を突いた両腕の上に顎を載せると、早希の長い髪の一部がテーブルに零れて広がった。

 そんな気怠げな姿勢を取る彼女を新鮮に感じつつ、鹿住は「問題って、なんだ?」と問う。

「最初に試したときに少し説明しましたが……異界化です」

「イガイガ?」

「異界化、です。わざとらしいですよ、鹿住さん」

 こちらの態度からふざけているのが分かったのか、早希はたしなめるような視線を向けてきた。

「悪い悪い。で、それってなんだったっけ」

「龍脈を流れる地の魔力(オド)が、滞留して龍穴から出てこなくなったときに生じる稀な現象です。通常、魔力が滞留しても、その上に住まう人々の身体の健康だとかやる気とかに若干の影響があるだけなのですが……魔力の性質と、溜まり具合によっては、より危険な異界化という事態を引き起こします」

 テーブルに載せていた肘を下ろして、生真面目ないつもの彼女の態度に戻ると、早希はきびきびと説明を始めた。

「異界化すると、どうなるんだ?」

「これもまた千差万別のところがあるのですが……よくある例では、瘴気が溜まり、よくないものを引きつけます……魔物とか」

「魔物って、スライムとかか?」

「ゲームじゃないんですよ、鹿住さん」

 したり顔で言う早希だったが、魔物と言われればスライムとかを思い浮かべるのが、ふつうの現代人の感覚だろうと、鹿住は憮然となる。

「魔物の形や性状は様々だと言われています。ここ数年の例では、鬼のような人型の生き物の場合もあれば、複数の虫の場合もありました。巨大な水棲生物だったこともあるようです」

「ん……ちょっと待ってくれ。そんなのが湧いて出てきたら、ニュースになるだろ? それとも、一般人には見えないのか?」

 言った直後に、見えない生物に襲われたら、それはそれでニュースになるか……と鹿住は思った。早希の反応を待つが、彼女の答えは単純だった。

「その疑問はもっともですが……基本的に魔物は、私たち図書寮の担当職員が発生を予測して、退治しますので、一般人が出くわすことはまずありません。それでも万が一、一般人が魔物と遭遇した場合は……隠蔽工作をします」

「魔術で記憶を操作するとか?」鹿住は思いつくままに言った。

「中にはそういう例もあるとは思いますが……ほとんどの場合は見間違いや記憶違いとして処理しているようですね。そもそも、変な生き物を見た、というような問い合わせは珍しいものではありませんので」

「あー……なるほどなぁ」

 確かに、自分が変な生き物を見たとして、それが実在すると信じるよりは、見間違いでもしたのだろうと思う確率のほうが高い気がする。

 魔女になってからの鹿住は、超常現象みたいなことも普通にありえると思えるようになったが、世間一般では、非科学的なものが存在していると思うのは、迷信がちな人だけだろう。

「……あ。もしかして、UFOの目撃とかってのも……?」

「ご想像にお任せします」

 ふふっと笑って、早希はポテトを一本つまんだ。

「しかし、篠宮はいつも制服だな? 校則なんだっけ」

「そうですし……一応、公務ですから、ちゃんとした格好をしないと」

 明るい黄色のソファに腰掛けている早希の制服姿を上から下まで眺めて、鹿住がそう言うと、少女は自分の格好が気になったのか、ブレザーの襟元や裾に手をやる。

「こないだの遊園地みたいなときは、私服のほうが自然だろうけどな」

「まあ、そうかもしれませんけど……」

 反論しつつも、早希は再び制服に視線を落として言った。

「似合って……ませんか? けっこう気に入ってるんですけど、この制服……」

「いや、似合ってるぞ」

 明るい色で、清廉な印象を与えるその制服は、お世辞でなく彼女によく似合っていた。入学希望者向けのパンフレットがあるなら、早希をモデルとして使えばいいとすら思う。

「そうですか……」

 満更でもない表情を早希が浮かべたとき、テーブルの上に放置していた鹿住のスマートフォンが振動した。鹿住は筐体を手に取って、画面に指を走らせる。

「……うーむ……」

 そして、深いため息をひとつ。

「どうか……しましたか?」

 鹿住のプライバシーに配慮してか、早希は遠慮がちに問いかける。画面を見て以来、眉を寄せたままの鹿住の表情が気になったのだろう。

 鹿住は、そんな彼女に向かって、ゆっくりと口を開く。

 ——届いたメッセージの主が、鹿住に提案してきたことを伝えるために。

   2

 森の奥にある瀟洒な洋館。

 九法院翠が住んでいる邸宅は、その表現がもっとも簡潔で、なおかつ妥当だった。

 そう、邸宅なのだった。家だとかそういう規模ではない。正面玄関の扉をくぐり、現れたメイドに案内されて長い廊下を通り抜け、案内されたのは談話室。一般の家宅にはない部屋だ。

 過去に、何度か訪問した経験のある鹿住だったが、やはり気後れするものを感じる。

「こんなお屋敷に住んでいる人って、いるものなんですね」

 上品に落ち着いていながらも、どこか高価そうな印象を与えてくる調度品を、見るともなしに眺めて、早希はそう口にした。

 その庶民的な反応に、鹿住は共感を覚えて、自然に口の端が歪む。

 そして記憶している限りの知識で、九法院家の来歴について説明する。

「翠の家は……元々はこの一帯の地主だったらしいんだが、明治の頃に舶来品の輸入を始めて、一気に財閥のように成長したそうだ。当時の当主は、華族の娘を嫁さんに迎えたらしいから……一種の成り上がりの貴族だな」

 談話室に案内してくれたメイドが、既に席を外していたこともあり、鹿住の口はなめらかだった。

 しかし、そこに涼しげな声が割って入る。

「人の家を悪し様に言うのはやめてもらいたいものだね、鹿住くん」

 部屋の外へ開いていたドアをくぐって、当の九法院家の娘である翠が姿を現したのだった。

「先輩が教えてくれたことをそのまま言っただけじゃないですか。どっちが人聞き悪いんだか」

「友人の口は固いと信じて漏らした本音なのに、私は悲しいよ」

 翠はそこまで言うと、ふふっと笑って今の発言が冗談だと示した。それは、彼女の性格を知っている鹿住ではなく、早希に対する配慮だと思われる。

 早希に目を移した翠は続いて、

「ああ……これは気を使わせてしまったか。私は礼儀作法にうるさい人間じゃないから、どうかそのまま座っていてくれたまえ」

 自分の入室と同時に、椅子から立ち上がって屋敷の主を迎えた早希に向かって言った。

 そして、にやりと笑う。

「鹿住くん。君にはこの子はちょっと勿体なさすぎる気がするんだが」

「まあ……そりゃ否定しませんけど」

 明らかなからかいの調子に辟易しながら、鹿住は同意してみせた。

 すんなり同意したのがつまらなかったのか、翠はふんと息を吐いてから、鹿住と早希が並んで座る円卓の対面に、洗練された所作で腰を下ろした。

「あ、そうそう。こないだの写真はなかなかよかったよ。……初々しくて」

 視線を向けられたものの、言葉の意味が一瞬分からなかったのか、早希はいぶかしげな表情を浮かべていた。だが……直後、一転して、顔を赤く染める。

 からかうのはやめてくださいと鹿住が横から口を挟んだが、翠は一顧だにせず、くくっと喉の奥で笑い声を漏らす。

 そうしながら、彼女は懐からベルを取り出して鳴らした。

 少しすると、部屋に先ほどのメイドが入ってくる。

「お嬢様、何かご用でしょうか?」

「二人は飲み物は何がいいかね?」

 鹿住はいつものようにコーヒーを要求して、早希は二言三言のやりとりの後で、鹿住が名前を聞いたことだけはある産地の紅茶に、ミルクを加えてもらうことになった。

「さて……今日は、急に呼び出してすまなかったね」

「いや、あいつのことなら、話を聞かないわけにもいきませんし」

 メイドが立ち去るのを待って本題を切り出した翠に、鹿住は首を振った。

「ま、君はそうだろうけど……篠宮くんにとってはそうじゃないだろう?」

「……えっと……あの、私はまだその、詳しい事情を聞いていないので……」

 言われた早希は、少し躊躇して、そう口にした。翠が片眉をつり上げる。

「話してなかったのかい?」

「少しは話してます。つまり……先輩と俺に共通の知人がいて、その子が今、体調を崩して入院している、ってとこまでは」

「それは……ほとんど何も説明してないようなものじゃないか。よく彼女が付き合ってくれたね?」

 翠が、早希を見ながら言うと、早希の視線は鹿住に向けられた。

 もちろん、彼女が詳しいことを説明しなくてもここに付き合っているのは、魔女の教育係である関係なのだった。襲ってきたギャル魔女を撃退して、学校が休校になった日に、早希は鹿住に宣言した。龍脈の魔女は襲われやすいので、護衛をかねて外出時にはなるべく一緒にいる、と。

 いずれにせよ、鹿住はここに早希を連れてくるしかなかったのだが、その事情は、他の人間——例えば、この翠のような——には黙っておくのが、早希との暗黙の了解だった。

「あー、いや、それが、ちょうど一緒にいたときに先輩から連絡をもらって、慌ててそのまま来ちゃったもんで……」

「ふむ。……そういうことなら……ううむ、だが、どうしたものか……」

 鹿住の言い訳に、翠はいったん頷いたものの、いつもの歯切れの良さをなくすどころか、腕組みまでして深く考え込んでしまう。

 そんな彼女を見守る形で、鹿住は口を開かずにただ様子を見ている。

「あの……もしかして、私がいると都合がよくない、でしょうか?」

 唸り続ける翠と、沈黙している鹿住の間で、何度か視線を行き交わせてから、早希はそう言った。付き合いの薄い早希でも察することができる程度に、翠は時折、意味ありげに早希のほうを見ていたのだった。

「ああ……。実は、そうなんだ。その子のプライバシーに関する問題があってね……私の口からは少し話しにくい。鹿住くんの口から君に伝わる分には、まだ仕方ないと思うのだが……」

「俺との関係でしたら、別に……」

 黙っていた鹿住がそう言うが、翠はかぶりを振った。

「いや、そうじゃないのさ。だから困っている……その、もしよければだが——」

「私、席を外しますよ。……あ、大丈夫です。気にしないでください」

 翠の逡巡に、早希は笑顔で割って入った。

 それに、翠があからさまにほっとした態度を見せる。そして、

「すまないね……。だが、助かる。メイドを呼ぶから、別の部屋でちょっとだけ待っていてくれたまえ……ああ、大丈夫だ。鹿住くんを取ったりするような話ではないから」

 翠は感謝して、再びベルを取り出した。

 鹿住の恋人として定着してしまっている早希としては、翠が最後の冗談めかして発した言葉に、あいまいに頷くしかできないのだった。

   *

 二人の内緒話のために、別室へ引き離されてから五分は経過した。

 豊かな香りを立ちのぼらせる紅茶のカップを前に、早希は、さざ波を立てていた心が落ち着いていくのを感じていた。そんなふうに、心が揺れ動いていたのには理由がある。

 成り行きとはいえ、鹿住と離れている状態はいいことではない。

 教育係の義務があるのだ。例の校舎倒壊の原因が魔女でないことが判明するか、あるいは原因の魔女を撃退したと確信できるまでは、彼を放っていて安心することはできない。

 それで、ちょっとばかりの間、気が休まらず落ち着けなかったのだろう……。

 先日の遊園地の一幕で、鹿住には親しみを感じるようになったのに、今日はどこかよそよそしい態度であることは関係ない……。

 琥珀色の紅茶の表面に映った自分の顔を見ながら、早希はそんなことを考えていた。

 すると、だんだんと眠気が差してきた。室内には、柱時計のこちっ、こちっという針の音だけがリズムよく響いている。誰もいなくて、静かでひっそりとした空気が漂っているのも眠くなる理由だろう。

 誰も見ているわけではないけれど、こんなとこで眠ってしまうのは行儀がよくない。

 それに、うっかりよだれでも垂らしてしまった日には、鹿住に対する教育係としての威厳を失ってしまうわけで……それに何より、恥ずかしい……。

 そう自分に言い聞かせて、目蓋を開こうとしていたが。

 こういう時の常で、いくら努力しても、緩やかに落ちていく目蓋の帳には逆らえず……。

 早希は、椅子にもたれたまま眠りに落ちた。

   *

 紅茶のカップに、睡眠薬が混入されていなければありえないほどの、深い深い眠りに——。

   3

 談話室で会話を続けていた二人は、メイドからの報告を受けるとこれまでの話題を打ち切った。元々、早希を呼び出すための口実だったのだから、話の半分はどうでもよいのだった。本題が終わった後は、作り話と、破綻しないように気を使う相づちで成り立っていた。

 続ける意味はもはやない。

 鹿住は肩を一度上下させると、丸襟のTシャツの喉元を少し引っ張って、緊張に詰まっていた息をゆっくりと吐きだした。

「準備した薬がよく効いたようでよかったよ」

 談話室から出ていくメイドに言付けをした後で、翠は微笑んで言う。

「大丈夫ですかね、その、副作用とかは?」

「ふふっ、どうやらこの短い間でずいぶんご執心になったようだ」

 心配そうに言う鹿住を、翠がからかった。

「やめてくださいよ。俺はただ、必要がないなら篠宮に迷惑をかけたくないだけです。真面目ないい子ですし、騙してるのは正直気が重いんで」

 騙している、と口にするときに若干の抵抗を感じながらも鹿住はそう主張した。

「それが、執心だと思うのだけれどね……。まあ、アリシアの記憶を取り戻す計画に差し障りがないのなら、別に君がどう思っていても構わないのだが」

「なら、言わないでくださいよ。……紅葉の記憶は、何があっても取り戻しますよ。たとえ篠宮のやつと敵対することになってもね。そもそも、そういう計画だったじゃないですか」

 翠が口にした、アリシア。鹿住の言う、紅葉。それらは同一の人物のことを指している。それはまた、翠が鹿住を呼び出す口実にした少女の名前でもあった。

 アリシア・紅葉・ソレール。

 日本語と外国語が混ざっているのは、その名前の持ち主がクォーターの少女だからだ。

「ああ……魔女の決闘(ウィッチトライアル)で失われた、彼女の記憶を取り戻して……また、三人で遊びにいかないとな。遊園地とか」

「いや、そんなとこ行ったことないじゃないですか、俺たち……」

「おや。そうだったかな?」

 万感の想いを込めたような表情を作った翠に、鹿住はそうツッコミを入れた。

 だが、彼女の言ったことの大半は真実でもある。

 翠と鹿住の共通の友人であるアリシアは、この地域でかつて龍脈の魔女をしていた。翠とアリシアの付き合いの長さに比べて、入学後にアリシアと知り合った鹿住は、比較すると長い付き合いではないのだが……とある事情から彼女の使い魔になったために、急速に関係を深めたのだった。

 使い魔として鹿住は、アリシアとともに、龍脈の魔女の能力を狙う魔女と戦ったことがある。

 そして今——魔女の決闘で記憶を失い、それだけではなく、意識を取り戻せないままに入院しているアリシアを助けるために、彼女の親友であり、龍脈の魔女を嗣いだ翠と、かつてのアリシアの教育係であるもう一人の人物とともに、鹿住は今回のすべてを計画したのだ。

 その計画の中には、新しい龍脈の魔女の元に訪れるであろう教育係を騙すことも含まれていた。

「ところで、篠宮に例の魔法をかけるのは先輩ですか?」

「支配の刻印の魔術だね。その魔法については、この龍脈の魔女の記憶にもなくてね。……律子(りつこ)が教えてくれることになっている。どっちがやっても構わないことではあるが——」

「だとしたら、俺がかけるんじゃ駄目ですか」

 鹿住が名乗り出たのは、早希を騙しているのは自分だから、自分がすべての責任を取りたいという想いからだった。

 実際には龍脈の魔女ではない自分の教育係をやらせてしまっている罪悪感もある。

「まあそれは構わないけれど……ん、なんだい?」

 口を開きかけた翠は、会話を遮られたことに苛立ちを見せた。

 遮ったのは、例のメイドである。一度室内から出ていった彼女が、再び入ってきたのだ。

「神野律子(こうのりつこ)様がお着きです」
「……そうだったね。すまない」

 そう言って、翠は素直にメイドに謝る。

 彼女は、翠の子どもの頃からの付き人だった。翠の腹心とすら言える彼女も、この件に荷担している。その彼女は、会釈すると部屋から静かに立ち去った。

 今日は、計画のために他のメイドには暇を出しているから、他人の目を心配する必要はない。

 メイドが出ていくとすぐに、入れ替わりで長身の女性が入ってきた。

 秋口にしては、やや厚手の、防寒力に秀でていそうなロング丈のコートを着ている。翠よりはやや長く早希より短い、細かいウェーブのかかった茶色の髪を揺らして歩く彼女は、室内に入るやいなや、鹿住に目を止めて口を開いた。

「あら、鹿住くん。久しぶりね」

「それほどでもないと思いますけど……」

 二十代程度に見える女は、コートは脱がずに空いている席に腰掛けた。

 長い足を一度組み替えてから、会話に戻る。

「……翠ちゃんとはよく顔合わせしているせいかしらね。なんだか、ずいぶん時間が開いている気がするのよね……」

 しっとりしたため息を吐きながら、彼女はほほに手を当てた。

 若干の疲れを隠せずにいるような様子が気になって、鹿住は彼女に問いかけた。

「律子さんは……その、ずいぶん疲れているみたいですけど、大丈夫ですか?」

「んー。そんなでもないのよ。駅前のホテルを利用しているんだけど、例の日が近づいてるのもあって、ずいぶん夜更かししちゃってて。準備が色々とあるから」

 律子と呼ばれた彼女は穏やかに微笑むと、話題を変えてきた。

「……それでどう? こっちの状況は」

「順調だよ。別室で、例の教育係が、睡眠薬入りの紅茶を口にして眠っている。蔵に保管されていた魔導具も利用して、眠りの質をコントロールしているから、自然に目を覚ます心配はないはずだ」

 答えたのは翠で、彼女の説明を聞き終わる頃には、やや緩んでいた律子の表情も真剣なものになった。

「そう……でも驚いたわ。まさか早希ちんが派遣されて来るなんてね」

「知り合いなんですか?」

 鹿住が問い、律子は肩をすくめる。

「彼女——篠宮早希ちゃんは、私の後輩筋に当たる子なのよ。まったく知らない子なら気楽だったんだけど。まあ……そんなことも言ってられないわね」

「……すみません」

「鹿住くんが謝ることではないわ。アリシアちゃんの記憶を取り戻したいのは私もあなた達と同じだもの。いえ、ある意味では、彼女の教育係だった私のほうが責任を感じているもの」

 言葉の通りだった。

 神野律子と呼ばれた、この二十代半ばの女性こそが、先代の龍脈の魔女であるアリシア・紅葉・ソレールのかつての教育係であった。

 そして、アリシアが記憶を失った魔女の決闘で、その守護の任を果たせなかったことを悔やみ、この計画を主導する三人の同志の一人でもあった。

「……ともかく、始めましょうか? 嫌なことは早めに済ませるのに限るから」

 図書寮から隠匿した魔女の呪物で必要な魔女を生み出し、新たな教育係や生まれた魔女に誤った情報を吹き込んで状況をコントロールし、今回の最終目的である儀式のために龍脈のコントロールを翠に指導する——といった、計画の魔法技術面のほぼすべてを彼女が受け持っている。

 それにも関わらず、のんびりした表情のまま、気負いのない様子で立ち上がる。

 そんな律子に、翠と鹿住の二人は心強さを覚えていた。

   4

 眠ったままの早希を抱えて移動させたのは男手である鹿住——

 ではなかった。三人から否決されたのだ。

 翠と律子だけではなく、メイドにまで反対された鹿住は、そこまで痴漢扱いしなくていいだろうとしょげたのだが、それはさほど重要な話ではない。

「頭をそっちのほうにね……ええ、それでいいわ」

「この子は軽いから助かるよ、っと」

 代わりに三人がかりで室内を移動させられた早希は、大きなソファの上に横たえられた。乱れた制服のスカートを、メイドがちょいちょいと手直しする場面を見ながら、鹿住は口を開いた。

「ところで……最初の計画だと、教育係は可能なら魔女の力を奪って、終わるまで監禁する予定だったと記憶してますけど、なんで……ええと、支配の刻印でしたっけ? その魔法を使うことに予定を変更したんですか?」

 計画変更について、翠から前もって聞いてはいたが、理由までは聞いていなかった鹿住が、計画を変えた本人である律子に問いただした。

「早希ちんは、契約の魔女だからねー……伝承の魔女とかと違って、魔女としての記憶を奪うわけにはいかないのよ。下手すると死んじゃうから」

「え……?」

 早希の前では龍脈の魔女としてふるまっていた鹿住だが、その正体は、今回の一件の前に魔女になったばかりの、伝承の魔女だった。

 伝承の魔女は、魔術のかかった呪物(フェティッシュ)を経由して、知識を伝承するタイプの魔女。魔女の中ではもっとも一般的ともされる。龍脈の魔女は、地域の龍穴や龍脈に選ばれた者がなるもので、かつては巫女として認識されていたこともある。

 その二つについては、通り一遍の知識はあるが、それ以外の詳しい知識は鹿住にはない。

 教育係の指導を受ける立場として、下手に知識がないほうが、嘘がばれなくて都合がよかったというのもある。

 ギャル魔女に襲われたとき——これも結局のところは計画の内ではあったのだが——の戦闘方法として、魔力供給による身体能力強化に頼ったのも、龍脈の魔女の使い魔をやっていた頃からずっとこの方式になれ親しんでいるためだ。

 そんな鹿住なので、律子の言葉を聞いて、目を丸くするしかなかったのだ。

「契約の魔女は、魔女の力で生きているようなものだから。契約が終われば——魔女の力を失えば、って意味だけど、そのとき魔女は基本的に死んでしまうの。必ずでもないんだけどね」

「そうだったんですか……それならまあ、納得です」

 鹿住は頷いたが、そこに翠が疑問を投げかけた。

「ところで契約の魔女とは、どういう魔女なんだい?」

 彼女は大抵の相手には敬語を使わない。それは律子に対しても同じだったが、これは律子と翠(とアリシア)の三人の付き合いが長く、かなり親しいためでもある。

「うーん……まあ、その辺は今度説明しましょう。まだしばらくは、鹿住くんは早希ちんと何食わぬ顔で付き合わなきゃなんないから、知らないほうがいいと思うし」

 少し考える素振りの後、律子はそう言って、早希の襟元を止めているネクタイを取った。それは後ろ襟まで回して首に巻くネクタイではなく、スナップ式で、引っ張ればボタンが外れるネクタイだった。

 続いて、襟元からシャツのボタンを外していく。

「——律子。駄目だよ、鹿住君が食い入るように見ている」

「あら……?」

 手を止めて、律子が鹿住を見た。鹿住は慌てて手を振る。

「そんなことはないですよ。先輩も、やめてください」

 口では否定してみせるが、注目していたのは事実だったので、内心反省をしていた。特に生肌を見たいとか、そんなことを考えていたわけではなかったのだが、自然に視線が奪われていたのだった。

「君がそういうならそういうことにしておくかな」

「っていうか、どうして脱がせる必要があるんですか?」

 明らかに納得していない口ぶりの翠を遮りつつ、鹿住が問いかけた。

「肌に直接刻印を描く必要があるのよ」

 端的に答えてから、律子は何事かに気付いた顔になって、頬に手を当てる。

「そうだったわ。二人のどちらがこの魔法を使うか決めておかないとね。どちらにするの?」

「支配の刻印術——かけた人物の言うことを聞かせるようにする魔法という話だけど……他に何か注意しておくことはあるのかい?」

 翠が確認すると、律子はすぐに答えた。

「解除も、魔法をかけた人に限られるわね。とはいっても私みたいに魔法医の能力がある人なら、時間をかければ解除できちゃうから、早希ちんの場合にはあまり関係ないと思うけど」

 図書寮であれば、魔法医の手配は簡単だろう、と律子は補足する。

「——それなら、俺がかけますよ」

 鹿住が言うと、二人の視線が集まった。

 それは少しばかり、批判的な視線だと鹿住には感じられた。多分、錯覚ではないだろう。だが、それでも鹿住は続けた。

「いや、命令して変なことする気とかないんで。単に……それが俺の責任だと思うんです。篠宮は教育係として俺を教えてくれていますけど、俺はそんな彼女を裏切っているわけで……」

「などと痴漢の犯人は供述しており」

 翠がぼそっと呟いた。鹿住は苦笑しながら抗議する。

「やめてください。というかそういう時って容疑者ですよね。冤罪よくないですよ」

 と言ったところ、今度は真面目に翠が答える。

「ま、鹿住くんがそういうなら、それでいいと思うよ。私たち以上の責任を、一人で背負い込む必要はないがね」 

「すみません。いや……ありがとうございます」

 鹿住は翠の心遣いに感謝して、頭を下げた。

「じゃあ、鹿住くんで決まり、と……。あ、でも、命令権は私たちにも譲ってね。もちろんその方法は教えるわ。……じゃないと、重要なタイミングで彼女の行動を止められないかもしれないでしょう」

「あ、はい。その辺はお任せします」

 早希に対して責任を持ちたい、というのは、あくまでも鹿住の中での覚悟のようなものだから、その辺の細部については拘る気持ちがない。二人を信用して鹿住は頷いた。

 なのに、視線を戻したときには律子は難しそうな顔になって、ソファに横たわる早希を眺めていた。どうしたのだろうと鹿住が思った時に。

「けど……そういうことなら、仕方ないわね。このまま脱がせましょうか」

「えっ……?」

 思ってもみなかった言葉に、鹿住は目を見開く。

「言ったでしょう? 肌に直接刻印する必要がある、って。それってつまり、鹿住くんの指で触らないと駄目なのよね。彼女の胸元に」

「は、はい……?」

 肌に刻印するために、シャツを脱がす必要がある。

 確かにそう言ってはいたのだが、そういうモロなところに直接触れる必要があるとまでは知らなかった鹿住としては、魔法を唱えたらパッと刻印がでてくるとか、そういうイメージを抱いていたのだった。

 これはまずい。

「えっと……や、やっぱり、先輩が……」

「——目隠しでもすればいいんじゃないかい?」

 前言撤回して、翠に振り直そうとしたところ、当の本人から奇妙なアイデアが飛び出したのだった。

   *

 ふにっ。

「はう……」

 珍妙な声が鹿住の口から漏れた。

 翠が考案した方式のために、視界は目元に巻かれたタオルで塞がれている。暗中を模索するような感じだが、それでは刻印の図形など描けるはずもないので、手は律子が掴んで動かしてくれている。

 だから、指先に一定量の魔力を流し続ければいいだけの簡単な作業のはずなのだが。

 ぷにぷに。

「うぉ」

 つい感嘆の声を上げてしまうぐらいに、少女の身体は柔らかい。その上、温かく、しっとりして、さらさらしていた。矛盾しているようだが、素肌に直接触れた指先から伝わる情報量が多すぎるのでそういう風にしか表現ができない。

 視界がない反面、触覚が通常以上に敏感に感じられるのも大きい。

 ふに。ふにふに……。

「よだれが垂れそうになっているよ、鹿住くん」

「そ、そんなはずはないでしょ。ってか、先輩、手元が狂うのでちょっかいはやめてください」

 口元を引き締めつつ抗議する。

「大丈夫よ。私がしっかり握っているから、ちょっとぐらい手が震えてても図形は歪んだりしないわ」

「震えて……ますか」

 くすり、と笑われて、鹿住の頬が熱くなる。

 頼むから早く終わってくれ……。

 そう念じるのだが、鹿住の手を動かす律子はいっそゆったりと表現できるペースを崩さずに——魔術上、それが適切なのだろうが——少女の肌の上に、鹿住の指先でラインを描かせていくのだった。

 十分ほどして、儀式が終わったとき。

 緊張で吹きだした汗によって、鹿住の背中には薄いシャツがぴたりと張り付いていた。

   5

「けがれなき少女の肌に、自分の汗を思う存分、塗り込めた感想はどうだい?」

 服を整えた早希を元通りに椅子に座らせて、監視のメイドを残してから、三人は談話室に戻ってきていた。部屋に入るなり、開口一番に翠が鹿住に問いかけたのはその文句だった。

「……変態みたいな表現するの、やめてくださいよ」

「悪い悪い。確かに君は変態じゃない、健全な男子だね。——ということは興奮しただろう?」

 憮然と鹿住が答えると、にやにやと笑ったまま、翠は続けてきた。

 鹿住は性格の悪い先輩の相手をしないことにして、律子に声をかけた。

「それより、次の予定は、計画通りに進めるんですよね?」

「ええ、そのつもり。最後の伝承の魔女を作って、その能力を私が奪うわ」

 律子も魔女ではあるが、医療系の能力に特化しているため、今回の計画で必要になる魔術は使えない。そこで、呪物と人を接触させることによって、伝承の魔女を人為的に生み出してから、その魔女の能力を奪うことで、必要な魔術を習得する計画だった。

 鹿住のように、これまでに魔女でないのであれば、単純に伝承の魔女になる、という選択肢も使えるのだが、既に魔女である律子の場合は、伝承の魔女を生み出す呪物に触れても魔女化することはない。

 よって、迂遠な手段を採らざるを得ないのだった。

「それが終わって、龍穴の魔力が最大化するタイミングに、アリシアの記憶呼び戻しの儀式にとりかかるわけだが……律子。見立てはどうだい?」

「あと、七日ってところね」

 律子が短く返事をした。

 今日ここに来る前に、彼女は儀式の予定地に行っていた。龍穴に充填された魔力量が、儀式に十分な量になっているかを確認するために。

「一週間か……思ってたより短いですね」

 ふむ、とだけ呟いた翠に続いて、鹿住がそう述懐する。

「とりあえず、学校の工作はもう不要だな。最初に倒壊させたときはともかく、もう一度やれば篠宮くんに見つかるおそれがあったから、幸いだ」

「そういや先輩、あれってどんな魔法を使ったんです?」

「龍脈に働きかけて、ちょちょいとね」

 鹿住の問いかけに、片手間で一品仕上げたと言わんばかりに翠が応じる。

 謎めいた事件としてニュースにもなった、校舎の倒壊もまた、鹿住たちの計画の一環だった。

 これは、日中の行動時間を確保するためだけに行った破壊工作で、授業が無期で中断されれば、鹿住と翠は、日中に気兼ねなく行動ができるという目算だった。

 だが、実際にはもう一つ特典がついてきた。

 それは、新しい龍脈の魔女の誕生に伴い、必ず派遣されてくるはずの図書寮の教育係が、中学生の早希だったことによる。

 龍脈の魔女に扮していた鹿住に授業がなくとも、転校してきたばかりの彼女が、すべての授業をサボって付き添うわけにはいかない。

 公務員特有の官僚仕事では、このような状況には即座に対応ができない。

 よって、律子たちは第一の阻害要因を排した形で、工作を進めることができたのだった。

 本当の龍脈の魔女である翠ではなく、鹿住が龍脈の魔女に扮したのも図書寮の教育係による計画の阻害を警戒したためだった。だが、行動時間を確保するために過ぎない工作が、一石二鳥となったのは幸運な偶然である。

「で、そろそろ、町の篤志家に登場してもらわないと……」

「その辺の根回しは済ませているとも」

 校舎の再建の費用は、九法院家が負担する手はずだった。

 翠としては、家族に魔法を使うことも考えていたが、幸いにも娘の通う学校への支援を惜しむ気はないらしく、その必要はなくなった。……という説明を受けて、鹿住は控えめに笑う。

「流石に、こればっかりは先輩の家じゃないと無理ですからね」

「まあ、子どもが割った窓ガラスの弁償みたいなものだからな。不良娘を持った親は大変だよ」

「スケール感が違うと思うわ……あら?」

 翠の冗談に、律子が呆れ顔で口を開いたものの途中で言葉を止める。見ると、メイドが室内に入ってきていた。

「篠宮様が目を覚ましました。こちらの様子を気にされております」

 その言葉に、三人は顔を見合わせる。鹿住は翠に頷いてみせた。

 翠は律子を見た後、メイドに向かって口を開く。

「律子がここにいるのを見られるのはまずい。彼女は使用人室に待機してもらう……構わないよね? では、君が律子を案内してくれ。……それが済んだら、こっちの話は終わっていると伝えて、早希くんを呼んできてもらおう」

「承りました」

 頭を下げたメイドが、席を立った律子と連れだって部屋を出ていく。

 テーブルに残っているのは、翠と鹿住と、二人の飲み物だけ。この場では入院しているアリシアの変化について話していたが、途中から思い出話をしていたということにする。鹿住が早希からどんな話をしていたか聞かれても、鹿住には十分に語れる内容がある。

 それでも、鹿住は若干の緊張を覚えていた。それは多分……。

「彼女の感触が忘れられないかい?」

「その表現はひどいですよ……ってか、ふざけてる場合じゃないでしょ、まだ隠し通さないといけないんだから」

 確かに、翠の言う通りの部分はあったが、くすくすと笑う彼女を見て、鹿住はプライドを守るために反論した。

「もし万が一のときは、支配の刻印を使えばいい。あと、たった五日だよ」

「それはそうですけどね……」

 反省したのか真面目な口調に戻っていう翠に、鹿住は同意しつつも、手で合図してこの話はそろそろ終わりにしようと伝える。

 しばらくして……。

 メイドが開いた扉をくぐって、早希が談話室に入ってきた。

 いつもと変わらない表情の彼女を見て、鹿住は再び緊張が高まるのを感じるが、おくびに出さないように努力しつつ、

「悪い、ずいぶん待たせたな」

 と声をかけた。

「いえ……大丈夫です。少し眠ってしまっていたので……」

 その反応をみて、なんとか違和感を持たせずに言えたようだ、と思った。

「ん? 居眠りか? 珍しいな、篠宮にしては」

「珍しいということもないですけど……」

「だが、鹿住くんの隣で居眠りしたことはないんだろう? まあそうだね、狼の隣で寝る羊はいないからね」

 久しぶりに、鹿住は図太い翠の神経を心底感心した。真似できるようになりたいとはあまり思わないのだが。

「あのですね、先輩。俺は品行方正ですからね?」

「品行方正が聞いて呆れるんじゃないか?」

 混ぜっ返す翠に、早希が控えめに笑う。

 鹿住と視線があって、申し訳なさそうな顔をする彼女。

 心中には、複雑な感情を抱えていることを自覚しながら、鹿住は苦笑して「酷いな、みんな」と呟いた。

 ここにいる「酷い」人物の中には当然ながら自分も入っているのだと、そのとき気がついた。

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