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金色村求婚monogatary

最低な出会い、最高の恋

更新:2018/9/28

カンリ

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一世一代の恋が実ることなく、失恋した稚矢子(ちやこ)。その場面をたまたま真道(しんどう)に目撃され、赤っ恥をかく。夜、自宅に戻ると父に招かれた真道が自宅にいた。そこで稚矢子は何故か、真道に求婚されてしまう。
架空の国を舞台にした、和風恋愛物語。

1位の表紙

目次

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 稚矢子(ちやこ)は、一世一代の恋をした。

「末廣(すえひろ)さんっ! す……、好きです! 私の恋人になって下さい!」

 だが、その想いはすぐさま儚く散った。

「……ゴメンな! 俺、既婚者だから!」

 村で一番の規模を誇る羊毛工場の敷地の隅。辺り一面に降り積もった雪が、太陽の光をキラキラと反射する中。

 彼は左手を顔の横でヒラヒラとさせ、その薬指にはめたモノを光らせた。そしてそのまま手をフリフリと、去っていく。ガーンと頭を撃たれたような衝撃に目眩を覚えた稚矢子は、ガクッと膝をついて項垂れた。

 まさか、既婚者に恋をしてたとは。

「普段指輪なんて付けていなかったのに……」

 普段会話する時も、家族がいる気配なんてまるで感じさせなかった。ここまで来ると、単純に弄ばれたような気さえしてくる。

 ムクムクとわき起こる怒り。そして稚矢子の中の何かがプッツンとして、彼女は腹の底から叫んだのだった。

「この……スットコドッコイがーっ!!!」

「おい、稚矢子というのは君か?」

 稚矢子は驚いて身体を震わせた。あえて人の立ち寄らない場所を選んだというのに、背後に人が立っているではないか。

 涙に濡れた目をゴシゴシと擦った稚矢子は、勢いよく後ろを振り返った。するとそこには、帽子を被りカッチリとした軍服とマントを身に纏った、整った顔立ちの男が立っていた。

 誰だろう。おずおずと頷くと、真顔の男は見覚えのある包みをずいっと稚矢子の眼前に差し出した。

「弁当だ。君の父上から。忘れ物だそうだ」

「あ……。ど、どうも」

「……告白か?」

「!」

 やはり、目撃されていたらしい。頬を赤らめてサッと顔を逸らすと、男はプッと吹き出した。

  

「やはりな! 声が大きいから、そこの通りまで丸聞こえだったぞ! ハハハハハ!」

 破顔一笑。いや、大爆笑だ。よく通る男の笑い声に気付いた村の人々が、なんだなんだと集まってくる。窓から顔を覗かせて、こちらを向いている者もいる。

 まるで晒し者だ。顔を真っ赤にした稚矢子は、脱兎の如く駆け出すと振り返る事無くこの場を後にした。

 稚矢子の暮らす雪見ノ国(ゆきみのくに)は、楕円形の小さな島国だ。東は数千メートル級の急峻な山々に囲まれ、西南北は全て海に面している。島は高山地帯を国境として、二つの国に分かれていた。西方を雪見ノ国、東方は雲間ノ国(くもまのくに)と言った。

 ここは東端にある、山の中腹を切り開いて出来た寒村・金色村(こんじきむら)だ。この村は国境警備隊の駐屯地点として、古くから細々と栄えているのであった。

「もう最っ悪!! ねえ聞いてよ慈子(いつこ)!」

「そこ! 私語を止めなさい!」

 広い工場内に整然と並べられた無数の糸車。その中の一台で羊毛を紡いでいた稚矢子は、女工場長からの厳しい叱責にピャッと身を竦めた。そのさまを隣で眺めていた慈子の顔に、クスリと笑みが浮かぶ。

 稚矢子と慈子は同い年の幼馴染だ。親同士の仲が良く、姉妹同然に育ってきた。しっかりとした姉貴分の慈子と、自由奔放な妹分の稚矢子。

 年齢が十二になると、二人は揃ってこの羊毛工場で働き始めた。この村の主要産業は毛織物だ。この高山地域でしか育たない金色羊(こんじきひつじ)から作られる毛織物は、その美しさは勿論、耐久性が群を抜いて素晴らしい。その為国宝級とも言える扱いを受けており、品々は高値で取引される。

 ただ、村を取り巻く環境は極めて厳しい。定住する人間はごく僅かであり、従って生産量自体もとても少ないものとなっていた。

「で、末廣さんへの告白は失敗に終わったわけね?」

 厳つい女工場長が遠くへ行ったのを見計らって、隣で糸を紡ぐ慈子が小声で問いかけてきた。頭の後ろで束ねられた長く真っ直ぐな髪の毛、透き通った青い瞳。整った顔立ちの彼女にウインクをされ、稚矢子は不覚にも胸が高鳴ってしまう。

 稚矢子よりも一足先に十六になった慈子は、最近ますます女っぷりが増した。村でも評判の美女である。

「……そうよ。しかも既婚者だった」

「ええ? 彼、指輪してなかったじゃない」

「そうよね!? 騙されたのよ私。しかもその場面を訳の分からない男に見られて、ソイツの笑い声で村の皆がウヨウヨと集まってきて……」

「あらまあ。見せ物になっちゃったのね。御愁傷様」

「……ちょっと、他人事だと思って」

 眉間に皺を寄せた稚矢子は、慈子の細い肩をガクガクと揺する。だが再び女工場長が近づいてくる気配を感じて、慌てて糸車を回し始めた。

 紡いでいる途中の糸は、規定範囲を大きく越えた太さだ。これは後で自腹で引き取る事になりそうだと、稚矢子はゲンナリとため息をついたのだった。

「……慈子は、好きな人いないの?」

 工場長にバレないように、稚矢子は呟いた。慣れた手付きで糸に撚りをかける慈子は、手元に視線を落としたまま「んーん」と首を振った。

「恋って、私にはよく分からないのよね。是非とも稚矢子先生にご教授頂きたいものだわ」

「あら、今しがた振られたばかりの私に、それを言う!?」

「ウフフ、冗談よ」

 日が暮れかけてくると、工場の仕事は終了する。村外れにある自宅までは、歩いて半時ぐらいだ。斜面を削って作られた勾配の急な道を、稚矢子は慈子と並んで下っていく。

 道幅は三メートル程あり、転落防止の柵も付いてはいるが、柵の外は急な斜面になっている。その十メートル程下にここから大きくくねって続く道が横切っていて、その下はまた急な斜面、道、斜面と続いており、最終的には隣村に辿り着くのだった。

 斜面はかなり急なので落ちたら大怪我をするのは間違いないが、小さな頃からずっと通ってきた慣れ親しんだ道だ。稚矢子は特に恐れる事もなく、たまに柵の外に身を乗り出すようにして景色を眺めながら歩いていた。

 曇りがかった薄暗い空。燃えるように赤い夕日が、遠くに見える灰青の山々へ沈みかけている。

「ちょっと、落ちるわよ」

 足を止めて景色に見いっている稚矢子に気付いた慈子が、振り返ってこちらを見ている。稚矢子から吐き出された白い息は、夕日に照らし出されてキラキラと消えていく。その言葉を聞いているのかいないのか、稚矢子は歩き出そうとしないので、ヤレヤレとため息をつきながら雪道を引き返してきた。

「ちいちゃん、泣いてるの?」

「……落ちたっていいもん。前に一回落ちたことあるし」

「ちょっとぉ、何言ってんのよ。それ奇跡的に無傷で済んだっていう赤ちゃん時代の話でしょ。今落ちたら大変な事になるわよ」

 凍てつくような寒さで真っ赤になった鼻をすする稚矢子の栗毛色の髪の毛を、慈子がポンポンと撫でる。夕日を映した稚矢子の赤茶色の瞳が潤み、ポトリと涙を溢した。

「ホントに好きだったのよ、末廣さんの事。重い荷物を持ってくれたり、おはようって毎日微笑んでくれたり」

「ちいちゃんはいっつも全力投球だものね。わかるわ」

「……いっちゃん」

 少し背の高い慈子に寄りかかって、稚矢子は咽び泣いた。上着越しだが、慈子の優しい温もりに包まれる稚矢子。

 慈子は、まるで本物の姉のような優しさで稚矢子を包み込んでくれる。そうして一頻り泣いて初めて、稚矢子の中で一世一代の恋が終わるのだった。

 勢いが弱くなってきた涙を拭いていると、慈子が稚矢子の両肩にポンと手を置きながら、「で!」と一際明るい声で言った。

「次なる恋のお相手はどなた? もう目星は付いてるの?」

「ええ? 惚れやすい性分だけど、さすがにそこまで気が多くはないわよ」

「でもさあ、失恋の特効薬って新しい恋って言うじゃない。告白場面に立ち会った彼なんてどう? そこそこかっこよかったんでしょ?」

 慈子の言葉に、とめどなく溢れていた涙がピタリと止む。脳内には高笑いしていた男の顔がモヤモヤと浮かび上がった。忘れかけていた怒りの種が、芽を出してムクムクと成長していく。

「いや無理! アイツだけは無理」

「えっ、どうして? 珍しい」

「私だって誰かれ構わず好きになるわけじゃないわよ。とにかくアイツは無理」

 そのうち腹の立つ高笑いまでもが脳内で再生され始めた。稚矢子はそんな思いを払拭すべく、ブンブンと頭を振ると慈子を引っ張るようにして家路を辿るのであった。

 稚矢子の父は国境警備隊の隊長を務めている。隊長と言っても大したものではない。隊員はたったの五十名程だからだ。

 レンガ造りの自宅付近に差し掛かると、煙突から煙が立ち昇っているのが見えた。父が帰っている証拠である。月の半分以上を国境線の山の頂上で過ごしている稚矢子の父。夕食を共に出来る機会は、ごく僅かなのだ。

「父さん! 帰ってきたの?」

「おお稚矢子、ただいま。そしてお帰り」

「父さん!!」

 暖炉にくべる薪を玄関脇で運んでいた父を見付けると、稚矢子は飛び込むように抱きついた。父・蘇鉄(そてつ)は子どものように甘える稚矢子を諌めながら、玄関の扉を開けた。

「稚矢子、今日はな」

「父さん聞いて、もう最悪だったのよ! 末廣さんが妻帯者でね、しかも告白の場面を何処の誰だか分からん男に目撃されて!」

「だから末廣は止めておけと……いや、その話は後だ。稚矢子、とにかく黙りなさい」

「しかもそいつが大きな声でゲラゲラ笑うもんだから、そこら辺の人が集まってきちゃって。もうホントに──」

 家の中へ入った稚矢子は、ぎょっとした。何故ならば、部屋の中で件の変な男が寛いでいたからである。

 男は稚矢子を見ると、昼間見せたような笑みを浮かべて言った。

「やあ、また会ったな。稚矢子さんとやら」

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とじる

 警備隊長である稚矢子の父は、度々隊員を自宅に招き、もてなしていた。そして今日も、赴任したばかりの新任隊員を招いていたという訳である。

「恥ずかしい所を見せてしまって、本当に申し訳ない。真道(しんどう)君、天沢(あまさわ)君」

「いいえ隊長殿、お気になさらず」

 真道と呼ばれた男は、ニコニコと笑みを浮かべながら稚矢子の出したお茶を啜った。昼間の意地の悪そうな男とはまるで別人だ。

 稚矢子はお盆を抱えながらじーっとその様子を窺っていたが、すぐに気配に気付かれたので慌てて台所へ引っ込んだ。

「それで二人とも、教育期間を終えての初めての任地がここだって言うじゃないか。どうしてこんな辺鄙な場所にしたんだ?」

 国境警備隊の試験に合格すると、まず南方の首都にある基地で一年間の教育を受けることになっている。そちらで隊員としての基本的な知識や振る舞い、体術や射撃訓練などあらゆる事を学んだ後にそれぞれの任地へ派遣されるのだ。

 最も人気が高いのは洋上での防衛を任される、海沿いの警備である。

 東方地帯はその急峻な地形から、隣国からの侵略は建国以来一度も無かった。隣国とのせめぎ合いは全て、海上で行われている。

 国境警備隊に入り、隣国と戦ってこの国を守る。この国ではそうするのが男として最も誇らしい事だと思われていた。という事もあり、東方の警備隊はどこか軽んじられている風潮があった。

「僕は故郷がこの近隣の村なので、こちらを選びました」

 人の良さそうな笑みを浮かべながらそう言うのは、天沢と呼ばれた青年だ。ふわふわとした癖っ毛で、小さな丸い眼鏡をかけている。笑うとそばかすのある頬にえくぼが出来て、少年のような純朴さを感じさせる笑顔である。その表情を見た稚矢子は、不意に胸がキュンと高鳴った。

「真道君も出身はこの方面なのか?」

「いえ、自分は中央の方です」

「おや。なら雪は初めてかい?」

「ええ」

 色々な地域を見て回りたかったのです。キッチリと分け目をつけた短髪の真道は、そう言いながら背筋を伸ばしてお茶を啜る。良い家柄の出なのだろうか、その所作にはどこか気品が感じられた。

 こっそりと二人を観察していた稚矢子は一旦しゃがんで身を隠すと、何事もなかったかのように咳払いを一つして鍋を机へと運んだ。客人達の視線が一気に自分へ集中して、手に少し緊張が走る。

「決して器量良しではないが、娘の料理は絶品なんだ。さあ、召し上がってくれ」

 絶品だなんて、何故ハードルを上げるような事を言うのだこの父親は。稚矢子がムスッとしながら鍋の蓋を開けると、辺りには食欲をそそられるような香りが立ち込めた。入っているのは、この地方の郷土料理である、羊汁である。客人達は鍋の中身を覗くと、期待に満ちた視線を稚矢子の手元へ投げ掛けてきた。

 稚矢子はふと、自分がちゃんと味見をしていたか不安になってきた。客人達が椀に口を付ける場面をドキドキしながら見守っていると、天沢が目を輝かせて声をあげた。

「美味い! 隊長の仰った通り、これは絶品ですね!」

「だろう? 料理に関してはどこに嫁に出しても恥ずかしくないと思っているんだ。天沢君、良かったら嫁にどうだ?」

「ちょ……ちょっと! 父さんったら!!」

 酒を飲ませたのがいけなかったらしい。頬をうっすらと赤らめたほろ酔い気分の蘇鉄が、とんでもない事を言い出した。稚矢子は顔に手を当て、どんよりとため息をついた。

 チラッと天沢の方を見ると、案の定困ったように顔を赤らめて俯いている。少し気持ちが傾きかけていただけに、この失敗は痛い。

「あの」

 そんな雰囲気に割って入るように、真道が指をピシッと揃えて挙手をした。なみなみと汁が注がれていた筈の椀は、綺麗に空になっている。

 こんなに早く空にしてもらえるなんて。驚きつつも、稚矢子は少し嬉しかった。だがその嬉しさは、次の真道の発言で全て消し飛ぶのだった。

「俺が貰います」

 落ち着いた低い声で、真道はハッキリと言った。椀を啜っていた蘇鉄の動きがピタリと止まる。

「え? ……え? 何だって? 真道君」

「俺がお嬢さんを嫁に貰い受けます」

「……へっ!?」

 寝耳に水。稚矢子の口からは、裏返った変な声が出た。まさかこんな事を言われるとは思わない。三人の視線が一気に自分へ集中している事に気付いた稚矢子は、顔を隠しながら急いでしゃがみこんだ。

 混乱で頭の中がぐるぐるとしている。今、この男は何と言った? あの陰気な男が、この自分の事を嫁に貰うだって?

「真道君、それは本当か! 稚矢子、良かったじゃないか! 願ってもない良い御縁だ。で、どうするんだ稚矢子」

 よりにもよって、父は自分に話を振ってきた。一生を左右するであろう選択だ。今すぐにだなんて、答えられるわけがない。

 (……いや、普通に考えて冗談よね!)

 そう思いながらチラリと真道を見る。伏せられた長い睫毛。通った鼻筋。にきび一つない綺麗な肌。その涼しげな表情からは、何を考えているのか、全く読み取れない。

 その真道と、ふと視線が合った。パッチリとした二重のせいか、やけに目力が強い。その眼差しに晒された稚矢子の背筋に、何故か寒気が走った。

「……無理」

「うん? 何だって?」

「父さん、無理です! 申し訳ないですが、……このお話は、無かった事にっ!」

 稚矢子は大声でそう捲し立てると、別室に駆け込み後ろ手に戸を勢い良く閉めた。誰もが口を閉ざした重苦しい雰囲気の中、天沢のくしゃみが響き渡った。

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「ねえ、聞いたわよ。稚矢子さん、真道さんって方から求婚されたんだって!?」

「お式の日取りはいつ? おめでとう!!」

 翌朝、出勤した稚矢子は仕事仲間の女性達に囲まれていた。皆どこから聞き付けてきたのか、口々にお祝いの言葉を捲し立てている。

 半ばもみくちゃにされながら、稚矢子は懸命に叫んだ。

「違う! それ、デマなの! お断りしたから、その話は無くなったのよ」

「ええ!? 自分でお断りしたってこと?」

「まあ、勿体無い……」

 通勤途中も、すれ違うほとんどの村人に同様の言葉を送られ、その度にこうして否定してきた。もう何度目になるのか分からないやり取りを終えた稚矢子は、ゲンナリしながら自分の席に付いた。

「朝から大変ね。ごめんなさい、私が言いふらしたばっかりに」

 隣で既に糸を紡ぎ始めている慈子が、申し訳なさそうに眉を下げる。

 娘が求婚された嬉しさを、昨日のうちに慈子の父に自慢した蘇鉄。その会話を聞いていた慈子が祖母に話し、その祖母が早朝の井戸端会議で話し。そうして短時間のうちに、稚矢子と真道の求婚話は村中に広まったのだった。

「それにしても、やっぱり今からでもお話をお受けしたら? 新しい恋が始まるかもしれないじゃない」

「……慈子まで。だからあの人とは絶対に恋なんて始まらないってば」

「でも可能性は零じゃないでしょ? 親が関わってない自由な結婚って、今を逃したら絶対に無いわよ」

 慈子の言うとおり、この国で結婚と言えば大抵親が考えるものだった。事前の顔合わせや本人の意思なんてものが尊重される事は稀で、式の当日に初めて顔を合わせるのが当たり前、という感覚なのだ。

 愛の告白ぐらいなら密かに行われてはいる。だがそれは大抵男性側からで、しかも衆目に晒される事など絶対にあってはならなかった。そんなこんなで、稚矢子は村人から奇異の目で見られるようになってしまったのだ。

 稚矢子は思った。少なくとも告白沙汰が広まるのは、防げた筈だ。声が大きかった自分もいけなかったが、何よりあの真道とか言う男が大笑いしなければ、周囲にバレる事なく告白を終えられたに違いない。

 やはり、昨日ハッキリ断った自分の判断は正しかった。稚矢子は一人でウンウンと頷く。真道との恋が始まるなんて、絶対にあり得ない。

「それにしても、蘇鉄さんは良いお父様ね。判断をあなたに委ねてくれたんでしょ?」

「うん……。私も、それだけは嬉しかった」

「私は恋した事がないから分からないけれど、昨日のあなたが羨ましいわ。そんなお話みたいな出会いならきっと恋が始まるわよ。そんな恋なら、私もしてみたいかも」

 うっとりとため息をつく慈子。稚矢子は微笑みながらその様子を眺めていたが、やがて寂しげに眉を下げた。

 やがては皆、親の選んだ人と結婚するのだろう。あの場では咄嗟に断ったが、父が相手をちゃんと選んでくるだろう次はそんなわけにはいかない。

 けれども女として生まれた以上、身を焦がすような恋をしてみたい。そしてその相手と共に人生を歩めたら、どんなに幸せだろうか。決して叶いそうにない夢だからこそ、稚矢子は追い求めてしまうのだ。

「皆ー! 一旦作業の手を止めなさい。新しく赴任した警備隊の方々を紹介します」

 どこかボーッとしながら作業をしていると、いつもは厳しい女工場長の一際高い声が場内に響き渡った。その声につられて出入口に目を向けた稚矢子は、入ってきた男の姿を見てゲッと顔をしかめた。

「昨日着任された真道さんと天沢さんです。お見かけしたらちゃんと挨拶をなさいね!」

「よろしくお願いします」

 カッチリとした軍服に外套。紹介を受け、二人が隊帽を脱いで頭を下げる。そのまま踵を返した二人が去っていくと、場内が一気に色めき立った。

「ちょっと、かっこいい方じゃない!」

「どっちが稚矢子に求婚した方?」

「どっちでもいいわよ、とにかく休憩時間に話しかけに行きましょうよ」

 女達は皆男に飢えている。というのも、村の若い男達はほとんど皆都市部へ働きに出てしまっているのである。村の女は工場での仕事が用意されているのだが、男は仕事難だ。だから警備隊としてこの地に赴任してくる男は、皆自然と注目されるのである。

 きっと昼休憩の時に、あの男は彼女達に取り囲まれる事だろう。勝手にやってくれと思いつつ、稚矢子はため息をついて糸車に向かうのだった。

 うまく作業に没頭する事が出来れば、午前の作業時間が過ぎるのはあっという間だった。昼の号令が鳴り響くと、女達は一斉に作業を止め工場の外へ羽を伸ばしに行く。

 勿論稚矢子達とて例外ではない。それぞれを上着を羽織ると、陽光のきらめく外の世界へ歩いていった。

「おい、稚矢子とやら」

 雪が踏み固められた工場前の道を歩いていると、稚矢子は前方から歩いてくる真道に声をかけられた。

 まさか、こんな所で出くわしてしまうとは。ウゲッと歪ませた表情を隠すこともなく会釈だけして通り過ぎようとすると、不意に首根っこを掴まれた。

「ギャーッ! な、何するのよ!」

「弁当だ、また忘れたろう。同じ失敗をするとは、その頭に詰まっているモノは何なんだ?」

 足をプランプランとさせながら真道の手から逃れると、稚矢子は彼をキッと睨み上げた。だが当の真道からは鼻で笑われ、稚矢子の羞恥のボルテージは益々高まっていった。

 それにしても、求婚を断ったと言うのに父はまたコイツに使いを頼んだのだろうか。もしかして、自ら使いを引き受けたと言うのか。

「ち、稚矢子さん。昨日は御馳走様でした」

「天沢さん!」

 仏頂面の真道の背後からひょこっと天沢が顔を出す。驚きに目を見開いた稚矢子は、頬を染めて俯いた。かすかに高鳴る胸の音。自分はやはり、天沢に恋をしてしまったのだろうか。

 柔和な笑顔を浮かべた天沢は、稚矢子の隣に立つ慈子に気付く。

「あ、そちらの方は……」

「稚矢子の幼なじみの慈子と申します。初めまして」

「あっ……は、初めまして」

 ニコッと微笑んだ慈子に握手を求められた天沢は、手の平をゴシゴシと服で拭ってそれに応じた。手が重なると、天沢の頬がポッと赤くなる。それにいち早く気付いた稚矢子は、いぶかしむように眉を寄せて二人の様子を見比べた。

「にしても、えらい別嬪さんだな。誰かさんとは違って」

 同じくその様子を眺めていた真道が、ニヤニヤしながら言った。昨日の事を恨みでもしているのだろうか、やけに突っかかってくるじゃないか。稚矢子はカチンときそうになったが、乗ったら負けだと思い、じっとこらえている。

「天沢、彼女の事を気に入ったのなら早めに行動しないと、誰ぞに奪われてしまうかもしれないぞ」

「ちょ、ちょっと! あなたね」

「いやあ、それは無理だよ。だって……」

 天沢は握りあっていた手を離すと、慈子の手元に視線を落とした。彼女の薬指には、光り輝く金の指輪が嵌められている。天沢の視線に気付いた慈子は、クスリと微笑んだ。

「ああ、これは母の形見なんです。私も母と指の太さが同じようで、しっくりくるのが薬指だったんですよ」

「えっ! それは本当ですか?」

 天沢があからさまに嬉しそうな様子で相好を崩した。やっぱり、そうだ。勘が当たった稚矢子は、密かにため息を洩らす。

「これ、紛らわしいのかしら」

 頬に手を当てた慈子が、自分の薬指を眺める。稚矢子は内心面白くないのがバレないように、極力明るく振る舞った。

「紐に通して首から下げている人もいるらしいし、そうしたら? 」

「それもそうね」

 稚矢子の提案に頷いた慈子は、指輪を外すと上着のポケットの中にそれをしまった。ほぼそれと同時に、稚矢子は少し離れた所で仕事仲間の女性達がこちらをチラチラ見ている事に気付いた。慈子の服を引っ張って目配せすると、彼女も自分が意図する事に気付いたようだ。慈子は口元に笑みを浮かべると、天沢に向かって会釈をした。

「それじゃあ、私達はこれで」

「あっ、はい。慈子さん、また!」

「はい。また」

 自分の名前が呼ばれなかった事にさりげなく腹を立てた稚矢子は、慈子の手を引いてサッサとこの場を後にした。気になってチラリと後ろを確認してみると、早速女性に囲まれている二人の姿が見えた。

 ますますもって面白くない。

「稚矢子、拗ねてるの?」

 工場に戻って上着を脱いでいると、稚矢子がムスッとしている事に気付いた慈子が顔を覗き込んできた。別に、と言って稚矢子はそっぽを向く。それを見た慈子は、襷掛けをしながらクスクスと笑みを溢した。

「大丈夫よ。真道さん、ずっとあなたの事を見ていたわよ。相当好かれてるじゃない」

「はあ!?」

 よりにもよって慈子は。見当違いも甚だしい。稚矢子は鼻からフンッと息を吐いて、ズンズンと自分の席に戻っていった。

 この数時間後に発覚する事態を、その時の稚矢子は予想一つしていなかったのだった。

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「指輪が、無くなった?」

 一日の作業が終わり、さあ帰ろうと言う時分。真っ青な顔の慈子を見て、稚矢子は目を丸くした。慈子はこくりと頷く。

「確かにこのコートの左ポケットに入れたのよ。でもいくら探しても、見当たらないの」

「そんな……」

 稚矢子は懸命に記憶を辿る。昼間、他の女達が真道達と話したがっている事に気付いて、慌てて工場へ戻っていった。工場の出入口で上着を脱いで、それから自分の作業台へ向かった。それだけだ。

「と、とにかく思い当たる所を探しましょ」

「え、ええ」

 二人は顔を見合わせて頷き合うと、自分達が立ち寄った場所をうろうろと歩き始めた。時には地面を這いつくばって指輪を探す二人。帰宅する同僚からの奇異の視線なんて一斉気にする事無く工場内を探しまくったが、指輪は見付からない。

 となると、落としたのは真道達と立ち話をした坂から、この工場へ至るまでの道のどこかと言うことになる。二人は焦ったように目を合わせると、急いで外へと向かった。

 夕日の暮れなずむ外の風景。ヒュウと吹く冷たい風で、首筋にかいていた汗が急速に冷えていく。二人は地面にしゃがみこむと、必死に指輪を探した。

 だが、やはり指輪が見付かる事はなかった。日も落ちて暗くなって来たので、二人はこの日の捜索を諦め明日に託す事にした。

 翌早朝、二人はいち早く工場に出勤した。まだ人が来ないうちに、真道達と出会った場所をしらみ潰しに探す事にした。

「……無い。もう、無くなったんだわ」

 朝日が昇ってしばらく経った頃、絶望したように慈子が呟いた。二人の口元からは、真っ白な吐息が現れては消え、現れては消えを繰り返している。鼻水をずるっと啜る稚矢子は、顔を上げると慈子を見た。

「そ……そんな事ないわよ。もっとよく探せば、きっと見つかる」

「よく探すって何? もう十分探したじゃない」

 薄曇のたなびく薄い橙色の空から、粒の大きな雪がハラハラと舞い降りてくる。跪いた為に濡れた膝部分をそっと払いながら、稚矢子は立ち上がった。慈子は横目でその様子を見ると、吐き捨てるように言った。

「きっと転がって道の下に落ちていったんだわ。そうなったらもう、見付からない。砂漠で米粒を拾うようなものよ」

「……慈子」

「稚矢子、もう工場へ行きましょう。これ以上ここにいても、何にもならないわ」

「……」

 稚矢子は俯いて袖の端を握りしめた。口を開きかけたが、途端に猛烈な動悸に襲われてしまい、どうしても言葉を発する事が出来ない。

 その稚矢子の手袋に覆われた手を、手袋を脱いだ慈子の手が包み込んだ。稚矢子はハッとなって顔を上げる。彼女の目に映ったのは、悲しそうに微笑む慈子の顔だった。

「ごめん、稚矢子。探してくれてありがとう。もう帰ろう」

「慈子……」

「きっとあの指輪とはここで別れる運命だったのよ。もうくさくさしたってしょうがないわ。ね?」

「……っ」

 もういてもたってもいられなかった。目を見開いて顔を歪めた稚矢子は、慈子の手を振り切って工場へ走った。そして人の来ない工場の裏手へ辿り着くと、ポロポロと涙を溢す。

 (私があの時首飾りの話をしなければ、慈子は指輪を外さなかったかもしれない……)

 ずっと楔のように刺さっていた思い。自分のせいだと謝らなければならないのに、それがどうしても出来ない。

 ひょっとしたら、慈子は稚矢子がそう促した事自体忘れているかもしれない。だがもし謝ったら、慈子はその事に気付いてしまうだろう。ならばこのまま口を閉ざして、無かった事にすればよいのではないか。

 稚矢子の中にはそんな思いがあった。稚矢子はそんな小狡い考えをする自分の事が、非を認めてすっぱりと謝れない自分の事が嫌でたまらないのだった。

 その日一日、稚矢子は慈子と口をきかずに過ごした。慈子も慈子で稚矢子の雰囲気を察し、彼女から離れて過ごした。

 その日の作業はあっという間に終わり、夕方になった。慈子が一人で帰宅するのを密かに観察していた稚矢子は、彼女が居なくなった頃合いを見計らって動き出した。

 (まずはもう一度、道を探してみよう)

 稚矢子は上着を羽織り、首巻きをぐるぐるに巻いてからフードを被り、外へ足を踏み出した。全面が雲に覆われた薄紫色の空からは、チラチラと雪が舞っている。おそらく今日が最後のチャンスになりそうだ。

 坂道で跪き、踏み固められた雪道に目を凝らす。時には軽く雪を掘り、稚矢子は必死に指輪を探した。

「あれ? 稚矢子さん?」

 日が遠くに見える山際に隠れる頃、天沢に声をかけられた。勤務帰りなのだろう。その足は隊員が寝起きする隊舎のある方向へ向かっている。

「ど……どうも」

 稚矢子は服についた雪をほろって立ち上がった。天沢は何か話そうと口を開いていたが、立ち話なんてしている時間は無い。

 そそくさと坂道を駆け降り、急な斜面を挟んで、先程まで探していた箇所の真下になる地点まで来た。もう薄暗くて遠くまでは見渡せないが、斜面に降り積もった雪の表面に目を凝らすと、微かに細い筋のようなものが上下に走っているのが見える。

 もしこれが指輪が落ちてきた跡ならば、きっとこのあたりに指輪がある筈だ。さあ探すぞと地面に這いつくばったその時、稚矢子の背後でいぶかしむような声が響き渡った。

「こんな所でこんな時間に、何をしている? 稚矢子とやら」

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「何か用ですか」

 ヒュウ、と風が吹き抜ける中、稚矢子の声はやけに尖って響いた。真道はフンと鼻で笑う。

「わざとらしい敬語はよせ。俺も使っていないだろう」

「……帰ってくれない? あなたがそこにいると、緊張するのよ」

「ほう?」

 真道はニヤリと笑うと、そのままどこぞへ去っていった。一体何だったのだろう。稚矢子はしばらくドギマギしていたが、すぐに意識を現実へと引き戻した。

 それにしても、これだけ探してもやはり指輪が見付からない。ひょっとして落としてすぐ誰かに拾われたのかも、と思考を巡らせる稚矢子。

 ふとこれまでは見てこなかった更に下の斜面の途中で、何かがキラリと光った気がした。柵から身を乗り出して眺めてみると、やはり何かが光っているのが見える。

「もしかして!」

 心に灯るほのかな希望。地面に這いつくばって手を伸ばすが、到底届きそうもない距離だ。かといって下の道から手を伸ばしても、手は届かなさそうである。

 かくなる上は、と稚矢子はロープ柵を乗り越えて斜面にズボッと足を踏み入れた。これはかなり慎重に行動しなければ、すぐに体勢を崩してしまいそうだ。稚矢子は一歩ずつ雪を踏み固め、ゆっくりと斜面に背中を沿わせるようにしながら下っていく。

 そしてもうすぐその光っている何かに手が届きそうになった時、ズルッと体勢が崩れてしまった。

「あっ!」

 そこからはもう一瞬だった。ズザーッと滑り落ちながら、やがて体が斜面から離れてゴロンゴロンと転がっていく。

 もうダメだ。斜面を滑り落ち、身体が宙を舞ったその時。稚矢子の身体は走ってきた真道によってガッチリ掴まれ、そのまま二人はゴロゴロと道を転がった。

 真道によって軽減された衝撃。ふと我を取り戻した稚矢子が目を開くと、その身体が硬く抱き締められている事に気付いた。

「えっ? し、真道さん、どうして!?」

「う……この阿呆が」

 うめき声を出しながら起き上がる真道。それと共に稚矢子も身体起こし、図らずも二人は初めて至近距離で見つめあった。真道の涼しげな目に、ポカンと口を開いている自分の顔が映っている。

 (あ……あれ? この次、どうやって目を逸らせばいいんだっけ?)

 ただ目を逸らせばいいだけなのに、稚矢子はそれが出来ない事に気が付いた。真道の眼力が強いのだろうか。瞬きは沢山出来るのだが、何故か目を逸らす事だけが出来ない。

 そんなつもりではなかったのに、頬や耳の先が熱を帯びてくるのが分かった。よく注視してみると、真道の顔が徐々に近付いてきている気さえする。稚矢子の顔はボンッと赤くなった。

 (え、ちょ、待って)

 と、真道の顔が急に速度をあげて迫ってきた。その先に起こるであろう事を予想した稚矢子の顔が、林檎のように真っ赤になったその時。

 激しい痛みと衝撃を感じる額。頭突きだ。稚矢子の体はそのまま綺麗な放物線を描いて、その場に仰向けで倒れ込んだ。

「いっ……いったぁ! な、何するのよ!」

「この、馬鹿女!! 後先考えず無茶な真似をするな!」

「はあ!?」

「俺がいなきゃ今頃大怪我をしていたぞ! この無鉄砲ブスが!」

「な、何ですって!?」

 稚矢子は赤面していた自分を後悔していた。何故この男に口付けされる等と思ったのだろう。真道はそんな事なんて、一ミリも考えていなかった。そんな中自分だけが不埒な行為を予想していた事が、顔から火が出そうな程恥ずかしかった。

 稚矢子は頬を手で隠しながら、懸命に真道を睨み上げた。

「大体何でここにいるのよ! あなた、サッサといなくなった筈でしょ!」

「馬鹿か! 常識的に考えて、女がこんな暗がりで一人ポツンとしてるのを見過ごせる訳がないだろう! ずっと離れて見ていたんだ!」

「は、……離れて見てたとか、ヘンタイ!」

「……変態だなんて、酷い言われようだ」

 稚矢子の胸はドキドキと高鳴っていた。不満げに腕を組み、真道に背を向けて視線をさ迷わせる。

 何だか、自分がおかしい。こいつの事が大嫌いな筈なのに、何故だか今ではそう思わない。それどころか、逆の感情を抱きつつある。

 それを認めたくない稚矢子は、ブンブンと首を降った。

「何か探していたんだろう」

 背後から、微塵も動じていないような真道の声が聞こえた。その事にまた腹を立てつつ、稚矢子はボソボソと呟いた。

「……指輪を探してたのよ」

「何?」

「だから、指輪よ! 慈子の指輪! 無くしちゃったの!」

「指輪って、この指輪か?」

 寝耳に水だった。慌てて振り返った稚矢子の目に飛び込んできたのは、まさしく探し求めていたあの指輪だ。

 稚矢子は真道の手をひっ掴み、その手のひらの中にあった指輪をおそるおそるつまみ上げた。顔を近付けてまじまじと観察してみると、やはりその指輪が慈子の物であろう事が確信に変わった。

「ど……どこで!?」

「あちらの辺りに落ちていた。雪の中に埋まりかけだったがな」

「そう……」

 稚矢子の目からは涙がポロポロこぼれ落ちた。大いなる安堵感が、彼女を包み込んでいた。

「よ……良かった……良かったよおお」

「?」

「うわああーん!」

 やっと見つかった。稚矢子の頭の中では、ここに至るまでの出来事が走馬灯のように流れていた。指輪を諦めて寂しげに微笑む慈子の顔を思い出すと、余計に涙がこみ上げてきた。

 真道はいきなり泣き出した稚矢子を見て、少し驚いているようだ。だがやれやれと言ったように息を吐くと、自身が巻いていた首巻きを稚矢子の肩にかけ、彼女が落ち着きを取り戻すまで傍から離れないのだった。

 その後二人は直接慈子の家へと赴いた。特に二人の間で言葉を交わされる事はなかった。だが女の夜歩きが心配なのだろう。真道は少し間を空けて後ろから付いてきていた。

 見付けた指輪を手渡すと、慈子はハッと口元を押さえて泣き出した。そして稚矢子に抱き付き、感謝の言葉を連ねた。稚矢子はそこで初めて、勇気を振り絞って謝った。勿論慈子は稚矢子を責める事はなく、その体を優しく抱き締めたのだった。

 やがて慈子は自分の家に寄って、冷えた体を温めていくよう促した事を。稚矢子は頷いて後ろを振り返ったが、離れてこちらを眺めていた筈の真道の姿は既に消え失せていた。

「稚矢子、どうしたの?」

 稚矢子は暫く真道が姿を消した暗闇を眺めていた。やがて慈子の家に足を踏み入れると、名残惜しそうにその扉を閉めるのだった。

修正履歴

  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/09/07)

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