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エスケーブ

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青春とは何か、よくわかっていない少年少女のお話

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エスケーブ #1

 私の学校は、部活動へ強制的に入らなければならない。

 それは入りたい部活のある学生には何の問題も無いことであるが、特にしたいことの無い学生には酷な校則であり、拘束である。

 入学から二週間という期限が迫る中、私は知り合ったばかりの学友らとエスケー部を掘っ立てることにした。もちろん、某企業を崇め奉る部活ではなく、ペーパーカンパニーや呑みサークルなどに類する、校則に対する逃げ道の仮称なわけである。

 事実、我が校にはどう考えてもエスケー部な部活がいくつかあるが、どれも加入し難いものばかりだった。

 なので、新たなものを創造しようという我々の話し合いは、物凄く盛り上がっていた。関係の無い方向に。

「ケバ部とか、どう?」

「バイ部とかは?」

「南部とか?」

 会議は踊る、されど進まず。匙を投げたくなるような男子学生の不毛な会話。君たち、本当にそれで3年間過ごす気なのかと詰め寄りたくなる案しか出ない。

 お題がブのつく言葉で部活を作るな大喜利じゃあないのだから。まだケバブは解らなくもないが、バイブは何をするのか、ひたすら震えているつもりなのか。南部に至っては地域名で、鉄器でも作りたいのだろうか。

 悶々とした気持ちはあれども妙案は無く、俺たちのヘイブンを作ろうとか宣っていた私も、人のことを言える義理ではないのだが。

 まあ、誰も本当にエスケー部を作ろうとは思っていないのだろう。入る部活を選定するためのディスカッションといったところか。

 私としては、逃げ道が欲しかったのだが、諦めてどこかの部活に入るしか無いだろう。色々と考えておかねばならない。

「栗柄は? 何かある?」

 栗柄とは、私のことである。ぼんやりしていたので、話を振られてしまったようだ。

「そうだなぁ・・・ブ、ブだろう・・・・・・ベルゼブ部?」

「あはは、何だよその部活、悪魔でも呼び出すのかよ」

「おいおい、悪魔崇拝とか斬新だな! 人に聞かれたらどう答えるんだ?」

「(笑)」

 お茶は濁せたが、いよいよ会議は進まないようだ。このまま、駄弁りとして楽しんで帰ろうと決めた時、このグループに歩み寄ってくる人物がいた。

「私もその話に一枚噛ませてもらえないかしら?」

 驚いたことに、女子生徒の乱入である。しかもなぜか、私をガン見してくるのだが、あれか、私がこの愉快な仲間達の首魁に見えるのだろうか。

 それより名前を何と言っただろう。なかなか綺麗な子だが、名前の記憶に無い。自己紹介の時に囃し立てられていたのは覚えているが、私はどうお茶を濁そうか考えていて、聴いていなかった。

 言葉に詰まっていると、学友達が反応してくれた。

「泉さん本気か!?」

「来たよ、これ。来ちゃったよ俺の学生生活っ!! 泉さん、いらっしゃいませぃ!」

「(笑)」

 一人微笑んでばかりの奴がいるが、どうやら泉さんと仰るらしい。目的が読めないので、私は少し黙っておこう。

「貴方たち、部活もどきを作るのでしょう? 私としても、時間外まで拘束されるのは不愉快極まりないの。これで規定の5人だから、さっさと立ち上げてしまいましょう。出ている案は?」

「その・・・ケバブ?」

「ああ・・・バイブ?」

「・・・南部?」

「ベルゼブブ!」

 一人だけ自信ありげに答えてみたが、どうしよう凄い睨んでくる。

「どうやら、聞こえていた不毛な会話は現実だったようね・・・貴方たち、本気で部活を作るつもりあるの? そんな肩書きで3年間過ごすつもり?」

 よくぞ言ってくれましたと拍手したいところだが、空気は最悪である。浮かれていたところをソバットでへし折られたようなものなので、仕方ないだろう。ここは、私が言い返してやろう。

「ああ・・・言いたいことは解るのだけど、エスケー部を考えるのは大変なんだよ。まずは審査に通りそうな内容を考えないといけないし、思い付いたとしても、次は顧問の獲得だね。教師も遊びじゃないから、説得するには相応の大義名分と熱意が必要だろう。なんたって顧問になってくれる先生は、この提案を職員会議で発言しないといけないからだ。妙な部活のせいで、自分の心象を悪くしたくないだろうし。それに、万が一承認されたとしても、年に三度の活動報告を求められる。前期、学祭、後期の3つ。報告を怠ると即時解体だから、本当の意味での放置は出来ない・・・まあ、だから妙案が出にくいわけで、ついふざけてしまう気持ちも理解して欲しいな、なんて」

「お断りね」

 ぶった切られてしまった。

「私が望んでいるのは、くだらない人間関係や馴れ合いからの解放。これからの時間を惰性に費やしたくないから、隠れ蓑が必要で、だからここに居るの。今、彼が語った内容を他に把握していた人はどれくらい居るのかしら?」

 美しい花には棘が有るとは、昔から伝えられてきましたが、これはもう軍用ナイフである。繊細な男子のハートは切り刻まれてしまったよ。

「・・・悪い、栗柄。俺、帰るよ」

「・・・俺も、また明日な。いや、明日来れるかな?」

「(笑)」

 学友たちは、そそくさと帰っていってしまった。無理もないことだが、それでも微笑みを絶やさない君には残っていて欲しかった。

「惰弱、あまりに脆弱ね」

 憮然とする泉さんに、私も少し腹が立ってきていた。

「あのさ、いきなり来て組織を破壊しないでくれるかな? 当たり屋かなんかですか?」

「これくらいで崩壊するような集まりでは、来たる試練には太刀打ち出来ない。それは貴方も分かっていたはず」

 そう言われると、ぐうの音も出ない。言葉を失っていると、泉さんは空いた席に腰掛けていた。

「あれ、どうしてお座りに?」

「言ったはず、私には隠れ蓑が必要なの。だから、作らなければならない。人材は見つかったわけですもの」

「もしかして、わた・・・俺の事でしょうか?」

「ええ、及第点だけど」

 ほんと、何様なんでしょう。ここは皮肉ってやりましょう。

「でも、3人も不足しちゃってるんだけどな、誰か様のせいで」

「言ったはず、脆弱な人材は役に立たない。目的は無くてもやる気はある生徒でないと」

「そんな都合の良い人材が、都合良くこの学年に存在していて、都合良く参加してくれますかね?」

「学年で捜している時間は無いわ。このクラスで揃えるの」

「はい? ここで?」

 周囲を見渡すと、放課後になったというのに、けっこうな人が残っている。

「この時間でも残っているということは、何かを変えようと考えている証拠。ここから他と混ざれないような個性を見出だして」

「個性って・・・扱いにくい人は一人で十分なんだけど」

「あら、私の事のように聞こえるけど?」

「いや、あんただよ」

「心外ね、よく言葉を考えてから発言しているつもりだけど」

「よく相手に突き刺さる言葉を考えてから、でしょうに」

「ふふっ、どうかしらね。それよりも、人材を捜しなさい。時間は有限よ」

「捜せと申されましても、さっぱり・・・」

「目につく奴を捜せば良いの」

「はぁ・・・」

 渋々、私は再度教室中を見渡した。あちこちで小グループが駄弁るよくある放課後、その中に身を寄せ合って密談する男女の姿があった。交際

しているのだろう、真剣にこれからの事を考えている様子だ。

「見つかったかしら?」

 泉さんに問われて、私はあのカップルを答えた。

「なるほど、デートする時間欲しさに、名前くらいなら貸してくれそうね」

 また身も蓋もない。

「私も見つけたの」

 泉さんが顎で示した方には、小グループの中で妙におどけた女子生徒がいた。

「あの、四苦八苦してる子?」

「ええ、中学とは離れた高校に来て、人脈も無く、早く拠り所を得たいと必死なのよ」

「えぇ・・・どこからそんなプロファイリングを?」

「自己紹介で言ってたわ、出身中が遠いって。聴いていなかったの?」

「ああ、まあ・・・泉さんは全員のを聞き逃していなさそうですよね」

「当然、人材はどこに眠っているか判らないもの」

「わお・・・」

「さて、私はあのカップルに声を掛けてくるから、貴方はあの子を釣ってきて」

「言い方の語弊が凄いよ・・・なんで、逆なの?」

「あのカップルは、実利を求めていて、あの子は人情を求めているから。そして、私は実利を与えられて、貴方は人情を与えられるから」

「俺が・・・人情?」

「気持ち悪いほど、情感に富んだ話し方をするでしょう? 役者でも目指しているかのように」

「目指してません・・・というか、一人であのグループに突貫しろと? 玉砕しろと?」

「大丈夫、もう解散するだろうから」

「え?」

 言う通り、グループは程なくして解散していった。残ったのは、釈然としない表情をしたあの女子生徒だけであった。

「さあ、行きなさい」

「えぇ、でもなんて・・・」

「彼女の名前は幸坂さん。貴女が必要だってことを伝えれば良いから」

「え、ああ・・・分かったよ」

 必要だと伝えれば良い、必要だってことを伝えれば良い。そう心の中で唱えながら、声を掛けてみる。

「幸坂さん」

「は、はい?」

「君が・・・必要なんだ!」

「え・・・えぇ!?」

 ストレートに伝えてみたが、何か変な空気なので、ここでネタバラシ。

「部活を・・・作るんですか?」

「そうなんだよ、幸坂に入りたい部活が無ければ、協力して欲しいな~と思った次第で」

「あの・・・何故私なんかに?」

「それは・・・幸坂さんの事が心配で」

「え?」

「自己紹介の時から、気になってて」

「ええ!?」

「声掛けて来いって・・・泉さんが」

「そんな・・・え? 泉さん?」

「そう、泉・・・なんちゃらさんが、幸坂さんを見出だしたみたいで。胸が苦しくなるほど、コミュニケーションがぎこちなかったからさ」

「うぅ・・・けっこう、はっきりと言いますね」

「えっと・・・ゴメンね」

「いえ、そんな・・・本当のことですし」

「例えば・・・人には言えない趣味がある、とか?」

「・・・ひっ」

 幸坂さんは、あからさまに表情をひきつらせていた。分かりやすい、実に分かりやすい。図星を突かれた時は、私も気をつけよう。

「あのさ、俺は合法なら大抵の趣味と話しても大丈夫だと思うんだ」

「ご、合法ですよ!? その・・・あの、ネットに曝さないでくれますか?」

「えっと、流石にそれは洒落にならないからしないよ。したら普通に告訴されちゃうしね」

 笑わないで、程度じゃ無いのか。どんな趣味なんだ。

「それなら・・・その私、デスメタルが好きでして」

「で、デスメタル!?」

「やっぱり変ですよね! 曝さないでください!!」

「ふ、普通~」

「・・・あれ?」

「至って普通の趣味だね。もっと週刊紙の見出しみたいな趣味かと・・・」

「意外じゃないんですか?」

「いや、意外ではあるよ。幸坂さんは普通に可愛らしい女子だからね。むしろ、テディベア作りとか言われたら笑ってたかも・・・アザトスギテ」

「テディベア・・・作りました」

「あ・・・もしかして、デスメタルメイクにしてみたり?」

「はい・・・その昔、信じていた友達にネットへ曝されて・・・」

「おぅ・・・まさか、それで人間不振になって、地元から離れた高校にしたなんてことは」

「はい・・・」

「・・・その、ゴメン。冗談のつもりが」

「こちらこそ、冗談みたいな人生ですみません」

 地雷を踏むとは言うが、地雷原を駆け抜けた気分である。下手な繕いは追い詰めるだけ、ここは逆手に取りましょう。

「テディベアの画像、あったりする?」

「え、あ、はい」

 幸坂さんは、携帯の電源を入れて画面を見せてくれた。授業中はちゃんと切っているんですね。というか、壁紙にしていましたか。

「どうですか?」

「う~ん、これは・・・クオリティが生半可ではないというか。圧倒的で、引き込まれるものがありますね」

「か、可愛いですか?」

「コメントは差し控えておきますが、そのお友達もきっと幸坂のことを自慢したかったんじゃあないでしょうか」

「・・・コメントが、ウケるwでした」

 救いようがねぇ。必死に突破口を捜していると、テディベアに刺繍された文字に目が留まった。

「この刺繍・・・バンド名かなにか?」

「はい! 好きなバンドです」

 わあ、テンションが段違い。

「ベルゼブブって読むんですよ!」

「へぇ、ベルゼ・・・ブブ? ・・・ベルゼブブ!?」

「ひっ!?」

 これは運命のいたずらか何かなのか。

「偶然とは思えない・・・幸坂さん、貸出用のCDとかあるかな?」

「はい、ライブDVDなら!」

「重い! でも貸してください!!」

「はい!!」

 何とか、空気を盛り返したところで、凍てつくようなおぞ気に、私は振り返った。

「私は、釣ってこいとは言ったけれど、ナンパしてこいとは言ってないのだけど?」

「イヤだなぁ、ナンパなんて出来ないよ」

「そうかしら? 端から見れば、立派なナンパ師だったわよ。進路は役者ではなくて、ナンパ師にしたのかしら?」

「どちらも目指してません。というか、そっちのカップルはどうだったのさ?」

「姉弟だったわ」

「・・・はい?」

「双子だそうよ」

「マジか、似てないな!?」

「ええ・・・そこのカップル、と呼び掛けたら口論になったわ。あの姉は跳ねっ返りよ。気を付けなさい」

「口論ってことは、駄目だったの?」

「いいえ、部活には困っていたから、内容次第では名前を貸してくれるそうよ」

「おお、それは偉ぶることはありますね」

「ええ、そうでしょう? さて、幸坂さん。ナンパ師のいる部活になるけど、参加してみてはいかが?」

「あ、あの・・・」

 ああ、幸坂さんが混乱している。人間不信には、このプレッシャーは耐え難いよね。

「わ、私も内容次第ということで」

「ええ、了解したわ。それでは、また明日の放課後には案を纏めてくるから、その時話しましょう」

 話がまとまったので、各自解散というわけで。一緒に帰ったりはしない。そんなことを望んでいる人なんて居なかったから。

      

 明くる日の放課後、教壇に立つ泉さんの前に、私と幸坂が座らされている。

「先日公言したように、部活の内容を考えてきました。傾注するようにお願いします」

 お願いしている言葉のチョイスでは無いと思うのだが、泉さんは気にすること無く、淡々としたトーンで説明を始めた。

「我々が目指すところは、拘束されない部活作り。俗に言うエスケー部を作ることにあります。内容は職員会議を通すこと、部の存続は我々の在学中のみにしたいことを鑑みて、マイナーかつマイナー過ぎず、目立たず近寄り難いものにする必要がありました・・・ここまでで質問は?」

 私は手をあげた。

「先生、巻きでお願いします」

「・・・良いでしょう、次に移ります」

 泉さんは、テキパキとプロジェクターの準備を始めた。意外とスクリーンを降ろすのに難儀していたので、そこは手伝いました。

「ではまず、部活名から発表します」

 パワーポイントを起動する泉さん、そこまで作り込んできたのか。

「その名も、社会実験部です」

 それ、何する部活よ。字面おっかないよ。

「皆さん、首を傾げていることでしょうから、簡単に説明します。社会実験部とは、部員それ自体が実験対象、つまりモルモットです」

 これまた身も蓋もない。

「実験内容は、部活動を忌避する生徒が集まった場合、どのような部活動をするのか、というものです」

 なんだ、その逆説的過ぎてゲシュタルト崩壊まっしぐらな実験は。

「本来、隠しておくべき本音を前面に出すことで、学校側にもメリットが生まれます。我が校の実状としては、部活が続かなかった隠れ無部活生徒が学年全体(一年を除く)の3割を占めているという現状です。しかも、それは増加の一途を辿っている」

 まさか、円グラフやここ6年間の統計まで用意しているとは。

「この様に我が校は、自己矛盾を抱え、それを意図的に放置し、結果として肥大化させていっています。その悪循環を打破する試みが、社会実験部なのであります」

 怪しい企業説明会みたいになってきたな、壺やら水でも売り付けられそうだ。

「社会実験部に集まったのは、潜在的無部活生徒たちです。彼らのやりたいようにさせ、経過を観察し、生徒が望む部活動という形を見出だしていくのです。コストゼロで学校の致命的な問題を解決出来るなんて、ラッキーだね。さあ、社会実験部を承認しよう・・・以上、プレゼンを終わります」

 プレゼンの内容に、私はまばらな拍手、幸坂さんは何故か大きな拍手を送っていた。

「さて、幸坂さん。この部活の旗揚げに参加してもらえるかしら?」

「はい、プレゼン力に負けました。及ばずながら、お手伝いします」

 それで良いのか、幸坂さん。下手したら、一生泉さんに隷属することになるよ。

「栗柄君は・・・異議ありが顔に出ているようね」

「ええ、まあ・・・その社会実験部というのは、どう考えても文化系の部活動だよな?」

「ええ、そうなるわね」

「結果や実績を求められるスポーツ系と違って、文系は美術や音楽などの一部を除いて、求められるものが意義だからな。狙い目としては良いが、中身が曖昧過ぎないか? 統計とか何処調べ?」

「流石、生まれながらの詐欺師。脆弱性を見つけるのが早いわね。統計はでっち上げ、数値は統計学で割り出したものだから、的を射てる数だと思われるけど?」

 もはや詐欺師にされるのか、私は。

「確かに、現実味のある数値で、よっぽど穿って見なければ気にもしないだろうけど・・・経過観察って何もしてないのと変わらないんじゃないの?」

「ええ、そうね。でも大丈夫、きっと詐欺師さんがフォローを入れてくれるはずですから、ね?」

 脆弱性はこちらに丸投げですか、そうですか。

「とりあえず、経過観察にしてもある程度の目標が必要だと思う」

「ええ、私も最初は何か目標を、具体的に何かを愛好する部にしようと考えたわ。けれど、その前にはいつも先例が立ちふさがっていた。エスケー部の祖にしてレジェンド、帰宅部がね」

「帰宅部? 確かにエスケー部の筆頭角みたいな存在なのに、うちには無いな・・・あからさま過ぎたから潰されたとか?」

「いいえ、数年前まで帰宅部は存在していたの・・・活動報告が出せず、廃部になったわ」

「というか、よく活動報告が出来てたな。すぐにネタ切れになりそうなのに」

「その通りよ、栗柄君。彼らは効率的かつ安全な通学路の研究を目標に掲げていたけれど、三年目にしてネタ切れを起こし、卒業を間近にして敢えなく取り潰されたわ」

「三年も続いたか、単純に普通の部活以上の熱意を感じるな」

「そう、彼らは部の存続に並々ならぬ努力を要したそうよ。普通に部活すれば良かったと嘆いていたわ」

 まるでインタビューでもして来たかのような口ぶりだが、まさかね。

「えっと・・・それを例に出したってことは、社会実験部にはネタ切れが無くて、存続にも苦労しないと?」

「ええ、目的はあくまでも経過観察。隠れ無部活者を減らす糸口を探すというのは謳い文句でしかない。活動報告はまさに経過を知らせるだけだからネタ切れも無く、特別なことをするわけでもないから、存続も容易いはずよ」

「なるほどな・・・じゃあ少し先の話をしよう。いずれは結論を求められる日が来るが、何かしらの目算はあるのか?」

「いいえ、特に無いわ。よく解らなかった、という結論でも良いとも考えているし」

「はあッ!? それで学校側は了承するのか? 投資ファンドなら告訴されるレベルだぞ」

「部活動の本分は、健全な肉体と精神の獲得、を謳った学生統制よ。何をしでかすか判らない学生を部活動という名の超過勤務を強いて、監視することが目的なのだから、活動報告を上げ、学業も滞り無ければ文句も言えないはず」

「かなりぶっ飛んだ発想だが・・・一概に否定も出来ない」

「栗柄君、立案者のくせに随分と否定的ね? やる気あるのかしら?」

「いつから立案者になったのか知らないけど・・・事に挑むなら、叩き潰すつもりで試しておいた方が良いかと」

「そうね、貴方に潰されるようでは承認も受けられないでしょうから」

 私はどこで嫌われたのでしょう。昨日話したばかりですよね。

「それで、栗柄君の評価は?」

「突き詰められるとボロが出そうだけど、驚くべき屁理屈のクオリティって感じかな? 幸坂さんの言う通り、プレゼン力の高さで完璧なんじゃない?」

「そう、一意見として検討させてもらうわ」

 意見、二つしかないのに。

「では、今日はこれで解散しましょう。明日は支倉姉弟に説明を行いつつ、顔合わせをしましょう」

 誰だ、支倉姉弟。ああ、あの似てない双子か。

「以上、閉廷」

 泉さんは深めの礼をすると、USBを引き抜いて、さっさと教室を出ていってしまった。去り方は格好いいが、スクリーンとか片付けなさいよ。

 私が渋々スクリーンを片付けていると、後ろで幸坂さんが乱れた机を直してくれている。

 今日はあまり発言していなかったが、幸坂さんは何を考えているのだろうか。探りを入れてみるチャンスかもしれない。

「幸坂さんは、入りたい部活とか無かったの?」

「はい!?」

 もの凄く驚かれてしまった。もしや、まず文通から始めないとコミュニケーションが出来ないのだろうか。

「あの・・・軽音部とか手芸部とか気になっていて・・・」

「え、本当に?」

「昨日、あの後、見学に行ったのですが・・・その、軽音部はデスメタはやらなくて、手芸部は休部になってまして」

 そりゃ、軽音部だしね。それよりも、何をしたら手芸部が休部になるのだろう。

「ああ・・・それで、破れかぶれになって、この無謀な賭けに乗ることにしたと?」

「自暴自棄とかじゃなくて、その・・・ロックだなって」

 ああ、よそよそしくて、ゆるふわな子ですが、心にはデスメタが巣食っているのでした。

「まあ、本人が決めたなら、言うことは無いっす」

「はい、頑張ります!」

 やる気まんまんなのは良いけど、この部活何もしないところだよ。

「それと・・・これ、先日お話ししたライブDVD、です」

 幸坂さんが差し出してきたのは、どす黒い色使いでハエのモチーフが刻印されたDVDであった。そうだった、そんな話をしていたのだった。気にはなるが、伝えなければならないことがある。

「ごめん、家にDVDを再生する機材が無かったんだよ」

「え・・・?」

 幸坂さんは、余命でも宣告されたような顔をしていた。そんなにショック受けるものなのか。

「パソコンも?」

「お恥ずかしながら」

「わ、私・・・持ち運べるプレーヤー、持っているので」

 是が非でもですか。

「それじゃあ・・・この集まりが、部室を手に入れたらお願いしよう・・・かな?」

「はい!」

 なかなか良い笑顔で、幸坂さんは去っていった。これが、布教というやつか。

      

 放課後の教室、今日は昨日のメンバーに加えて、随分とガラの悪い方々が増えていた。

 まずは、支倉姉。机に脚を載せ、椅子を傾けてアンバランス過ぎる座り方をしている。さらにご丁寧な事にガムまで噛んでいるというガラの悪い奴の見本のような御仁である。

 そして、支倉弟は一言で言えば巨漢である。無口というか、寡黙というか、腕組をしたまま動かない。その教室全体を威圧するような姿勢は、もはやカタギではない。

 今はちょうど、彼らに説明を終えたところで、長い沈黙が流れている。

「乗った」

 支倉姉が唐突に答えを出した。支倉弟も頷いている。教壇に立つ泉さんは静かに頷いた。

「了解したわ・・・これで、頭数は揃ったので、明日にでも申請を出したいと思います。では、閉廷」

 泉さんはまた、颯爽と去っていった。閉廷、定着させようとしてるのか。

 私も帰ろうと、立ち上がると背後から肩を掴まれた。誰あろう、支倉姉である。

「あたしはお前がこのふざけた集まりの元凶って聞いたんだが、間違いないか?」

「えっと・・・誰に?」

「あの得体の知れない女にだよ、泉とかいったっけ?」

 泉さんはどうしても、私を全ての始まりにしたがるのか。

「なんと言うか・・・俺は泉さんに話を奪われた敗残兵というか」

「ハァ?」

 なんか凄いメンチ切ってくるんだけど、支倉姉。こういう輩は苦手だ、処理に困る。しかも女子は。

「まあ良い、あの女は何をするつもりなんだ? それだけ答えな」

「さっきの説明、聞いてませんでした?」

「あれは教師を納得させる説明だろ?」

 確かに、そうだ。

「美味い話で巻き込んで、あたし達に何かさせるつもりなのか?」

「何もないはずだけど?」

「何故そう言い切れる?」

「俺の目が黒いうちは、約束は守ってもらうからだよ」

「・・・」

 しばらく私は、支倉姉とにらみ合いのような状態になった。そろそろ、殴ってくるか弟の方が乱入してくると頃かと備えていると、意外にも幸坂さんが乱入してきた。

「喧嘩、駄目、絶対」

 標語っぽく注意する幸坂さん、やはり怖いのか少し及び腰である。

「アァッ!?」

 強烈な威嚇が幸坂さんに向けられた。

 幸坂さんはブルブルと震えながら、ヘッドバンキングのような動きをやり始めた。彼女はいったい、何と戦っているのだろう。

 幸坂さんのそんな姿を見たせいか、支倉姉がいきなり笑いだした。

「お前ら・・・・・・面白いな!」 

「・・・はい?」

「そこの地味子、喧嘩なんてしねぇから、頭振るな。脳細胞が死ぬぞ」

「地味子!?」

「それと地味太も、意外と胆が座ってるじゃねぇか」

「地味太・・・」

 なんと微妙なネーミングセンス。なるほど、そういうコミュニケーションの取り方なのか。

「それで、派手子さんは・・・」

「おい、誰が派手だよ?」

 あれ、おかしいな。またメンチ切られちゃった。

「ははっ、分かってんじゃん、地味太」

 支倉姉は、途端に笑い出し、私の肩をバシバシと叩いてくる。もう、何なんだこいつ。

「それで、派手子さんは・・・」

「暁乃(あきの)で構わないぜ?」

「はあ・・・それで、暁乃は・・・」

「あん? 何、気安く名前を呼んでんだ、こらぁ!?」

 手のひらを返すように、またもメンチを切ってくる支倉姉に対し、私の中で何かがショートした。

「あんたが、暁乃って呼べと言ったんだろうが!」

 割りと強い剣幕で言ったつもりだが、支倉姉はニヤニヤと笑うだけであった。

「ははっ、ちょっとしたジョークだよ。そう怒るなよ、地味太。特別に暁乃って呼ばせてやるからさ?」

 こいつ、めんどくせぇ。これから、こいつと話す時は感情的にならず、主導権を握らせないようにせねば。

「はぁ・・・暁乃は、泉さんを怪しんでるのに、なぜこの集まりに参加したんだ? 言動と行動が逆なんじゃないか?」

「それか・・・都合が良かったからだ。あたしらが仕事を続けてく為には、名前を貸すだけってのはな」

「仕事?」

「うち、割烹屋なんだ。日によって手伝いしてんだよ」

 私は絶句してしまった。なんと、ガラの悪い人種ではなかったらしい。

「今日もこれから手伝いだ。だから帰る。おい暁良(あきら)、帰るぞ」

 支倉弟は、無言で立ち上がると一礼だけして、姉と共に去っていった。どうにも癖の強い姉弟である。

「・・・地味子」

 幸坂さんも、肩を落として教室を出ていった。悪魔メイクで登校はしてこないでね。

      

 明くる日の放課後。期限の二週間が三日後に迫る中、私と泉さんは、顧問の獲得について、話し合っている。

「今日は、今週最後の登校日。一時間後に開かれる職員会議の前に、顧問を獲得し、職員会議でこの部の承認も貰ってしまいましょう」

「貰ってしまいましょうって、簡単に言ってますけど、顧問なんてそんな簡単にゲット出来るのか?」

「ええ、目ぼしい人は見つけてあるわ。ただ、今回は二人掛かりで落とす必要があるの」

「またあれか、幸坂さんや支倉姉弟の時みたいな・・・提案と人情作戦?」

「実利をちらつかせ、情に訴えれば、大抵の人間は頷くものよ。貴方にはまた情感溢れる生徒を演じてもらおうかしら?」

「そういうの、得意じゃないんだけどな・・・幸坂さんとかの方が、自然だったんじゃない?」

「人間不信の子に酷ね、栗柄君」

「俺なんかより、よっぽど心打つだろうって言いたかっただけだよ。やるから、見て笑うなよ」

「ええ、その場では控えてあげる」

「おい、あとでどうするつもりなんだ?」

「さあ、時間は無いわ。職員室へ行きましょうか」

「どうするつもりなんだ!?」

 泉さんは答えぬまま、職員室へと移動してきた。彼女は職員室の中へ入ると、手近な教師に誰かの名前を告げ、呼んでもらっている。

 聴こえてきた名前は、柘植先生。確か、うちのクラスの副担任が柘植といったような記憶がある。

 やがて現れたのは、やはり副担任の柘植先生だった。体育大学を出たばかりの新任だと、入学式で言っていたような気もする。もちろん、担当教科も体育で、体育教師に一応文系の部活を頼むのだろうか。

 泉さんが用件を伝えると、自席で話を聞いてくれることになり、私もそれに付いていった。

「それで、話って何かな?」

 泉さんは、手にした書類を差し出した。

「柘植先生、貴方に部活の顧問をお願いしたいのですが」

「え? わ、私に・・・?」

 柘植先生は、書類を受け取ると、内容に目を通していった。そして、とても難しい表情で書類から顔を上げた。

「えっと・・・泉さん? よく判らないのだけど、これはどういう部活なのかな?」

「書いてある通りですが?」

「そ、そうだね・・・でも、もっと簡単に言うと?」

「簡単に・・・部活動などしたくは無い生徒が集まって作るペーパークラブです」

 あら、言っちゃったよ。

「ああ、なるほどね~」

 そう言いながら、柘植先生は周囲を確認し、我々の肩に手を置いて、自らと共に机の陰にしゃがみ込ませた。

「き、君たち、それがどういうことか分かってるの!? そんなもの申請したら・・・」

「ええ、鼻で笑われるでしょうね」

「なら、何でこんな事を? 今なら聞かなかったことに・・・」

「先生が部の目的を正しく把握し、我々の熱意を伝えていただければ、職員会議は問題なく通過するでしょう。それに、これは先生にも益のある話なんですよ?」

「え、私に?」

「はい。大変ですよね、着任したばかりの先生は」

「まあ・・・そうね」

「本当に大変ですよね、新任で仕事も多く、定時で帰れない日がほとんどだというのに、教頭から部活の顧問をしろと圧力を掛けられるなんて・・・陸上部でしたっけ?」

「な、何んでそれを・・・」

「大変ですね、御承知だとは思われますが、運動部といえば土日返上は当たり前。先生はいつお休みになれるのでしょうか?」

「それは・・・」

「はい、そうですね、過労で倒れた時です」

「過労・・・」

「だから、これまでのらりくらりと教頭の圧力を避けてきたのですよね? でも、ここで働く限り教頭とは会わねばならない。早くこんな苦しみから抜け出したくはありませんか?」

「それは・・・抜け出したい、です」

「そうですよね。そこで、今回は土日に出張る必要もなく、手間の少ない部活の話を持ってきましたよ。これが通れば、教頭の圧力とはおさらば、週休2日の生活が待っていますよ」

「・・・そう、ね。なら、教えてもらおうじゃない。君たちの熱意を」

「それは、こちらの栗柄君から」

「え、あ、ここで・・・最初は仲間内でやろうとしてましたが、いつの間にやら話すことも無かったであろうメンツが集まりました。そんな奴らと部活を作るというのは、元々ある部活にただ乗りするよりも積極性があって、意義ある事だと考えてます。願わくば挑戦する機会を与えてほしいものです」

「・・・はぁ、挑戦なんて言われたらねぇ。確かに、面白い試みだとは思うけど・・・」

「ご理解頂き、ありがとうございます。顧問の件は、請けていただけますでしょうか?」

「・・・ん? う~ん、わかった受けるよ。 だけど、この社会実験部って名前は変えられないかな? 字面で否定されそうなんだけど」

「そうですね・・・ソーシャリティ・エクスペリメント部にしましょうか?」

 英語に置き換えただけじゃないか、それ。

「そうだね、そっちの方が聞こえは良いかな? でも、長いからSE部に略しておくね」

 その字面では、特殊効果好きかエンジニア集団の集まりのように見えるのだけど。

「それじゃあ、部長は栗柄君で、泉さんが副部長なのね。はいはい、会議で話し合っておきますね~」

「・・・はい?」

 私は首を傾げながら、泉さんの方を向いた。

「マジか?」

「真剣よ」

「聞いてない」

「聞かれてない」

「普通、部長は順当に泉さんでは?」

「貴方には部の顔になってほしいの。活動報告などの雑事は私がやっておくから」

「いきなり、そんなこと言われても・・・」

 あくまでも、このけったいな部活の首魁は私ということにしたいらしい。その理不尽さには後ほど厳重に抗議するとして、上手く運びそうな話の腰を折るわけにはいかないだろう。

「柘植先生、それでお願いします」

「あれ? もっと揉めるのかと思ったけど、良いのね?」

「はい、よろしくお願いします」

 我々は一礼して、職員室を後にすることにした。

「結果は月曜日に判るのでしょうね」

 下駄箱へ向かう中、泉さんが呟いた。

「まあ、そうなるね」

「仮に、承認を得られなかったら、貴方はどうするの?」

 泉さんにしては珍しく、弱気とも取れる発言である。いや、私が珍しいと言うのも変な話であった、彼女と事を私は何も知らないのだから。

「そうですなぁ・・・茶道部にでも行ってみようかな? 緩そうだし」

「そう・・・しごかれると良いわね」

 ドSめ。

「じゃあ、泉さんはどこに入るつもり?」

「私は・・・考えてないわ」

 それは、この部活が承認されないはずが無いという自信からなのか。あるいは、何も浮かばないのか。

 問い掛けようとしたが、二人の間は下駄箱に遮られてしまった。

 靴を履き替えてから回り込むと、泉さんの姿はもう無かった。

 手品師か、あんたは。

エスケーブ #2

 いよいよ、部活承認の結果が判る月曜日がやって来た。

 とはいっても、実は結果は既に判っていたりする。それは金曜日の夜、柘植先生から連絡が入ったからである。

「すんなり即日で通っちゃったよ~なんか拍子抜けだね。部室の鍵は月曜日に取りに来てね、一応全員で。では部長さんから、皆に伝えておいてね」

 肩の荷が降りたというのがありありと伝わる電話は、私が一言も発すること無く終わってしまった。今にして思えば、アルコールが入っていたのかもしれない。

 ともあれ、部が承認されたのは、私としても嬉しかった。これで、気楽な学生生活は約束されたようなものである。約束、されたのかな。

 それはそれとして、この結果をさっそく部員たちに教えようと、ダイヤルに向かい合った時、私は衝撃の事実に気付かされた。

「電話番号・・・知らん」

 なので、さっさと諦めてしまいました。どうせ、月曜日には判るのだから良いだろう。

 というわけで、私だけ気楽な休日を経て、月曜日の放課後に皆に結果を報告した。

「そういう事は早く言えや、こらぁ!?」

 支倉姉が私の胸ぐらに掴み掛かってきた。ほんと、喧嘩っ早いな。

「申し訳ない、連絡先知らなくて・・・」

「お陰でこっちは他の部活検討する羽目になっちまったじゃねぇか!?」

「ああ、なるほど・・・ちなみに、何処に落ち着いたんだ?」

「それは、あれだよ・・・料理研究部?」

「・・・ぷっ」

「てめえ、今笑ったか!?」

「笑ってません。息継ぎしただけです」

「てめえは、仮にも陸上生物だろが!?」

 支倉姉との舌戦がヒートアップする中、泉さんが咳払いでそれを制した。

「イチャついているところ悪いのだけれど、話が進まないから止めてもらえないかしら?」

「イチャついてねぇから!?」

 泉さんにも掴み掛かろうする支倉姉だったが、さすがにそれは支倉弟が取り押さえた。血を見ることになりそうだもんな、この二人じゃ。

「さて、これからは部員の連絡先は把握しておいてもらわないと困るのだけれど、部長さん?」

「申し訳ない、後で番号メモらせてほしい」

「・・・メモらせて?」

「ん? ああ、携帯端末持ってないんだよ。あるのは固定電話だけ」

「・・・っ!?」

 私の発言に、泉さんだけで無く、幸坂さんや支倉姉弟もが戦慄している。やはり、そんなにヤバイのだろうか。

「えっと・・・連絡先の件は置いといて、部室の鍵をもらいに行こうか?」

 私の提案に、全員ぎこちなく頷いてくれた。早速、職員室へ向かい、柘植先生を呼び出した。

「ほほう、これで部員集結だね?」

 柘植先生は全員の顔を見回した後、私に苦々しい笑みを向けた。

「個性豊か過ぎるけど・・・栗柄君、まとめていける?」

「あはは・・・善処します」

「あはは・・・とりあえず、この度顧問を引き受けさせてもらいました、柘植智尋です。よろしくお願いします」

『よろしくお願いします』

 こんな時だけ、息が合う。

「はい、良い返事ですね。では部長、これが部室の鍵です」

 柘植先生が手渡してきたのは、真新しい鍵だった。うっ、人肌の温度だ。

「部室棟建て直してから使われたことが無いらしいけど、一応清掃は入ったばかりらしいから綺麗なはずだよ」

「ありがとうございます。それでは見てきますね」

「そうして、そうして。あ、くれぐれも問題は起こさないようにね? 承認されたといっても、最初の活動報告までは様子見みたいなものなんだからね?」

「はい、気をつけます」

 我々は職員室を後にし、部室棟へ向かうことにした。校庭や体育館に近い運動部系の部室棟とは違い、文系の部室棟は校舎の裏手にあり、渡り廊下で移動することになる。

 割りと部屋数の多い建物だが、文系の部活はあまり多くない。確固たる目標がある部活以外は、承認すらされず、承認されても活動報告で躓くことが多いのだとか。我々もその凡例の一つになるやもしれない、案外気が抜けない状況なのである。

 鍵の部屋番号を頼りに、我々がたどり着いたのは、二階の端だった。ちなみにお隣は軽音部で、お隣と言っても三つほど空き部屋を挟んでいるのだが。

 軽音部の部室前の壁には、表札たるステッカーが備わっていたのだが、こちらの部室には何もない。泉さんに尋ねると、あれは活動報告初突破の記念品なのだそうだ。公認の証といったところか。

 いよいよ鍵を開け、牙城となる部屋へ足を踏み入れた。中は広めのワンルームほどで、長机やパイプ椅子、戸棚に用具入れの長ロッカーなどの備品も揃っている。まあ、それ以外は何もないわけだが、悪くない。

「他人からすれば小さな一歩だが、我々にとっては大きな・・・」

「感慨に浸る前に・・・とりあえず、座わりましょうか?」

「・・・はい」

 私の感慨が台無しである。

 泉さんの一声で、私は上座に、その右手に泉さん、幸坂さん、左手に支倉姉、支倉弟の順に着席した。

「さて、せっかくだから部長に挨拶して頂こうかしら?」

「え、聞いてないが・・・?」

「ええ、言ってないもの」

「はぁ・・・仕方ないな。こうして無事に部が承認され、我々はいよいよ部室を手にしたわけで・・・・・・解散!!」

「早いな!?」

 支倉姉がすかさずツッコんできた。なるほど、ツッコミ担当か。

「今日は部室を確認するだけのつもりだったからな。皆にも予定あるだろ?」

「それは、まあ・・・あたしも明良も、そろそろ帰るつもりだったけど」

「何かあったら、また声掛けるから、気負わず帰りなよ。自由参加がメリットなんだからさ」

「・・・そうだな、んじゃ帰るわ。行くぞ、明良」

 支倉弟は一礼して、姉と共に去っていった。これがテンプレートなんだろうな。

「自由参加とは言え・・・」

 その時、泉さんが唐突に口を開いた。

「部長は毎日来て、17時まで居ることが規則で決められているから、お忘れ無く」

「なん、だと・・・」

「それから、鍵を閉めたら、毎回職員室へ返すこと。忘れると面倒なことになるから、お忘れ無く」

「あ、はい・・・じゃない!! 聞いてないぞ、そんなこと!?」

「人に説明をしてもらえなかったと騒ぐ前に、少しは調べておいたらどう? 一から十まで教えてくれるほど、人も、社会も優しくはないのよ?」

「くっ・・・言い返せない、だと」

「貴方が対等な取引をしていると錯覚しているうちに、屈服は決定していたの。甘んじて受け入れなさい」

「・・・そもそも対等な取引をした覚えが無いのだが?」

「あら、そうだったかしら? ・・・それでは、私も失礼するわ」

「はいはい、お疲れ様」

 泉さんへ適当に手を振りながら、私はこれからの事が急に不安になってきていた。実は、自分が一番割りに合わない、そんな立ち回りを演じているのではないか。これから先、どんどん面倒な事が噴出してくるのではないか。

「ぬぁーー!!」

 高まった不安を雄叫びに変え、私は気分をリフレッシュすることにした。

「ひっ!?」

 突然、近くから悲鳴が漏れたので、私の心臓は跳ね上がった。よくよく見ると、幸坂さんがまだ残っていた。

「あ、ごめん、皆帰ったと思ってて、つい・・・」

「その、帰るタイミングを逃してしまって・・・」

 ああ、幸坂さん。私以上に気苦労が絶えないのだろうな。そう考えると、何となく気も晴れたような気がする。

「お互い頑張ろうね、幸坂さん」

「あ、はい? 頑張ります??」

「さてと・・・幸い17時は過ぎてるし、帰ろうか?」

「は、はい!」

 幸坂さんと共に部室を出て、戸締まりをしてから、校舎へ戻ろうとして、私はふと軽音部の部室の前で足を止めた。

「挨拶とかしておいた方が良いのかな?」

 何の気なしに呟くと、幸坂さんが反応してしまった。

「え? ああ・・・そうかもですね。わ、私ちょっと、気まずいですが・・・」

 そういえば、幸坂さんは軽音部を見学していたのだ。事実上、蹴ったわけだから、気まずいのだろう。

「よし、俺は挨拶していくから、幸坂さんは先に帰って。職員室にも寄らないといけないし」

「あ、はい・・・お先に失礼します!」

 幸坂さんはヘッドバンキングのような動きをしてから、脱兎の如く、早足で帰っていった。あの妙な動きは、お辞儀というか、頭を下げている意味合いだったのか。

 幸坂さんの謎が一つ解けたところで、私は軽音部の扉を叩いた。内心、たのも~と唱えながら。

 しかし、いくら待てども、返答がない。というか、人の気配がしない。

 私は留守だと断定し、さっさと帰ることにした。職員室には、柘植先生の姿は無かったので、入ってすぐ左手の壁にある専用のボードに鍵を提げて、私は下駄箱へ向かった。

 これから、これが日常化していくわけか、面倒だな。そんな事を考えながら、靴を履き替え、昇降口を出ようとした、その時である。

「あの、どうでしたか!?」

「ひっ!?」

 下駄箱の陰から不意に幸坂さんが現れ、私は思わず悲鳴をあげてしまった。幸坂さん、貴女も手品師でしたか。

「あ、あれ、幸坂さん。先に帰ったはずでは?」

「いえ、その・・・やっぱり逃げたみたいで、駄目かなって」

「幸坂さん・・・律儀だね。大丈夫だよ、軽音部は留守だったから」

「そ、そうでしたか、良かったです・・・良かったのでしょうか?」

「う~ん・・・どうだろ? まあ、とりあえず帰ろうか・・・幸坂さん、電車?」

「は、はい、実家は少し離れたところなので」

「ああ、地元を避けたんだったね。普通の部活を避けたのは、帰りが遅くなっちゃうから?」

「はい、正解です・・・栗柄君は探偵みたいですね。言い当てられてばかりです」

 役者に詐欺師、それに探偵ときたか、まとまりが無くてアイデンティティを見失いそうだ。

「もしかしたら・・・熱烈なストーカーなのかもしれないね?」

「ひっ・・・!?」

 しまった、本気で幸坂さんが怯えてしまった。

「ごめん、今の冗談は良くなかった、もう言わない」

「い、いえ、少し驚いてしまっただけで・・・」

「安心して、幸坂さんにそこまで興味ないから!」

「あ、はい・・・それはそれで、傷付きますね」

 空は綺麗な夕陽だというのに、幸坂さんの表情はどしゃ降りに遭遇したかのように沈んでしまっている。

「あの、幸坂さん? 何か、お詫びさせてくださいませんか?」

 私は堪らず、そう懇願していた。

「そ、それなら・・・明日、見てくれませんか、DVD?」

「はい、喜んで!」

 お安いご用というものだ。どうせ、17時まで暇だろうし。

 表情が明るくなった幸坂さんと、授業がどうだ、天気がどうだ等と取り留めのない話をしながら、駅へと続く坂を下っていく。我が校は小高い丘の上にあり、その麓にはビルが林立する意外と栄えた繁華街と駅がある。坂を下るうちは、ちょっとした畑や竹林があるというのに、麓に付けばコンクリートジャングルというわけだ。

 人混みに翻弄されながら、駅を目指していると、私は妙な気配を背後に感じていた。

 気配とか言うと、なんだかスピリチュアルだが、端的に言うと視線のようなものである。教師の無茶振りで黒板と向かい合っている時、多くの視線が集まって後頭部がチリチリするあれに近い。

 まさか、尾行(つけ)られているのか。尾行されるとしたら、幸坂さんだろう。本当にストーカーが居たというのか。

 幸坂さんに気付いた様子は無く、というか人混みに酔っているようだ。そのまま、駅前まで来て、私は幸坂さんと分かれることにした。

「俺は本屋に寄っていくから、また明日ね」

「は、はい・・・また明日」

 幸坂さんを、手を振りながら見送り、私は気配が消えるのか待った。幸坂さんの姿が見えなくなっても、後頭部のチリチリ感が消えない。どうやら、尾行されているのは私の方だったらしい。幸坂さんと一緒に居た男がどんな奴か興味があるのだろうか。

 私は真っ直ぐ、駅ビルへと向かった。何はともあれ、面倒なので巻かせてもらおう。駅ビルへ入り、エスカレーターでいわゆるデパ地下へ降りた私は、わざと人混みへと紛れ込んでいく。

 しばらくして、後頭部からチリチリ感が無くなったのを見計らい、上階へのエスカレーターに乗った。ふと、売り場に目をやると、明らかに商品ではなく、キョロキョロと誰かを捜す、女性の姿を一瞬捉えることが出来た。

 あれが尾行者なのか断定は出来ないが、巻くことは出来た。女性というのには驚いたが、今はどうこうする段階ではないので、今日はこのまま帰るとしよう。続くようなら、対策を考えねばなるまい。

 

      

 明くる放課後、新たな日課となる部室の番人という新たな日課を遂行しに行くと、部室の前には幸坂さん、そして何故か泉さんの姿があった。幸坂さんとは約束があるが、泉さんはどうしたのだろうか。

「泉さん、どうしたの?」

「どうした、とは? 私が来ると何か不都合でも?」

「いや、意外だっただけ。泉さんは真っ先に帰るタイプだとばかり・・・」

「ええ、そうね。でも、私は貴方たちの観察者なの。報告書を上げるべく、貴方たちの部活動を監視しなくてはならないのよ」

「ああ、なるほど・・・でもそれって、ほぼ毎日居るってこと?」

「ええ、そうなるわね」

「なら、泉さんが部長で良かったんじゃない?」

「それは嫌」

「何でさ!?」

「嫌な理由を小一時間ここで聴くのと、部室の鍵を速やかに開けるのとでは、どちらが良いかしら?」

「はい、開けま~す」

 私は部室の扉を開け、仰々しくエスコートして見せた。

「どうぞ、お入りくださいませ」

「ええ、最初からそうすることね」

 何故毎度毎度、チクリと釘を刺していくのだろうか。内心、高慢ちきな後ろ姿にあっかんべーをしていると、幸坂さんに肩を人指し指で叩かれた。目を向けると、肩を叩いた人指し指でポータブルな再生機を差した後、その指を口元に持ってきた。

 どうやら、泉さんには内緒で、こっそりと観て欲しいようだ。

 私は無言で頷き、幸坂さんも部室へエスコートしてから、扉を閉めた。

 部室内では、泉さんが上座にでんっと座り、私物らしきノートパソコンを立ち上げていた。

「やっぱり、泉さんはそこが似合ってるんじゃない?」

 私の皮肉を、泉さんは鼻で笑って返答してきた。

「ここまでしか、電源コードが届かないの」

 なるほどね。これ以上邪魔して欲しくないという泉さんの空気を察し、再生機を起動させている幸坂さんのところへ逃げた。

 導かれるままに、再生機の前に座らされると、おもむろにイヤホンを渡された。こういう状況も想定していたようだ。

 イヤホンを装着していると、あのどす黒いDVDケースが取り出され、再生機にディスクが入れられた。

 そして始まる、デスメタルバンド、ベルゼブブのライブ映像。北欧系のバンドらしいが、これは日本で行われたライブらしく、ドーム会場は観客に埋め尽くされていた。

 スモッグの焚かれたステージには、紫、ピンク、赤のライトがローテーションで当てられ、幻想的というか、淫靡な雰囲気を醸し出している。

 そして不意に、耳をつんざく狂声がスピーカーから大音量で発せられ、ステージ上にバンドが登場してきた。鼓膜が昇天しそうな音量にも驚いたが、さらに驚いたのはバンドメンバーが全員若い女性であったことだ。デスメタルというと、あのメイクをした厳ついおっさんが力の限りシャウトするイメージだったが、どうも違うらしい。

 あの独特のメイクはしているものの、衣裳は黒々としたボンテージにハエの羽が付いた、ファンシーというか間の抜けたものであった。もしかしたら、本家よりもライトなグループなのかもしれない。

 そんな憶測をして間もなく、ボーカルがマイクを握った。

 ロシア訛りの英語で語り出したのは歓迎の挨拶。字幕には過激な下ネタが表示され、私は苦笑した。これは、ヤバイ臭いがする。ふと、幸坂さんに目をやると、瞳を輝かせる彼女がそこに居た。

 演奏が始まると、彼女は自分もイヤホンを接続(多数が接続出来るタイプ)し、私を押しやらんばかりに画面へ食いついてきた。物凄い密着度である、私、汗臭くないだろうか。

 そうこうしているうちに、歌が始まる。タイトルはゲヘナ。

 全体的に演奏や歌も上手で、ノリも良い曲なのだが、表示される歌詞が最悪だった。何度も繰り出される卑猥な単語やジョークの嵐。よく全訳されたものである。しかも、演出なのか、バンドメンバー達は盛り上がるにつれて、衣裳を部分的に脱ぎ捨てられていった。羽をむしり、バングルを投げ捨て、ストッキングを引き裂く。肌色が増していくにつれ、観客の歓声も増していき、バンドメンバーはそれに応えるように歌い、踊り狂う。

 やがてタイトル通りの、魔女の夜会のごとき狂宴は、大歓声の下、最初の曲が終わった。規制が掛かれば、ピー音とモザイクばかりのシュールなライブになっていたことだろう。よく日本に上陸出来たな。

 私はそっとイヤホンを外し、こめかみを押さえた。おう、まさかの一撃。幸坂さんの事がまた一つ解らなくなった。彼女はいったい、このバンドのどこが嵌まったのだろうか。というか、これが好きな幸坂さんって。

「ど、どうでしたか!?」

 幸坂さんが、瞳を輝かせて感想を求めてくる。どうしたものか、批判めいた言葉しか浮かんでこない。

「・・・そうだな、これは・・・」

「・・・卑猥ね」

 その時、私と幸坂さんは、背後に泉さんが居たことに気付いた。

「ぴひっ!?」

 幸坂さんの心が音を発てながら崩落していくのが聴こえたような気がする。真っ白な灰と化した幸坂さんはとりあえず触れずに、泉さんへ批判的な眼差しを向けた。

「盗み見なんて趣味が悪いな?」

「貴方のリアクションが面白いから、興味が湧いたのよ」

「え、顔に出てた?」

「ええ、とても、冷めた目をしていたわ」

 うわ、やっちまった。

「・・・そうだ、泉さん、音は聞いてないだろう? 聴いてから総評にしなよ」

「そうね」

 泉さんはイヤホンを受け取ると、ライブ映像を最初から見直した。そして、曲が終わると静かにイヤホンを外した。

「幸坂さん、これで終わりではないのでしょう?」

「・・・へ?」

「貴女は私が言った感想を、栗柄君に言われることを想定していたのではないかしら? ショックを受けたのは、私に見られたからなのでしょう?」

「・・・はい」

「私は、人の趣味を笑えるような、高尚な趣味なんて持ち合わせていないわ。それよりも、まだ終わっていないのなら、続けるべきよ」

「は、はい!」

 幸坂さんが正気に戻り、次の曲を再生し出した。

 すると、まったく印象の異なる衣裳のメンバーと演奏が始まる。メイクは変わらないが、肌色ゼロの黒いロングコートに、情熱的な歌詞を情感たっぷりに歌い上げていく。

「・・・全然違うね?」

「はい、前の曲とは所属事務所が違うんです。劣悪なところから割りと一般的なレーベルに来れたみたいで・・・この頃からなんです、気になり出したのは」

 次の曲も、衣裳が異なり、音楽も違う。その次もその次も、デスメタルにしては大人しい衣裳と上品な歌詞を、耳に優しめに歌い上げる。

「所属を転々としていって、段々とメジャーなレーベルになっていって、音楽もレーベルの方針で様変わりしていて・・・この人達の音楽って何なんだろうって気になって」

 確かに、個性というか、主義主張が無いというか。訴えてくるものが無いのだろう。

 いよいよ、最後の曲。滝のような汗でメイクも剥げ、衣裳ももはやタンクトップにカーゴパンツである。音楽は、段違いだった。

 弦を一度弾いただけで、心を揺らされた。枷が外れたように音のキレが増し、歌声は慟哭のように、自由について歌い上げている。今までに無いくらい、エナジーというか生命力に満ち溢れている。

 ある意味、聴くに堪えない曲である。聴いていたら、はばかり無く泣いてしまうだろうから。よく判らないのに。

「最後はインディースに転向して、やっと判ったんです。ああ、これを歌いたかったんだなって・・・」

 全てを観終えてから、泉さんが口を開いた。

「なるほど、理解したわ」

 泉さんはそれだけ言い残して、帰っていった。何を理解していったのだろうか。

「その・・・何というか、思った以上に大作だったよ」

「すみません・・・趣味全開で」

「いや、好きになるのも解る気がしたよ。こんな機会でもないと観ることもなかっただろうし、ありがとう」

「いえ、その・・・こちらこそ、ありがとうございます!」

「あはは、まあ友達付き合いで発散の場が欲しくなったら、お気軽にどうぞ。貴女の逃げ場所エスケー部へ・・・なんて」

「はい! おすすめはまだまだありますから!」

 おう、マジか。

「おっと、もう17時過ぎてたか。幸坂さんも帰るでしょう?」

「そうですね、帰りましょうか」

 私は戸締まりを、幸坂さんは再生機を手提げに片付けてから、部室を後にした。泉さんのパソコンが置いてあったが、わざとだろうし、気にせず鍵を閉めた。

 あとは昨日と同じ、職員室に鍵を返して、帰路につくだけである。

 また幸坂さんと帰りが一緒になったが、どことなくバツの悪い表情をしていた。

「・・・泉さんにバレたこと、気にしてる?」

「え? あ、その・・・はい」

「う~ん・・・少なくとも泉さんは人の趣味を吹聴するような性格ではないと思うけど、心配?」

「あ、いえ・・・その心配は私もしてないです」

 ああ、泉さんって吹聴する友達居なさそうだもんね。

「その・・・泉さんって、どんな人なのかな、って考えていて」

「泉さん、か・・・そういえば、名前すら知らないな」

 向こうは把握してそうだけど。

「あの、私、栗柄君の名前も知らない、です」

「あ、俺も幸坂さんの名前知らない」

「・・・あの、幸坂結実(こうさか ゆふみ)と言います」

「ああ、どうも・・・栗柄鎬(くりから しのぎ)です」

 名乗り合い、どちらともなく笑いだしてしまった。

「いやぁ、そういえば名乗ってすらいなかったのか」

「改めてだと、なんだか面映いですね・・・鎬は、鎬を

削るの鎬ですか?」

「ええ、そうですよ。幸坂さんの名前は・・・どことなく古典っぽいですね?」

「はい、雅さを身に付けて欲しかったそうです」

「なるほど・・・」

 雅さを身に付けて欲しい子が、デスメタルに嵌まってしまったのか。

「ちゃんとお話ししたことはありませんが、支倉さん達は、暁乃さんと明良君でしたっけ?」

「確か、そうだった。俺も直接聞いてないけど」

「意外とお互いのこと、知らないでいたんですね」

「まあ・・・仲良くする前提で集まったわけじゃないから。なるほど、一番情報を曝しているのは幸坂さんってわけだ」

「え、あの、その・・・それじゃあ、栗柄君の趣味を教えてください」

「う~ん・・・読書?」

「その、アバウトですね・・・」

「えっと、趣味と言えるほどのものが無くて・・・強いて言うなら、サバイバル系の本を読んで、載ってる道具を片っ端から作ってみたことが・・・」

「おお! 例えば?」

「例えば、弓を・・・」

 その時、私は後頭部に昨日と同じ視線を感じた。よくよく周りを見れば、もう麓の繁華街に着いている。昨日もこの辺から尾行されたんだっけ。

「あの、どうかしましたか? 私、何か失礼な事を??」

 いきなり黙ったせいで、幸坂さんが困惑していた。振り返りたい衝動を抑え、努めて何気ない会話を再開する。

「あ、ごめん、思い出してたんだけど・・・そう、弓矢とか作ったよ。石で鏃とか作ってね・・・」

 会話をしながら、駅へと向かっているが、やはり気配は追い掛けてきている。今日も昨日のように分かれて、巻いてから帰るとしよう。

 幸坂さんと改札前で分かれ、駅ビルへと向かう。だが、そうした途端に後頭部への視線が無くなってしまった。

 思わず振り返るが、挙動の怪しい人物は見当たらない。もしかしたら、幸坂さんの方を尾行ていったのか。今から追い掛けても、幸坂さんを見つけることは難しい。私は彼女の無事を祈って、帰路につくしかなかった。

      

 翌朝、幸坂さんは普段通り、自席に座っていた。これで安心して授業が受けられる。放課後、幸坂さんの方から話し掛けてきた。部活が休みの学友から、遊びの誘いがあったらしい。

 私は参加は気が向いたらで良いと伝えてから、率直に昨日の事を尋ねてみた。

「昨日の帰り道、変わったことなかった?」

 幸坂さんは不思議そうな顔で、特に何も、と返答した。

「いや、気にしないで」

 幸坂さんを見送ってから、私は少し物思いに耽ってみる。

 尾行されていないのか、それとも幸坂さんが気付かなかっただけなのか。はたまた全てが私の気のせいなのか。考えたが判らない。答えは今日の帰りに出ることだろう。

 結論を出した時、後ろから頭を叩かれた。振り返ると、仏頂面の支倉姉が立っていた。

「今日も手伝いあるから帰るわ・・・明日なら、少しくらい顔出すかも」

 それだけ言って、弟と共に去っていった。良いのに、気を使わなくても。

 さて、残る泉さんは既に姿が見えない。人が居ないと踏んで帰ったのだろうか。まあ、私は強制的に部室へ行かなければならないのだが。

 ゆったりとした歩調で鍵を取りに行き、部室へ向かう。階段の角を曲がって、少し驚いた。泉さんが待っているのだ。

「・・・遅い」

 近づくと、真っ先に怒られた。

「ごめん、ごめん。帰ったのかとばかり・・・」

「こうも待たされると、私が鍵を取りに行った方が良いのかしら?」

「あ、それは助かる」

 睨まれはしたが、明日からは泉さんが鍵当番になることだろう。

 さっさと扉を開け、入室する。泉さんはパソコンのある上座へ、私は少し間を空けて、彼女の左手に座った。こんなに空いているというのに、隣に座るのもおかしいだろう。

 今日は、特段やることがない。時間を潰す為にも本を持ってきたが、正直眠い。いっそ寝てやろうかと考えていると、泉さんが話し掛けてきた。

「昨日の事、他言するつもりは無いと幸坂さんに伝えてもらえるかしら?」

「何で俺が・・・自分で伝えれば良いじゃない?」

「貴方たち、良い仲でしょ?」

「語弊があるな、せめて仲良いにして・・・と言っても、顔見知りに毛が生えた程度ですよ」

「そう・・・それでも、理解者がいるのは幸福な事よ」

「泉さんも、もはや理解者じゃないの?」

「・・・私は理解というより、許容しただけ。ひた隠しにする程では無い、大したことでは無いと」

「なら、俺も理解者は名乗れないな。幸坂さんみたいに瞳を輝かせること出来てなかったみたいだし」

「・・・それでも、拒絶されるよりはマシなはず」

「中途半端に受け入れても、傷付けるだけかもよ・・・うわ、これ自爆だな」

「そうね・・・でも、理解者面は、すぐに判るものよ。少なくとも幸坂さんは、栗柄君が理解してくれていると思っているはずよ」

「まあ・・・興味が無かったわけじゃないし。最後の方の歌は気に入ったかも、いつの間にか鼻唄歌っちゃってたし」

「幸坂さん、喜びそうね」

 その時、泉さんは微笑んでいた。私が彼女の顔に感情を覚えたのは、初めてかもしれない。まあ、気にしてないだけか。

「・・・泉さんって、友達いるの?」

「何、藪から棒に?」

「いや、少し気になって」

「・・・ある人は、友達というのはその場を乗り切る為のツール、と言っていたわ」

「はあ・・・その定義だと我々は友人ということになりすな?」

「ええ、大事なツールよ?」

「はいはい・・・聴きたかったのとは違ったけどね」

「・・・では、何を?」

「さっき、幸坂さんの趣味を許容したって言ったじゃない?」

「・・・ええ」

「許容って、丸ごと受け入れても余りあるってことじゃない? そんな泉さんを許容してくれる人はいるのかなって?」

「・・・・・・さあ、どうかしらね」

 泉さんは、それから間もなく帰宅していった。地雷だったか、地雷だったよな。居るわけないか、そんな怪傑。

 すっかり目が冴えてしまった私は、読書をして時間を潰し、やがて帰路についた。帰宅して気付いたが、その日尾行されることはなかった。

      

 あくる日の部室は、空気が悪かった。龍と虎、犬と猿、泉さんと支倉姉。

 宣言通り来たは良いものの、支倉姉はメンチ切りまくりである。この両者の緊張状態は、冷戦期の米ソのそれに似ている。口火を切れば、血を見ることになるかもしれない。まったく、こんなんばっかだな。

 私が縮こまりながら読書していると、状況に堪えかねたのか泉さんが帰っていった。扉が閉まると、支倉姉は頬杖を突いたまま、フンッと鼻を鳴らした。

「いけ好かない奴だぜ」

 ここに終末戦争は回避された。ホッとしたのも束の間、こちらにその矛先が向けられてしまった。

「おい、地味太」

「何だ、支倉姉」

 必要以上に絡まれないよう、本を読みながら会話しよう。

「今日はノッて来ないな・・・それであの女の目的は掴めたのかよ?」

「目的って? 部活の説明はしたはずだけど?」

「それはもう判ったよ・・・そうじゃなくて、あの女がこんな集まりを作った理由だよ」

「ん? それは・・・何か忙しいんじゃないの?」

 一瞬言葉に詰まった、そう言われると泉さんは何故一般の部活を避けたのだろう。

「忙しいっつってもなぁ、あれから毎日来てるんだろ?」

「まあ・・・報告書の為だってよ?」

「報告書ねぇ・・・経過観察なんて面倒なことを、忙しい奴がやるか、普通?」

「確かに・・・」

 活動報告書なんて、この部で何を書けば良いのか分からないから、泉さんに丸投げしていたが、あれだけ部長を嫌がる泉さんが何故、報告書は引き受けたのか。良心の呵責なら、まだ可愛げがあるのだが。

「よし、機会があったら聞いてみるよ」

「頼むわ、あたしじゃ血を見ることになりそうだからな」

 あ、自覚あったんですね。

「というか、支倉姉よ。今日は一人なのか? 弟は?」

「そのさ、支倉姉って嫌なんだけど? あたしは何て呼べって言った?」

「だってお前、呼んだらキレるじゃん・・・」

「あれはジョークだよ、ジョーク。小粋でチャーミングな、な? もう言わねぇからさ」

「はぁ・・・それで、明良・・・」

「暁乃だよ!!」

「ジョークだよ、ジョーク」

「あん? ・・・なんだよ、してやられたな!」

「ハッハッハ!」

「ハーハッハッハ!!」

 我々は一頻り、アメリカンに笑い合った。

「ハッハッ・・・はっ!? いや、そうじゃなくて、弟は来ないのか?」

「ああ、明良の奴は後継ぎだからな、ほぼ来れないと思うぜ? 私は気楽なもんで、たまに入りが遅いのさ」

「へぇ・・・将来は家業継ぐのか?」

「はあ!? 明良が継ぐって言ったろ? あたしは・・・まだ保留だよ」

「夢でもあるの?」

「違う・・・明良もいつか、家族を持つだろ? あいつと店を回すのは、あいつの奥さんであるべきで・・・あたしは、お邪魔虫かなって」

「だから、家を出ると?」

「まあな・・・あの明良がいつ嫁さんもらうか判らないが、遅かれ早かれ準備はしておくさ」

「ああ・・・無口だもんな」

「ああ、あいつ照れ屋なんだよ」

「ああ、照れ屋・・・照れ屋!?」

 あの貫禄は、照れてただけなのか。

「あたしがじゃじゃ馬だからかな、明良の奴は落ち着きが振り切れて、不動になっちまった」

「あ、自覚あったんだ」

「声に出てるぞ」

「あ、ヤベ・・・」

「はぁ・・・だから、まだ友達も出来てなくてさ。まあ、あたしもだけど・・・」

「あ、もしかして・・・俺、友達候補?」

「っ・・・そうだよ! 一番可能性がありそうだからな、地味太は。地味だし」 

 大きなお世話だ。

「それは、やぶさかでも無いんだが・・・友達って言っても、駄弁る相手くらいにしか

なれそうにないが?」

「あ? 友達ってそんなもんだろ?」

「そんなもんか・・・明日にでもトライしてみるか」

「ああ、頼むわ」

「俺が自分から行くなんて滅多にないんだからな、有り難く思いなされ」

「はいはい、ありがとな地味太」

「投げやりだな・・・それで、暁乃は?」

「あたしが何?」

「友達は?」

「・・・居ねぇ。だが、マブダチならいるぜ?」

「おお、どんな奴なんだ? 他のクラスか?」

「あ? お前」

「・・・・・・大前、さん?」

「いや、お前だから」

「ああ、俺か・・・」

 おぅ・・・マジか。

「待て待て待って、いつからマブダチ? 何でマブダチ?」

「あたしがメンチ切ってもビビらないからな。怖がってるふりはするけど」

「マブダチの基準、浅いなあ。そんなのゴロゴロ量産されるぞ?」

「いや、中々居ないぜ? 誰も近づいて来ないし」

 ただ単に、面倒な奴と思われているだけではなかろうか。

「大抵の奴は怯むんだけどなぁ・・・お前、何で怖がらねぇの?」

「ああ・・・粋がった口調のくせに、案外可愛い声してるから」

「ファッ!?!?」

 突然、奇声を発しながら、身を乗り出してきた支倉姉に、頬をビンタされた。

「ごはっ!?」

 しまった、地雷だったか。いつも笑いを堪えていた、とは言えなかったな。

「すまん、まさか顔を真っ赤にして怒るほど、コンプレックスに思っていたとは・・・」

「っ・・・そ、そうだよ、アホが! 調子乗んな、バカ野郎!!」

「はい、すんません・・・」

「帰る! 明良の件、忘れんじゃねぇぞ!!」

「へ~い」

 何故かそそくさと帰っていく支倉姉。お疲れ様です。

      

 翌日、今週最後の登校日たる金曜日。

 今日は、初の体育の時間に体力テストが実施される。二人一組で測るようなので、支倉弟に声を掛けようとしたが、柘植教諭に体格が同じくらいの者と組むように言われてしまった。

 まあ、仕方無い。素直に同じくらいの体格の者を捜していると、支倉弟の方で騒ぎが起きていた。

 彼と同じような巨漢の男子でも、準備体操で彼を持ち上げられないというのだ。

 面白そうなので、名乗りを上げてみた。持ち上げに掛かると、確かに重くはあるが、持ち上げられないという程ではなかった。見た目から来る、思い込みとかでは無いだろうか。

「組もうか?」

 支倉弟に問い掛けると、彼は静かに頷いた。この後は、計測をこなしながら、会話していった。連投のようだが、ちゃんと計測を挟んでますから。

「そっちのお姉さんは暁乃って呼べって言われてるけど、何て呼んだら良いかな?」

「・・・明良で構わない」

「そうか、俺は名字で頼むよ。名前なんて呼ぶのも呼ばれるのも慣れてないからさ」

「・・・わかった」

「明良、スポーツは?」

「・・・特には、何も」

「そっか、俺もだ。家の手伝いが忙しいから?」

「・・・ああ。だから、部活には殆ど行けないだろう、すまない」

「気にしなさんな、その為の部活だからな。俺も部長の責務が無ければ、直帰してただろうしさ」

「・・・姉さんは行くと思うから、その・・・よろしく頼みたい」

「ん? 何頼まれたんだ、俺は?」

「・・・姉さんは、ちょっとあれだから、あまり相手をしてくれる人がいない。張り合える相手が居て楽しそうだった・・・可能なら喧嘩仲間になってやって欲しい」

「う~ん・・・殴り合いとかは嫌だぞ?」

「当然だ・・・あんたには勝てないだろうからな」

 それは、俺では勝てないという意味なのか、はたまた俺には勝てないということなのか。

 それはさておいて、姉弟揃って互いの心配とは仲がよろしい事である。支倉弟とは初めて話したが、無口とはいえ、はっきりと物怖じせずに話すし、人当たりもやや高圧的ではあるが、悪くない。

 この姉弟は中々、面白い奴らなのかもしれない。

「ははっ・・・分かったよ、お前達の願い、聞き届けよう」

「・・・達?」

 簡単な話、どちらとも友好的に振る舞えば良いということである。

「よし、昼は一緒に食うか? 暁乃も交えて」

「・・・ああ、悪くないな」

 こうして私は、支倉姉の依頼通りに支倉弟と語らい、友好の一歩を踏み出したわけなのだが。

      

「お前ら、気持ち悪いな」

 それが、昼食の席で、支倉姉が最初に言い放った言葉である。

「なんだ、藪から棒に・・・開口一番で喧嘩吹っ掛けて何がしたいんだ?」

「いや、いきなり仲良くなり過ぎだろ・・・大丈夫か?」

「はい? それはお前・・・」

 仲良くしろって頼んだじゃねぇか、そう言いそうになり、寸前で堪えた。依頼があったなんてバラしたら、支倉姉が暴れるかもしれないし、支倉弟の方も気分が良くないだろう。

「・・・それはお前、明良とはもうマブダチだからな。当然じゃあないか?」

「てめえ、あたしの方は嫌がっといてか!?」

「何だ、妬いてるのか?」

「妬いてねぇから!? そこはかとなく疎外感抱いただけだから!!」

「疎外感は感じたんだ?」

「あ? 双子舐めんなよ??」

 その理屈はよく判らないが、なんとか誤魔化すことは出来たようだ。

「おい、明良! 地味太とはもうマブダチなのか?」

 口から出任せだったが、どう答えるかは見物だな。

 支倉弟は、しばし目を閉じ、おそらく重い悩みながら、曖昧に頷いた。

「・・・そう言えなくも、無いかもしれないな」

 立場的に肯定も否定も出来ないわけか。空気を読む力と協調性は姉以上だろう。

「何だよ、はっきりしねぇな。そこは応ッて答えるところだろうが? だから友達出来ねえんだよ」

「・・・姉さんこそ、友達出来たのか?」

「なっ・・・別に、友達なんて」

「なんだ、俺はマブダチじゃなかったのか?」

「それはっ・・・お願いします」

「おお、了解、了解」

「軽いなっ!?」

 最近思うのだが、支倉姉は割とイジリやすいのかもしれない。茶々入れ易いから、煽り過ぎないように気をつけておこう。

「そうだ、あれは? 体力テストは誰とやったんだ?」

「うっ・・・・・・余ってた奴」

「はあ・・・・・・あ、待てよ・・・もしかして、泉さん?」

「っ・・・ああ、そうだよ! あの女だよ!! 何で判るんだよ!?」

「簡単な推理だよ」

 だって貴女たち、女子の中で余りそうな奴のツートップだし、担当は柘植教諭だったからな。組ませちゃうでしょう、顧問なんだし。

 教室を見回したが、泉さんの姿は無い。

「仲良くしたら?」

「嫌だ、信用ならん」

「頑固だねぇ・・・じゃあ、幸坂さんは?」

「あ? 誰それ?」

「えぇ・・・同じ部だぞ?」

「同じ部・・・ああ、地味子な!!」

「幸坂さんな、覚えとけよ。それで、友達になれそうか?」

「はっ・・・あれを見てみろよ」

「ん?」

 支倉姉に顎で示されたのは、幸坂さんを含む女子の小グループであった。生き残りを賭けた社交界といったところか。

「あそこに私が近付いたら、阿鼻叫喚の坩堝と化すぞ?」

「自分で言うか、それを・・・」

「あんな女子女子した奴と話が合うわけがないさ」

「そうか? 話してみたら、想像と違うかもしれないぞ?」

 主に、デスな趣味とか。

「はいはい、機会があったらな」

「そうですか・・・さて、そろそろ飯を食わないと、昼休みが終わる」

「つい話しちまったぜ・・・明良、弁当~」

 すると、支倉弟が鞄から風呂敷を取りだし、その中から漆塗りの重箱が姿を現した。

「豪華・・・だな」

 運動会じゃあるまいし。

「あ? いつもこれだぞ?」

「・・・弁当箱がこれしか無いんだ。それに、姉さんはよく食べるからな」

「ああ、腹が減った」

 支倉弟が重箱の上段と箸を渡すなり、支倉姉は蓋を開け、中身をがっつき始めた。

「なるほどねぇ・・・明良が作るのか?」

「・・・いつもはな、今日は違う」

「へぇ・・・あれ? まさか、暁乃が??」

「・・・そう思うか?」

「いや、あり得ない」

「おい、聴こえてるぞ?」

「・・・母が作ったものだ」

「なるほどねぇ」

 私は納得しながら、自分の昼食を取り出した。すると、支倉姉が目敏く反応してきた。

「何だ、やらないぞ?」

「いや、いらねぇよ・・・てか何だよ、それ?」

「ん? 惣菜パンだけど?」

 定価120円税別、鳥竜バーガー×2だ。

「そうじゃなくて、大の男がそんなんで足りるのかって事だよ!?」

「男子生徒の6割は、こんな感じの昼食だと思うけど?」

「そうなのか?」

「さあ?」

「適当かよ!?」

「そんなものじゃないか? 苦学生の多い時代だし」

 私がバーガーを頬張りだすと、支倉姉は嘆息した。

「はぁ・・・仕方ねぇな。明良恵んでやろうぜ?」

 頷く支倉弟、重箱の蓋を皿代わりに、おかずを提供された。二人とも、卵焼き。被ってますよ。

「・・・頂きます」

 内心首を傾げながら、手掴みですが、頂きました。

「・・・あ、美味しい」

 製品とは異なる、癖を感じるだし巻き卵だった。

「そうか、旨いか? 欲しいならもっとやるぞ? なんてったって・・・」

 支倉姉は重箱を傾け、中身を見せてきた。

「あたしらの弁当の6割は、だし巻き卵だからな!!」

 眼前に広がる黄色、重箱の半分以上を一塊のだし巻き卵が占領し、後は白米と少量のお香子が申し訳程度に詰まっていた。

「こ、これは・・・」

「・・・朝寝坊すると、こうなる」

 支倉弟の弁当も、もちろん黄色に占められている。

 つまり、寝坊した朝は母親が弁当を作り、そうすると必然的にだし巻き卵弁当になってしまうということか。

「なんというか・・・大変そうだな」

「・・・ああ、毎朝がサバイバルだ」

「それは、なんとシュールな・・・」

「あたしは嫌いじゃないんだけどな。母さん、だし巻き卵だけ超絶上手くてさ、これも場所によって具材が変わってるんだぜ? えっと端から、普通、牛しぐれ、塩昆布、きんぴらに・・・なんだこれ、ツナか?」

「それを混ぜないで一つに巻いたなら、もはや魔術師だな」

「だろ? 料理人の親父でも再現出来ないってよ。それで結婚したらしい」

 なるほど、永遠の研究対象というわけか。

 特に興味の無い支倉両親の馴れ初めを聴かされながら、だし巻き全種頂きました。美味しかったです。

      

 金曜日の放課後、今日もどうやら泉さんと二人きりのようだ。 

 この人と二人きりで話すと話の方向がおかしくなるんだよなぁ、とか考えていると、意外な来客がやってきた。

「お邪魔しま~す」

 扉から顔を覗かせたのは、誰あろう顧問の柘植教諭である。

「先生・・・どうされたんで?」 

「いや、その・・・教頭に、顧問なのにずっと職員室に居るな、って圧力を掛けられちゃって。ちょっと此処で仕事片付けて良いかな?」

「ああ・・・どうぞ、ごゆっくり」

 顧問になったとはいえ、まだ教頭からの圧力が健在とは、心中お察しします。

「あはは・・・すまんね~」

 柘植教諭は、机の上に紙の束と筆記具、そして栄養ドリンクを拡げ、あっという間にパーソナルスペースを形成した。

「それって・・・今日の体力テストの結果ですか?」

「そうよ~今日中にまとめて報告しないといけないの。なのに・・・・・・くっ、教頭の野郎!」

 柘植教諭は、栄養ドリンクの蓋を開け、それを一気に飲み干した。心中お察しとか言いましたが、すみません、察せません。心配になるストレス指数である。

「お、お疲れ様です・・・」

「でもね、君達のおかげで圧力は半減、休日もちゃんと確保できたの。ありがたかったなぁ・・・」

 柘植教諭の目が虚ろになっていき、やがては白目を剥いてしまった。これはヤバイ、怖すぎる。

「しっかりしてください、先生! 今日を乗り切れば、休日じゃあないですか、気を確かに!!」

「・・・はっ、そうだね、意識飛ばしてる場合じゃなかったね。美味しいお酒の為に、先生頑張るよ!」

 爛れてるなぁ、生活習慣。

「それはそうと、体力テストの結果には先生、驚いちゃったよ」

「何がです? 何か問題が?」

「いや、支倉君と組んでたでしょ? 君達の結果がすこぶる良くてね。驚いちゃったの」

「はぁ・・・そうなんですか?」

「ええ、飛び抜けた記録は無いだけど、全ての項目で優秀な成績を収めていて、総合力では、クラスでワンツーだったんだから」

「へぇ、気付かなかったな・・・」

 会話に夢中で、記録には無頓着だったな。

「泉さんも、良い感じだったよ?」

「ありがとうございます、先生」

 パソコンと向き合っていた泉さんは、目線を上げて、ペコリと頭を下げた。そして、ここぞとばかりに、こう続けた。

「私用があるので、今日はここで失礼します」

「え、ええ・・・気を付けて」

 さっさと荷物を片付けて、出口へ向かう泉さん。さては、面倒臭いと踏んで、逃げるつもりなのではないか。

 彼女が、先生の後ろを通る際、私と目が合った。私が非難めいた眼で泉さんを睨むと、彼女は鼻で笑ってきたのです。

「お先に失礼します」

 澄ました顔でそう言い残し、泉さんは去っていった。おのれ泉さん、カムバック。

「・・・泉さんって、いつもあの感じなの?」

「・・・ええ、まあ、大体は」

「ちょっとクラスで浮いてるようだったから、気になってたんだけど・・・」

「本人は気にしてなさそうでしたけど?」

「う~ん・・・同じ部活の支倉さんとなら、と組ませてみたんだけど、逆にかなりピリピリしちゃって、仲悪いの?」

「はい、混ぜるな危険の代表格のような存在ですから。そのうち核分裂します」

「そ、そこまで・・・」

「胃の痛くなる案件ですからね」

 警察沙汰は勘弁して欲しい。

「うん、辛いよね、板挟み」

 また、目が虚ろに。いったい何で共感されたのだろうか。

「それで、部活の様子はどうかな? 承認から大体一週間経つけど」

「そうですね・・・目立ったことは特に何も」

「そうだよね、まだ探り探りだよね・・・でも、活動報告出来そうなことを早く見つけておかないと」

「そこは、泉さんが任せろと言っていましたが・・・」

「それじゃあ、栗柄君はこの部活の事、どう考えてるのかな?」

「この部活は・・・・・・端的に言うなら、逃げ場所なのかもしれません」

「逃げ場所?」

「逃げると言うと、不真面目だとかネガティブな印象を抱かれてしまいますけど・・・人にはそれぞれ、事情があるものでしょう? 時には逃げる場所が、避難所の様なところが必要なんですよ」

「それが・・・ここだと?」

「ここって、部活というものに馴染めなかった奴らの避難所なんじゃないかと思うんです。だから、俺としては部員に個人の事情を尊重して欲しいんです。泉さんがどんな形を望んでいるかは判らないけど、気が乗ったら部活に来てくれる程度で良いかと」

「・・・そうね、先生もここに逃げてきたみたいなものだから、判る気がする」

「あはは、教頭の圧力からの避難所ですか?」

「ええ・・・先生も、ヤバイ時に利用させてもらうかも」

「はい、我々は一蓮托生で成り立ってますから、利用してやってください」

「むぅ・・・まるで、小粋なマスターのいる喫茶店の様だね」

「実際は、小生意気な若造のいる場末の部室ですけど」

「ふふっ、栗柄君は聞き上手というか。あれだね、ホストとかに向いてるんじゃないかな?」

「教師が生徒にホストを薦めないでください! というか、さっきから手が止まってますよ? 早く終わらせたかったのでは?」

「はっ、しまった!? あ、でもまだ疑問が・・・」

「何ですか?」

「栗柄君なら、運動部でも結果を残せてたと思うんだけど・・・なぜ、避けたの?」

「それは・・・運動部に入ったら負けだと思いまして」

「・・・へ?」

 その時、時刻が17時を回った。私は帰ることにして、部室の鍵を先生が預ってくれた。

「お先に失礼します」

「はい、また来週ね」

 私はしずしずと部室を後にした。これで先生も、仕事に専念出来るだろう。

 下駄箱に向かいながら、私は考える。悩みを抱えているからこそ、自由参加のあの部活へ行くのかもしれない。幸坂さんの趣味や、支倉姉弟の友達問題、そして教頭の圧力といったものが例となるだろう。

 なら、ほぼ毎日顔を出す泉さんは、何か悩んでいるのだろうか。

 本当に報告書の為であるなら、問題はないのだが。まあ、わざわざ聞くことでも無いだろう。

エスケーブ #3

 翌週の月曜日、部室内覧会から一週間、部室には珍しく、明良を除く全員が揃っていた。つまりそれは、言い表せない緊張状態に陥っているということでもある。

 目下冷戦中の泉さんと支倉姉。その動向をヒヤヒヤしながら見守る幸坂さんと嘆息する私。ああ、もう面倒臭い、いっその事大戦の火蓋でも切り落としてくれようか。息苦しい雰囲気に辟易していたそんな時、何の前触れも無く、部室の扉が盛大に開け放たれた。

「こんちゃ~っす!!」

 見知らぬ女生徒が、威勢良くかち込んできた。想定外過ぎて、皆唖然とするしかなかった。

「あのさ、ここの部長はどなたかな?」

 女生徒が問い掛けると、私以外の部員達が、迷いなく私を指差した。よく判らないが、売られた気分だ。

「おお、君か! それじゃあ、ちょっと借りてくわ~」

 女生徒は私に歩み寄ってくるなり、腕をむんずと掴むと、無理矢理連行しようとしてきた。

「え、ちょっ、待っ・・・だ、誰!?」

 嫌がってみたが、誰も止めてくれない。悔しいから、連行されてやるんだから。適当に嫌がりながら、部室から連れ出される私。部員から見えなくなる辺りからは、素直についていく。

「急に従順になった!?」

「ええ、まあ。振り払うかは、話を聞いてからにしようかと思いまして」

「急に敬語になった!?」

「ええ、2年の樗木梼(おてき ゆず)先輩。凄いですね、名前全部に木が入ってる」

「何で、私の名前を!?」

「生徒手帳に書いてありますから」

 私は、2年の緑色カバーの生徒手帳を、樗木先輩に手渡した。

「わっ、本当に私のだ・・・まさか、盗んだの!?」

「失礼ですね、先輩が落としたのを拾っただけですよ。生徒手帳は内ポケットに入れましょう」

「あらら、それはありがとう・・・あれ私、内ポケットに入れていたような・・・?」

「・・・それで、俺を何処へ連れていくつもりですか?」

「え? ああ、生徒会室だよ」

「生徒会室に? 何でまた??」

「なんか、生徒会長が連れて来いって」

「先輩は生徒会の人なんですか?」

「うんにゃ、私は軽音部の部長だよ。お隣さんだから連れて来いってさ。お隣さんといえば、うちのベースが挨拶に来ねぇって怒ってたよ?」

「ああ・・・部室へ挨拶に伺った時は留守でしたよ? というか、部室に人の気配がしたことが無いような・・・」

「あっ・・・ごめん。私たち、音楽準備室を根城にしてるから、そりゃ判んないよねぇ」

「ええ、菓子折り持って伺ったのですが・・・駅前の洋菓子コルッピンの菓子折りを」

「なん、だと!? すぐに献上したまえい!!」

「勿体ないので、美味しく頂きました」

「ぐはぁ、痛い失敗だぁ・・・」

 まあ、嘘だから、元から無いけどね。先輩、人が良いにも程があるだろ。

「君たち、良い子たちだったんだね。皆に伝えとくよ」

「はぁ、ありがとうございます・・・それで、生徒会が俺たちに何の用なんですか?」

「それはね、部費の申請に来ないから。知らないんじゃないかということになり、隣の軽音部が世話を焼いてやれと」

「なるほど・・・」

 確かに、部費の分配は生徒会の管轄だった。噂によると、部費を盾に学校清掃や奉仕活動に強制参加させるブラックな奴らとなっていたので、そもそも部費も必要無いから無視していたのが裏目に出たか。

「部費、いらないんですよねぇ」

「えぇ!? 部費は大事だよ、楽器とか高いんだから!!」

「いや、うちは楽器買いませんから・・・」

「とにかく、連れて行かないと私らが減額されちゃうから!」

 うわ、ほんとにブラックじゃん、生徒会。そうこうしているうちに、我々は生徒会室の前に着いてしまった。ちなみに、職員室の向かいである。

「こんちゃ~っす、なんとか部の部長君を連れて来ました~!!」

 部室へ強襲掛けてきた時のように、樗木先輩はノックもせずに扉を盛大に開け放った。

 生徒会の面々は、慣れているのか驚くことは無く、既に視線はこちらに向いていた。

「ど、どうも~SE部の部長です・・・はい」

 しばしの沈黙の後、一人の男子生徒が口を開いた。

「どうぞ、こちらに座ってください」

 男子生徒が示したのは、コの字型に置かれた机の内側にある椅子だった。どう見ても、被告人席にしか見えない。

「は、はい・・・」

 嫌な予感がしながらも、椅子へ向かう。樗木先輩も付いて来ていたが、軽音部さんはもう大丈夫ですよ、てな感じにやんわりと退去願われていた。

 樗木先輩が去り、私が席に座ると、生徒会室に凛と張り詰めた静寂が訪れた。正面に生徒会長らしき男子生徒、左右も生徒会員に囲まれている。

 生徒会とは、成績が良くて、悪い評判の無い生徒が大抵、教師の要請で立候補する。なので、頭が良さそうな地味目の生徒が揃っている。男女比は五対一、女性問題で荒れそうな比率だ。

 これは魔女裁判な事態になるのだろうと、私は覚悟した。口火を切ったのは、正面に座る男子生徒だった。

「私は、生徒会長の岡田です。本日、招集させてもらった理由というのが・・・」

 理由はやはり、部費の件であった。意外だったのは、筋道を通して話せば、あっさりと話が進むところだ。部費は必要無いという旨を伝えると、生徒会としてもSE部の活動には興味があるので、必要な時はいつでも相談して欲しいと、中々の厚遇ぶりすら垣間見えた。彼らのように頭の良い人たちには、泉さんと何か通じるものがあるのかもしれない。

 話し合いはすぐに終わり、雑談をするほど、人当たりも良かった。生徒会には部費の分配くらいしか権限が無いので、部活動を管理するのも大変なのだそうだ。ブラックだという噂も、部費の大切さ、学校側の配慮を鑑みさせる為の奉仕活動が裏目に出たせいだろう。

 部費に頼らない姿勢を称賛されながら、私は生徒会室を後にした。外に出ると、樗木先輩が待っていた。

「大丈夫だった?」

 心配してくれたとは、人の良い先輩である。連れ出し方は問題だが。

「ええ、円満に終わりましたよ。樗木先輩のおかげです」

「私は何もしてないよ~。大丈夫なら、私は部活に戻ろうかな?」

「はい、わざわざありがとうござました」

「良いってことよ、後輩君! あ、一つだけ聞いて良いかな?」

「何ですか?」

「後輩君は、何で部活強制のこの学校に来たの?」

「え? 何ですか、急に?」

「いやね、またうちのベースなんだけど、君の部は明らかにエスケー部だって言ってたの思い出して。部活嫌なら、他の学校でも良かったんじゃないかなって思ってさ」

「それは・・・受かった高校の中で此処が一番、偏差値高かったので」

「そっかそっか、大事だよね偏差値。答えてくれてありがとう! さてと、私は行くね」

「はい、お疲れ様です」

 樗木先輩は、颯爽と走り去っていった。廊下は走ってはいけませんよ、先輩。苦笑しながら先輩を見送っていると、入れ違いで廊下の角から泉さんが現れた。

「あ、泉さん、もう帰るの?」

「もう? 何を言っているのかしら、17時はとっくに過ぎているのだけれど?」

「え?」

 壁掛け時計を見ると、確かに時刻は17時38分を指していた。思ったよりも、話し込んでしまっていたようだ。

「栗柄君が戻って来ないから、部室を閉めて、鍵を戻しに来たのだけど・・・それで、何がどうなったのか、説明してもらえるかしら?」

 私は、生徒会でのやり取りを手短に伝えた。

「そう、それが事の顛末なのね」

「勝手に部費を断ったけど、マズかったかな?」

「いえ、問題ないわ。生徒会と友好的な関係を築いたのなら、むしろ上出来と言えるのではないかしら」

「褒めるなんて珍しいね、泉さんなら貶してくると思ってたよ」

「あら、貶される方がお好みだったかしら?」

「いえいえ、褒めて伸びるタイプです」

「そう、覚えておくわね」

 泉さんは微笑し、職員室へ入っていった。待っているのも変なので、私は帰路につくことにした。

 坂を下りながら、樗木先輩に言われたことを、泉さんに聞いてみれば良かったと少し後悔した。そして、この質問を部員達に聞いてみるのも面白いかもしれない。

      

 明くる火曜日の放課後、今日は泉さんに用事があるとかで、私が鍵を開ける当番だ。部室の前には、幸坂さんだけが待っていた。可哀想だが、17時までの話し相手になってもらおう。

 というわけで、昨日の事を説明しつつ、あの質問を聞いてみることにした。 

「幸坂さんは、何でこの高校を選んだの?」

「えっと・・・実家から通える、最大限に遠い学校がここでして」

「ああ・・・なるほど。やっぱり実利的な理由だよね」

「・・・後は、制服が可愛かったので、はい」

「制服・・・」

 考えた事の無い観点だ、だって男子ってどこも変わらないじゃないか。行けるところに行く、それくらいしか無いと思っていたが。

「じゃあ、部活動強制って知ってた?」

「はい、一応。なので、軽音部と手芸部を注目していたのですが・・・」

「ああ・・・」

 私は調べずに入ってしまったからな。最初に集った学友達も、知らなかったと言っていたし、男子ってやっぱり抜けてるのかしら。

「それにしても、その部活のチョイスからして、ギターが出来て衣装も作れますみたいな?」

「・・・・・・はい」

 やってしまった、冗談のつもりが図星を突いてしまうあれ。

「あの、幸坂さん? 俺がたまたま図星を突いたとしても、認めなくて良いからね?」

「すみません・・・既に把握されているのかと」

「拭い去れないストーカー疑惑!?」

「・・・心配しないでください、栗柄君には本気の目で興味が無いと言われてますから」

 根に持たれているのだろうか。ここは何を言おうと悪い方向に行きそうなので、話題を逸らしてやりましょう。

「そう、これは連想ゲームなんだよ、きっと。幸坂さんという人を知るための」

「私を知る為の、連想ゲーム・・・それなら、楽しいかもしれませんね」

 意外な好感触、これは引き下がるわけにはいくまい。

「ちょっと待ってね、ギターが出来るってことは、練習をしているはずだから・・・もしや、部活に来ない日は練習しているとか?」

「うっ・・・正解です」

「推測になるけど、恥ずかしがり屋な幸坂さんの事だから、防音設備が無い限り、練習場所は家ではないだろうね。となると、考えられるのはカラオケ? ギターを持ち込みながらの、一人カラオケだ!」

「うぐっ・・・正解です」

 ああ、正解する度に、幸坂さんが吐血しているように感じる。

「良い、良いと思うよ~!」

 私には、そう叫ぶことしか出来なかった。ちなみに、幸坂さんのテンションは缶コーンポタージュを進呈することで、改善することが出来ました。

「部活来る日って、休喉日?」

「けほっ・・・正解です」

      

 水曜日、法則的に泉さんと二人きりになる曜日。満を持して、あの質問をぶつけてみようと考えていたが、今日は柘植教諭が転がり込んできた。教頭対策なのだろう、週一で来るようだ。

 柘植教諭は今日も、大量の書類を抱えてきた。そして、ちょっとした愚痴を呟きながら、減らない仕事を片付けていく。

 滲み出る、教職という仕事の過酷さ。教師には成りたくないなと、つくづく考えさせられる時間である。こんな姿を垣間見ていなければ、教師という存在を生徒が茶化すこともないだろうに。

 だが、生徒にとって教師とは圧倒的な存在であり、それが鍍金なのだと判った時、教師も呆気ない存在なのだとバレた時は、今よりもナメられてしまうのでは無いだろうか。友達のような先生や兄弟のような親、聞こえは良いが、それらの立場の人は本来、弱味を見せてはいけないのだ。それが、生徒や子の為であり、自分の為にもなるからだ。

 とか考えちゃったりもするが、我々は事情が違う。顧問に潰れてもらっては困るのだ。その為なら、笑顔で愚痴を聴くし、出来る限り尊敬の念も忘れない。言い方は悪いが、利用し利用されるのが、我々の間柄なのだから。最低でも3年間、我々の逃避行にお付き合い頂きましょう。先生、オーダーされてもコーヒーは出てきませんよ。あ、買ってこいと。我々の分もですか、ごちになります。

 この日の帰路、忘れかけていた視線を後頭部に受けた。尾行、当然巻いてやったが、今回はあまり深追いして来なかった。追うだけ無駄と、理解したのかもしれない。

 いったい何の目的で、尾行してくるのか。私には身に覚えが無かった。

      

 木曜日、今日は結果的に支倉姉とサシになる曜日。彼女は憮然と、毎度お馴染みの質問を投げ付けてくる。

「それで、あの女の目的は判ったのかよ?」

「ああ、悪い。色々あって聞きそびれた」

「ハァ? 色々ってなんだよ?」

 支倉姉に月曜の一件から、今日までの変遷を大まかに説明した。そして、面倒だから、あの質問で話題を変えてしまいましょう。

「あ? あたしらがここにした理由? そんなの決まってんだろ、家から一番近い高校だったからだよ」

「部活強制なのは、知ってた?」

「ああ、明良が気付いてた。でもよ、背に腹は変えられないじゃん? 他は遠くて、手伝いに間に合わないし」

「背に腹か・・・他に理由とかあった?」

「制服が可愛い」

「・・・あはっ☆」

 支倉姉は身を乗り出して、私の胸ぐらを絞め上げてきた。

「おう、何で笑った?」

「い、いや、その・・・もしかして笑うところかなって・・・違う?」

「笑うところじゃねぇから! マジだから!! というか、笑う前に表情死んでたから、そっちが本心だなぁ!?」

「ぐぉっ、絞まる・・・ま、まさか、お前にもそんな価値観があったとは!?」

「・・・あたし、にも?」

 支倉姉が、私の胸ぐらから手を離し、我々は再び着席した。

「ええ、はい。幸坂さんも同じ事言ってました」

「あいつが・・・なんか、自然だな」

「でしょう?」

「あん?」

「・・・コホン、暁乃も女の子だもんな。毎朝制服に袖を通したら、姿見の前で回ってみたり、なんてね~」

「・・・あはっ☆」

「文句あっかー!?」

 顔を真っ赤にして、支倉姉は部室から飛び出していった。だが、程なくして、けろりと落ち着いた表情をして、彼女は戻ってきた。

「ナイスなキャッチボールだったぜ、栗柄」

 親指を立て、満足げな支倉姉。

「だろ?」

 私も親指を立てて、答える。支倉暁乃、時に茶番じみたリアクションを相手に求めてくる困った奴。

「それで、この前さ・・・」

 駄弁る前に、あのテンションに付き合うのは至難の業だろう。まったくもって、面倒極まりない奴である。

      

 金曜日、今週最後の登校日。明日からは、もうゴールデンウィークだ、早いもんである。

 今日は誰も居ないので、一人で読書タイム。喧騒から離れた場所での読書は、なんと言うか身に入るものである。目の前の情報に没入し、文字の海をたゆたうのだ。白状しよう、眠たくなってきた。読書って実は、喧騒の中の方が進むんだよなぁ。

 私は本を片付けて、ブレザーを背もたれに引っ掻けると机に突っ伏した。少しくらい、寝ても構わないだろう。考えてみれば、不思議なものである。夢想のようなエスケー部を、会って間もない奴らと本当に作ってしまったのだな。

 無難に生きれば、言葉を交わすことも無かったかもしれない。個性的で、悩みの尽きない奴らだった。知るよしも無かった事が、毎日のように収集されていくのだから、眠くなっても仕方ないよな。

 眠気のままに、微睡みへと沈んでいく。ほんの一瞬の事のようだったが、ドアの開閉する音で目を覚ました頃には、日も落ちかけ、夜闇がゆっくりと拡がりつつある。つまり、17時はとっくに過ぎている頃だ。

「寝過ぎた・・・」

 ぼんやりとする頭の片隅で、部室の扉の開閉音がしたことを思い出した。

 扉の方を見ると、女生徒が立っていた。幽霊かと胆を冷やしたが、よくよく見てみると泉さんだった。何故か、長い御髪を一つに纏め、体操ジャージを着用している。見るからに体育帰り、おかしな話である。

 おかしいと言えば、泉さんは私用があると帰ったはずだ。それに、今日の授業に体育は無かったから、一度帰ったのか。それなら、何をしに来たのか。何故だろう、心臓の鼓動が早まっていく。妙に居心地が悪いからだ。

「・・・泉さん?」

 呼び掛けても返事が無い。泉さんは扉の前に佇んだまま動かない。様子がおかしい、言い表せぬ居心地の悪さが増していく。不安になった私が、少し腰を浮かせると、泉さんはそっと扉に手を回し、鍵を掛けた。その音が、静かな室内に嫌という程こだました。何故、鍵なんて。鍵を掛けられた部屋で、若い男女が二人きり、艶っぽいシチュエーションではあるが、何だろう告白でもされちゃうのかな。笑えない。

 泉さんの右腕が、そっと上げられた。何だろうと目を細めた次の瞬間、空気の抜けるような音と共に、腹部にチクリと痛みがあった。そして、間髪入れず、爆発したような痛みの後、強力な痺れが私の身体を駆け巡っていく。意識がふっ飛びそうになるのを舌を噛んだ痛みで堪えた。さすがに立ってはいられず、しゃがみ込んでしまう。いつでも気絶出来るほどの目眩と吐き気に襲われながら、腹部を見ると細い針のようなものが突き刺さっていた。

「やはり、民間用のテイザーでは確実性に欠けるわね」

 泉さんは右手に持っていたものを捨てると、代わりにポケットから刃物を取り出した。くだものナイフなんて可愛いものじゃない。刃渡りのえげつない、しっかりとした造りの軍隊仕様である。

「ごめんなさい。何も感じないまま、殺してあげるつもりだったのだけど・・・」

 泉さんはナイフを逆手に持ち、私の元まで歩み寄ってきた。これはとんでもない告白である。私は距離を取ろうとしたが、四肢に力が入らず、尻餅を突くことしか出来なかった。

 泉さんは、そんな私の髪を左手で鷲掴み、首を傾け、露になった首筋目掛けてナイフを振り下ろしてきた。私は何とか左腕を上げ、ナイフ振り下ろす腕を止めた。後は力比べになったが、腕は止められても体勢は維持出来ず、押し倒される形で攻防戦は続いた。

「何故、泣き喚かないのかしら? 貴方は今、無力に近い状態で殺されようとしているのに」

「あ、ぇ・・・」

 舌も痺れてろれつが回らない。攻防戦は、泉さんが体重を掛けてきているせいで押し負けつつある。ナイフの切っ先が、私の首筋へと確実に迫っていた。

「答えなさい・・・貴方は何故、狂乱しないのかを」

「っ・・・たん、が、ほうほ」

「もっと、はっきりと!」

「くっ・・・スタンガンで痺れた後、どう対処するか・・・知ってるか?」

 急に泉さんを止めていた左腕から力を抜くと、ナイフは勢い余って、私の左肩へと突き刺さった。

「なっ!?」

 痛い、肩がもの凄く痛い。これほど痛いと、あの脳内物質が大量分泌してくれる。カモン、アドレナリン。徐々に四肢へ感覚が戻る。肩口に刺さるナイフに重心がある泉さんの身体を膝で押し上げ、巴投げの様に、泉さんを頭上へ蹴り飛ばした。

 窓枠に背中からぶつかり、泉さんが咳き込んでいるうちに、私は立ち上がった。肩口がじんじんと痛み、熱を帯びていく。このおかげで痺れを解くほどのアドレナリンを出すことが出来た。今のうちに泉さんを取り押さえようと、満身創痍の身体を突き動かしたが、すばやく身を翻した泉さんに、あろうことか股抜けされてしまった。

 私の背後に回った泉さんは、先ほど捨てたものを再度拾い上げた。それはテイザー、電極を飛ばし、感電させる遠隔型のスタンガン。電極はまだ、私の腹部に刺さっている。

「チェックメイトよ」

 すばやくバッテリーを取り換え、泉さんはトリガーを引いた。再び、凶悪な電流が私の身体を駆け巡る。ああ、これは終わったと私も思った。だが、身体は依然として動かすことが出来た。

「そんな!?」

 満身創痍ハイというか、アドレナリンのおかげで多少の無茶が効く。倒れ込むように右肩でタックルを食らわせ、泉さんは壁に叩きつけられた。さらに、息もつかせず、彼女の胸ぐらを絞め上げ、片手で背負い投げてやった。落下地点は長机の上である。

 派手な音を立て、落下した泉さん。受け身は取れなかったようである。机に打ち付けられ、苦悶の表情を浮かべながら、呻き声を上げる泉さん。凶行に及んだくせに、鍛え方が足らないのではないか。

 というのは冗談として、これはどうしたものだろうか。落ち着いて考えたいところだが、生憎今は落ち着くわけにいかない。むしろ、怒っていないと駄目だ、しばらく言動、行動が荒くなりますが、ご了承ください。

 私は机の上に腰掛け、気が遠くなっている泉さんの頬を打った。

「おい、起きて聴け。俺は帰るから、部室を片付けて、鍵を返しておけ。後日、要面談だからな」

 泉さんは虚ろな目で、こちらを見るだけなので、もう一度頬を打っておいた。

「判ったか?」

 やっと頷いたので、鍵を彼女の上に放り投げ、私は立ち上がった。何だか、こっちが悪者のようで気分が悪い。襲われたのって、私だよな。

 ブレザーを羽織ろうとして、ナイフの柄が邪魔な事に気付いた。というか、止血をしないと。

 私は常備しているハンカチを左手に持ち、右手でナイフの柄を掴み、一息で引き抜いた。

「っ・・・!?」

 物凄く痛いのだが、イライラしているせいで、どこか他人事。直ぐ様ハンカチをあてがい、両手で圧迫止血を行なった。

 痛みのピークが過ぎてから、傷口を確認してみた。けっこう深々と刺さっていたようだが、鎖骨や動脈は逸れていたおかげか出血は意外と少なかった。

 ハンカチで圧迫を続けながら、ブレザーを羽織った。さすがに左腕は袖を通せないが、傷口を隠す事は出来るだろう。刺さっていたナイフはどうするか。返すのは危なっかしいので、持ち帰ることにした。

 泉さんは、まだ動かない。仕方がないので、だめ押しに頬を打っておく。

「後日、要面談だからな」

 それだけもう一度伝えて、私は部室を出た。幸い、下駄箱まで誰にも遭遇せずにたどり着き、靴を履き替えて、いつの間にか夜闇に沈んだ外へと踏み出した。

 風が吹くと、嫌に肌寒かった。大量にかいた汗のせいか、失血のせいか。

 私は傷口を右手で押さえながら、駅へ向かう坂を下り始めた。とはいえ、こんな姿で人混みに出れば事件なので、途中の竹林道に入ることにした。この道はあまり人通りの無い住宅街に出ることが出来るからだ。

 足元に等間隔で置かれた提灯風の灯りを頼りに、痛みに耐えながら歩いていると、なんだか夢の中を歩いているかのような感覚に陥っていく。これってマズイやつかな、明らかに気が遠くなっている。何か覚えのある感じだ、そう風邪を引いた時のような。身体に刃物が入り、高熱が出ているのかもしれない。外科手術の後のような感じか。だが今は、帰宅するのが第一である。気絶して、誰かに発見されるわけにはいかない。

 それから、自宅の扉をくぐるまでの記憶はぼんやりとしているが、誰にも見咎められなかったのは確かだ。意識のあるうちに、傷口を処理しなければならない。深い刺傷、縫うしかあるまい。縫い針と糸を消毒用のアルコールに浸し、上半身の衣服を脱ぎ捨て、鏡台の前に立った。

 傷口、血は止まっているが、痛々しい。まだアドレナリンに頼らねばならないらしい。おのれ泉さん、面倒な事を。傷口の縫合は案外綺麗に仕上がった。むしろ、針に糸を通すことが一番難しかったくらいだ。傷口をガーゼで覆い、破傷風などの感染症が怖いので、抗生物質を服用してから、ようやくソファに座り、意識を手放した。

 ああ、観たい番組、あったんだっけ。

      

 土曜日、目を覚ますと昼だった。ソファで寝てしまったと思い、身体を起こそうとして左肩に走った痛みにより、全てを思い出した。そうだ、私は刺されたんだった。

 傷口を確認したが、しっかりと血も止まり、化膿している様子も無い。とはいえ、化膿止めを塗っておく必要があるだろう。持ってないから、買いにいかねばならないが。傷口のガーゼを張り替え、血で汚れた身体をウェットシートで綺麗にしてから、新しい服に袖を通した。

 まだ熱があるようで、頭が重い。それでも、化膿止めと食料を調達してこないといけない。廊下に脱ぎ捨てていた血まみれの制服は、玄関の隅に蹴っておく。

 外に一歩でも出れば、もう辛い表情は無しである。平静を装おって、何食わぬ顔で買い物して帰る。ところが、財布は鞄と共に忘れてきたことが発覚した。仕方ない、ATMへ行くしかあるまい。後は食欲のままに弁当を貪り、抗生物質を飲み、化膿止めの軟膏を傷口に塗りたくって、眠るだけだ。この繰り返しで、土曜日はあっという間に終わった。

 そして、日曜日の朝。熱は下がったらしく、スッキリとした目覚めだった。どうやら、自浄作用は終わったらしい。日課となりつつある傷口チェックを行うと、化膿することも、感染症になることもなく、少しずつ癒着を始めていた。若いって良いね、回復が早い。痛みも鈍痛に変わり、手を上げる以外なら、左腕も自由だ。

 となれば、シャワーを浴びよう。はやく垢を落としたくて、我慢出来ない。軽い手術なら、術後すぐにシャワーを浴びさせるらしいし、問題ないだろう。

 そんなこんなで、さっぱりした後は、部屋を掃除していく。その過程で行き当たるのが、血まみれで放置した制服だ。血が乾いてもうパリパリ、これは捨てるしかないだろう。しかし、血まみれの衣服って、普通に捨てて良いものか。こっそりと、学校の焼却炉に放り込んでしまおう、そうしよう。

 ポケットから必要な物を取り出していくと、あのナイフが出てきた。そうだ、持って帰ってきたんだ。血にまみれているが、見れば見るほど、高そうなナイフである。こんなのすぐに足がつくだろうに。もしかしたら、泉さんは私を殺したら、捕まるつもりだったのかもしれない。

 返すのもあれだし、かといって処分もし難い。保管しておくしか無いから、私はナイフを綺麗にすることにした。血まみれのナイフとか置いとくの嫌だし。

 こびりついた血の塊を落としながら、暇なので推理なんてしてみちゃったりする。泉さんは何故、私を殺そうとしたのか。

 まず、ナイフやテイザーなんて物を揃えていたのだから、計画的な犯行だろう。だがあの時、泉さんは私を苦痛と共に殺すことを謝罪していた。それはつまり、私への怨恨が、犯行のトリガーではないことを意味している。会って数週間で怨恨も糞も無いが。

 今回の場合、計画の方が先に企てられ、後からターゲットを選考したのだろう。選考方法は、時期的に部活だろう。あれが憐れな犠牲者を誘い込む為の口実だったわけだ。何故、私がターゲットに成ったかは判らないが、部員全員がターゲットだったはず、抜け目ない泉さんのことだから、きっと下調べもしていたはず。そこで私は、あの尾行の件を思い出した。なるほど、ああやって部員全員の行動を調べていたのだろう。いや待てよ、そうなると泉さんは、他の部員を殺しに向かっている可能性も出てくるじゃないか。ちゃんと話つけてから帰るべきだったな、まあ無理だったけど。

 これ以上の推理をするには、現状では材料が足らない。まあ、直接聞けば全てが解決するだろう。ナイフも綺麗になったし、出掛けるとしよう。

 予備の制服に袖を通し、私は学校へ、部室へと向かった。泉さんがちゃんと片付けたのか、それと帰路に血痕が落ちていないか、確認しておく為だ。まるで私が殺人犯のようで釈然としないが、致し方ない。

 道には血痕は見当たらず、私は校内へ入った。日曜だというのに、運動部が威勢の良い声を上げて、練習に励んでいる。これを見ていると、やっぱり入らなくて良かったと心底思う。まあ、代わりにナイフで刺されることになるのだけど。

 校舎の裏手に回り、焼却炉を確認する。幸い使用中のようだが、周囲に人影が無い。不用心この上ないが、今は好都合だ。持参した制服を、納めていた紙袋ごと、何の気なしに投棄した。人目を気にし過ぎると、かえって怪しまれるからだ。

 職員室を訪ねると、柘植教諭が居た。聞いたところ、今日は当直なのだそうだ。加えて、部室の鍵は既に持っていかれていることを告げられた。名を聴いて驚いたが、納得もした。そういえば、日にちを指定していなかったな。

 職員室を後にして、部室へと向かう。風に乗って、激しい演奏と歌声が聴こえた。エレキギターの音だから、軽音部だろうか。真面目にやってんだな、あの先輩も。

 部室の前に来て、私は深呼吸をした。仮にも私を殺そうとした相手と対面するわけだから、緊張もする。ナイフとか投げて来ないよな。私は意を決し、部室の扉を開けた。

 たぶん荒れていたと思われる部室は綺麗に整頓され、上座にはいつものように、泉さんが座っていた。静かに目を閉じ、まるで処刑を待つ罪人のような佇まいである。後日としか言わなかったから、律儀に休日も学校に来ていたのだろう。

 さて、開口一番に何と言ったものだろうか。 

「その・・・待たせたな」

「・・・ええ」

「ちゃんと片付けもしてくれたんだな」

「ええ、二度も叩かれたから」

「そうだったな・・・さて、まず聞きたいことがある。俺を刺した時、何を思った?」

「・・・というと?」

「後悔か? 興奮か?」

 これは第一の関門だ。後悔と言えば、話し合う用意がある。しかし、興奮と答えたら、終わりにしなければならない。それは、説得でどうこう成るものでは無いからだ。

「・・・・・・後悔、しているわ」

 それを聞いて、少し安心した。これで、交渉のテーブルにつける。私は泉さんと対面するように、下座の椅子に腰を下ろした。

「俺は今回の事を、この場での示談、話し合いで決着を着けようと考えている」

「・・・何故?」

「ごもっともな質問だが、それを答える前に、3つの要求を呑んでもらう必要がある」

「・・・私を脅迫して、何をするつもりかしら?」

「嫁にする」

「っ!?」

「・・・なんて、言うとでも思ったか? 残念ながら内容はまったく違うぞ」

 からかわれたと判った泉さんは、物凄い眼光でこちらを睨んできた。声を出して驚かせるとは、一本取ってやったようで、何だかちょっと嬉しい。

「まず、何があっても部活を存続してもらう。部活を無くされたら困る、約束は守れ」

「・・・次は?」

「他の部員に手を出すな。泉さんの殺人衝動がどんなものか知らないが、まずは逃した獲物の俺を狙え。ただし、真っ向勝負だけな。毒殺とか足がつくから」

「・・・最後は?」

「重複するかもしれないが、絶対にバレるな・・・以上の要求を呑んでくれたら、警察にはチクらない」

「・・・分かった、承諾するわ」

「良かった、事が事だから書面には残せないが、泉さんを信用することにするよ」

「信用・・・答えて、何故なの? 何故、私を・・・」

「叱責しないのか?」

「・・・ええ」

「激情して、唾を吐き掛けながら、ド汚い言葉をぶつけて欲しかった?」

「・・・ええ、そうあるべき」

「そうあるべき、ねぇ・・・正当防衛で俺に殺されることも望んでいたのか?」

「・・・貴方が詮索好きなのは判ったから、そろそろ答えてもらえないかしら? 何故、私を見逃すの?」

「そうだな、推理推論をベラベラ話すのが俺の悪い癖・・・端的に言えば、俺はこの部さえ存続してくれたら文句は無いからだ。欠員が出たら休部、というか事件なんて起こされたら廃部じゃないか」

「そこまでの部活愛があったとは、知らなかったわ」

「愛とは違うさ、都合が良いから守るだけ。人は利益でしか動かないものだろ? 俺がその最たる者ってだけの話だよ」

「・・・つまり、私を突き出すよりも、見逃す方が利益になると?」

「その通りだ、だから俺は泉さんを見逃す。というか、不問に伏す」

「・・・殺人鬼を、身近に置くと?」

「え、他にもう誰か殺してるの!?」

「・・・いいえ、実行に移したのは今回が初めてよ」

「何だ、殺人鬼じゃなくて殺人チキンじゃないか」

 殺人鬼は、既に何人か手に掛けている奴を指す言葉だから、常人以上殺人鬼以下としてチキンと称したが、妙な怪物みたいになってしまった。B級ホラー作品だろうか。

「まあ、殺人チキンなら良いんじゃないか? おいそれと居眠り出来なくなるけど」

「・・・何故、貴方は私を恐れないの? 常人なら、こんな輩とは二人きりで会うべきではない、忌避すべき存在のはず」

「え? だって泉さん、俺より弱いじゃない?」

「・・・私が、弱い?」

「弱い、弱い。恐れるに足らず? テイザーやナイフ使っても、素手の俺に負けたんだよ? この人は襲ってくる事があると判っていれば、怖くないさ。本当に怖いのは、前触れもなく襲われた時だけかな? 一昨日みたいに」

「・・・何故そんなに、平然と受け入れられるの?」

「何故何故、しつこいなぁ・・・何が気に入らない? 破格の申し出のはずなのに」

「私が、私の方が異常なことを仕出かしたのに、貴方は大事な皿を割られた程度にしか捉えていない」

「はあ・・・ああ! 分かった、手応えが無いから不満なんだな? 当たり前だ、世間的には一大事だろうが、俺から見ればまだまだ可愛いものだ。世の中にはもっとヤバイ奴が居る」

「・・・言いたくないのだけど、何故そこまで相手を赦せるの?」

「またか・・・言っとくけど、俺は誰でも彼でも受け入れられるような聖人じゃないからな? 泉さんの事が憎めないから見逃したわけだし」

「・・・はい?」

「憎めないなら、赦せるってことだろ? なら赦す、コンティニューは三度までってことで」

「そう・・・なら、あと2回は殺しに行けるということね」

「・・・ん? 後悔してたんじゃ、あれ?」

「ええ、後悔したわ・・・あの程度の準備で挑んだことを」

 ああ、そっちな。

「はあ・・・殊勝過ぎると思ってたんだよなぁ。やっぱり懲りて無かったか」

「当然、殺せていないのだから、諦めようが無いわね」

 良い性格だな、まったく。

「在学中は相手してやるから、俺が生きている限り、部活は存続させてくれよ?」

「ええ、分かっているわ」

「なら、話し合いは粗方終わりかな? 正直分からない事は多いけど」

「ええ、そうね。これで安眠出来るわ」

「安眠したいなら、こんな事するなよ」

「しょうがないじゃない? 衝動は抑え切れなくなるものだから。これまで良く耐えられたと自讚したいもの」

「ああ、はいはい・・・そうだ、聞いておきたいことがあったんだ」

「何かしら?」

「泉さん、名前は何て言うの?」

「本当に自己紹介を聴いていないのね・・・私の名前は泉凜撞(いずみ りんどう)。趣味は殺人妄想。宜しくね、栗柄鎬君・・・」

 憎悪や激情、狂気に端を発する、おどろおどろしい殺意は感じない。涼風のように清らかで、陽光のように真っ直ぐな、彼女の殺意は、憎めない小粋さを有している。

「改めて宜しく、泉凜撞さん」

 この人はきっと、ろくな人生を歩まないだろう。だがきっと、満足して死んでいくことだろう。俺に出来るのは、その満足そうな生き様を、へし折ってやる事くらいである。

エスケーブ #4

 5月の始め、ゴールデンウィークを分断するように、一日だけ登校日が設定されている。肩の傷が完治していない私には憂鬱この上無いが、休む理由には出来ないので、やって来ましたよ、ちゃんと。

 幸い体育の無い火曜日なので、滞り無く授業を受け、昼は支倉姉弟と会食、放課後は部室へゴーである。あんな事があったとは思えないほど、いつも通りの流れ。ほんと、全てが夢だったみたいだと、私は肩の傷を撫でるのである。数日中には抜糸しよう。

 ただ、部室へ入る時は、少しだけ緊張する。やっぱり、ナイフとか飛んで来そうで。

「こんちゃ~っす!!」

 景気付けに樗木先輩風に入室してみると、部室では幸坂さんと泉さんが談笑していた。もう一度言う、幸坂さんと泉さんが談笑している。

「く、栗柄君・・・こんちゃっす!」

 律儀に返してくれる幸坂さんの横で、泉さんが意味深な笑みを浮かべていた。

「ありがとう、幸坂さん。ところで泉さん、ちょっと良いかな~?」

 満面の笑みで泉さんを手招きし、部室の外へ連れ出した。

「What are you doing now !?」

「あら、意外と流暢な発音ね」

「ああ、どうも・・・じゃない! 何をしてたのかな、あんたは?」

「何ってそうね、Girls talkかしら?」

「ガールズトークは日本語だから! いや、そこじゃないな。何でいきなり談笑しているの!?」

「私が幸坂さんと話していて、何か問題でもあるのかしら?」

「あるよ! このタイミングはもはやブラックジョークとしか言いようが無いだろう?」

「私の趣味は、目の前のこの人をどうやって料理しようか考えること。想像の中で殺しても、問題無いでしょう?」

「・・・思想犯って言葉知ってます?」

「この間にも、既に貴様は三回死んでいる」

「あはは・・・おいおい、キャラが変わり過ぎて怖いのですが?」

「・・・そうね、その通り。自分を見失っているかもしれないわ。しばらく放っておいて・・・」

「まあ、事を起こさなければ・・・大丈夫か?」

「ええ・・・少し風に当たってくるわ」

 泉さんは、明らかに疲弊した顔で、よたよたと歩き去っていった。行き先は部室棟の屋上だろうか。それよりも殺人チキンが情緒不安定って、大丈夫なのだろうか。

 嘆息しながら部室へ戻ると、幸坂さんが心配そうにこちらを窺っていた。

「あの・・・な、何かあったんですか?」

「あ、いや・・・泉さん、調子悪いみたいだったから、保健室に行くように奨めてたんだ」

「そ、そうなんですか・・・やっぱり」

「・・・やっぱり?」

「いえ、その・・・今までに無いくらい積極的で、表情も見たこと無いくらいコロコロ変わっていたので、変なものでも食べたのかなって」

「あはは、なるほど・・・」

 泉さん、これが貴女の印象ですよ。何を食ったらああなるのか気になるが。

「でも、泉さんってもっと恐い人だと思ってたので新鮮で・・・話せて良かったなって思います」

 ああ、中身は殺人チキンだから間違って無いよ。

 しかし、評価は悪くないみたいだな。あの鉄仮面に戻る前に、交遊関係を結ばせるのも手かもしれない。完全に自分を見失わせれば、あの厄介な癖も沈黙するかもしれないからだ。

「うん、良いと思う。ガンガン話し掛けて行きましょう!」

「あ、いえ・・・それはちょっと」

 しまった、人間不信には地雷だったか。誰か、コンポタ持ってきて。

「そっか、まあ仮にも部員同士だから、世間話が出来るくらいな仲が良いかな? 部長の心情としては」

「は、はい・・・頑張ります」

「いやその、頑張らなくて大丈夫だよ・・・そういえば、泉さんとはどんな話してたの?」

「それは言えません」

 今までに無いくらい、幸坂さんがはっきりと喋った。しかも、目が死んでいる。

「そ、そっか・・・」

 何だ、この反応は、いったい何を話していたんだ。気にはなるが、幸坂さんが口を割ることはないだろう。

 必死に愛想笑いを浮かべていると、泉さんが帰ってきた。心なしか、いつもの余裕が戻っているように見える。

「い、泉さん、体調は大丈夫?」

 幸坂さんが問い掛けると、泉さんは微笑んでみせた。

「ええ、大丈夫よ。私はいつも通り」

 あ、駄目だこれ。泉さんはまだ不調らしい。ということは、アイデンティティーを書き換えるチャンスだ。

「二人とも、このあと時間ある?」

 二人に問い掛けると、泉さんはすぐに頷き、幸坂さんは一応と前置きして頷いた。

「ご飯、食べに行こうか?」

      

 学前から一つ隣の駅に、木漏日という名の割烹屋がある。

 割烹屋と聞くと、割りと小さいアットホームな場所を想像するが、そこは料亭と言うべき立派な造りであった。とてもじゃないが、高校生風情が足を踏み入れるべき場所ではない。動揺を隠せない幸坂さんと何かを察したような泉さんを背に、私は引き戸を開けた。

「ごめんくださ~い」

 引き戸の先はもちろん玄関であり、程無くして、ここの女将だろうか、奥から着物の上に割烹着を着た女性がやって来た。

「いらっしゃいませ~」

 物腰の柔らかいその女性は、我々の姿を見て、少し首を傾げた。

「あら、その制服・・・」

「すみません、予約していないのですが、席は空いていますか?」

「ええ、カウンターは埋まっているけど、奥の座敷で宜しければ」

「はい、そこでお願いします」

「かしこまりました・・・暁乃ちゃん、お客様をご案内して」

 女将が声を張ると、奥から同じく着物の上に割烹着姿で、結い上げた髪を揺らしながら、しずしずと支倉姉がやって来た。

「いらっしゃいま・・・!?」

 挨拶の途中で、我々だと気付いた支倉姉。普段から想像も出来ない、化粧のような澄まし顔が、瞬く間に崩壊していった。

「暁乃ちゃん、奥の御座敷にご案内してね」

「はっ・・・こ、こちらです」

 女将の言葉で我に返った支倉姉は、表情を取り繕って、しずしずと案内し始めた。

 座敷へ向かう道中、横目でカウンターを窺う事が出来た。カウンターでは、大将と並んで調理と接客をこなす明良の姿があった。残念ながら、こちらには気付いていないようだ。

 小グループ用のこじんまりとした座敷へ通されるなり、支倉姉は襖を閉め、私の胸ぐらを絞め上げた。

「どういう事だ、あ?」

「いや、お前らの実家が気になったからさ。来ちゃった☆」

「来ちゃったじゃねぇよ! どうやってここを・・・」

「キーワードで検索出来ちゃうのをご存知か?」

「くっ、だからってなあ! いきなり来る奴があるか~!?」

 私を揺さぶり始める支倉姉、もはや半狂乱である。

「あ・き・の・ちゃん」

 襖が開かれ、笑顔の女将が姿を現した。

「何をしているのかしら?」

 笑顔の圧力に、支倉姉はすぐさま胸ぐらから手を離し、佇まいを正した。

「ごめん、母さん・・・」

「お・か・み?」

「すみません、女将」

「はい、良くできました」

 女将は満足そうに頷くと、私と目を合わせてきた。

「娘と息子が御世話になっております、母の遠乃と申します」

 丁寧な挨拶をされたので、こちらも相応の返礼をした。

「こちらこそ、御世話になっております。SE部の部長、栗柄と申します」

「あら、話は子供たちから聞いておりますわ。お陰様で、二人が家業に専念することが出来ています」

「それは良かったです。それなら、我が部にも存在価値があるというもので。女将の事も、自慢の御母堂だと伺っておりますよ?」

「あら、お若いのに御上手ね。うちの子になっちゃう?」

「あはは、それは・・・遠慮しておきます」

「そこはマジトーンかよ!?」

 流石に堪えかねたのか、支倉姉が思わずツッコんでしまった。結果として、女将に視線で圧されてしまうことに。

「うふふ、残念。では、そちらの御嬢様方はどうかしら?」

 女将が泉さんたちの方へ挨拶に行くと、すかさず支倉姉が詰め寄ってきた。そして、声をひそめて問い詰めてくる。

「それで、目的はなんだ?」

「ん? 食事と報告かな?」

「何の報告だよ?」

「泉さんの目的が判ったから、教えに来たのさ」

「学校で良かったじゃねぇか!?」

「ノン、またしばらく休みだろ? 忘れそうで」

「忘れるなよ!? まあ来ちまったものはしょうがないから、聞くけどさ」

「ああ、目的は・・・」

「暁乃ちゃん」

 私が言葉にしようとしたその時、女将がこちらを振り向いた。彼女の視界に入る前に、支倉姉は私と距離を保ち、姿勢を正す。

「はい、女将」

「御注文をお伺いして、料理をお持ちしたら、お客様も少ないし、今日は上がって良いからね」

「はい、女将」

「じゃあ、後はお願いね」

 女将が一礼して去っていくと、支倉姉は嘆息し、肩を落とした。

「ったく、お前らが居ると調子狂うんだよな・・・まあ、とりあえず座れよ」

 接客モードは諦めたのか、支倉姉の言われるままに、我々は掘り炬燵式の席についた。私の正面に泉さんが、その隣に幸坂さんが腰を降ろす。

「御注文は?」

 問われたので、私はメニューを手に取った。

「う~ん・・・わからん、オススメは?」

「あ? そりゃあ、季節のだろ」

「じゃあ、それで。二人はどうする?」

 尋ねると、二人とも同じものを所望した。

「はいよ、すぐに出来っから」

 支倉姉が退室していくと、今度は泉さんがため息をついた。

「急にパソコンを貸してくれと言うから何かと思えば、まさか支倉家に突撃するなんて」

「悪いね、閃いちゃったもんで」

 幸坂さんは先程から、落ち着きが無い。

「あ、あの・・・こ、こういうお店って、お高いのでは!?」

 ああ、そういう心配。

「大丈夫よ、幸坂さん。言い出した栗柄君がきっと払ってくれるから」

「まあ、そのつもりでいたけれど・・・言われると釈然としないな」

「そ、それは申し訳ないですよ!」

「大丈夫、ここで発生する金額は、栗柄君が支倉さんを驚かせる為の必要経費だったのだから、遠慮せずに頼んでしまいましょう」

「ちなみに、出すのは今頼んだやつだけだからな~」

「あら部長、ケチ臭いのね」

「理不尽だ!」

 ああだこうだ言い合っているうちに、支倉姉がどんどん料理を運び込んで来ていた。

 旬の山菜をふんだんに使った炊き込みご飯や天麩羅等々、後は判らないが、思いの外品数が多い。お金、足りるよね。

 運び終えると、支倉姉は私の隣にどかっと腰を降ろしてきた。

「待たせたな、食って良いぞ」

 態度悪店員だな。

「とりあえず・・・頂きます」

 しばしの間、皆それぞれ見慣れぬ料理に嬉々として箸を伸ばし、舌鼓を打つことになる。

 そして、あらかた食べ終えた頃に、こちらの食事シーンをぼんやりと眺めていた支倉姉が口を開いた。

「それで、泉の目的って何なん?」

「ああ、それな」

 答えようとして、脛に痛みが走った。泉さんだ、水を含みながら、何を口走るつもりなのかと目で訴えている。ならば、その目を見返しながら、答えてやろう。

「泉さんがこの部を立ち上げた目的は・・・友達作りだ」

 泉さんは噎せていた。予想外だったのだろう、ざまあみろ。

「友達作りだぁ? ・・・おいおい、マジかよ」

 支倉姉は、信じられないと言わんとする目付きで、泉さんを見た。一方の泉さんは、幸坂さんから差し出されたハンカチで口元を拭うと、渋々といった感じに頷いた。

「ええ、そうね」

 貴女たちを殺す為に集めたの、なんて言えないし、言い訳としてはちょうどから受け入れるしかない。そう、これが私の狙いだ。

「・・・何だよ、それなら早く言えよ!」

 こうして、支倉姉の泉さんへの疑念は氷解した。後は、憎まれ口を叩きつつも、泉さん、幸坂さん、支倉姉の会話は弾んでいく。

 これはきっと、泉さんの心に大きな衝撃を与えているだろう。良くも悪くも、今までの自分を維持出来なくなる。それが吉と出るかは、私には判らないが、見ていて微笑ましいものである。

 時刻は20時に差し掛かろうとしている。宴も竹縄だが、そろそろ帰る頃合いだろう。伝票を探していると、スッと横から差し出された。

 見るとそこには、笑顔の女将が居た。

「どうぞ、こちらです」

「ああ、これはどうも」

 驚いた、いつの間に。伝票を見ると、目算より半分もお代が安かった。

 女将を見ると、言葉にするまでもなく説明してくれた。

「お料理の中に、新人が作ったものがありましたので」

 新人、それはおそらく支倉弟、明良の事だろう。粋な事をしてくれるものだ。

「では、その方に美味しかったとお伝えください」

「あら、本当に良い子ね。今度こそ、うちの子になっちゃう?」

「あはは・・・遠慮しておきます」

「だから、何でマジトーン!?」

 談笑していたはずの支倉姉に、後ろから両肩を掴まれ、揺さぶられた。

「あらあら、またフラれちゃったわね。でも、友達では居てあげてね」

「ええ、友達・・・友達ですかね?」

「それは、ぼかすなよ~!?」

 泉さん友達大作戦、思い付きだが、成功と言えるかな。

 帰り道、電車を学前で降りると、背後に泉さんが居た。幸坂さんと手を振りながらお別れした時は、彼女の隣に居たはずなのだが。

 まさか、ここで殺しに来るのか。完全に背後を取られているから、今は見返り、目線で制することしか出来ない。

「何をいきり立っているの、流石の私もこんな往来で手は出さないから」

 泉さんは確信犯的笑みを浮かべながら、私の隣に歩み出てきた。私は警戒はしつつも、改札口へと歩き出す。

「じゃあ、何用で?」

「栗柄君は、何処へ帰るのか気になった。としか言い様が無いわね」

「何を白々しい・・・尾行してきてたじゃないか」

「あら、やっぱり気付かれていたのね。退いておいて正解だった、というわけかしら」

「そうですね、全部お見通しでしたね」

「・・・全部?」

「・・・えっと、何故疑問符?」

「私が尾行したのは一度だけ。先週の水曜日のだけなのだけど?」

「・・・えっ? 先々週は?」

「知らないわ」

「本当に? わざと含みを持たせているだけなのでは?」

「いいえ、それも面白そうだけれど、違うわ」

「真ん中の言葉が気になるが・・・本当に?」

「ええ、誓うわ」

「むぅ・・・本当に?」

「疑り深いわね・・・まあ、疑念を持たれても不思議では無いけれど」

「何というか、泉さんであって欲しかったというか・・・そうでないと怖いというか」

「私以外にも狙われているなんて、栗柄君も罪深い男ね」

「人をジゴロみたいに言わないでくれる?」

「あら、一介の高校生が料亭に女を二人も連れて行けるものなのかしら?」

「言い方! 言い方に悪意が満ち溢れてますから! 普通に働いて得た給金ですから」

「意外ね、栗柄君がアルバイトをしていたなんて」

「まあ・・・不定期のだけど」

「へぇ・・・それだけで、一人暮らしも?」

「それは・・・はっ!?」

 私は答えようとしていた我が口を咄嗟に手で覆った。しかし、時既に遅し、泉さんはほくそ笑んでいた。

「そう、一人暮らしなのね」

「見事に誘導してくれやがって・・・でもまあ、察しはついてたんだろ?」

「ええ、まあ。家族のいる家にあの傷で帰れば、騒ぎにならないはずが無い。それに日々の言動を照らし合わせれば、容易に想像出来るわ」

「なるほどな・・・あえて、明言はしないでおくけど」

「妥当ね・・・さて、行きましょうか?」

「・・・あれ、どっか行くの?」

「もちろん、貴方の家」

「あはは・・・断る」

「あら、うら若き乙女が、男の一人暮らしへ乗り込もうというのに、断るの?」

「血に飢えた乙女の間違いでは? 自宅に引き入れたが最後、自殺に見せ掛けて始末されてしまう」

「考え過ぎではないかしら? そこまでガードが堅いと、モテないのも頷けるけれど」

「徹頭徹尾余計なお世話だ。そっちこそ、嫌に探りを入れてくるじゃないか?」

「ええ、前回の反省は獲物の下調べが足らなかったこと。今度は万全の準備で仕留めてあげるつもり」

「嬉しくないねぇ、そんな気遣い」

「そんなに、照れることはないわ」

「照れる要素どこよ・・・それと、最近気になるのだが」

「何かしら? スリーサイズ?」

「・・・泉さん、よく笑うようになったな」

 冗談は、寒いが。

「・・・そうかしら、表情筋というのは御し切れないものね。ええ、認める。私は今、楽しんでいるわ。貴方という好敵手の存在に」

「はあ・・・浮かれているの間違いでは? 絶対ふざけてるだろ」

「さあ? どこからが本気で、どこまでがおふざけなのかを決めるのは、貴方次第・・・それに、楽しんでいるのは貴方も同じはずだけど?」

「う~ん・・・そうなのかな? 知り得た知識をフル活用して問題に取り組むというのは、確かに腕が鳴るものではあるが・・・」

「貴方は獲物として手応えがあり過ぎた。私の衝動が音を発てて膨らんでいくのが判ったわ・・・貴方は、そんな狩人に再挑戦の機会を与えてしまったの」

 不敵な笑みを浮かべる泉さん。不気味なはずのその笑顔には、悔しいほど邪気が無かった。

「そうか、それは照れますな。期待通り、狩人を廃業に追い込んで差し上げよう」

「それはそれは、楽しみね」

 そこで、我々は改札口へたどり着いた。それなのに、泉さんは踵を返していた。

「今日は帰るわ、おやすみなさい」

「・・・そうか、気を付けて帰れよ」

 人を襲わないように。

「御心配、痛み入るのだけれど、むしろ狙われているのは貴方なのだし、気を付けて帰るべきは貴方の方だと思うわ」

 確かに、尾行犯が他に居るなら、用心するに越したことはない。

「だけど、それを狙ってくる奴に言われるのは、どんなブラックユーモアなんだか」

「ええ、そうね」

 泉さんはそのまま、歩き去っていった。どうやら、降りたホームへ戻るようだ。好敵手を楽しんでいるとは、お互いに本気で遊べる相手が居なかったのかもしれないな。

 そんな事を考えながら、改札口を通り抜けようと、ICカードをかざしたが、ブザー音と共に、バーに押し留められてしまった。

 チャージが、不足していたようだ。

      

 気付けば、支倉家を電撃訪問してから五日の時が流れていた。

 そのうち、二日間は傷の治癒の為に湯治へ赴き、帰ったところで抜糸を試みた。幸い、傷は綺麗に塞がっており、後は縫い後が消えるのを待つのみである。後の三日は飛び込みの仕事に赴いて、連休最終日の今日を迎えたわけである。

 特に予定も無いので、鈍った身体をほぐしがてら、学前駅ビルの書店にでも行こうと思う。あそこの書店は規模が大きいので、割と重宝している。自宅からは、学前駅までランニング。走ったのは、体力テスト以来か、さっそく体力が衰えたのか、動悸が激しい。軽い目眩に襲われながらも、なんとか目的地へ到着した。

 息を調え、いざ書店へ。特に読書にジャンルは無いが、哲学書も読み飽きたので、護身術あたりの本でも読もうか。刃物で襲われる想定を本気でしていなかったのが、今回の怪我の遠因とも言えるので、学んでおく必要があるだろう。護身術はスポーツ系の書棚だったかな。スイスイと人の波間をすり抜けて、書棚にたどり着いたが、先客がいた。先客がいると、本が取り辛いのだが、幸い目的の書棚はその隣であった。適当に対刃用の護身術本を手に取り、目を通す。

 思ったよりも興味深い内容だったので、読み進めていると、不意に隣の客がアッと驚きの声を上げた。何事かと目を向けると、驚愕の面持ちでこちらを指差していた。誰だ、年の近そうな少女だが、全然見覚えがない。つまり、指を差される筋合いは無いということである。

「・・・何ですか?」

 少し不快感を匂わせながら、見知らぬ少女に問い掛けた。

「こんな偶然が・・・ここで会ったが百年目!」

「いえ・・・初対面です」

「今度こそ、逃がさない!」

 逃げた覚えも無いのだが、そう言われると何か引っ掛かるものがある。何だろう、もやもやするな。

「こうして面と向かえば、巻かれることも無いからね!」

 バッチーンと欠けていた思考ピースが嵌まるのを感じた。シナプスが交流したというか、点と点が繋がったというか、要するにひらめいたのだ。

 私は手にしていた本を書棚へ戻し、嘆息してから、彼女の手首を掴んだ。

「俺も・・・捜してたんだ」

「ちょっ、何、離してよ」

「離さない」

「待って、いったい何を・・・」

「・・・警察、行こうか?」

 尾行犯、こいつだ。

「・・・へ?」

 明らかに動揺し始める尾行少女、おっとメンタルが弱いな、動揺させて主導権を握らせてもらおう。

「あんた、尾行して来ただろ。ストーカー規制法って、御存知か?」

「待って、あれはそういうつもりじゃ・・・!?」

「ストーカーは皆そう言うんだよ。あと話は交番で聞くから」

「貴方が警官みたいになってるから!? 嫌、こんな事で前科持ちなんて・・・」

 少女の顔がみるみる青ざめていき、身体が小刻みに震え出す。まあ、本当に連れていったところで、痴話喧嘩の類いだと思われて無下に追い返されるだけだろう、民事不介入とか言って。そこら辺気付いてないみたいなので、仕上げと行こう。

「なら目的を話してもらおうか、内容によっては不問にしてやろう」

「それは・・・貴方が結実の彼氏なのかと思って・・・」

「結実・・・?」

 聞き覚えがあるような、それもつい最近に。

「・・・あ、幸坂さん?」

「そう、幸坂結実!」

「・・・幸坂さんとは、どういったご関係で?」

「その、友達・・・だった、少し前まで」

 またもバッチーンと思考のピースが嵌まる。

 こいつだ、幸坂さんの人見知りの元凶。

      

 騒ぎ過ぎると書店に迷惑なので、とりあえず上階のカフェに場所を移すことにした。

 私は抹茶ラテを啜りながら、この厄介な案件をどう処理するのか思案する。警察云々の話をしたばかりだと言うのに、この尾行少女はまったく、パフェをかっ食らうとはどんな神経しているのだろうか。ああ・・・無神経か。

「最初にはっきりさせておくと、幸坂さんと付き合ってない。同じ部活に所属し、帰りが重なったに過ぎない」

「ああ、そうなんだ・・・(咀嚼)・・・良かったような・・・(咀嚼)・・・良くないような」

「・・・まだ警察に突き出さないとは言ってないのたが?」

「はっ!? はい、話します。えっと・・・色々と行き違いがありまして、結実と絶縁した上に、仲直りの機会すら与えてもらえてません」

「そうか・・・事情はよく判らないが、おそらくあんたの無神経さが全ての元凶だと思うから、全力で直せ」

「ちょっと、ちょっと・・・(咀嚼)・・・誰が無神経ですか、まったく・・・(咀嚼)・・・失礼しちゃうな」

「そこだ、そこ・・・もの食べながら話すな。あんたには、周りからの評価を気にする目が欠けてるんだよ。反省なさい」

「そんな、会ったばかりの人に、ボロクソに言われるなんて・・・(咀嚼)・・・傷付く」

「はあ・・・話が前に進まないなあ。つまり、あんたは幸坂さんと仲直りしたくて、俺をつけ回してたと?」

「そうそう、いつも見失っちゃうんですけど」

「まあ、巻いてますからね・・・それで、どうやって仲直りするつもりでいるんだ?」

「とりあえず、貴方に仲裁してもらって、後は私が突撃・・・的な?」

「ああ、なるほど・・・それは間違いなく失敗するだろうな」

「え、何で?」

「いや、少しは考えようよ・・・あんたは仲直りという名の御祓について何も理解していないからだ」

「み、みそ・・・??」

「御祓だ、み・そ・ぎ! 高校生にもなって、神道をたしなまないとはな・・・」

「たしなまないよ!? 大抵の女子高生、神道、たしなまないよ!?」

「はあ・・・汝マイノリティであれ。さて、禊というのは罪に穢れた身を雪ぐという意味。絶縁されたのは、あんたがそれに値する事をしでかしたからであって、仲直りするには、あんたが幸坂さんにしでかした事を償わなければならないわけだ」

「・・・ごめんなさい、何を言っているのか解りません!」

「そうか・・・すまない、最近はこんな話し方する人とばかり話していたから・・・コホン、もう大丈夫。簡単に言うと、ごめんなさい、うん良いよ、そんな時代は終わったということだ」

「う~ん・・・確かに、謝っても許してもらえなかったなぁ」

「その時、こう言わなかったか? よく分からないけど、傷付けたならごめん! なんて・・・」

「ああ・・・言いました」

「その場合、重要なのは何をしでかしたか認識することだったんだ。とりあえず、謝っとけば大丈夫なんて発想は、今ここで捨てると良い。例えるなら、俺はあんたを警察に突き出したいと思っている、何故かな?」

「だからそれはッ!?」

「私は悪くない、そう言いたいのだろう。だが、どんな理由があれ、あんたが犯罪行為を行なったことに変わりは無いんだ。あんたがいきなり、誰かに尾行回されたらどうする? 得体の知れない奴に追い回されるんだ、理由も分からずに」

「・・・怖いです」

「自分は狙われているという恐怖が四六時中、頭の中に居座り、全ての暗がりに悪人が潜んでいるように思えてくる。気軽にコンビニ、なんて気分にはなれないだろう?」

「なれないです、引きこもります」

「散々苦しめた挙げ句、私には事情があるので許してくれ、なんて言われてみろ、どうしたい?」

「警察に突き出したいです!」

「そうか、なら行こうか!」

「はい!! ・・・はっ、行きたく無いです、許してください!?」

「判ったか? 今のがお前が自分の都合しか考えないで行動した結果だ」

「はい! 筆舌し難い苦痛を与えてしまって、申し訳ございません!!」

「そうだ、それが正しい謝罪というものだ。あんたには他者の身になるという視点が欠如している。動く前に、良く良く周りに与える迷惑を考えることだな。それは今回の事のみならず、今後犯罪行為をしてしまわない為にも必要な事だ」

「はい、肝に命じます!」

「・・・そこでだ、あんたは俺への落とし前をどうつけるつもりなんだ? 警察に行きたくないなら、どうするんだ?」

「えっと、それは・・・私に出来ることなら、何でもさせて頂くとしか」

「へぇ・・・何でもか。本当に何でもするのか?」

「それは・・・はっ、まさかそれを口実に私と爛れた関係を迫ろうと!?」

「昼ドラの見過ぎだ!」

「はいっ、ごめんなさい!? では、何なのでしょうか・・・?」

「簡単だ、俺の視界から消え失せろ、永遠にな」

「・・・えっ?」

「次に、俺の視界に入った場合、即通報する。ここへは良く来るのか?」

「・・・はい、大概揃うので」

「ならば、俺に会わないように、せいぜい気をつけることだな。会えば即あんたの脛に傷がつくことになる。誹謗中傷がありふれたネット社会で、やっていけるかな?」

「・・・無理です、生きていけません」

「・・・なら、消えてもらおうか。そして、俺の存在に恐怖しながら、時効になるまで怯えて暮らすと良い」

「・・・私は、消えません」

「・・・何故?」

「貴方に、協力してもらえないと、結実と仲直り、出来ないから・・・」

「・・・それは、あんたの我が儘に過ぎない。あんたが楽になりたいだけ何じゃないか? 幸坂さんは仲直りを望んでいるのか? 彼女にとっては、その行為が苦痛以外の何者でも無いかもしれないのに」

「だって、だって・・・」

「だってじゃない、理由を考えろ」

「・・・・・・このままだと、ずっと結実を傷付けたままだから。私が捕まっても、苦しませたことを謝らないといけないと思うから」

 やっと理解したか、私は内心、ホッとしていた。尾行少女は今、目尻に涙を溜め込み、震えながら泣き出しそうになるのを押し留めている。それは、犯罪者になる恐怖からではない、友に与えた苦しみを理解し、後悔と慚愧の念が爆発しそうなのだろう。簡単に言えば、自分がどんな馬鹿をやらかしたのか、やっと判ったところわけだ。

 正直、ここまで追い詰めると良心が痛むが、これを理解した上で挑まないとお互いが傷付くだけだ。そんな泥仕合を、みすみす行なわせるわけにはいかない。けっして意趣返しではない。

 さて、そろそろネタバラシと行こうか。

「・・・自分がどうなろうと、友人の傷を癒したいとは、面白い解答だ」

「・・・へぇ??」

「人は他人の痛みを理解した時初めて、その他人に寄り添うことが出来る。今のあんたなら、心からの謝罪が出来るだろうな」

「・・・え、えっと、つまり?」

「仲直りするチャンスをやろうじゃあないか」

「あ、ありがとう・・・」

 安心したのか、尾行少女の目から涙がこぼれ、頬を伝い出した。

「ほら、公共の場で泣くんじゃ無いよ、ほらこれで拭いて。それも相席している俺に迷惑なんだからな」

 俺は自前のハンカチを手渡し、拭くように諭した。ハンカチで涙を拭い、流れ的に鼻をかまれないかと心配だったが、さすがにそこまではしなかった。

「ぐすっ・・・そうだね、貴方が泣かしたって思われちゃうよね」

「ああ、よく分かっているじゃないか」

 まあ、間違ってないんだけどね。

「相手の立場に成ることが、仲直りの最低条件だ。今の感覚を忘れるなよ」

「はい、わかりました」

「ああ、それと・・・警察には突き出さないから、大した罪にはならないし。というか、無罪?」

「ありが・・・え、それ、本当?」

「まあな、そもそも俺、気にはなってたけど、ほぼ忘れてたし」

「えぇ・・・いったい、何がしたかったの?」

「無神経、自己中っ子の荒療治かな? 仲直りにはそれが必要だし、ここで理解させておかないと、本当に犯罪者として捕まっちゃうかもしれないからな」

「・・・私を、心配してくれた?」

「心配とは少し違う、目に余っただけ。不愉快な者に不愉快と伝えただけ」

「あの・・・言い方、キツすぎない?」

「ああ、それが俺の悪いところ。直す気は無いけど・・・さて、チャンスをやると言ったが、すぐにとはいかない。一週間くらい時間をくれ」

「え? 何で?」

「事を起こす前に、幸坂さんの気持ちを確認しておかないと・・・先に言っておくが、俺は絶対的に幸坂さんの味方だ。彼女が望んでいないなら、この話は忘れてもらう」

「そうだね、無理強いは出来ないよね」

「時には避けられない別れがある。今回がそれに当たるのか、確かめておく。あんたはその時の事をよく思い返して、何をしでかしたか把握しとくんだな」

「はい・・・了解です。でも、携帯とかでやり取りした方が・・・」

「携帯、持ってないんだ」

「・・・高校生だよね?」

「うるさい。では、閉廷。会計は、割り勘で!」

 一難去ってまた一難、ゴールデンウィークの終わりに、厄介事がやってきました。だるいなぁ。

 バイバイしてから気付いたが、ハンカチの回収と名前を聞くのを忘れた。

エスケーブ #5

 連休明けの月曜日、倦怠感が拭い切れないまま、ヒーヒー言いながら学生たちは授業を消化していく。やっとこさ放課後になると、彼らは羽を伸ばし、それぞれの部活動へと飛び立っていく。私もその一人、さあ部室の鍵を取りに行こう。

 教室を出る前に、泉さんと支倉姉弟から私用で帰ると言われたので、今日は幸坂さんと二人きりか、一人きりだろう。幸坂さんは未だ、いつものグループの中に居るので、私は待たずに職員室へ行く。

 柘植教諭と挨拶程度の会話をしてから部室へ行くと、幸坂さんが扉の前に佇んでいた。どうやら今日は二人きりらしい。待たせたことを詫びてから、私は部室を開放した。そして、それぞれ所定の位置に腰を降ろす。そういえば、上座に座ったのは、久しぶりだ。その後は、幸坂さんと勉強やクラスでの事などの他愛ない世間話を展開し、ゆったりとただ確実に時間が過ぎていった。

 そして、もうすぐ17時になろうとした頃、私は本題を切り出すことにした。

「そういえば昨日・・・幸坂さんの元友人を名乗る子と遭遇したんだ」

 単刀直入、この初手で幸坂さんの尾行少女への感触を窺う。

「元・・・友達ですか?」

 幸坂さんは戸惑っている。どうやら、ピンと来ていないようだ。

「あぁ・・・おそらく、アップロードしたという友人かと」

 そう言ってようやく、幸坂さんは察しがついたらしい。明らかに表情が強張り、視線が定まっていない。強い拒否感、尾行少女よ、駄目かもしれないぞ。

「な、何で・・・藤香が栗柄君と?」

 藤香、それが尾行少女の名前なのか。

「名前を聞きそびれたから、違う子かもしれないが、なんでも、幸坂さんと俺が歩くところを見たらしい。昨日書店で偶然鉢合わせた」

「そ、そうですか・・・それで、その子は何と?」

「幸坂さんと仲直りしたいから、仲介して欲しいと。俺が彼氏だと勘違いしたらしい」

「か、彼氏っ!?」

「大丈夫、強く否定しておいたから安心して!」

「強く・・・否定」

 私は親指を立てて、安心を促したが、彼女は暗い顔で小さく頷いた。ここまでのダメージを負わせるとは、尾行少女め、酷い事しやがる。

「・・・そ、それで栗柄君は引き受けたのですか?」

「いや、保留にしておいたよ。幸坂さんが嫌なら、手を貸さない。俺は絶対的に幸坂さんの味方だって、宣言しといたからさ」

「栗柄、君・・・私は・・・」

 幸坂さんは両腿に載せていた手で、制服のスカートをくしゃっと握った。身体も小刻みに震えている。よほど、苦しんできたのだろう、幸坂さんの背中は、見ていられないほど小さく思えた。

「幸坂さんが望むなら、もう関わらせないことも出来る・・・今の気持ちは、どうなのかな?」

「わかり、ません・・・まだ、すみません」

 これほどまでの傷を負わせているとはあの尾行少女、恐るべき無神経さである。さて、この傷を一生の教訓とすべきか、はたまた清算するのか。それが、幸坂さんの今後を左右するやもしれないのだから、なんとも根深い問題である。

「・・・分かった。その、出来たら今週中に答えを聞かせてほしい。今後どうしていきたいのか、よく考えて」

 私は、幸坂さんをあまり追い詰めないように、微笑みかけた。主な笑顔の成分は、ここだけ聴くと、まるで私が告白したみたいだな、という自嘲だが。

「さてと、時間だ。帰ろうか?」

「・・・はい」

 帰り道、幸坂さんの表情は暗かった。棄てたはずの過去、選んだ現在。仲直りをすれば、過去を清算し、現在を否定することになる。一方で、絶縁すれば、過去を背負いながらも、現在を肯定して生きていける。幸坂さんは、どちらの未来を選ぶのだろうか。駅までの道中、言葉を交わすことは無かった。

 しかし、改札前で別れる時に、幸坂さんが口を開いた。

「その・・・一緒に帰ってくれてありがとうございました」

「ん? いや、気を付けて・・・」

 なぜだろう、お礼を言われてしまった。幸坂さんの後ろ姿を見送りながら、その理由を考えたが、私には解らなかった。

      

 火曜日、今日は泉さん、支倉姉、そして幸坂さんも帰っていった。昨日の事が、影響しているのかもしれない。今日は、読書デーになりそうだ。部室にて、欠伸をかきながら、本を開く。今回は、心理学系の本をチョイスした。仲直りに役立つかも、と愚考したからである。

 しかし、眠い。麗らかな午後の日差しが、早くも私を惰眠へと誘い出す。駄目だ、前はこのパターンで、泉さんに強襲されたのだ。眠気に耐えながら、必死に読み進めていると、不意に部室の扉が開かれた。

 本当に泉さんが襲いに来たのか、身構えていると、扉の陰から巨大なシルエットが現れた。

「・・・邪魔をする」

 私はその正体が想定外過ぎて、正直度胆を抜かれてしまった。

「あれ・・・明良?」

 そう、シルエットは誰あろう支倉弟、つまり明良だった。

「どうしたんだ? 家の手伝いは?」

「・・・たまには顔を出してこいと、家族全員に言われてな。姉さんが代わりをしてくれるらしい」

「そうなのか・・・」

 まったく、粋な一家である。

「ちなみに、秘密にしておくようにと言い出したのは姉さんだ」

「ああ・・・」

 まったく、アホな姉である。

「・・・一人か?」

「まあ、基本的に居ることを定められているのは俺だけだからな」

「・・・そうか。とはいえ、好都合とも言えるな」

「好・・・都合?」

 おいおい明良、まさかお前もか。

「他が居ると、話せなくなるからな」

 安心したぜ、シャイボーイ。

「あはは、まあ座ってくれ。今日は自由なのか?」

「いや、少ししたら帰らないといけない。姉さんでは長く持たないだろうからな、常連さんらの相手は」

「へぇ・・・」

 常連さん、いったい何者なんだろう。支倉弟は意識したのか、最初に部室へ来た時の椅子に腰を下ろした。

「忙しいんだな・・・店と言えば、この前は突然押し掛けて悪かった」

「いや、気にする事は無いさ。毎日のように帰って来れる部活を、両親は少し怪しんでいたが、栗柄のおかげで太鼓判が押されたのだから」

「え、何かしたかな・・・?」

「母さんが気に入っていたからな。母さんは料理がアレだが、うちのピラミッドの頂点に君臨している。母さんが認めれば、父さんも認める」

「おお・・・」

 支倉家の不思議ヒエラルキーだな。

「また、いつでも来て欲しいと言付かっている」

「それなら、今度はお詫びを伺おうかな?」

「お詫びは気にしなくて良いが、うちに来る場合は母さんからの縁談に気を付けてくれ」

「あはは・・・あれ、本気だったのか!?」

「ああ、母さんは、姉さんを売りつける最高の機会だと考えているようだ」

 不良物件か、アイツは。

「明良としては、どうなんだ? 俺に薦められるのは?」

「むぅ・・・お前と義兄弟になるのは、存外悪くは無いが・・・生々しいものがあるな」

「生々しいとか止めろよ」

「それは冗談として、当人たちにその気が無ければ、口を出すことは無い」

「今のところ、無いっす」

「・・・配慮痛み入る」

「何の事かな? それはそうと、料理美味しかったよ。恥ずかしながら、言われるまで気付かなかった」

「ふっ・・・気付かれないようになるのが目標だからな。常連さんには、即座に見抜かれるが」

「恐ろしいな、常連さん」

「ああ、確かに。だが、ありがたい存在でもある。習ったものをより洗練してくれるからな」

「愛されながら、鍛えられてるわけか・・・粋が過ぎるぜ」

「そうかもな・・・それで、何か悩んでいるのか?」

「え? 何、エスパー?」

「客商売だからな、顔を見れば大体判る」

「つまり、バレバレってことか、気を付けよう・・・明良は、暁乃と喧嘩したりする?」

「ああ、割とするが・・・誰かと喧嘩でもしたのか? 意外だな」

「意外なの?」

「栗柄は感情の機微に敏感だからな、喧嘩が起きる前に鎮火してしまうのだろう?」

「あはは、確かに。御察しの通り、俺じゃない」

「それなら、あまり立ち入らないでおこう・・・姉さんとの喧嘩についてだったな? あの性格だ、些細なことで大炎上さ」

「こう言うのも何だけど、あんまり似てないよな?」

 根が真面目で、人見知りなところ以外は。

「大丈夫だ、自覚している。性格は真逆で、時に恐ろしいほど意見が合い、時にまったく反りが合わなくなる」

「どうして?」

「性別が違うのがまだ救いだが、自分と殆ど条件が同じ存在っていうのは、頼もしい反面、ふとした拍子に鬱陶しくなるものなのだからな。どちらかに幸福が舞い込めば妬むし、不幸があれば自分の事のように思えてくる。まったく、難儀なものだった」

「だった?」

「最近は、あまり喧嘩することは無くなった。お互いに明確な差が出来てきたからだ。同じ生き方では居られなくなってきたと言うべきか。違いが大きくなるにつれて、考えていることが判り辛くなってきて、別個体なのだと、今更ながら思い知らされている」

「・・・今、絶縁するほどの喧嘩をしたら、どうする?」

「そうだな・・・おそらく、暫くはそのままにしておくだろうな」

「え、放置?」

「ああ・・・暫くは別の事に目を向けて、頭を冷やすんだ。クールダウンが終われば、元通り」

「なるほどなぁ・・・クールダウンか」

「参考になったなら、良いが・・・」

「もちろん、参考になったさ。ありがとう」

「なら良かった・・・さて、そろそろ帰る時間だな」

 時計の針は、16時半を指している。

「そうか、話せて良かったよ」

「ああ、二人きりじゃないと話せないこともある」

 立ち上がって、明良を見送る。去り際にがっちりと握手を交わして。

「じゃあ、ご両親に宜しく。それと、暁乃には肩揉みを」

「ふっ・・・ああ、伝えておく」

 一時の邂逅だったが、悪くない時間だった。クールダウンで元通り、か。確かにそれ真理だが、あの二人にはそれだけでは足らなかった。

 幸坂さんの緊張状態は、どうすれば解けるのだろうか。

      

 水曜日、今日は泉さんが居る。パソコンを立ち上げて、何やらカタカタやっている。

 私は、彼女から3席ほど距離を置いた椅子に腰を降ろした。すると、泉さんがタイピングを止めて、こちらに視線を向けてきた。

「少し、警戒が過ぎるように思えるのだけど?」

「いやほら、間合いには入らない方が良いかなって・・・」

「あら、私は貴方との約定で宣言してからじゃないと襲えないはずなのだけど?」

「それはそうだが・・・例えば、俺が本を読んでいたとする。そしたら不意に、泉さんが声を掛けてくるんだ。今から、貴方を殺すってな。俺がポカーンとしているうち、ナイフが首筋に吸い込まれていく。なんて、それなら奇襲も出来ちゃうなぁ~って思っただけさ」

「チッ・・・そんな姑息な事をするつもりは無いわ」

「今、舌打ちしませんでした!?」

「してないわ」

「えぇ・・・まあ、良いですけどね・・・いや、良くないか?」

「それよりも、手の内が判っているなら、近くへ来たらどうなの?」

「いや・・・このままでお願いします」

 何か、そこはかとなく怖いので。

「そう、分かったわ」

 案外すんなりと引き下がった泉さん。何だか、今日は今までに無くテンションが高いように思える。いったい何事だろうか。

 私が首を傾げ、本を手に取った時、また泉さんのタイピングが止まった。

「・・・栗柄君、何か悩み事?」

「どうした、いきなり?」

「貴方の顔に、俺様は高尚な考え事してんだから絡んでくんなや、と書いてあるから」

「長文だな!? というか、書いてないし。書いてあるとしたら・・・」

 たぶん、泉さんの異常なテンションについてだよ。

「根拠ならあるわ、まず今日の栗柄君は私との会話を早めに切り上げようとしている」

「それは・・・」

 貴女が何か怖いからだよ。

「次に、言葉使いが丁寧かつ素っ気なくなっている」

「そうかな・・・」

 盛大にツッコミを叫んだ気がするのだが。

「極めつけは、言葉を交わす姿勢、かしら。いつもは正面向いて相対してくるというのに、今日はずっと斜に構えている」

「・・・そうか?」

 それは、自覚ゼロだ。

「一人で悩まないで、人に話せば、楽になるって聴くもの」

「己は最大級の秘密を抱えているくせに・・・分かった、言うよ。泉さんって、中学とかで友達はいた?」

「居ないわ」

 えぇ、速答ですか。

「ツールとしての友達も?」

「ええ、一人も。私、中学校では嫌がらせを受けていたの」

「え、意外・・・」

 そういうの、絶対生かして置かなそうなのに。

「そこは、大学まで続く一貫女子校だったのだけれど・・・少し悪質な迫害にあっていたの」

「嫌がらせじゃなくて、迫害レベル!?」

「そこはイコールでは無いわ。まず嫌がらせを受けて、私がそれに報復、その行ないが一人歩きしていき、最終的に全校生徒から恐れられるという迫害を受けたの」

「規模の違いか・・・いや待て、全校生徒震え上がらせるほどの報復って何?」

「相手はグループだったから、一人ずつおびき出して、罪に対応した罰を与えていったの。例えば、ノートを切り刻んでくれた子は、椅子に縛り付けて、オカッパ頭に切り揃えてあげたわ。それから・・・」

 泉さんは、まるで詩でも諳じるかのように、報復の内容を語っていった。机に毛虫を仕込んだ生徒は、毛虫の蔓延る桜の下に、肩まで埋めたとか。トイレで水を被せてきた生徒は、便器の水の味を教えてあげたとか。一人また一人と消され、最終的に残った生徒は、クラスの中心で贖罪を叫ぶという、カノッサ的な屈辱を再現する羽目になるという顛末で、過去話は締め括られた。

「・・・よくもまあ、問題にならなかったな」

「なったわよ、外部には漏れなかったけど。私のやった事も問題だけど、いじめがあった事もまた問題。ブランド意識の高いところだから、当然のように揉み消されたの」

「とはいえ、生徒の口にまで戸は立てられないだろう?」

「ええ、だから、私はとある噂を流したの。この事を口外すれば、泉が報復に行くとね」

「・・・いや、でも、報復された生徒も黙って無いはず」

「ええ、それも危惧して、報復している時に刷り込んでおいたの。次はこんなものではないと・・・彼女たち、泣いて親に懇願したそうよ、口外しないで、口外しないでって・・・ふふっ」

 私はいつの間に、怪談話を聴かされていたのだろうか。

「えげつないな、本当に中学生のエピソードか?」

「ええ、完全なるノンフィクション。おかげで一貫校を出て、外部の高校を受ける事になったの」

「それが、泉さんがここに来た理由・・・」

「そうね・・・まさか、こんなところで好敵手が見つかるなんて・・・彼女たちには、感謝すべきかしら?」

「・・・必要無いだろう、所詮は結果論だ」

「ふふ、流石は好敵手ね。この話を聴いても、どこ吹く風といったところかしら?」

「報復にはドン引きだが、同情の余地は無い。そういう奴に手を出したのが悪いってだけの話だからな」

「言い得て妙ね、確かにそれだけの話・・・それで結局、栗柄君は私という好敵手を放っておいて、何に悩んでいるのかしら?」

「そういえば、ずいぶん脱線してたな・・・えっと、時間が解決してくれなかった喧嘩相手とは、どうすれば仲直り出来るかな、と」

「・・・・・・思ったよりも、くだらなかったわね」

「放っとけ!」

「それなら、報復すべきね」

「相手は一応、元は友達なんだが?」

「関係ないわ、やられたなら、やり返さないと余計に禍根が残るものよ。やり返した時に初めて、対等に戻ることが出来るのだから」

「つまり・・・対等に戻れてやっと仲直り、ってことか?」

「私に聞かないで、それは貴方が私にしたことなのだから」

「・・・ん?」

「要するに、憎み通せないなら、仲直りは案外簡単ということよ」

 泉さんが言いたいのは、やられたらやり返して対等に戻り、その時点で嫌いにならないなら仲直りは必然、ということだろうか。憎めないのが重要、確かにその通りであった。

「さて、もう17時を回ったわ。帰りましょうか?」

「まさか、一緒に帰ろうとか言い出すんじゃ?」

「自然な流れでしょう?」

「自然な流れで家を突き止めようとするな」

「あら、バレていたのね」

「なにを白々しい・・・」

 その後、駅までは一緒に帰りました。

      

 木曜日、今日は支倉姉だけが現れた。そして向かいの椅子にドカッと腰掛けるなり、開口一番、こう言い放ったのです。

「おう、肩揉めや」

「・・・あん?」

 何だ、この野郎。

「いや、明良から聞いたぞ? お前が肩揉みしてくれるって」

「ん? 明良が・・・」

 そこで私は、一昨日の支倉弟とのやり取りを思い返してみた。確かに、別れ際にそんな事を言った気がする。

「いや、でもあれは・・・比喩的な表現というか」

「そうか・・・じゃあ、よろしく」

「話を聞いて無い!? ・・・いや、いつもの事か」

「早くしてくれよ~。さもないと、あたしは明良を嘘つきと糾弾する事になるぞ~」

「なんだと・・・はぁ、仕方ねぇな。明良の名誉の為に」

「最初から素直にそうしとけ~」

 私は渋々、読んでいた本を閉じ、支倉姉の背後に回った。

「このポジショニング・・・首をへし折りたくなるな」

「物騒だな!? 肩揉みだからな」

「へいへい・・・」

 私は渋々、支倉姉の肩に手を置いた。

「・・・意外と肩幅無いんだな」

「何だ、セクハラか?」

「セクハラについて言及するなら、俺に肩揉みなんぞさせるなよ」

「冗談だ、冗談。JKジョークだ、笑って良いぞ?」

「いや、笑えないから。世の中にどれほどJKジョークで冤罪が生まれていると思っているんだ?」

「知らねぇ。さあ、始めてくれ」

「この野郎・・・喰らえ」

 私は、肩甲骨と背骨の間を縦に走る筋肉を、両手の親指で強く押した。

「ぐはぁっ!?」

 支倉姉は、悲痛な叫びを上げ、机に倒れ伏した。

「て、てめぇ・・・何をした?」

「ん? ツボを押したが、効いたか?」

「効き過ぎだ、バカ野郎!? 痛すぎて一気に目が冴えたわ!!」

 支倉姉は怒りに任せ、私の胸ぐらを絞め上げてきた。

「あはは、それは上々。それで、肩の調子は?」

「あん? 肩の調子だって?」

 訝しげに、支倉姉は両肩を回した。

「・・・ちょっと軽くなったような?」

「つまりは、そういう事だ。まだ、続けるか?」

「え、ああ・・・頼むわ」

 怒りを鎮めた支倉姉は、狐に摘ままれたような顔をして、再び着席した。

「もう、胸ぐらを掴むなよ。シワになる」

 私は次に、首筋から肩の先までの中心に、親指を押し込んだ。

「痛っぁ~!?」

「これもツボだ。人の身体には300以上のツボがあるそうだぞ?」

「いや、あたしが求めているのは、母さんとかにしてあげるようなやつで・・・」

「そう遠慮するな。筋肉に触れた感じ、疲れているのは本当のようだな・・・どれ、俺の知っている限りのツボを押してやろう」

「待って、あたしが悪かった! だから、これ以上は!?」

「あはは・・・問答無用」

「ぐぅ、ぎゃあー!?」

 知りうる限りの、肩の経穴を押すこと数分、結果として支倉姉は小さく震えながら、机にだらりと伸びている。

「ふぅ、肩は楽になったか?」

「あぁ・・・おか、げさま、で・・・」

「しばらくそうして居れば、痛みは引いてゆくだろう」

 ざまあみろ、そう心で毒づきながら、私は自席へ戻り、読書を再開した。

「さてと、大人しくなったところで、聞きたいんだけどさ」

「・・・何さ」

「暁乃って、友達居た?」

「友達? あぁ・・・昔は居たな」

「そっか・・・えっ、居たの?」

「悪いかよ・・・中学の時、気概のある奴が居たんだ」

 支倉姉はのっそりと起き上がり、憮然と胸の前で腕を組んだ。

「気概って、どうやって判るんだ?」

「タイマンして」

「ああ、なるほど・・・え、タイマン?」

「一対一でぶつかるんだよ。そうすりゃ、どんな奴か判る」

「そりゃ判るだろうけど・・・まだやる奴がいるとはな」

「まあな、大抵はビビっちまうだけだが・・・そいつには軽くいなされちまった」

「どんな屈強な奴に喧嘩売ったんだ?」

「あん? 華奢な女だよ、なのに気が強くて、目がギラギラしてた・・・そん時は言い負かされちまった」

「ああ・・・殴り合ってたわけじゃないのね」

「そりゃ当たり前だろ・・・まあ、何回かやり合って、そのうち浮いてる者同士、つるむようになったんだ」

「へぇ・・・ちなみに、その頃の明良は?」

「あいつは中1から修行の身だよ・・・あたしは家を継げないってことが判ってから、中3の終わりまで家の手伝いしてなかった」

「その間、よくつるんでたわけか?」

「ああ、屋上の錆びたベンチがたまり場だったな・・・あいつがサックスを吹いて、あたしはそれを聞きながら、ぼぉーっとしてた」

「サックス吹き鳴らす中学生ってどんな奴だよ・・・吹奏楽部か何かか?」

「どんなって・・・サックスは趣味だって言ってたな。なんか、向上心の塊って言うか・・・とにかく、よく分かんない奴だったな」

「よく分かんないのに、一緒に居たのか?」

「それな・・・何でだろ? 少し憧れてたのかもしれないな」

「憧れ?」

「・・・すげぇ我が強くて、衝突しても全然折れなくてさ、結局はあたしが折れることになるんだよ。どんだけ自信があれば、あそこまで強くなれるのか、あたしはそこに憧れて、知りたくて近くに居たのかもな」

「ふ~ん・・・その人とは今でも親交が?」

「いや、中学出たら、渡米するって言ってて、ジョークかと思ってたら本当に行きやがった。それから音信不通だし、特にあたしから連絡しようとも思わない」

「何でいきなりの渡米? サックスか?」

「さあ? 理由は言ってなかったし、聞いてない。でも、消えてくれて良かったかもな。あのまま、あいつとつるんでたら、あたしはあいつの腰巾着程度の女になってただろうな・・・間違いない」

「また何とも、酔狂な交友関係だな・・・」

「ははっ、酔狂か・・・仕方ないだろ? 自分に酔って、若さに狂ってんのが中学生ってもんなんだからさ」

 おもむろに立ち上がった支倉姉は、過去の出来事をふき飛ばすように、大きく身体を伸ばした。

「痛ぁ・・・おかげで肩が軽くなったわ。これで今日こそはあの常連も捌けるような気がするぜ」

 不敵な笑みを浮かべる支倉姉。あの常連とは、あの常連のことだろうか。

「もう時間だな、帰るわ」

「ああ、お疲れ・・・気を付けてな」

「何だよ、心配してくれるのか?」

「それはそうさ、大切な部員様だからな」

「へっ、そう言う時はマブダチだから、だろ?」

 支倉姉は、憎たらしげにあかっかんべーをすると、扉へ歩み寄り、ドアノブを掴んだ。だがそこで、一旦動きが止まり、何故かこちらを振り向いた。

「・・・どうかしたか?」

「今思えば、あいつとお前って・・・」

 あいつとは、過去の友人の事だろうか。

「まったく似てないな」

 彼女はそれだけ言い残すと、勢い良く出ていった。

「何だ、そりゃ!!」

 一人なので、普段なら面映い、大声のツッコミをしてみました。

 それにしても、支倉姉の過去の友人とまったく似てないということは、真逆と捉えれば良いのだろうか。えっと、目がギラギラしていて、向上心の塊で、我が強いの真逆。つまりは、目が死んでいて、事無かれ主義で、自分が無いということか。あはは、それはまさに私じゃあないか。

「って、究極の没個性か!!」

 せっかくなので、もう一度ツッコミしておきました。部室に一人で本当に良かった。

      

 あっという間に金曜日、今日は幸坂さんに答えをもらわないといけないのだが、気が付くと既に、放課後の教室から姿を消していた。これは、仲直りをする意思は無いということだろうか。帰りの挨拶もしないほどに、彼女を追い詰めてしまったのだろうか。

 ぼんやりと佇んでいると、他の部員たちが今日は帰ると告げてきた。どうやら一人のようだから、今後の事は部室で考えることにしよう。

 そう考え、職員室へ向かった。扉を開けると、そこには年配の男性教諭にイビられる柘植教諭の姿があった。面倒そうなので、こっそり鍵を取ろうとしたが、あっさりと柘植教諭に見つかってしまった。

「あ、栗柄君! ちょうど良いところに・・・」

 突然、柘植教諭に肩を掴まれ、男性教諭の前に突き出されてしまった。

「教頭先生に、私の顧問としての活躍を教えてあげて!」

 なるほど、この男性教諭が荒廃した毛髪がQRコードになっていると噂の教頭か。そこそこ身長があるので、全貌が拝めないな。

「君が例の部活の部長かね? 君の部活動には校長を始め、多くの先生が興味を持っていてね。私としても、活動実態や柘植先生の働きについて興味があるのだが・・・」

 このなんとも高圧的で、嫌味ったらしい物言い、まさに教頭の見本のような人物である。これにイビられる柘植教諭は日々大変だろう。ここは一つ、助け船を出しておこうか。だから柘植教諭、私を盾にして隠れないでください。

「コホン・・・それはそれは、このような(得体の知れない)部活動にご期待頂き、光栄の至りであります。活動実態に関しては、前期の活動報告で御理解頂くとして、柘植教諭の顧問としての働きでしたか・・・そうですね、柘植教諭には常々、人生の先輩として教訓(つまり愚痴、主にあんたの)を御教授して頂き、まだ未熟な我々を日々指導してくださっておりますよ?」

「ほほぅ・・・柘植教諭が生徒に教訓を垂れる程の経験を積んでいるとは思えないのだが、それほど勉強になると?」

「確かに、柘植先生はまだお若い。教頭先生からすれば、まだまだひよっこ、学生に毛が生えた程度なのでしょう・・・ですが、自分の将来を近々までしか想像出来ない我々のような学生には、柘植先生くらいの方が、将来を想定し易いのです。我々が気にしている大学という場所や就職状況などの、鮮度の良い情報が得られるのですから」

「ふむ・・・・・・それは、一理あると言える。若いが良く物を考えているようだ、柘植先生もこのような生徒に恵まれているのだから、これからも一層精進するように」

「は、はい・・・」

「おっと、そろそろ部室へ行かないと・・・柘植先生の部員達が待っていますよ、それでは教頭先生、失礼致します」

 私は、教頭に一礼してから、柘植教諭の背中を押して、職員室を後にしようとした。

「・・・待ちたまえ」

 職員室を出る寸前、教頭から待ったを掛けられた。

「な、何でしょう?」

 まだ難癖をつけてくるつもりなのか。悪いが、疲れたぞ。

「・・・鍵を忘れているようだが?」

「鍵・・・ああ、これは失念していました。ありがとうございます」

 私は急いで鍵を取り、扉を出てから振り返った。

「それでは、失礼致します」

「うむ、活動報告を楽しみにさせてもらおう」

 笑みを浮かべながら、職員室の扉をしずしずと閉め、これでなんとか、教頭の攻撃から逃れることが出来た。振り向くと、真っ青な顔色の柘植教諭が、呆然としていた。

「ありがとうね、栗柄君・・・先生、助かったよ、あはは・・・」

「それは構いませんが・・・先生、あれはパワハラに該当すると思われますので、記録を残しておく必要があるかと」

「大丈夫、大丈夫・・・今の世の中どこも変わらないし、パワハラだって騒いだところで、職場の鼻つまみ者にされるだけだからね」

「・・・そうですか」

 世知辛ぇな、まったく。この先生は、三年間も耐えられるのだろうか。この薄氷を踏むかのような精神バランスと我らの部活は一蓮托生なのだから、放置も出来ない。いっそ、こちらで教頭の弱味でも握っておくか。

「それにしても、教頭を丸め込める人、しかも生徒がいるなんて驚きだよ・・・ホントに一年生?」

「あはは、ピチピチの高校一年生ですよ。ああいうタイプの方は、持ち上げながらこちらの意見を奏上するしか無いので、言ってることの大半が詭弁なんですけどね」

「・・・本当に十数年しか生きてないのかな?」

「後から生まれてくる我々が、先人よりも有利なのは、先人の経験を先人が費やした時間よりも短い時間で追体験出来るところにあります。フィクション、ノンフィクションに関わらず、人が書き上げた物を読めば、その数に応じて、経験を積んだことになるので、若い時分から経験則を身に付けられます」

「読書か・・・して来なかったなぁ」

「まあどうあれ、あのイビられ方は、嫌ですよ。お困りの際は、部員一同で援護させて頂きます」

「あはは、嬉しいな。先生冥利に尽きるけど、それも詭弁だったりするのかな?」

「酷いです、生徒として出来る限りの誠意を示したのに・・・」

「ゴメンね、ちょっとした冗談のつもりが!?」

「・・・まあ、合っているのですが」

「ええっ!?」

「顧問あっての部ですので、先生に倒れられるのは、我々にとっても死活問題なのです。ゆえに、我々がサポートするのは自明の理かと」

「ははぁ・・・栗柄君は小難しい言い回しをするね」

「敬語モードでは、言葉が小難しくなるのが、俺の悪いところですので・・・」

 部室に辿り着くと、柘植教諭が思い出したように口を開いた。

「そういえば、栗柄君は肩揉みが上手だとか」

「は? そんなこと誰から・・・いや、一人しか居ないか」

 支倉暁乃、口を封じておかねば。

「支倉さんが、体育の時間に教えてくれたの。肩が軽くなり過ぎて、頭おかしくなりそうだって」

 おかしい、ハイになるような効能は無いはず。

「つまり・・・その話を振ってくるということは、御所望ですか?」

「お願いしようかと~」

「はぁ・・・体育の成績にオマケしてくれるなら、構いませんよ?」

「まさかの裏取引!? それは流石にちょっと・・・」

「ですよね。分かりました、今回は特別に無償で良いですよ」

「は~い」

 柘植教諭には椅子にお座り頂いて、肩に手を置いた。そして驚いた、弾力性を失った肩の硬さに。ちなみに駄洒落じゃないよ。人間の肩はここまで凝り固まるのか。これでは頼まれるのも無理はない。私は戦々恐々としながら、肩甲骨付近の経穴に親指を合わせ、押し込んだ。

 これは相当痛いはずだ、柘植教諭のオーバーリアクションに備えていたが、反応が無い。痛みに強い質なのだろうか、そう思った次の瞬間、柘植教諭の頭が前にガクンと倒れ、私は咄嗟に、肩を掴んでいた手で倒れ行く身体を支えた。危なかった、もう少しで机に顔面を強打するところだった。ゆっくりと柘植教諭の頭を机に降ろし、まずは脈を計った。脈拍はある、正常だ。次に呼吸を確かめるべく、口元に手を翳すと、掌に呼気を感じた。どうやら、柘植教諭は寝入ってしまったらしい、あの一瞬で。

 推察するに、柘植教諭は本人も気付かぬほど、極度に気を張った状況だったのだろう。週末のせいか、教頭のせいか、理由は定まらないが、私が経穴を押したせいで、緊張の糸が解れ、一瞬うちに意識を持っていかれてしまったのではないだろうか。仮にそれが真実だとすれば、高校教諭とは、なんと心身に負担を強いる職業なのだろうか。本来気に掛ける必要の無い立場にある私だが、同情を禁じ得ない。

 だが、それを言葉にするのは無粋というものだろう。私に出来るのは、教諭の肩の凝りを少しでも解消しておくことである。

 肩中の経穴を押すこと、15分、なんとか正常と言える硬さまで戻すことが出来た。おかげで、こちらの腕と肩がパンプアップされてしまった。まあ、木の幹を親指で延々押し続けたようなものなので、仕方ないだろう。

 柘植教諭に起きる気配は無い。相当深い眠りに落ちているのだろう。しばらくは放っておくことにした。上座に座り、本を開く。だが、内容は読み進めない。代わりに、尾行少女の今後について考える。

 幸坂さんが拒否している以上、彼女には仲直りの余地は無いと伝えるしかないだろう。相当のショックを受けることになるだろうが、どうフォローしたものだろうか。いや、そもそもフォローなどする必要があるのか。結論だけ告げて、去ってしまえば良い。私には面倒を見る義務など無いのだから。だが、彼女には、泉さんと似た何かをしでかしそうな危うさがある。放っておくのは、禍根を残すことになるやもしれぬ。やはりここは、諦めがつくまで、説得するのがベストなのだろうか。

 そんな事を延々と考えていると、不意に部室の扉がノックされ、ゆっくりと開かれた。

「あ、あの・・・」

 こっそりと顔を覗かせたのは、誰あろう幸坂さんであった。もしかして、結論を伝えに来たのだろうか。

 私は立てた人差し指を口元に寄せてから、机に伏している柘植教諭を指し示した。幸坂さんはこちらの意図を察し、静かに頷いてくれた。柘植教諭を見やると、まだ寝息を立てている。

 私は席を立ち、こっそりと部室の外へ出た。ゆっくりと扉を閉めてから、ようやく幸坂さんと相対した。

「幸坂さん、帰ったのかと・・・」

「実は、駅まで帰ってました・・・少し、お時間頂けますか?」

 幸坂さんの要請に、私は頷き返した。

「もちろん・・・屋上で話そうか」

 一応、部室の鍵を閉めてから、我々は部室棟の屋上へと向かった。

「あの・・・寝てたのって、柘植先生でしたか?」

「そうだよ、週一ペースで様子を見に来るんだけど・・・相当疲れてたみたいだから、寝ちゃったのかと」

「そうなんですか・・・栗柄君は、信用されてたんですね」

「え、信用?」

「そうですよ・・・そうじゃないと、女性が男性の前で居眠りなんて出来ませんよ」

 確かに、居眠りとはある程度の信用が無ければ出来ないことだ。電車での居眠りは、日本でしか成立していないように、誰かが自分を害することなど無いという信用が当たり前に無ければ、出来ないことである。女性なら尚更、居眠りする危険度が高いので、より高い信用が必要になるだろう。幸坂さんはそういう事を言いたいのだろうが、あの時、柘植教諭はいきなり気を失ったので、信用うんぬんは存在し無かったような。

「そうだった、俺も男の端くれだったね」

「あの・・・栗柄君は素敵な男の子だと思います、よ?」

「あはは、ありがとう。何だか、照れるな」

 まだ男の子と呼ばれるとは予想外で、なんとも気恥ずかしい。そうこう言っているうちに、我々は屋上へと辿り着いていた。

 ここは転落防止の柵が張り巡らされているものの、生徒の喫茶スペースとして開放されていて、東屋のような場所と自販機が設置されている。

「何か飲む?」

 尋ねると、幸坂さんは遠慮しながらも、ホットココアと返答した。確かに、今日はなんだか冷たい風が時折り吹く。私も同じものを買い、東屋のベンチに隣り合って腰掛けた。そしてしばし、二人して正面に見える、斜陽に染まった校舎を、ココアを口にしながら、ぼんやりと眺めていた。

「・・・私、逃げたんです」

 幸坂さんが不意に、そう呟いた。どうやら、始まったようだ。

「・・・何から?」

「・・・藤香から、答えを出すことから、そして栗柄君からさえ」

 消え入りそうな声で、幸坂さんは言葉を吐く。教会で告白でもするかのようにしめやかに。彼女の語り口は、罪悪感に満ちていた。

「私は、気付いてたんです・・・藤香に悪気が微塵も無かったこと、彼女が良かれと思ってやったことだってことを・・・」

「・・・例の、アップロードされたってやつ?」

「はい・・・私は、隠していた趣味を、彼女にしか明かさなかったことを曝されたのだと思い、絶望しました。そして怒りのままに、事態を理解出来ていなかった彼女と縁を切りました・・・それからはずっと、苦しんでいます。彼女の性格を鑑みれば、その様な意図があるとは思えない。ですが、私は彼女の行動を認めることが出来なかった。悪気が無ければ、善意があれば、何をしても良いと私は認めることが出来なかった・・・私は藤香から逃げたんです」

 幸坂さんの独白は、実に人間らしい矛盾を内包していた。自分が善き事、相手が喜ぶと考えた事が、相手にとっては意味を為さない、最悪苦痛を与えるだけの場合がある。例えば、振る舞われた料理がアレルゲンだったとか、親に買って来られた服が気に入らなかった等の凡例と本質は同じだ。押し付けられる善意と覆せないアイデンティティとの衝突。それは、自我が確立した者が相対した時、必然的に発生する。

 幸坂さんは、全てが善意から始まったのだと言う。しかし、善意と言えど、好みで無ければ受け入れられるものではないのだ。

「過去は追い掛けてくる、そんな言葉を、仲直りを持ち出された時に思い知りました。割り切る為、ここへ来たのに・・・別の道を選んだのに! 簡単に割り切れないじゃないですかッ!!」

 激しい感情の奔流、堰を切って吐露されるは、溜まりに溜まった心の垢か。斬り込むなら、今だろう。

「・・・幸坂さんは、赦したいから苦しんでいるの? それとも赦したくないから?」

「っ・・・私は・・・赦し、たい、です」

「そうか・・・」

 赦したいのに赦せないと絶対に赦せないとでは、雲泥の差がある。幸坂さんは、赦すことを許せなかったのだ。

「なら、俺は出来る限りのことをしよう。味方するって言ったからね」

「・・・ありがとうございます、正直、仲直りはどうすれば出来るのか分かりませんが、向き合ってみます」

「ああ、その意気だ。さて、仲直りの意志があることは伝えるとして・・・何時、どこで、どうやって仲直りとするかを考えないと。幸坂さん、希望とかある?」

「えっと・・・なら、来週の月曜日にしませんか? もう、時間もありませんので」

「ん? ・・・ああ分かった、日時は来週月曜日の部活の後だとして・・・どう仲直りさせるか」

 前提条件は、尾行少女から謝らせることだろう。それも、どのような事で、幸坂さんをどのように傷付けたかについて詳細に。あとは幸坂さんがそれを受け入れれば良いのだが、赦しを許せない幸坂さんをどのように納得させるのか。答えを求めると、泉さんの言葉が脳裏をかすめた。報復して初めて、両者は対等に戻れる。幸坂さんが報復を行なえば、きっと赦しても良いと考えられるはずだ。ならば、二人きりが望ましいだろう。つまり、支倉姉流のタイマンだ。言葉でもって、殴り合って頂こう。

 考えた内容を伝えると、幸坂さんは文言に驚きつつも、私の意図を理解し、了承してくれた。

「あとは、場所ですね・・・」

「そうだなぁ・・・どこか二人きりになれて、多少は怒鳴り合っても大丈夫な場所かぁ・・・」

「・・・ここは、どうでしょう?」

「ここって・・・ここ?」

 私は床を指差した。つまりは屋上、この喫茶スペースのことかと聞き返した。

「はい・・・この時間帯なら、人も来ないでしょうし、校舎とも離れているので、大きな声を出しても大丈夫かなって」

「確かに、ネックは他校生を学校の敷地に入れるところだけど・・・そこは柘植先生に相談すれば・・・そうだね、場所はここにしよう」

「は、はい・・・」

 幸坂さんは頷いた後、真っ直ぐな目で、こちらを見据えてきた。

「・・・どうしたの?」

「いえ、その・・・栗柄君は本当に優しいなとか、想ってしまって・・・」

「え、俺が?」

「はい・・・本来なら、手助けする義理なんて無いのに、こうやって、親身になってくれましたから」

「いやいや、幸坂さんに何かあって、部活に支障が出て欲しくないっていう打算的な行ないだからね?」

「それを言っちゃうのはどうかと思いますが・・・でも、栗柄君の優しさは、お母さんみたいですよ」

「あぁ・・・あれ待って、それどういう意・・・」

 幸坂さんに言葉の真意を問い正そうとしたその時、遠くからチャイムの音が響いてきた。17時を報せる夕刻のチャイム。鳴る場所が遠く、部室には聴こえてこないので、感慨深いものがある。

「・・・あ、そろそろ先生を起こさないとマズイか。幸坂さん、戻ろうか?」

「はい、行きましょう」

 私たちが部室へ戻ると、柘植教諭はまだ寝ていた。幸坂さんに頼んで揺り起こしてもらうと、柘植教諭は目を擦りながら、ゆったりと上体を起こした。

「あれ・・・幸坂さん? 私は・・・寝てたッ!?」

 柘植教諭は椅子を弾き飛ばすような勢いで立ち上がり、急な動きに驚いて固まる幸坂さんの両肩をがっしりと鷲掴んだ。

「今、何時!?」

 表情を強張らせ、鬼気迫る勢いで問い掛かる柘植教諭。幸坂さんは完全に震え上がっている。

「ひっ・・・あ、あの、17時を少し過ぎたくらい、です!」

 幸坂さんの答えを聞き、一拍、柘植教諭はホッと息をついた。

「・・・良かった、まだ誤魔化せる時間だ」

「先生、幸坂さんを離してあげたらどうです?」

「あ、ごめん・・・」

 解放された幸坂さんは、腰が抜けたのか、その場に座り込んでしまった。

「ごめんなさい、幸坂さん。大丈夫?」

「は、はぃ・・・」

 返事はするものの、幸坂さんの顔から表情は消え、小刻みに震えている。とても大丈夫そうには見えない。

「・・・そ、そうだ、先生。肩の具合はいかがですか?」

「え? 肩? どれどれ・・・うわぁ、軽い! 翼が生えたみたいだよ」

「翼が生えていたら重そうですけど・・・良かったです。肩揉みが効いたみたいですね」

「これは癖になりそうだね~。またお願いしちゃおうかな?」

「はい、お安くしときますよ?」

「お、お金取るの?」

「今回はサービスです。生徒に無償で肩揉みさせる顧問というのもあれでしょう? お金はいりませんが・・・成績に色をつけるとか、良い箇所を過大評価していただくとか?」

「相変わらず、平然と裏取引持ちかけてくるな、君は?」

「あはは、体育への意欲が無いので、お願いします」

「問題発言じゃないかな? まあ、休まず数値だけ出しておいてくれれば、悪いようにはしないと言っとこうかな?」

「ですよね~。それでは、私たちは帰るので、今日のところは鍵を戻しておいてもらえませんか?」

「了解、お安いご用だね」

 私は、座り込んでしまった幸坂さんを助け起こし、彼女を支えながら、部室を出た。それから、扉を施錠し、鍵を柘植教諭に託した。

「はい、確かに。二人とも、不純異性交遊は程々にね?」

「はぁ・・・女性に手を貸すのも不純異性交遊とは、まったく世知辛いご時世ですね」

「どこぞの英国紳士かな、君は・・・じゃあ、私は仕事があるから、二人とも気を付けて帰りなさいね」

 そう言い残し、走り去っていく柘植教諭。体育教師らしいが、廊下を走ってはいけませんよ。そういえば、学校に他校生を入れる件と、頬に痕がついていた事を伝えそびれてしまった。まあ、いっか。

「さてと、幸坂さん大丈夫?」

 私の左前腕に両手を置き、幸坂さんは、初めて立ち上がった幼児の如く、ぷるぷると足を震わせている。

「す、すみません・・・本当にびっくりしてしまって・・・腰が抜けるって、こういう感じなんですね」

「あはは、大変だったね・・・一人で歩けそう? それともおぶって行こうか?」

「だ、大丈夫です、歩きます。そうじゃないと、鼓動が収まりませんから・・・」

 幸坂さんは呼吸を調えると、なんとか一人立ちすることが出来た。

「よし、じゃあ帰ろうか?」

 こうして、幸坂さんを気遣いながら、私は下駄箱へと向かった。その道中、ある言葉が浮かび、何気なく呟いてしまった。

「・・・逃げても、良いんじゃないかな」

「・・・え?」

 それは、幸坂さんへのアンチテーゼ。今になって、励ましの言葉が出てきたらしい。それか、ただ単に、持論を展開したいだけかもしれないが。

「俺は、逃げたいなら逃げて構わないと思う。だってそれは、力の温存だからね。絶対に譲れないものがある、そんな時の為に温存しておくんだ」

「・・・絶対に、譲れない、もの・・・」

「譲れない時、人は自然と立ち向かうもの。何でもないようなところで燃え尽きてしまうなら、逃げられなくなるまで逃げちゃえば良いかと」

「・・・もしかして、励ましてくれてますか?」

「どうかな? 逃げる事が悪のように仰有るので、反論したくなったのかも。そもそも、古来より逃げ際を心得た将こそが勇将であり、無駄な犠牲を出さないことが後の決戦に勝機をもたらすのであって・・・どうやら、幸坂さんは間違ってなかったと言いたいみたいだ」

「・・・ふふ、ありがとうございます。少し解り難いところは、ご愛嬌ですね?」

「あはは、それは申し訳ないな・・・えっと、前にも言ったけど、貴女の逃げ場所エスケー部なわけだから、皆何かしらから逃げてきたわけで・・・」

「・・・同じ穴の貉?」

「それだ! 我らムジナーズだから」

「ふふ、可愛らしいです・・・栗柄君は、励ますのが苦手みたいですね?」

「そうみたいだ、貶すのは得意なんだけど」

「それは・・・笑えませんね」

 帰り道、幸坂さんは目を合わせてくれませんでした。別れ際、冗談だと笑ってくれたので良かったです。

エスケーブ #6

 特段何もなかった土曜日は飛ばして日曜日、先週のように書店のスポーツコーナーへ行くと、あの尾行少女が同じように本を立ち読みしていた。

「どうも」

 声を掛けると、尾行少女は弾かれたように振り向いた。

「ほぉっ・・・何だ、師匠かぁ」

 そして、露骨にホッとされた。

「・・・待って、今何て? 師匠?」

「ん? ええ、含蓄のあるお言葉を戴いたので、敬意を込めて師匠と呼ばせてもらおうかと」

「・・・何でそうなる?」

「お言葉を戴いてから、周りに変わったねと言われ、友達も増え、テストも好調でした!」

 いかがわしい通販のサクラみたいだな。よっぽど周囲に明け透けがなかったのだろうな。

「それは何よりで・・・でもな、同級生の女子に師匠と呼ばれる男子高校生の気持ち、考えたか?」

「はい、まんざらでもないかと!」

 よくもまあ臆面も無く、はっきりと言い切るものである。

「いや、普通の男子高校生なら、そうかもしれないが・・・」

「はい、師匠の場合、別になんとも思っていないと考えます!」

 貴女の師匠は冷徹だね。まあ、否定できないのが悔しいけれど。

「何でも良いけど、ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」

「はい、何ですか?」

「名前、聞いてないんだけど」

「おお、申し遅れました、私の名前は白井藤香(しらい とうか)です」

 藤香、幸坂さんの言っていた名前と一致する。同一人物と考えて良いだろう。

「なるほど、それじゃあ結果を伝えよう。ここは迷惑だから、向こうの休憩スペースに行こう」

「ちょっと待ってください! 師匠の名前を聞いてないです!」

「ああ、えっと・・・幸坂さんと仲直りしたら教えるよ。出来なかったら、知る必要も無いからな」

「確かに・・・はっ、という事はつまり、結実は!?」

「仲直りする意志があるそうだ・・・条件は多々あるが」

「やった・・・感無量です!」

「喜ぶのは早いし、書店で騒ぐんじゃあない。話を詰めるから、移動するぞ」

 私たちはエレベーターホールに程近いベンチへと移動した。

「あんたが幸坂さんと会うのは明日の放課後、場所はうちの部室棟の屋上だ」

「えっ、明日!? というか他校の中ですか・・・ハードル高いですね」

「ああ、乗り越えてみせろ」

「なんと無慈悲な試練! 不肖弟子頑張ります!!」

「いい加減キャラが崩壊しているぞ・・・それより、幸坂さんにしでかした事、考えてみたか?」

「はい、一応・・・どう考えても、あれしか無いかと」

「あれって?」

「結実が作ったぬいぐるみ、ネットに上げたのがマズかったのかな~って」

「まあ、そうだろうな。何でマズかったと思ったんだ?」

「絶交されたのが、その事を伝えたすぐ後で・・・事後報告だったから、怒ったのかと」

「許可を取らずに画像を上げるのは言語道断だろうに。浅はかとしか言い様が無いな」

「だ、だって・・・結実のぬいぐるみ、ほんとにクオリティーが高くて、皆に自慢したくて」

「はぁ・・・考えてみろ、例えば、変顔が面白過ぎると、誰かがあんたに無断で、その画像を上げていたとしたら?」 

「さすが師匠、リアル過ぎる例えを・・・嫌です、というかタダじゃ措きません」

「簡単に言えば、あんたは今の例えと同じことをしたんだよ。見られたくないこと、知られたくないことを発信されたら、相当なショックだろうな?」

「はい・・・浅はかでした」

「さらに、あんたに向けていた信用分も加算したダメージだ。そりゃ人間不信にもなるだろうな」

「結実が、人間不信?」

「いつもどこか、人と関わることを恐れている。そして、どこまでも自分をひた隠す。同じ轍を踏まないように。それは辛く苦しい日々だったろうな」

「うっ・・・私だって、ずっと苦しかったです。何で絶交されたのかも判らなくて、ずっと心に棘が刺さっているようで・・・授業中、眠れませんでした」

「良かったじゃん」

「冗談です、笑ってください師匠! 目が死んでますよ?」

「判ってる、はしゃいでるんだな? 喜ぶのは早いと言ったろ、幸坂さんに会ったら、ただひたすら謝れ。そしたら、報復があるから」

「報復ッ!?」

「仕返しだよ。仲直りはそれからだ、甘んじて受けるように」

「はい、師匠・・・」

「師匠、師匠言うから、話し方が寄っちゃったけど、そういう事だから。放課後に校門まで迎えに行くか?」

「あはは・・・お願いします」

「はい、素直でよろしい。じゃあ、また明日」

 用を済ませた私が、立ち上がろうとすると、白井に袖口を掴まれてしまった。

「・・・どうした?」

「その・・・景気付けにパッフェが食べたいのです」

「・・・食わせろと?」

「いえ、違います、見くびらないでください・・・ただ、一人で食べているのは恥ずかしいので、相席お願いします」

「・・・はぁ、分かったよ、この前のところか?」

「はい、ありがとうございます!」

「今回だけだからな・・・次は、幸坂さんと来れるように、頑張れよ?」

「あっ・・・はい!!」

 その後、大層美味しそうに食べやがるもんですから、私もパッフェを注文しました。

      

 明くる月曜日、いよいよ今日は幸坂さんと白井のタイマンの日である。朝から幸坂さんは、どこか地に足がついていないような感じだった。実例としては、よく段差に蹴躓いていたことだろうか。放課後、今日は泉さんが部活に来るそうなので、私は今日休むと伝えた。

「珍しい事もあるのね」

 そんな皮肉めいた台詞を残し、泉さんは去っていった。何だかんだ、部長の宿命を代行してくれるのだから、ありがたい。

いつものメンバーと別れたところの幸坂さんと相談し、彼女には先に、屋上の喫茶スペースに居てもらうことになった。それから、泉さんが鍵を取り終えた頃を見計らって、職員室へ赴き、柘植教諭を捕まえた。

「他校の生徒を校内に入れたい? あぁ・・・判るかな、職員用の昇降口の方に、受付があるから、そこで来校手続きをしてもらえば大丈夫なはずだけど・・・問題だけは、起こさないでね? 教頭先生に怒られちゃうから」

 柘植教諭に礼を言い、私は校門へと向かった。そこには既に、セーラータイプの制服を纏った他校生が、所在無さそうに小さくなって待っていた。

「悪い、白井。待たせたな」

 声を掛けると、白井は金属異音が聞こえてきそうな程、ぎこちなく振り返った。

「こんにちは、師匠。待ってましたよ・・・」

 白井の顔色は、どこからどう見ても青ざめている。緊張しているのだろうか、これから宿願に挑むのだから無理もない。

「行こうか、幸坂さんが待ってる」

 彼女を連れて、職員用の昇降口へ向かい、来訪理由は適当にでっち上げて、受付を済ませた。意外と時間を取られてしまったので、急ぎ足で部室棟へと向かう。その道中、白井が溜め息まじりに口を開いた。

「さすが私立、立派な部室棟だなぁ・・・そういえば、結実と師匠って何部なんです?」

「あぁ・・・SE部だ」

「え、エス・・・? 何をする部活なんです?」

「そうだな・・・端的に言えば、何もしない部活だな」

「なるほど・・・頓知ですか?」

「ああ、そうかもな」

 SE部とは何か、それは私にも説明し難いものがある。部員の皆は、周囲にどう説明しているのか、興味が湧いてきた。それからまもなく、私たちは屋上手前の階段踊り場に辿り着いた。

「この先で、幸坂さんが待っている。準備は出来てるか?」

「ウッス・・・あの、師匠は一緒に?」

「いや、二人きりで会ってもらう。俺はここまでだ」

「そっか・・・分かりました、行ってきます」

「ああ、行ってらっしゃい。謝り倒してこいよ」

 私は階段を降りていく素振りを見せながら、不安そうに振り返る白井を見送り、姿が見えなくなってから、急いで屋上への出入口まで駆け戻った。付き添わないが、様子は見守っているつもりだ。腹這いになり、こっそりと出入口の下部から顔を出して、東屋の様子を窺った。どう贔屓目に見ても不審者なのは、遺憾ながら認めよう。

 東屋へジリジリと近寄る白井、そしてそれに気付いていないのか、幸坂さんは俯いたままである。程なくして、白井が片手を上げ、声を掛けた。しかし、何を言ったのかは、こちらからは聞き取れない。おそらく名前だろうが、やはり屋外では話している内容が聞き取れない。集音マイクでもあれば楽なのだが。仕方がないので、懐から双眼鏡を取り出し、読唇術で会話をキャッチすることにした。引きと寄りを駆使して、状況を把握するのだ。

 まず白井の接近に気付いた幸坂さんが顔を上げた。それから白井が幸坂さんの目の前まで歩み寄り、いきなり90°まで頭を下げた。幸坂さんは面食らっているが、唇の動きを見る限り、予定通りに白井が謝罪を始めたようだ。しばらくして、白井の唇の動きが止まった。目立った失言も無く謝罪し終え、幸坂さんの反応待ちなのだろう。

 幸坂さんの方は、じっと白井を見据えたまま、動かない。まるで裁定を考える閻魔大王の如くである。さて、次に予定されているのが、幸坂さんによる報復タイムなのだが、どのような事をするのか。ビンタ、往復ビンタ、顔面への膝蹴り、後頭部への踵落としに回転ソバット。駄目だ、アグレッシブなものしか思い付かない。

 そしてついに、幸坂さんが立ち上がった。頭を下げたままの白井に近付き、何事か呟いた。顔を上げて、そう言ったと思われる。これはビンタだろうか。言葉に従い、白井が顔を上げる。それに呼応して、幸坂さんの右手が動く。その右手は白井の頬の横を通り過ぎ、額の前で止まった。まさかと察した瞬間、幸坂さんがデコピンを放った。デコピンとは盲点だった。それは白井も同じらしく、豆鉄砲を食らったハトポッポである。ここからは未知のやり取りになるので、読唇術に集中しよう。

「藤香・・・何で、栗柄君を巻き込んだの?」

「栗柄・・・君?」

 南無三、名前を教えてなかったせいで会話に齟齬が発生してしまった。察せ、察するんだ、巻き込んだの部分で私の事だと。

「あ、ああ、それは・・・」

 なんとか察することは出来たようだが、答えあぐねている。そんな白井の額にもう一発、デコピンが見舞われる。

「それは、一人じゃ仲直りは無理だと思って・・・あの時も何度も謝ったけど駄目だった。もう、どうしたら良いのか判らなくて・・・そしたら偶然、結実と一緒に歩くその、栗柄君? を見掛けて、チャンスかもしれないと」

「・・・一人じゃ出来なかった?」

「私は、馬鹿だから。ずっと怒らせた理由が解らなかった。あの人に叱られて初めて、自分がどれだけ結実に甘えてたか気付けたよ・・・私、変わるから、親友に戻ろうとも言わないから、また友達になってくれませんかッ!」

 いつの間にか、白井の目から大粒の涙が溢れていた。それを冷静な表情で見据えていた幸坂さんは、もう一発デコピンを打ち込んだ。これは赦せなかったのか。私が焦りを感じた次の瞬間、幸坂さんはそっと白井を抱き締めた。幸坂さんの頬にも涙が伝っている。

「うん・・・知ってたよ、藤香がどれだけ向こう見ずだったのか。大抵の事は赦せたけど、あの時のは駄目だった。怒っていたのもあるけど、簡単に赦したら、藤香はずっと変われないと思ったから・・・結構、陰口叩かれてたんだよ?」

「知らなかった・・・でも今は、仕方ないと思う。酷かった、私は」

「信用、裏切ったこと・・・私は赦せない。赦したいけど、赦せない。もし、それでも良いなら、仲直りしてほしいな・・・駄目、かな?」

「駄目なはずない、お願いしているの、私だよ? 赦されなくても良いから、友達で居てほしいよ」

 それから二人は、抱き締め合いながら、ただ泣きじゃくり始めた。赦せなくても、赦されなくても友達で居たい、か。私には体験の無い感情だが、どうやら仲直りは出来たようだ。さて、お節介はここまでにしておこう。双眼鏡を懐に戻したその時、腰部に衝撃が走った。具体的に言うと、蹴られたようだ。

 教師に見つかったのか、言い訳を三通りほど考えながら振り返ってみると、もっとヤバイ方が居た。

「・・・こんな所で、何をしているのかしら?」

 泉さんだ。

「ああ・・・どうも」

「珍しく帰ったと思えば、覗きとはね。明日からは・・・あら、泣いているの?」

「え?」

 頬に触れてみると、濡れていた。

「感涙ってやつかな・・・良いものを見たから」

「・・・ふぅん」

 泉さんも昇降口から顔を覗かせ、屋上の様子を窺った。

「・・・よく見えないわ。栗柄君、双眼鏡」

「えぇ・・・はい」

 私が渋々双眼鏡を取り出すと、泉さんはそれを引ったくった。

「あれは・・・幸坂さん? 誰かと抱き合っているようだけど・・・なるほど、幸坂さんにはそっちの気が」

「ん? どうかしたか?」

「それを見て感涙するということは、栗柄君にはそういう癖があるということに・・・」

「待って、何か誤解されている気がする! 説明させてください!!」

 斯々然々と事の経緯を説明し、泉さんも納得してくれた。

「なるほど、それで・・・貴方のここ最近の言動、行動の理由が判ったわ」

「良かったよ、いらぬ誤解を受けずに済んで」

「つまり私は、あの子の罪まで被せられていたというわけね」

「罪って・・・ああ、尾行の件か」

「冤罪だと主張したのに、貴方は信じなかった」

「まあ、泉さんは限りなく黒に近いグレーだから・・・謝るよ」

「謝罪が欲しいわけではないわ。欲するとしたら、そうね・・・あのナイフを返してもらえないかしら?」

「ああ、あれ? 断る。そもそも、罪は犯しているのだから、譲歩する義理は無い」

「あら、残念・・・それでは、私は失礼するわ」

 特に残念がる様子もなく、双眼鏡を私に押し付けると、泉さんは去っていった。意図は不明だが、彼女の場合、一挙手一動足に意味があるようで、気が抜けない。彼女が帰るということは、既に17時を回っているのだろう。気付かなかったな、チャイム。さて、私も退散せねばと起き上がり、制服についた汚れを叩き落としていると、屋上から戻ってきた幸坂さんと白井と鉢合わせてしまった。

「師匠!?」

「栗柄君!? え、師匠?」

「ああ・・・仲直りおめでとう、二人とも」

「師匠、見てたんですか?」

「あぁ、うん・・・ちょっとね、心配で」

「は、恥ずかしいです・・・」

「さすが師匠、やっぱり弟子が心配だったんですね・・・そうだ、仲直りを記念して、私たちに訓辞をください!」

「はい? いきなり訓辞とか無茶ぶり・・・そうだな、まずは弟子、貴様からだ」

 すみません、悪ノリし易いのが私の悪いところ。

「はい、師匠!」

「貴様はアホみたいに素直な奴だ。その素直さ、実直さは武器になるが、隠す必要はあれ、直す必要は無い。今までは素直さという剥き出しの刃物を振り回していたようなものだ。笑顔で包丁振り回してくる奴、嫌だろ?」

「はい、嫌です!」

「なら、鞘に納めておくんだな、必要になるその時まで」

「はい、肝に命じます!」

 楽しんでるな、こいつめ。

「それから、幸坂さん・・・」

「は、はい・・・」

「幸坂さんには、ここへ来たことを後悔しないで欲しいかな」

「あっ・・・」

「どうせ仲直りするなら、同じ高校に行けば良かったと思うかもしれない。でも可能なら、これからも一緒に部活の維持を手伝って欲しいなって・・・はい」

「も、もちろんです! あまり役に立ちませんが、これからもよろしくお願いします!!」

 幸坂さんは、今は懐かしきあのヘッドバンキングの様なお辞儀をかましてきた。それを見て、私は苦笑し、白井はケラケラと爆笑した。

「あ~懐かしいや・・・私こそ、ここに来ていれば良かったな~なんて。師匠も、私が居ないと寂しいのではありませんか?」

「いや・・・全然」

「酷いッ!? 結実との扱いの差が激し過ぎる。これが格差社会か!」

「いや、言ったろ? 俺は完全に幸坂さん側だって」

「少しはかまってくださいよ~!」

 腕にしがみついて来ようとする白井を片手で制しながら私は冷笑し、幸坂さんはコロコロと鈴鳴りの様に笑った。

「さて、そろそろ帰るか」

 こうして、尾行少女白井が持ち込んだ仲直り事変は解決した。これでやっと、穏やかな日々がやってくる。そう、私は信じていたのに。

      

 仲直り事変の翌日、私は衝撃の事実を知ることになった。

 なんと、今日から中間試験一週間前であり、試験が終わるまで、全部活活動停止なのだそうな。ゆえに、幸坂さんが仲直りを急いだのだと今さら知るのであった。ともあれ、まずは教室の個人ロッカーに放置している教材を持って帰ることから始めねばなるまい。ちなみに、ロッカー内には常に体操着が一着ストックされているぞ。

 さて、中間試験は五科目、まったく対策をしていなかったが、大丈夫だろうか。そんなドギマギを抱えながら、あっという間にテスト期間の2週間が過ぎていった。

 テスト返しに費やされた、5月最終週の火曜日。我々は久方ぶりに、部室に勢揃いしたのであった。それには理由がある。部員に赤点、つまり補習対象者が出ると、特に罰則は無いが、学校側の部活への心象が悪くなるからだ。なので、このような日には、部内で点数確認をするのが伝統になっていると、私の悪友グループから教えられた。そういえば、彼らは、戦々恐々としていたな。

「え~皆さん、とりあえずテストお疲れ様です。お忙しい中、明良君も来てくれているので、さっさと点数確認して、解散したいと思います。では先ずは、キャラ的に点数が心配な暁乃からお願いします」

「いきなり失礼だな、てめぇ!?」

 支倉姉は、机を叩いて立ち上がり、私の首を絞め上げてきた。

「お、おい・・・明良は、急ぐんだろ? 協力しろよ」

「ちっ、覚えとけよ・・・」

 悪態をつきながら、提示したテスト用紙を確認していくと、少し意外な結果が判明した。

「おお、全部平均点以上だ・・・」

「悪いかよ、こちとら補習なんて受けてる暇なんて無いんだよ」

「ほんと根は真面目なんだよな・・・根は」

「おい、何か言ったか?」

「いいえ、何も。次、手堅そうな明良と幸坂さん、同時に行っちゃいましょう!」

 二人の提示した結果は、ほぼ平均点の一回り、二回り上の点数であった。

「さすが手堅い。安定感のある点数、見習いたいですな。それじゃあ、次は・・・」

 泉さんを指定しようとしたその時、支倉姉がそれを制止した。

「時間が無いんだろ? お前らも同時に出していけよ。対戦形式みたいにさ」

「ええ・・・別にそんなことしなくても」

「つべこべ言うな、まずは現国からな!」

 泉さんを見ると、肩を竦めてはいるが、解答用紙を構えている。意外と乗り気の様だ。

「せーの!!」

 支倉姉の掛け声に合わせて、我々は解答用紙をカードの如く、机に提示した。その結果に部員一同、絶句していた。

「98に・・・100?」

 威勢の良かった支倉姉が、ヘロヘロと力無く着席した。ちなみに、98が泉さんである。

「・・・負けた」

 泉さんは、ぼそりと呟き、私を一睨みしていった。どうも負けず嫌いの傾向があるな、彼女には。

「さて暁乃、次は?」

「あ、ああ・・・じゃ、英語で」

 その結果は、100対92で泉さんに軍配が上がった。見てみると、どや顔をしてやがった。

「おいおい、何だよこのハイレベルな戦いは!? 次、次いくぞ!!」

 支倉姉の絶叫と共に対戦は続行され、次の歴史は、95対100で私の勝ち、続く化学は95対95で引き分けた。そして、残すは数学のみとなった。

「なんて接戦なんだ・・・あたしがドキドキしてきたな。まずは、泉からだ!」

 泉さんの数学の点数は、98であった。

「あはは、なるほどな」

 泉さんの点数を見て、私は思わずニヤついてしまった。

「これは勝敗が決したな」

 思わずそう発言したくなる答案を、私は開示した。

「50点だ」

 その瞬間、部室内にはどよめきが走った。

「きょ、極端過ぎるだろ~!?」

 支倉姉は、腹を抱え、足をバタつかせながら、大爆笑した。

「・・・人には、得意不得意があるが、ここまで落差があるものだとはな」

 支倉弟は神妙な面持ちで、点数を眺めている。

「い、意外というか・・・赤点ギリギリですね」

 赤点ボーダーは45点以下、幸坂さんはもはや、失笑していた。

「あら、本当に勝負が決したのね」

 泉さんは小さく微笑み、私だけに見えるようにガッツポーズをこっそりと決めていた。

「ああ、数学は大の苦手なんだ。ひとまず、赤点じゃなくて良かった」

「ははっ、さすが栗柄だな。予想出来ないオチだぜこれは」

 支倉姉が笑い過ぎでヒーヒー言いながら、肩に手を置いてきたので、払い除けてやった。

「喧しいぞ・・・さて一応、全員赤点はいないみたいだな。というわけで解散!」

「あ、あたしより、低いとか、あははッ・・・くはッ!?」

 もはや呼吸困難に陥りそうな支倉姉を、弟が背中を擦りながら、退室していった。

「私も、今日は失礼しますね」

 幸坂さんも一礼してから、部室を後にした。白井と仲直りしてから、心なしかハキハキと話すようになった気がする。

「は~い、お疲れ~」

 そんな彼らを手を振りながら見送り、何故か帰らない泉さんに目を向けた。こちらを見て、ニヤニヤとほくそ笑んでいる。

「・・・何?」

「いいえ、貴方も部長らしく成ったものだと思って」

「一応、間借りなりにも部長だからな、それらしくは振る舞うべきだろう?」

「ええ、そうね・・・それでも、そのパフォーマンスはやり過ぎではないかしら?」

 泉さんは顎で、私の数学の答案を示した。

「・・・パフォーマンス?」

「・・・え?」

「数学的な思考は好きなのだが・・・なぜか問題を目の前にすると思考が停止してしまうんだ」

「そ、そう・・・それでも、支倉さんよりは上であってもらいたいわね。さもないと彼女、笑い死ぬことになるわよ」

「そうだな・・・俺もこのままではマズイと反省していたところだ。次はまともな点数にしておく、暁乃に負けたのは悔しいし」

「ええ、よしなに・・・」

「それで、そんなお節介を言う為に残ったのか?」

「いいえ、違うわ・・・そろそろ、我慢が出来なくなってきたの」

「・・・何だ? 奇声を発しながら、夕陽に向かってランアウェイしたいのか?」

「はぁ・・・解っているくせに、わざと焦らすのが好きなのかしら?」

「回りくどいからだよ、はっきり言いな」

「・・・そろそろ、貴方を殺したいのだけれど?」

 泉さんは、至って平然とした面持ちでそう呟いた。

「・・・あれから一ヶ月も経ってないじゃないか、あんたの衝動はそんな強いのか? 貴重な2回目だぞ?」

「いえ、今回は別の衝動、思い付いた方法を試してみたいの」

「辻斬りかよ」 

「安心して、検証よ。通用するか否かで、最終アタックを慣行するつもり」

「まったく、人を着実に攻略しようとするんじゃないよ」

「あら、不満そうね?」

「当たり前だろ・・・最近は、この部の空気も悪くないものになってきたからさ、泉さんもそれに当てられてないかなって、期待してたもんでね・・・」

「・・・影響が無いと言えば、嘘になるわね。今は、かつて無いほどの充足感を得ているせいか、私の衝動にも変化が生じてきたもの」

「・・・変化?」

「ここへ来たばかりの時の私は、感情を抑圧することに辟易していたの。感情のままに、気に入らない人間を消してしまいたかった。貴方たちに声を掛けたのは、ただ楽をすることばかり考える、存在に値しない人種だと判断したから」

「なんとまあ・・・酷い言われ様だこと」

「誰でも良いから、消してしまいたかった。誰かの息の根を止めれば、私はこの世から解放されると考えていたから。この、息苦しい世界から、一刻も早くね・・・貴方を選んだのは、私と対しても一歩も引かなかったから。面白いと思ったの」

「選ばれた理由、テキトーだぁ・・・」

「私には、簡単に人を殺せる術があった。息をするように、唐突に、当たり前に。貴方を冷たい固まりに出来たはずなのに・・・面白くない?」

「あはは・・・笑えないぞ、この野郎」

「貴方は立ちはだかる壁。それを避けては通れない。だって、悔しいもの」

「はぁ・・・要約すると、通り魔的犯行から計画的犯行に変わったと?」

「ええ、そうね」

「それは面白い、刑期が段違いだ」

「もう他を狙うつもりは無いわ。必ず貴方を仕留めてみせる」

 ほんと、綺麗な眼をしやがって。呆れるほど真っ直ぐな殺意に、私は嘆息するしかなかった。

「はぁ・・・先にストレスで死んじゃいそうだ」

「それは大変、私も困るわ。なんなら、ストレス解消法でも調べておきましょうか?」

「それを、ストレスの元凶に言われてもな・・・」

「なら、死ぬ前に殺してあげる」

「はぁ・・・いっそのこと、さっさと三回終わらせて、改心させた方が楽なのか?」

「では、早速だけど・・・あら?」

 泉さんは、言葉を途中で切り、扉の方を注視した。私も、それに釣られて扉の方に意識を向けると、ある事に気付いた。

「・・・足音?」

 この時間、部室棟のこの階に居るのは、我々くらいなものと調べはついている。ゆえに、物音は少なくて足音が捉え易く、その大体が我が部への来訪者だと察しがつくのだ。それは泉さんも承知なようで、視線を送ると、頷き返してきた。ほんと、共犯の様である。

 談笑しているのも変なので、私は本を、泉さんは携帯を取り出して、各々夢中になっている芝居を打った。そして、足音は扉の前で止まり、ドアノブがいきなり回された。あれ、この登場、既視感があるぞ。

「こんちゃっ~す!!」

 現れたのは、お世話になった軽音部の先輩であった。名前は確か、木偏が全てに入っていた、そう樗木先輩だ。私の脳裏に、先日のキャトルミューティレイションの件が過り、少し警戒しながら、先輩に話し掛けた。

「樗木先輩!? どうしたんですか、急に?」

「やあやあ部長くん、元気してたかな? テストは大丈夫だったかな?」

「あ、はい、どちらもオールグリーンです・・・じゃなくて、樗木先輩、今日も生徒会の用事ですか?」

「え? ああ、違う、違う。今日はちょっと個人的に気になったことがあって、来たのだよ」

「はぁ・・・何でしょうか?」

「それはだね、部活の活動報告書ってあるじゃない? あれの提出日って文化系の部活は6月の始めなんだけど・・・知ってた?」

「・・・え?」

 一瞬、頭が真っ白になった。先輩の言っていることは理解しているが、心が動揺している。当たり前のように7月末だと思っていた。そう決め付けて、確認していなかった、不覚。

「・・・すみません、初耳です」

「おお、良かった~。用紙は今日から生徒会にて配布でね。私は取りに行こうとして、もしや部長くん知らないかもと思って、ここへ来た訳なんだけど・・・一緒に行くかい?」

「はい、ぜひ!」

 私は二つ返事で、先輩の誘いに乗った。生徒会室へ行くと、書記殿から当たり前のように活動報告書の用紙を手渡された。さりげなく、活動報告書の提出が遅れたらどうなるのか聞いてみると、不提出として、既存の部活は休部に、新設の部は廃部に処されるのだと言う。知らずに不提出となっていたら、うちは廃部の憂き目に遭っていたのだ。樗木先輩の閃きが無かったらと思うと、鳥肌が立つ。

 私は、樗木先輩に丁重に感謝の意を伝え、今度お礼の品を持って挨拶へ行くと約束した。先輩は、気にする必要は無いと笑いつつも、それならぜひお菓子をと、ちゃっかり所望してから、練習があると走り去っていった。先輩、廊下を走ってはいけませんよ。むっ、これにも既視感があるような。そんなこんなで、部室へ戻った私は、まだ残っていた泉さんに、努めて笑顔で問い掛けた。

「おい、どういうことだ?」

 この問いには、活動報告書に関しては泉さんに一任していたがどういうことなのか、そういった憤怒が込められている。

「・・・どうやら、真実を話す必要があるようね」

「・・・真実?」

「ノープランなの」

「・・・何が?」

「活動報告に関して、私の中にプランが無いのよ」

「・・・つまり?」

「書くことが何も思いついていない。そう言えば、解るかしら?」

 解った、ゆえに、私は膝から崩れ落ちた。そんな無慈悲な事があるだろうか。突然、提出日が来週と知ったのみならず、内容がまさかノープランだとは、あまりに無慈悲。

「ノープランって・・・じゃあ、パソコンで何してたんだよ!?」

「ゲームよ、牧場経営の」

「何で、ゲーム!? というか、やってたのが血生臭いものじゃないのが意外だよ!」

「楽しいわよ、牧場?」

「そうじゃないんだよ、カウガール? 部を存続させる約束はどうしたんだよ!?」

「ええ、だから色々と考えたのだけど・・・思い付かないの。そもそも、活動なんてしてないのだから」

「あんたが、そのように、作ったんだろう!?」

「ええ・・・でも、あの時は誰かを殺して解散、という計画だったから、こじつけで作ったの。続けるなんて、想定していなかった」

「なん、だと・・・」

 絶句とは、これこの事である。

「何で、どうして・・・今まで黙って・・・」

「時間がある内は、自力で解答を導き出そうと思っていたの。でもまさか、提出日がここまで近々だったとは、知らなかったわ・・・」

 泉さんも、私と同じミスを犯していたというわけか。ノープランの件も、丸投げしていた私にも非があると言える。カッコ悪い事を言えば、泉凛撞、もう少し出来る奴だと思っていたが。

「・・・どうあれ、今週中に仕上げなきゃいけない。とりあえず、明日から全部員に話を聞いて、ヒントを探すか・・・ああ、それと、今は緊急事態だから、殺しに掛かるのは禁止だからな!」

「それは、残念ね・・・」

 明らかに、落胆の色を見せる泉さん。萎らしい仕草は初めてみたが、同情の余地は無い。

「とにかく、今週は報告書の完成を最優先にするから。泉さんも毎日来てもらうからな?」

「あら、何故私だけ?」

「当然だろう、部活の運営は大丈夫だからと幸坂さんや支倉姉弟を引き込んだのは、俺たちなんだから・・・約束したんだ、掌を返すような真似はしたくない。それに、二人の方がディスカッションで考えが纏まり易いかもしれないし」

「なるほど・・・分かったわ。栗柄君に指図されるのは心外だけれど、部の存続は私と貴方のデスゲームを続ける条件ですものね。臥薪嘗胆の心持ちで、協力させてもらうわ」

「ツッコミ所はたくさんあるが・・・今回は時間が無い、主導権は俺が握らせてもらう。サポートに徹してくれるとありがたい」

「ええ、お手並み拝見と行きましょうか」

 泉さんにも面談すると伝え、今日はこの辺で解散とした。

 前触れも無く訪れた、SE部存亡の危機。この難局は、なんとしても乗り越えなければならない。

エスケーブ #7

 火曜日、部存亡の危機における、緊急個人面談初日。

 最初の被害者は、幸坂結実さんです。

「あの・・・何かあったんですか? 表情が真剣過ぎますよ」

 向かい合う私が放つ焦燥感のせいで、幸坂さんにプレッシャーを与えてしまっているようだ。ここは心を落ち着けて、何の気無しに問い掛けていかねばならない。まずは、笑顔からだ。私は、努めて自然な笑みを浮かべながら、首を縦に振って見せた。

「ごめんね、実は活動報告書の提出が近付いていて・・・部が出来てからもう2ヶ月くらい経つけど、どんな感じなのかを聞いてみようかなって思ってね。折角だから、少し真面目にやってみようとしてるところなのさ」

「そうだったんですね・・・分かりました、協力させてください」

「ありがとう、幸坂さん。それじゃあ早速・・・幸坂さんがこの部の結成に参加した理由だけど、泉さんのプレゼンに惹かれた、で良いのかな?」

「はい、そうです」

「これは、書いても大丈夫かな?」

「はい・・・でも、実を言うとそれだけではないんです」

「え、そうなの?」

「えっと、その、これはあまり書いて欲しくないのですが・・・栗柄君が居たから」

「・・・俺が?」

「・・・栗柄君は、私の趣味を知っても、茶化したり、変な目で見てくる事も無かった。私は、この趣味を誰にも明かすつもりはありませんでした。藤香の件もあったので、在学中は秘密にし続けようと・・・でも、ほんとはその話がしたかったんです。だって良いと思って、好きになったものだから。そのせいで、普通にしていてくれる栗柄君を頼り、自分の考えは間違いないと主張出来る泉さんに憧れて、この部に参加したというのが本当のところです」

「なるほど・・・部の活動についてはどうだろう、何か役に立てたかな?」

「あの・・・部の活動というよりかは、存在に助かっているというか・・・栗柄君が、ここが私の逃げ場所だって言ってくれたのが心強くて。藤香と仲直りする踏ん切りがつかなくて、また逃げようとしたあの日、その言葉が気付かせてくれました。この場所の大切さ、この場所で過ごす時間の密度の濃さを。それは幸せとは程遠いけれど、意味のある時間。私を成長させてくれる、かけがえの無い時間。それらがいつの間にか、私の譲れないものになっていたことを」

「・・・ありがとう、話を聞けて良かった。こんな事を言うと、怒らせちゃうかもだけど、俺は幸坂さんの事を人間不信で、状況に流され易い性質なんだと思っていた。だけど実際は、行動にはしっかりとした考えを持っていて、印象よりもずっと逆風に立ち向かう力の持ち主なんだって思い知らされたよ。そんな人に認められたのなら、この部も存外棄てたものでは無いのかもしれないと思えるよ」

「い、いえ、私はそんな・・・・・・あの、私からも質問して良いですか?」

「もちろん、掛かって来なさい」

「えっと・・・私を助けてくれるのは、その、私が部員だから、ですか?」

「もちろん、そうだとも」

「そ、そうですか・・・」

 幸坂さんは、柳眉をハの字にしながらも、安堵したように何度か頷いた。まだ、話は終わっていないのに。

「だって、部員になっていなければ、きっと幸坂さんと話すこともなかっただろう? もう知り合ったから、知己として力に貸すことが出来るし、他の連中の力も借りられる。なんたって一蓮托生、もはや運命共同体なんだから、俺達は」

「運命共同体・・・あ、あの、用事はこれでお済みでしょうかッ!?」

「え? ああ、終わりだね。参考になった、ありがとう」

「な、なによりです。それでは、私はこれで失礼しますね!」

 幸坂さんは、何やら顔や耳を赤くしながら、急ぎ足で帰っていった。また地雷でも踏んでしまったのだろうか。思い悩んでいると、部室のロッカーが勢い良く開け放たれた。中から、泉さんが憮然とした表情で現れた。実は、泉さんには面談中、ロッカーに隠れていてもらっていたのだ。

「あっ、お疲れ~」

「はあ・・・もしかして私は、明日以降もこうして居ないといけないのかしら?」

「明日は泉さんの番だから、正確には明後日以降かな? 大丈夫、たった二回だ」

「あの中、まだ新品臭がこもっていて、とても息苦しいのだけど・・・今度、閉じ込めてあげましょうか?」

「仕方ないだろう? マンツーマンじゃないと、普通は本音とか言ってくれないだろうし、かといって泉さんには把握しといてもらわないと困るし・・・それで、感想は?」

「・・・そうね、あれはズルい返しだと思ったわ」

「え? どれが?」

「惚けているのか、本気なのか・・・良いわ、忘れて。幸坂さんの話だけど、活動報告には使えないわね。個人的な案件が多過ぎる」

「だよなぁ・・・俺としては胸に刺さるものがあったんだけど」

「ええ、そうね。心を打つことに関しては、貴方以上の腕に育ったと言える。でも、求められているのは良い話ではない。客観的にも成果と呼べるものよ」

「分かってるよ・・・今日はここまでにしとくか、泉さんお疲れ様」

「ええ、具体的な話は明日詰めましょう。今は一刻も早く、シャワーを浴びたい気分よ」

 泉さんは不機嫌を体現するように、ロッカーや部室の扉を手荒に閉めて出ていった。ロッカーの中に、息を潜めて小一時間。私には、頭を下げることしか出来ない。

      

 明くる水曜日、今日は泉さんと具体的な報告書の内容について議論する。

「そもそも泉さんがプレゼンした、うちの部の目標って覚えてる?」

「ええ、SE部は普通の部活動をやりたくなかった生徒の集まりで、それらの生徒を経過観察することで、我が校に蔓延する潜在的無部活者(何らかの理由で所属する部を辞めた生徒)を減らす為のモルモット部隊。学校側には、そう認識されているはず」

「・・・つまり、今回必要なのは、結論ではなく観察結果というわけか」

「補足するなら、私たちが集った理由と、集ったことで何が起きたのか、ね」

「・・・はぁ、俺達の間で起きたことって何だろうな。そもそも全員が揃うことが稀だったし」

 起きた事と言えば、泉さんに襲われたり、幸坂さんの旧友に尾行されたり、とても書けそうにないことしか無いな。本当にろくでもない。

「例え目標が無くとも、人がある程度集まれば、相互作用的に目標を定め出すもの・・・でも、今のSE部で相互作用が起きているとは言えないわ。はっきり言って、私たちはある触媒を介さないと、まともにコミュニケーションを取れないのだから」

「触媒って?」

「・・・貴方よ、栗柄君。私たちは、貴方を通して他の部員と繋がっている状態なのよ」

「・・・支倉の料亭で、ブレイクスルーは出来てなかったか」

「あの、突拍子の無い暴走の事を言っているなら、答えはイエスよ。私たちは言葉を交わせる程度にはなった、けれどお世辞にも仲良しとは言えない。私達の間でブレイクスルーが起きなかった理由は・・・貴方なのよ、栗柄君」

「理由が、俺?」

「・・・この部は本来、私が集めて、私が壊すはずだったもの。そもそもブレイクスルーどころか、今日まで存続している予定ではなかった。それを覆したのは貴方、融和の道を作り出した。でも、その道を閉ざしたのもまた貴方」

「あぁ・・・どういう意味?」

「貴方の問題処理能力が、高過ぎたのよ。部の維持に支障をきたすであろう、部員の抱える問題を、貴方は迅速かつ他の部員に悟られぬように解決してしまった。それがブレイクスルーの起爆剤になり得ると知っていながら」

「・・・当然だ、人の本性は劇薬だからな。TPOを見極めていなければ、ブレイクスルーどころかブレイクアウト、部が瓦解することになる。劇薬を薬として利用するには、手順を踏む必要があった。例えば、幸坂さんの趣味に関して、部結成時に流布していれば、彼女は潰れていただろう。だが、人間不信の原因を乗り越えた今なら、自らブレイクスルーを始めてもおかしくないくらいだ」

「そう、貴方はギャンブルではなく、堅実な投資を選んだ。部員間の情報共有を意図的に制限しながら、自分はそれぞれの本性を把握していき、手にした情報を限定的に開示する。それはもう、放水量を調整するダムの如く」

「はぁ・・・ダムときたか。というか、話が脱線してきてないか?」

「貴方がこれまでしてきたのは、相互作用の下地作り。本格的なブレイクスルーが起きて、目標を定め出すのはこれからの話ね・・・ゆえに、今回の報告書には何が起きたかは、書く必要が無い。というか、書けないと考えられるのだけど?」

「なるほど、そこに着地するわけね・・・確かに、部内で反応が起こるとしたら、これからだな。だから報告書に書くのは、どんな奴が集まって、そこからどんな事を推論出来るか、みたいな事で良いのかな?」

「そうね、結成からまだ2ヶ月も経っていないなら、そのくらいが関の山でしょう」

「じゃあ、そんな感じで内容を煮詰めていくとして・・・泉さんの理由って、友達作りで良い? 殺人なんて書けないし」

「構わないのだけど・・・私が少し、可哀想な子に成っていないかしら?」

「ん? なんであれ、残念な子に変わり無いだろう?」

「栗柄君・・・殺されたい?」

「ああ、また今度な・・・さてと、後は支倉姉弟と話をして、土日で仕上げる感じかな?」

「・・・ええ、そうね。月曜日に全員で確認して、問題無ければ提出しましょう」

「そうだな・・・よし、今日はここまでにしとこう」

 報告書の方向性は定まった。後は材料を集めていくだけである。

      

 木曜日、今日は支倉姉との面談である。

「何だよ、話したいことがあるって?」

 支倉姉には事前に、相談したいことがあると伝えてある。

「ああ、活動報告書の事でな。書く前にNGな事とか確認しておきたくて」

「あん? もう出すのか?」

「ああ、文化系はこのタイミングらしい」

「ふ~ん・・・大変だな。まあ良いや、あんま居られねぇし、早めに聞いてくれや」

「助かる・・・まず参加した理由は、実家を手伝う為、それで間違いないか?」

「そうだな、その通りだ。あとは・・・夢探し?」

「ああ・・・」

 支倉姉は、弟の将来を見据え、家を出ることを考えている。その為に、自分は将来何になるのかを探しているのだろう。

「夢は見つかりそうか?」

「どうだかなぁ、今のところピンッと来るものがねぇし・・・そうだ、栗柄ってさ将来はどうするつもりなんだ?」

「・・・俺か?」

「ああ、参考までに」

「・・・悪いな、まだ考えてないんだ。やっと高校受験が終わったところだし」

「そうかぁ・・・まあ、そんなもんだよな、地味太だし」

「平々凡々で申し訳ない」

「地味太だし」

「おい、何故二度も・・・それで、部活の感想は?」

「それな・・・助かってるのは確かなんだけど、正直このままで良いのかなって思わないでも無いな」

「何をだ?」

「確かに、あたしらの要望は叶ってる。てか叶えてもらってばっかりって感じで、申し訳なくなってきたというか」

「いや、別に・・・そういう条件で参加してもらっているわけだし、気にすることは無いんじゃ?」

「何ていうか、お前らと何かしてぇんだよ! 具体的な事は浮かんでこねぇけど、このままはもったい気がしてならないんだ・・・」

 彼女の焦燥感が、痛いほど伝わってくる。ただ無為に過ぎていく時間に対して、急き立てられるそれは、十代特有の病と言えるのかもしれない。たかが十代、されど十代。過ぎ去ってみれば大したことの無い時期だったが、その渦中にいる内は、時が永遠にも一瞬にも感じられ、常に何かに追われていた。そんな文を、どこかで目にしたような気がするが、支倉姉はまさにその渦中にいるのだろう。私としても、大いに共感出来る心境である。

「行く手を閉ざされ、心が張り裂けそうになることを、悶えると表現するらしいぞ」

「・・・はぁ?」

「大人とも、子どもとも言えない端境期、中途半端な俺たちは悶々とすることを義務付けられた存在なのだろうな」

「何だよ、いきなり・・・頭でも沸いたのか?」

「・・・つまり、俺も賛同するってことだよ。せっかく集まっているわけだしな」

「何だよ、それならそうとはっきり言えよな、まどろっこしい・・・おっと、もう帰らねぇと、それじゃあな」

「ああ、お疲れ」

「お前、真面目振ると軽く沸いてるから。肩の力、少しは抜いていけよな」

 そう言い残し、支倉姉は帰っていった。

「・・・俺って、沸いてるの?」

 ロッカーに問い掛けると、ロッカーの神様が答えてくれました。

「ええ、致命的な程に、ね」

 ロッカーの扉が勢いよく開かれ、暑いからという理由で髪を一つに束ねた泉さんが現れた。この姿、軽くトラウマである。

「詩的表現がお好きな様ね、まるでミュージカルもどき。滑稽としか誉められないわ」

「それ誉めてないでしょう・・・それで、今回の感想は?」

「ロッカーには空調を付けるべきね。それと、こんな方法を考えた奴を八つ裂きにする」

「ロッカーの感想!? 面談のでお願いします・・・」

「ああ・・・・・・特段何も。ブレイクスルーの兆しは見えたというところかしら?」

「あはは、だよなぁ。明日中に、明良にも話してみるが・・・たぶんNGの確認だけになるだろうな」

「そう・・・なら、明日にでも草案纏めましょう」

「ふぅ・・・やっとだな」

 

      

 明くる金曜日の体育の時間、私は支倉弟にも話を聞いた。しかし、やはりというか、支倉姉とほぼ同じ感想を答えられた、参加出来ず申し訳ないと。ただ最後に、印象深い事を言っていた。

「俺は高校生活や青春なんてものは捨てたつもりだったが、お前たちとの時間を捨てるのは少し惜しく思う」

 皆、この部に対して愛着のようなものを抱いている様子だが、いったい何処にそこまでの価値があるのだろうか。

「貴方が言ったのではないかしら? ここは、逃げ場所だって」

 泉さんに問うてみると、そう返答された。

「・・・いや、だから何?」

「栗柄君は、聡いのかしら? 鈍いのかしら? ・・・それはさて置いて、ここは私たちにとって、大海原に浮かぶ帰港地の役割を担い始めているのよ」

「なるほど・・・・・・それで、どゆこと?」

「・・・つまり、逃げ込める場所という事よ。駆け込み寺と言った方が良かったかしら?」

「あの離婚に揉めた女性が逃げ込むという?」

「例えばの話なのだけど・・・今日はやけに物分かりが悪いわね、どうかしたの?」

「いやぁ、さっぱり分からなくて・・・」

「そう・・・貴方、近視なのね」

「は? 視力に問題は無いけど?」

「これも、例えよ。遠くは見えるのに、手元が見えないなんてね・・・自己犠牲か何かかしら」

「あのさ、例えはもういいから教えてくれない?」

「はあ・・・貴方が、他人を余りにも受け入れるから、依存性が出てきているというだけの話よ」

「・・・ん? 俺は何かを受け入れた覚えは無いけど?」

「それは・・・残酷ね。無自覚で他人に救いを与えてしまうなんて」

「救った覚えも無いけど?」

「そうね、貴方は無自覚ですもの。幸坂さんの趣味に始まり、支倉さんの面倒な人柄や支倉君の取っ付き難さ、そして・・・私の本性。貴方はそれらを涼しい顔で無視していく。それが、この部を駆け込み寺にしているのよ」

「マジか・・・そんなことで?」

「今の世の中、自分を見せた者から潰されていくの。如何にグローバルスタンダードを演じるか、それが現代を生き抜く為の必須事項・・・剥き出しの自分を拒絶されないだけで、相手は受け入れられたと喜ぶ時代なのよ?」

「別に、拒絶するだけのものでも無いだろう?」

「はぁ・・・現実的に見れば、貴方の懐の広さは異常よ? 趣味や人となりもさることながら、殺され掛けた事すら許容するなんて」

「最後のは、許容して無いぞ? 全力で拒絶しているつもりだ」

「・・・襲ってきた相手と学舎を共にし、二人でお話をしている状況は、許容としか言い表せないわ。恐怖に駆られて、警察へ通報。すぐに生活圏から追放するか、逃げ出すのが常識的というものでしょうに」

「いや、だからそれは利害の一致というか・・・部の存続に必要だったからで」

「幸坂さんの趣味も、普通は彼女の人格が疑われる。いかがわしい音楽に傾倒する子は、いかがわしいのではないかと。それはいじめの原因にも成りうるものだけれど、貴方は気にも止めず、理解すら示してみせた。支倉姉弟には、貴方くらいしか歩み寄らない。彼女たちが厄介な存在だと認識されているからだけれど、貴方はそれを意に留めない」

「・・・それは、分かっているさ、空気くらい読める。俺だって、幸坂さんのギャップには驚いたし、支倉姉弟のキャラには戸惑った。でも、それだけの奴らじゃないと感じていたからこそ、関わることを選んだんだ。前にも言った気がするが、俺は聖人じゃない。誰彼構わず受け入れるつもりは無い」

「なら、受け入れる条件は?」

「それは・・・法に抵触していない、とか?」

「私、アウトなのだけれど?」

「まあ、あんたは特例だな。部の存続に必要で、俺以外には手を出してなかった。それに、一応話が通じるからな」

「もし、他にも襲っていたら?」

「それは・・・突き出してたかもしれないな。俺だけだったから、俺が赦せば帳消しに出来たんだし・・・」

「・・・何故そこまで、部の存続に拘るの?」

「それは・・・ここが、エスケー部だから」

「エスケー部だから・・・では、貴方は何故、エスケー部を作ろうと思ったの?」

「ふぅ・・・最初からそれを聞き出すつもりだったんだろ?」

「ええ、そうね。貴方の面談をしていなかったものだから」

「面談ねぇ・・・尋問の間違いじゃない?」

「なら吐きなさい、貴方の行動の理由を」

「理由、かぁ・・・・・・中学の時、俺は運動部に入ってたんだ。ちょっとした興味が動機だったかな? 二年で辞めたけど」

「何故?」

「いや、何故って・・・やってられなくなったからだろ。最初は自分の意思で参加したはずなのに、いつの間にか誰かの思惑に動かされていることに気付いたんだ。学校や顧問の見栄の為、大会で勝つ為に滅私奉公を強制されて、そんな環境にどっぷりと浸かっていた先輩の強迫観念に振り回されながら、俺も泥沼に身を投じようとしていた事にな・・・中学の部活程度で滅私奉公し続けるなんて阿呆みたいだから、俺は辞めた」

「・・・だから、高校ではエスケー部を?」

「う~ん、きっかけはその後の出来事かな? 部活辞めても、プラプラしてたら連れ戻されそうだったから、適当なとこに入ったんだ。メジャーな部の顧問に成りたくなかった教師による、護身術教室みたいなところに。これが、顧問はサボりがちで、後輩の先輩部員とじゃれ合うだけの毎日で、とんでもなく無為な時間だったけど・・・今でも、悪くなかったと思える。彼処には、誰の思惑も巣食ってなかったからな」

「それが、貴方の行動の起源?」

「まあ、そうなるかな? 思い返せば、クラブや部活みたいな、人の集まりってものは、先人の思惑でガッチリ固められているものであって、自分を活かす為のものじゃあなかった。部員という型枠で整形されて、文字通り部を活かす為の存在に改造する為のシステムでしかない。捕まったら最後、思考は狭まり、権威に迎合する見事な改造人間にされて卒業していくってわけだ・・・俺はそれが嫌だったから、既存の部活ではなく、新しい部活の結成に動いた。誰も縛らず、誰にも縛られない、俺のヘイブン。その為なら例え刺されようが、俺は赦す。それだけのことだよ」

「なるほど、貴方の行動原理を解く為の、計算式を教えられた気分ね・・・でもその生き方、人間の文明圏に居る限り、報われないのではないかしら?」

「そうだろうな、まったくその通りだ。この先はどこもかしこも、逃れ様のない思惑の渦巻く嵐の中で、改造されていないと、生き残れないのかもしれない。だが、それでも構わないと思う。自分を殺した後の将来なんて、地獄とどう違うんだ? そこまでして生きたいとは、残念ながら思えないな。まあタダで死ぬ気も無いから、俺が思惑を仕掛ける側に成るつもりだけど」

「・・・誰も縛らないのではなかった?」

 「ああ、学校という名の、狭苦しい檻に収監されてる間はね。どう生きていくか考えている奴らを邪魔したくないし、邪魔させたくない」

「そう・・・やはり貴方は殺すしかないみたいね」

「・・・どこをどう解釈したら、その結論に至るのかな?」

「見てられないほど痛々しいから、かしら?」

「あ~はいはい、どうせ頭沸いてますよ。もう、過去話は懲り懲りだ。早く草案考えないと、時間が・・・」

 ふと時計を見上げると、時刻は17時を過ぎていた。

「なあ・・・明日、登校な?」

「ええ・・・そうね」

      

 土曜と日曜、その尊い犠牲を払い、泉さんとの激論の末、ようやく活動報告書の草案が完成した。

 そして月曜日の放課後、急いでそれを部員たちに回し読んでもらい、了承を得られたので用紙に清書し、急いで生徒会室へと向かった。運命の時、生徒会役員に囲まれ、異端審問のように報告書を検分されるのかと思うと、少し足取りが重くなる。好意的だったとはいえ、手厳しいものになるだろう。意を決し、最後の角を曲がると、生徒会室の前に行列が出来ているのが見えた。一先ず最後尾に並んでいると、この行列が報告書の提出待ちだというのが漏れ聴こえてきた。

 あっという間に列は捌け、私の番がやって来た。生徒会室前の特設席に、二人の生徒会役員。一人が報告書を受け取るなり部名を読み上げ、もう一人が記録を記していく。後は、結果は明後日に出るので生徒会室まで来るようにと教えられて、受付は終了した。礼を言ってから、私は部室へ戻った。部室は既にもぬけの殻、私もホッとしたせいか、体調が優れない気がするので、今日は帰ることにした。

 部室を閉め、職員室で柘植教諭に事情を話すと、早退を許してくれた。そういえば、報告書に柘植教諭の事を一文字も書いていなかったのだが大丈夫だっただろうか。家に着く頃には、意識が徐々に朦朧としてきていた。寝不足のせいなのか、異様に眠たい。私は制服を緩めることしか出来ず、ソファへと倒れ込んだ。その時には既に、私の意識は失われていた。

 次に自己を認識した時は、日が暮れ、部屋は真っ暗になっていた。

 結構な時間寝入ってしまったようで、身体が凝り固まって痛い。そんな身体を無理やり伸ばしつつ、気怠さに抗いながら立ち上がって、照明のスイッチを手探りで見つけ出し、点灯した。照明の眩さに一瞬目を焼かれ、悶えること数秒、ようやく目を開けられた。

 キッチンカウンターの椅子に、長髪の女が座っていた。

「・・・・・・うわぁっ!?」

 自分でも意外なほどビビった悲鳴を上げて、私は飛び退いた。女は俯いたまま、動かない。これやもしや、もしやなのだろうか。私はまさかの事態にオーバーヒートしそうな思考を落ち着かせながら、女の様子を窺った。見れば、うちの高校の制服である。よもや、活動報告書を出せなかったことを悔やみ、浮かばれない生徒だとでも言うのか。

 思い返せば、私は面白いほど思考が迷走していた。そんな私を嘲るように、女はクスクスと笑い出した。何か始まった、私が警戒レベルをマックスに引き上げたその時、女はゆっくりと顔を上げる。

「ふふっ・・・貴方、やはり面白過ぎるわ」

「ひっ・・・・・・ん? あれ、泉さん?」

 女の正体は泉さんだった。見慣れた顔、というか生気のある存在で、私はホッと胸を撫で下ろした。

「なんだよ、脅かさないでくれよ・・・」

「まさか、ここまで面白い反応が見れるなんて・・・ふふっ、予想外だったわ」

 なんとも底意地の悪い笑みを浮かべる泉さん。くそ、これだから部室で寝るとろくなことが無い。

「・・・あれ?」

 私は自分の思考の間違いに気付き、背筋が凍った。ここは、私の家である。

「何で、ここに居るんだよ!?」

「ふふっ、今更ね。でも期待通りのリアクションには、ありがとうと言っておくわ」

「どうやって此処を知った!? 少なくとも、部屋番号は知らなかったはずだ!!」

「ええ、そうね。だから、柘植先生に聞いたら、教えてくれたわ」

「そうか、学校に登録してある住所を・・・いや待て、個人情報なのにどうやって?」

「様子を見に行きたいと言ったら、教えてくれたわよ?」

「簡単だな!? 何してんだあの教師・・・というか、泉さんは先に帰ってたんじゃなかったのか?」

「・・・ん? ああ、失念していたわ。本人は自覚していないのだった」

「自覚? 何を?」

「貴方は今日、学校を休んだのよ。今は、火曜日の夜なの」

「・・・は?」

 何を言っているんだ、この侵入者は。私は泉さんを警戒したまま、テレビを点けてみた。番組表は火曜日の日付、画面には火曜日にやるバラエティー番組が流れている。

「・・・えぇ、マジか」

 私は、丸一日以上眠りこけていたというのか。いったい、どれだけ疲れていたというのか。

「信じてもらえたようね、感想はいかがかしら?」

「あ、ああ・・・たった一日だが、浦島太郎な気分だ」

「まあ、タイムトラベルなんて素敵ね」

「茶化すなよ・・・それで、何が目的なんだ?」

「何って、貴方の様子を見に来たと言ったはずだけど?」

「それは手段だろ? 俺が聞いているのは目的だ」

「・・・そうね、話しましょう。私が、此処へ来たのは・・・」

 彼女の言葉に耳を傾けた瞬間、明かりが消え、部屋が真っ暗になってしまった。しまった、と私が照明のスイッチに手を伸ばしたその時、金属のヒンヤリとした冷たさを首筋に感じた。途端に明転、視界が戻ると目の前に泉さんが居り、あの日私を刺したナイフを私の首筋に添えていた。

「・・・殺しに来たのか?」

「・・・いいえ」

 泉さんは、あっさりとナイフを引っ込めると、代わりに照明のリモコンを手渡してきた。これで操作していたようだ。

「このナイフを取り返しにきたのよ」

 ナイフをペン回しのように弄んでみせる泉さん、程なくして慣れた手付きで持参した鞘に刀身を納めた。

「一応、大事なものだから」

「なら、凶器にするなよ・・・」

「大事だからこそ、ここ一番で使うのでしょう?」

「なるほど・・・」

 なんだか、納得させられてしまった。

「・・・あれ? そのナイフは隠しておいたはずなんですけど?」

「ええ、苦労したわ・・・まさか、靴箱の奥にデッドスペースがあるなんて」

 まさか、あの場所を嗅ぎ付けるとは、捜索者の視線、臭い、思考からも外れる良い場所だったのに。

「何で判った?」

「強いて言うなら・・・女の勘、かしら?」

 女の勘、怖い。

「はぁ・・・まあ、見つかったなら仕方ないか。用が済んだなら、帰ったら? もう夜なんだし」

「そうね、貴方の無事も確認出来たことだし」

「俺の無事?」

「綺麗に手入れはしていたつもりだけど、一抹の不安があったものだから・・・杞憂に済んで良かったわ」

「ん? よく判らないが、心配ありがとう??」

「そこまで首を傾げるのなら、正直に言ったらどうなの?」

「そうだな・・・俺を殺そうという奴に心配されるのは気味が悪いが、その心意気には礼を言っておこうと思う。ありがとう、泉さん」

「・・・絶句、とは今のような状況を言うのかしらね。そう真っ直ぐに言われてしまうと、暇潰しにガサ入れしていた自分が滑稽に思えてしまうわ」

「何してんだよ!?」

「ナイフを探してたと言ったでしょう? 青少年的な品は皆無だったけど、本棚は面白かったわ。本棚は、その人を顕すものだから」

「そうですか・・・ちなみに、俺ってどんな奴?」

「そうね・・・常人振ろうとする奇人を演じる常人と言ったところかしら?」

「・・・ごめん、聞き取れなかった」

「・・・つまり、努力家ということよ。良かったわね?」

「中身の無いシュークリームを口に押し込まれた気分だよ。大事なところを忘れてないか?」

「いいえ、本人が意図していたなら聞き取れたはずだろうから、今は口をつぐんでおくわ。だから忘れなさい」

「釈然としないな・・・だが、話が進まないようだから、忘れるとしよう。さあ、帰った、帰った!」

「あ~れ~」

 泉さんの背を押しながら玄関へ向かうと、気の抜けた低音かつ棒読みのわざとらしい悲鳴を上げられた。腹立つなあ、もう。

「・・・そうだ、玄関。泉さん、玄関の鍵はどうしたの?」

「あぁ・・・ピッキングよ」

「なるほど、ピッキング・・・いや、それ犯罪だから。さっそく抵触案件だから!」

「管理人が留守で、インターホンにも反応しない。中で人が倒れているかもしれないそんな時、偶然手元にピッキングツールを持ち合わせていたら・・・貴方は使わないのかしら?」

「どんな特殊事例だよ、それ・・・分かった、不問にするから、ほら行くよ」

「あら、付いてくるつもり?」

「そうだよ、暴漢にでも遭遇したら大変だろ?」

「心配は不用よ、見くびらないで」

「いや、だって・・・今の泉さん、絶対刺すでしょ?」

「・・・ええ、そうね。サクッとしてしまうかもしれないわね」

「それに、万が一ってこともあるから。一応、お見舞いに来てくれたわけだし、義理は果たさせてよ?」

「分かったわ・・・でも、それは結局心配しているのでは?」

「そうかもな・・・偉そうで、何考えてるか分からなくて、テイザー打ち込んできて、ナイフで刺してきて、さらには未だに殺害予告してくる、イカれた阿呆だけど・・・欠くわけにはいかない部員だからね」

「それはどうも・・・新手の宣戦布告?」

「違う、事実の列挙だよ。気に入らないなら、適当に脳内で切り貼りしといてくれ」

「はぁ・・・そうするわ」

 泉さんはこれでもかとばかりに深い溜め息ついて、玄関を出ていった。やっと外に出たか、私も玄関出て、ちゃんと施錠してから、その後を追った。バレてしまったので、白状するなら、私の住まいは学前の隣駅が最寄りの、マンションである。少し高台にあるので、駅までは下校時のように、坂を下っていくことになる。

 私たちは黙って坂を下っていたのだが、泉さんが唐突に話を切り出してきた。

「明日、SE部の命運が決まるわね」

「・・・そう、だったな」

 明日が、活動報告書の裁定が降る日である。泣いても笑っても、認められなければ廃部である。まあ、我々なら淡々と受け止めるのだろうが。

「・・・廃部になったら、栗柄君はどうするつもり?」

「そうだなぁ・・・ノープランかな。泉さんは?」

「右に同じ」

「やっぱり? ・・・というか、こんなやり取り前にもしたな」

「・・・そうね、部承認の時だったかしら。そういえば、栗柄君は茶道部に行く手筈ではなかった?」

「あぁ・・・気が変わったというか、今が意外と悪くないというか・・・俺としては、常にプランBを用意しておくべきだと考えているが、どうも今回は考えつかない。どうやら気に入ったらしくてな、不退転の構えというわけだ」

「その様ね・・・報告書に取り組む姿には、鬼気迫るものがあったから」

「必死こいてただけだよ・・・泉さんがノープランのままなのは、まだ壊すつもりだから?」

「最初はそう、でも今は存続させることしか考えていないわ。そうでなければ、報告書の作成を手伝うわけ無いでしょう?」

「あはは、確かにそうだ。なんだ、やっと俺を始末するのは大変だって事に気が付いたか?」

「そうね、難無く片付けて、こんな息苦しい世界から解放されるはずだったのに・・・先の事を考えさせられている。まったく、不合理なことね」

「生憎、今の泉さん程度に殺されるやるつもりは無いんでね」

「・・・私程度、とはどういう意味かしら?」

「だって、お互い未だ何も為してないだろ?」

「・・・はい?」

「人は死んだ時に完成するんだ。あの時殺されてやってたら、泉さんは俺を殺す為に、俺は泉さんに殺される為に生きてきたみたいな事になるだろ? 俺達はまだ、実績を残して無いんだからさ」

「あぁ、そういう・・・学生の身分では、私達はまだ一人の人間として扱われていない。卒業後、職を得ることなどで私たちは人間として確立される。だから今殺されると、殺し殺された者としか記録されないと言いたいのね?」

「ああ、概ねその通り。死後の事を気にするなんて可笑しいかもしれないけど、そんなのってつまらないだろう?」

「そうかしら? ロマンチックとも言えるのではないかしら、殺し殺される為だけの人生だなんて」

「どこの悲劇作家だよ・・・いや、もはや喜劇か?」

「とはいえ、私は何に気兼ねすること無く、貴方を始末しに掛かるのだけど」

「人目は気にしましょうねぇ・・・」

 そこから駅まで、また会話が途切れた。私としては、気まずいからというわけでは無く、単にネタが無いだけだ。泉さんの理由は定かではないが、これほど沈黙が恐ろしい人は居ないのではないだろうか。そして、改札口まで沈黙を貫いた泉さんであったが、不意に歩みを止めた。何だろうか、私も二度見した後、足を留めた。

「・・・それでも、廃部になったら、貴方は私を告発するのかしら?」

「・・・え?」

「栗柄君が私を見逃したのは、部の存続の為。なら、その部が無くなれば、貴方が私を野放しにしておく理由は無くなるはずよ」

「なるほど、その通りだな・・・ああ、それを確かめに来たんだな?」

「ええ・・・答え次第では、貴方という痕跡を消さなければならない」

 泉さんの雰囲気が、見るからに変わった。そこに冗談めかしたものは無く、どす黒い感情が漏れ出たかの様に重く垂れ込めている。

「・・・宜しくない」

「・・・え?」

「その殺意は、実に宜しくない。なんて醜い殺意なんだ。利己的な殺意ほど、醜い事は無い」

「いきなり何を言って・・・」

「泉さん、あんたは何を恐れているんだ? 罪が露見することか? 俺を殺せなくなることか? 部活が、無くなることか?」

「私は、何も恐れてなんて・・・」

「利己的な殺意を懐く時は、自分に損害が発生する時だ。推測してみよう。泉さんが恐れているのは、おそらくは廃部だろう。廃部すれば、俺が泉さんに付き合う必要も無く無くなり、最悪告発されてしまうかもしれない。そうなると、暴発しそうな衝動を発散する場所無くなるからだ。本当に恐れているのは、理性が衝動、つまり本能に負けてしまう事なんだろう?」

「それは・・・」

「最初に本能に負けたのは中学の時、いじめっ子に報復した時だろうな。それは、命を守る為の本能的な防衛だったのだろうが、あんたは自分が感情のままに動くと他人をどうするのかを目の当たりにして、恐れたんだ。自分自身の本性に」

「・・・続けて」

「そこであんたは、さらに感情を殺し、人と距離を置くようにした。誰かに負の感情を抱いたら最期、今度は殺害すら辞さないだろうと感じていたからだ。だが、人の感情はどれほど抑圧しようとも、揺れ動いてしまうものだ。俺は何かしらの理由で泉さんに不快な想いをさせたのか、ターゲットに選ばれた。あとターゲットにされてたのは支倉姉弟かな? そんなターゲットを一塊にする為、泉さんは俺の計画を利用した。ちなみに、幸坂さんはオマケというか、数合わせで、最初からターゲットにはしてなかったんだろう?」

「・・・それで?」

「それで・・・おそらく支倉姉弟をターゲットにしたのは、イチャつくカップルに見えたからじゃないか? でも、話したら誤解だと判り、ターゲットから外された。そうなると、残されたターゲットは俺だけになる。あんたは、部活という隔離空間を利用して、俺を排除する機会を待ち、実行した」

「・・・」

 泉さんは無言で、真っ直ぐと私を見据えてきた。

「実行して気付いたはずだ。自分を振り回していた衝動は、殺人衝動ではなかったことに。泉さんはただ、本気で喧嘩がしたかっただけだったじゃあないか? ポテンシャルが高過ぎて、本気で人とぶつかると相手が砕け散ってしまうから、無意識下で自らに枷を嵌めた。まあ、その結果、俺にぶつける本気度がおかしくなったんだろうがな。それでも耐え抜いた俺に対して、怒ったことだろう。だが、同時に心が躍っていなかったか? それは、衝動の正体が、狩猟本能の様なものだったからだ。本気で競い合える相手を、追い求めていたというわけさ」

「・・・興味深いお話ではあったけれど、それが何だと言うのかしら?」

「おっと、結論がお望みか? 結論、泉さんの衝動は殺人衝動ではないので、恐れる必要はありません。それと、告発もしないので落ち着いてお帰りください、かな?」

「・・・何故、告発しないの?」

「それは、面倒臭いというのが大きいけれど・・・泉さんがこんなことで終わるのが、もったいないと感じたからかな?」

「もったい・・・ない?」

「泉さんって、綺麗だし、頭良いし、行動力もあって、たぶん育ちも良いだろ? なのに、つまらないことで人生を締め括るなよ」

「つまらないこと? 私の苦悩がつまらないことだと?」

「ああ、そうだ、つまらない。全くもって、スペックの無駄遣いだな、見ていて腹が立つ。そんだけの条件が揃っているのなら、人の羨む成功を築き上げてみせろよ。そしてそれから、栄光をポイ捨てでもするかのように、俺を殺すというミステリーを残して死んでいけ」

「・・・ふふっ・・・あっはっはっはッ!」

 泉さんは、急に噴き出し、腹を抱えながら、辺りに響き渡るほどの大爆笑を始めた。あまりにイレギュラーな光景に、私は少々面食らってしまった。猫だましという奴か、不覚。

「本当に、貴方って馬鹿な人ね・・・悔しいけれど、貴方の法螺話のせいで、そうとしか思えないようになってしまったじゃない。確かに、誰もが首を傾げる謎を残して逝くというのは、とても愉快だわ」

「そうか、それは良かった」

「けれど、同情されるのは不愉快ね」

「同情・・・とは少し違うかな。むしろ、やっかみに近い。良い手札を持っているくせに、それを溝に棄てようとするあんたに、苛立ってだけの話だよ」

「貴方だって、悪くない手札のはずだけど?」

「虚勢だよ、ハッタリ。無いものが有るように、小さなものは大きく見せるのが心理戦の妙というものだろう?」

「・・・今も、心理戦というわけね。まあ、今日はこんなところで納得してあげる。今後とも、ストレスが溜まったら、挑ませてもらうわ」

「・・・え、あれ止めないの? 先送りに同意したんじゃ?」

「ええ、それは最高に愉快だったけれど、別に今仕留められても私は愉快だから、付け狙うわ」

「堂々と言い放ちやがって・・・」

 悔しいが、もはや清々しいとも言える。泉さんらしさが戻ったことに、私はどこか満足していた。

「もう20時か、帰宅ラッシュに巻き込まれる前に、さっさと帰りな」

「ええ、そうするわ・・・また明日」

「ああ、また明日」

 改札の向こうへ歩き去る泉さんを見送りながら、私は嘆息した。

 彼女は、泥濘にタイヤを取られた車のようなものだ。その泥濘は、どれほど優秀でも単独では抜け出せない。空回りして、もがき苦しんだことだろう。私が、後ろから押してやったことで、彼女はまた走り出せただろうか。走り出せれば、良いのだ。例え、嘘まみれだったとしても。

エスケーブ END

 我々の部は、既存の部活の枠に嵌まらなかった生徒で構成されている。

 我々の活動の目的は、その生徒たちが寄り集まると、どの様なことが起き、どの様な結果を生み出すのかを観察していくことにある。この活動が、既存の部活に馴染めない生徒の傾向を知る為のテストケースとなり、いずれは無部活生徒の発生抑制に繋がり、新たな学生の受け皿に成り得るのかを判断していきたい。そこで、結成間もない我が部が今回ご報告するのは、集まった生徒の概要と、そこから予想する部の展望である。プライバシーに関わるので明言はしないが、過去の失敗などに起因するネガティブなものや、自身の成長や変化を望んだポジティブなもの、そして実家の手伝いなどの現実的なものなど、様々な理由で我々は集った。

 こうして書き起こしていると、集まった面々には既にアイデンティティ、確固たる自分が、形を帯び始めていることに気が付いた。思うに、部活というのはアイデンティティの定まらない生徒が大半を占めている。確固たる意思で入部するものは少なく、さらにその道で食べていこうと考えている者は稀なケースと言えるだろう。ほとんどのキッカケは、興味や場の流れ、友人関係などにもたらされ、各部のアイデンティティに染め上げられていく。未発達の若者に手早く社会規範と協調性を植え付ける為の社会システム、それが部活動なのだ。

 しかし、部のアイデンティティというのは、いかんせん時代の風潮に置き去りにされるものである。例えば、運動部での上下関係や滅私奉公のスタンスが、社会において各種ハラスメントの原因になっていることは明白である。将来、職業セミナーで注意されるような人格を植え付けるのはナンセンスと言えるだろう。その遠因は、階級社会を引き継ぎながら、民主主義を謳い、平等を掲げながら、資本主義を軸とする、この国の矛盾にあると考えられるが、論点がズレるので、割愛する。つまり、既存の部活と反りが合わないというのは、確固たる自分を持ち、部のアイデンティティに拒絶反応を見せるからである。

 我々も、人間なのだ。生まれは皆違い、学校の外にもコミュニティが在り、それぞれのものさしで今を生きている。ならば、自由に部を創造する機会があって然るべきなのではないか。たとえ一代限りでも、個々に合った形体を取って何が悪いのか。これからの部活に必要なのは、長きに渡る伝統でも、きらびやかなトロフィーでもない。利害が一致したもの同士で結成される、緩やかな関係性なのだ。我々はそれを試す第一歩となろう。目的で個人を縛らず、個人から目的が生まれ出でるようにする。事実、我々の間にも、結束が生まれようとしている。誰が旗を振るわけでもなく、個人の意思が一つに収斂されつつあるようだ。

 この先、どのような目的が発生してくるのか。先行きが大変気になる案件であると言えるだろう。

                                                                                                                            SE部部長 栗柄鎬

      

「失礼しました」

 6月の第一水曜日、活動報告の結果を持ち、私は生徒会室を後にした。

 部室へ戻ると、部員が雁首揃えて待っていてくれた。支倉姉弟は、大事な日だからと入り時間を遅らせてまで来てくれている。

 私は唇を固く結び、全員の顔を見渡した。皆も固唾を呑んで、私の顔を見返してくる。彼らに、結果を伝えねばならない。口を開こうとすると、押し留めている感情が噴き出してしまいそうになる。今すぐにでも全てを吐露したくなりながら、私は結果だけを伝えようと努めた。

「みんな・・・・・・ごめんッ!」

 感情が表情に出てきてしまう前に、私は踵を返して、部室を出ていってしまった。

 と、見せ掛けて、彼らの死角に入ったら、すぐに反転、待ち伏せの構えを取る。思惑通り、私の行動が奇行過ぎて、何だ何だと部員達は追い掛けてきた。そして、笑顔で待ち受ける私とすぐに対面し、面食らうことになる。

 先頭は、支倉姉だった。

「うわっ!! お前、何で!?」

 次いで現れた支倉弟、幸坂さんもビックリしている。

「あっはっは、諸君あれを見たまえ!」

 私が指差した先は、部室入り口の上部、そこに取り付けた我らの表札である。そう、我々の活動は認められたのだ。

「てめぇ、栗柄!?」

 支倉姉に胸ぐらを掴み上げられた。なんとも言えない微妙な表情をしている。

「お前のせいでパニックだ! てめぇ、一芝居打ちやがったな!!」

「うぐっ、ちょっとしたサプライズだよ。こうすれば、感動も一塩かと・・・いやあ、皆の顔見てると笑い出しちゃいそうで困ったよ」

「何がサプライズだ! 驚けば良いのか、喜べば良いのか判らなくなっちまったじゃあねぇか!?」

 ああ、だからそんな微妙な表情を。ゆっくりと窒息していく中、幸坂さんが話し掛けてきた。

「あ、あの・・・お取り込み中、失礼します」

「・・・ふぁい・・・何でしょう・・・?」

「あの表札なんですけど・・・何故、文字が金ぴかなんですか?」

 そう、幸坂さんの言う通り、掲げている表札は、黒い光沢のある土台に、金の文字でSocial experimentと書かれている。

「あぁ・・・あれは、期待の証で・・・生徒会と教職員が気を回して・・・ああなったらしいよ」

「そうなんですか・・・でも、あれはちょっと、恥ずかしいというか・・・その」

「そうだよね・・・だから、普通のにしてくれと頼んでおいた・・・よ。そしたら・・・最も感心な報告書だった証として・・・取っておいてくれと・・・正式なものは、後日来るから」

「それなら、良かったです」

「・・・ところで、幸坂さん・・・助けてもらえないでしょうか? そろそろ、意識が・・・」

 だんだんと、視界が霞んできました。

「えっと、駄目です。今回のは悪ふざけが過ぎてます」

「そんな・・・ご無体な」

「心配する気持ちを弄んではいけませんよ。支倉さん、懲らしめてあげてください!」

「何だかよく判らねぇが、分かった!」

 さらに、絞め上げる力が増してきた。これは、冗談抜きで命の危機だ。意識がもたない。条件反射で拘束を解いてしまう前に、私から支倉姉が引き離された。支倉弟である、弟と比べたら小柄な姉は羽交い締めにされ、宙に浮いている。どことなく、磔に見えてくる光景だ。

「離せ、明良! 何で止める!?」

「・・・これ以上は駄目だ、姉さん」

 どこまで察しているのやら、とりあえず助けられた礼は言っておかないと。

「ごほっ・・・すまない明良、ありがとう」

「うむ・・・こちらこそ、姉が暴走してしまってすまない。だが、原因は栗柄自身だ。ここは両成敗にして欲しい」

「いや、全面的に俺が悪かったよ。以後気を付けます」

「ああ・・・そうしてくれ。これからが、有るんだからな」

「ああ、そうだな」

 私は支倉弟と頷き合い、心の中で拳を突き合わせた。支倉明良、なかなかの男っ振りである。

「何をイチャイチャしてんだお前らは! 明良、早く放せ!?」

「おお、忘れた」

 じたばたと暴れる支倉姉の頭に、私は手を置いた。

「心配掛けてごめんな。それと、一番に飛び出してきてくれて、ありがとな」

「な、何だよ、いきなり・・・」

「それは・・・こうされるの、暁乃は嫌がると思って?」

「・・・あん?」

 次の瞬間、繰り出された蹴りを、私は後ろに飛び退いて、ひらりと回避した。

「ふっ、甘いな」

「ちっ・・・おい明良、こいつ反省してないぞ!」

「・・・これはOKだな」

「何でだよ!?」

「姉さん、満更でも無さそうだから」

「喜んでないからな!?」

「それから、幸坂さん。悪ふざけも大概にしますので、これからも御協力願えますか?」

「はい、もちろん・・・その、私も悪ノリしてしまって、すみません」

「いえいえ、気にしないでください。こんな事、泉さんに比べれば・・・あれ? 泉さんは?」

 部室の前に、泉さんの姿は無かった。何となく、察しのついた私は、荒ぶる支倉姉を二人に任せ、部室内へと戻ってみた。案の定、そこにはパソコンをいじる泉さんの姿があった。

「何で来なかったんだ? 認められたぞ、俺達の部活」

「貴方のリアクションが下手くそ過ぎて、すぐに結果が読めたの。笑いを噛み殺しているのがすぐに分かったわ」

「そうか、流石は泉さん。身震いするほど目敏いな」

「言葉の選択に悪意を感じるのだけれど・・・まあ、良いわ。それよりも、貴方は学校側の弱味でも握っているの? 特製の表札だなんて、少し好意的過ぎるのではないかしら?」

「やっぱり? あれ渡された時、報告書が好評だったからって言われたけど・・・ああいうのって、一日やそこらで用意出来るものなのかな?」

「よっぽど器用な学校関係者が書いたのでなければ、無理ね」

「だろうな・・・つまりこの状況は前々から想定されていたというわけか」

「容易く承認された部の申請、好意的な生徒会、高評価過ぎる報告書・・・それは何を意味するのかしらね?」

「考え過ぎかもな。申請はただ規定に添って認められただけで、生徒会が好意的なのは部費が掛からないから、報告書に関しては実力の可能性があるし、報告書ってほとんど箇条書きらしいぞ?」

「そうね、そうであることを願うわ」

「まあ、そういう陰謀めいた考えも嫌いじゃあないぞ。退屈しのぎに探りでも入れてみるか・・・」

「好きにして・・・ところで、そろそろ貴方を殺したいのだけど?」

「わあ、どストレート・・・オブラートに包むってことを知らないの?」

「仕方ないわ、私だもの」

「どんな理屈だよ・・・」

「私は契約を守っているのだから、貴方にも契約を守る義務あると思うのだけど?」

「むぅ・・・・・・なら、殺し合いっぽい事でもするか?」

「というと?」

「サバゲー」

「・・・何故?」

「趣味で通ってるところがあるんだ。あそこなら、本気で闘えるぞ?」

「そう・・・悪くないわね、遊びに乗じて始末してしまうのも」

「あの場所で、そんなこと言ってられないと思うけど。じゃあ、気が向いたら言ってくれ」

「ええ、コンディションを仕上げたら、宣告するわ」

「・・・引っ掛かりはするが、とりあえず話は終わったな。それじゃあ、これから祝勝会でもするか? 支倉家で」

「・・・悪くないわね、支倉さん嫌がりそうで」

「うわ、歪んでる・・・」

「ふふっ・・・今更。端から観る分は可愛いわよ、支倉さんの反応は。だから、からかうのでしょう?」

「あはは、面白いの間違いだろう? さて、じゃあ皆に提案してくるから、パソコンを消しておけよ?」

「ええ、分かっているわ・・・収穫してからでも良いかしら?」

「お、おう・・・早めにな」

 ゲームに集中し出した泉さんを背を向けて、私は幸坂さん、支倉姉弟のところへ舞い戻った。

「へい、皆の衆。これから祝勝会をしようじゃないか、支倉家で!」

 その直後、明良の拘束から逃れた暁乃に、ラリアットを決められた事は予定調和と言えるだろう。

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  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/09/15)

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【モノコン2018物語部門 予選通過のお知らせ】入学した高校での部活強制から、避難場所作成を余儀なくされる。そこに現れる女子生徒他、思いもよらないメンバーが集まり、始まる学生生活。設定はとにかく、会話劇中心の展開そのものにテンポ感があり、ついつい読み進めてしまう言葉のチョイス、キャラ設定には関心しました。あと主人公の鼻につくような(笑)ロジカルさにも、共感してしまいました。別の作品も読んでみたい。

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とじる

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