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Ringing Ring [ リンギング リング ] 完結

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「そこには確かに、十七歳の僕たちがいた」

文芸部部長の「僕」は、小説を書くこともなく無為な日々を送っていた。
春のある日、たった一人の熱心な後輩部員・美咲からメールで送られてくる作品を読む約束をする。
それは、恋を知らない少年と少女の恋物語だった。
いつもとは違う作品の雰囲気に戸惑いつつも何故か引き込まれる僕だったが、
その物語には美咲のある想いが隠されていた──

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目次

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プロローグ

  雪が降っていた。呼吸をするたびに、目の前に白いもやがかかってはすぐ消える。ちらちらと細やかな粒子が視界を横切っては足元へと落ちる。それ以外に動くものは何も無い。

  時折どこか遠くのほうから、風の吹く音が聞こえてくるだけだった。あれはきっと、自分を呼んでいるのだと彼女は思った。

  彼女は言葉を忘れ、ただ目の前だけをじっと見つめていた。これまでにこんな景色は見たことがなかった。時間が止まったような、という言葉は、きっとこんなときに使うのだろう。

  本当に時間が止まってしまえば良い。彼女はそんなことを考えていた。

  降り積もった雪が音を消してしまうからか周囲はやたらと静かで、そのせいか自分の胸の鼓動の音がやけに大きく響いている。

  繋いだ手を通じて、彼にもそれが伝わっていないことを、彼女は祈っていた。

  リン、と鈴の音が小さく鳴った。

 

 「綺麗ね」

  彼女がつぶやく。その小さな声は、雪に溶けてすぐに消えた。

 「うん。綺麗だ」

  彼が答える。その想いが零れ落ちてしまわないように、彼は握った手に微かに力をこめた。

  二人は同じ景色を見ていた。そうしていて、幸せだった。お互いの心の中にある想いが違うことを、彼女は知っていて、だからこそ、ずっとこうしていたいと願っていた。

 

  消えそうな体温を分け合うように、どちらからともなく、冷たい指先を二人は強く握りあった。

 

 

修正履歴

  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/08/27)
  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/08/25)

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とじる

 目を開けて初めに飛び込んできたのは、机を挟んで僕の向かい側に座る美咲の姿だった。周りを見回そうとして、それからすぐに首の痛みに気づく。

 どうやら本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

「あっ、おはようございます先輩」そう言いながら、美咲が文庫本に落としていた視線を上げる。「よく眠れました?」

「おはよう」と僕は凝り固まった首を回しながら、美咲に聞いた。「どれくらい寝てた?」

「私が来たときにはもう寝てましたから、少なくとも一時間半以上ですね」

「ああ、そう」と僕はあくび交じりに答える。どうりで首が痛いわけだと思った。

 さっきまでは明るかったのに、いま目の前に広がる光景は夕焼けの景色そのものだった。微かにカビの匂いが漂う教室の、全てが赤く染まっている。

 窓の外から、金属バットが硬球を打ち返す甲高い音が響いてきた。続いて大きな歓声が上がる。

「あんまり気持ちよさそうに寝てるんで、思わず頭を引っぱたきたくなりましたよ」

「なんでさ」

「何となく、目の前で熟睡されると腹が立ちませんか? まあ、イビキはかいていなかったので辛うじて踏みとどまりましたけど」

「それは、本当に良かったよ」目の端に浮かんだ涙を拭いながら僕は言った。

「先輩、もしかして疲れてます?」

 美咲は小首をかしげながら、そう尋ねる。

「いや、そういうわけじゃないけど」と僕は言った。「なんで?」

「居眠りしてる先輩なんて珍しかったので」と美咲は言った。「あっ、もしかして、昨日夜遅くまでずっと書いてたとかですか?」

「いや、そういうわけじゃないけど」と僕は同じ言葉を繰り返した後で、それだけではあんまりだと思い、少しだけ言葉を付け足した。「今日は良い天気だから」

 窓の外に目をやると、散り遅れたまばらな桜の花びらが、遅刻した言い訳でも探しているかのように枝にしがみついていた。

 変わらずに繰り返してきたこれまで季節に何も学ばなかったのか、それとも平均よりも怠け者なのか。二階まで延びたその枝葉は、一体どれほどの時間をかけて成長してきたのだろう。

 穏やかな風が吹き、木全体を揺らすと、慌てて駆け出すみたいに、何枚かの花びらが風に舞っていく。

 春の日で、平和な日だった。

「たるんでます!」

 突然の大声に僕は慌てて美咲へと向き直る。

「たるんでますよ。先輩」

「何が?」と僕は尋ねる。

「先輩」美咲は大袈裟なため息を一つついて言う。「ここはどこですか?」

「部室だけど」

「その通りです。そして私たちは文芸部員です」

 美咲の目線は、違いますか? と僕に尋ねかけているようだった。もちろん違わないので、僕は頷いた。

「部員であれば、部活動をしなければいけません。それでは、文芸部の活動とは!」まるで演説でもするように、美咲はそこで一度言葉を区切る。演出としては効果的だが、これでは文芸部ではなくて、弁論部のようじゃないかと僕は思った。

「そう。小説を書くことです」

「いかにもその通り」

 文芸部の活動として決まっていることは、年に一度、文化祭で部誌を展示することだけだった。それ以外に主だった活動は特になく、文芸部員たちは部誌が発行されることを目指し、日々原稿に向かうことになっている。

 とはいえ、それすらも実際には、あくまで努力目標であって、間に合わなかったとか、あるいはやる気がないとかで部誌を出さない年も多いのだと顧問の教師は言っていた。

 僕が入部した一年生のときには結局何も出さなかったし、去年だって作品が集まらないからと三年生に泣きつかれて、渋々書いた短編を寄稿しただけだった。

 

 今年は部員も僕と美咲の二人きりだし、部誌の発行はないものだと思い込んでいたのだけれど、美咲の方はそんな風には考えていないらしい。新学期になって以来、こうしたやり取りはもう何度目になるだろう。

「部誌の締め切りなんて、もうあっという間なんですよ?」

「そうだね」と僕は答える。

 秋の展示のためには、夏ごろまでには書きあがっていないと間に合わない。まだ時間に余裕があるとはいえ、このままで書きあがるとは思えなかった。

 何故なら僕はまだ何も書いていないし、書き始める気もないのだから。

「……先輩、最近書いてます?」

「書いていない」

 僕が即答すると、美咲は一瞬だけ泣きそうな顔になったけれど、すぐに表情を切り替えた。静かな闘志に燃えるような瞳は、目標に向かって全力で突き進む、正しき青春のあり方だった。

「絶対に書いてもらいますからね!」肩口で切りそろえられた黒髪を揺らし、美咲は僕に向かって人差し指を突きたてた。

 これまで何度も思ったことだけれど、美咲には文芸部なんかよりも、運動部の方が絶対に似合っていると思う。快活という言葉を粘土のように捏ねて人型にしたみたいな美咲が、どうして未だにこんな薄暗い部室にとどまっているのかは、美咲が入部してきて以来の謎だ。

 たとえ何かの間違いで文芸部に在らぬ理想を抱いて入部したのだとしても、大抵の人間は数ヶ月もすれば現実に気づいて去って行くものだ。実際、初めは四人いた美咲の代の部員たちは、美咲を除いた全員がもう辞めてしまっていた。

「……どうしてそんなに部誌にこだわるのさ」

「だって、何か形に残したいじゃないですか」と美咲は言った。「私たちがここにいたっていう証を」

「それが部誌?」

「そうですよ。何しろ私たちは文芸部員なんですから」美咲は仁王立ちの姿勢のまま胸を張った。それから、今思いついたように言葉を付け加える。「それに、今このときは、今しかないんですからね」

 その言葉は妙に真に迫っている気がした。僕は茶化す気をすっかり削がれて、ため息をついた。

「努力するよ」

 そう答えはしたものの、もちろん書く気などほとんど無かった。何しろ僕は、文芸部員であるよりも前に、受験生なのだから。

「今日はもう帰ります」

 美咲は鞄を手に取ると、僕に背を向けた。そのまま帰るかと思われた美咲は、しかし扉に手をかけたところで一度振り返る。

「実は今、書きかけてるやつがあるんです。きっと傑作ですよ」

「ああ」と僕は曖昧に頷いた。「そうなんだ」

「今日の夜にメールで送りますね。期待しててください」と美咲は言い、それから照れたように少し笑った。「でも今回のやつは、感想はいりませんから。ただ読んでもらいたいだけですので、悪しからず」

「それは残念だ」と僕は肩をすくめる。「辛口にぶった切ろうかと思ったのに」

「先輩なんてキライです」と美咲は笑いながら応えた。そしてもう振り返ることなく部室から歩き去っていった。

 美咲の足音が聞こえなくなると、僕はもう一度大きなため息をついた。グラウンドから、キンという甲高い音がもう一度響いた。

 率直に言ってしまって、気が重かった。美咲の文章はこれまでに何度も読んでいるけれど、美咲は、やる気と実力が比例しないという悲しき見本なのだった。

 

---

 その日の夜。風呂から上がり部屋に戻ると、ベッドの上に置いてあった携帯電話がメールの受信を告げていた。

 夕方の宣言どおり、それは美咲からのメールだった。僕は濡れた髪を乾かすよりも先に、何の気なしに携帯電話を手に取った。

『先輩、書いてますか? どうせ書いてないんですよね? そんなこと、お見通しですよ。帰り際に言っていた傑作を送りますので、これ読んで、やる気出してくださいね!』

 そんなおせっかいな文面に続いて、そのメールの最後にはテキストファイルが添付されていた。

 僕はそれを読んだ。初めはいつも通りの重い気持ちで。けれど次第に、携帯電話を手にしたまま、僕はその文章に読みふけった。

 その小説は、恋を知らない少年と少女の恋物語だった。

 彼女たちは夜のゲームセンターである日突然出会い、そして恋に落ちる。言葉にすれば数文字ですんでしまうような、そんな単純な物語に妙に引き込まれてしまったのは、その物語がこれまで美咲が書いてきた小説の文体とはまるで違っているからだと、読み終わったあとに気づいた。

 これまで童話か絵本のような物語しか書かなかったのに、目の前にある美咲の文章はどういうわけか、どこか大人びていた。

 『春』とタイトルの付けられたその文章は、物語の途中で唐突に終わっていた。続きが読みたい、と僕は思った。濡れた髪はいつの間にか乾いてしまっていた。

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とじる

《春》

  それは時代がかった、今ではめったに見ることもなくなったような、二つ折りの携帯電話だった。

  その真っ白な携帯電話は、まるで誰かに気づかれるのを待っているかのように、格闘ゲーム機の上、操作レバーの隣に無造作に置かれていた。

  それが誰の持ち物かは明白だった。つい数分前に彼を完膚なきまでに打ちのめした、対戦相手のものに違いなかった。

  彼が辺りを見回すと、ゲームセンターの入り口から今まさに出て行こうとしていく、制服姿の女の後ろ姿が見えた。

  そうだ。さっき機械越しにちらりと見た姿は、あんな格好の女だった。

 「くそっ!」

  彼は苛立たしげに舌打ちをすると、携帯電話を手にその後姿を追った。駅とは逆方向に歩いていくその背中は、腰まで伸びた黒髪のせいで、闇に溶けるみたいにどこか捉えどころが無い。

 「おい。待てよ!」

  ようやく追いついた彼がそう呼びかけると、彼女は追ってきた相手が誰なのか分かっているかのように優雅な動作で振り返った。

 「これ、お前のだろ?」

 「やっぱり気づいてくれたんだ」

 「……どういう意味だよ」

  憮然として尋ねる彼とは対称的に、彼女は何故か嬉しそうに笑っていた。

 「君と、知り合いになれたら良いかなって思って。わざと置いていったのよ」

  そう言って悪戯っぽく笑う彼女の姿は妙に幻想的で、彼は彼女から目が離せなくなった。

  あどけなさの残る表情は、制服を着ていなければ中学生だと思ったかもしれない。けれど彼女の纏う空気は随分と大人びていて、大学生だと言われても何の疑いもなく信じただろう。

  少なくとも分かるのは、澱みきった夜の街は彼女には似合わないということ。彼女にはきっと、もっと明るく清潔な場所こそが相応しいのだろうと彼は思った。

 「ねえ、私、今まで恋ってしたことが無いんだ。君もそうなんでしょ?」

 「だったらなんだよ」

  警戒心を孕んだまま、彼は言葉を返す。

  本能が彼に告げていた。これ以上この女と話していたら、きっと取り返しのつかないことになる。けれど数秒後、もはや手遅れだったのだと彼は気づく。

 「じゃあ、私たち、恋愛しようか」

  その一言で、彼は生まれて初めての恋に落ちた。

 

 

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とじる

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 待ち合わせ場所である駅前広場の時計台に美咲がやってきたのは、約束の時間からきっちり三十分遅れだった。

 もうこのまま帰ってしまおうかと考え始めたころ。駅から出てきた美咲は僕の姿を見つけると、慌てた様子で駆け寄ってくる。

「すみません」と美咲は言った。「ちょっと遅れちゃいました」

「ああ、うん」と僕は言う。「……ちょっとね」

 走ってきたせいか、美咲の頬はうっすらと赤らんでいるようだった。美咲は胸に手を当てて少しの間息を整えていた。

「ごめんなさい。もしかしてだいぶお待たせちゃいましたか?」

「いや、まあ。うん。大丈夫」

「なんですかその微妙な返答は」そう言いながら美咲は眉根を寄せた。「もしかして怒ってます?」

「いや、そうじゃないけど」と僕は首を振った。

「けど?」

「約束に遅れるなんて珍しいなと思って」

 それになんの連絡もなく。美咲の性格なら遅れるとしても、一言くらいあっても良さそうなものなのに。

「分かってないですね先輩」美咲は軽く肩をすくめて言う。「女の子には色々あるんですよ」

「色々って?」

「分かってないですね先輩」と美咲は同じ言葉を繰り返した。「それは乙女の秘密です」

「ああ、そう」と僕はため息をついた。

「それより先輩」美咲は僕の正面まで移動してくると、姿勢を正した。「何か一言くらいないんですか?」

 美咲の期待しているところはなんとなく分かっていたけれど、僕はあえてそれを無視することにした。

「何か、とは?」

「ほら、もっとちゃんと見てくださいよ。どうですか」

 美咲はじれったそうに両腕を広げ、目線で自分の身体を示した。ピンと背筋を伸ばし僕の言葉を待っているその様子は、家で飼っている柴犬が、散歩をねだるときの姿を僕に思い出させた。

 少しくらい期待に沿っておかないと、後が怖そうだ。

「ああ、うん」と僕はたった今気づいたみたいな風に言った。「私服だね」

 美咲は満足げに頷く。

「ほら」美咲はその場でくるりと一回転してみせた。「どうですか?」

 僕は少しだけ笑ってしまいそうになる。パタパタと音を立て、尻尾が左右に振られているみたいだったから。

 美咲の私服は、春の雲のようにふわりとしたピンクのワンピースに、春の空のように淡い青色のニットを重ね着した、実に女の子らしい格好だった。

 控え目に付けられたネックレスの先には指輪を二つ繋ぎ合わせたような飾りがかかっていて、美咲の動きに合わせて澄んだ音が小さく鳴っていた。

 僕はファッションに疎いのでよく分からないけれど、お洒落をしている姿を見て、美咲もやはり女の子なのだと改めて思った。

「まあ、うん」と僕は言った。「似合ってるよ」

 イメージとは違うけど。という言葉は言わないでおいた。美咲ならジーンズか、もしくはミニスカートか、とにかく動きやすい服を好みそうだと思っていただけに、ここまで可愛らしい服装は意外だった。

 美咲は僕の言葉に一瞬だけ顔を綻ばせかけたけれど、すぐに慌てたように表情を戻した。

「……辛うじて及第点ってところですね」

「それはどうも」と僕は返す。

「全くもう」と美咲は不満そうに頬を膨らませながら言った。「もっと気の利いたことは言えないんですか? せっかくのデートなんですから」

「ああ、うん」僕は曖昧に頷く。「デート、ね」

 その美咲の言葉に僕は思い出す。そうだった。これはデートなのだった。

 

---

 

 きっかけは一昨日、金曜日の部室での出来事だった。

「先輩」と名前を呼ばれてルーズリーフから顔を上げると、それまで本を読んでいたと思っていた美咲は、いつの間にか本を閉じて、僕の方へと向き直っていた。

「先輩。今度の日曜日って暇ですか?」

「なんで?」

「どこか遊びに行きましょう!」と美咲は言った。

「……暇じゃない」と僕は答える。

「嘘ですよね」と美咲はあからさまに胡散臭そうな表情を作った。「それとも、何か先約があるんですか?」

「そういうわけじゃないけどね。家で勉強しようと思って」

「要するに暇ってことじゃないですか」

 僕は頭を抱えたくなった。

「知らないようだから教えておくけれど、実は僕は受験生という生き物なんだ」

 いきなり何を言い出したのかという戸惑った目で美咲が僕を見る。

「知ってますよ、そんなこと」

「ならこれも知ってるだろうけど、受験生は暇がないということで有名なんだ。なにせ一年間しか寿命が無い。その間に頑張った受験生は大学生へと進化できるけど、精一杯生きられなかった受験生は、浪人生になってしまう」

「つまり」美咲は勢いよく立ち上がると机越しに身を乗り出して、僕に詰め寄りながら言った。「私なんかと遊んでる暇はないと、先輩はそう言いたいわけですね」

「そこまでは言ってない。ただ、優先順位があるというだけのことで」

 僕は上体を後ろに反らしながら答える。夏の暑さのせいか、汗が一筋頬を伝っていくのを感じた。美咲は椅子に座りなおすと呆れ顔で言った。

「同じことじゃないですかそれ」

「そりゃあ、結果だけ見たらそうなるかも知れないけど」と僕は言った。結果は同じでも、気持ちの上では大きな違いがあるということに、美咲は気づいてくれていないようだった。

「ま、そういうわけだから、お誘いはありがたいけど遠慮しておくよ」

「そんなこと言わずに付き合ってくださいよ」と美咲は言った。「それに、私だってただ遊びたくて言っているわけじゃないんですから」

「どういう意味?」

 美咲はコホンと小さく咳払いをして、少し、居住まいを正した。

「この間から先輩に送っていた小説があるじゃないですか。最近は全然送れてないですけど」

 それは確かに僕も気になっていたことだった。定期的に届いていた美咲からの物語は、『春』の章が終わるとともに、ぱったりと来なくなっていた。

 その話題に触れるべきなのかどうか分からないでいるうちにいつの間にか春は終わり、制服が半袖に変わっても未だに物語の続きは届かないでいた。僕はきっと、続きを読みたいと思っているのだろう。

「……それで?」

 気になる気持ちを意識的に抑えながら、僕は続きを促す。美咲は小さく頷いたようだった。

「続きを書こうとは思っているんですけどね。それでですね、今度、主人公とヒロインの女の子がデートするシーンを出す予定なんですけど、それがなかなか進まないんです」

「なるほどね」と僕は頷く。何となく話の流れが見えてきた気がする。それも、良くない方向に。

「そもそもが、書けていないのは私に恋愛経験が少ないってことが原因だと思うんです。理想のデートみたいなものはあっても、全然リアリティが無いせいで納得出来なくて、それで進まないってこともあると思うんですよね」

 美咲の次の言葉は容易に想像できた。

「だから、取材もかねて、私に付き合って欲しいんです」

 美咲はジッと僕の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。真に迫っているせいで僕は目を逸らせずに、真っ向からその視線を受け止めるしかなかった。

「それに、これは文芸部にも関わることなんですから、先輩にも協力する義務があると思います!」

「ふむ……」

 そう言われてしまっては仕方ない。たとえどれだけやる気が無かろうと、後輩に協力を頼まれれば無下に断わるわけにもいかないだろう。これでも僕は、文芸部の部長なのだから。

「わかったよ」僕は大きなため息をついて諦めた。これ以上の抵抗は、きっと無駄な努力にしかならないだろうという気がした。「まあ、勉強の方は一日くらいなら休んでも大丈夫だろうし」

「やった!」と美咲はガッツポーズをした。「それじゃあ明後日の日曜日、よろしくお願いしますね!」

「……わかったよ」と僕はもう一度ため息をつく。「段取りは全部任せるよ。待ち合わせ場所とかどこに行くとか、適当に決めてくれればいいから」

「わかりました!」と美咲は大きく頷く。「それじゃあ今日帰ったらメールしますね。私の理想のデートを見せつけてやりますんで、覚悟しておいてください」

「はいはい」

 僕の心境を象徴するかのように、けたたましい蝉の声が教室の外から聞こえてきていた。夏の日は長く、まだまだ落ちる気配は無い。

 

---

 

 日曜日だということもあってか、駅前は休日を満喫する人々で溢れかえっていた。

 美咲の横に並んで歩いていると、美咲は控え目に僕の服の裾をつかんできた。はぐれてしまわないようにだろう。

 そのまま少し歩いていると、ほどなく目的地に到着したらしい。

「まずは映画を観ます!」

 美咲はいつにも増してはしゃいでいるようだった。美咲は目の前の建物を指し示しながら、力強くそう宣言した。

 そこは総合ショッピングモールのようになっていて、映画館も併設されている施設だった。

 僕もこれまでに何度か来たことがあるが、上映される映画の傾向があまり好みではなくて、最近ではすっかり足が遠のいていた。

「先輩は普段、映画を観たりしますか?」

「まあ、たまには」と僕は言った。「ほとんどはテレビで観るだけだけどね」

「それじゃあ好きなジャンルはあります?」

 美咲は劇場に貼り出されているポスターたちを指差しながら僕に尋ねる。

「うーん」僕は少し考えてみた。「基本的にはなんでも観るけれど、アクションやホラーは苦手な方かな。どちらかと言えば、ストーリーがしっかりしていて物語に入り込めるようなものの方が好みなんだと思う。そう言った意味では、ヒューマンドラマや青春もの、あとは世界観の作りこみを感じられるようなSF作品を良く観るような気がするけど」

「先輩」美咲はいつの間にか、呆れたような目で僕を見ていた。「別にそこまでの自己分析は求めてないです。普通にSFが好き、アクションは苦手、とか、そんなくらいで良いんですよ」

「ああ、そう」と言ってから、僕は答えた。「なら、SFが好きで、アクションは苦手」

 美咲はますます呆れ顔を濃くした。言われたとおりにしたのに、一体何が不満だというのか。

「まあいいです。一応聞いてみただけで、観る映画はもう決まってるんですからね」

 なら聞く必要は無かったじゃないかと思ったが、文句を言うのはやめておいた。今日のプランを美咲に任せると言ったのは他ならぬ僕なのだから。

「公開されてからちょっと日は経ってますけど、ずっと観たかったんです。感動作だって話題なんですよ」

 美咲は照れたように控え目に笑っていた。そんな仕草も普段の美咲らしくなくて、戸惑ってしまう。

「ふぅん」

 僕は辛うじてそれだけを言うと受付の列に並んだ。美咲は何も言わずに僕の隣に並んだ。それは恋愛映画らしい。確かに言われてみれば、並んでいる人たちも男女のカップルが多い気がした。なるほど、これも美咲の理想のデートの一つということなのだろう。

 まあ良いさ。と僕は心の中だけで呟く。

 実際、観る映画のジャンルなんてなんでも良かったし、それに今日は小説の取材をすることが目的なのだから、美咲の思うとおりににさせてやるのがいいだろう。デート代は全て男性が出すべき、などと世迷言を言い出さない限りは。

---

 

「なんなんですかあの映画は!」

 ハンバーガーを一つと、フライドポテトを食べ終わっても、美咲の気持ちは一向に収まる気配がなかった。どうも、さっき観た映画が気に入らなかったらしい。頬まで赤く染めながら、僕に文句を言い続けている。

 お昼時のフードコートは僕たちと同じような人たちでごった返していた。

 同じような、というのはつまり、暇を持て余した若者が、という意味だ。僕は、どれだけ時間を無駄に使えるかが人生の豊かを決めるのだと、以前に祖母が言っていたことを思い出した。

 小さなテーブルに身を寄せ合った僕たちは、周りの喧騒に掻き消されないように、自然と顔を寄せ合うようにして話をするしかなかった。

「別にそこまで悪い映画とは思わなかったけどね」

「……先輩、本気で言ってるんですか?」

 美咲は信じられないという顔をした。

「そんな怖い顔をされても困る」と僕は言った。むしろ、どうしてそこまで悪し様に言うのかが分からなかった。

「特に貶す要素は無かったと思うけど。演技や演出も悪くなかったし、ストーリーだって、ハッピーエンドではなかったけど、それが逆にリアルな感じがして良かったと思う」

 美咲は苛立ったように、ストローを強く吸い込んだ。ズズッという大きな音がやたらと耳につく。

「それですよ」と美咲は言った。「だから気に入らないんです」

「よく分からないな」と僕は言う。

「せっかくの物語なんだから、幸せであってほしいじゃないですか」美咲はジュースの紙コップを手元で弄びながら答える。「幸せじゃないなら、現実で十分なんです。ハッピーエンドだからこそ物語には価値があるんですよ」

「分からないな」と僕はもう一度言う。「それじゃあ世にある物語の半分には価値が無いことになってしまうよ」

「事実は小説よりも奇なりって言うじゃないですか。物語というものはすべからく劇的であって欲しい、幸せであって欲しい。私はそんな理想をもって物語に触れているんです」

「ふむ」

 また理想と言う言葉が出てきた、と僕は思っていた。

「とは言っても、これが普通の人には理解されないってことくらい分かってるんですよ。だから、これはあくまで、私の理想だというだけのことです」

「なるほどね」と僕は頷いた。

 理想のデートなどといって僕を連れ出している時点でそうなのだろうとは思っていたが、今日の行動を見ただけでも、美咲が理想というものを随分大切にしているということは何となく分かっていた。

 納得は出来ないけれど、言いたいことは理解出来る。そう思って、僕は反論をしなかった。

 ただひとつだけ、

「須らくの使い方が間違ってる」これだけは言っておかなければいけないだろう。

「そろそろ行きましょうか」

 美咲に促されて、僕たちは立ち上がった。美咲はさっきまでハンバーガーが乗っていたトレイを持ち上げる。と、バランスを崩したのか、よろけた拍子に上に乗っていた空の紙コップが滑り、床へと落ちた。

 紙コップはカランと乾いた音を立てる。僕はそれを拾う。トレイを戻し、歩き出した美咲の後ろ姿に、聞いた。

「それで、このあとの予定は?」

「そうですね」美咲は記憶を探るように少しだけ考えてから言う。「まずはモールを回って買い物をします。やっぱり定番ですからね。お互いに服を選びあったり、雑貨屋さんで可愛いマグカップを見たりしたいですね。そのあとはゲームセンターに行ってプリクラを撮りましょう。小説で書いておいてなんですけど、実は私、ゲームセンターって今まで行ったこと無いんです。だから実際に体験してみたいんです。それから──」

「それじゃあ」

 僕は美咲の言葉を遮って言う。楽しそうに予定を語る美咲を見ていると、この次の言葉を口にするのが心苦しい。けれど、僕は言わなければいけない。

「それじゃあ、それは全部キャンセルだ」

「えっ?」美咲は目を見開いて、ピタリと動きを止める。「どうして、ですか?」

「体調、悪いんだろ?」

「どうして、ですか?」と美咲は同じ言葉を繰り返す。

「見てれば分かるよ。さっきから微妙にふらついてる。それに、顔が赤い。熱があるんだろ?」

「あはは」美咲は誤魔化したりしなかった。誤魔化しても無駄だと思ったのかもしれない。「ばれちゃいましたか」

「いつから?」

「今朝からです。今日が楽しみで、昨日あんまり寝てないせいですかね」

「それじゃあ、自分でも分かってるんだろ? 早く帰って休んだ方がいい」

「ダメです!」

 美咲はまるで死刑宣告でも受けたかのように悲痛な表情で言った。周りの人たちが一体何事かと不躾な視線を向けてきていることを感じたが、美咲は気づいていないようだった。

「ダメですよ。そんなの絶対に嫌です。だって、せっかくのデートなのに、こんな中途半端に終われないです」

「だって。ねえ」と僕は頭を掻いた。「気持ちは分かるけど。そんなわけにはいかないよ」

「嫌です……」消えそうな声で美咲は言った。

「ワガママを言わないでよ。それに、何も今日にこだわらなくたって、デートなんていつでもできるじゃないか」

 その言葉に、美咲は弾かれたように僕を見た。その瞳に涙が溜まっているように見えたのは、僕の気のせいだっただろうか。すぐに顔を伏せてしまったから、分からない。

 再び顔を上げた時、美咲はもういつも通りの表情に戻っていた。

「そうですよね」と美咲は言った。「デートなんて、いつでもできますもんね」

「ああ、うん。そうだね」

「それってつまり、次回も付き合ってくれるってことですよね?」

 美咲は言いながら、ニヤリと意地悪そうに笑う。それが強がりだとすぐに分かってしまって、僕はただ頷くしかなかった。それに、小説に協力するといった以上、今さら投げ出すわけにもいかないだろう。

「……もちろん。僕でよければ、構わないよ」

「やった! 絶対ですからね。約束ですよ?」

 美咲は笑う。今度はちゃんと笑ってくれたみたいだった。

---

 駅までの帰り道は、来た時と比べて随分と長く感じた。

 美咲のペースに合わせてゆっくり歩いたということもあるだろうし、重苦しい雰囲気がそう感じさせたということも、もちろんあるだろう。

 

 改札の前まで戻ってくると、ようやく機嫌を直してくれたのか、美咲は立ち止まり、ほんの少し言いよどむようにしながらも口を開いた。

「先輩、今日はありがとうございました」美咲は微笑みながら、小さく頭を下げた。「それと、さっきはワガママ言って、すみませんでした」

「気にしなくても良いさ。それに、ちゃんと聞き分けてくれたしね」

「もう!」と美咲は頬を膨らませた。「子ども扱いしないでくださいよ」

 その言い方がいかにも子どもっぽくて、僕は少し笑ってしまう。やたらと大人ぶりたがるのは自身が子どもである証拠だということに美咲は気づいていない。

 美咲は怪訝そうに、僕を見つめた。

「それで」誤魔化しもかねて、僕は美咲に尋ねた。「今日はどうだった?」

「楽しかったですよ。もちろん」

「そうじゃなくて。小説の参考になったかどうかってこと」

「楽しかったですよ」と美咲は同じ言葉を繰り返した。それから思い出したように、「とても」と最後に小さく付け加える。

「だから、そうじゃなくて──」

「分かってますよ」

 そう言ってから、美咲は小さく首を振る。

「ううん、そうじゃないですね。私、分かったんです」

「……何が?」

「今日一日、本当に、とても楽しかったんです。でもそれは理想のデートができたからじゃなかったんです。映画は思ったほどじゃなかったし、結局途中で帰ることになっちゃうし。ちゃんと予定を考えてきたはずのに、もうボロボロですよね。でも、それでも楽しかったんですよ」

 美咲が何を言おうとしているのかが分からずに、僕は黙って話の続きを待った。

「だから私、分かったんです。デートって結局、何をするかじゃなくて、誰と一緒にいるかってことなんですよ。きっと。映画を観てあれこれ言い合ったり一緒にハンバーガーを食べたり、そういう何でもないことを一緒に楽しめる人がいるってことが、きっと大事なんです。私は、そう思うんです」

 そこまで言うと、美咲は照れたように笑った。

「長々と語っちゃって、なんだか恥ずかしいですね」

「……本当だよ」

 僕は平静を装って返事をしつつも、実際のところ、内心では激しく動揺していた。

 美咲は気づいていないのだろうか。これではまるで愛の告白じゃないか。もし気づいていないのだとしたら、一体どういう意味で言っているのだろう。

「まっ、そんなわけなんで、何とか小説は書けそうです」

「そっか」と僕はぶっきらぼうに言った。「それは何よりだよ」

「考えていたのとはちょっと変わっちゃうかもしれないですけど、書きあがったらまた送りますね」

「ああ。期待してるよ」

 僕が答えると、美咲は満足げに頷いた。

「それじゃ、そろそろ帰りますね」

 美咲に促され、僕たちは券売機で切符を買った。美咲と僕は違う路線なので、ここで別れることになる。

 何度も振り返り、そのたびに大きく手を振る美咲の姿を、人ごみに紛れてすっかり見えなくなってしまうまで、僕はずっと見つめていた。

 

 その日の夜。携帯電話がメールの着信を告げた。僕は勉強の手を止めて、美咲からのそのメールを読んだ。

『先輩、今日はありがとうございました。あのあと家に帰ったら、お母さんにものすごく怒られましたよ。まあ、自業自得なんですけどね。もうすぐ夏休みなので、今度は海かプールにでも行きましょう! その時は、またこっちから誘いますね!』

 そこに綴られた美咲の文章を読みながら、僕はつい笑ってしまう。母親に叱られて小さくなっている美咲の姿が目に浮かぶようだった。

 僕は別れ際に美咲と交わした短い会話を思い出していた。

 去り際、改札を通る前に、美咲は思い出したように立ち止まって言ったのだ。

「先輩、今日は楽しかったです。良かったら、またこんな風に付き合ってくださいね」

「まあ」と僕は困ったように曖昧に答える。「受験勉強に支障が無い範囲ならね」

 けれどその言葉はただの言い訳だった。またこうして美咲からの誘いがあることを、僕自身いつの間にか期待してしまっていた。美咲と過ごす休日に心地良さを感じていたのだということに、僕はこのときになって初めて気づいたのだ。

 そのメールには、テキストファイルが添付されていた。『夏』とタイトルのつけられたその物語を、僕は読んだ。

 その物語の中で、少年と少女は海へと出かけていた。それがきっと、美咲の理想なのだろう。現実に即したような展開に、僕は勉強を再開することも忘れて、一息にそれを読みきった。

 

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とじる

《夏》

  彼女は生まれて初めての海を見て、可愛らしい歓声を上げた。

  彼はその姿を誇らしげに見ていた。彼女を喜ばせたのが自分自身なのだということが、彼には嬉しかった。

  彼女は海に入ることを怖がった。生まれてから一度も、泳いだことがないのだという。彼はその手を引き、波打ち際を二人で歩いた。足をくすぐる波の感触に、彼女はまた楽しげな声で笑った。

  彼女は透き通るように白い肌をしていて、夏の日差しを浴びたその身体はすぐに真っ赤に焼けてしまう。まるで雪が儚く溶けてしまうようなその姿に、彼の心もジリジリと焦がされていくみたいだった。

 「ここで待ってて」

  彼は岩場の陰に彼女を座らせると、それからグングンと泳いで遥か沖まで辿り着いたところで、彼女に向かって手を振った。彼女から見えるはずも無いことは分かっていて、それでも手を振った。

  彼女も手を振り返した。そうして大声で彼の名前を呼び続け、そのまま気を失った。

 

  ──リン。

  彼女が目を開けたとき、目の前にあったのは彼の心配そうな顔だった。それで彼女は、自分が倒れたのだということに気づいた。

  ──リン。

 「どこかで、鈴みたいな音がする」

  と彼が呟いた。

 「私の心臓の音だわ」

  と彼女は鈴の音のような声でささやく。

 「私ね、十歳のときに心臓の手術をしたの。だから私の心臓には小さな金属が入っていて、心臓の鼓動に合わせて、それが音を立てるのよ。だって私、いまこんなにもドキドキしてるんだもの」

  彼はもう居ても立ってもいられなくなって、彼女を強く抱きしめた。その拍子に彼の腕の中から、また澄んだ鈴の音が小さく響いた。彼の胸に顔を埋めて、彼女は幸せそうに微笑んだ。

  また来よう。と彼が言う。彼女も、黙ったまま頷いた。

 

 

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とじる

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