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先輩はもういない

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学校内には『けたけた』嗤う怪現象の噂が飛び交う。そんな中、写真部に(強制的に)勧誘されたみちるが呼び出されたのは、開かずの間。

1位の表紙

目次

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1.写真部とか、どうですか。

「おい、佐伯。お前、写真とかどう?」

「え? は、ど、どうって?」

 現国の犬飼先生が、藪から棒に俺に尋ねる。

もちろん、授業中ではない。3限の終わりのチャイムが鳴って、いつも通りに机に突っ伏して中休みをやり過ごそうとした時に、つかつかと歩み寄って来たかと思えば、突然前の席に座って、ぐるりとこちらを向いた。

よれよれのシャツに緩めに巻いたネクタイを、さらに指で解きにかかりながら、俺を横目でちらと見る。

「お前、部活とかまだだよな。写真部とか、どう」

「どうって言われても…」

 うちの学校、帰宅部とか、なしだっけ。というか、秋の風が吹き始めた今更に、部活とか言われてもピンとこない。

 夏休みの間にすっかり伸びてしまった前髪の隙間から、犬飼先生を見返す。ぼさぼさの髪に無精ひげ、こんなにだらしなくて、いいのだろうかと、しげしげと眺めてしまうが不潔感はない。こう、かさっとしたワイルドなおじさん、という感じでかっこよくもある。

「よし、決まりだな。これ、はい、入部届」

「や、先生、俺まだなんも言ってない」

「佐伯、部活はいいぞ、青春だ。明日の放課後、2階の一番奥の部屋の前で待っとけ。先生、皆を紹介するから」

「ちょっと、先生、俺、部活とか興味ないんだけど」

「まあまあ、入ってみればどうにかなるって、じゃあな、明日な」

 白紙の入部届を押し付けて、ひらひらと手を振りながら、犬飼先生は教室を後にした。

「佐伯、なんか、災難な」

「おう」

 通りすがりのクラスメイトが憐れむ目つきで頷く。

 ひょっとして、いつも一人でいるから、いじめられてるとか思われたんだろうか。

 別に、俺はいじめられているわけではなく、どちらかといえば好んで一人でいるのだが、今のご時世、先生たちも世間も何かと神経質になっているのかもしれない。一人でいる自由も尊重してくれ、パワハラじゃないのか、これ。

 はがきサイズほどのぺらぺらの入部届を目の前にぶら下げて、俺は小さく溜息を吐いた。

 仕方がない、といえば、仕方がないのだ。

 俺の通う公立高校は自由な校風が売りの進学学校なのだが、ここ最近、学校内が荒れていた。特に目立ってやんちゃな生徒がいるわけでもなく、校則などあってないようなものなので反発する理由もないのだが、校内の空気がざわざわと落ち着かない。

 頻繁に生徒同士で言い争いを起こしたり、自転車事故が増えたり、校内での怪我が増えたり。取り立てて騒ぐほどでもないが、春先まではもっと、和気あいあいとした雰囲気だったはずだ。

 それに、先日のクレーム。学校近くのファストフード店で、うちの生徒が大声で笑ったり奇声を上げたりでやかましい、と数件のお叱りがあったそうだ。

 今年の異常なまでの暑さのせいで、気が立っているだけかもしれないが、先生たちだって、黙って見過ごすわけにもいかないだろう。有り余る学生たちの体力を、健全で健やかな方向に発散してほしいと思うのも無理もない。

 だからきっと。

 部活にも入らず、教室でひとりアウトローを気取っている(ように見えるだけであって、別にそんなつもりはさらさらない)危うい高校生男子を、優しく導いてくれようとしているに違いない。

「写真部、存続が危ないからじゃない?」

 今さっきまで、犬飼先生が座っていた席に、すとんと座って、同じクラスの山本さんが小首を傾げた。

「部員が激減しちゃってさ、部費がもらえないんでしょ。だから、幽霊部員でもいいから頭数が欲しいんだよ。犬飼センセ、写真部の顧問でしょ」

「そうなの?」

「みたいよ。なんか、イケメンの先輩がいなくなって女子部員ががっつり抜けちゃったのと、残りの男子が噂を解明するんだってオカルト部を立ち上げて、そっちに流れちゃったから」

「オカルト部…」

「そだよ、知らないの。最近その手の話題でもちきりじゃん!」

 俺は小首を傾げ返して、山本さんを見る。小柄で、朗らかで、今日も変わらずかわいらしい。

 俺の反応の鈍さに、山本さんは嬉しそうに身を乗り出してくる。

「やっぱ、知らないんでしょ。もう、この話知らないの佐伯くんくらいだよ! 誰かに話したかったんだけどさ、みんな知ってるじゃん。驚いてほしいのに、つまらないじゃん!」

 きらきらとした目で、俺を見る。惚れそうになるから、やめて。

「なになに、佐伯くん、知らないの『けたけた』」

「ちょっと、私が話すんだから!」

 集まってきた2、3人に山本さんが唇を尖らせる。

「佐伯、こういうの強そうなのに!」

「強そうってなにが」

「なんかさ、ほら、髪型とかマッシュじゃん」

「わかる、ウケル」

「わかんねえわ」

「もう、ちょっと、休み時間終わっちゃうじゃん!」

 しっしとギャラリーを追い払う仕草で手を振って、山本さんは改めて、俺を上目に見据えた。

「あのね、今、流行ってるの。『けたけた』の噂」

「おう」

「学校内でね、けたけた笑う生徒がいるの。誰もいないところで、ひとりでけたけたって笑ってて。それでね、見かけた人に『誰だった?』って聞くと、何組の誰ちゃんだった、とか別のクラスの他の子に見えたよ、とか! 一緒に目撃したはずなのに、全然違う人に見えてたりするんだって!」

「お、おう」

「…ちょっと、怖くないの」

「ええと、怖いのは、けたけた笑ってるところ? それとも、一緒に同じ人を見たはずなのに別人に見えたところ?」

「もーう、ちょっとお」

 山本さんがぷうっと頬を膨らませる。やばい、そこはどうでもいいところなのか。なんとなく、怖い気がする、が正解だったのか。

 でも、山本さんのざっくりとした話し方だと、多分、何を話しても怖く聞こえない気がする。怪談て、語り手の語彙力や雰囲気づくりなんかの話術が要求されるんだな、と変なところで俺は感心をしていた。

「佐伯くん、まじめか。こんなキノコ頭だからいけないんだ」

 訳の分からないいちゃもんをつけながら、山本さんは自分がつけていた花の飾りのついたピンで俺の前髪を押し上げる。

「あれ、佐伯くん、この傷、どうしたの」

「あ、これ、この間、自転車で転んで」

「痛そう、大丈夫?」

「ああ、うん、もう平気」

「なに、佐伯、どんくさーい」

 けらけらと、横で聞いていた小野さんが笑う。その笑い方に、ふと、俺は思い出す。

「それ、そういう笑い方してた子がいて。自転車置き場のところでさ、なんかけらけら笑ってて、電話してたのかもしれないけど、周りに誰もいないから『何だあ』って思ってそっち見ながら走ってたら、タイヤが突然回らなくなって、コケたの」

「えぇ、佐伯、それマジで。ヤバくないまんま『けたけた』じゃん!」

「え⁉ やめろよ」

「うそ、佐伯くん、けたけた、見ちゃったの?」

「なんかさ、けたけたに会うと、体調悪くなるって聞くよね」

「平気?」

 心配そうに眉を寄せて俺の額を覗き込んだ山本さんが、ほんの一瞬、固まった。

「…やだ…」

「へ?」

「…やっぱ、ヘアピン返して」

「え?」

 山本さんは何故かそそくさとピンを奪い取り、俺の前髪を指で散らして元通りのすだれ状態に戻す。なんだ、なんなのだ。

「どうしたの、やまー」

「いいから、いこ」

「ちょ、けたけたの続きは」

「続きなんてないよ、ばか佐伯」

「…え、ええー」

 山本さんは、すぐそばにいた小野さんの腕をとって、さっさと自分の席へと戻っていく。周りの憐みの視線が、痛い。

 俺が一体、何をしたって言うんですか。

 呆然とした俺を取り残して、4限始業のチャイムが鳴り響いた。

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  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/09/07)

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1

写真部に勧誘されたと思ったら……!?
色々周囲の設定が不穏そうですね。
この不穏で不思議な状態がどんな風に展開していくのか、とても楽しみにさせていただきます!!
オカルト、絡みますよねえ。
うふふ(*´艸`*)

大久保珠恵

2018/9/4

2

続きが気になります!

3

大久保珠恵さま
コメントも、ありがとうございます(o^^o)
写真部になかなかたどり着けないけど、大丈夫かなと、不安になりつつ。笑
オカルト、絡めたいんですよねぇ。ふふ(*´꒳`*)
四つ折りだと思って広げた風呂敷が16折くらいだったので、慌てて畳み方を考えているところです。最後まで面白く読んでもらえるように頑張ります٩( ᐛ )و

作者:中村ハル

2018/9/5

4

しるびやんけさま
コメント、ありがとうございます!
続き、楽しみに待ってもらえるように、頑張ります!
想定外の山本さんが出てきてしまい、どう収拾つけようか、奮闘中です…。笑

作者:中村ハル

2018/9/5

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とじる

2.ファストフード店で嗤う犬

 傷心の俺は、ポテトとコーラの乗ったトレイを持って、とぼとぼとファストフード店の階段を上がっていた。

 ちょっぴり、山本さんのこと、いいなと思っていたのに。なぜあんなに急に、素っ気なくなったのだろう。やっぱり、女子の話は納得がいってもいかなくても、褒めておくべきなのだろうか。いや、きっと、そうじゃない。俺には分からない何かが、山本さんの気に障ったのだ。

 山本さんのとっておきの話だったのに、噂ではなく実際に俺が『けたけた』と思しき人に遭遇したりしたからか。

 そもそも俺は人見知りなのだ。大概ぼんやりしているから、あんまり人と上手くコミュニケーションが取れたためしがない。忖度とか、空気を読むとか、苦手なのだ。この髪型だって、バリケードみたいなものだし。

 伸びすぎた前髪を指でかき混ぜ、溜息を吐く。

 自棄コーラでもしないと、やってられない。

 フロアを見回すが、カウンター席はいっぱいだ。

 2人がけのテーブル席が空いてはいるのだが、少し賑やかなのが気になる。

 大きな笑い声が響く方を見れば、2人用のテーブルをくっつけて4人ブースにした席のソファ側に、男子1人、女子2人がぴったりとくっつきあって座っている。うちの高校の制服を着ているが、別の学年なのか、見覚えのない顔だ。

3人で額を突き付けて何か見ているのか、こしょこしょと小さな話し声がしたかと思うと、途端に大きな笑い声が上がる。

 その声の大きさに、周りの何人かが顔を上げるが、すぐにみんな伏目がちに無関心を装っていた。まあ、箸が転げてもおかしい年頃だし、しょうがない。俺だって、もし友達とわいわい騒ぐような度胸があれば、あんなもんだろう。

 きょろきょろと辺りを見回して、3人組と仕切り壁を挟んだ席に腰を掛ける。背中側に座っていれば、多少大声を出されても、聞こえにくいだろう。俺は、一人反省会を繰り広げるのだ。

◆◆◆

 もくもくとポテトを頬張ったまま、俺は後ろを振り向いた。

 先から、話し声が気になって、反省会は進んでいない。話し声、というよりは、正確には笑い声と謎の声、だ。

 背後から、犬の遠吠えに似た「うおぉーうぅう」という、細く高い声が、時々響く。「うおー!」という雄叫びではない、尾を引くように、獣が天に向かって仲間を呼ぶときのように、遠吠えをする。

 それに加えて「ゔぅあーうぉ」とでもいったらいいのか、表記に困る音声の唸り。

どちらも同じ女の子の声で、たぶん、あの3人組からしている。

 いつの間にか、女子2人がソファ、男子1人は向かいの椅子に座っている。男子生徒は低くぼそぼそと何かしゃべるのだが、ぴったりとくっつき合った女子が大きな声で何か返事をしている。そして、その合間に、けたけたという笑い声。

「ん?」

 俺は何かが引っかかって、ポテトをごくりと飲み込んだ。

「うおぁーうぅううー」

 遠吠えが、細く長く響く。

 俺の向かいに座っていた女性が、ぎょっとしたように立ち上がって、そちらを見て、すとんと、また座った。上目にじっと息を殺しているが、また聞こえた遠吠えに、そそくさとトレイを片して席を離れる。

「あゔぅーあう」

けたけたけたけたけた

 また一人、席を立つ。

 俺は首を伸ばして後ろを振り返ったが、3人の姿勢に、おかしなところはない。多少だらしなく座ってはいるが、普通の高校生だ。

 店内に響く獣じみた遠吠えと、けたけたという笑い声を抜かせば。

「そうか」

 思わず、口から声が漏れた。

 先ほど感じた違和感。そうだ、俺は、この声を、前にも聞いている。

 額の傷に知らずに指が触れて、鈍い痛みに顔をしかめた。

 山本さんが話していた『けたけた』。

 学校内に出没し、誰もいない場所でひとりでけたけたと笑っている。目撃者によれば、その顔は、知っている顔にも見えるが、見る人によって変わるので、誰だか特定ができない。

 俺があの日、自転車置き場で見た女子生徒。どこのクラスの子かは分からないし、知らない顔だと思ったが、自転車置き場の端っこで、何もない方を向いて、ひとりでけたけたと声を立てて笑っていた。

 あの時の、どこか作り物めいた、感情の入っていない笑い声に、似ているのだ。

 自転車に乗っていた俺は、そのままそちらにくぎ付けになり、わき見をしながら走っていたが、突然タイヤが回らなくなり、前つんのめりに転げ落ちた。

 自転車が後輪を上げて半回転して俺を放り出し、盛大な音と共に、お釈迦になった。スポークに何か絡まったみたいな感触だったが、タイヤを見ても何もない。

 額からだらだらと流血しながら女子生徒の立っていた方を見たが、そこにはもう、誰もいなかった。

 代わりに爽やかなイケメンが俺に駆け寄り、てきぱきと俺の額を止血して去っていった。

 きっと、山本さんだって、ああいうのが好きなんだ。優し気で、頼もしくて、カメラがよく似合うオシャレボーイ。

 そう、ちょうど、あんな感じの。

「あれ、あの人だ」

 さらりとしたサマーセーターを着た色素の薄いイケメンが、フロアの真ん中に立っている。首からカメラをぶら下げて、まるで構図決めをするみたいに、店内を眺めていた。

 なにをやっても、様になる。ただ、ファストフード店にいるだけなのに。

 あの時、俺の額の傷を手当てしてくれた人だ。

 声を掛けようか散々迷って、小心者の俺が下した結論は「俺のことなんか覚えてないだろう」だった。声を掛けたのに、誰だっけ、という顔をされるのが怖い。

 見つからないうちに帰ろうと、空になったポテトのケースに紙ナプキンと丸めたレシートを突っ込んで、そそくさとゴミ箱に向かう。

 3人組の傍を通ったときに、また遠吠えがして、ぎくりと肩を竦める。『けたけた』が遠吠えするなんて山本さんは言っていなかったし、それにここは校外だ。

 こないだ苦情が来たっていう、奇声の犯人、こいつらなんじゃあないのか。

 手早くごみを捨ててちらりと振り返ると、いつの間にか、女子が一人いなくなっていて、残った男女2人は親し気に額をくっつけて微笑み合っていた。

 トイレにでも行ったのだろう。お邪魔虫だったのか、あの子は。お気の毒様。

 ふいにどっと、疲れが背中を這いあがり、俺は大きく欠伸をして、イケメンの視界に入り込まぬように、そっと階段を下りた。

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1

なんだろう、怖いですね。
都市伝説ぽくなってきたかと思いきや、また別の事態が進んでいる?
「あの子」は何者でしょうか?
そしてカメラのイケメンさんはもしかして???

大久保珠恵

2018/9/5

2

大久保珠恵さま
こんにちは、2話目にもコメントありがとうございます!
都市伝説と同時進行している怪異、そしてあの子のこと。次の話を書き進めてるのですが「え、そうなの⁈」と自分であわあわしてます。笑
カメラのイケメンさんは、いよいよちゃんと出てくる、はずです٩( ᐛ )و

作者:中村ハル

2018/9/6

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とじる

3.『けたけた』と『くすり』

 山本さんが、俺の顔を、見てくれない。いいのだ。別に、いいのだ。

 途方に暮れて、窓の外をぼんやりと眺めた。

 今朝、いつものように、通りすがりに「おはよう」と言ったら、あからさまに山本さんが動揺した。いいのだ。べつに、傷ついてなんかない。

「ねえ、ねえ、聞いた⁉」

「なに、昨日のあれ?」

「そうそう」

「えー、何、わたし知らない!」

 女子の華やいだ声が、俺の哀愁を深くする。女の子たちは、いつだって楽しそうだ。

「ファストフード店でさ、騒いでた子たち、運ばれたらしいじゃん!」

「なにそれー!」

 なんだそれ、俺は思わず振り返る。ファストフード店で騒いでたと言えば、昨日の、あの3人組のことじゃないのか。

「なんかさあ、気持ち悪い声出してる子たちがいるって、お店に苦情があって、お店からガッコにクレーム来たみたいでさ。生活指導の柳川が慌てて飛んで行ったらしいの。そしたら、2人とも席で倒れてたって。救急車とか呼んで大騒ぎだったらしいよ!」

「マジでー、やばくない⁈」

 2人? じゃあ、あの子たちと別なのか、それとも、俺が最後に見た時みたいに、1人はそのまま帰って、あのカップルだけが倒れてた?

 でも、なんで。

「なんかさ、噂だとさ…」

「うそうそ、やだ。だって、うちの生徒でしょ」

「なんかさ…みたいで…じゃん」

「えー!」

 どうして! 肝心なところで! 声を潜めるんですか!

 俺は不自然なくらいに息をつめて耳をそばだてた。でも、やっぱり、肝心のところは周りの雑音に飲まれて聞こえてこない。

「でさあ、なんか、2人をカメラで撮ってた人がいるらしくて」

「盗撮?」

「うちの学…だよ」

「えー、じゃあ、その人が」

「…じゃん」

 ああ、もう!

 がたん。

 と音を立てて立ち上がった俺に、こそこそと話していた女子たちがびくっとなる。

「なに、それ、俺も聞きたい」

「なになに、佐伯も好きだねえ。キノコのくせにこの野次馬」

 小野さんが俺の脇腹を肘でぐりぐり抉ってくる。

 その隣で、山本さんがちらりと俺を見て、小野さんの陰に隠れるようにする。そういうあからさまなの、ちょっと、傷つく。

「昨日俺が見た時、たぶん、そいつら、3人だったよ」

「え、ホントに? でも、運ばれたのは2人らしいよ、見た子たちが言ってた」

「なんかさ、けたけた大声で笑ってて、犬の遠吠えみたいな声も出してたんでしょ? 佐伯も聞いた?」

「聞いた。なんか、クセ強い笑い方するなって」

「クセ強いとかいうレベルじゃないでしょ、それ」

「えー、でもさ、中にいたけどそんな声しなかったって言ってる子もいたよ」

「やだやだやだ、なにそれ。『けたけた』みたいじゃん!」

「『けたけた』外に出てるってこと⁈」

 一瞬、教室内が、しんとなる。

 みんなが顔を見合わせて、肩を竦めて、声を潜めた。学校以外で何も知らないオトナたちが、『けたけた』を見ている。その異様さに、誰もが少し怯えを滲ませた。

 ちょいちょい、と小野さんが指先でみんなを集める。

「『けたけた』もそうなんだけどさ、ここだけの話、クスリじゃないかって」

「えー! クスリって、ヤバい方の?」

「そだよ。違法だか合法だか知らないけどさ」

「やめてよ」

「カメラ持ってた人が、バイヤーじゃないかって」

「それはないだろ」

 つい、強めの声が出た。小野さんは目を丸くして、それから俺の肩に手を掛ける。

「何知ってるんだよ、佐伯、吐いちゃえよ」

「だって、その人、俺がチャリでこけた時、手当てしてくれた人だよ」

「うちの生徒ってこと?」

「それに、カメラ持ったイケメンがフロアの中央に突っ立ってたら、目立ってしょうがないだろ。ドラッグ売るのに不適切だって」

「なに、イケメンなの⁉」

「食いつくとこ、ちがーう」

「でもさ、でもさ、ドラッグじゃないなら『けたけた』でしょ。どっちにしたって、ヤバくない?」

「おい、こら、お前ら。けたけた、だかクスリだか何笑ってんのか知らねえけど、チャイムはとっくに鳴ってんだよ」

 振り向くと、苦虫を噛み潰した顔の犬飼先生が、腕を組んで顎をしゃくった。

 全員が一斉に散り散りになり、示し合わせたかのようにすとんと同時に椅子に座った。

◆◆◆

「佐伯くん」

 授業終わりのチャイムと共に購買に走ろうとしたところを、山本さんに呼び止められた。

 俺の昼のパンが、でも、山本さんが何か言いたげだ。

「ええと、あー」

「あのね、あの、佐伯くん…」

 山本さんは言葉を詰まらせたまま、下を向いて、もじもじとしている。

「あー、ごめん、山本さん」

「え?」

「昨日の『けたけた』の話、さ」

 顔を伏せたままの山本さんが、小さく震えていた。あれ、これ、やばくない? 咄嗟に手を伸ばして、山本さんの細い肩に触れる。華奢な身体が、びくりと跳ねた。

「あ、あの、ごめん、山本さん」

 くすくす

 震える山本さんの顔のあたりから、小さな笑い声がする。

 あはは

 髪に隠れていた顔がゆっくりと上向き、山本さんが、嗤う。

 けたけたけた

 ぎょっとして、思わず後退った背中が、誰かにぶつかった。

「おい、山本。お前、ナントカ委員だろ。向こうのあれがなんかして大変だから、お前、ちょっと来い」

 肩越しに、犬飼先生が謎なセリフを口走りながら、山本さんの腕を掴む。笑っていた山本さんが、びくりと揺れる。犬飼先生が、少し強めに握った山本さんの腕を、ぶん、と振った。はっとした顔で、山本さんが犬飼先生を見上げる。

「佐伯、お前」

「な、なんもしてないっすよ」

「そうじゃない」

 逃げようとした俺の顔の横を、犬飼先生の腕がどん、と塞ぐ。こんなところで、先生に壁ドンされる日が来るとは思わなかったが、当然ときめくわけもなく、どちらかといえば殺気を感じるのですが、気のせいですか。

「お前、何が何でも、今日の放課後、来いよ」

「は、はい…でも」

「でももヘチマもねえよ。いいか、来ねえと」

 山本さんの腕を掴んだままで、犬飼先生が俺の耳にぐいと顔を寄せて囁いた。

「噛むぞ」

 がちん、と耳のすぐ横で、金属質の音がした。

 思わず、息が止まる。

「じゃ、そういうことで。またな、佐伯」

 唐突に身体を離すと、ひらひらと背中を向けて手を振って、犬飼先生は山本さんを引きずるように廊下の向こうへ消えた。

 ざわめきではっと我に返ると、廊下の壁際で、女子たちが俺を見て口々にさざめいている。なんでちょっと嬉しそうな顔をしているのか。

 ほっとしたからか、ずしんと身体が重たくなった。

「ごちそうさま、佐伯さん」

 漫画研究会の石原さんが、眼鏡のブリッジを押し上げながら、片頬でくすりと笑って通り過ぎていく。やめてくれ、ちょっと、違う。そうじゃない。

 購買のパンも、山本さんへの淡い恋心も、女子からの信頼も、全てが遠のく心地がした。

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笑いごとじゃないのに、笑ってしまいますw
しかし、謎は深まりましたねえ。
犬飼先生って、あれ……人……間……???
どんどん不気味に不穏になっていく物語から、目が離せません!!(@_@)

大久保珠恵

2018/9/6

2

笑ってもらえて嬉しいです(≧∀≦) いつもコメントありがとうございます。
プロットには出てこないのに裏設定が山ほどある犬飼先生が、自由気ままに動いていて、途方に暮れています。笑 犬飼先生の正体も、徐々に明らかに…!
その前に、先輩と写真部員に出てきてもらわないとー!笑

作者:中村ハル

2018/9/6

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とじる

4.先輩

「悪いね、わざわざこんな所まで出向いてもらって」

 2階の廊下の突き当り。

 職員室も、準備室も何もなく、誰も来ないしんとした場所。

 そこに、灰色の鉄の扉がある。

 犬飼先生に呼び出されたそこは。

「2階奥って、佐伯、そこ、開かずの間じゃん」

 小野さんが、そういって眉をしかめた。

 曰く、入り口には、鎖がぐるぐるに巻き付けられている。

 曰く、灰色の扉の中に入った者は、誰一人戻ってこない。

 曰く、中から、女子生徒の泣き声がする。

 曰く、誰もいないはずの内側から、扉を叩く音がする。

 その他、いろいろ、あることないこと。小野さんが次々と教えてくれたが、教えられすぎて思い出せない。

 少なくとも、ドアノブには実際に、鎖がぐるぐるに巻き付けられている。

 鎖に付いた南京錠に、かちりと鍵が差し込まれた。

「ここ、開かずの間って言われているから、誰も来なくていいんだ」

 そうか。誰も来ないから開かずの間なんじゃなくて、開かずの間って呼ばれているから誰も来ないのか。

 ていうか、犬飼先生は、どうした。

 放課後、一分たりとも遅れてはならないと、5限終わりのチャイムと共に脱兎のように駆けて、この扉の前まで来てみれば、そこにいたのは犬飼先生ではなくて。

「先輩、写真部だったんすね」

「うん、そう」

 イケメン先輩は、色素の薄いブラウンの癖っ毛を揺らして、俺を振り返る。笑った目元が涼しすぎて、直視できない。

「あの、こないだは、ありがとうございました」

「ん?」

「これ、傷の手当してもらって」

「ああ、そんなこと。気にしなくていいよ。あの時さあ、みちる君、綺麗に飛んだよねえ。写真撮っておけばよかったなあ」

 使い込んで飴色になった革のストラップで首から提げたフィルムカメラを、愛おしそうに撫でながら、先輩が笑う。あの惨事をそんなに爽やかに笑われると恥ずかしくなる。

 先輩は外した鎖をじゃらりと鳴らして、俺を開かずの間の中に通した。

「開かずの間って言っても、別に、普通なんすね」

「うん、見た目はそうだろうね」

 鎖を内側のドアノブに引っ掛けて、先輩が微笑む。

 肝試しに、忍び込んだ生徒がいるのだろう。灰色の鉄扉の内側には、手作りなのか、墨で描かれた渋い犬の絵柄のステッカーが貼られている。同じ柄のステッカーが壁のところどころに貼りつけられているところをみると、うちの学校にもやんちゃな感じの生徒がいるようだ。

 きっと繁華街かどこかのシャッターに、同じようなオリジナルのステッカーを貼りまくってささやかな自己顕示欲を満たしているのだ。

 先生たちが片づけようとしたのか、左側の壁に貼られた一枚は、剥がし損ねて犬の身体が中途半端に破れて残っている。これじゃあ、ドアノブに鎖を巻きつけるのも頷ける。

「はい、それじゃあ。うちの部員を紹介します」

「てか、先輩。誰も来てないんですけど」

「大丈夫、後から来るから。先に知っておいた方がいい」

「そうっすか」

「そうっす。うちの部員、クセが強すぎて、揃ってからだとやかましくて、全っ然紹介できないから」

 先輩は少し遠い目をして、情けなく眉尻を下げた。そんな仏のような顔になってしまうほど、難ありな感じなのかと、俺はポケットの入部届を握りつぶしそうになる。

 そんな俺の心中を知ってか知らずか、先輩はトートバックを探って、小さな冊子を俺に手渡した。

「では、お配りした資料に、目を通していただけます?」

 ホチキスで閉じられた小さな冊子をぱらりと捲る。タイトルは、オシャレな感じの手書き文字だ。チョークアート、とかいうヤツだろうか。

「つか、上手いな、おい!」

 思わず、声が漏れる。部員5人を紹介したコピー用紙を閉じた冊子は、文章も全て手書きで、顔写真の代わりに、似顔絵が描いてある。本人たちを見たことがないが、それでも超絶に上手い。きっと、実物を見たら、絶対にこの人だと言い当てる自信がある。最後のページに載っている人を、最近どこかで見た気がするけれど、誰だったか。

「何で手書きなんすか」

「僕…PC、使えないんだよねえ」

「ていうか、写真部でしょ、写真は⁈」

 ふふ、っと先輩は、得意げに眼鏡のブリッジを押し上げる仕草をしたが、眼鏡なんかかけていない。普段はコンタクトレンズを着けているのだろう、俺もかなりの近眼なので、うっかりやっちゃうの、分かる。

「安直に写真を使うなど、全くもって、邪道だよ、みちる君」

「写真部の存在意義が。あっ、それともマジメにPC使えないんですか」

「分かってないなあ」

 はあ、と先輩は大げさな溜息を吐いて肩を竦める。

 なんだ、この人。せっかくイケメンなのに、面倒なタイプか?

「ねえ、みちる君」

「佐伯、って呼んでもらえます?」

 俺を少し下から見上げて、先輩がふと真顔になる。

 俺はぐっと言葉に詰まる。変人だが、黙っていれば、綺麗な顔なのだ。

 色の薄い茶色の目は虹彩の端が淡く緑にぼやけて、まともに覗き込めば飲み込まれそうになる。

「写真なんて、そうそう、撮ってはならない」

「…何で」

「知らないのかい」

 先輩は慣れた手つきで、首から提げた古い銀塩カメラを整えていく。フィルムを装填し、裏蓋を閉じ、きりきりとフィルムを巻き上げる音がする。

「魂を、抜かれるからさ」

 片目を眇めて、俺を見る。まるで、ファインダーを覗くように、片目をつぶって。

 閉じた先輩の右眼の代わりに、カメラの大きな一つ目が、胸元で光を撥ねた。心臓を射抜かれる気がして、俺は知らずに、シャツの胸元を握りしめている。

 先輩が、左眼にファインダーを当てる。整った顔が、カメラの向こうに沈む。

「みちる君、君、重たくはないのか」

「重い? 何が、ですか」

「そんなにごっちゃりと、背中にくっつけて」

「だから、何を」

「気づいてないの? それとも、知らないふりを、しているの」

 不意に、ずしん、と足が地面にめり込むような感じがして、俺はぶるぶると首を振った。カメラのレンズは、ぶれることなく、じっと俺に据えられている。

「君、いっつも『けたけた』がいる場所に現れるよね」

「え?」

「自転車で転んだ時も、ファストフード店でも、君は僕が知らないと思ってるかもしれないけど、それ以外のあちこちにも」

 俺は慌てて首を振る。そんなこと、ないはずだ。

自転車置き場と、ファストフード店だって、偶然居合わせただけだ。それ以外は、身に覚えがない。

「君が行く先々で、どうして『けたけた』が出るのかな。まるで、みちる君、君が媒介しているみたいに」

「そんな…だって『けたけた』の話だって、昨日聞いたばっかりで」

「ふうん」

 先輩の指先がレンズを回して、照準を合わせる。きりきりと、弓でも引き絞られているような錯覚に陥り、パニックを起こしかけた。落ち着けと命じても、身体ががたがたと震えて、どうにもならない。まるで、俺ではない何かが、早く逃げろと、俺に危機を伝えているみたいだ。

「本当に、君は、何も知らないんだね?」

カメラを少しだけ下げて、先輩が安堵した表情で、小さく息を吐く。それからすぐに、表情を曇らせた。

「君が今回の犯人だったなら、僕も心を痛めずに済んだんだけど。仕方がない。だって、君は、真っ黒だもの。もう、どれが誰かも見分けがつかないほどに重なって」

「え?」

「『けたけた』は悪意だよ。みんなの身体から、少しずつ零れだした。君はそれを、吸い寄せる。吸い寄せたものを、ぶら下げて歩く。心に隙がある者や、嫉妬、羨望、欲望、それらを抱えた者が触れれば、低いところに水が流れるように『けたけた』も流れ込む」

 吸い寄せては、放ち、流しては、吸い上げ、『けたけた』は、積もり積もって、俺の身体を取り巻いている、らしい。先から震えが止まらないのは、そいつらの所為なのか。どうして、こんなにも、先輩に怯えているのか。

 先輩は今、俺が悪意を持って『けたけた』をばら撒いていたのなら、心を痛めずに済むって言ったけど、一体、何をするつもりなのか。

「さっき君は、どうして安易に写真を撮ってはならないのかって、聞いたよね」

 先輩は、上目がちに俺に微笑みかける。そっとカメラを指先で撫でながら。

「シャッターを切れば、君の欠片が、ここに焼き付けられる。君は少しずつ、少しずつ削り取られて薄くなって」

 すっと、カメラが持ち上がる。先輩の顔がまた、カメラの向こうに隠れて消える。

 踵から凍てつくような寒さが背筋を駆け上がり、俺は両腕で身体を抱え込む。

「いつしか消えて、なくなる。君は永遠に、印画紙の中に。そちらに残るのは、君の抜け殻、君の影」

 先輩の呼吸が、ほんの束の間、止まる。間合いを図るように、半歩前に出る。

「その空っぽの器に」

 かしゃり

 シャッターが切られて、俺はびくりと身を強張らせた。

「何を、入れようか」

 にたり。

 先輩の口元が、カメラの下で、禍々しく笑った。

 かしゃん

 また、シャッターの落ちる音。

「どうして僕を、そんな目で睨むの」

 ずい、と歩み寄る先輩は、思ったよりも大きく見える。

「ずっと考えてたんだ。君を手に入れたら、さぞかしいいだろうってね」

 カメラのレンズに、自分の顔が映っている。それはレンズの曲面の形にわずかに歪んで、よく似た別人にも見える。

「なのに、君は素っ気なくて。わざわざ、目立つようにしたのに」

 後退って、壁際に追いつめられる。転がっていた何かに足を取られて、床に倒れこむ。慌てて顔を上げると、真上から、先輩のカメラが俺を狙っていた。

「もう、傷は大丈夫?」

 仰向いたせいで露わになった額を指差し、先輩は首を傾げて笑った。あの時、自転車に絡まったのは、何だったのか。どうして、あんなにタイミングよく、先輩はあの場にいたのだろう。

 もし、最初から、俺を、狙っていたのだとしたら?

「まさか…」

 ふふっと、空気のような笑い声に合わせて、カメラが揺れる。

「ねえ、フィルム一本、全部君を撮ったとしたら、君はどこに行ってしまうかねえ」

 愛おしそうにカメラを撫でて、先輩は僕を見て、晴れやかに笑った。

「ほ、他の人が、もう来るんじゃないんすか。犬飼先生だって」

 どうにかして逃げなくては。ここから、この人の視線から。あの、カメラから。

「来ないよ。初めから、君一人だ」

 だって、ここは、開かずの間だもの。

 ぞくりと、俺の背中を、恐怖の波が走り抜けた。

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  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/09/07)

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とじる

5.もういない先輩と写真部員たち

 俺の中の何かが焼き切れて、弾かれたように立ち上がると、先輩を突き飛ばしてドアノブにしがみついた。絡んだ鎖をかなぐり捨て、ドアを引き開け、外に飛び出す。

 後を振り返りながら廊下を走って、誰かとまともにぶつかった。

「あ」

 半ばしがみつくように見上げた先にあったのは、先輩が作った冊子の似顔絵の顔。確か、1ページ目、部長だ。部長? じゃあ、さっきの先輩は…あれ…あの冊子に、先輩は載っていたか。いや、今は、そんなことどうだっていい。

「あの、俺、開かずの間でせ、先輩が…、カメラに狙われて…」

 支離滅裂で説明にならない。

 しがみついた俺を支えていた部長は、眉を寄せた。

「先輩? 誰?」

「写真部の、先輩です…!」

「え?」

 部長が後ろを振り返る。後ろにいた3人が俺を見て、部長を見た。

「写真部は、全員ここにいるよ」

「そ、そんな」

「誰、先輩って?」

 そういえば、先輩の名前を、聞いていない。

「癖っ毛で、色素が薄くて、イケメンの…」

「え、ウソでしょ」

 小柄でツインテールの子が、目を見開いて固まった。

 部長ともう一人の男子生徒が目配せをしている。

「絵がやたら上手くて」

「やだ、止めてよ。だって…先輩はもう、いないもの」

 いない?

 赤いフレームの眼鏡をかけた女子生徒が、じっと俺を見ている。

「だって、先輩は半年前に…」

「誰か他の人と、間違えたんじゃないのか?」

「革のストラップのついた、フィルムカメラを持ってた」

 写真部の4人が、しん、とした。

「それ、本物の井上先輩じゃない…?」

「何で? だって、いる訳ない」

 俺はぽかんと、口を開けて4人を見回した。

 赤い眼鏡の女子が、低い声で俺に問う。

「先輩、なんて、言ってた?」

「シャッターを押せば、魂を焼き付けられるって。だから、写真は気安く撮ったら駄目だって」

「ああ、先輩らしい」

 その人は、片手で綺麗な顔を覆って、俯いた。

 俺はそっと、開かずの間を振り返る。ふいに脳裏によみがえる、小野さんの開かずの間についての噂。

 曰く、開かずの間で数年前に事故が起きて、先輩がひとり、病院送りになった。今も、その先輩は、開かずの間の近くを彷徨い歩いている。

「でも、どうして井上先輩が」

 部長は難しい顔をして、灰色の鉄扉を振り返る。

 赤い眼鏡の女子は、さらさらの黒髪を後ろに払って、部長を見上げた。

「きっと、不安なんだと思う。私たちを、信用できないんだ。だって、あんなに好きだった部なのに廃部になっちゃうかもしれなくて…。だからきっと、いても立ってもいられなくて…。私たちのせいだ」

 だから、と開かずの間を振り返って、強い声を聞かせる。

「私、行ってくる。井上先輩と話を、してくる」

「ま、待って」

「君のせいじゃないの。ごめんね、巻き込んだりして」

 迷いのない足取りで、細い身体は廊下の奥へと進んでいく。

 小さな背中が、灰色の扉を開く。

 女の子を一人で行かせるなんて、俺はなんて、臆病なのか。ついさっきの出来事を思い返すと、まだ膝が震えた。だけど、先輩がもういないのなら、なおさら一人で行かせるわけにはいかない。

 覚悟を決めて、俺は後を追った。

◆◆◆

 開かずの間の入り口を開いて、中に入る。床に落ちていた鎖がつま先に当たって、じゃらりと鳴った。

 目の前には、肩下まで黒髪を垂らした、頼りない後ろ姿。

「井上先輩? いるんですよね。聞こえてますか?」

 小さな身体から、凛とした大きな声がする。

「もう、こんなこと、止めてください。私たちで大丈夫ですから。絶対に、守ってみせます。だから」

 懸命な声に応えるように、暗がりからすっと、影が現れる。レンズが闇の中で、きらりと光った。まるで、涙を湛えた、大きな瞳のようだ。

「だから、先輩」

 こつ、と靴音を立てて、小柄な姿が闇に向かって進む。

「いい加減に、もう、学校来るの止めてもらえません? マジで先生に言いつけますよ?」

 ぐっと伸ばした手が、先輩の襟元を引っ掴んで、暗がりから引きずり出す。

「わ、わわわ、危ないって、紅緒さん? あぶなっ」

「危ない、じゃない! もう、ほんと、いい加減にしてくださいよ! 先輩のせいで変な噂が立って、新入生は入ってこないし! 本当に廃部になっちゃいますよ?」

 先輩がばつが悪そうに頭を掻いて、俺を見てへらりと笑った。

「え? 生身? 本物の、人?」

「何言ってるんですか、人に決まってます」

「だって、さっき、先輩はもういないって…」

「卒業してますから、4月で」

「しょうがないじゃないか、写真部が心配なんだから」

「先輩のせいです、部員が減ったのは。先輩目当てで入って来た、どーでもいい女子たちが抜けて。先輩のオカルト写真とオカルト話で釣られた子たちは、オカルト研究会立ち上げて。ちゃんと残ったのは、今のメンツの4人です! 5人いないと愛好会に格下げになって、部費が…カメラが…」

「だからスカウトしてきたんじゃない。この美少年を撮りまくって、勧誘用のポスター作って、写真集を学祭で売ったら、きっと新しい機材が買える」

 紅緒さんと呼ばれた赤眼鏡の人が、訝し気に眉をひそめて俺を見る。

「美少年…?」

「そ、美少年。さっき、口説いたら、全力で逃げられちゃって」

「…美少年?」

 指をさすな、こんな至近距離で。紅緒さんは説明を求める視線を先輩に送り続けている。失礼だな。

「美少年だよ、ほら」

 先輩が俺のマッシュルームカットの厚ぼったい前髪を、勝手にめくりあげた。

 黒髪乙女の紅緒さんが、片眉をひょいと上げて、意外そうな顔をした。

「ふむ…いいね」

 片手を顎に当てて、紅緒さんは俺をつま先から頭のてっぺんまで、じろじろと眺めまわした。

「いける」

「でしょ」

 嬉々として、先輩が目を輝かせた。

「学園の新アイドル! さあ、僕に魂を売らないか? 自我を捨てて、なりきろう、広告塔に!」

「や、ちょ、待って…」

「さあ、さあ、撮ろう。ファースト写真集だ! フィルム一本撮りきったら、君はどこまで人気が出ちゃうかな」

 ばしゃばしゃと、シャッターを切りまくる先輩。満足げに見守る紅緒さん。いつの間に入って来たのか、写真部のメンバーも、うんうん、と頷きながら俺を見ている。

 俺は摩耗して、消えてなくなりそうだった。

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