4

うまずたゆまず 完結

ポイント
252
オススメ度
36
感情ボタン
  • 48
  • 1
  • 5
  • 1
  • 0

合計:55

人間並の思考能力や感情を持つ世界一のヒューマノイドアイドル・アマネは、自分の寿命があと一年で尽きる事を告げられた。
寿命があと半年になったその日、彼女はアイドルとしての自分に終止符を打ち、夢を叶える為に飛び出した。

1位の表紙

2位

目次

すべてのコメントを非表示

 木枯しが、色褪せた落ち葉をかき混ぜる寂れた町。長い癖っ毛を棚引かせながら歩く少女は、ふと立ち止まって空を見上げた。

 大きなビルの屋上で風に揺れる無数のアドバルーン。その一つ一つに、可愛らしく着飾ったアイドルの動画が映し出されている。

──あ、うまずたゆまズじゃん! チョ~可愛い!

──こないだの月面ライブ見た? すごかったよね!

──うまずたゆまズだ。ワールドツアーのチケット、正規ルートでも百万円近くするって、マジか?

──南極ライブならちょっと安くなるかな? あークソ、一生に一度でいいから行ってみてー!

 近くを歩く若者達の、キャッキャとした会話。

 制服スカートのポケットに手を突っ込んだ皆紅(みなぐれない)カスミは、フンと鼻を鳴らすと背を丸くして足早に立ち去っていく。

 西暦二千二百年。人々は十年前に新星のごとく現れた、たった二人のアイドルに心を奪われていた。

 肩まである古風な黒髪。赤い紐飾りのハーフツインテールがトレードマークの天真爛漫娘・アマネ。

 長い黒髪を後ろで三つ編みにし、白い牡丹の髪飾りがトレードマークの妖艶美女・ヒサギ。

 純和風な容姿を持つ彼女達の名は、“うまずたゆまズ”。人間並の意志や感情を持つ、極めて精巧に造られたヒューマノイドであり、世界規模で絶大な人気を誇るトップアイドルである。

 そのトップアイドル・アマネが。

 学校から帰宅したばかりであるカスミの部屋で、横たわっていた。

 ただし、一糸纏わぬ、あられもない姿で。

「え、何コレ。死体? うそ」

 カスミの手から、鞄がドサリと落ちる。混乱しつつも、カスミはそっと顔を覗き込んだ。するとそれまで微動だにしなかったアマネが、パチッと目を見開いた。

「ギャッ!」

「……ジジッ。思考回路とボディを接続していマス……思考回路とボディを」

「えっ、ロボット? これロボット!?」

「……。こんにチハ!」

「ヒッ」

 謎の機械音が聞こえたかと思うと、全裸の美少女はシュタッと立ち上がり、小首を傾げてカスミへ笑いかけた。カスミは腰を抜かしたまま驚くのが精一杯だ。

「ワタシは、『うまずたゆまズ』のアマネデス! 以後よろしくデス!」

「はぁ? え、うまずたゆまズって、……まさか、あの」

「ハイ! そうデス、あのアマネデス!」

 アマネは返事をするように片手を真っ直ぐ上げると、何故かその場で準備運動のようなものを開始した。カスミはしばらくその動きを目で追っていたが、徐々に顔を赤くしていき、遂には顔を背けてしまう。

 少女のような見た目の割には、凹凸のハッキリしている白く滑らかな体。その凹凸が彼女の上下動に合わせて、ブルンブルンと揺れている。

 カスミはそこら辺に落ちていた年季の入った部屋着をひっ掴むと、彼女にそれを着るように指示をした。

 (アマネって……本当にあのアマネ? まさかぁ)

 ヒューマノイドアイドル・うまずたゆまズと言えば、世界中にその名を轟かせるアイドルグループだ。彼女達が出演するテレビ番組は視聴率七十パーセント超えするのは当たり前、つい先日行われた月面ライブは世界同時配信され、視聴者数は世界の人口の約五分の三を占める二十一億人になったとか。

 だがこの世界の住人としては珍しく、うまずたゆまズに興味の無い女子校生がここにいた。それが、カスミだ。

「そんなトップアイドルのアンタが、どうしてこんな所にいるの。不法侵入でしょ、コレって」

 普通の女子校生なら憧れてやまないアイドルである筈のアマネに対し、カスミは警戒心をあらわにした。そこら辺に落ちていたテレビのリモコンを拾い上げると、アマネに対して武器のように構えている。

 ヨレヨレになった部屋着から、スポンと顔を出したアマネは、カスミの様子に気付くとその場に正座をし、礼儀正しく床に額をつけた。

「鍵を無理矢理開けて入ってきてしまい、申し訳ありまセン。実はワタシは、アナタの笑顔を一目見るためにここまで来まシタ!」

「は……?」

「ワタシの命はあと半年で尽きマス。だからワタシは、心残りを無くしたいのデス」

 この胡散臭いロボットは、藪から棒に。しかもロボットの癖に命だ心残りだなんて、一体どういう事なんだ。

 カスミはかなり訝しんだが、ひとまずアマネの話に耳を傾けてみることにした。

「命、は語弊がありましタネ。正しくは、ワタシを構成する核とも言えるAIが、あと半年で動かなくなりマス。停止すればそれっきり。どこの誰にも作動させる事は出来まセン。人間で言えば、死と同義デス」

「……? 何言ってるか、よく分かんないんだけど」

「ワタシがこの事実を知らされたのは、今年の三月一日でシタ。それから三ヶ月で今後の身の振り方を決め、残り三ヶ月はアマネとして求められている全ての活動に全力を注ぎまシタ。そして“卒業”まで残り半年となった昨日、うまずたゆまズ・アマネとしてのワタシに終止符を打ったのデス」

 アマネの話は、カスミにはよく分からなかった。ただ理解出来たのは、アマネはあと半年で動かなくなるという事。そして。

「……あのさ、卒業って何」

「アイドルはいつか卒業して普通の女の子に戻るものデス。だからワタシは自分の死を、“卒業”と呼んでいマス」

「はあ……」

 内容は深刻な筈なのに、アマネはあっけらかんと笑う。その態度がカスミには不思議で、不気味とすら思えた。

「あのさあ、アンタどこかから逃げ出してきたって事? 住む場所とかはどうするつもりなの? ……まさかここに住む気?」

「ハイ! 何でもしますので、置いて下サイ!」

「……」

 カスミの家には、既に有能な家事ロボット・ハナコがいる。彼女一体で充分事足りているものを、あえてもう一体増やす事で得られるメリットは無さそうだ。

 そんな考えが表情に出ていたのだろう。アマネは慌てたように付け加えた。

「勿論お礼は致しマス。ワタシの死後になりますが、このボディを差し上げますので、オークション等で売って下サイ。一生遊んで暮らせるぐらいの額にはなると思われマス」

「あのねぇ、そんなわけ──」

 と言いかけたが、カスミは考えてみた。

 世界一のアイドルと称される、うまずたゆまズ・アマネのボディである。一回握手するだけでも、数十万円はかかると聞いたことがあった。コンサートチケットは百万越え。ファンの数は何十億……。

 そのボディを売るとしたら、果たしてどのくらいのお金になるのだろうか。考えてみると、アマネの話はあながち嘘ではなさそうに思える。

 だが。

 カスミは腰を擦りながら立ち上がった。ため息をつくと、野良猫か何かを追い払うように手を払った。

「その話、断らせてもらう」

「エッ」

「だって普通に考えておかしいでしょ。そんなおいしい話がそう簡単に舞い込んでくる筈がない。しかも笑顔が見たいって何それ、からかってんの?」

「あの、カスミサン」

「うるさい」

 ヘラヘラと笑みを浮かべるアマネをキッと睨み付け、カスミは拳で壁を叩いた。

「帰って。それに何で私の名前まで知ってるの。そもそもどうやってこの家に侵入したの。……これ以上居座るなら、警察呼ぶよ」

 一時の静寂。アマネはまだ何か言いたそうにしていたが、しゅんと項垂れた。その姿を見て罪悪感が生まれたが、カスミは心を鬼にしてアマネを睨み続けた。

 大体このヘラヘラと人間に媚びへつらうような態度がいけすかない。所詮ロボットなのだ。 ロボットが人間のように心残りがあるだなんて、ちゃんちゃらおかしい。

 しばらく睨み続けていると、やがてアマネは立ち上がり深々と頭を下げた。

「仰る通りデス。あなたは正しい、カスミサン。本当に申し訳ございませんでシタ」

 アマネは頭を下げると、そのまま部屋の外へと姿を消した。

 オートロックで玄関が施錠される音が響くと、カスミはため息をつきながらソファにダイブした。

「……はあ。めんどくさ」

 レトロな風貌の家事ロボット・ハナコに声をかけると、テレビ画面が空中に映し出された。その番組では、丁度うまずたゆまズの新曲のミュージックビデオが流れていた。

「『♪あなたと歩く道すがら 舞う恋蛍』」

 何だか落ち着かない。カスミはテレビを消してノソノソとソファから起き上がると、秋風が舞う外の世界へ足を踏み出した。

 午後の穏やかな日差しを指と指の間から透かし見て、カスミは伸びをした。家から程近い公園にあるイチョウ並木の道を歩いていると、彼女の存在に気付いた公園管理ロボットが気さくに声をかけてきた。

『ハロー。良イ天気デスネ』

 カスミは無言でその脇を通りすぎ、黄色い落葉の絨毯を踏みしめていく。管理ロボットは他の通行人にも同様に挨拶をするが、誰もそれに反応する者はいなかった。

「いらっしゃいませー」

 商店街にある有人コンビニに足を踏み入れると、人間の店員による独特なイントネーションの挨拶を浴びる。

 現代のコンビニはほぼ無人化されているのだが、ここのコンビニは数少ない昔ながらの経営スタイルを貫いている。別に有人に拘りがあるわけではないのだが、カスミはいつもなんとなくこのコンビニを利用していた。

 店奥のクーラーボックス。冷気の伝わる取っ手に手をかけると、にわかにレジ付近が騒がしくなっている事に気が付いた。

 有人コンビニにクレーマーが集まるというのは、よく聞く話だ。カスミ自身も何度か目にした事があった。だからきっと今回も、そのような輩が騒いでいるに違いない。

 (めんどくさ。関わらないようにしなきゃ)

 そう思いながらレジに向かったカスミの手から、ゴトンと音をたてて落ちるジュース缶。ジュース缶はゴロゴロと転がっていき、レジの前にいる男の踵にぶつかって止まる。

 全身黒ずくめの男。店員の胸ぐらを掴むそいつが振り返ると、反対側の手元でギラリと光る刃物が見えた。

「えっ」

 男は何故か店員を放し、カスミの方へ駆け出して来た。片手に持つ刃物の鋭い切っ先は、勿論彼女の方を向いている。

 あまりにいきなりすぎて、カスミはその場から動けずにいた。刺されたら死ぬ、や、逃げなきゃ、という言葉が頭に浮かぶことも無かった。質量のある漠然とした黒い恐怖が、彼女の全ての行動を支配しているようだった。

 数メートル先にいた男が、あっという間に一メートル手前まで迫ってくる。

 カスミは反射的に目を閉じたが、その瞬間、色々な事が同時に起きた。まるでジェットコースターのような浮遊感や遠心力に襲われたのだ。そしてドゴッという不穏な音と、くぐもった呻き声。

 気付くと、カスミは丸くなってしゃがんでいた。顔を上げると、派手にとっ散らかった棚の間の狭い道に、泡を吹いて倒れている黒ずくめの男の姿が見える。

「危ないところでしたね、カスミサン」

 背後から聞いた覚えのある高い声がした。振り返り、思わず口元を押さえる。

 アマネだ。カスミのよれたトレーナーとスウェットに身を包んだアマネは、仁王立ちで胸をフフンと張って見せた。

「な……んでアンタがここに」

「それは良い質問デス、カスミサン」

 時が止まったように静まり返っていた店内が、徐々に人の声でうるさくなり始めた。アマネはカスミの手首を掴むと、そそくさと店を後にした。

「にしても刃物で店を襲うとは原始的でしタネ。ビームガンとか、もっとスマートな武器があったでしょうに。カスミサン、怪我はありませンカ?」

「ないけど……」

 イチョウ並木の公園まで戻ってきた二人は、ひとまずベンチへ腰かける事にした。離れた所に見える並木道では、先ほどの管理ロボットが竹箒でせっせと落ち葉を集めている。

「実はデスね、お借りしていたこの服を返そうと思って、カスミサンの足取りを辿っていたのデス」

「え、服?」

「そうデス。やっと追い付いてコンビニに入ったら、あなたが殺されそうでしたので、急遽応戦したというわけデス」

 アマネが言うには、背後からカスミを抱えつつ後方宙返りをし、そのままこちらへ迫り来る男を蹴り上げたらしい。こんな細身のヒューマノイドのどこにそのような力が備わっているのかは謎だが、人類の叡智が結集されたこのボディは、予想も出来ないような驚異的な力を発揮できるとの事だ。

「ではこれからアナタに服をお返しして、ワタシは帰りマス。色々とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでシタ、カスミサン」

「ちょ、ちょっと待ってよ」

 確かアマネは、“抜け出してきた”と言っていた筈だ。無断で脱出してきたという事でまず間違いないだろう。そんな状態で元の場所へ帰ったら、一体彼女の身はどうなってしまうのだろう。

 尋ねてみれば案の定、アマネは悲しそうに微笑んで立ち上がる。

「ワタシは大切な資金源ですから、即刻処分という事はないとは思いまスガ……」

「でもひどい目に遭うんじゃないの? なら戻る必要ないじゃん! どうして戻るのさ」

「……もう一度熟慮した結果、アイドルとして生涯を全うするよう生み出されたワタシが、私利私欲の為にこの命を使うのは、許されないという結論に達したからデス」

 カスミは絶句した。

 たかがロボット。そう思っていた筈なのに、アマネの悲しそうな後ろ姿を見ていると、カスミは胸に迫るものがあった。

 人間に生み出されたロボットが、人間の命令に背き、私利私欲の為に“生きる”のは確かに間違っているのかもしれない。だがアマネの願いとは、カスミの笑顔に見たいと言う私利私欲なんてドロドロとした言葉からはかけ離れたような、健気な願いなのだ。

 それを叶えたい。人間のように“命”が限られているアマネがそう思う事は、果たして許されない事なのだろうか。

 カスミは拳をギュッと握りしめた。背を向けるアマネの後ろに立つと、その手にソッと触れた。

「ねえ、何で私なの?」

「エ?」

「どうして私を選んだの」

 振り返ったアマネの目は、何度も瞬きを繰り返す。彼女は顎に指を当てて暫し沈黙すると、急に真面目な顔付きになってカスミを見た。

「カスミサンは一年前の五月五日、ここから二十七キロメートル離れたショッピングモールにいました。そうでスネ?」

「え?」

「午後二時五十八分、あなたは三階にあるワタシのイベントスペースに設置されていたディスプレイを見ていまシタ」

「いや、いちいち覚えてないよ」

「いいえ、これは確かな情報デス。ワタシの記憶データの中にしっかりと残されていますノデ」

 真剣、というか無表情に近い面持ちでアマネはそう断言した。どうやらAIとして複雑な思考をしている時は、表情が無くなるらしい。

 すると、アマネの目が不思議な輝きに包まれた。その目からは虹色のビームのようなものが出現し、空中にとある像が結ばれる。それを見たカスミは、顔を赤くして狼狽えた。

「ちょ……何これ! 私じゃん!」

「そうデス、これがあの時ディスプレイを見ていたカスミサンデス。ワタシはこの時のあなたの顔を、ずっと大切に記憶してきまシタ」

 眉根を寄せ、うろんげなものでも見ているようなどんよりとした表情のカスミが、フッと消える。アマネが目を閉じたのだ。カスミは内心ホッとして、辺りを見回した。誰かに見られていなかっただろうか。

 アマネはそんなカスミの様子を見てクスクス笑みを溢すと、再びベンチに座り直した。

「……ワタシ達が開発者から書き込まれた最初の命令は、“開発者の命令には絶対服従”でシタ」

 開発者が歌えと言えば歌い、踊れと言えば彼女達はプログラムされた通りに踊った。

 そうした訓練を重ねてデビューした彼女達はあらゆる媒体で活躍し、また世界に一つしかない最新鋭の技術を結集したボディで精力的に活動に励んだ。

「不思議な事に、悲しみに泣き暮れている人も、争っているヒトも、ワタシ達の歌や踊りを見たヒトは皆必ず笑顔になりまシタ。最初は全く何も感じませんでしたが、いつしかワタシはそれを“面白い”、“楽しい”と感じるようになりまシタ。そしてもっとヒトを笑顔にしたい、楽しませたいと思うようになりまシタ。デスが」

 人差し指をピンと伸ばすと、アマネはウインクをした。

「ワタシのパフォーマンスを見て笑顔にならないヒトが、一人だけいました」

 アマネはカスミを横目で見た。私? とカスミが自分を指差すと、アマネは笑みを滲ませながらコクリと頷いた。

「こんな事は初めてでシタ。どんなにワタシ達に興味がないヒトでも、ワタシ達のパフォーマンスを十秒も見れば興味を持ってくれましたカラ。しかしアナタはどれだけワタシ達を見ても興味を抱かず、その内に背を向けてどこかへ行ってしまった」

「そうなんだ……」

「そうデス。でもワタシは何故かアナタの事がとても印象に残りまシタ。アナタの事を知りたい、そしてアナタの笑顔を見たい。そう強く思いまシタ」

 だが、その日以降カスミがうまずたゆまズのイベントを観に来る事はなかった。そして約一年後、アマネは自分の寿命を告げられた。

 アマネの思考回路に真っ先に浮かんだのは、カスミの事だった。いつかカスミの笑顔を見ると決めたのに、果たしてこの一年で彼女の笑顔を見る機会は訪れるのだろうか。確率を算出してみると、それはかなり低いものだった。

 その限りなく低い確率に賭けてみるべきか、それともその確率を上げる行動を起こすべきか。アマネは長期間思考を重ね、そして遂に結論を出したのだ。

「カスミサンに会いに行き、そして彼女を笑顔にする。それが、ワタシの出した結論でシタ」

「……」

「その後、最も強固にプロテクトされていた“開発者の命令には絶対服従”という命令の書き換えに成功し、アナタの個人情報を調べあげて今に至りマス。カスミサン」

 アマネはカスミの手をそっと包み込んだ。女の子らしい細い指はひんやりと冷たかったが、力強くカスミの手を握りしめた。

 カスミの胸には何とも言えない感情が込み上げていた。ヘラヘラしやがってと見下していたロボットに、まさかそんな背景があっただなんて。カスミは少し前までの自分を恥じた。

 そしてかなり認めたくないが、ほんの少しだけこう思った。

 何だか、コイツはほっとけない。

「さあ、他に質問はありまスカ? ワタシは服をお返しして、元の場所へ戻らなければ」

「……あのさ」

 カスミは上目でアマネを見つめると、その形の良い鼻を指で弾いた。いきなりの事に戸惑ったアマネは瞬きを繰り返し、鼻を押さえた。

「あの、カスミサン?」

「ここで服を脱ぐとかどうかしてる。んでもって、その服はいらない。ボロいし」

「エ? デモ……」

「今日はもう日が暮れるから、明日町へ出直そう。そんなボロい服でそこら辺を出歩かれたら、恥ずかしくってありゃしない」

「……それはつまり、ワタシを家に置いて下さるという事でスカ?」

 アマネの目が、子供のようにキラキラと輝く。カスミは苦虫を噛み潰したような表情をしながら、手を差し出した。

「……いちいち言わせんな! さ、早く帰るよ! お腹空いた!」

「あっ、ありがとうございマス!!」

 重なりあう二人の手の影が、夕焼け色に染まったアスファルトに長く伸びた。そしてその影は、同じ方向へと歩きだしたのだった。

修正履歴

  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/08/09)
  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/24)
  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/24)
  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/24)
  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/24)

修正履歴を見る

  • 7拍手
  • 0笑い
  • 1
  • 0怖い
  • 0惚れた

コメントはありません

コメントを書く

とじる

 翌朝、カスミは物音で目を覚ました。寝ぼけ眼でぼんやり天井を眺めていると、微かに漂ってくる香ばしい匂い。家事ロボットのハナコが朝食の支度をしているのだろう。ならば十分に二度寝する時間はある。そう思って再び瞼を閉じるのだが。

 ガチャン、パリンという耳障りな音が響き、カスミは慌てて飛び起きた。ドタドタ足音をたてながら部屋のドアを勢い良く開けると、まるで空き巣被害にでもあったかのような惨状のキッチンの中で、何らかの作業に勤しむアマネと目が合った。

 トレードマークのハーフツインテールをピョンピョン揺らす彼女が大事そうに抱えているのは、黒焦げの何かが載った大皿だ。

「おはようございます! カスミサン、朝食が出来ました!」

 十分後、着替えを済ませたカスミはアマネに促されるまま食卓についた。彼女の目の前には、とても料理とは言えないような代物がズラリと並んでいる。

 カスミはその中でまだまともそうな、焦げ具合がマイルドな目玉焼きを手に取った。

「それは目玉焼きデス! かけるのはソースデスか? 醤油デスか?」

「……醤油で」

「ストップって言って下さいネ」

 醤油さしを見付けられなかったのだろう。ボトルのままの醤油を持ってきたアマネは、その上にドボドボと醤油を注ぎだした。慌ててストップと叫んだが、時既に遅し。

「い、いただきます……」

「美味しいデスか?」

 アマネの期待に満ちた視線にさらされながら、カスミは目玉焼きにかぶりついた。わかっていたことだが、当然塩辛くて苦い。それでも何とか眉間に皺を寄せながら食べきると、アマネが盛大に拍手をした。

「ワーオ! 完食ありがとうございマス! まだまだおかわりが──」

「ハナコ」

「……ハナコさん?」

 カスミの一声で起動したハナコは、キュルキュルと底部の車輪を転がしながらやって来た。振動で揺れる、可愛らしいフリルのついたハナコのエプロン。ハナコはカスミの近くでストップすると、単調な声を発した。

『何カ御用デショウカ』

「これ全部さぁ……美味しく食べられる状態に戻せる?」

『カシコマリマシタ』

「あとキッチンの片付けもお願い」

『了解デス』

 万能家事ロボットハナコにより、所狭しと並べられていたアマネの料理があっという間にキッチンへと運ばれていく。その様子を悲しそうに見つめるアマネ。

「カスミサン、お口に合わないのならワタシが作り直しマス」

「あのねえ、アマネ」

 バン! とテーブルを叩きながらカスミが立ち上がる。深呼吸をしてそれまで昂っていた感情を鎮めると、キッとアマネを見据えた。

「家事は全てハナコに習いながらやって。自分勝手にやるのは、禁止」

 アマネはぱちくりと瞬きを繰り返す。やがてニッコリ笑うと、明るく言った。

「わかりました、カスミサン!」

 片付けや身支度等を終えた頃には、もう昼を過ぎていた。部屋着にグルグル眼鏡姿のアマネとカスミは、連れ立って外を歩いていた。

 残念ながら、アマネは今着ている服以外にサイズの合う服が無い。メリハリのある体型であるアマネと、上から下までつるぺったんのカスミ。人工的に作られた体型とはいえ、その格差に不公平感が募る。

 イチョウ公園に差し掛かると、落葉を箒で掃いていた公園管理ロボットが声をかけてきた。

 

『ハロー。良イ天気デスネ』

「ハロー! ワタシはアマネデス、あなたの名前は何デスか?」

「ちょっ……! 何してるの!?」

 スキップしながら公園管理ロボットに近付いたアマネは、額からコードのようなものを伸ばしてロボットの額に接続していた。そのコードはまるで怪物の触手のようにグロテスクで、カスミは慌てて二人を引き剥がした。

「オウ、何をするのデスか。まだ同期中デス」

「公衆の面前でそんな事やめてよ! 怖いって!」

「それは申し訳ありまセン。ですがこれがロボット同士の挨拶なのデス」

「はあ!?」

 彼の名前はジェイコブと言うそうデス、と言いながら、アマネはジェイコブと親しげに腕を組んだ。只の公園管理ロボットである筈のジェイコブも、まるで喜んでいるかのように陽気な音楽を流し始める。ロボットとはいえ名前からして男性っぽいので、アマネのような美少女には弱いのだろうか。

 ひょっとしたら、自分が寝ているうちにハナコともこのような挨拶を交わしていたのだろうか。そう考えると背筋に冷たいものが走り、カスミはアマネを引っ張りながら急いで目的地を目指した。

 二人がやって来たのは、町で一番栄えている商店街である。規制線が張られている昨日のコンビニを通りすぎると、アマネが「あ!」と言いながらとある店を指差しながら駆け出した。

 その店は、“ブティックぬまた”と看板の出ているレトロな雰囲気漂う店だった。勝手に中へ入って行くアマネを追い、ムッとしたカスミが後へ続いていく。

「いらっしゃ~い。あら、美人さんねぇ」

「ワーオ! 素敵な店デスね。ここは服屋さんですか?」

「あの、ちょっと」

「そうよぉ。何か試着してみます?」

「ハイ! 是非!」

 カスミが会話に加わる余地がないまま、勝手に話が進んでいく。華美な装飾品をじゃらじゃらと付けた小太りの中年女性店主とアマネは、楽しげに店奥へと姿を消していった。

 ごちゃごちゃと洋服が並べられた店内。一人取り残されたカスミは、靴の試着用椅子に腰掛けると長いため息をついた。

 (なんか……疲れた……)

 昨日アマネの覚悟を聞いて、心が動かされたのは確かだ。だから柄にもなくアマネの願いを聞き入れてしまった。誰かと暮らすなんて、まっぴらごめんだと思っていたのに。

 けれども彼女との暮らしは、まだ二十四時間すら経過していないにも関わらず相当キツい。他人に自分のスペースを荒らされるのは、とんでもなく苦痛だ。

 (でもおいでって言っちゃったしなあ)

 気分はどんより曇り空である。

「お客さーん、出来たわよぉ」

 店主の受かれた声が、カスミを現実へと引き戻す。手を引かれるままに試着室を覗いたカスミは、口をあんぐり開けて絶句した。

「カスミサン、似合いまスカ?」

「お似合いよぉ~! とっても攻撃的でイイ感じだわぁ」

「そうデスか?」

 大きくリアルな虎の顔が描かれたトレーナーに、牛柄のミニスカート。その下には原色のレギンス。トレーナーの背中部分には、行書体で『猛虎』とプリントされている。

 まさか、こんな服を本当に買わせる気なのか。二人とも自分をからかっているのでないか。カスミはそう疑いながら二人の顔を見比べるのだが、店主はともかくアマネは満更でもなさそうだ。鏡に写った自分に、うっとりと見入っている。

「どうします? お客さぁん」

「カスミサン、いいデスか?」

「……まあ、本人が気に入っているのなら」

 ッチーン!

 古いタイプのレジスターが店内に鳴り響く。

「お買い上げありがとうございまぁ~す!」

 ガヤガヤと騒がしい商店街を、満面の笑みを浮かべたアマネと、ゲンナリと暗い顔をしたカスミが歩いていく。人とすれ違う度にヒソヒソと後ろ指をさされているような気がして、居心地が悪い事この上ない。

 無理もない。珍奇な組み合わせの服を着て、変装用の瓶底グルグル眼鏡をかけたハイテンションな女の横を通りすぎて、振り返らない方が難しいだろう。

「カスミサン、見て見て! 本物の赤ちゃんデス!」

 好奇心旺盛なアマネは、次々に興味あるものを見付けてはそちらへ駆け出していく。カスミは懸命にアマネの手を引いて止めるのだが、結局彼女の力に負けてしまい、散歩中の犬に引っ張られる飼い主のようにその後をついていく羽目になった。

 そして空が夕色に染まる頃、二人は近所の川へと足を運んでいた。勿論、アマネが川を見たいと言ったからだった。

「これが本物の川なのデスね! 雄大デス……!」

 いやいや、それはないでしょとカスミは内心突っ込んだ。一見キレイそうに見える川だが、足元の砂利にはゴミがまじっていたり、ポイ捨てされたゴミらしき物がプカプカ浮かんでいたりする。

 環境問題は二百年前に比べると、随分良くなっていた。石油資源に代わる新しい、しかもクリーンなエネルギー源が発見されたり、ゴミ対策に関してもリサイクル率が格段にアップしたのだ。

 だが人々の意識はあまり変わってはいなかった。まだこのようにポイ捨てをする人間が一定数存在するのが証拠だ。

「カスミサーン!」

 流れゆくゴミを眺めていると、アマネがハーフツインテールを振り乱しながらこちらへ走ってくるのが見えた。気を抜いた隙にまたもやどこかへ行っていたらしい。

 しまった。まあ自分で帰って来たのだから良いか。そんな風に納得するカスミ。彼女はこの一日で、大分精神をすり減らしていた。

「おかえり……」

「ただいまデス! 実はあそこに本物の釣り人がいましてね、見学させてもらっていたら特別に分けてもらったのデスよ!」

「ああ、そう。良かったね」

「良かったらカスミサンもどうぞ!」

 アマネはニコニコとしながらカスミの手のひらをグイグイと広げた。もう好きにしてくれとばかりに身を任せていると、その手の上に湿り気のある何かがネチョリとのせられる。

 能天気な笑みを浮かべたアマネが口を開くのと、手の中身を見たカスミが絶叫したのはほぼ同時だった。

「ゴカイとイソメという虫エサらしいデス! これで魚が釣れるらしいデスよ!」

「ギィエエエエ!!!!!」

 大きくのけ反ったカスミの手からヌメヌメしたエサがポーンと飛んでいき、川の中にボチョンと落ちる。そのエサをちょうどキャッチするかのように中から魚が現れ、大きくうねりながら水上へ飛び上がると、派手な水しぶきをあげて水中へ帰っていった。

 アマネは嬉しそう跳び跳ねながら拍手をした。

「ワーオ! おじサンの言う通りでした! 素晴らシイ!」

「い……い……」

「い? どうしました、カスミサン?」

 アマネはキョトンとしながら、わなわなと震えるカスミの顔を覗き込んだ。その時、彼女に搭載された高性能の集音機能を備えた耳は、ブチッと何かが切れる音を聞いた。

「いい加減にしろおぉぉ!!」

 静かな川辺にこだまする、カスミの魂の叫び。カスミはアマネの肩をわし掴むと、ガクガクと揺さぶりながら怒鳴り付けた。

「アンタは勝手すぎるんだよ!! 朝から人の部屋は荒らすわ、相談もせずに行きたい所ばっかり行きまくるわ!! 遠慮ってモンを知らんのかあぁあ!!」

「ワ、オワオ、ワオワーオ」

「もう無理! アンタなんかどっかに行っちまえ、もう知らない!!」

 カスミはアマネからパッと手を離すと、川に沿って反対方向へと駆け出した。かなりの間振り返らずに息が切れるまで走りきると、ぐったりとその場にしゃがみ込んだ。

「ああ……疲れた……死んでしまう」

 とりあえず虫の手をキレイにしたかったので、川縁のなるべく虫のいなさそうなところでゴシゴシと洗い始める。手を洗っていると、水面に映る自分の顔が見えた。それがアマネの記憶映像で見た不細工顔そのまんまの表情だったので、カスミは慌てて表情を元に戻した。

「私って、人前でこんな顔してるんだ……」

 先程アマネに吐き捨てた罵詈雑言の数々が、呪いのように頭の中をぐるぐると駆け巡っている。胸の辺りがずっしりと重いような気がするのは、罪悪感というやつだろうか。

「いくらなんでもちょっと言い過ぎたかな……。いやいやあれぐらい言っとかないと伝わらないって! ……でもなあ」

 アイドルだから、罵詈雑言の一つや二つ軽く受け流せるものなのだろうか。けれどアイドルだって人間だ。いや彼女はヒューマノイドだが、でもとにかくたとえ表面上ではニコニコとしていても、心の内ではきっと大粒の涙を流して泣いているに違いない。

「……謝った方がいいかな」

 ポツリと呟いた時、小さな鳴き声が聞こえてきた気がした。気のせいか? だが辺りを見渡すと、すぐさまその姿を発見した。

 声の主は、子猫だ。川縁に生えている低木の先の、大きくたわんだ枝の先で鳴きながら丸まっている。枝の先は、流れの速い川面スレスレだ。カスミは慌てて子猫の近くへ駆け寄っていった。

「どうしよう、誰か呼ばなきゃ! ……って言っても周りに誰もいない時はどうすりゃいいんだ!」

 どうしたらいいかも分からず、ただアタフタする時間だけが過ぎていく。子猫は今にも冷たい川の中へ落っこちてしまいそうだ。

 カスミは咄嗟に何歩か踏み出したが、片足がバシャッと冷たい水に浸かったところでハッと思い止まった。

 (いや、下手したらこれ私まで死ぬんじゃないか? 自然界は弱肉強食って言うし、命の危険にさらされるくらいなら、陳腐な同情心で手を出したりしない方がいいのかな)

 水に浸かった足を引いて、カスミは後ずさる。その間も必死に助けを求める子猫の声が、水の音にかき消されかけながらも響き渡っていた。

 カスミは心臓がぎゅっと縮まる思いがした。ひょっとしたら今自分は、とてつもない選択の岐路に立たされているのではないか。そう思えてさえくる。

「……何も見なかった事にして、帰ろ」

 くるりと背を向ける。だがひっきりなしに聞こえてくる子猫の鳴き声が、足取りを重くさせる。

 やっぱり、放っとけない。カスミは立ち止まると、振り返って物凄い勢いで駆け出した。

「猫ー!! そこから動くなよ!!」

 大声で叫びながら川にじゃぶじゃぶと足を踏み入れていく。しかし川の流れが行く手を阻んで、なかなか子猫の位置まで辿り着くことが出来ない。

 そうしている間に枝がボキンと折れて、猫が川の中に落ちてしまった。真っ青になった彼女は、我を忘れて水の中へ潜ろうとする。のだが。

「ワタシにまかせて下サイ!」

「えっ!」

「ターボジェット、オーン!!」

 背後から声がかかったかと思うと、綺麗な軌跡を描いて何かが川へと飛び込んだ。カスミの側で浮いている、見覚えのあるグルグル眼鏡。懸命に伸ばしたカスミの手は、眼鏡のツルをしっかりと掴んだ。

「アマネー!」

「オラ、お前は早くこっちへ来やがれ!」

 川の中で立ち尽くしていたカスミの肩が、突如背後から強い力で引っ張られる。

「えっ、何」

「いつまでも突っ立ってんじゃねーよ、危ねぇだろボケが!!」

 慌てて振り向く。いつの間にか、誰かが自分の真後ろに立っているではないか。グイグイと強い力で引っ張られるので、カスミは彼の誘導に従って川岸へと向かった。

 全然知らない人だ。相手は帽子を目深にかぶっていたので、顔は全然分からない。水をかき分けていく背筋は逞しく、ランニングから伸びた腕はかなり筋肉質だ。聞いた声もまあまあ低かった。

 たまに川底の石に足を滑らせながらもなんとか川から上がってくると、川岸では子猫を胸に抱いたアマネが待っていた。

「カスミサン、やりましたよ!」

「アマネ!」

 二人は互いに走り寄り、無事を喜び合った。

「危ない所でシタ。でももう大丈夫デス」

「ああ! 良かった……良かったねぇ、猫」

「サア、早く濡れた体をなんとかしまショウ」

 アマネに促され、カスミはずぶ濡れの体を引きずるようにして歩き出した。その時ふと男性の存在を思い出して振り返ったが、驚くべき事に周りには誰もいない。自分達だけだ。

「カスミサン? 何をしています?」

「あっ、ゴメン」

 カスミはなだらかな傾斜の川岸を駆け上がると、アマネに続いて自宅への道を急いだ。

 家に帰るとカスミはすぐハナコに指示してお風呂の用意をした。子猫はずっと震えていたが、体をじわじわ温めてやると体温が戻ってきたようだ。落ち着いてきたところで体を乾かし、皿にミルクを注いで差し出すとペロペロ舐め始めたので、二人はホッと胸を撫で下ろすのだった。

『オ風呂ガ沸キマシタ』

 風呂場から鉢巻を巻いたハナコが顔を出す。とりあえず子猫の世話はハナコに任せる事にして、カスミはお風呂に入る事にした。

 濡れた服を脱ぎ、キッチンでそれを搾っていたアマネの手をひっ掴みながら。

「え? ワタシも行くのデスか?」

「勿論。体冷たいじゃん」

 ずっと前に『アイドル水中運動会』に出演している所をチラッと見かけたので、防水である事は確かだ。ヒューマノイドであるアマネには入浴は必要ないのかもしれないが、カスミはどうしてもアマネを連れていかなければならない理由があった。

 と言うのも、カスミはアマネに謝りたかったのである。ただ、面と向かっては謝りにくいので、お風呂の力を借りることにしたのだ。

「内部温度上昇中……。ワタシ、温泉ロケはやらせてもらえなかったので、お風呂は初めてデス。あったかいデスね!」

「うん……」

 小さな湯船に、肩を並べて浸かるアマネとカスミ。ちなみに何故アマネが温泉ロケを任せられなかったかと言うと、落ち着いてレポート出来ず、はしゃいでしまうからだそうだ。その光景がありありと想像出来て、カスミは内心噴き出した。

 さあ、どのようにして謝ればいいのだろうか。とりあえず先程の礼が先だろう。カスミはチロッとアマネを見て、モゴモゴと口元を動かした。が、思っている言葉は素直に出て来てくれやしない。

「あの……あのさ」

「ハイ? なんデスか?」

「いやその……。……足の裏、どうなってんの?」

 一瞬キョトンとするアマネ。カスミは心の中で頭を抱えた。ここ最近人と関わっていないから、ありがとうを言うタイミングが掴めない。かわりにどうでもいい事を聞いてしまい、彼女は非常に後悔していた。

「ワタシの足の裏は、パカパカ開くようになっています。先程はジェット燃料を燃焼させてロケットのように飛び上がりましたが、トゲトゲを出して急斜面を登る事も可能デス。見まスカ?」

「いや、遠慮しとくかな……。それにしても便利だね」

「ハイ! ワタシには人命救助機能も備わっているので、開発者に感謝デス!」

 ニコニコしながらそう語るアマネに、カスミは浴槽から上がるように言った。小さな風呂椅子に座ってもらい、泡立てたスポンジをその傷一つない滑らかな背中へ押し付ける。

「ワーオ! これは伝統の『背中流し』デスか? 昔のテレビで見たことがありマス」

「あのさぁ……」

「ハイ?」

「あ……アリガト、ね」

 カスミが呟くようにそう言うと、突如アマネの頭が百八十度回転した。真後ろに立っていたカスミは驚きのあまりずっこけそうになった。

「いきなり何!? 心臓止まるんだけど!」

「カスミサン……」

「何さ。……ちょっと、何か言ってよ!」

 カスミの顔は徐々に赤くなっていった。逆上せたせいではない。振り返ったアマネが、まるで幼い子どもが大人に褒められた時のようにくしゃっとはにかむので、気恥ずかしくなったのだ。

「アマネ! もう上がるよ!」

 桶ですくったお湯を一浴びし、カスミは足早に風呂場を後にした。なるべくアマネの顔を見ないようにしながら自分と彼女の体を拭いてパジャマを着ると、狭いベッドで二人並んで眠るのだった。

  • 6拍手
  • 0笑い
  • 1
  • 0怖い
  • 0惚れた

コメントはありません

コメントを書く

とじる

──カスミ。お前は明日からここを離れて別の学校へ通いなさい。

──はぁ!? なんでよ!!

 カスミは父親と口論している自分の夢を見ていた。これは実際に起きた出来事だ。

 都会にある実家の自室の景色。派手に散らかした勉強道具や喧嘩のせいで割れた写真立ても、リアルに夢となって再現されている。

──そこでお前は一から友達を作りなさい。人は一人では生きていけないのだよ。

──いらないいらない! 友達なんてくそくらえだ!!

 夢の中の自分があらん限りの声で泣き叫んだ所で、カスミは夢が覚めた。カーテンの隙間から射し込む白っぽい朝の光。

 現実世界でも叫んでいたのだろうか。少し喉がヒリヒリしているような気がしたが、カスミはそのまま起き上がりリビングへと向かった。

「あ、おはようございマス! カスミサン!」

『オハヨウゴザイマス』

 キッチンではフリフリエプロン姿のアマネとハナコが朝食を運んでいた。部屋中を漂う香りからして、昨日のような変なものではない事は確かだ。カスミはホッと胸を撫で下ろすと、席についた。

 ずらりと並べられた様々な料理。あまり美味しそうには見えないが、昨日より見た目は良い。

「ハナコサンに教えてもらいながら作りまシタ! お口に合えばいいのデスが」

 期待に満ちたアマネの視線を浴びながら、カスミは味噌汁を啜ってみた。いつもの味。

 アマネの視線が「美味しいデスか!?」と訴えかけてくる。カスミは視線を伏せて、ゴクゴクと汁を飲み干した。

「さて、今日は何をするのデスか? またお買い物に行きまスカ?」

「いや、今日は平日でしょ。学校行くけど」

「ガッ……コウ?」

 食器を下げようとしていたアマネの手から、プラスチックの皿が床へと落ちる。皿を割りやすいアマネを警戒したハナコが、使用する食器を変更したのだろう。ナイス判断だ。

 うまずたゆまズに目立った動きがないかネットニュースを確認していたカスミは、プルプルと震えたまま動こうとしないアマネを不審に思って顔を上げた。

「え、何?」

「学校って……あの、パンをくわえながら走ってたら曲がり角で男子とぶつかって、その男子が転校生としてやってきて隣の席に座るっていう、あの学校デスか!?」

「いや、ちょっと違うけど……」

「宿題を忘れたら水の入ったバケツを持って廊下に立たされるっていう、あれデスよね!?」

「はあ……まあ大体そうだけど」

「そうなんデスか!? すっ、素晴らシイ!!!」

 アマネは手をワナワナとさせながら、いたく感動しているようだ。ずっと管理された生活を送っていたせいか、普通の暮らしに随分憧れがあるらしい。それにしても学校に対する知識が、一昔前のものばかりすぎる。

 カスミはツッコもうかと思ったが、止めておいた。目を輝かせたアマネが、なんとなく予想していた言葉を口にしたからだ。

「ワタシも行きたいデス! 学校!」

「無理。留守番してて」

「行きマス! 必ず!」

「生徒じゃない人は行けないの。だから待ってて」

「こんなにお願いしても駄目なのデスか!? それはあんまりデス!!」

「……うぅ」

 しばらく問答を繰り返したが、結局アマネの熱意に負けたカスミは、彼女の学校行きを許可する羽目になった。だがさすがにトップアイドルであるアマネを連れていく訳にはいかない。

 そこでアマネが妙案を思い付いた。彼女が密かに持ち出してきた小型のシール型端末へ、彼女本体の意識を転送させ、その端末をカスミが持ち歩く事で学校生活の疑似体験をしようと言うのだ。

 アマネはそのシールを、制服の胸元にあるポケット表面に貼り付けた。あっという間にテストを済ませ、カスミが制服を着に戻ってきた時は、既に意識の転送を終えていたのだった。

『カスミサン! 準備オーケーデス!!』

 ボタンから聞こえてくるアマネの声。傍らではアマネのボディが、ベッドにもたれ掛かるようにしてスリープ状態に入っている。カスミは何とも言えないものを感じながら、渋々といった様子で制服に袖を通した。

 (あんな所に行きたいだなんて……。アマネも物好きだな)

 ため息をつくと、アマネが興奮気味に『どうしたのデスか!?』と尋ねてきた。カスミは曖昧に返事をして誤魔化すと、家を出たのだった。

 カスミが元の学校を退学になったのは、その性格のせいだった。元々歯に衣着せぬ性分だった彼女は、思ったことは何でも言わなければ気が済まなかった。それがたとえ暗黙の了解で皆が口を閉ざしている事でも、カスミは堂々と本人に伝えた。

 勿論それでトラブルが起きないわけがない。それでいてカスミ本人には悪気がないのだから、話は厄介だった。

 結局カスミの言葉にショックを受けた生徒達が不登校となり、その数が二十を超えたため彼女は退学処分となったのだった。

 カスミの新しく通う高校は男女共学の、普通の高校だ。ただ施設は古臭く、服装の形態も旧時代の風合いだ。

『これが学校……! 夢にまで見た憧れの学校なのデスね!』

「ちょっと、喋る音量下げてくれない? 他の人に聞こえるんですけど」

 校門を過ぎて校舎へ向かっていると、端末のアマネが騒がしくなってきた。慌てて小声で注意すると、ようやく声量が小さくなる。

 ひとまずホッとしたのも束の間、次はカシャカシャとけたたましくシャッター音が鳴り出した。

「ちょ、何してる!」

『二百年前の言葉で、女子高生の事をJKと言うらしいのデス。今日の記念に、リアルJKの写真を沢山データに残しておこうと思いまして』

「アホかっ! 盗撮は犯罪でしょ、やめてよ!」

 つい大声で怒鳴ってしまうと、周囲を歩く生徒達の視線が一斉にこちらを向いた。カスミはそそくさと物陰へ逃げ込むと、おもむろにシール型端末をベリッと剥がし、メンコのように地面へと投げ付けた。

『ああっ、何をするのデス! 壊れたらどうするのデスか!』

「うるさいっ! 言う事を聞かないならおいてくよ!」

『うぅ……。スミマセン、カスミサン。おとなしくしますので、元通りにしてくだサイ』

「……チッ」

 端末から土下座するアマネのホログラムが浮かび上がる。腕組みしたカスミはしばらく彼女を睨んでいたが、やがてシールを元に戻してやった。

 が、二人の間に鳴り響く二回目の舌打ち。

「何。態度悪いよ」

『いえ、ワタシではありまセン』

「おい」

 唐突に投げかけられるデスボイス。振り向いたカスミの心臓は飛び出そうになった。

 いつの間にか背後に立っている、仁王像のような厳めしい男。つやつやしたオールバックのヘアスタイルに、時代遅れの変形学生服。眼光は刃物のように鋭く、口には白く細長い何かをくわえている。

 カスミは頭が真っ白になった。ヤンキースタイルの男は、ポケットに突っ込んでいた手をゆらりと引き抜き、地面を指差した。

「てめぇ」

「……何」

「ゴミ捨てただろ」

 カスミは目だけを指し示された方へ向け、ブルブルブルと首を振った。ヤンキーはもう一度辺りを確認すると、紛らわしい真似すんじゃねぇ、と吐き捨てて去っていく。

 ヤンキーがある程度離れてから、けたたましいシャッター音が響き渡った。アマネだ。

『これが伝説のヤンキーなるものデスか! すごい迫力でしたね、カスミサン!』

「……はー疲れる」

 カスミはため息をつくと、端末をビシッと指で弾いた。

「オハヨー」

「ねえねえ、うまずたゆまズが出た番組録画し損ねちゃったんだけど、誰か見せてくれない?」

「あ、いいよ~」

 ワイワイガヤガヤと騒がしい教室内。カスミは楽しそうにはしゃぐ女子達の真横をすり抜けて、自分の席に鞄を置いた。持ってきたタブレット型教科書等を取り出していると、胸元のアマネ端末がコショコショと囁き始めた。

『カスミサン、カスミサン』

「何」

『お友達と挨拶をしないのデスか』

「しない」

 始業時間ギリギリに登校した為、すぐに担任が教室へ入ってくる。そのままホームルームや授業が始まり、長い午前中が終わった。

 教室内が昼休み特有の空気に包まれる中、カスミは鞄を持ってトイレへと向かう。彼女は個室に入ると、蓋をした便座の上に小さく畳んだビニールのような物を置いた。

 そのビニールから伸びる、ちょろんとした紐。それを引くと瞬く間にビニールが膨らみ、小さなドーム状のスペースが出来上がった。結構狭いが体がスッポリと収まるので、一人で過ごす分には申し分ないスペースである。

 カスミは慣れた動作でその中へ入ると、鞄から出したパックタイプのゼリージュースを飲み始めた。

『カスミサン、カスミサン』

「何」

『何故教室でご飯を食べないのデス?』

「別に、教室で食べるように強制されてるわけじゃないし」

『これは何デスか? トイレット・ミール・シートと書いてありますが』

「便所メシ用に開発されたシート。その昔は便座に直接座ってご飯を食べてたんだってさ。便利になったもんよね」

『便所メシ、とは?』

「……昔からさ、生徒の一部で地味にブームなんだよね。コレ」

 ジュース飯はすぐに終了した。大した腹は膨れないが、栄養的にはこれで充分なのだ。

 カスミはインターネット端末を取り出すと、朝に調べ損ねたうまずたゆまズのニュースを調べ始めた。フォン、と宙に浮かび上がるインターネット画面。特に気になるニュースは無いが、とある記事に目が止まった。

“うまずたゆまズ・アマネ 謎のブログ更新停止 密かに囁かれる脱退説”

『カスミサン』

 カスミは操作していた端末の電源を切ると、シートから抜け出した。アマネの呼び掛けを無視しながらシートの空気を抜いていると、再び呼ばれる名前。カスミはうざったそうにため息をついた。

「何さ」

『ずっと思っていたのデスが、カスミサンはなぜ他の人のようにお友達と会話をしないのデスか? 皆サンは楽しそうに話しているのに』

「あれは友達同士だからでしょ。私は違うもん」

『カスミサンはお友達がいないのデスか?』

 一から友達を作れ。父はそう言ってカスミを送り出したが、カスミとて心に深い傷を負っていた。

 もしまた自分の性格のせいで、クラスメイトを不登校にさせてしまったらどうしよう。そう思うあまりに、カスミは他人と上手く話せなくなってしまったのだ。

 そしてカスミは結局、クラスの“空気”のような存在となってしまい、今に至る。

 カスミはアマネの問いかけを無視してトイレを出た。もう間もなく午後の授業が始まるのだ。急ぎ足で教室へ戻る。

 だが手前に差し掛かった所で、ピタリと足を止めた。そして、それ以上入れなくなってしまった。

『カスミサン?』

 動かなくなったカスミを不審に思ったアマネは、カメラをズームにして彼女の視線の先に何があるのか観察した。

 カスミの視線の先にあったのは、一組だけ列から離れたイスと机。そしてその上には、昼食時に出たゴミと思われるものが、袋に包まれて置かれている。勿論カスミのものでは無さそうだ。

『カスミサン』

「……黙って」

 カスミはゆっくりと出入口の桟を跨ぐと、自分の机へと近付いていった。ガヤガヤと騒がしい教室の中で、カスミの動きを注視する者は誰もいない。

 遂にカスミは机の前で立ち止まる。無造作に置かれたゴミの山。教室の前に置かれているゴミ箱。単純に考えてこれらのゴミをあちらへ捨てればよいだけなのだが、なかなか踏ん切りがつかずゴミを掴むことが出来ない。

 それでもようやく思い立ったカスミが手を伸ばしかけると、その手首がいきなり誰かに掴まれた。びっくりして顔を上げると、そこには今朝外で出会ったヤンキーが不機嫌そうに立っていた。

 カスミはピキンと固まった。何故あのヤンキーがここに。だがヤンキーはカスミの手を払うと、教室じゅうに響き渡るような大声で怒鳴り始めた。

「ここにゴミを置いた奴、今すぐに出て来やがれ!!」

 あまりの大声に、しーんと静まり返る教室内。まるで太鼓を間近で鳴らされた時のように、カスミの全身がビリビリと震える。

 ややあって、数名の男子がオドオドしながら近寄ってきた。ヤンキーは彼らをギロリと睨み付けると、その内一名の胸ぐらを掴み上げた。

「ヒイィッ!」

「テメェ、ゴミはゴミ箱に捨てろってパパママから教わらなかったか」

「おおお教わりましたぁ!」

 掴まれていた服をパッと離された一名は、机の上のゴミをかき集めるとダッシュでゴミ箱にへと向かう。震えながらその様子を見ていた残りの男子達は、捨て終わったのを見て自分達も席へ戻ろうとするが、ヤンキーは彼らの肩をガシッと掴む。またもや悲鳴があがった。

「机とイスは最初からここにあったんじゃねぇだろ~?」

「はっ、はひぃ!」

 男子達はガタガタと音をたてながら、慌てて机とイスを元の場所へと戻した。それでやっとヤンキーが自分の席へ戻る様子を見せたので、彼らもホッとしながら席へ戻っていく。

 ヤンキーが前を通り過ぎる時に、カスミは彼の胸元で輝くバッジと名札がたまたま目に入った。バッジには“美化委員”、名札には“茶玄(さげん)ワタル”との文字。

 その後すぐに教師が現れて、午後の授業が始まった。カスミは妙にソワソワしつつ、その日一日を終えた。

 そしてそのカスミの胸元で、アマネは全てを記録していた。ベッドでスヤスヤと眠りこけるカスミの隣で夜通し記録映像の確認を繰り返した彼女は、とある一つの結論に至ったのだった。

 翌朝、カスミは部屋に漂う朝食の香りで目覚めた。寝ぼけ眼を擦りながらリビングへと赴き、欠伸をしながら二人に挨拶をした。

「おはようございます、カスミサン」

『オハヨウゴザイマス』

 こちらへ振り返り、挨拶を返す二人組。席に付いてニュースチェックを始めたカスミは、ふと傍らでニコニコしながら佇んでいるアマネの存在に気付いた。

「……何か用?」

 眉間に皺を寄せながらそう尋ねると、アマネはハーフツインテールをピョコンと跳ねさせながら答えた。

「カスミサン、ワタシも今日から学校に通います! そして、茶玄サンに恋をする事に決めまシタ!」

  • 5拍手
  • 1笑い
  • 0
  • 0怖い
  • 0惚れた

1

こんないい子が、あと半年で機能停止……(´;ω;`)
どうにかならないのかな……。
気難しいカスミちゃんが少しずつほぐれていく感じが可愛い。
でも、これはなんでこういう話になったのやら……???(@_@;)

大久保珠恵

2018/7/24

コメントを書く

とじる

「おはようございマス! 今日からこのクラスに編入する事になりました、皆紅マナエデス! よろしくお願いしマス!」

 ごく一般的な、朝のホームルーム風景。カスミら生徒達が見つめる先には、教卓の前で丁寧にお辞儀する、瓶底グルグル眼鏡をかけた三つ編み姿のアマネがいる。

 アマネが学校に通いたいと言い出したのは昨日の朝の事だ。彼女はそれから実際に学校へ赴くと、諸々の手続きや校長との面談(と言う名の説得作業)を済ませ、本日正式に編入となった。

 戸籍も何も無い彼女が一体どのように目的を果たすまでに至ったのか、具体的に教えてもらう事はなかった。だがアマネはウインクをすると、カスミに一つだけ教えてくれた。

『アイドル時代に習得したノウハウを生かしました!』

 ちなみに、“マナエ”とは“AMANE”から適当に付けた偽名である。

「ねぇ、皆紅サンの親戚って……あの皆紅サン?」

「そうみたいだね」

 ホームルームが終わると、ニコニコと席に座るアマネを中心に、クラスメイト達が遠巻きで囁き始めた。その雰囲気からして、カスミがクラス内でどういう立ち位置なのかがよく分かる。別に知っていた事だが、改めてこう突き付けられると内心辛いものがある。カスミはため息をつくと、頬杖をついてアマネを見た。

「! カスミサーン」

「……げっ」

 何かのレーダーでも張っているのか、視線を送るとすぐにアマネは振り向いて、こちらへ手を振ってみせる。顔をしかめたカスミは、慌ててにそっぽを向いた。

 と、その時。

 ガラガラと教室の扉が開き、茶玄(さげん)が遅れて登校してきた。ザワついていた生徒達は一瞬水を打ったように静まり返り、少し遅れてからヒソヒソが再開される。

──そして、茶玄サンに恋をします!

 頭の中には一昨日聞いたアマネの言葉が蘇る。まさか、と思った時にはもう遅かった。アマネは目を輝かせながら立ち上がると、意気揚々と彼の席へ近付いていき、その机の前に立ってはにかんだ。

「アナタは茶玄ワタルサンデスね?」

「……あ?」

 低血圧なのか、朝は特に機嫌の悪い茶玄。初めて会うであろうアマネに対しても、ドスのきいた声で返事をし、ギロリと睨み上げる。だがアマネは当然臆する事無く、片手を差し出した。

「ワタシはマナエと言いマス! 茶玄サン、ワタシとお友達になりまショウ!」

「寝言は寝てから言え」

 吐き捨てるように言うと、茶玄は顔を伏せて眠りの態勢に入った。タイミング良く流れるチャイムの音。笑みを浮かべたまま停止していたアマネは分かりやすく肩を落とすと、シュンとしながら自分の席へと戻っていく。

 それ見たことか、とカスミはため息をついた。大体根本からしておかしいのだ。まず、恋とはしようと思ってするものではない。それに人間ではないアマネに、恋愛感情という複雑な機微が分かるわけがない。

 いや勿論カスミにだってその気持ちは分からないのだが、とにかく札付きヤンキーである茶玄と親しくなるのはどうやったって無理だ。

 カスミの中でその考えは揺るぎないものだった。しかし事態は彼女の予想するようには進まなかった。

「ではウチのクラスは二つのグループに分かれる事になりました。男子は教室の展示物担当、女子はステージ発表担当という事でよろしいですか」

 今日は朝から学校祭に向けてのクラス会議だった。教壇に立ったクラス委員の話が終わると、生徒達は男女に分かれてそれぞれ話し合いを始めた。

 別室へ移動した女子達による話し合いの結果、ステージ発表の演目はダンスに決まった。だが曲目を聞いたカスミは、思わずアマネを見てしまった。

「この音源持ってる人ーって、皆持ってるに決まってるか!」

「うまずたゆまズの『糸し糸しと言うこころ』、本当に良い曲だもんね」

 『糸し糸しと言うこころ』は、うまずたゆまズのデビュー曲にして最も人気の高い、彼女らの代表曲だ。うまずたゆまズの歌割りは今でこそ均等だが、この『糸し糸しと言うこころ』だけはアマネが実質ソロのような扱いの楽曲なのである。

 アマネにとっては、きっと相当思い入れの深い曲に違いない。まさかアイドルという立場を捨てた今、再びこの曲をやるなんて。アマネは一体どんな気持ちなのだろうか。

 だが当のアマネは顔色一つ変えず、ニコニコとしたまま皆の話に耳を傾けていた。

「それよりさあ、皆紅さん」

「えっ」

 考え事をしていたカスミは、いきなり話しかけられた事に驚き、思わず立ち上がった。だが話しかけたと思われる女子はあきらかにアマネの方を向いており、カスミは真っ赤になってイスに座った。

「さっきはビックリしたよ~。だって、あの茶玄なんかに話し掛けるんだもん」

「茶玄サンに話し掛ける事は、おかしい事なのデスか? ワタシは彼と友達になりたいのデス」

「えー! 絶対やめた方がいいよ、だってアイツ不良だよ? 毎日遅刻してくるし、影では煙草みたいなの吸ってるし、暴力的だし怖いし変な制服着てるし……」

 女子達は目配せをしながら頷き合う。茶玄に肩入れするわけではないが、カスミは女子のこうした同調意識というか、連帯感のようなものが苦手だった。自分もとりあえず同意しておかなければ、その後どんな目で見られるか分かったもんじゃないからだ。

 少なくとも昔のカスミは、思った事をそのまま発言する事に何の恐怖もなかった。でも今はもう、そうだよねと同調する事すら勇気が必要だった。

 同調し合う女子達の横で、カスミは無言でうつ向いていた。嫌だな。こんな時間、早く終わればいいのにな。

 そんな事を思って場をやり過ごしていると、突如隣に座っていたアマネが立ち上がった。そして毅然として言い放った。

「茶玄サンが遅刻しているのは、登校してから校内外の清掃をしているからデス」

「え……?」

「ワタシがこの学校に来たのは昨日と今日で2日間デスが、どちらの日も茶玄サンがゴミ拾いをしているのを見まシタ」

 女子達がどよめき出す。アマネは間髪入れずに言葉を並べ立てた。

「そして茶玄サンがたまにくわえている白い棒のようなモノは、煙草ではありません。画像解析したところ、あれはシガレット型の砂糖菓子である可能性が九十九パーセントデス」

「えっ、お菓子?」

「てか画像解析って?」

 アマネは大方初日に撮った映像を解析したのだろうが、他の生徒にその点を突っ込まれるとボロが出てしまいそうだ。

 カスミはソワソワし出した。アマネめ、ちゃんと考えて発言しているんだろうな? と。

「でもさー、茶玄って暴力的じゃん。ヤバい奴なんでしょ?」

 だが幸運な事に、他の生徒がアマネの話の続きを促した事により、危惧していた展開は遠ざかっていった。カスミは密かに胸を撫で下ろす。

「確かに、茶玄サンは行動・言動共に暴力的な面が多々見られマス。それは正しいデス」

「でしょ? やっぱり関わらない方がいいよー」

「デスが、皆さんは実際に茶玄サンがヒトに怪我をさせた所を見たことがありまスカ?」

 女子生徒達は沈黙した。互いに顔を見合わせて、首を振っている。それを見たアマネは、嬉しそうに口角を上げる。

「暴力的デスが実害はありませんし、怖いのも制服が変なのも関わっていくうちに慣れていくと思われマス。従って、茶玄サンは友達になるのに値しない人物ではないデス。それどころか、とても魅力的な側面を持った方であると思いマス」

「……確かに、ゴミ拾いしてるとか知らなかった。見直したかも」

「一昨日男子にイチャモンつけたのも、結局ゴミ放置してた男子が悪いしね。むしろ言ってる事は茶玄の方が正しかったよね」

「そうよそうよ」

「でもさあ、皆紅さんの言ってる事が本当だって、どうやって信じたらいいの?」

 生徒達の茶玄についての印象が変わり始めた時、疑問を投げ掛ける声が響き渡った。アマネの話を信じかけていた生徒達に、再びどよめきが起こる。

 カスミは、アマネの観察眼に正直驚いていた。恋をするだなんて、てっきりうわべだけのものだと思っていたというのに。

 アマネは人をよく観察出来ている。そして茶玄の隠れた長所や、アマネが彼のその気質を気に入っているであろう事がカスミにもよく伝わってきた。

「わっ……、私が! 保証します!」

「えっ何、誰?」

「皆紅サン?」

 気付けばカスミは挙手していた。するとそれまで空気だったカスミに気付いた生徒達の視線が、一気に集中し始める。

 一体自分は何をしているのだろう。でもこのまま茶玄が、アマネの好きな彼が悪いように言われるのは、何か違うと思ったのだ。

 カスミはダラダラ汗をかきつつも、なんとか声を振り絞った。

「茶玄は多分……そんなに悪い人ではないと、私も思う」

 

 一呼吸おいてから、囁き声が耳につき始める。アマネの時とは違う排他的な雰囲気を感じたカスミは、早くも自分の行いを後悔し始めていた。

 (……こんないたたまれない雰囲気を味わうくらいなら、何もしない方が良かった、のかも)

 カスミの中で膨らみかけていた勇気が、空気を抜かれた風船のように萎んでいく。しかしそんな彼女の肩に、優しく手をのせる者がいた。それは喋った事もない、ショートカットが似合う女子だ。

 ボーイッシュな雰囲気の彼女はカスミに微笑みかけた。そしてキリッと前を向く。

「実は私も、茶玄がゴミ拾いをしている所を見かけた事があるんだ。だから彼女達の言っている事は信じていいと思うよ」

「……実はあたしも茶玄に助けられた事があって」

「うそ、あんたも? 私も実はさー」

 ボーイッシュ少女の発言を皮切りに、茶玄の善行を密かに目撃した者達による暴露が始まった。ピリピリしていた空気は再び和やかなものとなり、安心して力の抜けたカスミは猫背になって項垂れるのだった。

「カスミサン」

 いつの間にか隣に来ていたアマネが、カスミの背に手をのせ、頷きながら口元に笑みを浮かべる。

「フォローありがとうございマス。でも、これからは発言に気を付けマス」

「うん、そうしてよね。あと……」

 カスミは後ろに立って女子達の話し合いを見守る、ボーイッシュ女子に目をやった。二人の視線に気付いたボーイッシュ女子は、手をパクパクさせてこちらへ合図を送っている。

「彼女の名前は何と言うのデス?」

「さあ……喋った事なかったから、知らないんだ」

「そうデスか。でも彼女、他のヒトと違って……失礼ですけど、カスミサンへの好意を感じマス」

 アマネが言う通り、カスミも彼女に対して今まで他人に抱いていた印象とは異なるものを抱いていた。

──お前は一から友達を作りなさい。

 友達なんかいらないと叫んだあの日。だがボーイッシュ少女に手を振られて、正直悪い気はしない。

 ひょっとしたら、あの子となら友達になれるかもしれない。カスミの胸に淡い希望が宿る。そして幸運にも、その希望は現実のものとなっていった。

 時は流れ、話し合いの日から一ヶ月以上が経過しようとしていた。その間、小さなトラブルが時たま起こったものの、カスミとアマネはほぼ順調に学生生活を送れていたのだった。

「マナちゃん、おはよー! 今日はお弁当忘れなかった?」

「おはようございます、ヨッちゃんサン。今日はちゃんと持ってきました! ……アレ?」

「あー、マナちゃんまた忘れたの? しょうがないなぁ、うっかりやさんなんだから」

「ミオちゃんサン、すみません。今日こそおかず交換する約束だったのに」

「気にしなさんな。来週はちゃんと持ってきてよね」

「マナちゃんおはよう!」

 朝、教室に入るとアマネの周りにはあっという間に人だかりが出来る。カスミはワイワイと楽しそうな彼女達の横を通り抜け、自分の席へと向かった。

「おはよ、カスミ」

 そんなカスミに声をかけたのは、ショートカットのボーイッシュ風少女だ。カスミはパッと振り向くと、少しだけ笑みを浮かべてぎこちなく挨拶を返した。

「い、イツキ。……おは、おはよう」

「遂に明日だな、学校祭。フォーメーションや振りはちゃんと覚えられた?」

「いや……まだ」

「お、茶玄! おはよっす」

「茶玄、今日はいつもより早くねぇ? おはよう」

「……オウ」

 カスミ達のすぐ後に、茶玄が教室へ入ってきた。男子達は茶玄を見ると、気軽に声をかけていく。以前までのオドオドした雰囲気は皆無だ。茶玄も茶玄で彼らをチラリと見ると、特に睨み付ける事もなく軽く会釈をする。

 順調な学生生活を送っていたのは、茶玄も同じだった。アマネの話で、まず女子達の彼を見る目が変わった。女子達が彼に対して普通に接するようになると、今度はそれが男子達にも波及していき、遂にクラス全体が茶玄を受け入れるような雰囲気へと変わっていったのだった。

「あっ、茶玄サン!」

「……ゲッ、ハイテンション女」

 その時、茶玄の存在に気付いたアマネが笑みを浮かべながら手を広げて走りよっていく。茶玄はすぐに逃げようとしたが、アマネの異常な瞬発力の良さに負けて抱きつかれてしまった。

「離しやがれ! 痴女!」

「ワタシはあなたに恋をしているのデス! 恋をしている相手にはこのように愛を伝えるものなのデス!」

「人の迷惑を考えてからやれってんだ!」

「え……茶玄サンはワタシに抱き付かれて迷惑なのデスか……?」

 アマネの目の表面に、ものすごい勢いで水分がたまっていく。だが茶玄はそれに怯む様子も無く、ベリッと彼女を剥がしてその場に転がした。それを見ていた生徒達から、どっと笑いが起こる。

 カスミは頬杖をつきながら、茶玄とアマネの様子を微笑ましく眺めていた。アマネが茶玄に恋をすると宣言した時は絶対に無理だと思っていた。だが今となっては、なかなかお似合いじゃないかとカスミは思う。

 アマネのおかげで、カスミを取り巻く環境は確実に良くなっていた。彼女が学校に通うようになってからクラスメイトとなんとか言葉を交わせるようになったし、昼ごはんも便所メシから卒業出来た。何より、友達と呼べるような存在が出来た。正直言うと、楽しくなかった毎日がソコソコ楽しい。これは間違いない。

 だがアマネの笑顔を見る度に、何故かカスミの胸はチクリと痛んだ。アマネが楽しそうにすればするほど、なんだか見ていられなくなってしまうのだ。

 茶玄はそんなカスミの様子を密かに眺めていた。だがカスミが目を背けると、自分もカスミから目を逸らすのだった。

 朝のホームルームを終えると、生徒達は室内の最終的な装飾作業に取り掛かった。散らばったゴミを茶玄が密かに拾い集めていると、それに気付いた男子の一人が作業の手を止めて、茶玄へ笑顔を向けた。

「茶玄ありがとな、キレイにしてくれて。俺達そーいうの気付かねーからさ、助かるぜ」

「うるせぇ、ちゃんと手元見て作業しやがれ! 怪我でもしたら大変だろうが!」

「出たよ茶玄のツンデレ!」

 和やかな笑いに包まれる教室内。だがこの微笑ましい状況を良く思っていない者が、一人だけこの部屋の中に存在していた。

 それはかつて茶玄に胸ぐらを掴まれていた生徒だ。名を重井川と言う。

 (クソ茶玄め……ヤンキーの癖にクラスに馴染みやがって)

 男子達とじゃれ合う茶玄を物陰から見つつ、重井川はギリリと歯軋りした。何かコイツを陥れる策は無いか。思考に思考を重ねていた彼の耳は、とある会話をキャッチした。

「茶玄、今日最後まで残ってくんだって?」

「この教室は薄汚すぎるんだよ。こんな所に客を招くだなんて失礼すぎるだろ」

「……スゲーなお前、母ちゃんみてぇ。ま、あまり遅くなんなよ、明日は本番なんだからな」

 (成程な……よし、名案を思い付いたぞ)

 会話を盗み聞きした重井川の顔に、ウッシッシと悪辣な笑みが浮かぶ。夕方、彼は校舎を後にする茶玄を教室から眺めると、コソコソと作戦の実行に至ったのだった。

  • 5拍手
  • 0笑い
  • 0
  • 0怖い
  • 0惚れた

1

アマネちゃんはなんであんなこと言い出したのかなあって思ってたら、そういうことでしたか……(◎_◎;)
いい雰囲気になってきたと思ったら、なんかやな感じの人が出てきましたね……(;´Д`)

大久保珠恵

2018/7/24

2

大久保さん、読んで下さってそしてコメントを残して下さってありがとうございます。誰か読んで下さる人がいるという事で、すごく頑張れます。コンスタントに更新していきますので、よろしくお願いします。そして表紙も付けてくださってありがとうございます……!!

作者:カンリ

2018/7/24

コメントを書く

とじる

 学校祭前夜。カスミの部屋の壁には、うまずたゆまズのミュージックビデオが投影されていた。狭い画面の中を縦横無尽に跳ね回る十年前のアマネを、二人はソファに座りながらぼんやり眺めていた。

「はぁ……とうとう明日か。嫌だなぁ……」

 いくら人に慣れてきたとはいえ、ステージ上で踊るなんてカスミにはまだまだハードルの高い試練だった。開催日が近付くにつれて憂鬱さは増し、今夜がそのピークだ。

 傍らでため息を繰り返すカスミを眺めながら、アマネはすっくと立ち上がった。再び映像を頭から再生すると、同じようにポーズをとってそのまま踊り出す。

 弾むようなステップ、キレッキレのターン、細部までこだわった末端の動き。勿論終始笑顔が途切れる事はないし、マイクホールドだって完璧だ。まあマイクは今回必要ないのだが。

 寝転がっているカスミは、アマネにおざなりな拍手を送る。アマネはアイドルらしい眩しい笑顔を向けてきた。

「カスミサン、一緒に踊りまショウ!」

「……私はいいよ。多少間違えても誰も見ないって、私なんか」

 立ち位置は二人とも、最後列の端だ。全体のダンスを撮影した確認用ビデオでは、前の人物に隠れて二人の踊りは殆ど観客から見えなかった。

 だから練習するだけ無駄なのだ。退屈そうに脛を掻くカスミは、キャッキャと笑いながら踊るアマネを見ながら言った。

「ていうかアンタはうまずたゆまズ本人でしょ? 今更練習とかいらないじゃん」

「いえ、それは違いマス。カスミサン」

 フルで一曲踊りきったアマネは、膝に手をついて息を弾ませながらカスミを見た。ヒューマノイドは呼吸なんてしないのだが、リアルさを演出する為に体を激しく動かした時はこのような息切れ機能が作動するらしい。

「確かにワタシは機械ですから、どんな難しいダンスでもちゃんとプログラムされた通りに踊るように設計されていマス。でも万が一、正しく体が動かなかっタラ。たとえ百パーセント成功するパフォーマンスでも、絶対に失敗しないように、そしてより良いパフォーマンスを見せられるように何度も動作を確認スル。そのようなヒトがプロのアイドルだと、ワタシは思いマス」

「……」

「それにね、ステージ上では前列後列なんて、関係無いのデスよ」

 アマネは片足で立ち上がると、バレリーナのようにくるりと回ってみせた。ふわりとしたスカートならとても可愛らしかっただろうに、『猛虎』スタイルなのが残念だ。

 だがそんな猛虎スタイルでも、アマネには目を惹き付けられる何かがあった。いつの間にかカスミは、心底嬉しそうに踊るアマネにポーッと目を奪われていた。

「ステージ上で、目映いライトを浴びながら大好きな音楽に合わせて歌って踊ル。これがどんなに楽しい事か。それをカスミサンにも味わってもらえるなンテ! そう思ったらワクワクして、体が止まりまセン! さあ、一緒に踊りまショウ!」

「えっ、何、ちょっと」

 アマネはカスミを無理やり立たせて手を繋ぐと、適当な歌を口ずさみながら踊り始めた。かっこよさや可愛さからは無縁のハチャメチャダンスだったが、アマネに手を引かれて踊るカスミの顔には、いつの間にか自然な笑顔が浮かんでいた。

「もー! やめてよ恥ずかしい!」

「いいじゃないデスか! こんなに嬉しい事ってありませんよ、もっともっと一緒に楽しみまショウ!」

 (……あ、まただ)

 ケタケタと笑い声をあげながら、踊るのを止めようとしないアマネを前にして、カスミの胸や喉はキュウと苦しくなった。笑顔が消えそうになり、慌てて表情を取り繕う。

 (病気? いや違う)

「カスミサン?」

「あ、いや。何でもないよ」

 二人はそのまま、明け方まで はしゃいで過ごした。

 東の空が白み、そして遂に待ちに待った日が始まるのだった。

「もーマナちゃん遅いよ! 先に始めてたよ?」

「ごめんなサイ、夜通し練習していて遅くなりまシタ」

「夜通し!? ちょっと大丈夫?」

 カスミのクラスの女子は、八時に集合し最後の練習に取り掛かっていた。遅刻ギリギリだったが、何とか間に合った二人。

 九時になれば全校生徒でホームルームが行われる。その後すぐに各クラスの教室が開放され、十一時にはステージ発表の始まりだ。

 カスミ達は九時ギリギリまで最終確認に時間を費やした。振り付けの細かな部分や全体の立ち位置、表情に至るまでお互いに指摘し合い、そしてなんとか彼女らのパフォーマンスは完成形へと仕上がったのだった。

 その後、予定通り全校生徒によるホームルームが行われた。遂に始まった学校祭。

 ワイワイしながら教室へ戻る、カスミのクラスの生徒達。だがそこでは、思いもよらない光景が広がっていた。

「どういう事だよ茶玄!!」

「知らねぇっつってんだろ!!」

 荒れ果てた教室内。昨日皆で飾り付けした筈の装飾は、何故かズタズタに引き裂かれている。茫然としている生徒達の中央で、最近茶玄と仲良くしていた男子と、茶玄が取っ組み合っていた。カスミとアマネは、人だかりの後ろの方で不安そうに目配せをした。

「昨日最後まで残ってたのお前だよな? 絶対何か知ってるだろ!」

「だから知らねぇってずっと言ってる!」

 男子が拳を振りかざすと、それを見ていた女子達から悲鳴があがる。その悲鳴で、茫然と喧嘩を見ていた男子達は我に返ったようだ。取っ組み合う二人を一斉に取り押さえに行き、騒動はやっと沈静化したのだった。

「ねえこれ……どうすんの? 今から直す時間とか無くない?」

「取り敢えず皆で手分けして何とかしようよ」

「茶玄知らないって言ってるけどさ、……実際どうなの?」

「さあ……」

 荒れた教室内に響くヒソヒソ声。他クラスの笑い声が廊下を通して聞こえてくる中、カスミ達のクラスの雰囲気はまるでお通夜のように重苦しい。

 結局全ての装飾は何一つ直せるものがないまま、処分する事となった。ゴミを概ね片付け終わった頃、ふとカスミは茶玄とアマネの姿が教室から消え失せている事に気付いた。

 時計を見ると、十一時まであと十分足らずだ。カスミはイツキに事情を説明すると、アマネを探しに教室を飛び出したのだった。

「アマネ……どこへ行ったんだろう」

 取り敢えず上から下へ探していく事に決めたカスミは、屋上への階段を駆け上がった。幸運な事に、すぐにアマネは見付かった。

 少しだけ開いたドアの向こうに、こちらへ背を向けて立つアマネの姿が見える。声をかけようとノブを掴んだところでもう一人の声をキャッチしたカスミは、ピタリと動きを止めた。

「……何しに来た。さっさと消えろ」

「茶玄サン、戻りまショウ。ずっとここにいるつもりデスか」

「どこにいようが俺の勝手だろ」

 屋上から見える焼却炉では、クラスメイト達がゴミを投げ入れている場面が見えた。皆で力を合わせて作った装飾が、ぐちゃぐちゃのゴミとなって炎の中へ消えていく。

 茶玄は苦虫を噛み潰したように顔中に皺を寄せると、プッと唾を吐いた。

「犯人はあなたではナイ。ワタシが証人になりマス。だから一緒に戻りまショウ」

「てめぇが何を言おうが、皆が信じるワケねぇだろ。無駄だ」

「無駄ではありまセン。クラスメイトに問い詰められた時、あなたの呼吸数や汗の量に異常は見られなかッタ。だからあなたは嘘をついていナイ。やってないと証明出来マス」

「はぁ? 頭おかしいのか。呼吸数とか……そんなもんで周りを説得出来る筈ねぇだろ」

「なら、犯人を探しマス!」

 強い語調のアマネに驚いた茶玄が、フェンスから手を離して彼女の方を見た。

「……どうやって探すって言うんだよ」

「その場に残されていた装飾物を調べれば、犯人が誰か分かる筈デス。そう、例えば指紋はどうでショウ。付いている指紋が何時間前についたものなのか調べれば、答えは出てくる筈デス。今から戻れば、まだ間に合うかもしれナイ」

「プロの鑑識でもない俺達の中に、そんな芸当を出来るヤツがいるとでも?」

「……います」

 カスミから見える、アマネの背中が微かに震えている。アマネは、正体を打ち明ける気だ。カスミの勘がそう告げていた。

「それは……」

「マナエ!!」

 もう黙っちゃいられなかった。カスミは勢いよくドアを開け放つと、アマネの手をむんずと掴んで引っ張った。

「マナ! もう出番だよ、早くステージに行こう!」

「か、カスミサン。ちょっと」

「いいから早く!」

 後ろを振り返ったアマネの目に、フェンスにもたれ掛かってこちらに背を向ける茶玄の背中が映る。カスミはそのままドタドタと階段を駆け下りて、二人は走り出した。

「どうしたのさ。あんな事言ったら、正体がバレるじゃん!」

「でも……茶玄サンが無実なのは明らかデス。観測結果もそうですが、何よりこれまでの彼の行動を見ていたら絶対に分かる筈デス。彼はそんな人じゃナイ!」

「……アンタ。それ、何?」

 薄暗い体育館に入る前に、カスミは立ち止まってアマネを見た。眉を吊り上げ、唇を噛んだアマネの目から、キラリと光るものがポロリと流れていく。

 アマネは鼻でフーフー息を吐くと、斜め下を見つめたまま声を震わせた。

「……悔しい、デス」

「アマネ。……まさか」

 アマネの答えよりも先に、場内のアナウンスがカスミ達のクラスをコールした。満員に近い観客スペースの脇をくぐり抜けた二人がなんとかギリギリでステージ袖へ滑り込むと、幕が下りたステージで待機していたクラスメイト達が安堵の表情で振り返った。

「マナちゃん! 皆紅サン! 大遅刻だよ、何してたの!?」

「ごめんなサイ……」

「マナ? 様子が変だよ、大丈夫? 具合悪い?」

 ブザーが鳴り響き、幕がゆっくりと上がっていく。皆が慌てて前を向く中、俯いていたアマネはゆっくりと顔を上げた。

 その横顔を見たカスミは、ドキリとした。その横顔は、もう先程迄のアマネじゃなかったのだ。

 ミュージックビデオで目にする、トップアイドル・アマネの自信に満ちた強気な笑み。アマネは口元に浮かべた笑みを深くすると、勢い良く踊り始めた。

 場内に流れる、何度も練習した曲。自分達に向けられた幾つものライト。眩しすぎて、あれだけいた観覧スペースに詰め掛けていた筈の生徒達がまるで見えない。

 カスミは練習した通りに、音に合わせて体を動かした。だが、パフォーマンスには全く集中出来ない。音の聞こえ方がいつもと全然違うのもそうだが、先程のアレが原因だ。

 アマネの涙。完全なるロボットであるアマネが、他人の為に涙を流した。その場面が、受けた衝撃が頭の中をグルグルと回って、カスミの胸を激しく揺さぶった。

「カスミサン!」

 アマネの甘い歌声が響き渡る中、アマネに名前を呼ばれる。カスミはハッとなってアマネの方へ顔を向けた。

「カスミサン、笑顔にナッテ! いつもの通り踊れば大丈夫!」

 そう言ってウインクを送ったアマネは、再び曲中に入っていった。ミュージックビデオで見たそのままのアマネ。そんなに踊ってバレやしないかとヒヤヒヤしたが、アマネの気遣いのお陰で少しだけ平常心を取り戻す事が出来た気がする。

 (そうだ、今は音に集中しないと)

 だが、突如音楽がパタリと止んでしまった。

 いきなりの事態にざわつき始める場内。ステージ上の女子達も、皆踊りを止め呆然としている。

「申し訳ありません。機材のトラブルで、一時的に音楽が中断しています」

 ガヤガヤしている中で流れる場内アナウンス。不安そうなクラスメイト達の顔。

 ライトの眩しさに目が慣れた頃、カスミの目には出入口を行き来する生徒達の姿が見えた。しかし入ってくる生徒達よりも、出ていく生徒達の方が圧倒的に多い。

 ステージ上の女子達が、不安がって口々に喋りだした。

「どうしよう、観客がいなくなっちゃう」

「そんな! 折角練習したのに」

 泣きそうになっているクラスメイトもいる。このまま、発表は失敗に終わるのではないか。そんな不穏な空気が濃くなりだした頃、そんな雰囲気を別つ一筋の矢のように、アカペラの歌声が突如響き渡った。

「『♪いとしい いとしい 私のココロが歌いだす』」

 どこかのマイクを通して聞こえてくる声の音源を見付けようと、場内の人々が顔を左右に向けているのが見える。次第に暗転していく場内。

 そして、ステージの後方に淡い輝きのスポットライトが当てられた。まさかの事態に仰天したカスミは、隣でライトに照らし出される人物へ顔を向けた。

 アマネだ。地味なお下げにグルグル眼鏡姿のアマネが、どこからかマイクを調達して歌っているのだ。

「『♪いとしい いとしい アナタに届けと歌いだす』」

「ちょ、アマ…マナエ!!」

 アマネはミュージックビデオのアマネそのままに、歌いながら踊っている。カスミは急いでその腕を掴んだが、気力に満ち溢れていたアマネの目に見据えられて、一瞬怯んだ。

 アマネは笑みを深くすると、カスミの手を離し、アクロバットに移動しながらステージの前列へ踊り出た。

 (アマネ!? 何考えてんの!?)

──なになに? めっちゃ歌うまくない?

──ていうか本人そっくりじゃない? ファンなのかな、アマネそのものじゃん。

 アマネの歌を聞いた観客が、徐々に戻ってくる。ガヤガヤとざわついていた会場が、次第に静かになってきた。

 ポカーンと口を開けている生徒。ワクワクとした表情で体を揺らしている生徒。バラバラな方向を向いていた観客の顔が、皆一様にステージへと向けられている。

 勿論その視線の先にいるのは、自由に舞い踊りながら歌声を響かせるアマネだ。

「『♪もう止まらない いとし、いとしと言うココロ』」

 アマネは歌いながらステージの端から端を歩き回った。彼女が場内を煽ってみせると、まばらだった手拍子が、次第に割れんばかりのリズムとなる。その音にビリビリと震えるカスミの体。

「わっ」

「ごめん、皆紅サン!」

 カスミの体にぶつかったのは、茫然としていた筈のクラスメイトだった。彼女達は気付かない間に、アマネの歌に合わせて踊っていた。一緒に曲を口ずさんでいる者もいる。

 皆、ワクワクとしたような笑顔だ。先程までのように、不安げな表情をしている者はどこにも見当たらない。

「サア、皆サンも一緒に歌いまショウ!!」

 アマネがそう叫ぶと、観客の声が地鳴りのような轟音に変わった。

 ライトにきらめくアマネの汗。くるくると変わる表情。緩急をつけた体の動き。マイクをぎゅっぎゅと握ってリズムを刻む癖。

 そして、圧倒的な声量。気持ち良く抜ける高温、響く低温。語るように歌いかけられた最前の観客は、泣いている者さえいた。

 カスミは言葉も無く、ただその光景を眺めていた。現実離れした世界に、かなりの時間我を忘れていた程だった。

 しかし気付かないうちに、カスミの体もまたリズムを刻み始めていた。アマネもクラスメイトも観客も、一体となって圧倒的な楽しさの中にいた。ウズウズしているカスミの体は、鳥肌が立ちっぱなしだ。

 これが、プロのアイドルなのだ。たちまち皆を一つのグルーヴに巻き込んでしまう。そりゃあアマネは売れるアイドルとして作られたロボットなのだから、皆を楽しませて当然なのかもしれない。

 だがアマネには。そういうロボットとか何とかの範疇を越えた、何かを感じてならなかった。

 もっと彼女のパフォーマンスを見たい。一緒に楽しみたい。今までアイドルに全く興味がなかったカスミにもそう思わせるような、圧倒的な魅力がアマネにはあった。

「(カスミサン)」

 アマネが再びこちらを向き、口パクでカスミの名を呼んだ。目を見開いたカスミの胸が、ドキンと高鳴る。アマネは目が合うと、この上なく幸せそうにはにかみ、曲に合わせて高く飛び上がった。

 その笑顔を見たカスミの胸が、ギュッと締め付けられるように痛んだ。高揚していた気持ちが消え失せ、かわりに苦しく切ない感情が溢れ出る。

 (そうか……そういう事か)

 カスミの目には、ジワジワ涙が浮かんできた。ライトを浴びてキラキラと輝くアマネが、魅力的に振る舞えば振る舞うほど、カスミの心にズシズシとのし掛かってくる文字があった。

 それは、卒業の二文字だ。

 アマネの寿命が数ヶ月後に尽きる事を、カスミだけが知っている。このパフォーマンスが永遠ではない事をカスミだけが知っているのだ。

 限りある“命”。煌々と輝く何かを熱く燃やしながら、アマネはその笑顔を皆へ振り撒いている。

 落ちサビに入る寸前で、ようやく音響が復活する。音響係も味なもので、僅かな時間で曲を早送りすると音をアマネの声にピタッと当てはめてくる。

 ほぼ独唱のような落ちサビ。徐々に高まるボルテージ。そして、怒涛の盛り上がりをみせる大サビ。その盛り上がりはアウトロまで衰えを見せず、遂に曲が流れ終わった。

 ステージ後方でその行方を見守っていたカスミの目からは、キラキラと涙が流れ落ちる。

 呆けたように鳴らされる拍手の音が、次第に何重にも重なって、大きな喝采となった。ステージ上で息を弾ませたアマネは、クラスメイト達の手を取ると皆でその手を高らかに上げ、そして下ろしながら頭を下げた。

 そうして大歓声のうちに終了したステージ発表。その大歓声の中、たった一人だけ口をあんぐり開けている男がいた。

 重井川だ。彼はインターネット端末に映し出された画像と、ステージ上で両手をあげて微笑むアマネを見比べて、ぶるぶる震えながら呟いた。

「あ……あ……、アマネたん……!?」

修正履歴

  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/25)
  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/07/25)

修正履歴を見る

  • 7拍手
  • 0笑い
  • 0
  • 0怖い
  • 0惚れた

1

学園祭の類での機材トラブルはよくあることですが。
これでバレてしまいましたかねえ。
そう言われればアマネちゃんは「卒業」が目前でしたよね。
それはカスミちゃん辛い……(´;ω;`)
そして、重井川!!
やはりオマエか!!!!

大久保珠恵

2018/7/25

コメントを書く

とじる

オススメポイント 36

つづけて SNS でシェアしてオススメシポイントをゲットしましょう。

とじる

このページの内容について報告する

送信中

送信しました

文字数の上限を超えています。