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キミに恋して良かった 完結

最低な出会い、最高の恋

更新:2018/9/10

たまの

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「死ぬ!!! 絶対に!!! 死んでやるんだから!!!!!」
出会いは、屋上の手すりの外と内。
こじらせ三十代の私が、よりによって年下のイケメンに恋をした。

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「死ぬ!!! 絶対に!!! 死んでやるんだから!!!!!」

 ビルの屋上、手すりよりも外側に立ち、私は今にも身を投げ出そうとしていた。

 はるか足下、ビルの入り口にはすでに多くの人だかり。屋上の入り口からは、数名の警察官がジリジリと輪を縮めてくる。

 私、高桑奏子“たかくわそうこ”、三十一歳。これが享年になります!

 ここまで来たら後には引けない。そんな思いと、眼下に広がる光景に足がすくむ思いとが、交互に胸をよぎる、そんなデッドオアアライブ真っ只中。

「だからさあ、なんでそんなに死にたいの?」

 異様にゆるいテンションで語りかけてくる、一人の青年がいた。

 ジャケットを羽織っただけのごく普通な若者ファッションだけど、「こーゆーモンです」と示された身分証は、テレビでよく見る警察手帳そのものだった。警察官にもこういう人がいるのか。その上イケメン。

 イケメン。今の私にとっては鬼門に近い存在だ。どうせ何の苦労もなく女にモテてチヤホヤされてきたんでしょうよ。そういう男はみんな滅べばいいんだっ。

「とりあえず、理由聞かせてくんない?」

「理由聞いてどうすんのよ! どうせ飛び降りやめさせようってんでしょ!?」

「まあそうだけど」

「死ぬ!!! 今死ぬすぐ死ぬひと思いに死んでやる!!!」

 もうね、声でも張り上げてないと、正直この状況に堪えられないわけ。こわい。でも死ぬんだから関係ない。でもこわい。

「じゃあわかった、他のヤツら下がらせるから。話すだけ話してみない?」

 そう言って、彼は周りの警察官たちに人払いを願い出た。

  聞くだけ聞いて「ハイわかりましたどうぞ死んでください」とはいかないだろうに。チャラいイケメンは中身も空っぽか。敬語くらい使え。

「てなわけで、ここには俺とおねーさんしかいなくなりましたとさ。さて、話聞くよ」

 なんでよりによってこのイケメンと二人きりにさせるかなあ。モテ男にする話なんてないわ。

 あー飛び降りよう、今すぐ飛び降りよう。

「あのさ、今ここで飛び降りちゃったら、誰も理由わかんないよ? それでいいの? 下手したら『昼飯のゆで卵が半熟じゃなくて固ゆでだったから』とかにされるよ? いいのそれで」

 そんな無茶苦茶な自殺理由があるか。

 でもたしかにとっさのことで遺書も用意してないし、恨みつらみをどこにもぶつけないままこの世を去るのはシャクだ。

 私はしぶしぶ、イケメンに事情を話すことにした。

「五年付き合ってた彼氏が、浮気してたの」

 案の定とか、当然とか、思ってんだろうなあこいつ。

「浮気してたっていうか、私の方がお遊び扱いだったみたいで。しかもそれ、共通の友達に話したら、実はみんな知ってたっていう」

 話しながら、恥ずかしくて、情けなくて。今すぐ消えていなくなりたくなった。全身がぎゅうと締め付けられるような感覚に襲われ、自然と涙があふれた。

「みんなしてあたしのコト笑ってたんだって思ったら……もう何もかも信じらんないし。大事な二十代ソイツに捧げてさ、三十過ぎてから今さら『もっと良い人見つけなよ』なんてさ、ホント無理。みんなどうかしてる」

「それが、死にたい理由?」

「文句ある?」

「それ、そいつら殺して自分生きる方が良くない?」

「アンタ警察官のくせになんてこと言うのよ!?」

「警察官である前にただの人間っスよ。いや殺したら逮捕しなくちゃだから困るんだけどさ実際」

「当たり前でしょ! 殺さないわよ!」

「でも殺意抱くのは罪じゃねえからな? 死ねって思いながら生きた方がいいよ。あんた悪くないんだろ?」

「でも、でも浮気されるような……っていうか遊ばれるような、そういう自分も嫌なの! もううんざりなの! どうせ誰にも相手にされない人生なんて死んだ方がマシ!!」

「誰にも相手にされないなんて誰が決めたんだよ。わかんないだろまだ」

「だったらアンタが私と付き合ってみなさいよ! 自分で出来もしないこと言うんじゃないわよっ!」

「え。それでいいの?」

「それでってなによ、そんな簡単な――」

「いいよ、別に。付き合おうよ」

 拍子抜けするくらいあっさりと、イケメンは答えたのだった。

 私は一瞬、何を言われたのか理解できない。

 完全なる売り言葉に買い言葉だったから、自分でもあまり考えずに発言してたわけで。

 イケメンが? 私と? 何て?

「……アンタ彼女は?」

「いない」

 え、ちょっと意外。

「あ、でも俺、結婚はするつもりないけど」

「おちょくってんのかーーーー!!!」

 思わず、内ポケットにあった何かを投げつけていた。攻撃力ゼロのリップクリーム。

「あぶない! あぶないから手離すなっつーの!」

 イケメンは私の攻撃など意にも介さない。言われて我に返り、私は慌てて両手で手すりにしがみついた。こわっ。

 って私、死ぬつもりのはずなんだけど。

「……どいつもこいつも、最低」

 どいつもこいつも、私も。

 本当は、彼氏よりも友達よりも、一番許せないのは自分自身だ。遊ばれてることにも、笑われてることにも気づきもしない、いい年したバカ女。

「どうせ私なんて、結婚する価値もない女よ。わかってんの」

「こだわるなあ、結婚」

「あたりまえでしょ。私だって普通に幸せになりたかった」

「結婚しないと普通に幸せになれないわけ?」

「私みたいな地味で平凡な女、結婚でもしないとやってけないの!」

「よくわかんねーけど結婚したいのはわかった。で? 結婚前提じゃないお付き合いはいけないんですかね」

「アンタあたしのこといくつだと思ってんのよ。もう三十路なの! 遊びでお付き合いなんかできるトシじゃないの!」

「結婚前提じゃない真剣交際だってあるでしょうが」

「あたしの辞書の中にはない!!」

「アタマ固てーなあ。結婚がすべて? できないから今すぐ死ぬのかよ?」

「……そこまでじゃないけどっ。でも結婚する気のない男なんて信用できないでしょ」

「信用できればいいわけね。なるほど。じゃあとりあえず、死ぬのやめて俺と付き合ってみません? 信用築くところから」

 イケメンは笑顔で、こともなげに提案してくる。この人ホントに頭沸いてないかな大丈夫かな。

 信用なんてできるはずもない。ひとまず自分の業績のために私を生かして、もてあそんでサッサと捨てるつもりだ。わかってる。わかってるはずなのに。

 お先真っ暗だと思ってた未来図の中、思わぬ形でとんでもない道を示されて。はたと自分の置かれた状況に我に返る程度には、インパクトのある言葉だった。

 足下は一歩踏み出せば垂直落下六十メートル。間違いなく死ぬ。

「こわい」

 思わず本音が出た。声が震えた。

「動けない」

 そう正直に告げたら、ゆるいゆるいと思ってたイケメンが、それでも少し緊張を解いたような表情を浮かべた。

「ん、大丈夫。自力で動かなくていいから。手は絶対離すなよ」

 落ち着き払った態度でまず私に近づくと、わきの下に腕を差し入れて身体を安定させてから、ひょいと抱き上げる形で手すりの外側から助け出す。階下から「おおっ」という野次馬の声が届いて、私はあらためて自分の状況を把握する。

「契約完了、かな」

 抱きとめてくれた腕の温かさと、危険な場所から離れたことで、緊張が一気に解けて。

 全身にガクガクと震えが走った。

 何やってんだろ、私。ばかみたいだ。こんな人騒がせなことして。

 自己嫌悪で涙がこぼれるのを、必死に堪えていた。

「大丈夫だよ。今なら誰もいないから」

 抱きとめたまま、優しく背中をさすってくれる彼の言葉が引き金となって、私は泣き出した。恥も外聞もなく、声をあげて。

 それが、私と荒井くんとの出会いだった。

 

「ホントに来た……」

「なんだよその言い方。傷つくなあ」

 仕事終わりの午後七時。私たちは、駅前で待ち合わせていた。

 正直なところ、あんな大騒ぎをした後に「じゃあお付き合い始めに連絡先交換しましょ」って、いよいよこの人頭沸いてると思った。けど実際にこうして待ち合わせに現れるあたり、本人は至って真面目なようだ。

「こんな時間に退勤できるなんて、日本の警察たるんでんじゃないの?」

「ちゃんと日勤と夜勤があるんですぅ」

 じゃあ飯でも行きますか、と歩き出しがてら、ん、と手を差し出してくる。

「付き合ってんだから、手くらいつなぐだろ」

 この男、ホント女慣れしてる。ホストかっ。

「今日は、こないだの話を断りにきたの」

「こないだの話って?」

「付き合う付き合わないの話に決まってるでしょ!」

「え、マジで!?」

「なにビックリしてんのよ」

「だってちゃんと時間どおりに来てくれたから、てっきりその気かと思うじゃん。じゃなけりゃぶっちぎるでしょ、フツー」

「アンタの普通とあたしの普通を一緒にしないで! 約束は守るわよ」

「義理堅いんだなあ」

「……いちおう、こないだは世話になったから」

「じゃあさ、せっかくだから今日は付き合ってよ。恋人としてじゃなくていいから」

「アンタ警察官のくせにどんだけゆるいのよ……」

「そうかなあ。あ、ちゃんとおごりますから。財布は任せろ」

「年下におごられる気はないっ」

「真面目か!」

「どうせ可愛げない女って思ってんでしょ」

「……ホント人間不信っていうか、男性不信ですねえ」

「まさか、気引くだけ気引いて、後から法外なお金要求するやつ!?」

「警察官のくせにってさっき自分で言ってただろーが。そんときゃ遠慮なく通報してくれ」

 警戒心丸出しの私に肩をすくめながらも、拒否とは受け取らなかったようだ。ちゃんと私の好みまで聞いて、店選んで食事して、そして見事なまでに私が支払うスキを与えず会計を済ませるという、モテ男の条件を全クリアしてみせた。おそろしい。

 そんな感じで始まった彼との付き合いは、その日限りで終わることはなく。

 おごられた手前、次の約束を無下に断ることもできずに……なんて、そんなお約束みたいなパターンを繰り返して、私たちは少しずつ距離を縮めていったのだった。

「うん、そっちの方が似合う。採用」

 ……なぜか、私たちはデパートで買い物なんかをしていた。

 荒井くんという人は、なんというか意外なほど付き合いのいい人で。遊び慣れてそうだから、退屈な三十路女となんてそうそう一緒にいやしないだろうと思いきや、どうでもいい買い物でも、ちょっとしたお茶にも、嫌な顔ひとつせず付いてくるのだった。

 ってかデートじゃん。これ完全にデートじゃん。

 さすがの私も、そう思い始めていた。

 会社帰りに待ち合わせること数回。もちろん、向こうは日によって夜勤もあるし、急な出動要請でドタキャンされることもあるんだけど、後でちゃんと埋め合わせしてくれるし。

 実際モテるんだろうな、この人。ほんの少しだけ、心がざわつく。

 今も、ちょっとした髪留めを選ぶのに付き合わせていて。別に一人の時に買いにくればいいんだけど、彼の付き合いの良さにどことなく甘えてしまっているフシがある。

「奏子さんやっぱ髪上げてた方がいいよ。そっちのが可愛い」

「奏子さん言うな」

 可愛い言うな。心の中で付け加えた。

 だめだ、ほだされる。相手は五歳以上も年下なのに。三十路が若いイケメンに褒められてはしゃぐなんて、恥ずかしいぞ。

「相変わらず頑固だよなあ」

 ボヤきながらも、その日は丸々私の買い物に付き合わせた。化粧品とか、洋服とか、絶対興味ないでしょって思ったけど、どっちがいいかなって聞いたらちゃんと答えてくれる。

 デートじゃん。あらためて、そう思った。

「どう? トモダチとして数回。付き合う気になった?」

 喫茶店で頬杖をつきながら、荒井くんがいたずらっぽく訊いてくる。

「……キミ別にあたしのことが好きなわけじゃないでしょ」

「だからさあ、別に『好き』から始まらなくてもいいんじゃないですかって話をしてるわけ。俺は」

「それはわかったけどっ。じゃあ何が目当て?」

「人を下衆みたいな言い方すんなよなあ」

「……怒った?」

 って、なんで拗ねた彼女みたいなリアクション取ってるんだ私は。

「いや怒っちゃいねえけど」

 荒井くんはサラリと流す。なんだろうなあ、この人のこういうところ。優しいというより、こだわりがないというか、なに言われても平然としてる。

 よほど自分に自信があるのかと最初は思ったけど、なんか、違う。自分のことは二の次みたいな、そんな空気を感じる。

「俺は奏子さんのこと興味あるし、気に入ってるけどね」

「『気に入ってる』って、なんかビミョーよね」

「やっぱ『好き』じゃないと付き合う気にならない?」

 答えに詰まった。完全に図星だった。

 つまりなんだ、私は彼に『好き』だと言ってもらいたいと、そういうわけか。

 あまりの自分の貪欲さに、穴があったら入りたい気分になる。

 そんなこちらの気持ちを察したのか、彼は絶妙なフォローを入れてくる。

「だからさ、奏子さんも別に俺のコト『好き』とか思ってくれなくていいよ。なんなら別にこのままトモダチでも構わないけどさ、ただの男トモダチに可愛いとか言われて喜べるタチじゃないだろ」

 だから付き合おうよ。って。

 あーーー見抜かれてる、完全に見抜かれてる。なんなんだろうこの子。

 こんな風にあっさりと差し伸べられた手にすがって、私、後悔しないだろうか。

「…………お受けします」

 答えなんか決まってた。

 ただ、こわくて。

 本気で好きになってしまうには、あまりに危険な予感がして。

 

 突然のゲリラ豪雨に見舞われた。

 慌てて軒下に入った時には時すでに遅く、私たちは頭からつま先までずぶ濡れになってしまっていた。

「ぬかったわ~。折り畳み傘くれえ持っとくんだった」

 きれいな黒髪をかき上げる仕草に、私は自分が濡れネズミなのも忘れて見入ってしまう。

 が、次の瞬間には盛大にクシャミ。ううん、夏の終わりにこれはちょっとキツい。

「こーいう状況アレだよなあ、あそこしかねえわなあ」

 めずらしく荒井くんが困りぎみに頭をかいた。

「あのさ奏子さん、俺のこと信じてる?」

 突然何を言い出すのかと思えば。

「……何考えてんのか意味不明なところはあるけど、信用はしてる」

 私も私で、なんでそう一言多いのか。

「うし、じゃあオッケイ。行こう」

 意味不明なのはスルーでいいわけ?

「行こうってどこへ?」

「ラブホ」

「へっ……て、ええええええ!?」

 待って待って待って待って、どうして今その流れになるの、やっぱり意味わかんない、っていうか心の準備できてない!!!

「風邪ひく前にシャワー浴びて服乾かそうと思ったら、俺の知る限りだとラブホくらいしか浮かばないんだよね」

 ……あ、なるほどそういう……。

 って、納得しかけたけど、手つないでラブホのネオンサインをくぐる段階になって、右手と右足を同時に出るほどの緊張感に襲われた。

 いやいやいやいや、これ、本当にそれだけで済むの? 流れでチョメチョメチョメみたいにならない??

 ていうか、元カレが一人暮らしの人だったから、こういう場所に入るの初めてで、ついつい挙動不審になってしまう。

 無人のエントランスで受付してエレベーターに乗ると、こちらの緊張が伝わったのか、そっと肩を抱かれた。ドキッとしたけど、冷え切った身体にぬくもりが心地よくて、ようやく動揺はおさまった。

「大丈夫。奏子さんが嫌がるようなことは絶対しないから」

 その手がそのまま優しく髪をなぜる。

 嫌がるようなこと、かあ……。

 どうなんだろう。私は自分の心に問いかける。

 嫌、かな。うん、なんとなく、このままなし崩し的なのは嫌かも。

 でも、心のどこかで「やっぱり」って思ってる自分がいて。

 五年つきあった元カレとだって、そういうことしてたの最初の一年とか二年くらいで。

 ああ、そうだ、あいつ他に本命が他にいたんだった。きっとそっちでお盛んだったんだわ。

 思い出して、内心自嘲した。そんな流れになっちゃうかも、だなんて、よく思えたよね。こんな若いイケメン相手にさ。

 どんよりとした気分に浸食される。私なんて。私なんて。

 荒井くんと付き合い始めて、しばらく忘れてた感覚だったのに。

「奏子さん先にシャワー使っていいよ。中にバスローブあると思う……奏子さん?」

 ジャケットを脱いでハンガーにかけていた荒井くんが、部屋の入り口で立ちすくんだままうつむく私を振り返る。

「……こういう部屋の雰囲気、やっぱ苦手だよね」

 苦笑いしてみせる優しい口調に、胸が絞めつけられる。

 夢みさせないで。

 自分が分不相応だってことを、忘れそうになる。

「ホントに、何もしないから。安心しろって」

「…………じゃないでしょ」

「ん?」

「しないから、じゃないでしょ。したくないでしょ」

 目の前まで戻ってきた荒井くんの顔を、私はまともに見上げることができない。

「どうせ、こんな年上相手じゃ手を出す気にもなれないで……」

 私の言葉を遮るように、荒井くんの腕が伸びた。

 強引に抱き寄せられ、一瞬、視線が絡み合った後。

 キスされた。

 触れるだけの生ぬるいやつじゃなくて。本気の。大人のキス。

 心臓がバクバクする。こんなキス、元カレとだってずっとしてなかった。

 片方の手が、濡れた服の上から腰をなぞる。先に進んじゃうの? このまま?

 どうしよう。どうしようどうしよう。

 だめ。好きになっちゃう。

 ひどく動転して、息も思うようにできなくて、頭が真っ白になった頃。

 彼はようやく唇を離した。思わず吐息がもれた。

 彼がそれ以上続けようとしなかったことに、安心したような、軽くショックを受けたような。

「あのさ」

 長身の荒井くんが、私の両肩に手を置き、覗きこむように目を合わせてくる。

「先に進めることなんて、簡単なんだよ。男にとっては」

 まるで、子供に言い含めるみたいに。

「シたいならシますよ。俺はぶっちゃけ大歓迎。奏子さん魅力的だし、俺もこれで欲求持て余してるお年頃なんで。

 でも違うでしょ。奏子さん、そんな男は信用できないでしょ」

 彼の言葉に何も返せないまま、さっきのキスの余韻だけが強烈で、私は彼から目を逸らした。

 恥ずかしい。

 いい大人が、こんな年下の男の子に振り回されて。

 モゴモゴ口ごもっていたら、クスッと笑われた気配を感じた。

「ホント初心で可愛いんだから奏子さん。俺はこれで結構ガマンしてんだけどなあ?」

 頬をなでられて、私は本格的に赤面した。

 その後、それぞれシャワー浴びて、服乾かして。

 ……荒井くんは、ホントに、何もしなかった。

 最近のラブホって色々あんだなあ、なんて言いながら、映画のオンラインレンタル検索し始めて。

 奏子さん何観たい? 俺スプラッタ以外ならなんでもイケる。

 軽やかに笑ってみせて。

 ちょっと古い刑事ドラマものを、二人並んで観て。

 私の肩を抱いたまま、立て続けの爆破シーンに「ないないないない」ってツッコんでみせて。

 たまに目が合ったら、優しく髪を梳いてくれて。

 私は楽しくて。

 ……とても幸せで。

「奏子、ここんとこ垢抜けたよねえ」

 そう言ってきたのは、元カレに別の女がいることを知ってて黙ってた女友達だった。 

「ひょっとして新しい彼氏できた? どんな人よー写真とかないの?」

 うっさい、バカ死ね。

 そう心の中で罵ったら、不思議と気持ちに余裕ができた。

『殺意抱くのは罪じゃねえからな?』

 荒井くんの言っていた意味が、今ならよくわかる。

 今でも、元カレのことに関しては許せない。許すつもりもない。仕方ない、彼女の恋愛観は私から見たらクズなのだ。死んで当然のクズなのだ。そう考えると同時に、「まあまあ彼女にもいいところあるから」とフォローを入れたくなる自分がいることにも気がついた。おかしなもんだ。

 結果、私らはまだ友達をやれている。

「そんなんじゃないよ」

 笑顔でかわしながら、絶対お前になんか教えるものか、って気持ちと、今すぐ見せびらかしたい気持ちが同時に湧いた。

 残念ながら、荒井くんの写真は一枚も持っていない。彼は写真に写ることをひどく嫌がる人だった。私も別にツーショットとか欲しいタイプじゃないから、問題はないのだけど。

 一度どうして写真が苦手なのかを訊いたら、「形に残るモンが苦手でさ」とだけ答えてくれた。漠然と、彼らしいと思った。

 そのくせ「撮ったげる」とはよく言ってくるからズルい。私だって自分の写真は苦手だって言ったら、「そこは好きになっとこ」って。ズルい。

 正直、垢抜けたというのは自分でも思ってたりする。

 荒井くんは褒め上手だから、ついつい頑張ってお洒落したくもなる。

 そして、世の中の男って単純なもので。職場の上司も、同僚も、後輩も、こぞって以前より優しくなった。媚びを売っているつもりはない。ていうか、そんな単純な男に気に入られたいとも思わない。私は私のまま。それでも、周りが勝手に変わっていくってことが、時としてあるんだって、知った。

 私の中にあった容姿コンプレックスも、男性コンプレックスも、彼といることでビックリするほどゆるくなってきた自覚はある。そして、きっと彼は全部わかってる。わかってて、そういう行動を選んでる。そういう人だって、なんとなくわかってきた。

 だけど、どうしてだろう。

 私は知っていた。この関係が、長く続くことはないのだと。

 彼が「結婚しない」主義だから? それだけじゃない。

 荒井くんは、優しい。いつだって、私に自信をくれる。

 だけど私は、彼に何をしてあげられているだろう。

 彼は。

 私に何かを求めてくれているの?

「高桑さん」

 給湯室で物思いにふけっていたら、背後から突然声をかけられた。

「うわ、は、はい! ごめんなさい!」

 いかんいかん、勤務中。

 恋煩いを仕事の時まで引きずっちゃうなんて、以前の自分が見たら軽蔑すること間違いなしだわ。

「なんでしょう?」

 声をかけてきたのは、あまり言葉を交わしたことのない、他部署の男性だった。

 名前は、えーと。

「あの、僕と、付き合ってもらえませんか……?」

「職場の人に告白されたの」

 待ち合わせのベンチに座る荒井くんへ、開口一番そう告げた。

 季節は巡って、秋の終わり。缶コーヒーで両手を温めながら、こちらを見上げてくる荒井くんは、穏やかに笑っていた。

「うん。なんて答えたの?」

「……お返事、待ってくださいって」

「そっか。良かった」

 言うと思った。

 ……言うと思ったんだ。

「俺がいるせいで断ってたら、どうしようかと思った」

 いるせいで、って。

 そんなことってある?

 涙腺が一気に決壊した。

「なんで」

 恥ずかしいくらいの涙声で。

「なんで、そうなの? あたし、キミが好きなのに」

 こんなに、好きなのに。

 口に出してしまったら、思いのほか気持ちにズシンと響いた。

 今まで、口に出したことなかったな。

 荒井くんは、しゃくり上げそうになる私を隣に座らせて、初めて出会った時みたいに、背中をさすってくれる。

「奏子さんは、結婚したいんでしょ」

 私は、首を縦に振ることも、横に振ることもできなかった。

 好きな人と結婚したいの。

 だから。

 ――言葉にする前に、彼の静かな声が耳に届いた。

「だから、俺じゃないよ。言ったでしょ、俺は結婚はしないから」

 知ってたはずなのにな。最初っから。

 だから、あらためて告げられても、泣いたりしたくなかったんだけど……な。

「その男と添い遂げろなんて、気の早いことは言わねえけどさ。色んな男と付き合って、自分に合うヤツ探すのも悪かないだろ」

 全部私のためで。

 荒井くんの意志は、そこにはなくて。

「だからさ、俺とはここまでなんだよ、たぶん」

 そんな残酷なことを、笑って言わないで。

「……どうして、結婚しないって、決めてる、の?」

 嗚咽を交えながら、ようやくそんな言葉を口にした。

 今ならわかる。

 彼が結婚を拒むのは、私に女の魅力がないだとか、彼が女遊びをしたいからだとか、そんなつまらない理由じゃないんだって。

 荒井くんの心は、どこか“がらんどう”で。遠くを見ていて。

 その心を埋められるのは、私じゃなくて。

「……好きな人が、いるんじゃないの?」

 ずっと訊きたくて、訊けずにいた問いかけ。

 そうしたら彼は、少し困ったように笑った、

「……どうかなあ。自分でもよくわかんなくってさ」

 その表情を見た時、初めて、彼の心に直に触れた気がした。

 やっぱり、いるんだね。たった一人、忘れられない人が。

「わからないって、どういうこと……?」

「うーん……俺、どうしてえのかな、とか」

「その人と一緒になりたいんじゃ、ないの?」

「あー……それは無理」

「どうして?」

「その人、今オリの中だから」

 オリの中って。

 軽く冗談めかした口調だけれど、彼のまなざしは、冗談を言っている時のそれではなかった。

 彼は、警察官だ。その意味するところは私にだってわかる。

「逮捕……されちゃったの?」

「俺のせいでね」

「俺のせいって……。荒井くんは警察官なんだから、逮捕するのは当然でしょ……?」

「……奏子さんやっぱ優しいや。けどさ、俺があの人に引き金引かせたの。結果的に追い詰めて、殺人未遂の罪を負わせちまってさ。だから、俺のせい」

 あの人。そう呼ぶ彼の言葉から、どうしようもなく焦がれるような響きを感じて、心が激しく揺さぶられた。

 好き、なんだろうな。今も。わからないって言ってるけど。

 それ以上に強い、後悔と自責の念が、彼の心を厚く覆ってしまってて。

 届かない。そう感じた。

 私の手は、私の心は、決して彼に届くことはないのだ、と。

「……ま、そんなことがあったもんだからさ。職場の連中もすげえ気ぃ遣って明るく振る舞うし、心配もされてるってわかってっけど、そういうのってさ、ぶっちゃけ息苦しかったりもするじゃん」

 少しだけ、職場の人に同情する。

 私だって、彼の心を軽くしてあげたい。優しく包んであげることができたら、どんなにかいいだろう。

 そう思ってしまうことさえ、荒井くんには重荷なのかもしれない。そう思うと、ひどく無力で、やり切れなくなる。

「奏子さんと知り合ったの、ちょうどそんな時期だったから」

 背中をさすっていた荒井くんの手が、膝に置かれた私の手に重ねられる。

「俺は楽しかったし、一緒にいてくれて助かった。ありがとね」

 ようやく落ち着きかけていた涙腺に、トドメを刺された。

 ばか。ばかばか。ふざけんな。

「そういう大事なこと!! 早く言いなさいよね!?」

 本気のグーパンチをお見舞いした。つもりだったけど、さすが警察官、とっさに掌で受け止められた。

「いや重すぎるでしょこんな話題! そうそう話せねえわ」

「そんなの知るか!」

 二発目のグーパンチを食らわせる。

 私の中の罪悪感まで、洗い流して。どこまでも引き際が潔くて。

 お願いだから、それくらい背負わせてよ。ズルいよ。

「パンチ重っ」

 いつもどおりの、くだけた笑顔に戻った荒井くんを見て、私は嫌というほど悟る。

 楽しかった。楽しかった。楽しかった。

 でも、もうおしまいなんだ。

「告ってきたの、どんなヤツなの?」

「……あんまり知らない人。他部署で、喋ったことも少なくて」

「そっか」

 荒井くんが、教えてくれたから。

 好きになってから付き合うんじゃなくて、相手をよく知るために付き合えばいいって。キミが教えてくれたからだよって。

 伝えようかと思ったけど、やめた。それだとまるで、もう荒井くんに未練がないみたいだから。

 今でも好き。

 ……今でも好きだよ。

「行くね」

 私は先に立ち上がった。一緒に歩くのも、置いて行かれるのも、あまりに辛いから。

 荒井くんも、わかってるんだろう。座ったまま見送る姿勢だった。

「幸せになってね、奏子さん」

「……ッ! その言葉、そっくりそのままお返しする!」

 もう一発、グーパンチを掌に食らわせて。

 最後に笑った彼の姿を記憶に焼きつけて、私は背中を向けた。

 振り向くな。振り向くな。

 あふれてしまう涙はそのままに、私は歩き出した。

 後悔は、しないって決めた。きっと、荒井くんは望まないから。

 ありがとうね。忘れない。その気持ちだけを抱きしめていく。これから先も。

 

 キミに恋して良かった。

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【モノコン2018物語部門 予選通過のお知らせ】恋人に振られ、自殺しようとしていた三十路の奏子。その自殺を止めようと説得していた年下のイケメン警察官。売り言葉に買い言葉で二人は付き合うことになりーー。冒頭の自殺騒動から臨場感があって引き込まれた。さらにそんな状況で二人が付き合うという意外な展開、そして明かされる彼の過去と、最後まで全く飽きさせない。ラストの二人の別れの切なさが光るラブストーリー。

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