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ココロとカラダの繋ぎ方

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女子大生の仁村結月は、学内きってのイケメン桐山薫の裸を偶然見てしまう。
しかし、桐山の体はなんと女で、結月は「誰にも言うな」と脅されてしまう。

性同一性障害のモテ男と恋愛経験ナシの女子――距離が縮んでは離れ、それでも少しずつ、2人は歩み寄っていく。

1位の表紙

目次

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#1 最低の出会い

 ドアを開けると、そこには端正な顔をした好青年がいた。

 大学の同じ科に通う男。

 校内でも有名なイケメンで、やたらとモテる。見かける時はいつも女に囲まれている。

 耳には複数のピアス、ホストみたいにセットした髪、ジャラジャラしたアクセサリーを身に付け、複数の彼女がおり、女をとっかえひっかえと、見た目も中身もかなりチャラい、私とは住む世界も価値観も違う男。

 名前はたしか――桐山薫。

 そんな彼が、目の前に立っていた。

 私は驚いて、暫し硬直した。彼も驚いて、固まっていた。

 桐山は裸だった。でもそんなことは問題じゃない。いや、厳密には問題なはずだけど、その時に私のことをパニックにさせたのは男の裸体ではなかった。

 目にしたのが男の裸体だったなら、こんなことにはならなかった。

 胸が――桐山の体に、胸の膨らみがあった。

 上半身裸の桐山の胸についていたのは女性のそれで、体は程よく引き締まり、腰つきは見事にくびれていた。

 桐山と私の目が合った。顔は学内きってのモテ男。でもその下にあるのは女性の裸体だった。

 え――なんで――桐山? ――女――なんで――……。

 混乱した私は、そうっと後退することを選んだ。

「し……失礼しました~……」

 退室しようとした私に、桐山がずんずんと迫って来た。

「わっ!?」

 桐山は私の腕を掴んで室内に引き戻し、ドアを強く閉めた。

 桐山は半裸のまま私の腕を強く掴み、壁に押し付けた。背中が壁にぶつかり、悲鳴を上げる。

 おそるおそる目を開けると、眼前に鬼の形相の桐山が迫っていた。私は大混乱した。

 え、なに、なに? 力強い。ってか怖っ!?

 どういう状況?

 私を壁に追い詰める桐山はたしかに学内で見かけるチャラい男の顔で、でもその下にあるのは女の人の体だった。

 そんな桐山に見たことないくらい怖い顔で壁ドンされて、身動きがとれなかった。

 私が口を開くより前に、桐山が言った。

「おい」

 信じられないくらい低い声だった。

「は、はいっ」

 なんでこうなった?

 そもそもは、体育館の更衣室にスマホを忘れたことが発端だ。

 帰宅途中にスマホがないことに気づいて、更衣室に取りに行った。そしたら、更衣室に半裸の桐山がいた。

 で、こうなった。

 きっと人生のなかで、これほどスマホさえ忘れなければと思った瞬間はない。

 桐山は怯える私の胸ぐらを掴み上げて、ドスのきいた声で言った。

 それはもはやモテ男ともチャラ男とも思えなかったし、よもや自分と同じ女性だとは微塵も思わなかった。

「このこと、誰にも言うんじゃねえぞ」

 ビクビクしながら、私は頷くしかなかった。

「はっ……はいっ」

 これが私と桐山の出会い。凄まれて脅されたファーストコンタクトだった。

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とじる

#2 最低のアイコンタクト

 がやがやと喧騒が響く学食のいつもの席で、友達3人とテーブルを囲むランチタイム。

 彼女たちは同じ科で知り合った友人で、授業がない時間やお昼は一緒に過ごすことが多い。

「結月、どうした? なんか朝から顔色悪いけど」

 隣に座る青山が、うどんを啜る私にそう言ってきた。

 青山はお昼をともに過ごす友人のうちの1人。向かいに座る2人は、佐枝と石谷。ちなみに佐枝と石谷は彼氏持ちだ。私と青山は恋人なし。

「え、そう?」

 言いながら私は青山が手にしている昼食に目を落とした。パン一つ。そんなんで足りるの?

「顔色悪いっていうか……心ここにあらず的な」

「あ~……」

「なにか考え事?」

「考え事……といえば考え事、かなぁ~」

「悩みでもあるの?」

 スマホをいじっていた佐枝が口を挟んできた。

「結月が悩み事? まっさかぁ~。講義中いつもノートに落書きしてるくせに?」

 お前は講義中でもスマホいじってるだろうに。

 石谷がケタケタ笑った。

「そういえば、今日は落書きしてなかったね」

 青山が石谷を指さして言った。

「そうそう、なんかぼーっとしてるんだよね」

 私はうどんを啜る。パックのジュースをジュジュっと飲み干して、青山が訊いてきた。

「なんかあった?」

 ……なんか。

 あった、といえば、確かにあった。

 心ここにあらず、といえばたしかに、〝あの一件〟がずっと頭から離れていない。

 佐枝が楽しそうに言った。

「わかった! 恋だっ」

「それは5000%ない」

「ごせん……」

 すると、青山がふと顔を上げた。

「あっ。桐山だ」

 青山が視線を向けた先を、佐枝と石谷が見た。私は俯いたまま目だけでそっちの方を見た。

「相変わらず女にモテんねー、桐山は」

 青山が感心したように声を上げた。

 学食の入り口に、4人くらいの女子に囲まれながら桐山が歩いて来ていた。両サイドから女の子に腕を組まれ、楽しそうに談笑している。

 佐枝が珍しくスマホから目を離して桐山を見る。

「か~っ。やっぱイケメンだわ~、桐山君。わたしも今の彼氏いなきゃな~」

「あれに混ざるの? 何番目の彼女になるわけ?」

 青山が頬杖をついてため息を吐いた。

「いいよねぇ~、男は。顔がよければそれだけで女に囲まれるから」

 石谷が言った。

「青山も顔いいんだからモテるじゃん。男選び放題でしょ」

「股にしか興味ない男と付き合いたくなんかないわ」

 佐枝がしれっと桐山のことをスマホで盗撮しつつ青山を笑った。

「青山も結月も彼氏つくればいいのに~。あんな彼氏欲しくならない?」

 青山が首を振った。

「ああいうチャラいの好みじゃないんだよね」

「うっそー。いいじゃんかっこいいし。結月はどう? イケメンだよね桐山君」

 学食に入ってくる桐山を横目に見ながら、私は上の空で答えた。

「ああ……うん。イケメンだね。イケメンイケメン」

 石谷が首を傾げた。

「なに、結月も桐山君好きじゃないの?」

「うーん……なんというか……苦手」

「苦手? チャラい系が?」

「いや、桐山が」

 青山が眉を上げた。

「桐山と話したことあんの?」

「前に一回だけ」

 佐枝が飛びついてきた。

「え~っ!? 意外! 結月が? 桐山君となに話したの?」

「いや、特にこれといった話じゃ……」

「なーんだ」

 ジュースのパックを握り潰し、青山が尋ねてきた。

「じゃあなんで苦手なの?」

「うーん」

 私は顎に手をあててうなった。

「……初対面で女子の胸ぐら掴み上げるって、最低だよね」

 3人がぎょっとした。

「なにしたのよあんた」

 なにもして……なくはないか。

 でも、あれ私悪くない気がするんだけど……。

「ほんとそれ? 桐山君が?」

 私は小声で言った。

「胸ぐら掴んで凄まれた」

「桐山君、女の子にはみんな優しいって聞いたけど」

「結月よっぽどなんかやらかしたんでしょ。でも桐山君に掴まれるとか逆に羨ましいね」

 なら変わってあげようか、この損な役回りを。

「結月もかわいい方なのにね~。あれか、化粧薄いからかな」

「放っといて」

 返却口にお盆を下げに行くと、女子を連れて歩く桐山が見えた。

 ちらっと目をやると、ちょうどそのとき桐山もこっちを向いた。

 すると――いままで女の子たちと笑っていたのが信じられないくらい、すんごい眼で睨んできた。

「ひっ」

 私は身震いし、早々にお盆を返却してテーブルに戻った。

 座ると同時にテーブルに項垂れた私の頭を、青山が撫でた。

「どした?」

 腕の中に顔をうずめて、私は声をこもらせた。

「いま……桐山にすんごい睨まれた気がする」

「えっ」

 佐枝が笑い声をあげた。

「あはははっ。どんだけ嫌われてんの結月!」

 笑いごとで済むといいんだけどなー。

 私は遠く離れた席で女の子たちと座る桐山のことを眺めた。

 普通に、楽しそうに笑っていた。まるで別人のような笑顔だった。

 その顔はどうやっても、先日見た女の裸体とは重ならなかった。でもあの時の桐山の姿が、頭から離れなかった。

 ……それはともかくとして、やっぱり初対面で女の胸ぐら掴んで脅すのは、最低だよね、あの男。

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とじる

#3 最低な再会

「オイ」

 後ろから聞いたことのある低い声がした。私は振り返った。

 うわっ。

 すると、そこには桐山薫が立っていた。

 いつも誰かしら女子を連れているイメージのあるチャラ男だが、この時は桐山1人だけだった。

 そして、珍しく女を連れていない桐山の顔は、女の子と話している時とは別人に見紛うほど眉間にしわが寄り、まるで親の仇でも見つけたかのような形相だった。

 私は次の講義の教室へ向かう途中だった。咄嗟に私はきょろきょろしたけど、周りには誰もいなかった。

 うわあ、まずい。桐山と2人きりだ。ちょうどあの時みたいだ。

 私は鞄をぎゅっと握りしめて半歩退いた。

「な、なに? ……桐山」

 桐山は舌打ちした。女子とお喋りするときの優しい桐山君の姿はそこにはない。

「いきなり呼び捨てかよ」

「き、桐山君。なにか、用?」

 桐山がずかずかと歩いて迫って来た。

「ちょっ、ちょっと」

 つい反射的に後ずさってしまう私に桐山は迫り続け、結果的にまた壁に追い詰められてしまった。

 壁に追い詰めた私をかなり近い距離から見下ろして、桐山は言った。

「なにかじゃねえだろ。とぼけんなよ」

 仁村結月――彼氏いた経験なし。二十歳にして2度目の壁ドンが、こんなに恐ろしいものだと初めて知りました。

 これのどこにドキドキするの? すごい怖いんだけど?

 桐山が私に詰め寄った。

「お前、学食で俺にガン飛ばしてただろ」

 飛ばしてたのあんたでしょ!

「そ、そんなことしてない……」

「目ぇ逸らすな」

 逸らすよそりゃあ。だって怖いもの。

 誰か来ないかなあ。怖いよ~、ちょっと誰か助けて~。

 ビクビクしながら見上げた桐山の顔は、キレ気味というかほぼ完全にキレていて、目を合わすのもままならなかった。

 つい顔を伏せた私の目に映ったのは、桐山の胸だった。

 あの時更衣室で見た桐山の体には――たしかに女性らしい膨らみがあった。でも、いま目の前にある桐山の胸は平らで、男のものとしか思えない。

 サラシか何かで潰しているのだろうか。

「お前」

 私はビクンとした。

「はいっ」

 私をギロッと睨んで、桐山は尋ねた。

「お前、あのこと誰にも言ってねえだろうな?」

 私は必死に頷いた。

「い、言ってない。言ってない」

「本当だろうな?」

 更にずいっと桐山が迫る。ひ~、怖いよぉ~。

「だっ、誰にも言ってないっ。ホントだからっ。誰にも言ってないよ」

 この威圧感と迫力は、たしかに男のソレだった。いや、男がどういうものかとかよく知らないけど。

 でも、たしかに桐山は男だった。

 チッと舌打ちし、桐山は私から離れた。

 私はほっと胸を撫で下ろした。でも壁に背中をくっつけてないと、腰が抜けて立てなくなりそうだった。

 ていうか、なんでいちいち舌打ちすんのこの人?

 安心するのはまだ早かった。桐山が再び凄んだ声で釘を刺してきた。

「誰かに話したら、ただじゃおかねぇからな」

 だから言わないって言ってんじゃん。

 恐怖壁ドンから解放されてちょっと気持ちに余裕ができた私は、一旦落ち着いてから、桐山のことをぐるっと見回してみた。

 どこからどう見ても、やっぱり男にしか見えない。

 たしかに男性にしては背が低い方だ。170センチもない。でも、それでも女性からしたらかなり長身だ。

 平らな胸に、ほどよく筋肉のついた手足。どこを見ても、男であることを疑う余地はなかった。

 顔は中性的で、女だと言われればそんな気もするが、髪型も相まっておそらく誰が見ても男としか思わない。

 脅すだけ脅して去って行こうとする桐山に、私は声をかけた。

「あ、あのっ。桐山っ」

 桐山がすごい顔で振り向いた。

「桐山……君」

「なんだよ」

「あの、えっと……」

 言うなと言われても、その言ってはいけない内容が、具体的にどういうものなのかを知っておきたかった。

 というか、わけもわからずただ脅かされるのが、悔しかったんだと思う。

 私は勇気を振り絞って訊いた。

「桐山君は――中身は、男の人なの?」

 桐山が目を見開いた。

 あっ。やばい。怒られる。

 私は鞄をぎゅっと抱きしめた。桐山が口を開いた。私はビクッと目を瞑った。

 ところが、桐山が口にしたのは、私が覚悟していたよりもずっと静かで、そしてずっと耳に残る声だった。

「中身〝も〟、男だ」

「……えっ」

 それだけ言って、桐山は立ち去った。

 私を脅かしてくると思った桐山は、しかし遥かに冷静で、そして今までで一番深みのある声でそう言った。

 私は去って行く桐山の背中を見つめた。

 やっぱり、私の目には男の広い背中にしか見えなかった。

「………」

 彼の背中が見えなくなるまで、私はそこに突っ立っていた。

 いつの間にか、震えは止まっていた。

 その時初めて、普段当たり前に使っている言葉を疑問に思った。

 性同一性障害という言葉があるけれど、なんでわざわざ〝障害〟だなんて言葉を使っているんだろう、と。

 桐山薫は、男にしか見えなかったからだ。

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なんでしょう、乙女ゲーの攻略対象とかにいそうなチャラ男子(でも体は女子)ですな。
扱いがめんどい……(;´・ω・)
放っておいては……くれないんでしょうね、この人……(;^ω^)

大久保珠恵

2018/8/21

2

【モノコン2018物語部門 予選通過のお知らせ】
出会いのシーンを丁寧に描いており、冒頭から引き込まれてしまいました。テーマはけっして軽いものではありませんが、この調子でふたりの恋模様を、みずみずしく描き切ってくださることを期待します。

3

ありがとうございます!
私もこの2人のお話は丁寧に書き進めていきたいと思っています。
テーマも2人の関係も手探りな感じを伝えられるように頑張ります!

作者:水月

2018/9/5

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とじる

#4 最低な帰り道

 その日は午後の講義がなくて、そのまま家に帰ることにした。いつもつるんでる青山たちはサークルや別の講義があるため、私は1人で大学を出た。

 正面玄関のすぐ外のところに、1人立っている人影が見えた。すらりとしたシルエットを見て、私は思わず息を呑む。

 正面玄関から出たところで――ばったり桐山薫と遭遇した。

 桐山は、外の柱に寄りかかってスマホをいじっていた。珍しく、彼は1人だけだった。いつもの取り巻きの女の子たちがいない。

 桐山がスマホから目を上げ、私に気が付いた。

「……なんだお前か」

 げっ。桐山……。

「お前いま『げっ』って思っただろ」

 なんか妙に鋭いよなこの人……。

「そ、そんなこと思ってないよ」

 私は作り笑いで取り繕った。ああ、たぶん誤魔化せてない。演技力なら間違いなく落第レベル。

 桐山は柱から背中を離し、私に数歩近づいてきた。気づけば私は足を止めていた。

 いや、まあ、呼び止められれば立ち止まるのは当然なんだけど。

 スルーしていくにも、それができない怖さが桐山にはあるから。自己防衛本能的な?

「帰んの?」

 スマホを片手に桐山が尋ねてきた。

 別にいまは脅されてるわけでもないんだし、普通に話せばいいんだ、フツーに! と自分に言い聞かせて、私はつらっと答えた。

「うん。午後の講義無いから」

 普通に会話ができるなら、こっちから問いかけてみても別に問題ないはず――というか、その方が自然なのではないか? と思い、私は桐山への恐怖を堪えて訊いてみた。

「桐山も?」

 途端に桐山の表情が曇った。

「キリヤマ……?」

「き、桐山〝君〟も、帰るの?」

 だめだやっぱり怖い。さっさと帰ればよかった。

 桐山はスマホをズボンのポケットに押し込んで、学校の外に足を向けた。

「まあな」

 桐山が歩き出すと、自然と私も足を踏み出した。当然のように、私と桐山は隣り合って歩いた。

 じろじろ見てると思われないように、私は横目にちらっと桐山の横顔に視線を送った。

 イケメンという表現が果たして正しいのかはわからないけれど、美形なのは間違いない。綺麗な顔をしている。

 男としてはかなり綺麗な顔立ちで……中性的と言えなくもない。もし女性だったなら(想像できないけど……)、きっと大人っぽいモデルさんみたいなイメージが似合うかもしれない。

 これに甘い言葉を囁かれてメロメロになる女子の気持ちも……わからないではない。これでも私も女子だから、少女漫画を読んでは、そんなメルヘンな恋愛を夢見たりした。

 なんか最近よく桐山のことを見かけるなあ――と思ったけど、実はそうではなかった。同じ科ということもあって、もともと桐山のことはよく見かけていた。

 ただ、ここ最近、彼のことを前よりも意識するようになったというだけだ。彼の存在が僅かながら私のなかで大きくなっているから、近くにいるとよく目につくようになってしまっているのだ。

〝あれ〟以来、桐山が近くにいるとついつい目が向くというか――正直な話、また脅されないか睨まれてはいないかと警戒してしまうのだ。

 とりあえず大学の敷地の外まで、私と桐山は肩を並べて歩いた。

 まあ、外に出るまでならちょっと話してもいいかなと思って、無謀にも私はまた桐山に話しかけた。興味本位だった。

「今日は、その……1人なんだね」

「……あ?」

 ギロッと桐山が目だけでこっちを睨んだ。

 ヒッ……ちょっと話しかけただけじゃん? そんな眼する?

「いや、ほら……いっつも誰かしら女の子といるから、珍しいなって思って」

 桐山の鬼の眼が前方に戻った。あ、うん、やっぱり目合ってない方が話しやすいわ。

 だってそもそも……大学に入ってからまともに男の人と話したことって、かなり少ないんじゃないかな、私。

「まあな……」

 桐山はうなじの辺りをさすった。

「午後から講義だ遊ぶ予定だなんだで、誰も捕まらなくてな」

 捕まるなら捕まえて誰かといる、ということか……。さすがプレイボーイのモテ男は違うね……。

 ん? そういえば色んな子と付き合ってるって聞くけど、そんなに目立つプレイボーイエピソードは聞いたことないような……。

 気づくと、桐山がじとっとした目で私を見ていた。

「……なんだよ?」

「えっ、いや、別に……桐山君も1人でいることあるんだと思って」

「当たり前だろ、馬鹿かお前」

 うっ、んん? そこまで言う?

 校門を抜け、大学の敷地外へ出た。

 はぁ、なんだかちょっと顔を合わせただけで疲れちゃったな。さっさと帰って休もう。

「じゃあ、ここで……」

 私は桐山に軽く会釈した。爽やかに立ち去ろう。

「おう」

 と不愛想に返して、桐山は背中を向けた。

 私は校門から出て左側へ歩き出した。

 桐山も、校門から出て左側へ歩き出した。

 ……あれぇ?

 私が後ろをついてきていることに気づくと、桐山は肩越しに振り返って訊いてきた。

「お前どこ行くの?」

「この先の駅だけど……」

「へえ」

 もしかして――。

「き、桐山君も?」

「ああ」

 うわぁ。

 同じ駅だ。というか帰り道同じだ。

 これは、また……桐山バイオレンスを感じながら歩かなければいけないのか。

 いや、待てよ?

 校門からは出たんだし、もう別に同じところの学生だとかじゃなくて、外に出たらただの他人同士なんだから、別にわざわざ気を遣って一緒に帰らなくてもいいのでは?

 私と桐山はそんなに仲良いわけじゃなかったし、それこそ普通の行動なんじゃないのかな?

 桐山だって1人なこともあるし、1人でいたい時だってあるよ。

 これ以上睨まれたくないし……ここは微妙に歩調を遅らせて、桐山に先に行かせよう。同じ電車に乗るとしても、遅れていけば違う車両を選ぶこともできる。

 そういった下らない企てを立てて、私は桐山の死角でかなり歩くスピードを落とした。

桐山の背中がどんどん離れていく。いいぞ、この調子だ。

 10メートル近く距離が空いたところで、桐山が立ちどまり、こっちを向いた。私はビクンとした。

「オイ」

 桐山が不機嫌そうな顔をしていた。

 え、な、なんだろう……。

「なんで離れてんだ。ここ歩けよ」

 〝ここ〟、と桐山は自分の隣を指さした。

 え~……。

 一緒に帰らなきゃだめなんですかぁ……。

 私は目をそらした。

「いや、私は別に1人でも……」

「は?」

「なんでもありません」

 私がすたすたと隣まで追いつくと、桐山は再び歩き出した。

 なんで? もう、なんなのこの男~。

 やっぱり外では(外でも?)横には女子を常備しておきたいわけ?

 だとしても、なんでわざわざ私なんかと……ほんとに誰でもいいタチなのかな?

 それはそれでヤなヤツだなあ。

 肩を並べて歩くものの、特に会話はなかった。ただ黙って一緒に歩いているだけだった。

 うん、なんだこれ?

 やっぱり隣にいなくてよくない?

 何か適当な理由をつけて、寄り道を口実に離れようかと考えていると、桐山が道の先にある飲食店を見ていた。

 ちょっと嫌な予感がしたけど気にしないでいると、案の定、桐山が沈黙を破って話しかけてきた。

「なあ、お前コーヒー好き?」

 な、んだろうなあ、突然……。

 私は桐山とぎりぎり目を合わさない程度に視線を泳がせた。

「好き、といえば好きだけど……」

 桐山が歩道沿いのカフェを親指でさした。

「ちょっとそこ入るぞ」

「じゃあ私はここで……」

「はぁ?」

 ほらぁー! やっぱりそうだぁー! カフェに連れてくつもりだよー!

 桐山と2人きりでお店はいるとか……なんか怖いなあ。

 私は桐山と目を合わさないようにうつむきながら、ちょっとだけ離れた。

「いやあの、えっと、そういえばそんなにコーヒー好きじゃなかったかも」

「なに言ってんだお前」

「たったいまコーヒーが好きじゃなくなりました」

「ふざけんなよお前」

 ひぃーっ! だって怖いもん! 桐山と逃げ場のない空間へ行くのとかすんごい怖いもん!

 ていうか! 私! 男の人と2人きりで食事とかしたことないんだけどっ!

 おそるおそる桐山の顔を見てみると……うん、やっぱり怒ってますね。怖いです。眉間のしわで美形が台無しです。

 桐山が怖い声で言った。

「俺と店に入るのがそんなに嫌か?」

 う……。

 私はちらっ、ちらっ、と桐山の顔色をうかがいながら、やはり直視できずに小さく、「別に……」と答えた。

「そういうわけでは……」

「じゃあ入るぞ」

 桐山がずかずかとお店に歩いて行った。ここで逃げたら後が怖い。どうせ大学で嫌でも顔合わせるんだし……仕方ない、付いていこう。

 悟られない程度にため息を吐き、私は桐山の背中を追った。

 なんで他の女の子には向ける優しさを、私には向けてくれないかなぁ――あんな顔で怖い声出さなくたっていいのに……。

 なんでいちいちあんなに凄むのかなぁ。さっきの「隣歩けよ」とか。他の子にはもっと優しく言うでしょ。

 ……まあ、それは、でも――桐山の私への態度がアレなのは、なんとなくわかる。

 間違いなく〝あのこと〟があったせいだ。そのせいで、私は桐山に嫌われている。

 私は桐山にとって警戒すべき『敵』だから、他の子みたいに接することができないんだ。つまり私は大学屈指のモテ男に、害悪として認識されているのだ。

 なんか切ないなあ私……。

 あの時あの場所に、スマホさえ忘れなければ、こんな想いはせずに済んだのに。

 わざとじゃないのに――

 ………。

 そう思ったとき、私は気が付いた。

 ……それは、桐山も一緒だと。

 彼もわざとじゃなかった。

 あの時、あの場所で、あんな風に私と、互いに最低の出会いをしてしまったことは――桐山にとってもわざとではないんだ。ただただ互いに運が悪かっただけなんだ。

 桐山だって同じように思っているはずだ。

 あの時、ああしなければ、ああしていなければ。

――こんな想いをせずに済んだのに。

 ふと、昔こんな言葉を本で読んだことを思い出した。

――『好き好んでその境遇――その親、その場所、その身体、その心に生まれてくる者など誰一人いない。きっと神もそうだった』

 カフェへと入って行く桐山を、私はまじまじと見つめた。それに気づいた彼が、訝しげに私を見た。

「なに突っ立ってんだ、早くしろよノロマ」

 ……一言余計なんだよなぁ――顔はいいのに。

 お店に入りながら、私は桐山に話しかけた。

「奢ってくれるの?」

「はあ? なんでだよ」

「だって入るぞって言ったの桐山君だから……」

 桐山はフンと鼻を鳴らした。

「なんで彼女でもねぇヤツに奢らなきゃならねぇんだよ」

 こいつっ……この野郎……っ。

 私はせいいっぱいの眼力で桐山の背中を睨みながら、彼の後をついて行った。

 やっぱりこの〝男〟、苦手だ……。

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仁村さん哀れ……(´;ω;`)
桐山くんも、好意的に取ればどう接していいのか図りかねてるっていうところでしょうか?
肉体的には女性だってばれてしまっていて、他の女の子たちと同じようにはいかない訳だし。
今後、二人の関係がどうなるのか興味津々です!!(`・ω・´)ゞ

大久保珠恵

2018/9/6

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とじる

#5 最低なカフェタイム

 カフェに入り、私と桐山は店内の一番隅の席に着いた。そのテーブルは桐山が選んだ。窓から離れているのは、2人でいることが外から見えないようにするためかもしれなかった。

 私たちはテーブルを挟んで向かい合い座った。店員に注文してから、桐山はスマホをいじりだした。私もなんか適当なコーヒーを注文した。

 無理やり入店させたくせに、桐山は何も話してこない。私はそわそわとして落ち着かなかった。スマホをいじる桐山の顔をちらちらと盗み見る。

「……そういえば」

 ふと、桐山が思い出したように口を開いた。私は緊張してぴりっと固まった。

「な……なに?」

 スマホから目を上げ、桐山は私を見た。

「お前……名前なんだっけ」

「………」

 こいつ……名前も知らずに人のこと脅してたのか。

 いや、まあでも、そうか。知らないよね、普通に。

 ついこのあいだまで同じ科に通ってるだけの他人だったんだし。

「仁村結月です……」

 訊いたわりには関心薄そうに、桐山はふうんと頷いた。

「ニムラ、ユヅキね……」

 桐山はスマホを持った手をテーブルの上に置き、あのじとっとした目で私を見た。

「……?」

 私が疑問符を浮かべていると、桐山は我慢しかねたように言った。

「スマホ」

「え?」

「スマホ出せ」

 私はカバンからスマホを出して、桐山の怖い顔と見比べた。もしかして……。

「え、壊すの?」

「バカか。連絡先教えろ」

 私はスマホを握ってたじろいだ。

「えっ。……どうして……」

 まさか桐山、あんなに厳しく接しておきながらも私のこと狙って――

「いいから早く教えろよオイ」

 ――そんなことありませんでしたね、ハイ。いつもの桐山君です。落そうとしてる女の子に対する声じゃありません。

「ラインでいい?」

「うん。あと、メアドも」

 めんどくさ……。

 と思ったことを悟られないように、私はてきぱきと桐山との連絡先交換を終わらせた。アドレス帳に追加された桐山の名前を見て、私は奇妙なプレッシャーを覚えた。

 まさか学内で大モテのチャラ男の連絡先が、私のスマホに登録される日がこようとは……天変地異かな?

 同じようにスマホ画面を確認していた桐山が、声を上げた。

「よし」

 桐山がぎろっと私を睨んで言った。

「これでお前が〝あのこと〟誰かにバラしたのがわかったら、すぐに呼び出すからな」

 私はぎょっとした。

 しまった逃げ場を封じられた! 妙な緊張を感じてる場合じゃなかった!

 桐山は満足げにスマホをしまった。私のスマホを握る手は汗ばんでいた。

 桐山からの呼び出しとか……断れなさそうだし、逃げ切れる自信がない。桐山にとっては、顔を合わせずに私のことを脅す手段を手に入れたわけで……私にとってはかなり不利だ。

 うわぁ……マジでどうしよう。ブロックとかしたら殺されそう。

 その頃に店員が注文したコーヒーを運んできた。桐山は女性店員に爽やかに礼を言ってイケメンスマイルを見せた。しかし、店員がちょっと照れて去ると、桐山は途端に凄んだ顔に戻って私のことを睨んだ。

 いや、だからなんで他の女の人に見せる笑顔を私には向けられないの?

 桐山は運ばれたエスプレッソを一口啜り、深いため息を吐いた。湯気を上げるキリマンジャロを見下ろすと、黒い水面に私の顔が映った。喉はカラカラだったけど、口に運ぶ気になれなかった。

 ……前方から突き刺さるような視線を感じた。言うまでもなく桐山がこっちを見ている。

 やだな、どうしよう。目を合わせたくない。

 キリマンジャロから目を上げてみると、やっぱり桐山がじっと私を睨んでいた。何を言われるんだろう。

 ソファの背もたれに腕を乗せ、桐山は呟くように言った。まるでため息を吐くみたいな口調だった。

「お前……本当に誰にも言ってないんだな……」

 私は眉を上げた。

「えっ?」

 舌打ちすると、桐山は苛立たし気にカップをテーブルに置いた。

「だから、〝あのこと〟誰にも話してないんだろ? お前」

 相変わらず怖い桐山の態度にビビりつつ、私は小刻みに頷いた。

「うん、言ってないよ。し、信じてくれた?」

 フン、と桐山は鼻を鳴らした。

「あれから誰からも妙なことを言われてねえから、そう判断できるってだけだ。信じたわけじゃねえ」

「そ、そう……」

 やっぱりそんな簡単に信用してはくれないか。でも、ちょっとは信じてくれたっていいのに。それに、もうちょっと優しくしてくれたって……。

「なんで――」

 桐山が、カップの水面を見つめながら言った。その声が微かに――いつもよりも音程が高いことに、私は気が付いた。私に凄む時に出す低い声より、ちょっとだけ高いというか、質が少し、違う。

 その時一瞬、更衣室で見た桐山の裸が脳裏を過ぎった。

「なんで、誰にも話さないんだ?」

 私はきょとんとした。

「――え?」

 桐山は私の前では、普段女の子に見せる優しい表情をしない。でも、この時の彼の顔は、私を脅すときの怖い顔とも、違った。

 眉間にしわを寄せ、目を細めて俯いていた。

 桐山がいまどんな感情でいるかを、私は知っているはずだった。そうだ、これは――この感情の名前は――

「だから……なんで誰にも言わないんだよ……?」

 沈んだ桐山の声に、イラ立ちが混ざった。これ以上桐山のストレスが増す前に、私は慌てて答えた。

「誰にも話すなって――桐山に……桐山君に言われたし……」

 桐山は深くため息を吐き、頭を掻いた。それから片手で頭を抱えるようにして、テーブルに肘を立てた。

「あの後……お前を脅した後……やべぇって思った」

 桐山はそう、胸の内を明かした。

 というか、脅したって自覚あったんだ……。

「あんなやり方じゃあ、逆に誰かにバラして仕返しされると思った」

 桐山は自分の髪をくしゃっと握って、テーブルに視線を落とす。

 ……そう思ったなら、途中からもうちょい優しくしてもよかったのに、と思ったけど、もちろん口には出さなかった。

「でも、本当に誰も何も言ってこねぇ。いつもの女たちも、男友達も、誰からも何も言われねえ。こっちはビビってんのに、拍子抜けするくらい何も起こらない。それなのにお前は普通に過ごしてる」

 もう一度、踏み込むように、桐山は私を見て尋ねた。

「なんで誰にも言わないんだ?」

 私は唾を飲み込んだ。適当な誤魔化しをして逃れられる場面ではなかった。

 いま桐山が求めているのは、私の本音だ。それに、嘘を言ったところで、彼にはすぐに見抜かれる。彼は勘がいい。

 私は桐山を怒らせないように、心の準備が出来上がる前に、急いで答えた。そのせいか、選んだ言葉はひどく安直なものになってしまった。

「だって、〝あのこと〟誰かに話しても、私が得するわけじゃないし……」

「…………」

 桐山が目を丸くした。

 あっ。言い方がまずかったかもしれない。

 これじゃまるで、桐山のことをなんとも思ってないみたいな感じになる。

 いや、なんとも思ってないのは確かなんだけど、そういうことじゃなくて――彼のことがどうでもいいとかいうわけじゃなくて――いや、正直どうでもいいんだけど――ああ、なんといえば――。

 1人勝手にパニックになって目を泳がせていると、桐山が深く息を吐きながらテーブルに手を置いた。

 なんて言われるんだろう――私の頭が真っ白になった。

 怒鳴られる? どんな罵倒を浴びせられる?

『俺がどんな想いで』『なんて言い方するんだ』『人の気も知らないで』――下手したら殴られる?

 口をパクパクさせ、私がなんとか謝ろうとしていると――桐山の方が、先に喋った。私はビクッと震えた。

 でも、桐山が出した声は、さっきまでよりもずっと、静かだった。

「それだけか?」

「……?」

 桐山はテーブルから私へ視線を移した。鋭く突き刺すような眼光は消えていた。

「自分に得がないから? それだけで誰にも言わなかったのか?」

 桐山の反応が読めず、私はただ馬鹿正直に頷くしかできなかった。

「う、うん。あと、桐山君に言うなって、言われたから」

 もちろん、そう口止めされなくたって、あんなこと言いふらしたりはしない。

「あんな言い方されたのにか?」

「……うん、そうだよ」

「………」

 桐山はカップを手に取り、コーヒーを一口飲んだ。その短い間すらもたなくて、私は気の進まなかったコーヒーを急いで口に運んだ。

「あつっ」

 そしたら唇を火傷した。

 桐山が腰を浮かせた。口を押えながら顔を上げると、桐山が差し出した手にハンカチが握られていた。

 え、いつ出したの?

「お前、ほんとバカ――」

 素早く手を出しだしてそう言った桐山に、私はちょっと驚いた。女の子にすごく優しい噂の桐山君の姿を――この時初めて目の当たりにした。

 本当に、優しいんだ、桐山って……。

「ありがと……」

 私がハンカチを受け取ろうとすると、桐山はハッとした。私が受け取る前に、桐山はハンカチをテーブルにぼとっと落とした。

 ……いや、優しくするなら最後まで優しくしなよ……っ。

 桐山が拾わなかったので、私はハンカチを取って口を拭った。一応礼は言った。

「どうもありがとう……」

 まあ、貸してくれはしたわけだし。礼くらい普通に言うし。

 私はふと桐山のことを見上げた。

 彼は腰を浮かせたまま。呆然として私のことを見下ろしていた。まるで驚いたみたいな、拍子抜けしたみたいな表情だった。

「お前……」

 肩の力が抜けたように、桐山は呆れた声で言った。

「変なヤツだな……」

 私はハンカチで口を押えたまま尋ねた。

「それはどういう意味で……」

 ソファにどかっと腰を下ろして、桐山は深い深いため息を吐いた。それはストレスというよりも、むしろイラ立ちから解放されたかのような、脱力したため息がだった。

 それにしても、私の前ではよく舌打ちするしため息を吐くなあ、と思った。きっと他の女の子の前ではこんな風にしないんだろうなあ。

 髪を掻き上げて、桐山は言った。

「わけがわからねえ」

「……は?」

 桐山の手触りのいいハンカチを、私は口から離した。

 テーブルに頬杖をついて、桐山は突然こんなことを尋ねてきた。

「お前、何か欲しい物とかないの?」

「え、急になに?」

 桐山はコーヒーをぐいっと飲んで、やれやれとでも言いたげな態度を取った。

「あんなもの見たのに誰にも話さねえ。じゃあ強請ってくるのかと思ったら、何も要求してこねぇ。……わけのわからない女だ」

「強請るって……」

 口止め料を私が要求してくると思ってたってことか。

 ああ、なるほど。そういうこと。

 私がぽかんと口を開けていると、桐山が顔をしかめた。

「なんだよ?」

「いや、その発想はなかったなと思って……」

「マジか、お前……」

 桐山が本気で引いていた。

 人として真っ当なはずなのに、なんでオカシイみたいなリアクションされてるんだ、私?

 ちょっとむっとしたので、私はさっきより落ち着いている桐山を問いただしてみた。

「えっ、なに、桐山君は私が黙ってる代わりにお金とかねだると思ってたの?」

「ああ」

 けろっと答えられた。なんか釈然としない。

「なんでそう思ったの?」

 またしても、桐山は当然のように答えた。

「女って、そういうもんだろ?」

 私はしばし絶句して桐山を見た。今度は慎重にコーヒーをすすって、私はカップをソーサーに戻した。

 私は微かに眉をひそめてしまう。

「えっ、桐山君ってそんな女とばかり付き合ってるの?」

 桐山は肩をすくめた。

「脅すとかは別にしても、鞄だのなんだのねだってくる女はよくいるだろ。こっちは金ねぇっていうのに」

「そうなんだ……」

「物欲ないとか、お前本当に女か?」

「……っ」

 こいっつぅ……!

 確かにそういう女の子はいるけど……私は誰かに高いものたかったりしないし! 桐山の知り合いがそういう子だったってだけでしょ! でもまあ、だからさっき言ったみたいな発想になるんだろうけど。

 私は首を振った。

「私は何もいらないよ。何もくれなくたって、誰にも言わない。約束する」

 桐山のじとっとした目が、私を見つめた。さっきほど厳しい眼差しじゃないけど、まだ私のことを疑っている目だった。

 うぅ……どうしたら信用してくれるだろう。

 私はなんとか弁明しようとした。

「大丈夫だって。見返りとかいらないから。ホントに誰にも話さないって」

 桐山は腕を組んで背もたれに寄りかかった。

「本当か?」

「ほんとうほんとう」

 桐山が眉間を寄せた。

「信用できん」

 もう……じゃあどうしたら……。

 桐山が不安に思っているのは、私が約束を守る根拠がないからだ。

 どれだけ誠意を込めて言ったとしても、それは口約束に過ぎず、桐山にとっては何の保証にもならない。

 桐山はむすっとして私をじっと見ていた。

 ああ、どうしたら桐山は納得してくれるだろう……。

 ……私は、桐山と連絡先を交換したスマホのことを思い出した。

 そうだ、桐山は私が信用できないから、だから逆に、もし私が約束を破った際のための保険が欲しかったんだ。破ればすぐにわかるぞ、お前のことは掌握してるぞ、というアピールのためなのだ。

 後付けの理由で桐山が安心できるのなら、それで彼が納得するのなら、なんとかそれを強化できないだろうか。

 もしなにか見返りを提供しなければ桐山が満足できないというのなら、それを加えてなんとか――。

 私は少しのあいだ考えた。その間も、桐山はずっと私のことをじとっと見ていた。彼も彼で、どうしたら私が信用に足るかを考えていたのだと思う。

 結局いい案は思いつかなかった。どれもこれも口約束でしかない。それで彼に信じてもらうしかなかったし、信じてくれなくても、仕方がないと思った。

 信用し合えるほど、私たちの人としての距離は近くない。

 何故なら、私たちは最低の出会いをしたのだから。

 知られたくないことを、無理やり知ってしまった。こんなことになるなら、私は彼の秘密など知りたくはなかった。互いに損しかしていない。

 だからきっと、一生信じてはもらえない。

 私はキリマンジャロを飲み干した。熱かったけど、なんとか一気に全部飲んで、空になったカップをソーサーに乗せた。

 そして私は、席を立った。

 反射的に、桐山が立ち上がりかけた。桐山が呼び止めるより先に、私は早口で言った。

「じゃあ、私の分もお代払っておいて」

 桐山は眉間にしわを寄せた。

「はあ?」

「この席の分を奢ってくれるだけでいいから。私はそれで満足。それ以上桐山君には何も求めない。私はコーヒー一杯奢ってほしかっただけだから、これでいい」

「お前、そんなことで俺が――」

「それからっ」

 私は桐山の言葉を遮って言った。これにはちょっと勇気が必要だったかあら、桐山とは目を合わせられなかった。やっぱり彼のことは怖い。

 それでもチキンなりに私は頑張った。

「もし私がバラしたらっ、いつでも呼び出して、私のこと好きにしていいからっ」

 あっ、やばくない、これ? こんな態度とったら桐山怒るんじゃない? ちょっとまずい気がする。

 情けなくも桐山から顔をそむけたまま、私は捨て台詞を吐いた。

「私は絶対、誰にも言わないけどねっ!」

 それだけ言うと、私は桐山の返事を待たずして席から離れた。速足で歩き、カウンターの店員に会釈して、私は逃げるように店から出た。

『だからもう私のことは放っておいて』――とまでは、流石に勇気が出なくて言えなかった。

 でも桐山だって放っておいて欲しいのが本音のはずだ。それなら、もうこれっきり、私たちは関わらない方がいい。絶対にその方がいい。

 それにもう、私だって、こんな想いはごめんなんだ。

 代金を払わないといけないから、桐山はすぐに店から出られないはずだ。それに、多分追ってきたりなんてしないだろう。

 あれで信じてくれるわけはないけど、私なりに頑張ったし、ちょっとくらい桐山に伝わって――

 カフェから出た後ちょっと小走りして、歩調を緩めた頃、背後から足音が聞こえた。私は振り返った。

 ――すると、桐山が走ってきていた。

 えぇ!? なんで追ってきてるのぉ!?

「ちょっ、うっそっ……!」

 また走り出そうとしたら、私はつまずいてふらついた。あっという間に追いついた桐山が、転びかけた私の手を掴んで、ぐいっと引き戻してくれた。

 なんとか転倒を免れた私は、強く手を握る桐山を見た。彼は息を切らしており、額に汗が浮いていた。

 足が速いことにも驚いたけど、それよりも、彼が本気で走ってきたことを悟って、そっちの方が驚いた。

 唖然として、私は渇いた口を動かした。

「あ、ありがと……」

 肩を上下させて呼吸を整える桐山は、私の手を握ったままだった。

 私は目を丸くして尋ねた。

「お代は……?」

「ちゃんと払ったっ」

 荒く呼吸を吐いて桐山は言った。

「私の分も?」

「当たり前だっ!」

「な……」

 私は、私の手を強く握る桐山の手を見下ろした。

「なんで、追ってきたの?」

「なんで逃げるんだよ!」

 桐山が怒鳴って、私の手を強く引いた。

 私は肩を震わせた。ちょっと涙が出そうになった。

 桐山が、またあの怖い顔で私を睨みつけた。走ったばかりで辛そうだから、更に険しい顔をしていた。

 なんでって……だって、さっきの態度で、わかるじゃん……わかるじゃん……っ!

 桐山が怒った声で言った。

「逃げなくてもいいだろ」

 更に強く、桐山の手に力が入る。痛い。

「あんな風に逃げられたら、逆に信じられないだろ」

「……なんでって……」

 ガチガチ震える体から絞り出した声は、今にも消えそうなくらい小さかった。

「……わからないの……?」

 桐山が低い声を出した。

「はあ?」

 私は勢いよく桐山の手を振り払って、叫んだ。

「怖いんだよっ!」

 私が急に大声を出して手を振り払ったからか、桐山はびっくりした。でもその顔が、また怖く歪んだ。

「なんだよそれ」

 キッと桐山を睨んだ私の目から、涙がこぼれた。ああ、我慢できなかった。

「わかんないの!? あんなに男の人に詰め寄られたら怖いに決まってんじゃん!?」

 桐山が大きく目を見開いた。

 全力で走ったわけでもないのに、私は息が上がっていた。なんかもう心臓もバクバクいってるし、顔とか耳とか真っ赤になってるのがわかる。

 私はぎゅっと目をつぶって怒鳴った。

「桐山のこと誰にも言わないからっ! 約束するからっ! だからもう放っといて! 男の人怖いの! 私はっ!」

 立ち去ろうとした私を、桐山がまた呼び止めた。

「待てって!」

 私は涙を拭いながら振り返った。

「なんで!? しつこくない!?」

 手こそ掴んではこなかったが、それでも遠慮がちに数歩だけ、桐山は私を追ってきた。もう一度怒鳴ると、桐山はびっくりして足を止めた。

「ハンカチなら洗って返すから! ちゃんと約束しますっ、きれいにしますっ」

「そうじゃねぇよっ。大声出すなっ」

「どっちがっ!?」

 桐山が足を止めた隙に、私は駅の方へ走り出した。今度は転ばなかった。

「お前――俺のこと――」

 私は立ち止まって、バッと振り返った。桐山が驚いた顔で、私のことを見ていた。

 ほとんどうわの空で、桐山は口を動かしていた。

「……なんで、お前……」

 桐山が何と言おうとしたのかはわからなかった。私はカバンの紐をぎゅっと握り締めて、最後に出せる限りの声を絞り出した。

「私は別にさ――桐山を困らせたいわけじゃないから。……だから、誰にも言わないよ」

 桐山がどんな顔をしていたのか、私は知らない。そのあとすぐに、私は踵を返していたから。

「……ハンカチ、返すとき連絡する」

 私は駅まで走った。

 足の遅い私に桐山が追い付かなかったということは、彼は追いかけてはこなかったということだ。

 駅で桐山の姿を見なかったから、多分同じ電車には乗っていなかった。すぐに泣き止んだけど、目は赤かっただろうから、人目を避けて電車に乗った。

 車両の端っこで顔を隠しながら壁を見つめて、私は自己嫌悪に陥った。

 反省していた。後悔していた。

 桐山には、悪いことをしたと思っていた。

 つい我慢できなくて、怒鳴ったり手を振り払っちゃったりしたけど――ほんとは、桐山の気持ちがわからないわけでもなかった。

 カフェで桐山が見せた、あのなんとも言えない表情。あの表情が物語る彼の感情の名前を、私は知っている。

 私といっしょなんだ。

 いや、もしかしたら、私よりも、ずっと深く。

――私が桐山を怖いみたいに――

――桐山も、私が怖かったんだ――

 あの時、更衣室で偶然私が桐山の服の下を見てしまったとき。

 私が彼を恐れるよりも早く、桐山にとっては私が怖い存在になっていたんだ。

 きっと、私が彼を怖がる以上に、怖かったのだと思う。

 彼が今までどんな人生を歩んできたのかは知らない。でも、彼のあの必死さを見るに、彼がどれほどの恐怖を私に感じたかは、計り知れない。

 あの瞬間、裸を見られたあの一瞬で、私は桐山にとって何よりも恐ろしい存在になった。

 だからつい強くあたって、脅してしまった。そんな態度をとってからは、対応を変えることができなくなってしまった。

 私は桐山を困らせたいわけじゃない。でも結果として、彼のことをこんなにも、困らせてしまっている。

 あの日あの場所にスマホを忘れてしまったことを、心底後悔していた。こんなに桐山に迷惑をかけるくらいなら、スマホなんてあそこに忘れたまま帰ればよかったんだ。

 あれほどまで、あんな顔をさせるまで――彼を怖がらせてしまうくらいなら。

 申し訳ないことをした。桐山だって好きであんなこと言ったり壁ドンしてたわけじゃない。私にだって会いたくないのに、勇気を出して、自分を守るために必死だったんだ。

 彼はずっと――私が怖くて、仕方なかったんだ。

 私はスマホの、桐山の連絡先を見つめた。

 ハンカチを返すとき、ちゃんとお礼を言って、そして今日のことを謝ろう。

 どうしたら彼が私を信じてくれるのかを、尋ねよう。

 彼が勇気を出したみたいに、今度は私が勇気を出して、彼に向き合おう。

 思えば私は、まだ一度も、彼を困らせていることを謝っていない。

 私は壁に額をくっつけて、肩を落とした。

 昔から、そうだ。

 誰にも聞こえないくらい小さい声で、私は呟いた。

「怖いからって逃げ出す癖……私も直さないとな」

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ああ、そういうことでしたか。
まあ、桐山さんが大人げないですけどねえ。
こういうことで二十歳そこそこくらいの人に大人として振舞えなんて難しい訳で。
普通の何倍もセンシティブな問題でしょうし。
仁村さん優しいな。
相当失礼な捉え方されたのに、桐山さんを気遣ってあげるとは。
さて、今後距離は縮まるのでしょうかね……?

大久保珠恵

2018/9/12

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