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片道切符 完結

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今日を限りの命ともがな

***
見切り発車46作目。
しんみりと、淡々と。をモットーに書いております。

1位の表紙

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◆◆◆

この一日に、どれほどの意味があったのか、俺は知らない。

◆◆◆

ふと目を覚ますと、自分の身体は確かな質量を伴って、仰向けに転がっていた。

空は綺麗に晴れ渡り、どこからか鳥の声も聞こえてくる。背中に土の温かさを、首筋に草のこそばゆさを感じながら、ぼんやりと流れていく雲を見つめていた。

ゆっくりと両手を持ち上げ、空に翳す。透けた赤に、指先まで血が通っているのがわかる。

ああ、俺は生きているのだ。

身体を起こし、服についた草や土を払う。そこで漸く辺りを見渡し、自分の立っている場所を認識した。

墓地だ。幾度となく通った、一族の眠る土地。

なぜこんなところにいるのだろう。

◆◆◆

とりあえず、覚えている道を辿り、自宅へ帰り着く。家にはいつもいるはずの人もおらず、静寂が広がっている。

家の中は、線香の匂いで満ちていた。

はて、と首を傾げる。法事などあっただろうか。

誘われるように、仏間へ足を向ける。そっと襖を開けると、目に入ったそれに息を呑んだ。

仏壇の近くには、真新しい祭壇が作られていた。その真ん中には、やはり真新しい黒塗りの額縁が飾られている。額縁の中で、見慣れた顔が笑っている。

俺だ。俺の顔だ。───俺は死んだのか。

その額縁は明らかに遺影のそれで、何より隣に置かれた位牌や、焼香の小さな箱、そして一際存在を示す、白い布に包まれた物体が、俺の死を雄弁に語っていた。

しかし、俺はここにいるのだ。生きたものと同じように、ここに立っているのだ。

外が明るいからか、家の中は薄暗い。相変わらず世界は静かだった。

◆◆◆

自らの死を認識した瞬間、一人であの場に立っていることが途端に恐ろしくなって、思わず家を出てしまった。

何の気なしにポケットに手を突っ込むと、硬い感触があった。驚いたことに、切符が一枚入っていた。片道の、隣の駅までの切符だった。

足は、勝手に駅へ向かっていた。どのみち宛はないのだ。有り難く使わせてもらおう。

一駅先には、海がある。そういえばいつからか行かなくなった。いつも、あの人と二人で行った海だ。あの人と潮風を感じ、あの人と波の音を聴いていた。

彼女はどうしているだろうか。

電車に揺られながら、恐らく自分がひとりにさせたであろう彼女に思いを馳せる。田舎の一駅の道のりは長い。俺の拙い思考は、周りの喧騒に紛れていく。俺が死人であることは、ここにいる誰も知らない。それはそれは不思議な光景だった。

◆◆◆

駅に降り立つと、潮風が頬を撫でた。改札を出れば目の前に深い青が広がっている。時期外れだからか、浜に人は見当たらない。

駅舎から出て、一歩一歩青に近づく。砂に捕らわれないよう、慎重に歩を進める。波打ち際まで歩いて、一息つく。

太陽は中天を過ぎ、穏やかに暮れようとしている。

「──さん?」

突如聞こえた声に、思わず身を固くする。あの人だ。

怖々と振り返る。彼女は記憶よりも少しやつれた顔で、こちらを見つめていた。

「どうして…」

続く言葉が、いるの、なのか、ここに、なのかはわからなかった。死んでしまったの、だったのかもしれない。彼女は言葉を切り、俯いてしまった。

俺は何も言えなかった。ただ立ち竦んでいた。

◆◆◆

彼女は俺を通り過ぎ、砂浜に腰を下ろした。

「あなたが死んでから、大変だったわ」

「お葬式の手配も、家の片付けも、全部一人でしたのよ」

「あなたともう一度ここに来たくて、あなたの棺に切符を入れたの」

彼女は独り言のように呟く。波の音と混ざって、厳かに伝わってくる。俺は彼女の背中を見つめていた。幾ばくか痩せたように見える。その原因は他ならぬ自分なのだろう。

「ねえ、今日が何の日か、覚えていますか」

そもそも今日が何日なのかわからない。自分がいつ死んだのかすら曖昧で、それから何日経ったのかも自覚がない。

「あなたが付き合ってくれと言ったのも、結婚してくれと言ったのも、今日だったわ」

「この場所で」

彼女がこちらを振り返る。眦から涙が一筋流れる。

堪えきれず駆け寄り、彼女を抱き締める。二人で泣いた。傍から見れば滑稽な二人だっただろう。大人が二人、子どもみたいに慟哭した。後悔と安心と、言い知れぬ寂しさに包まれて、堰を切ったように雫が溢れてくる。

何故俺は今日生き返ったのだろう。

◆◆◆

気づけば日は沈み、夜になっていた。

俺は別れを告げねばならないことを、どこかでわかっていた。

「さよならだ」

「ええ」

泣き腫らした目が痛々しい。それでも彼女は真っ直ぐに俺を見つめてくる。

「俺は君といて幸せだった」

「もう忘れない」

俺と彼女との思い出は、何年分かの今日に詰まっている。今日を忘れない。彼女を忘れない。

「私も、忘れない」

彼女の返事で、古い詞を思い出す。その通りになりそうだな、と思いながら、目を閉じる。

◆◆◆

それから、俺というモノは消えたのだと思う。

俺は質量を失い、存在すら曖昧になって、過去と未来の間を彷徨っている。

あの日が世界にとって、どんな意味を持つものだったのか、俺は知らない。

俺も、彼女も、互いの行く末はわからない。用意されていた切符は片道だった。もう二度と、戻ることはないのだ。

◆◆◆

彼が消えて、思い出した詞がある。

忘れじの

行く末までは難ければ

今日を限りの

命ともがな

私も、忘れないと返した。彼はほんとうに逝ってしまった。

目の前には深い深い青が広がっている。空は暗く、小さな星が瞬いている。ちゃぷり、と足を波に浸す。一歩、一歩、海へ。

彼に抱き締められたとき、私は理解した。

片道切符の終着点は今日、この場所だったのだと。

暝い海に沈む。

今日が終わっていく。

彼と出逢うことは、きっともう、ない。

◆◆◆

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