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吾輩はニャーである

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吾輩は猫である。名前はまだない。
……ないの? うん、ないの。

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目次

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吾輩とミズキン

吾輩は猫である。名前はまだない。

……ないの? うん、ないの。

名前なるものがないと、ちと困ることがある。

いや、大いに困ることと言って差支えなかろう。

なにが困るかって、吾輩を呼ぶ名前が統一されていないことである。

ある人は吾輩をミケといい、ある人は吾輩をタマと呼ぶ。

また、ある人は吾輩をクロといい、はたまたある人は吾輩をソラと呼ぶ。

そして、ある人は吾輩をハルと呼ぶ。

はて、吾輩はいったいどの名前に反応していいものであるのか、皆目見当もつかぬ。

不思議と吾輩をポチと呼ぶ者はおらぬ。あれは犬族固有の名前であるらしいゆえ。

さっさと吾輩に良い名をつけてくれとにゃーにゃーご主人をせっついてはいるが、なにぶん吾輩のご主人は優柔不断な性分であるらしく、ああでもない、こうでもないと名前ひとつ付けるのに難渋している始末である。

ご主人の名はミズキンである。

脚本家とゆー職業の生き物であるらしい。

毎日せっせとつまらない脚本を書いているが、いつも「書けない、書けない」と紙クズを丸めて、床に放り投げている。白と黒と掠れた灰色が入り混じったくしゃくしゃの原稿用紙は、妙なる肌触りがして、そこはかとなく芳しい匂いが漂っているのである。

ためしに前足で引っ掻いてみると、ぺしゃりと凹むではないか。

おうおう、ういやつじゃ。ちこうよれ。うりうり。

凹むのう、楽しいのう。わはは。

丸めた原稿用紙をぺしぺししていると、ミズキンが目を細めて吾輩を見ている……ような気がした。どうせ原稿書きに飽いたのであろう。餌を放ってくれれば、半刻ばかりなら構ってやらんでもないぞミズキンよ。

おやっ、ミズキンがこちらになにかを放ったようである。

餌か? 餌ではあるまいか? 

毎日、ネコ缶とキャットフードなるものに飽いたところである。

生肉か、赤くて少々筋張った刺身なるものも時には食したい気分である。

吾輩のような猫族は、人間のいうところの視力なるものが0.1ほどしかないゆえ、少々離れているとご主人の顔はぼんやりとしか判別できぬのであるが、まあ、ご主人か否かは、匂いと声の調子で判るゆえ、大した問題ではあるまい。

吾輩に餌をくれるものすべてミズキンであり、つまるところ、ミズキンは母であり、友であり、家族であり、奴隷であり、遊び相手である。しかして、吾輩の安眠を邪魔するものは、ミズキンとてミズキンではあらぬ。吾輩、日に十六時間は寝ないと体力が持たぬ身体ゆえ。人間と違って繊細であるのだよ。いや、ほんと。そこんとこ、ちゃんとわかっとるのかね、ミズキンは。お猫様をなんだと思ってるのかね。まったく。

夜遅くまでパソコンなるものに光を灯してカタカタカタカタしてると、夜半とて明るいし五月蠅くて、まともに眠れぬ。ゆえに吾輩、最近不機嫌であらせられる。睡眠不足は即ち猫に対する敬意の欠如であり、冒涜であろう。

吾輩、安眠を求めてストライキも辞さぬ所存である。

気軽ににゃーなどとは泣いてはやらぬ。

お愛想で、にゃあで十分。

にゃあ。

ミズキンよ、新手の餌で吾輩のご機嫌を伺おうなど笑止千万。

まずはそのパソコンなるものをさっさと消すが良い。

さもなくば、かじるぞ。

にゃあ。

机によじ登って、パソコンの上で軽快なるダンス。

どうだ、華麗であろう?

むむ、意外と暖かくて居心地が良いぞ。

おっと、いかんいかん。

思わず丸まって寝そべってしまったではないか。

吾輩、ストライキを申し入れに来たのである。

闘いに来たのである。春闘である。

旺盛なる闘争意欲を示すため手近にあったものに噛みついてみる。

がぶり。

……ん?

……んん?

……んんん?

不味い。味がせぬ。吐く。うえーーー。

餌だと思ったら、エラいことになったよ、うん。

――教訓。

脚本、食べちゃ駄目。

笑うでない、ミズキン。

温厚な吾輩とて怒るぞ。にゃあ。

こっ、こら。

気安く頭を撫でるでない。

ふん、き、気持ちよくなんかないぞ。

吾輩、まだ眠とうないぞ。

にゃあ。にゃあ。にゃあ。

……気づいたら、朝であった。不覚。

……昼まで眠ることにしよう。

……にゃー。

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とじる

吾輩と霧島ニャー

 吾輩には、敬する先輩猫が二匹いる。

「ハルボーイ、ちょっと押してくれんか」

 吾輩のお城を囲う塀の中央に取り付けられた鉄製の門扉。その格子の間に挟まって動けない様子の肥えた黒猫が吾輩に向かって懇願しておる。

 隣家に住みついている老猫、ラムセス三世の声である。

 左頬に大きな十字傷があるのが特徴で、なんでも戊辰戦争の頃に負った刀傷であるという。戦争という、これまでに聞いたこともない大仰な言葉をそれとなく操る賢人である。

 ラムセス師は、IQ740もある超頭脳を有しているらしく、人語を解するだけでなく、人間との対話まで可能であると聞く。

 うむ、それは少しばかり羨ましい限りである。

 吾輩、餌が欲しい時に頭を撫でられても腹が立つばかりゆえ、言葉が通じるのであればいちいちを身振り手振りで示す必要もなくなるというものだ。

「しばし待たれよ、ラムセス師」

 吾輩、門扉の前に近寄ってみるが、これまた見事に嵌まったものである。師の巨腹が格子にめり込んで閊えておる。非力な吾輩の力では、押しても、引いてもびくともしそうにない。

「小こいのに、相変わらず古風な喋り方するのお、ハルボーイ」

 格子に嵌まりながらも、目を細めて笑みを浮かべるラムセス師の超然とした態度には、一種の余裕すら漂っているかのようであった。さすがの吾輩にも真似のできぬ泰然自若の所作である。

「何ゆえ、吾輩をハルボーイと呼称するのであるか、ラムセス師」

 動けぬラムセス師に常なる疑問をぶつけてみることにした。

「そりゃあ、ハルボーイがこの家に飼われた季節が春だったからさ」

 さも億劫そうにラムセス師がそう告げた。

「飼われる? 吾輩の誕生日は二月二十二日である」

 春ではなく、冬である。

「なんだい、ハルボーイ。猫の日に生まれたんか、そうかそうか」

 ラムセス師は一人楽しそうに笑っておられる。いったい何が可笑しいのであろう。

「何が可笑しいのであろうか、ラムセス師」

 もう少し吾輩にも理解できるよう配慮してほしいものである。まったく。

「何って、そりゃあ二月二十二日だろう?」

 吾輩、こくりと小さく頷く。

 だから、それの何が可笑しいのであろうか。

「ニャンニャンニャンの日。つまり、猫の日さ」

 至極、真面目な顔で言い腐りおった。

「……なるほど、語呂合わせでござったか」

 溜め息交じりに呟くと、ラムセス師がわずかに怪訝そうな顔をした。

「どうした、ハルボーイ。悩み事か?」

 悩み事というほどのことでもあるまい。

 そもそも猫族に悩みなど似つかわしくなかろう。

「吾輩もラムセス師のように人語を操りたいのであるが、その術、いかにして身につけたのであるか?」

「なんだ、そんなことかい」

 師はけらけらと笑った。

「IQ740を超えると、人間との会話が可能になるようだのう」

 ラムセス師のひしゃげた髭が微風に揺れる。

「それは真であるか?」

「なんなら、人間がこの場にいれば、話して見せられるのであるがなあ」

 師はさも残念そうに呟いた。残念、至極。吾輩とて心は同じである。

「吾輩、まだIQが740の水準に達しておらぬのか」

 思わず、空を見上げてしまった。

 抜けるような青空が眩しい。

「心配なさんな、ハルボーイ。君はまだ若い」

 諭すような声であった。格子に嵌まりながらも、その声はいかにも長老のそれであった。

「IQはある日、指数関数的に伸びるものだからな。猫らしく、安心して惰眠を貪っておればよい」

 なるほど、左様であるか。

 ならば、吾輩もいずれは人語を操れるようになるであろう。

「やはり、師は物知りであるな」

 ラムセス師は、猫端会議における吾輩の先生である。

 かように偉大なる師が隣家に住んでいるその幸運に感謝せねばなるまい。アーメン。

 と、その時、門扉の近くから聞き慣れた靴音が二つ。

 図らずも、吾輩庭先に身を潜める次第である。

 端的に言えば条件反射である。にゃあ。

「おうい、ハルボーイ」

 くぐもった声が風に乗って耳に運ばれてきたが、吾輩、断腸の思いで耳を塞ぐ所存。

 すまぬ、ラムセス師。吾輩、貴兄よりも敬うべき上位の存在があるのである。

 扉の外で、何かを叩く音が聞こえた。ぎいっと古めかしい音がして、門扉が開かれる。

「おっ、助かった」

 片開きの門扉が開閉することによって幾分の隙間ができたのか、格子に嵌まり込んでいたラムセス師は何ごともなかったかのような顔をして、去って行ったようである。庭先からちらと様子を伺うと、師の短い尻尾が揺れていた。今後は助けろよ。そういう意味であることはすぐに知れた。

 面目ない、ラムセス師。次回は必ずやお助け申し上げる。

「ねえ、いま喋らなかった? あの黒猫」

 一人と一匹が連れ立って、吾輩の城に帰ってきたようだ。

「はあ? そんな訳ないでしょ」

 ハイヒールの靴音を響かせて、颯爽と歩く黒髪の女性がそう答えた。

 並んで歩く、小さい方の一匹。栗色の毛並みが揺れている。

 霧島綾という名であるらしい。

 霧島、綾。

 吾輩の高性能な耳には、霧島ニャーと聞こえるのであるが。

 いや、ほんと。

 霧島、ニャー。

 にゃーではなく、ニャーではあるが。

 そうか、お主もニャーと言うのか。

 うむ、いい響きであるな、ニャーよ。

 お主とは存外よい友達となれそうな予感がするぞ。

 

 今日はお出掛けのためにめかしこんでおるのか、尻尾は隠しておるらしい。髭も隠れておる。だが、こやつも吾輩と同じ猫族の生き物であろう。IQが740を超えているようには到底見えぬが、こやつも人語を操るようである。

 こんなに図体ばかりがデカくては不便であろうの。書棚の上では眠れぬし、洗濯機の中にも潜れぬ。せいぜいがソファの上で丸まって眠るくらいか。

「あらっ、ソラ。そこにいたの。ただいま」

 黒髪の女性、名を内田真紀という。内田女史が吾輩に優しげな声をかけてきた。

 思わず、ぷいと視線を逸らす吾輩。

「ソラじゃなくて、ハルだよ。真紀ちん」

 いつも上の空だからソラ。あんまりだ。

 哲学しているのだよ、マイ・ボス。寝惚けてはいるが、眠ってはおらぬ。

「ほんと、真紀ちんには懐かないよねー。すぐ目逸らすし」

 おっと、馬鹿を言うでないぞ、霧島ニャー。

 目を逸らすのは、吾輩一流の服従のポーズである。

 吾輩、そなたに一切の敵意は御座らぬ。そういう意味であろう。

 そういう、兜を脱いだ態度であろう。それがなぜ分からぬか。

 霧島ニャーは吾輩の先輩猫であるが、内田真紀は吾輩のボスである。

 何ゆえ、ボスであるのかと?

 それは、いずれ説明する。この場で言えることは唯一つ。

 逆らってはならぬものには歯向かわない。

 それは猫族に代々伝わる、いつの世も変わらぬ処世術である。

 ……眠い。

 ……にゃー。

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とじる

吾輩とミシマ氏

 霧島ニャーとマイ・ボスは鉄製の門扉をくぐり、吾輩の城へと帰還した模様。

 吾輩の城は従来、鉄骨四階建ての無骨な造りであったそうだが、現在は一階部に縁側付きのサンルームなるものが違法建築的に増築され、吾輩の絶好の日向ぼっこの場と化しておる次第。 

 時折ラムセス師もこのサンルームに訪れ、縁側に寝そべりながら文学談義を交わすのである。

 世の中のありさまも知りはべらず、夜昼、御前にさぶらひて、わづかになむはかなき書なども習ひはべりし。ただ、かしこき御手より伝へはべりしだに、何ごとも広き心を知らぬほどは、文の才をまねぶにも、琴笛の調べにも、音耐へず、及ばぬところの多くなむはべりける。……という具合にの。

 無論、意味はとんと分からぬ。

 小難しい言葉を羅列してみたいお年頃なのである。

 にゃあ。

 実に衒学的であろう? 

 ペダンティックとも言うようであるの。

 大きく伸びをひとつしてから、サンルームの方へと歩くと、どうやら先客がいる様子。

 籐椅子に深く腰掛け、大判の古書を片手に読書に勤しんでいる人間が一人。遠目からは判然とせぬが、どうやらあれは漱石全集のうちの一冊であろうか。あれなるは、衒学の極みであろう。知識人ぶりたい輩に相違なき選書たれかし。

 斯様な読書傾向を有する家人は、三島シンジを置いて他にはおるまい。

 ふと背伸びしたい年頃なのであろう。吾輩も果てなき知の道程に在りて、そなたのような迷い子の如き時代を経ているゆえ、その心もち、分からぬでもあるまい。

 身じろぎひとつせずに読み入っておるようで、吾輩が近付くのにも気付かないようである。吾輩に挨拶ひとつせぬとは甚だ心外ではあるが、左程に面白きものであれば、教養のひとつとして嗜まねばなるまいに。

 ラムセス師曰く、かつて漱石という名は、文豪なる呼称をもって世間に知らるる存在であったという。

 森、谷崎、川端、志賀、太宰。

 芥川、三島、そして夏目。

 これらの姓を持つものもまた文豪の系譜に列せらるる存在であったという。

 ふむ、文豪とな。それはつまり世襲ということであるか?

 更に言えば、夏目なる人間は吾輩の祖先たる猫族と、意志の疎通だけではなく、会話もできたと聞く。

 さあれば、三島なる文豪と同じ姓を冠するこの男も、吾輩と喋れるのであろうか。そう期待して話しかけてみたこともあるが、どうやらこの三島には猫族との対話能力が備わっていないらしい。

 どうにもこの三島某、マイ・ボスとのつがいであるらしく、それもあってか、人前で吾輩と喋ることを自ら禁じているかのような素振りを見せるのである。うむ、風采は上がらぬ男であるが、なかなかに賢いと見受けた。

 聞けば、この三島も小説家なる種族であるという。

 所詮は三文文士であろうが、悲観することはあるまい。貴殿も死後は文豪という呼称を持って敬さるる存在であることは疑いなき事実である。なにせ、三島であるからの。

 惜しむらくは、夏目でなかったことか。

 お主が夏目であれば、間違いなく吾輩と楽しいお喋りができたであろう。

 口惜しいのう。

 吾輩、存命の小説家で、かつ文豪の系譜に列せられぬ姓でありながら、それでいて文豪の資格ありしは、ダジローを置いて他になかろうと思う。

 ……浅田次郎。

 ……朝だ、ジロー。

 ……ダジロー。

 ……昼まで起こすな、ジロー。

 にゃあ。

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とじる

吾輩と肉球

 僕といっしょに自害してはくれまいか。

 ミシマ氏のしたためている小品にあった一節である。歴代の文豪ほどの重厚さは欠片もないが、古めかしい文体であることに相違ない。ミズキンはもう少し軽快なる文を綴る。心が踊るほどに随所に○があるのだ。吾輩、転がるボールを追いかけているようで、ミズキンの書いた脚本を目にすると不思議に高揚するのである。

○吾輩のお城・書斎・中(夜)

   ミシマ氏が仮眠する中、吾輩がキーボードをタイプしている。

 

 ……たとえて書くならば、こんな感じであろうか。

 うむ、吾輩、意外と文才があるようであるな。読み書きはミシマ氏から教わったが、おそらく現段階においては、もはや吾輩の文才はミシマ氏のそれを凌駕しているであろう。

 前足でパソコンのキーなるものをふみふみすれば、明るい箱の中に文章が出力されるようであるからの。どれ、こんど代筆してやるとするか。口述筆記でも構わぬぞ。

 ミシマ氏、驚くであろうの。猫族並みに表情に乏しいご仁であるが、きっと驚くであろうな。朝目覚めたら、知らぬ間に小品が完成しているのであるからの。

 いわゆる柱と呼ばれるものであるのか。ミズキンの脚本には文頭にいくつも○が記されており、吾輩の足裏にある肉球に酷似した丸みを帯びたその形状に、えも言われぬ共感を覚えるのである。翻ってミシマ氏の文に○は滅多に登場せぬ。代わって文末に頻出するのが、小さな○である。「○」ではなく「。」なのである。なんとも控えめであるな。

 狭量な精神が○の大きさに表れているようである。ミシマ氏はもう少し大胆になってもよかろう。○のサイズを心もち大きくしてみれば、もっと世に認められるであろう。

 世界は肉球のように丸いのであるからして。吾輩、密かにそう思うのである。

 とかく作家なるものは、一般人より死に近しい感覚を有しているのであろうか。死やら自害やら、生きる意味がどうだなどとは、少なくとも、猫族であれば決して発することのなき言葉であろう。吾輩たち猫族は、死の間際とて殊更に騒ぎ立てたりはせぬ。黙って消える。そういう流儀である。雄猫でも雌猫でもそれは変わらぬ。

 自らの死期を悟りし時に於いては、死に際を見せぬもの。それが猫族の不文律である。元来が、暗くて、狭いところを好む種族ゆえ、死に体がそもそも人目につきにくいという理由も多少は関係しているのであろうが。去りゆく男に美学なるものがあるとして、むやみに饒舌なることは、そも美しくないと思うのは吾輩だけであろうか。

 冒頭に掲げられし、かような悪文を美文と取り違えて無思慮に綴ってしまうのがミシマ氏の抱えし根深い病理であり、エンタメ畑でありながら純文学並みにしか売れていない要因であろうと、ラムセス師が看過しておられた。

 相も変わらず鋭い分析でおられる。

 無論、その意味するところは半分も分からぬのであるが。そういう時は、意味ありげに頷いて、ひとまず分かったふりをしておくのである。にゃあ。

「純文学とエンタメとは、具体的にどう違うのであろうか」

 素朴なる疑問は、即座に摘むのが最良であると聞く。

「十万部売れたら作家先生と持ち上げられるのがエンタメ。売れるのがステータス」

 博識なるラムセス師に知らぬことはないようである。師は端的にそうお答えになられた。

「十万部売れたら売文屋と蔑まれるのが純文学。売れないことがステータス」

 蔑称であるのであろうが、売文屋とはなんとも魅惑的な響きのある言葉であろう。

 作家先生とは甚だ軽佻浮薄な趣であるが、売文屋なる呼称には一匹狼的で傲岸不遜な趣が其処此処に漂っておられる。

 庭を見渡す縁側に腰掛けるか、書籍がうず高く山のように積まれた書斎に籠るか。いずれにせよ、いちど座れば姿勢をほとんど崩さぬミシマ氏のことである。腰は丸まって猫背ではあるが、世間の評などに揺らぐこともあるまい。

 霧島ニャーは常に丸まって寝るが、ミシマ氏が丸まって眠るところを見たことはない。

「師よ。ミシマ氏は売文屋であるのだろうか?」

 縁側の籐椅子に座って読書に耽っているミシマ氏であるが、まさか縁側の下で斯様な会話が繰り広げられているとは夢にも思うまい。

「んー、そうでもなかろうな」

 ラムセス師らしくない、歯切れの悪い答えであった。

「処女作がバカ売れした当時は、紛れもなく大衆作家で、作家大先生と持ち上げられておったがの。二作目以降は純文路線に微妙に作風が変わって、尻すぼみでな。売文屋と蔑まれるほどに売れてはおらぬようだのう」

 昨夜のうちに、にわか雨があったようで、庭の下草に雨露が光っている。ラムセス師は縁側の下がお気に入りのようで、散歩ついでにほぼ毎日訪れて来られる。

 師は、頭を縁側の最奥部の方に向け、仰向けのまま瞑目しておられる。縁側の下は昼夜を問わず仄暗いゆえ、お昼寝には絶好のスポットである。ラムセス師の頭の下には分厚い古書が横たわっている。

「枕にするには丁度よいが……」

 生々しい爪痕の残った漱石全集。

「もう手打ちにしてもらえたのかね?」

「激することのない気性の持ち主であるからな。根に持つような人ではあるまい」

 今でこそ関係は良好であるが、一時は冷戦状態であったな、ミシマ氏よ。知らぬこととは言え、吾輩そなたに大変なる無礼を働いたこと、重ねて反省する次第である。にゃあ。

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とじる

吾輩とマイ・ボス

 吾輩の城の二階には、本棚と長机しか置かれていない書斎なる部屋があってな。

 ミシマ氏の蔵書なるものが所狭しと並べられておって、氏はいつもこの部屋で駄文の執筆に勤しんでおる。ミズキンも時折、この部屋に出入りしておるようであるな。図書館に行かぬでも資料集めができて大いに助かる、などと言うておったわ。

 はてさて、この書斎であるが、入ってすぐ左脇の本棚の最下段に漱石全集なる、いかにも古めかしい書物群があっての。三十冊近くも同じタイトルが並んでおるのであるな。

 その日、マイ・ボスと霧島ニャーはどこかにお出掛けしており、ミズキンは三階の自室に籠って脚本の執筆中、ミシマ氏は書くのに飽いたのか、縁側で読書という体であってな。

 誰も吾輩に構ってくれぬゆえ、手持無沙汰に書斎に忍び込んでみたのであるな。マイ・ボスには、この部屋にだけは入ってはいけないと前々より忠告されてはおったが、この日は咎める者も不在であったゆえ、こっそりと書斎にお邪魔してみたのである。

 入ってはいけないと止められると、俄然入ってみたくなるものであろう?

 古びた書物の匂いであるのか部屋中カビ臭くて、窓からはうず高く積まれた書籍の山のせいで光も射さぬ有様であったな。あの饐えた匂いには少々閉口するが、あの丁度良い具合の薄暗さは吾輩の好みであるな。長机の上には、書きかけの原稿用紙とパソコンなる箱が無造作に置かれておった。

 吾輩、いつになく爪が伸びておってな。同じ本が何冊もあるのであるから、一冊ぐらいは爪研ぎに使うてもよかろうと思うて、漱石全集の一冊で爪を研いだのであるな。

 丁度吾輩の背丈の届くような高さに蔵されておったのも幸いしたのであるが、気付いたら古書をボロボロにしてしもうていた。休憩から帰ってきたミシマ氏は、とにかく悲しそうな顔をしておったな。どうやら吾輩、取り返しのつかぬことをしてしまったらしい。

 漱石の署名があるゆえ、かの漱石本人から直接譲り受けたものであるのやもしれぬ。そんな貴重な代物であるとは露知らず、爪研ぎがてらに引き裂いてしもうた。

 マイ・ボスに懇々と膝詰め説教されてな。反省の意を示すために、終始視線を逸らしておったら、半刻か一刻か判然とせぬがかなり長いことそのままで、食事もその日一日抜きであった。ごろごろとお腹が鳴っても、うにゃあと和解交渉を持ちかけてみても、まるで取りつく島のない感じでの。

 哀れに思うたのか、夜半にミズキンが吾輩に餌を与えてくれようとしたようだが、マイ・ボスが無言で一睨みすると、ひとつ年下のミズキンは一切逆らえんようであったの。

 翌朝のことであったな。吾輩、あまりに腹が減って頭がぐるぐる回って目眩までしておったゆえ、普段なら目覚めぬことのない早朝に起きてしまったのであるな。

 深夜に執筆するミシマ氏は朝に起きてくることは滅多になく、猫まっしぐらの霧島ニャーに至っては律儀に昼まで惰眠を貪ることが常態と化しておる。

 ゆえに、朝の食卓の席に並ぶ顔ぶれは、必然マイ・ボスとミズキンということになる。

 ミズキンが台所で包丁を握っておったゆえ、背伸びして台所の縁に爪を立ててみたのである。マイ・ボスがごく近くに控えておる手前、駄目もとの食事の催促であるな。

 けれど、ミズキンは食事の用意に夢中であったのか、吾輩の気配に気づく様子もなくてな。ミズキンは普段は聡いのだが、どうにも抜けておるところが時折見え隠れするのが玉に瑕であってな。

 吾輩の魂の叫びをあっさりとスルーするとは、今後の信頼関係が揺らぎかねない失態であると猛省を促す次第であるな。にゃあ。

「ソラ、お腹すいたでしょう。食べなさい」

 吾輩、しょんぼりと項垂れておったら、なんとマイ・ボスが吾輩の傍らに朝ご飯を用意してくれたのであるな。霧島ニャーと同じく朝起きぬ吾輩にとって、はじめての朝食であった上に、一日ぶりの食事であったからの。吾輩、感動で打ち震えて、ろくに味も分からなかったのであるが、マイ・ボスの偉大さと寛大さを身を持って知ったのである。

 なるほど、これが飴と鞭。頭の内ではその手筋の妙を分かっていてすら、絶大なる効力があるものよのう。人心掌握、もとい猫心掌握術なるものをよく心得ておるわ。

 さすがに、零細とて芸能事務所を一手に取り仕切る上役のことはある。

 猫族の端くれだけにどこか甘っちょろいところのある霧島ニャーと、厭世的な文筆家であるミシマ氏と、見習い脚本家で、それでなくとも精神的に折れやすいミズキンを束ねる器量は、素直に感心せらるるものがあるな。

 ミシマ氏と霧島ニャーとマイ・ボスが同い年であるなどとは到底信じられぬ。

 まだ三十路にすらなっていないというのに、マイ・ボスのあの威圧感たるや、げに恐ろしきなり。立場が人を作るのか、はたまた生まれし時から賜りし素養であるかは知らぬが、この城内でマイ・ボスにだけは逆らうてはならぬと吾輩悟った次第である。

 以来、マイ・ボスが吾輩の周囲数メートル範囲まで近接せしは、敬意と畏怖の念を持って、しかと目を逸らすのである。が、マイ・ボスとしてはその態度がどうにもお気に召さない様子。いつも上の空で、常に目を逸らすからソラ。

 なんとも皮肉なる名を吾輩に与え賜ったのである。まあ、その名をマイ・ボスに呼ばれると、えも言われぬこそばゆい感じがして悪い気はせぬのだが。にゃー。

 マイ・ボスとミシマ氏が夫婦別姓なのは、対外的に舐められないためにとの配慮なのであろうかの。本人たちがそれで納得しておるのであれば、それで良いのではないかな。男女のことにとやかく嘴を挟むのは野暮というものであろうよ。

 まあ、ミシマよりウチダの方が、語の響きからしてよほど強そうであるからの。

 島は海にぷかぷか浮かんでおるもので、田は土地に根を下ろして、作物が実るよう荒れ地を耕すものであるしのう。おおっ。そういえば、霧島も三島も、どちらも島であるな。たしかに、どちらも世間から浮かんでおるわ。

 美月とて同じであるな。月なるものは、空に浮かんでおるものであって、三者とも誰も地に足が着いておらぬわ。

 マイ・ボスと吾輩がおらねば、この城はゆうに人の手に渡っておるであろうな。ミシマ氏と霧島ニャーとミズキンが心患うことなく、世間の波をふわふわと漂っておられるのは、ひとえにマイ・ボスのひとかたならぬ献身あってのことである。

 内田真紀と書いて、マイ・ボスと読む。ゆえに、マイ・ボスにソラと名を呼ばれるのは光栄でもあり、いささか不本意でもある。

 吾輩も、荒れた大地に田畑を築く者の一匹であるゆえ。

 吾輩も、弱卒なれど野を駆けるハンターの端くれゆえ。

 ……にゃー。

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