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焦がれる夜に、あなたのキスを。

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彼氏にしてはいけない3Bといわれるバーテンダーとの恋。いつも会社帰りに立ち寄るバーで彼と出逢った。格好良くてバーテンダーとしても完璧。だと思ったら。『営業時間外に笑顔ふりまくわけないだろ』

1位の表紙

目次

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【アイオープナー】

空が濃紺と黒に染まる頃、会社帰りに少し遠回りしてお気に入りのある場所へ向かう。

隠れ家的お店が多いこの路地は、太陽が沈んでから徐々に人が集まり始める。

お店の扉には『open』と書かれた小さなドアプレート。

目を閉じ一回頭の中をリセットしてから扉に手をかけた。

―――カチャリ。

扉をあけた先は、黒を基調とした空間を淡いオレンジの照明が優しく包み込み、その下で男女がそれぞれ会話に華を咲かせていて。

店内に流れているクラシックも心を落ち着かせてくれる。

「お、和花菜ちゃん。仕事帰りかい?」

「はい。今日は早く終わったので来ちゃいました」

マスターが手際よくカクテルの下準備をしながらにこやかに笑いかけてくれる。

マスターの笑顔、本当癒されるなぁ。

定位置になっているカウンターの一番端に腰をおろすと、『いつものジン・トニックでいいかい?』何も言わずともマスターが覚えてくれている。

「はい、それでお願いします」

注文してからちらりと店内を見回す。

今日は複数人できてるお客さんが多くて、テーブルはだいたい埋まってる。

年齢層も幅広い分、耳に入る会話の内容が仕事の話だとか恋愛の話だとか、多岐にわたる。

「おまたせいたしました。ジン・トニックです」

「いただきます」

グラスの中でトニックウォーターの炭酸が弾けて踊っている。

そこにライムを絞れば爽やかな香りが広がった。

「んー!いつ飲んでもマスターのジン・トニックは最高ですね」

「和花菜ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいよ。なんだか今日はご機嫌だね?いいことでもあったのかい?」

「はい。実は仕事である案件を中心メンバーとして任せてもらえることになって」

「そうか、まだ入社して2年目なのにすごいじゃないか」

「うちの部署が新人でも任せる主義だからっていうのもあるけど。頑張らないとなって思います」

ゆっくりグラスを傾けながらマスターとの会話も楽しんでいると。

「きゃーっすごい!」

「次私のカクテル作ってください」

私とは逆のカウンターの端でいくつも黄色い声があがった。

反射的に声のする方を見てみると、お洒落で美人なお姉様方がバーテンダーにうっとりした表情を向けていて。

更にその様子を見ていた他のお客さんも次は自分にカクテルを作ってくれとオーダーし始めた。

私の方に背を向けているから、どんな人なのか分からない。

「マスター、あちらのバーテンダーの方は?」

「ああそうか。和花菜ちゃんは知らないんだったね。ちょっと待ってて」

マスターはタイミングを見計らってそのバーテンダーに何やら耳打ちした。そして私を見て笑顔で頷く。

多分そのうち私の方に来るよ、ってことだと思う。

分かりましたという意味を込めて首を縦に振り、カクテルを味わった。

その間も向こうのテーブルから盛り上がった会話が聞こえてきて、あのバーテンダーさんの人気がうかがい知れる。

でも、あの人このバーにいたっけ?

マスター以外にも何人かバーテンダーはいるけど、その人達とも違う。

誰だろうと疑問に思っていたところで、一区切りついたのか私のもとへマスターと来てくれた。

「和花菜ちゃん、紹介するよ」

「初めまして。バーテンダーの成宮です」

「……っ、初めまして。清水和花菜です」

一瞬で目を奪われた。ゆるくセットされたダークブラウンの髪に端正な顔立ち、色素の薄い茶色の双眸。

加えてスタイルも抜群。

彼の耳につけられてるピアスが、オレンジの照明によってキラリと濡れた輝きを放つ。

「和花菜ちゃんがうちの店に来るようになったのは去年の冬頃だったけど、ちょうどその前に成宮が海外に修行に行ったんだよ」

「それで最近日本に戻ってきて、昨日からまたカウンターに立つことになったんです」

「すごいですね、留学って」

「バーテンダーとしての腕をあげたいと思って、行ってきました」

にこりと唇が綺麗な弧を描く。成宮さん、格好よすぎませんか。

「成宮は和花菜ちゃんの1こ上だから年も近いし、きっと話も合うと思うよ」

マスターが私と成宮さんを交互に見て、『じゃああとはゆっくり』と他のお客さんのもとへ行ってしまった。

「和花菜さん、とお呼びしても?」

「成宮さんがよければ」

「ありがとうございます。じゃあせっかくですし、何かカクテルを作りましょうか。ご要望は?」

物腰の柔らかい雰囲気に甘い笑顔、たまにちらつく大人の色香。

成宮さんに接客されて落ちない女性はいないだろう。

「和花菜さんはよく店に来てくださっていると眞木から聞きました。いつもありがとうございます」

眞木、とはマスターの名字。

眞木さん、って呼んでくれていいんだよと言われているけどマスターって呼び方に慣れてしまった。

「こちらこそ。仕事帰りに美味しいお酒を飲んで帰るのが幸せなんです」

「それはよかった」

成宮さんは手際よくシェイカーに材料を入れて、強めにシェイクする。

一切無駄のない、美しい一連の動作に見入ってしまう。カクテルグラスに注がれたのは、綺麗なオレンジ色。

「成宮さん、これは?」

「アイオープナーというカクテルです。ブランデーベースにリキュールと砂糖、卵黄を加えてあるんですよ」

「へぇー、卵黄を使うって珍しいですね」

「初めてこのカクテルを知ったお客様は皆驚いていらっしゃいますけど、甘めのテイストで飲みやすいんです」

カクテルにはまだまだ色んな種類があるから飽きないんだよなぁ。

「このカクテル、色も綺麗ですよね!上からアイボリー、ライトイエローからマンダリンオレンジに変化してるのが最高」

カクテルグラスを見つめて指先でなぞる。飲むのがもったいない。

「あははっ、和花菜さんって面白いこと言いますね。味じゃなくて色を褒められたのは初めてだ」

くしゃっとくずして笑う顔も、少し幼くみえてギャップに心臓がはねる。

「私広告関係の会社で働いているので、色が気になっちゃうんですよね」

「だから色の名前に詳しいんですね。俺だったらこのカクテル、黄色とオレンジ色だな、としか思わない」

「それで十分ですよ。私の見方が変わってるだけなので」

「出来れば見た目だけじゃなくて、味も褒めて欲しいな」

飲んでみて、と促されてカクテルグラスに口をつける。柑橘系の香りと濃厚な味わい。

「……すごい美味しいです!」

「喜んでもらえて安心した」

爽やかなジン・トニックと比べて味は濃いめだけど、全然しつこくなくていくらでも飲めそうだ。

「アイオープナーのカクテル言葉は、『運命の出逢い』っていうんですよ」

「運命の、出逢い?」

「ええ。今日、和花菜さんと出逢えたことが嬉しかったので。このカクテルにしてみました」

「………っ!」

魅惑的な台詞と破壊力抜群の笑顔。ずるいですよ、成宮さん。

「成宮さーん、注文していいですか?」

「私達にもカクテル作ってください」

「はい、喜んで。……和花菜さん、またカクテル作らせてくださいね」

あまりの格好よさに何も言えずにいる間に、成宮さんは別のお客さんのもとへ行ってしまった。

「な、……え、嘘」

我に返った時には既に遅く、成宮さんと2人きりの時間は終わっていて。

長かったような、一瞬だったような。

『またカクテル作らせてくださいね』なんて、罪な人だ。

私だけじゃなくてお客さんには平等にさっきみたいな甘い台詞を口にするし、極上に美味しいカクテルを振る舞う。

分かっていても。

一目惚れしそうになる。

「今度、来たら」

またお店に来た時には、もっとちゃんと会話してみたい。

淡い期待を胸に抱きながら、最後の一口を飲みほした。

『1.アイオープナー』

カクテル言葉

運命の出逢い

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青葉さんの物語に出てくる男性は、しっかりと描写されているので、すごくイメージが浮かびやすいです。次はどんなカクテルが出てくるのか楽しみです…!

枯葉猫

2018/3/13

2

枯葉猫さん、いつも素敵なコメントをありがとうございます。

作者:青葉はな

2018/3/13

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とじる

【フローズンマルガリータ】

カラン、控えめなドアベルの音とともにお店に足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ」

「成宮さん」

カウンターで迎えてくれたのは成宮さんだった。今日も相変わらず格好いい。

「最近和花菜さんがお店にいらっしゃらないので心配してましたけど、今日は会えましたね」

覚えててくれたんだ。

お店には毎日お客さんが来ていて、色んな人の相手をしてるから私なんて忘れてると思ってたのに。

「仕事で大きめの案件に関わらせてもらえたんですけど、予想以上に忙しくて。やっと落ち着きました」

「そうでしたか。お疲れ様です」

「でも任せてもらえるのはありがたいので、最後まで頑張ります」

「和花菜さんみたいに責任感が強くて真面目な方だからこそ、任せたんでしょうね」

さすがバーテンダー。相手が言われて嬉しいと思う言葉選び。

こういう時サラッと褒められると、単純な自分はすぐに絆されてしまう。

「ご注文は何になさいますか?いつも通りジン・トニック?」

自分から言わずとも、最初の一杯はジン・トニックを頼むって知っていた。

多分、マスターやバーテンダーさん同士である程度情報は共有するようにしているんだろう。

こういう細かい部分まで行き届いた接客も、お店が人気な理由のひとつなんだと思う。

「はい、ジン・トニックでお願いします」

「かしこまりました」

成宮さんの手元には既にシェイカーやトニックウォーターが用意されていて、すぐに提供できるようにという配慮がなされていた。

シェイカーを振るときの手首、身体のライン、余裕のある表情。どこをとっても完璧だ。

「……お待たせいたしました。ジン・トニックです」

「えっ、すごい綺麗!」

普通、ジン・トニックは透明。

でも成宮さんが作ってくれたものは、スカイブルーとライムグリーンがグラスの底で綺麗に混ざり合っていた。 

「面白いでしょ。海外で見つけた珍しいリキュールを使って色をつけてみたんだ。和花菜さん、色にはこだわりがあるみたいだったから」

濁りのない2色のリキュールが程よく混ざることで、美しく色が変化している。

「そのリキュールに合うようにジンの銘柄も変えたから、飲んでみて」

「いただきます」

どんな味がするんだろう。内心ドキドキしながらオリジナルのカクテルを口に含む。

「ん!美味しい。シトラスの香りも好きです」

「気に入ってもらえて何よりです」

久し振りにやっとこのバーに来ることができただけでも嬉しいのに、成宮さんにオリジナルカクテルを作ってもらえたなんて。

「成宮さんって、何でもできちゃうんですね」

「そんなことないですよ。失敗することだってあります」

「本当ですか?想像できないなぁ」

「あはは、買い被りすぎ。僕だって人間ですからね」

「成宮さんに謙遜されちゃうと困りますよ。私も成宮さんみたいにスマートな対応が出来るようになりたい」

カクテルを喉に流し込む。

「はぁ……、先輩からも視野が狭くなってるぞって注意されちゃって。もっと意図的に余裕がある態度でいないとダメですね」

関わってる案件であれこれと作業しているうちに余裕がなくなってて、先輩に諫められてしまった。

そこで気づかせてもらってからは持ち直して無事山場は越えたものの。

「一生懸命やろうとするほど、沼にハマって抜けられなく時ってありますよね。自分では周り見てるつもりでも、他の人はもっと高い場所から全体を見渡してる」

「そういう時自分であ、今ダメだなって気づけるようにならないと」

残りのジン・トニックを一気に飲みほして、空になったグラスを置いた。

「でも、和花菜さんはちゃんと自分の欠点に気づいて直していこうって思ってるんだから偉いよ」

成宮さんはグラスを下げて、何やら準備を始めた。

「また案件任せてもらいたいですし」

「前向きな姿勢はいいことだけど。せめてここにいる時くらいは、弱音吐いて泣いても、いいんですよ」

心地の良い声でそんな台詞を言う成宮さんに、惚れない人なんているわけない。

「はい、どうぞ。フローズン・マルガリータです」

「フローズン・マルガリータ?」

「テキーラベースにホワイトキュラソー、ライムジュース、クラッシュドアイスを混ぜたカクテル」

白のシャーベット状のカクテルの上にミントの葉がのっていて、可愛らしい。

いただきます、と言って少し飲んでみる。

「ライムがアクセントになってますね、飲みやすい」

「今の和花菜さんに飲んで欲しいカクテルだったんだ、これ」

「どうして?」

「フローズン・マルガリータ。元気を出して、って意味」

濃紺のピアスがダークブラウンの髪の間からのぞいて綺麗に光る。

「和花菜さんがこのカクテルを飲んで少しでも笑顔になってくれたら、って」

「今すっごい元気出ました!」

「あはは、早いなぁ」

成宮さんのカクテルと言葉で沈んでいた気持ちは急浮上。

成宮さんはバーテンダーだから私以外の人にも同じように今みたいな甘い台詞を投げかけるし相手に合わせてカクテルを振る舞う。

分かっているけど、今だけは自惚れていたい。

「すみませーん、注文いいですか?」

「はい、今行きます」

「成宮さん、嬉しかったです。カクテルありがとうございました」

成宮さんが行ってしまう前にと急いでお礼を言うと、それはそれは流麗に微笑んで。

「ゆっくりしていってくださいね」

そして私に背を向けて次のお客さんのもとへと向かっていった。

ドクドクドク、心臓の鼓動がおさまらない。

成宮さんともっと話してみたいし、彼のことを知りたい。

これ。もしかしてくても、一目惚れってやつですか。

【フローズンマルガリータ】

カクテル言葉は

元気を出して。

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とじる

【スティンガー】

「今日の夕飯は何作ろう。冷製パスタかなぁ」

定時あがりなんていつぶりだろう。せっかくだから今日はちゃんと自炊しようと決めてスーパーに寄る。

店内に入った瞬間クーラーの冷たい風に全身が包まれて、ほっと息をつく。

秋口でも日が暮れても蒸し暑いから勘弁してもらいたい。

「トマトと、ニンニクでしょ」

冷製パスタのレシピがのってるサイトを見ながら材料を選んでいく。

ここは普通のスーパーよりも品揃えが豊富だから何でも揃ってて助かる。

「デザートも作っちゃお」

冷製パスタの材料は揃ったから次は青果売り場へ向かう、と。

「………んん?」

やけにスタイルが良い男の人が真剣にフルーツを手に取って選んでいる。

そんなじっくりグレープフルーツ見てどうしたの。

珍しい人もいるんだなと思いながら近づき、私もフルーツを選ぼうとしたら。

「……!?」

な、何で成宮さんがここにいいるんですか!!驚いてフルーツコーナーから距離をとった。

ふいに隣を見た瞬間、忘れるわけがない端正な顔が近くにあってびっくりしてしまった。

メガネをかけているけど、綺麗な顔は隠しきれていない。

成宮さんの方は全く気づいていないようで、グレープフルーツの次はレモンを品定めしている。

いつもはバーテンダーとしてきっちりセットされた髪も今日は軽く弄ってあるくらいで、服装もゆるいネイビーのトップスに黒のスキニー。

服装が違うだけで大分雰囲気って変わるんだなー。

キッチリした成宮さんも素敵だけど、私服も最高。

どうしよう、仕事中ではないだろうし挨拶くらいしても、大丈夫だよね?

『成宮さんいらっしゃったんですね~今気づきました』っていうテンションで話しかけてみよう。

何気なくフルーツコーナーに近づき、成宮さんの傍まで行く。

「……あ、あれ?成宮さんですよね?」

「………」

でも成宮さんは反応なし。ただフルーツを見つめ続けてる。聞こえなかったかな?

「成宮さん、こんにちは」

「………」

無反応。

「あの、以前作ってくださったホワイト・マルガリータ、今度家でも作ってみようと思って。コツとかあるんですかね」

成宮さんはレモンを手に取りじっと見つめてるだけでこっちを向いてくれない。

何でだろう。私変なこと言ったかな?

成宮さんはただただ無表情で手を動かし続ける。いつもの柔らかい雰囲気は欠片もない。

「今日はお買い物ですか?買い出しとか?」

「………どいて」

「え?」

「そこのオレンジ見たいから。どいて」

「はっはい!」

ササッとどいて、成宮さんが見やすいようにする。いや待ってそうじゃなくて。

「成宮さん、あの」

邪魔にならない場所から話しかけたら、はぁ、と小さく溜息をはいて。

綺麗な唇が、言葉を紡いだ。

「今、営業時間外だから」

「………えっと……?」

「相手してほしかったら、店に来いよ」

抑揚のない声、素っ気ない言い方。

あの物腰柔らかい雰囲気にいつでも優しい笑顔で話してくれる成宮さんはどこにいったんですか?

私は夢でも見ているのか?

「私は、ただ成宮さんがいたから挨拶しようかなって」

「あっそ」

成宮さんはいくつかフルーツをカゴに入れてスタスタとレジに行こうとする。

「ちょ、成宮さん!」

私も急いで自分のお会計をして材料をビニール袋に詰めてからお店の外へ出た。

「待ってください」

「何で」

「少しくらい会話してくれても、いいじゃないですか」

別に引きとめて長話をするつもりなんて全くない。成宮さんはゆったり振り向いて、シニカルに笑ってみせた。

「言っただろ。営業時間外まで店と同じように相手するとでも思った?」

「そ、れは」

「俺はしない。笑って話に付き合ってほしければ店に来な」

私が言い返す言葉を見つけてる間に、成宮さんは今度こそ背を向けて行ってしまった。

今の、何だったんだろう。

本当に同一人物?二重人格にも程がある。

感情が希薄な表情で、短い言葉しか返ってこない。

でも、嫌いになれない。

バーテンダーとして完璧な成宮さんは勿論好きだけど、さっきの素の成宮さんも。

なぜか惹かれてしまった。

【スティンガー】

カクテル言葉

危険な香り

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とじる

【アメール・ピコン・ハイボール】

カランッ!いつもより大きくドアベルが鳴った。

「マスター、こんにちは」

「いらっしゃい和花菜ちゃん……って、ずぶ濡れじゃないか!」

マスターがグラスを拭く手をとめてカウンターから駆け寄ってきた。

「あはは、会社出るときちょうど通り雨が降ってきて」

「傘は?」

「同僚に貸しちゃいました。まあすぐ止むかなって思って」

ここら辺はコンビニもないし、今回のためだけに傘を買うのもな、って躊躇してしまったから。

「それより、頼まれてた資料届けにきましたよ。今度開催するイベント用のサイト原案」

「もしかして、これを届けるためにわざわざ……」

「すぐに渡した方がマスターも計画しやすいでしょうし、明日明後日は出張なので」

自分は濡れても構わないけど、資料は濡れないようにと細心の注意を払って持ってきた。

「ありがたいが、その格好のままじゃ帰れないだろう……。成宮、ちょっといいかい」

「はい」

女性のお客さんの相手をしていた成宮さんがマスターに呼ばれてすぐにこちらへ来てくれる。

「はい、どうしました?」

「和花菜ちゃんが雨に濡れてしまったから、裏でタオル貸してあげなさい」

「もちろん。和花菜さん、こちらへ」

「……はい。すみません」

やっぱり、バーで働く時の成宮さんは優しくて格好いいお兄さんだ。スーパーで会った時みたいな態度は微塵も出さない。

「足元には気をつけてくださいね」

エスコートも完璧。私のことを気にかけつつもバックヤードに案内してくれる。

「取り敢えずここの席に座っていてください。カーディガン、乾かすので脱いでいただけますか?」

ブラウスの上に羽織っていた薄手のカーディガンは雨のせいで色が変わってしまっている。

「失礼します」

「あっ、すみません」

アパレルの店員さんみたいに慣れた手つきでカーディガンを脱がしてくれて、棚から数枚タオルを渡してくれた。

「こんなに雨に濡れてまで、どうして今日来てくださったんですか?さっき店長と話してたみたいですけど」

「今度お店でイベントを開催するじゃないですか。そのサイトを作るためにデザインを考えてほしいって頼まれて」

「ああ、和花菜さんは広告関係のお仕事をなさってるから。企画進行だけじゃなくて制作もしてるって眞木から聞きました」

成宮さんは喋りながらも新しいタオルを用意してくれたり濡れたバッグも手際よく拭いてくれている。

スーパーで見た人って、本当に目の前にいる成宮さんだったのか……?

全然あの時のことをまるでなかったみたいに普通に接してくれるし。

「それでこの雨の中資料を届けてくださったんですね。お忙しい中ありがとうございます」

私の前で床に膝をついて真っ直ぐ見つめお礼を言われる。

その姿はどこか高貴な国の王子様みたい。

でも、私に対してこんなことをする必要は全くない。

「成宮さん!やめてください、私もこのお店にはお世話になってるので、自分が張り切っちゃっただけですから」

「本当に優しいんですね、和花菜さんは」

「あんまり褒められると、その、調子に乗っちゃうので」

恥ずかしさを紛らわせるためにわしゃわしゃとタオルで髪を拭く。

「和花菜さん、そうやって雑に髪を拭いちゃダメですよ?傷んでしまいます」

私の手からタオルを抜きとり、濡れた黒髪にそうっとタオルをあてがう。

「本当はドライヤーとかあればいいんだけど、店になくて」

「大丈夫です!むしろなくてありがたいというか……」

「あはは、そっか」

だって成宮さんに髪を拭いてもらえるなんて、一生に一度あるかないかくらいレアだ。

それに、顔面偏差値ふりきってる綺麗な顔が近くにあるだけで目の保養には十分すぎる。

「何かお飲み物お持ちしますけど、どうします?今日はお酒じゃない方がいいですよね」

「そうですね、明日も早いので。でもお水をいただければ十分です!」

「遠慮しないでください。じゃあコーヒーはいかがですか?」

「えっ、コーヒー淹れてくださるんですか」

「と言っても僕達スタッフ用のものなので、あまり期待はしないでいただきたいんですけどね」

肩を竦めて緩く口角を上げる。

「バーテンダーさんが淹れてくれるコーヒー、絶対美味しいですよ」

「わー、ハードルあがった。今作ってきますね」

茶目っ気にあふれた笑顔で冗談を言い、バックヤードを出ていった。

成宮さんが拭いてくれた髪を触ってみる。自分で拭いてたら、ここまで綺麗にまとまってなかっただろうな。

ああいうことを躊躇なく出来るあたり、さすがというか。

留学してたって言ってたし、修行してたお店で美女のブロンドの髪を梳く姿を想像してみる。

うん、CMになってもおかしくないくらい綺麗だ。

「和花菜さん、お待たせしました」

コーヒーの豊潤な香りが漂い、カチャッとテーブルにカップが置かれた。

「期待に添えたらいんだけど」

例え本格的なコーヒーじゃなくても、成宮さんが淹れてくれたというだけで特別に思える。いただきますと早速一口飲んでみた。

「やっぱりバーテンダーさんが淹れるとコーヒーでも美味しいんですね!」

「コーヒーでこんなに喜んでもらえるとは思わなかったな」

隣に座り、頬杖をつきながら微笑む。

スーパーでの出来事はますます勘違いか夢だったんじゃないかと思えてくる。

「あの、成宮さんってお兄さんか弟さんはいらっしゃいますか?」

「いないけど、どうして?」

「深い意味はなくて、前に成宮さんに似た人を見たような気がしたので」

「へぇー」

「すみません変なこと聞いて。コーヒーごちそう様でした」

そろそろおいとましよう。席を立ち身支度を整える。

「カーディガン、完全に乾かしきれなかったな……」

洗濯機から乾燥させていたカーディガンを取り出して、成宮さんが眉根を寄せる。

「帰ってまた乾かすので大丈夫ですよ」

「んー、待って」

成宮さんはおもむろにスタッフ用のロッカーを開けて、薄手の黒のカーディガンを取り出した。

「これ、俺のなんですけどよかったら着ていってください」

「そこまでしていただくのは申し訳ないです!」

「一度雨に濡れてしまっているんですから、風邪を引いたら大変です。寒暖差で体は疲れちゃいますからね」

「でも……」

「和花菜さんが風邪を引いたら、僕は仕事に集中できません。ね?」

ずるい言い方だ。そんな風に言われてしまったら、私は上手い断り方を知らない。

「本当に成宮さんがいいなら……、お借りします」

「はい」

成宮さんの黒のカーディガンに袖を通す。これは彼シャツ的なやつか?とバカなことを考えてしまい、慌てて頭の中から消去する。

バックヤードから表へ出て、扉を開けた。

「和花菜さん、お気をつけて」

「成宮さんもお仕事頑張ってください」

「またのご来店をお待ちしております」

私もお辞儀をして、お店に背を向ける。もうすっかり雨がやんだ秋の空を見上げれば、綺麗に星が瞬いている。

お店に入った瞬間から帰る時まで、成宮さんは笑顔を絶やさず完璧だった。

「やっぱり、あれは夢……?私は夢でも見てたんじゃないか?」

あり得る。自分で考え出した幻影だったんだきっと。

そう考え直して、カーディガンにそっと触れた。

————————

———……

「え?成宮さんお休みなんですか?」

マスターの言葉に目を見開く。

日を改めて借りていたカーディガンに菓子折りをつけて渡そうと思っていたのに。

「風邪を引いてしまったみたいでね。留学から帰ってきて体が日本の環境に慣れてない中、毎日働いてくれてたから」

「そうだったんですか……いつもお店で接客してる姿を見ると、全然そんな感じしなかったから」

「彼は隙をみせないからね」

カウンターでいつでもお客さんを楽しませる彼を思い出す。

「そういうわけだから、和花菜ちゃんお見舞いに行ってきてくれないか?」

「私が?」

「ああ。そのカーディガンとお菓子持ってくついでに様子を見てきてほしんだ」

「風邪が悪化してたら大変ですしね……、行ってきます」

マスターから住所を聞いて、途中コンビニに寄り飲み物や冷えピタとか諸々買っていく。

様子を見てきて、ってことは1人暮らしなはず。ちゃんとご飯食べて薬飲んでるかな?

まず病院でちゃんと薬もらったのかも怪しいけど。

「ここか……」

辿り着いたマンションを見上げた。閑静な住宅街の中にこのデザイナーズマンションはいい意味で目立っている。

住んでるところまでお洒落って、どこまで完璧を貫く人なんだろう。感心しながらも4階のフロアまで到着。

「部屋番号は、うん、ここでオッケー」

間違えないよう確認してからインターホンを押すも応答なし。

「こんにちは、清水です。清水和花菜です!」

今度はインターホンを押すだけじゃなくて大き目の声で名前を名乗る。しかしまたもや反応なし。

可能性としては、出かけているか爆睡してるか……悪化して倒れているか。待ってそれは困る!

大人になってからの方が風邪をひくと重くなる人もいるらしいし。

「成宮さんいらっしゃいますか?!」

マスターに一応と教えてもらった電話番号でかけてみるも、出てもらえない。

「成宮さん!お願いします、清水です。開けてもらえませんか」

これでダメだったら考え直そう、最後の望みをかけて呼びかけたら。

―――ガチャ。

ゆっくりと扉が開いた。

「成宮さん!」

倒れてるわけじゃなかったと安心したのもつかの間。扉の向こう側から出てきた成宮さんに、息をのんだ。

「……うるさいよあんた」

ゆるいダークグレーのスウェットからのぞく鎖骨に無造作な髪、掠れた声のトリプルコンボで色気をカンストしてしまっている。

「わ、たし。お見舞いにと思って」

「お帰りください。じゃ」

「ドア閉めないで!」

「は?何で」

抑揚のない声、感情がみえないポーカーフェイス。いつかのスーパーで出会った時を思い出した。

「……やっぱり成宮さんって双子です?」

「いねぇよ」

「ですよね!じゃあスーパーで会ったのは本当に成宮さんだったのか」

お店の成宮さんも、今目の前にいる無表情な成宮さんも同一人物ってことが確定。

にわかに信じがたいけども。

「何であんたが俺の家来てんだよストーカーかよ」

「違います!この前カーディガン貸していただいたじゃないですか。それを返しにバーに行ったら体調不良で休みだって聞いて」

「はぁ……眞木さんに言われたのか」

「はい。風邪だと伺ったので、必要な物色々買ってきましたよ」

「カーディガンだけあればいいから。帰り……っ、ケホ」

口もとに手をあて、私から顔を逸らし乾いた咳をする。

「ちゃんと病院行きました?行ってなくても薬は?ゼリーくらい食べてますか?」

「……別に、寝てれば治るし」

「あなた本当に年上ですか。寝てれば治るってそれは風邪のひき始めまでですよ」

「いつまでもここにいると移る。帰れ」

「成宮さんの接客やカクテルを楽しみしてるお客さんはたくさんいらっしゃいます。その人たちのためにも、私頑張りますので」

「は、頑張る?」

「部屋にお邪魔しますね!成宮さんは寝ててください」

「冗談はたいがいにしろよ……っおい」

「ご飯作ったらすぐに帰りますし、大人しくしてますから」

なかば強引にだけど部屋の中に入らせてもらった。成宮さんは抵抗する気力がなくなったのか好きにしろ、って表情。

デザイナーズマンションなだけあって室内もお洒落だ。ちゃんと片づいてるし、マメな人なんだな。

「成宮さん熱測りました?」

「……7度」

「本当は?」

「8度弱」

「はい、冷えピタ。これ貼って寝てくださいね。お粥作りますけど、梅食べれます?それとも鮭にします?」

「……梅がいい」

「梅ですね、キッチンお借りします。冷蔵庫開けていいですか?」

「どーぞ」

成宮さんはだるそうにアンティーク調のソファに身体を横たえた。ちゃんと冷えピタ貼ってくれてる。

「冷蔵庫の中身、お酒しか入ってないなんてこと……ない、わけなかった」

開いた口が塞がらない。殆どお酒やカクテル用フルーツが陣取っている。

調味料はかろうじてあるけど、材料がないんじゃ出番はやってこない。

「一応材料は全部買ってきたから良かったものの。何でこんなに食材がないんですか?」

お粥と簡単なおかずを作るために用意しながら聞いてみる。

「帰国したばっかでバタついてたんだよ。最低限の物さえあれば仕事はできる」

「あー、じゃあやっぱり今回の風邪って移されたっていうより、身体が環境の変化についていけなかったからですね」

「んー……そんな感じ」

帰国して日本で生活する準備をするだけでも疲れるのに、すぐ仕事を始めた分余計体に負担がかかったんだろう。

ストイックさは諸刃の剣だ。『大変でしたね、お疲れ様です』と声をかけた時には返事はなく、もう眠りに落ちていた。

今のうちにご飯作っちゃわないと。

豆腐、人参をサクサク包丁で切って炒める。その間にお粥も作って、炒めたところにコンソメを入れ溶き卵をかければおかずも完成。

うん。我ながらいい出来だ。食べきれるくらいの量をお皿に盛りつけて、ローテーブルに並べる。

「ご飯できましたよ。これ食べて薬飲んでからちゃんと寝ましょう?」

床に膝をつき、成宮さんの耳元で声をかける。んん、と小さく唸って眉根を寄せた。

「今日殆ど何も食べてないんでしょ?なら少しくらいお腹に入れないと」

そう言えば、ゆっくり瞼を開けていつもより時間をかけて焦点を合わせる。

バーカウンターで一切の隙を見せず完璧に振る舞う成宮さんはいない。

「……いい匂いする」

「梅のお粥と、ちょっとしたおかずも作ってみました。重たくないので食べられると思いますよ」

成宮さんはぼうっとしながらもいただきます、と手を合わせてレンゲでお粥を掬う。

味つけには気をつけたし、大丈夫なはず。無駄に緊張しながら成宮さんの反応を待つ。

「和花菜、これ」

「はい!」

「美味しい。まじで市販のレトルトじゃなくて手作り?」

「いちから作りましたよ疑いの眼差しを向けないでください」

「こっちの豆腐と卵のやつも美味しい」

緩く口角が上がる。あ、笑ってくれた。完璧な悩殺スマイルでもなく、悪戯な微笑みでもない。

初めて見た成宮さんの新しい顔に、心臓の鼓動が早くなった。

気づかれないようにと片づけを理由にして距離をとる。

片づけの合間にチラリ、と様子を窺うと手をとめることなくお粥を食べ進めてくれていて。

なんだかこうしてると不思議な気分になる。成宮さんはいきつけのバーで働くバーテンダーで、私は客。漠然とそれだけの関係が続くんだと思っていた。

でも、今私は成宮さんのプライベートに踏み込んでる。

例え成り行きでこうなったとしても『その他大勢の客』から踏み出せた気がして。

社会人になったっていうのに、こんな些細なことで舞い上がる私は単純すぎるかもしれない。

「和花菜、ごちそうさま。予想以上にうまかった」

「予想を超えられてなによりです。薬は一応総合風邪薬とタイプ別の物を用意しましたけど、どれにします?」

片づけを終えてビニール袋の中にある薬を取り出した。

「お前ってさ。お粥作ってくれる時から思ってたけど色々と用意周到だよな」

「あー、職業病というか。仕事がクライアントの要望を汲み取ってどれだけそれに応えられるか、なので。いくつか選択肢を用意しておくんです」

「1つの案だけじゃ断られる可能性もあるってことか」

「はい。1つだけ提案してダメだったら新しい案を考えて、ってやってると効率が悪いので。予め用意しておくんです。その癖が出ちゃいました」

今回のお見舞いでは事前に成宮さんの苦手な食べ物も症状も分からなかったから、尚更考えてしまった。

「……案外似てるのかもな。バーテンダーとお前の仕事って」

成宮さんは総合風邪薬を選び丁寧に箱を開けて、水で錠剤を流し込んだ。上下する喉元が色っぽくて目のやり場に困る。

「バーテンダーも相手の真意を読んで会話するし、接客の仕方も変える。もし納得してもらえなかった場合は別のアプローチをする」

ミネラルウォーターで濡れた赤い唇が目に毒だ。

「成宮さんは毎日大勢の人を相手にしてるはずなのに、それぞれ好みや注文を覚えてるのが本当にすごいなって思います」

「気持ちよくお酒を飲んで時間を過ごしてもらうためなら、何だってする」

何だってする、その意味は。完璧な嘘で相手を魅了し続けるってことだ。

「成宮さんはずるいですよ。ああいうこと言われたら、お世辞だって分かってても勘違いしそうになる」

「なら良かった」

そうだ。成宮さんからすれば相手が騙されてくれた方が上手なおもてなしが出来たということになる。

「意地悪だなぁ……冷えピタ取り換えて、ちゃんとベッドに移動して寝てくださいね。私はもう帰るので」

成宮さんがベッドに行ったら食器を全部片づけて帰ろう。そう思って立ち上がった、ら。

「うわっ?!」

ボスッ。

腕を引っ張られてそのままソファへダイブ。同時に熱い体温が直に伝わってきた。

「ちょ、成宮さん?どうしました?!」

成宮さんのほのかに甘い香りと汗が混ざった匂いが鼻腔を掠める。顔を動かすと、至近距離に端正な顔が。

「びっくりした、私帰るので早く寝てくださいよ」

寝ぼけてるのか。

「……ここにいろよ」

掠れた声が鼓膜を揺らす。熱っぽい瞳に、熱い身体。私までどうにかなってしまいそうだ。

「こんなことして、彼女さんに怒られますよ」

「いないし」

「いないんですか。……へー、いるんだと思ってた」

「何でちょっと嬉しそうなんだよ」

頬をぷにっと引きのばされる。今の私絶対間抜け顔だ。

「寝るまででいいから。もう少しだけ」

ああ、もう。キャパオーバーだ。大人なんだから、こういう場面になったとしても余裕をみせたいのに。

「わ、かりました。寝るまで、ですからね」

そう答えれば、更に抱きしめる腕に力が入り距離を縮められた。

大きめのソファーだけど、さすがに2人で横になった状態だと完全に密着しないと落ちる。

ギシッ、ソファが軋むたびに心臓がはね上がる。そのうち本当に壊れるんじゃないか。

「和花菜、顔真っ赤」

「………ッ!」

あなたのせいですよ。わかな、心地の良い声で紡がれた自分の名前。お店で名前を呼んでくれる時とはまるで違う響き。

「は、早く寝て。じゃないと治らない」

「ん。おやすみ」

「おやすみなさい」

始め部屋に来たとき、こんなことになるとは予想していなかった。

やること済んだらさっさと帰れよ、って言われて終わるんだと思ってたのに。何で抱きしめられてるんだろう。

多分お客さんの中でこの人の本性を知ってる人は少ないだろうし、こうしてパーソナルスペースに入れる人はもっと少ないはず。

そこに、私は入れてもらえた気がして。

彼の中で、私は今どんな立ち位置なのかな。

『常連の客』それ以上でもそれ以下でもないのか、今みたいに一緒にいて安心してもらえる存在なのか。

都合のいいように解釈してしまいそうになる。でも、ちょっとだけ。勘違いしても、いいですか。

【アメール・ピコン・ハイボール】

カクテル言葉

分かり合えたら

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とじる

【アメリカ―ノ】

「瀬戸さん、資料を確認していただきたいのですが、今お時間は大丈夫ですか?」

今関わってるプロジェクトリーダーの瀬戸さんに訂正版資料を渡す。

「もう出来たんだ?助かる。チェックして明日には確定版にするから、今日はもう帰っていいぞ」

「え、いいんですか?」

「お前最後に定時あがりしたのいつだよ。今日は帰ってよし」

瀬戸さんだってリーダーとして遅くまで残っていたのに、いいんだろうか。

何か手伝えないかな、そう考えていたことが顔に出ていたのか『清水。先輩命令』と有無を言わせない笑顔で言われてしまい、お言葉に甘えて帰ることにした。

お気に入りのスーパーに寄って、夕飯の材料を揃えていく。

何となく、あの人の姿を探してしまう自分がいる。

まあそう何度も会えるわけじゃないか、と諦めて早々にお会計をして外へ出ると。

「あ、成宮さ……」

数メートル先に同じスーパーの袋を持った成宮さんがいて、声をかけようと思ったけど。

その隣には、知らない美人なお姉さんが寄りそっていた。

「え……」

背は成宮さんより少し低いくらいで、モデルですかっていうくらいスタイルがいい。

会話までは聞こえないけど、雰囲気的にすごく親しそう。

成宮さんもバーでお客さんを相手にするときの顔じゃなくて、素に近い感じがする。

女の人の綺麗な髪を成宮さんは手で梳いて、耳にかけてあげた。彼女が成宮さんに寄りかかっても、当然のように受け入れていて。

ガツン、と重い衝撃をくらったみたいな気持ちになった。

親しいお客さんなのか、友達か、それとも。

これ以上2人の姿を見ていられなくて、足早にこの場をあとにした。

――――――――

――……

「マスター、今日は誘ってくださってありがとうございます」

「和花菜ちゃんに手伝ってもらってイベントが開催できたんだから。来てくれて嬉しいよ」

いつもより賑わった店内にドレスアップしたたくさんの客。マスターが企画していたイベントは大盛況だ。

今までバーに来たことがない人でも楽しめるという趣旨の通り、新規の人達が多く見受けられる。

本当は成宮さんとあの女の人のことがあって来るのを躊躇したけど、結局自分の足はバーに向かっていた。

「綺麗ですね、和花菜さん」

「えっ……、成宮さん」

端の方のテーブルでひとりグラスを傾けていたら、後ろから声をかけられた。

「今日のドレス、可愛らしいのに品があってとても素敵です」

誰もが見惚れるような微笑みに、嬉しくならないはずがない的確な褒め方。

「ありがとうございます。……風邪、治ったんですね」

「ええ、和花菜さんのおかげでよくなりました」

お見舞いで訪ねた際、開口一番に『うるさいよあんた』と言った人とは思えない。

「今日はお客様も多くいらっしゃいますので、せっかくですし話しながら飲むのもいいと思いますよ」

私がこんな隅にいるから心配してくれたのか。本当によく周りをみてる人だな。

「……成宮さん、前に」

『ちょっと樹季ー!探したじゃない』

あのことを聞いてみようと名前を呼んだ瞬間、別の高い声が遮った。

身体のラインが分かるタイトなドレスに腰まで長いブラウンの髪。白い肌と対照に赤く潤んだ唇。

「樹季、こんなところにいたのね」

いつき。それは、間違いなく成宮さんの名前だ。そうなんだ、成宮さんの名前って「樹季」っていうんだ。

「亜里沙」

成宮さんと親しげに歩いていた美人さんは、亜里沙さんっていうらしい。

「ねぇカクテル作ってよ。もう一杯目終わっちゃった。はーやーく」

「分かったから。……和花菜さん、楽しんでいってくださいね」

笑顔でそう告げた後、亜里沙さんに連れられてあっという間に遠くへ行ってしまう。

待って、と手を伸ばそうとした時。亜里沙さんは艶のある髪を靡かせながら振り返り、意味ありげな笑顔を向けられた。

『彼は私のものよ』そう主張してるみたいで。伸ばした手は虚しく空を切るだけだった。

成宮さんも、亜里沙って呼び捨てにして、敬語じゃなかったし。

どういう関係なのか気になるせいで美味しいはずのカクテルを飲んでも、味がしない。

気を紛らわせよう軽食を取りに向かう。数種類のチーズにカルパッチョやタルティーヌまで鮮やかな料理が並ぶ。

「何食べよう……」

「このタルティーヌ、おすすめよ」

華やかな声にパッと顔を上げると、亜里沙さんがニコリと笑って私のお皿にハムがのったタルティーヌをのせた。

「あなた、ずっと私達の方見てたわよね。格好良いでしょ樹季」

いつき。彼女の口からごく自然にこぼれる名前にざわつく。

「そう、ですね。格好よくてお客さんから人気ですし」

「樹季ってばリップサービスが上手だから皆惚れちゃうわよね」

「……亜里沙さんは、成宮さんとはどういったご関係なんですか?とても仲が良さそうだなって」

「ふふ。どういう関係だと思う?」

余裕のある微笑み。成宮さんと、雰囲気が似ている。

「樹季の彼女じゃないわよ……って、言ってほしかった?」

「っ別に、そういうわけじゃ」

『彼女じゃない』そこまで聞いて一瞬気持ちが浮上した自分が情けない。

「友達、なんて安い関係じゃないってことは言っておくわね。樹季にとって私は唯一の存在。私にとっても樹季は愛おしい相手」

「………」

「じゃ、ごゆっくり」

颯爽とドレスを靡かせ成宮さんのもとへ戻っていった。言葉の端々から伝わってくる自信。

お互いが大切な存在っていうことは嘘じゃないはず。それは成宮さんの雰囲気からも感じ取れた。

……つい最近まで成宮さんと距離が縮まったかもなんて思ってた自分を消したい。彼女はいないって言ったのも、わざわざ正直に応える必要がないから。

大人なんだから全部言うわけがない。必要な嘘をついて、面倒なことを躱していく。

これ以上ここにいたってカクテルもタルティーヌも味が分からないし、2人の仲睦まじい姿を見続けるのは嫌だ。

……もう、帰ろう。

グラスとお皿を下げて一直線にドアを目指す。

外に出ればこの鬱々とした感情からも解放される、そう思ってドアノブに手を伸ばしたら。

「っ待てよ!」

慌てた声に足がとまり、誰かに手首を掴まれた。振り向いた先には。

「……え?!瀬戸さん」

「やっぱ清水だ」

「瀬戸さん、何で」

いつもより柔らかくセットされた黒髪にお洒落なスーツ。一瞬誰か分からなかった。それくらい会社にいる時と雰囲気が違うから。

「こっちが聞きたいわ。俺は常連の友達に誘われて来たんだよ。なんかお前に似てる子いるなって思ってたら急に出て行こうとするから」

「私も、前からこのお店に通っていたので」

――ちょっとでも成宮さんかもって淡い期待を抱いた私は、どうしようもない。

「いいよな、ここ。雰囲気もいいし酒もうまいし」

「何回来ても飽きないですよ」

「そんだけ気に入ってる店にいるのに、何で泣きそうな顔してんだ」

「えっ」

肩を竦めて困ったように笑う瀬戸さん。自分ではちゃんと取り繕ってるつもりだったのに。

「用事でもできたから急いでたのか?」

「いや……用事っていうか」

「もし時間あるならさ。俺ともう少し飲んでいかないか?」

あの2人の姿を見たくないがために帰ろうとしたいたから咄嗟に言い訳が出てこなかった。それに先輩の誘いを断るのも気が引ける。

「私でよければ」

「決まりな」

瀬戸さんは職場にいるときより柔らかい笑みを浮かべて、自然に私の手をとりカウンターへ向かう。

瀬戸さんとは会社の飲み会でしか飲んだことがないから変な感じがする。

「すみません。注文いいですか?」

「はい。おうかがいいたします」

マスターや成宮さんではなく、もう1人のバーテンダーが注文を受けてくれる。

「エバ・グリーンを1つと、清水はどうする?俺のおススメはインペリアル・フィズ」

「……瀬戸さんのおススメで」

「かしこまりました」

瀬戸さんの向こう側には、客にカクテルを作りながらも亜里沙さんとも会話してる成宮さんの姿が見えた。

見なくて済むようにと体の向きを変える。

「お待たせいたしました。エバ・グリーンです」

「綺麗なカクテルですね。ライトグリーンのグラデーションが面白い」

「こちらがインぺリアルフィズになります」

細長いコリンズグラスに注がれた半透明のレモン色のそれ。

「インぺリアルフィズって何ベースなんですか?」

「これはウイスキーベースで、レモン風味の甘いカクテルなんだ」

「瀬戸さんって甘いお酒がお好きでしたっけ?」

勧めてくれたってことは瀬戸さんがこのお酒をよく飲むからだと思ったけど。イメージに合わない。

「はは、好きってわけじゃなくてたまに飲むくらい。俺がインぺリアルフィズを頼んだのは、お前が相手だったからだよ」

「私が?」

「せっかく良い雰囲気のバーにいるんだからさ。悲しい顔してないで、"楽しい会話"をしたかったから」

『楽しい会話』の部分を強調して言われる。きっとこのカクテルはそういう意味なんだ。

「すみません、気を遣わせてしまって」

「謝らなくていいって。その代わり、笑って」

瀬戸さんは面倒見がいい人だ。今みたいにサラッと気遣ってくれるところ、尊敬する。

「ありがとうございます。瀬戸さんには敵わないなぁ」

「お前より5つ年上だからな。当たり前だろ」

「あははっですよね」

瀬戸さんが私に送ってくれた言葉は『楽しい会話をしよう』で、とても嬉しいしありがたいこと、なのに。心の奥の奥で存在を主張し続ける感情は別のものだった。

【アメリカ―ノ】

カクテル言葉

届かない想い

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