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GとLの物語

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2015年から始まった大学改革により、大学が先進的な研究を行うG型大学と、地域住民のための職業訓練に特化したL型大学に完全に分かれてしまった近未来。そこで起こった数少なくない悲劇。その一端にあった物語。

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目次

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第1話 失意

 どの分子生物系の研究室(ラボ)でも同じように、深夜になっても誰かしらカチカチとマイクロピペットの頭を上下に動かしている。部屋の片隅でぼそぼそとしゃべるラジオからでさえ、「おやすみなさい」というフレーズが聞こえてきても、帰ろうとしない研究員の姿は一人、二人ではない。

 藤枝頼子(ふじえだよりこ)もその中の一人だった。

 汚れた白衣の胸ポケットに何本か色違いのペンを刺して、黒縁のメガネで自分のデスクに向かうその姿は、ステレオタイプの研究者そのもので、目の下の"くま"がそれを助長している。肩で揃えた黒髪も、ここ最近手入れしていないせいか、やや痛みが目立つ。

 頼子は雇用契約継続の審査のための資料を作っていた。

 研究室の主宰である上岡(かみおか)教授の持つ大型研究費で雇用されているポストドクトラルフェロー、いわゆるポスドクといわれる立場で大学に残っている頼子は、雇用契約の期限を今年の3月に控えていて、ポスドクではなく、常勤(パーマネント)の大学教員、助教になるための公募へ書類を提出して、審査を受ける予定になっている。

 ポスドクの最終年度に、上岡教授の元で働いた助教が別の大学に栄転したことを受けて、同じラボで公募案件が発生するという非常にラッキーなことがあったため、是が非でもこの助教ポストを獲得したいという気持ちが頼子の疲れた身体を突き動かしていた。

 2015年頃に始まった『大学改革』と呼ばれる一連の大学制度の改正によって、国内の大学は、国際的に競争の激しいような最先端研究を行い、また研究の場で海外でも活躍できる人材育成を行うG型大学と、それぞれの地方・地域において求められる人材育成に特化し、職業訓練などの要素を多くしたL型大学に分かたれた。

 制度改革当初は、研究者コミュニティの中にあった反対論も、時間と疲弊のなかに掻き消え、2030年現在、この二つの大学の相互交流は断絶し、L型大学に所属する研究者を学会で見かけることがほとんどなくなっている。

 一方で、都市部に集中しているG型大学や国立の研究所の数少ない常勤ポストを巡り、過度の競争が常態化し、数少なくない悲劇を生み、研究者コミュニティのなかでは大きな問題となっていた。"履いて捨てる"という表現がぴったりなほど、頼子のような立場のポスドクは山程居て、そのほとんどすべてが常勤職を渇望している。

 この薄暗いラボのなかでだけでも、今年契約満期をむかえるポスドクは頼子を含めて三人も居て、全員がライバルということになる。

 それでも頼子には自信があった。

 自分を含めた三人のポスドクのなかで一番多く原著論文を書いたし、学会でも精力的に発表して、国際学会でポスター賞も受賞した。今書いている論文は審査には間に合わないだろうけど、NatureとかCell、Scienceといったビックジャーナルに投稿しようということにもなっている。

 もちろん外から自分より優秀な人が応募してくる可能性はあるのだが、4年間もここで研究して、この研究室のことをよく知っているということは、きっとプラスになるに違いない。そう、考えていた。

「頼子。書類、終わった?」

 背後から聞き慣れた声がして、椅子を回転させる。そこには長身のボサボサ頭の若い男が、同じように白衣姿立っている。

「一応。これから見直しして、封筒入れるわ。2030年にもなって、紙媒体で提出ってどうかしてるよね」

 軽くおどけてみせる。

「……圭介は?」

 高野圭介(たかの けいすけ)もこの3月に契約満期をむかえる同期のポスドクの一人で、やはり同じくこの公募に応募する。そして、博士後期課程からの頼子の恋人であった。

「もう出したよ。でも、頼子よりも業績少ないし、上岡先生も新しく基盤S出してるし、またしばらくポスドクかな」

 はははと無精ひげをなぞりながら、自虐的に笑う。時々見せる圭介のこういう自信のなさが、いまいち好きになれないでいた。パソコンの前でしかつけない眼鏡を外して、ふーと長めのため息をつく。

「外から業績の凄いする人が来るかもしれないし、ポスドクだって続けるかもわからないじゃない。 ……しっかりしてよ」

 最後の一言は、むしろ自分に向けてゆっくりと吐き出した。

 公募書類を出してから、三週間後、頼子は、面接会場の控室となった大学の管理棟小会議室で、学会でたまに着るだけのスーツに身を包み、自分の名前を呼ばれるのを待っていた。部屋のなかには、圭介と、学会で何度かあったことのあるN大の研究者、そして面識のない人が2名、やはり同じように自分の面接の番を緊張して待っている。

 (圭介、書類受かったんだ……鈴木さんは、ダメだったのね)

 ここ二週間ほど、自分の論文の投稿準備や、この面接の準備で、教授と秘書さんを除くラボの人、圭介も含めて誰とも話しておらず、それぞれの合否をこの場で始めて知ることになった。おそらく、圭介もそうだろう。ふとしたタイミングで目があい、お互い軽く手を振る。

 五十音順に一人ずつ呼ばれ、自分の前で圭介が呼ばれていく。と同時に、さっきまでよりも緊張の度合いが増し、自分の心臓の音が外にも聞こえているんじゃないかというくらいに大きく感じるようになってくる。

 このままじゃマズイ、とカバンのなかから公募書類として提出した自分の業績リストを取り出し、

 (今までこんなに頑張ってきたんだから、大丈夫。大丈夫)

 そう自分に言い聞かせて、はーと胸に手を当ててひとつ大きく息を吐く。と同時に、「次、藤枝さん。お願いします」という声に促されて、会場の管理棟大会議室に向かう。

 教員採用試験の面接は、30分間の研究内容紹介のプレゼンテーションとそれに対する審査員からの質疑応答、それと仮に採用された場合に、どのような講義が可能かという大学院教育に関するプランの発表が10分、やはりそれに対する審査員からの質疑応答で、合計1時間程度であった。

 途中で緊張して何度か噛んでしまった箇所もあったが、頼子は充分な手応えを感じていた。研究プレゼンではこれまで上岡教授のラボで行ってきた内容を話し、それからどのように発展させていくかも上手く説明できたし、審査員から何度も質問が来た。審査員は上岡教授の他に、同じ学科の別分野の教授や准教授、他の学科の近い分野の教授など、合計8名いたが、それぞれにいくつか質問していたので、頼子のプレゼンは審査員たちの感心を得たのは間違いなかった。

 スーツ姿のまま、実験や論文など上手くいった時にしか食べないように、勝手に願掛けしてるちょっと高めのアイスを二人分生協で購入する。

 途中、研究棟の脇で、上岡教授と話す圭介の姿を見かけたが、「何だろう?」くらいで特に気にも留めず、足早にアパートへと帰った。

■■

 面接から数週間して、大学から小さな茶封筒が頼子のデスクの上に届く。恐る恐る封を開け、胸に両手を当て深呼吸をしてから、A4の三つに折りたたまれた紙を広げる。

 そこには、中段に「厳正な審査の結果、残念ながら不採用とさせていただきます」という一文があり、その文を見つけた瞬間、頼子の頭が真っ白になる。

と、ほぼ同時にラボの反対側の隅で「おお!」という歓声があがる。その歓声の輪の中央で、照れくさそうに頭をかく圭介の姿を見つけ、頼子は一気に湧き上がった様々な感情とともに、呆然と恋人の姿を遠くに見つめていた。

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第2話 "L堕ち"

 2015年以降の大学改革により、最先端研究を行うG型大学と、地域・地方の人材養成機関としての役割を重視するL型大学との交流が断絶して10年以上の月日が流れた後で、G型大学のなかで一つのスラングが生まれた。

 ――それが"L堕ち"である。

 大型研究資金のすべてがG型大学と国立の研究所、首都圏私立大学に集約している2030年現在においては、それは『アカデミアで研究を行うことができなくなる』ことに対する恐怖を指していた。

 そして、今まさに藤枝頼子の眼前につきつけられた現実でもあった。

「そんな……なんで圭介が……」

 思わず口に出た黒い感情の一端は、幸い誰にも聞かれることなく、ラボの反対側で湧き上がる歓声にかき消された。

 高野圭介はお世辞にも実験や論文、学会発表が上手い方ではなく、単純な業績数だけみれば書類審査で落ちたもう一人のポスドクである鈴木の方が上で、もちろん頼子の方が多くの成果を得ている。呆然とする頼子を、研究室の秘書が呼ぶ声がする。

「藤枝さん、教授が教授室まで来て欲しいそうです」

 あまりの衝撃と、執筆途中の論文を書くために寝不足気味だったせいで、ふらふらと足元が揺れながら、実験室 兼 院生居室を出て、二つ先の教授室のドアを叩く。

 上岡教授の部屋は、教授の厳格な性格を反映してか本棚や調度品まで、きちんと整列されている。とは言え、本棚の本は古いお飾りのものではなく、『Molecular Biology of the Cell』などの専門書も一番新しい版にアップデートされている。

 「どうぞ」という声に導かれて、部屋の中央の応接テーブルの前に置かれた革張りの黒いローソファーに腰をおろす。この無機質な部屋に似合わない可愛らしい淡い朱色の一輪挿しに、真冬に咲く啓翁桜が一枝刺してある。

 しばらくして、上岡教授がテーブルを挟んで向かいに座る。

「藤枝さん、今回の公募は残念でした。結果は高野君が採用されましたが、あなたのプランは他の審査員も評価していただけに、実に残念です」

「……あの、先生。どうして、どうして私は不採用だったんでしょうか?」

 淡々と話す上岡に、頼子が質問する。喉元まで出かかった『どうして圭介が』は、グッと堪える。

 上岡は眼鏡のブリッジを右手の人差指で押し、「本来は答える必要はないんですが」と前置きをして、返答する。

「確かに、あなたのプランは素晴らしいものでしたが、どうしても"私の"研究計画の上にある、いわばサブテーマの一つとして認識されたのが、マイナスに評価されたというところでしょうか。それに比べて、高野君のプランは研究の独自性という点について、評価が高かったということです。」

 (そんなはず……ない……)

「加えて、教育プランのプレゼンでも、あの場に居た別分野の先生たちから、『早口で、専門用語を多用していて、教育スキルについて、やや疑問が残る』と評されてしまったのは事実です」

 まともに教授の顔をみれなくなった頼子は、視線をテーブルに移してうなだれる。その姿をみて、上岡は軽く息を吐いて、やはり淡々とした口調で続ける。

「藤枝さん、ご存知のように私の科研費基盤Sの期間はこの3月までです。更新の申請はしていますが、それもどうなるかわかりません。それに、藤枝さんはもう4年目で――」

 頼子は話の流れが"何かに向かうこと"を察して、顔を上げ、教授の言葉をさえぎるように質問する。

「教授、それってもしかして!!」

「……私は来年度、あなたに『G型研究適合証』を発行しません。同じことを鈴木君にも伝えました」

 頼子は愕然とする。

 あまりのことに、肩がだらりと力を失い、目が虚ろになる。そして、これまでの研究生活の思い出が、一気に脳内で走馬灯のように再生されて行く。

 『G型研究適合証』は、G型大学や国立の研究所、首都圏の私立大学で、研究活動に従事するための免許証のようなもので、通称・マルGと呼ばれている。

 基本的には、学位審査の指導を行ったマルGを持つ主査の教員や、教授会、ポスドクについては雇用主である研究室主宰の教授が発行するもので、この証明書がないとG型研究機関で研究することは出来ないし、公的な研究費への応募も許されないというものである。

 元々は2015年に始まった大学改革以降も、L型大学に残されていた研究者が、十数年間に渡り、地域・地方の課題解決ではなく、先端的な研究をやめようとしなかったため、政府がある種の強権として導入した制度であった。

 このマルGがなくなるということは、頼子の研究者としてのキャリアが閉ざされたことを意味している。

「うっぐっ……どうして……私が……」

 髪の毛を左右の手で力いっぱいに引っ張りながら、嗚咽する頼子に、上岡は顔色をまったく変えずに、A4一枚の紙を渡す。そこにはH地方のある小さなL型大学の名前と、求人募集の要項が書かれている。

 また眼鏡の位置をなおしながら、上岡が静かに話しかける。

「そのL型大学で求人が出ています。もし受けるのであれば、推薦状を書きます。 ……よく、考えて下さい。以上です」

 そう言って席を立つ上岡の姿を目で追うこともせずに、頼子は震えの止まらない手で眼前につきつけられた紙っ切れを見つめて捻り出すようにつぶやく。

「わ、わたしが……L堕ち……」

 頼子の絶望に合わせたかのように、タイミングよく朱い啓翁桜の花びらが一枚、テーブルに舞い落ちた。

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第3話 裏切り

 教授室を出て、自分の足が本当に自分の意志で動いているのかわからないくらいに、一歩一歩酷くふらつきながら居室に向かう。秘書室の前の廊下で、左手を壁について、そこから歩けなくなっていた。

 そんな頼子の姿を見て、話しかけて来る人物があった。この助教選考に上岡研究室から応募していたもう一人のポスドク――鈴木である。

 鈴木は、同期といっても民間企業からの転入組で、頼子や高野よりも何歳か年上の男性である。背格好は170後半くらいの身長に、いつも落ち着いた服装で、髪をオールバックにしていて、どちらかと言えばチャラい感じの高野に比べて、しっかりとした印象をもたれやすい。

「……藤枝さん、大丈夫?」

「え、ええ」

 大丈夫じゃないのは、一目瞭然であったが、頼子はあまり話したことのない鈴木の前で、弱みをみせたくないという気持ちがどこかにあった。

「大丈夫には見えないけど。 ……少し時間あるかな?」

 鈴木はそう言うと頼子に肩を貸し、居室とは反対方向に向かおうとする。

「あ、あの――」

 困惑した頼子が思わず声を出すと、鈴木は小さな、頼子にしか聞こえないような声でつぶやく。

「今回の採用の件で少し話たいことがあるんだ。ここではちょっとマズイから、場所を変えよう」

 二人は上岡教授の研究室のある研究棟から建物を変え、主に工学部の研究室が入る、学内道路を一つ挟んだ別の研究棟の1階の喫茶スペースに腰を落とす。この建物には、医学部に所属する上岡研究室の人間は、普段、出入りすることはほとんどない。

 また、このT大学工学部は、民間企業からの寄付金が潤沢で、1階の喫茶スペースには専門的な珈琲を出す店がテナントとして入っている。その他にも、13階には夜にはお酒が飲めるレストランが入っていて、世間一般の"工学部"というイメージからは外れて、お洒落な雰囲気がある建物になっている。

 暖かいコーヒーを二つ、テーブルの上に置いて、そのうちの一つを頼子にすすめた後で、鈴木が静かに、言葉を選んでいるようにしゃべりはじめる。

「今回の採用試験は残念だったね。まさか、藤枝さんではなくて、高野君とは……」

 鈴木の目からしても、圭介の業績よりも頼子の業績が上なのは明らかなようだった。頼子は俯いて、何も答えようとしない。

「僕はマルGについても、来年度は拒否されてね。古巣に出戻るように進めているところだけど、藤枝さんは?」

 ついさっきのことを思い出して、頼子はガタガタと震えだして言葉も出せずに一枚の紙切れを出す。

「これは? ッ!? ……なんと、L型大学か……藤枝さんもマルGを書かないと言われたんだね」

 しばらくの間、沈黙が続く。

「……君は、この人事をどう思う?」

 重苦しい雰囲気の中、鈴木が切り出す。

「ど、どうって?」

「高野君の業績、研究テーマ、教育歴、どれをとっても藤枝さんには及ばないはずだろう? それに面接前に上岡先生の前で行ったプログレスも酷いものだったじゃないか」

 確かに面接審査前に、ちょうど圭介の進捗発表会(プログレス)があったのだが、実験のデザイン、データ、解釈、すべてにおいて教授からの手厳しい意見が出ていた。

「……実は変な噂を聞いてね。今回の人事に、『附属病院長からの圧力があったのではないか』と。高野くんが、ついこの間、病院長の娘さんと婚約したからっていうただの憶測なのかもしれないけど」

 まだかろうじて残ってた血の気が一気に引き、青ざめるを通り越し行く。

「そんなわけない! だって圭介は私の――――」

 その瞬間、視界が暗くなり、頼子は大学の医務室に担ぎこまれた。

 何日か経って、スマートフォンのコミュニケーションアプリ越しに、ただ一言の『別れよう』というメッセージと、『高野助教、着任&婚約お祝いの会について』というメッセージを受け取り、頼子はそれを、薄暗いアパートの壁に寄りかかりながら、何も映らないガラス玉のような目で削除した。

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第4話 L型大学

 啓翁桜の季節が過ぎて、ソメイヨシノの花びらが舞う頃、藤枝頼子(ふじえだよりこ)の姿はT大学ではなく、山陰地方の小さなL型大学にあった。

 何年も買い替えていない少し色あせたスーツに、研究室に通っていた頃には使ったこともなかったビジネス用の鞄とヒールのついた靴で、丘の上に建つこれからの職場を目指している。

 その足どりは重い。

 上岡教授からL型大学への就職を斡旋された当初、頼子はそれを拒み、研究領域専門の求人サイトを使って、別の公募案件に応募アプライすることを試みた。

 その時は、『仮に10月1日着任になっても、G型大学に残れるなら、半年くらいはなんとかする』とも考えていたのだが、応募したすべての案件で、次年度のG型研究適合証(マルG)がないことを理由に、書類選考の段階で落とされていた。

 圭介の一件があってから、少し話をするようになっていた鈴木にこの事を話すと、鈴木は険しい顔をして応える。

「……そうか、君はまだ"事の重大さ"に気づいていなかったのか。

 君も知っての通り、最初のマルGは、通常、自分の博士論文を審査した大学の、同じくマルGを持っている主査の教授が書くことになっている。

 その後は、ポスドク先の教授だったり、教員をしている先の大学の教授会が書くわけだ。海外でそれらの職についた人間だって、国内の大学の求めに応じて、英語でそれに近い文章を書いてもらうことになっている。

 一方で、運悪くポスドク先の教授や助教になった先の教授会との折り合いが悪く、マルGを書かないと言われた場合でも、若手のポスドクや助教が不利益を被らないように、特例として、『直近の雇用主が発行しない場合でも、博士論文の主査の発行するマルGは有効』となっている。

 でも、君の場合は――」

 頼子は博士後期課程から上岡教授の研究室で過ごしていて、特例を使ったとしても、上岡教授にしかマルGを発行することはできないことになる。つまり、八方塞がりの状況であった。

 言葉を失う頼子に、鈴木は自分のスマートフォンで何かを調べて、メモ帳に書いてそれを渡す。

「なんの偶然かわからないけど、昔仕事で一緒になった人がこのL型大学にいるんだ。これが名前と連絡先。もしこの大学に行くことがあれば、訪ねてみるといいかもしれない」

 そう言うと、「来週から僕も古巣の会社に戻るからね。何かあればこっちに」と自身の連絡先も書き込む。

 それらの経緯や、博士後期課程までに借りた奨学金のことを考えて、頼子はこのL型大学への就職を決意したのであった。

■■

 最初に来るように言われた職員支援課に行くと、古い机や型遅れのパソコンがならぶ部屋にまばらに職員が座っていて、出勤簿と通行証のICカードを渡され、「次は人事課に行くように」と告げられる。

 それで人事課に行くと、給与振り込み口座の新設申請書を渡され、その次に向かった施設管理課で駐車場の契約書類、今日の午後から入居する予定になっていた寄宿舎の鍵と契約書を渡され、十分な説明もないまま、「次は学長室に」と促される。

 矢継ぎ早に事務部門をはしごしたところで、頼子はこれまで居たT大学よりも、一つの部署のスペースは広いのに、人員は少なく、使っている備品類が旧式のものばかりなのに気づく。

 大学改革当時に、まだこの大学がただの地方大学だった時に残こしていたものをそのまま使用していて、予算が回ってきていないことをありありと示していた。

 管理棟3階の奥にある学長室をノックすると、中から年配らしい女性の声で『どうぞ』と返ってくる。

「し、失礼します」

 緊張した様子で挨拶をすると、黒い髪を後ろでまとめ、スーツの上着を肩にかけた年配の女性が、それまで座っていた重厚な木製のデスクから席を立ち、頼子の元に近寄ってくる。

「学長の荒木だ。よろしく」

 年配の女性とは思えないほどゴツゴツした力強い手で、握手する。

「君のようなG型にしか見たことのない人間だと、L型は職員の数が少なくてびっくりしただろう?」

 ええ、とうなずく。

「2015年から始まったG型大学とL型大学の分離政策――いわゆる『大学改革』において、国は最初の数年間は、むしろL型大学に重点的に予算を配っていたんだがね。その後のG型研究適合証制度の導入とともに、L型大学への国からの運営費交付金の大幅削減と――」

 学長は少しだけ間を置いて続きを話始める。

「そして10年前のL型大学運営費における地方自治体負担金制度の導入。これで、多くの元々それほど裕福ではない地方のL型大学は壊滅的なダメージを受け、この大学もご多分に漏れず、この有り様というわけだ」

 はっはっはと自嘲気味に笑う。頼子はただただ不安な表情でそれを見つめる。

「……というわけで、人員に割ける費用もカツカツでね。君の直接の上司が私ということになる。君がこれまでに見てきた『大学』という組織のなかにあった学科や学部の教授会や委員会といった類(たぐい)のものは存在しない。いや、存在しなくなった、が正しいかな。

 いずれにしても、これまでの"研究ではなく"、これからはこの地方の課題解決、特に人材育成が君のミッションというわけだ」

 面と向かってハッキリ言われることで、頼子は"L堕ち"してしまった自分を再認識させられ、表情が曇る。荒木はそれを見逃さず、やや強めの口調で続ける。

「――そう落ち込んでいる暇はないぞ。君は、本日、これから『L型教育のための再教育プラン』が待っている。今日は実際に学生に教えている別の教員について、WordやExcelの使い方を教える講座の教育の進め方ついて、だ。

 明日はこのH地方における環境資源の基礎教育と、その維持についての実習。明後日は自治体の担当者と一緒に河川の水質汚濁監視業務の実務について学ぶ」

「ちょ、ちょっと待ってください!それ、全部、私一人が教えないといけない講義なんですか!?」

 早口で続ける荒木の言葉を堪らずさえぎる。そんな頼子をギロリと一瞥した後で、

「すべて必要な知識と技術だ。慣れなさい」

 そう荒木がきりすてる。その言葉に、頼子の胸の中に広がった不安とは反対に、春の風で舞ったソメイヨシノの花びらが、一枚の絵画のように学長室の窓を彩っていた。

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第5話 廃墟のような実験室で

「藤枝先生、さっきの講義の質問いいですか?」

 一限目の講義が終わって、今日は90分だけスケジュールが空く予定で、自分の居室に戻るところに声をかけられる。

 『意外と』という言葉をつけると学長に怒られそうだが、このL型大学の学生は講義に対して熱心だということを頼子は実感していた。

 もちろん自分が所属していたG型大学の学生が熱心ではないということではないのだけれど、頼子のなかのL型大学像に関していえば、もっとこうステレオタイプな不良のような学生も多いと勝手に思い込んでいた。

 実際のところは、学生の年齢別の構成比がそもそもG型大学とはだいぶ異なっていて、18歳の学生に混じって、多くの社会人学生が講義を一緒に受けている。そういうことも、『意外と』落ち着いている雰囲気を作り出しているのかもしれない。

 季節は移り変わり、すっかり緑色だけになったソメイヨシノに細い糸のような雨がもう三日ほど降りかかっている。頼子がL型大学に異動してきてから、二ヶ月が過ぎようとしていた。

 さっきの学生と別れ、自分の居室に戻ってくると学科に一人しか居ない学科担当の事務職員が学内便のいくつかの書類を持って立っている。

 それを受け取って、自分しか使ってない居室の中に入る。

 大きな部屋に事務机が4つ、それとは離れた場所にダルトンの流し台付中央実験台が二つ。さらにその奥にもう使われなくなって何年も経っているクリーンベンチが一台。

 頼子以外にも数人居るこの学科の教員には、同様の"居室"があてがわれている。それぞれの居室は、かつては講座の実験室として稼動していたもので、2015年から始まった一連の大学改革、特に地域自治体による運営費交付金負担制度の施行後、急速に削減された大学運営予算の影響を受け、一気に人材が流出し、現在のような姿になったと聞いている。

 ――それはまさに、『廃墟』と呼ぶにふさわしかった。

 頼子は壊れて使い物にならないエアコンの代わりにと、大学から支給されている扇風機のスイッチをいれ、自分のデスクに座ると午後の講義の準備のためにパソコンを立ち上げる。起動するまでのほんのわずかな時間に、さっき受け取った書類に目を落とす。特定業務従事者健康診断の案内に混じって、『山陰地方学開講のお知らせ』というリーフレットに気づく。

(なんだろう……山陰地方学? 公開講座みたいなものかな?)

 少し気になったものの、午後の講義の準備に気をとられている頼子は、そのリーフレットを平積みにされている本や資料の上に無造作に置くと、立ち上がったパソコンでメールの確認を始める。

 いくつかの事務連絡に返信したところ後で、『新着論文ウォッチリスト2030/6/15更新分』というメールを開封する。

 自分の関心のある研究分野やキーワードを登録しておくと、その分野やキーワードに該当する論文が発表されると、こうやってメールでお知らせをくれる無料のサービスで、頼子にとって、L型大学に移ってきてからの"ささやかな"楽しみとなっていた。

 といっても、この大学は図書館が論文雑誌と契約していないため、見れるのはタイトルと要約(アブストラクト)の部分だけなのだが、それでも自分の研究領域でどんな新しい論文が発表されたかをチェックするのは、職場と寄宿舎の往復だけの生活を過ごす頼子のなかで、唯一許された学術活動のような感じがして、ほんの少しだけ日々の苦労が癒される瞬間でもあった。

 この日は二つだけ新着論文のPubmedへのリンクが貼ってあり、一つ目の要約に目を通す。頼子の専門とは少し外れる論文ではあったが、気になる実験系の話に触れられていて、オープンアクセスではないを歯がゆく思う。

 続いて、二つ目のリンクをクリックした瞬間、頼子の動きが止まる。

 Natureに掲載された自分と同じ専門の論文。心臓がドンッドンッといつもより大きく音を鳴らし、上手く息を吸えずに短い呼吸をいつもの倍のスピードで繰り返す。血液がすべて胸と頭に集中しているかのように、頭と胸が熱い。

「……なんで……なんでこんな…………」

 やっとの思いで搾り出した言葉は、誰もいない居室のなかで扇風機のモーター音にかき消される。

 頼子のパソコンには、見慣れた英文タイトルと要約、確かに自分が撮った共焦点レーザー顕微鏡の写真、夜遅くまで研究室に残って作ったグラフや図、そして、筆頭著者に「Keisuke Takano」と書かれた論文が映し出されていた――

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