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冬過ぎて、うららかな春の夢に、香り高いコーヒーを 完結

君と眠気とコーヒーと

更新:2018/3/5

りんこ

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  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/03/05)

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ある日曜日の昼下がり。
澤村は友のために、美味いコーヒーを淹れる。

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「おい、そんなところにいると風邪ひくぞ」

 さっきからベランダで、風に吹かれながら呑気に本を読んでいる森崎の姿が気になって、澤村は声をかけた。

「だいじょーぶ。あったかいよ」

 と、実に彼らしい、のんびりとした返事が戻ってきた。

「なんだか春みたいなんだ、ポカポカしてさ。気持ちいいよ。……って、もう春か。3月だもんね」

 森崎は、まぶしそうに空を見上げ微笑む。

 たしかに、明るい陽ざしは、もう春のものだ。

 気温もこのところ急激に上がって一気に春めいてきた。日々、徐々に冬の気配は消え失せ、季節は確実に春へと移り変わろうとしている。

 森崎が、この家に転がりこんできた1ヶ月前。

 さらさらと音もなく粉雪が空から降り落ちていたことを思いだす。

「やあ」

 やわらかで、どこか頼りなげな微笑を浮かべ、玄関先に立っていた森崎の頭と肩には、うっすらと雪が積もっていた。

 澤村は、ワイシャツにアイロンをかけながら、しみじみとこの1ヶ月を振り返り、ついでにこの森崎との腐れ縁について思いをはせた。

 澤村と森崎は、大学時代に出会った。

 同じ数学科、同じ下宿先。

 自然と言葉を交わすようになり、いつしか仲の良い友人となり――いつしか澤村が森崎の世話を焼く係になっていた。

 というのも、この森崎という男。

“生活能力”というものが、てんで欠け落ちていたのだ。

『炊事、洗濯、掃除、やれば、それなりにできるんだよ』と本人は言う。

 実際、そのとおりなのかもしれない。

 しかし、この“やれば”が曲者だった。

 森崎は、あること――おもに数式を解くこと――に熱中すると、身の回りのこと全般に、まるで注意が向かなくなる。

 まさに寝食を忘れ、それだけに没頭してしまうのだ。

 それで何度、大学に姿を見せなかったり、食事を忘れて倒れそうになったりしたものか……。

 いわゆる天才肌というものだろうか、数学に関しての森崎の能力はずば抜けていた。

 しかし、ことが私生活となると、信じられないくらい『ダメ』だった。

 かくして、いちばん仲が良く、元来世話好きでもある澤村が、出会ってからそう時を置かず、“世話係”になったのも必然だったろう。

 そうして、大学4年間をすごし、卒業後。澤村は大学からは、いくぶん離れた土地にある高校の数学教師となり、森崎はそのまま大学に残った。

 澤村が下宿を引き払うのと同時、世話係としての任も一緒に解かれた――はずが、どうしたわけか、こうしてまた森崎の面倒を見ている……。

 澤村はワイシャツの前身ごろに、ピシッと皺ひとつなくアイロンをかけながら苦笑した。

 ――よくよく腐れ縁だな……。

 大学卒業後しばらくは、たまに顔を合わせていたが、それもしばらくすると間遠になり、気づけば年賀状を遣り取りするだけの仲になっていた。

 あれは卒業して、3年後くらいだったか、森崎から届いた年賀状には、一緒に暮らしているひとがいる、と一言添えられていて、ずいぶんビックリしたものだ。

“あの森崎”が、他人と一緒に暮らせるのだろうか、と、心配にもなった。

 だが、誰か面倒見の良いひとが現れたのだろう、とも考え、嬉しいような、ちょっと寂しいような気持ちにもなった。

 しかし、それからまた3年後の2月。ちょうど先月のことだ。

 澤村の懸念が当たったというべきか、森崎は家を追い出された。

 本人が言いださないので、いまだにたしかな理由は聞けていないが、なんとなく想像はできる……。

 そして、雪の降りしきる中、とつぜん行き場を失った森崎は、いきなり絶縁を言い渡されたショックも手伝って、呆然とさまよっているうち、いつしか足が澤村の家に向かっていたのだという。

 

 

「ふあ~……」

 気の抜けた声が聞こえてきて、見れば森崎が大口を開け、欠伸をしていた。

 そうして、そのままトロトロと眠りに引きこまれかけては、舟を漕ぐ拍子にハッと目覚め、落としそうになった文庫本をあわてて持ち直している。

 日曜日の昼下がり、ひなたぼっこ、昼寝。

 平和な光景だ。

 1週間分のワイシャツのアイロンがけを終えた澤村は、その光景を微笑ましく眺めたあと、キッチンへ向かった。

 ミネラルウォーターを冷蔵庫から出して、細口のコーヒーポットに注ぎ、火にかける。

 それから、サーバーとドリッパーを取りだしペーパーフィルターをセットし、お気に入りのコーヒー粉をメジャースプーンにふたり分入れた。

 ほどよく湧いた湯を、ほんのすこしドリッパーに注ぎ、コーヒー粉を蒸らす。

 つづいて、湯を3回にわけ、ゆっくりと注いだ。

 ポタポタと香り高いコーヒーが、サーバーに抽出される瞬間、得も言われぬ幸福を感じながら、澤村は満足げにひとりうなずいた。

 ――よし、今回も成功だ。

 澤村の淹れるコーヒーは美味いと、家族や友人のあいだでは専らの評判で、澤村自身、下手な喫茶店よりも美味しいコーヒーを淹れられると自負している。

 できあがったコーヒーを、鼻歌を歌いながら、澤村は、ふたつのコーヒーカップに注ぎ分け淹れた。

 学生時代、大学近くの喫茶店で一時バイトしていたことがある。

 そのとき、喫茶店のマスターに教わったのだ。

 何の変哲もない、どこにでもある昔ながらの喫茶店だったが、このマスターの淹れるコーヒーだけは、抜群に美味かった。

 両手にコーヒーカップを持って、ベランダへ向かう。

「おい、コーヒー淹れたぞ」

 うつらうつら舟を漕いでいる森崎に声をかけ、右手のカップをずいと差し出した。

 んあ、と、間抜けな声を漏らして、森崎が目を開く。

 さっきまで読んでいた文庫本は閉じられ、脇のテーブルの上に置かれていた。

「あ、ありがとう」

 まだ半分夢の中にいるようなぼんやりとした顔で、ふにゃりと笑い、澤村の差し出すコーヒーカップを両手で受け取った。

「澤村の淹れるコーヒーは、香りがいいよね」

「当たり前だ。霧野マスター直伝のコーヒーだからな」

 澤村は、椅子に腰を下ろしながら、胸を張った。

「そうだったね、そういや霧野マスター元気かなあ……」

 森崎は、懐かしそうに目を細め、コーヒーカップを口へ運んだ。

「ああ、もうずいぶんと行ってないな……」

「また行こうよ、霧野喫茶店」

「そうだな」

 などと、なんてことのない会話を続け、春を思わせる陽ざしの中で、コーヒーカップを傾ける。

 穏やかな早春の日曜日の午後だった。

 どこからか、猫のにゃあと鳴く声が聞こえてくる。

 街中の雑踏が、大通りから車の行き交う音が、遠く潮騒のように響いてくる。

 ぽっかりと開けた青い空には、刷毛で掃いたような薄い雲がすうと一筋流れ、ちいさな鳥がシルエットになって、パタパタと羽ばたいている。

 数式を解いているとき以外は、しょっちゅう昼寝をしている森崎でなくとも、おもわず舟を漕いでしまいそうな光景と、のんびりとした時の流れに身をまかせていたとき、

「僕、今月末には、ここを出ていくよ」

 ぽつん、と、森崎が言った。

「は?」

 一気に眠気が吹き飛んだ。

 ゆったりと背を預けていた椅子から勢いよく起きあがり、澤村は森崎をまじまじと見返した。

 いっぽう森崎は、最前と何ら変わりなく、のほほんとした顔で、コーヒーを飲んでいる。

「大丈夫なのか?」

「何が?」

 キョトンとする森崎。

「何がって……行く当てはあるのか?」

「いやあ、まだ決めてないけど。まあ、月末までには何とかなるんじゃないかな」

 ――なんだ、それは……というか、やっぱりか。

 案の定な返答に、澤村は頭を抱えたくなりながら、いかにも森崎らしい能天気さに思わず笑いを漏らした。

「そういうことは、ちゃんと先の展望を決めてから言え」

「でもさ、さすがに、このままズルズルと世話になるわけにはいかないよ」

 申し訳なさそうに、そう言う森崎に、こんどこそ苦笑を禁じえなかった。

 大学時代の4年間を思いだしつつ、どの口がそれを言うのだ、と。

「そりゃそうだが、このままお前を放りだす方が、後味が悪い。どこかで野たれ死んでんじゃないかって気になって仕方がないだろ」

「ええっ、それはさすがに無いよ」

 森崎は不服そうに口をとがらせたが、実際その心配が冗談ではなく本当になりかねないのが、この森崎という男だ。

 澤村は、ハハッと笑ったあと、

「仕方ない、一緒に探してやるよ、新しい家」

「えっ? いいのか?」

「ああ」

「ありがとう」

「いや」

 澤村は、ほんのりと寂しい気持ちになりながら、コーヒーを含んだ。

 大学時代を思いださせる森崎との生活が、けっこう楽しかったのだ、と、いまさらながらに気づく。

 それ以上何と言ったらいいのかわからず、澤村は黙り込んだまま、明るく晴れ渡った春の空を見上げた。

 森崎も何を考えているのか、飲み終わったコーヒーカップを抱えたまま、どこか遠い目で空を見つめている。

 しばらくして、コトリ、と、コーヒーカップをテーブルに置き、

「でも、ちょっと残念だなあ。澤村の香りがいいコーヒーが飲めなくなるね」

 いかにも残念そうな口ぶりで、そんなことを言いだした。

「ハハ、コーヒーくらい、いつだって淹れてやるさ。遠慮なく言ってくれ」

「じゃあ、そうさせてもらおうかな。また遊びに来るよ」

「おう」

 どこからか、ふんわりと甘い香りが漂ってきた。

 何か菓子でも焼いているのだろうか。

 このマンションのどこかで、仲良くティータイムを共に過ごす家族の姿を、澤村は思い浮かべた。

 かと思えば、どこからか、はじけるような子どもの笑い声が聞こえてくる。

 見れば、マンション下の公園で、子どもが3人、ひどく楽しそうにブランコを漕いでいた。

 その様子を、見るともなしに見ていると、

「そういや、さっき“遠慮なく言ってくれ”って言ったよね?」

 ふと思いだしたように、森崎が尋ねてきた。

「ああ、言ったが。何だ?」

 澤村は、ちょっと身構えながら、問い返した。

 すると、森崎は申し訳なさそうに、それでいてちょっといたずらっぽい口ぶりで、こう答えた。

「こんどコーヒーを淹れてくれるときは、ミルクと砂糖も“ちょっと”入れてもらえないかな?」

「む……」

 そうだった、思いだした。

 大学時代、霧野喫茶店で、森崎はコーヒーにミルクと砂糖を“たっぷり”入れていたことを。

 ついでに、この家に転がりこんできてからというもの、澤村の淹れるコーヒーを「香りがいいね」とは言っていたものの、一度も「美味しいね」と言ったことがないことも。

「ゴメン、澤村の淹れてくれるコーヒーは、とっても美味しいよ。だから、よけいに言えなかったんだ」

 クセッ毛をかき回しながら、打ち明ける森崎に、

「すまん、気を遣わせたか」

 澤村は、ほろ苦く笑いながら、珍しく反省した。

 そうして、眼鏡を指で押し上げると、

「わかった。こんどは、ミルクと砂糖を“たっぷり”入れてやるよ」

 すかさず抗議の声が上がるのを予想しつつ、ニヤリと付け加えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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まさにコーヒー飲みながら読みたい話でした^^

ひょろ

2018/3/6

2

ひょろさん、はじめまして!
読んでくださって、オススメポイントも入れてくださって、ありがとうございます<(_ _)>
わあ、そう言っていただけて、とてもうれしいです(≧∇≦)
ありがとうございます!!

作者:りんこ

2018/3/6

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とじる

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