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セレンディバイトの彼女 完結

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新宿 × 音符
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職場のある新宿はいつも人が多くて、変なにおいのする街だ。

朝はパチンコに並ぶベージュの人波に

昼はランチに並ぶ黒くて白いサラリーマンの群れ。

夜は鮮やか。でもうるさくて、ふらふらしているから、

歩くときはぶつからないように気を付けないといけない。

有象無象の新宿では、いつでも何かが起こっている。

例えばある日突然、今まで見ていた景色が情景が風景が、

ごろっと音を立てて変わるなんてこと、よくあるんだから。

記録的な酷暑。頭がおかしくなってもおかしくない温度。

暑いという言葉の力じゃ足りないくらいの暑さ。

南口のロータリーも、視界がゆらゆらしている。

夏は日が長くて全然暗くならないし、温度もほとんど下がらない。

あげくコンクリートは熱をもって眩暈を助長させる。

ほとんどの人が地下道を行く中、所用でやむを得ず地上を歩く私と、私を応援するセミたちの声。

ありがとう。でもその声を聴くともっと暑く感じる不思議。やめて。

くらくらするコンクリートのロータリーを行く。かすかに音楽が聴こえてきた。

いよいよ私も救急車かと身構えて、一抹の理性で音を探すと、前方左になにやら人だかりが見えた。

人だかりというか、あれじゃあ傘だかり、

大きな紫陽花がそこに現れたように、陽炎の中を鮮やかに揺れていた。

いわゆる路上ライブというものに耳を傾けたことはほとんどない。

リスペクトする歌手は椎名林檎で、ワイヤレスイヤホンから流れるその声が

私の酸素で赤血球で白血球だ。(つまり体の中で重要な役割を果たしているということ。わかるでしょ。)

その日、イヤホンの充電が切れたあの真夏の夜、不意に聴こえたその音楽に

ふらふらと立ち寄ってしまったのはただの気まぐれか高熱の悪しき影響か、

それとも紫陽花と聞いて長谷寺にごちゃごちゃ行くようなつまらない女になり下がったか、

まあそのどれかに違いないことは確かだった。

音楽。音楽だった。音楽があった。

玉のような汗は水たまりをつくり、Tシャツは透けて、髪は艶めいて夜を駆け巡っていた。

好きな声だった。いい声だなと思った。紫陽花は陽炎のせいじゃなく、各々が各々で揺れていた。

ボードにはおそらくバンド名が書かれていた。ツイッターのアカウントと、

インスタグラムのアカウントも一緒に。

最後の行には住所があって、どうやら店でも演奏しているらしい。

曜日と時間がかわいらしい字で書かれている。店名は、何語だろうか、残念ながら読めなかった。

その近くには小さい椅子が三つ並んでいて、CDやポストカードが置かれている。

なるほど、路上ライブとはこういう形式なのか。

傘の間からぐるっと見回すと、大きな宝石と目が合った。

その宝石はエレキギターやドラムの煌めきを集めて、惜しげもなく輝き、

きょろきょろと動いて、闇夜なんて知らないような光を放っていた。

真っ黒の髪は少し跳ねて、自由だった。華奢な手足も、子供らしいふっくらした頬も、つたう汗すらきらきらしていた。

その子は紫陽花をすり抜け、三つの椅子の真ん中に座った。

セレンディバイトを思わせる瞳に、私の顔が小さく映る。わ、と歓声が上がる。ボーカルがこちらに近づいてくる。私の視界は音であふれる。

次の瞬間には、もう椅子には誰もいなかった。

音楽は好きだ。においと同じで、聴けば情景が浮かんでくる。

あの時のバンドが運ぶメロディーには、黒曜石がつきまとう。音符そのものが彼女みたいだ。

頭の中のあの子は、シンバルが鳴れば走り出し、

ギターのソロでは踊りだす、かと思えばバラードでうとうとして、甘い声で眠りにつく。

飛んで跳ねて弾んで笑って。

五線譜をはみ出る彼女と、有象無象の新宿は、意外と相性が良いようだった。

できるならば雨の新宿で、またあの子に会いたい。

その瞳の煌めきが、雨粒に幾重にも反射して、私の奥底をかき乱すに違いないから。

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