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第32回 全世界ライトニング選手権大会の思い出 完結

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2038年、72歳の作家の随筆。

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 今年も『ライトニング』の季節がやって来た。

 毎年3月に開催されることは決まっている。

 選手権大会終了後、翌年の開催国が決定される。その年の参加国から選ばれるが、全くのランダムである。第4回と第5回は2年連続でリトアニアだった。

 同時に、選手の人数も発表される。

 各国は翌年の大会に向け、4月から代表選手の選考を始める。

 選手人数からある程度の傾向を推測できるが、思い込みは禁物である。第15回大会は11人だったので多くの国がサッカーの得意な選手を集めたが、種目は11人12脚だった。一応、脚力や瞬発力、チーム全員の団結が必要だったので、大番狂わせにはならなかったが。

 開催国で判断するのも難しい。第2回大会は、モナコ公国を舞台に1000キロ走で争われた。この時はモナコ中の主要道路が封鎖され、一週間の間モナコ国民はまともに生活できなかったそうである。また、第7回大会はキューバで行われたにも関わらず、雪合戦だった。各国チームが調達できた製氷機の性能の差が勝敗を分けた。

 このように、何の競技になるかわからないのが『ライトニング』の醍醐味である。その人気は高く、世界中の人々が『ライトニング』を楽しみにしている。開催国には膨大な数の観戦客が訪れ、試合中継は高視聴率を稼ぎだす。

 競技内容が発表になってから試合までは、1か月しかない。開催国は大慌てで競技場を準備することが多いが、それに見合うだけの臨時収入になるので、ほとんどの国が開催国になることを願っている。第15回のように陸上競技場で事足りた場合、さほど苦労することもなく、濡れ手に粟の大儲けになることもある。逆に、第8回大会のオランダはロッククライミングだったので、関係者一同途方にくれたという。

 今年の第32回大会は、日本で行われた。

 初の開催ということで期待は高まり、各都道府県が名乗りを上げた。競技場の数や海外からのアクセスという点で東京、その控えとして大阪、冬季競技に備えて北海道、屋外水泳対策で沖縄がJLCによって選ばれた。山岳競技については、長野と岐阜でもめた末、富山に決まった。

 選手数は各国1名ということだったので、瞬発力と持久力を兼ね備えた者が男女1名、控えに各々3名が選出された。選考会では、マラソン、ゴルフ、100メートル走、柔道、の各種目で点数をつけ、総合得点で決められた。

 2月の始めに発表された今年の競技種目は『メンコ』だった。世界中が騒然となった。

 そもそもそれはスポーツなのか、という声もあったが、なぜ開催国由来の競技になったのか、なにか不正があったのではないかと、日本政府とJLCに非難が殺到した。

 もちろんこれは言いがかりである。ネット上に存在するAIが取り仕切る『ライトニング』に不正の入り込む余地はない。それでも何かにつけ日本を非難したい特定の国は、大会終了後も謝罪と賠償を求め続けている。

 『メンコ』だからといって、日本が有利だったわけではない。選手は十代後半から二十代前半の若者なので、『メンコ』を見たこともなかった。JLCは大慌てで『メンコ』に詳しい者を招集しようとしたが、すでに高額の報酬と引き換えに、海外に連れ去られていた。

 種目発表の翌日、私の元にJLCから連絡があった。急遽、日本チームのコーチにして欲しいとのことだった。私はただの年老いた物書きであり、『メンコ』が上手いわけでもなければ詳しいわけでもない。そもそも運動は苦手で、体育会系のノリはもっと苦手である。丁重にお断りしたのだが、食い下がってくるので、仕方なくお受けした。

 後で聞いたら、私の書いたエッセイが理由で選ばれたらしい。そういえば最近、昭和をテーマに短文を頼まれたので、子供の頃メンコで遊んだ話を適当に書いた覚えがある。ネットで『メンコ』を検索したら、どういうわけだかそのエッセイがトップになっていた。JLCのお偉方は、検索トップに出てくるくらいだから詳しいだろうという判断だったのだろう。

 それからの1か月間、私は武道館に缶詰めになり、『メンコ』の指導をすることになった。さすがに選手たちは運動神経が良く、コツをつかむのも早かった。コーチ就任の翌日には、私の勝率は5割を切った。並行して、選手たちは筋力トレーニングに励んだ。強い足腰と、強靭な腕力があれば、幾許かは有利であろう。

 また、体重が重い方が有利なので、食事の指導に相撲関係者が集められた。私もつきあって食べたので、1か月で10キロも太ってしまった。まあ、確かに美味しかったのだが。

 メンコそのものの製作には、私も積極的に関与した。仕事柄、デザイナーやイラストレーターの知り合いがいる。彼らの協力を仰ぎ、クールでキュートなメンコを造ることができた。図案は最初、萌絵にしようという意見が強かったが、今更それでは物珍しくもないし、アジア諸国の新鋭に負けるだろうという私の主張を通して、今風の錦絵に落ち着いた。結果はご存知の通りで、大会終了後も引き続き海外からの引き合いがあるので、まず成功だったと言っていいだろう。タイやフィリピンのメンコを見た後では、本当に萌絵にしなくてよかったと思う。

 試合そのものは、残念な結果になった。

 男子は、銅メダルは取れるのではないかと思っていたが、まさかの伏兵、バチカンにやられた。あれは神の力を借りていたのではないかと、今でも思う。ラテン語で聖書の言葉を叫びながらメンコを撃ちつける姿は、神々しくもあった。

 金メダル獲得のアメリカは、まさかの大リーガー起用が功を奏した。160キロのストレートを放つ左腕から繰り出されるメンコは、腕の風圧だけで威力十分だった。銀のケニアは、ハイジャンプからの打ち下ろしが強烈だった。

 一方女子は、奮戦して銀メダル。こう言ってはなんだが、意外な結果となった。他国の選手と比べて小柄な日本選手が、次々と相手のメンコを捲っていく姿は痛快だった。すでに『メン娘』としてアイドル化しつつある。金のロシアは、体重100キロ超の選手だった。種目が『メンコ』だったから良かったが、マラソンだったらどうするつもりだったのか。選手選考のギャンブルに勝ったともいえる。この辺が『ライトニング』の面白いところである。銅メダルはパラオ。日本の委任統治時代にメンコが伝わっていたらしい。たまたま控え選手にペリリュー式メンコ術の伝承者がいたのだそうだ。歴史の偶然というものは面白い。

 来年の開催国は、パプアニューギニアに決まった。私はこれまで『ライトニング』に興味はなく、見に行ったこともなかったが、次は行ってみようかと思う。年齢的にあと何回観戦できるかわからないが、追いかけてみたくなった。

 選手の人数は、500人ということなので、一体どんな競技になるのか楽しみだ。

 ところで『ライトニング』の起源は、いまだにわかっていない。突然、各国政府に通知が来て始まった、というのが通説である。運営主体がネット上のAIであることが判明したのは、第3回大会のあとからだ。面白ければなんでも良い、というのが全世界共通の一般的な認識のようである。

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