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黒いスーツ 完結

恋 vs 仕事

更新:2018/7/11

水上下波

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 ドアを激しくノックする音がする。

 部屋の主の女の子は、めんどくさそうに僕のパーカを羽織って玄関に向かう。

 

 

「ねえ、なんかお客さんだけど」

「僕に?」

「うん」

 

 女の子はあくびを一つして、またベッドに戻ってしまう。

 

 そこにいたのは、黒のスーツを着こんだ長髪の、知らない女だった。

 黒づくめの格好は、なんだかカラスみたいだと思った。

 

「高木さんですね?」

 

 彼女が問う。

 嫌な予感がした。

 

「そうだけど」

「奥様からの依頼で来ました」

 

 ああ……。

 

「そういうこと」

「ゆっくりお話できるところ、ありますか?」

「分かりました。このマンション出たところに喫茶店がありますから、そこで。五分で行くんで、先に行っててください」

「駄目ですよ。そのまま来ないつもりでしょう?」

「随分信用ないんだなあ」

 

 僕は仕方なく財布と携帯電話だけを持って、彼女の後に着いていく。

 

 

---

 

 

「それで?」

「今日は奥様の代理人ということで参りました」

「まさかこんなところまで追いかけてくるなんてなぁ。どうして分かったの?」

「私、私立探偵のようなこともしていますから」

「……なるほどね」

「単刀直入に申し上げます。奥様は離婚を望んでおります」

「ちょっと。待ってくれよ」

 

 僕は慌てる。どうしてだろう。

 

 妻は決して僕と別れようなんて考えないと思っていた。これまでも似たようなことは何度もあった。けれどそのたびに「あなたの病気みたいなものよね」といってため息をつくだけで終わりだったのに。

 

「奥様からの伝言を読み上げます。今まで貴方に振り回されてばかりだったけれど、それは間違いだったと気づきました。これからは自分で自分の幸せを探そうと思います。さようなら。……以上です」

 

 僕は混乱していて、なんて言ったらいいか分からない。

 

「あんたの差し金なのか? 妻に離婚を勧めたのか?」

「まさか」

「待ってくれよ。僕は別れたくない。そう彼女に伝えてくれ」

 

 彼女はしばらく値踏みするみたいに僕を見つめていたけれど、やがてため息をついた。

 

「……今日で何日目ですか?」

「え?」

「今日で、家を空けてから何日目ですか?」

「さあ、どうだったかな」

「二十六日です。その間、奥様はずっと貴方からの連絡を待っていたんですよ」

「あぁ……」

 

 僕は首を振る。

 

「けれど。でも、離婚はしたくない」

「ゆっくり考えてみてください。また明日伺いますので」

「待ってくれよ。僕はどうしたらいいんだ」

「それを考えてくださいと言っているんですよ」

 

 彼女は感情の篭らない瞳で僕を一瞥すると、伝票を手にレジに向かう。

 僕はその後姿を眺めていた。ここのコーヒー代は経費なんだろうかとか、スーツのスカートから伸びる脚が綺麗だとか、そんなどうでもいいことを考えながら。

 

 立ち去り際、彼女は言った。

 

「今後奥様に連絡するときは、直接連絡せずに必ず私を通してください。それから、名刺を渡しておきますので、なにかありましたら、いつでも電話してください」

 

 手元には、なんの肩書きも書かれていない名刺が一枚だけ。

 

 

---

 

 

 次の日、仕事が終わって会社から出てくると、彼女が待っていた。

 

「気持ちは固まりましたか?」

「そんなにすぐには決められないよ」

「でも、奥様は急いでおられます」

「そんなこと言われても」

 

 逃げるように歩き出すと、彼女は僕の横にぴったりと着いてくる。

 

「きみ、結婚はしているの?」

「私のことは関係ありません」

「結婚してるんなら、分かるだろう? そんなの、一日やそこらで決められる問題じゃないんだ」

「私はただ、奥様に依頼されたことを進めるだけですので」

 

 真っ黒な服装のせいもあって、随分と壁を感じる言い方だと思った。

 

「なあ、酒でも飲まない?」

「私は飲みませんけど、高木さんが飲みたいんでしたらご自由に」

「そう。じゃあ、ビールでも飲もうかな」

 

 彼女は黙って僕に着いてくる。

 こんなことまで仕事のウチなのかと思うと、流石に少し申し訳ない気持ちになる。

 

 別に、彼女や妻を困らせたいわけではないのだ。

 そうじゃなくて、本当にどうしたらいいのか分からない。

 

「僕はどうしたら良いんだろうか」

 彼女に聞いてみる。

 

「さあ。私には分かりませんね」

「僕は、いずれ彼女の元に戻りたいと思っているんだ」

「それは、愛なんですか?」

「愛? ……どうだろうね」

 

 愛とは、また随分と感傷的な言葉だ。

 この気持ちを愛と呼ぶには、僕と妻は、お互いに近づきすぎたのかもしれない。

 

「探偵さんなんだから、僕の気持ちを推理してみてよ」

「……また明日来ます」

 

 彼女は諦めて、席を立つ。

 

 

---

 

 

 そうして散々逃げ回った挙句、ようやく僕は離婚届に判を押す。

 

「これでようやく君も、依頼人に良い報告が出来るというわけだ」

「これからどうなさるんです? あの女性と一緒になられるんですか?」

「まさか! 彼女は結婚を考えるような相手じゃないよ。どこか適当な部屋を借りて暮らすさ」

「そうですか……」

 

 彼女は妙にわざとらしく顔を伏せた。

 

「それは、残念な結果ですわね」

「残念?」

「ええ。残念です」

「でも、これが君の仕事だろう?」

「そうですけれど。それでも、一つの愛がこうして終わってしまうのは、やっぱり悲しいことです」

 

 きっと、彼女は本当にそう思っているのだ。

 それなのにこうして僕の結婚を終わらせたのは、それが彼女の仕事だからというだけなのか。

 

 彼女の、伝票を取ろうとした手を、僕は慌てて掴む。

 彼女が驚いたように僕を見た。

 

「今日は僕が払うよ。これまで散々迷惑をかけたから」

「……ありがとうございます」

 

 もう彼女と会うこともない。

 そう思ったら、最後くらいはちょっとした見栄を張ってみたくなった。

 

 僕は去っていく彼女の後姿を見つめる。

 人ごみの中にすっかり見えなくなるまで、彼女は一度も振り返ることはなかった。

 

 

---

 

 

 独りぼっちになって、僕は日々をぼんやりと過ごす。

 これまでの僕はずっと、恋をして生きてきたから。恋を無くしてしまえばどうしていいのか分からない。

 

 そんな時、不意に彼女のことを思い出すことがあった。

 振り返らず去っていく、あの後姿を。

 

 

 ある日。ブラブラと街中を散歩している途中の雑踏に、彼女を見かけた。

 

 彼女は、黒のスーツ姿ではなかった。

 春の空みたいな淡い水色の、サマーニットのワンピースを着た彼女の、俯いた顔は泣いているみたいに見えた。

 

 人前で泣くような女性じゃないはずなのに。

 

 思わず声をかけようとして、思い直す。

 もう、彼女に話しかける理由なんて、どこにも無いのだ。

 

 

 部屋に戻ってきてからも、心の中は、彼女の泣いている姿ばかり。

 

 それから彼女の名刺があったことを思い出して、散々迷ったあと、日付が変わるころになって、ようやく彼女に電話をかけた。

 

「はい」

 耳元から彼女の声。

 

「どうも、高木です」

「ああ。お久しぶりです」

「今日、街中で君を見かけたんだ」

 

 彼女はちょっと驚いたみたいだったけれど、すぐにいつもの無感情な声に戻って「そうですか」とだけ言った。

 

「君に依頼したいことがあるんだけど」

「……なんでしょう」

「恋の依頼」

「意味が分かりません」

「頼むよ。馬鹿なことだとは思うけど、自分でもどうしたらいいのか分からないんだ……」

 

 何かを迷うみたいな数秒の沈黙があって、

「明日伺います」

 と彼女は言った。

 

---

 

 翌日、現れた彼女は、もう黒のスーツを着ていなかった。

 

「僕の依頼、聞いてくれるのかい?」

「そのことですけど、今回は私が手を貸すことではありませんね。今日はそれを言いに来たんです。どうぞ御自分で解決なさって下さい」

「そうか。残念だな」

「……ねえ、知ってます? アルコールなんかの依存症って、ちゃんとした治療を受けない限り、自分の意志だけでは八割以上が抜け出せないんですって」

 彼女は意地悪く微笑む。

 

「それ、僕のことを言ってるのかい?」

 そう問いかけても、彼女は軽く肩をすくめるだけ。

 

 そうだ。きっと彼女は正しい。

 僕はこれまで、ずっとそうやって生きてきたから、それ以外の生き方を知らない。

 

「けど、だったら僕はどうしたら良いんだ」

「……もう行きますわ。さようなら」

「待ってよ、本当に困ってるんだ。せめて、手がかりだけでも」

「最後に、誰かのために泣いたのはいつ?」

 

 彼女は伝票をさっと手にすると、立ち上がる。

 僕はただ呆然と、その後姿を見送った。

 

 

 頭の中にはただ、街中で涙を流す彼女の姿だけが浮かんでいた。

 

 

 

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とじる

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