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秘密の肖像画 完結

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彼にばれた。
私があの人の肖像画を、ひたすらに描いていることを――

自分がいつ忘れたのかも、思い出せない思い出ってありませんか。

1位の表紙

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 あの人の肖像画を描いた。

 誰にも知られずに。

 ◇ ◆ ◇

『何を考えてるんだ?』

 不意に、彼に言われた。

 行きつけのカフェ、奥まったいつもの席。

 さらさら鳴ってる、観葉植物の葉っぱ。

 和らいだ光線。

『何って? あなたが話してたことよ。あの女優は最近の作品じゃ……』

 私はどきりとしたが、咄嗟にごまかそうと試みた。

『そうじゃないだろ。違うこと考えてるくらい、見抜けない間抜けだと思ってるのか』

 低いうなり声に、流石に肝が冷える。

 カフェオレはもう冷めていた。

『……誰のことを考えてるんだ? 最近お前、ずっと上の空だ』

 突きつけられて更に体感温度が下がる。

 じりりと熱した錐(きり)みたいな視線が痛い。

 ――結局、その日はごまかしきれた。

 ――その日だけ、は。

 ◇ ◆ ◇

 決定的なことは、いつも唐突だ。

 部屋に帰り着くと、鍵が開いていて、電灯が点いていた。

 ぎょっとして曲者かと思ったが、まあ、私は人間の女性ではない。

 頸椎のねじ曲がった死骸になるのは、あっちということになるが。

 しかし、私は気付いてしまった。

 この部屋にこんなに簡単に侵入できる――合鍵を持っているのは、誰なのかということ。

『……こいつ、誰だ?』

 アトリエとして使っている部屋に行くと、案の定、彼がいた。

 仕事はどうしたのだろう。

 彼が私の机から取り上げ、掲げたスケッチブックには、鉛筆書きの、あの人の肖像画があった。

 依頼じゃあない。

 私が描きたくて描きたくてたまらず、熱情の迸るままに鉛筆を走らせたもの。

 ――目の前にいる彼とは、似ても似つかない。言い訳のしようがない。

 彼の目は、放り出された石ころのように、白々と冷えていた。

 ◇ ◆ ◇

 彼は、どう思っただろうか。

 一週間もせずに、唐突に消えた私のことを。

 多分、彼は一生知ることがないだろう。

 私があの人と一緒に、あの人の故郷の、遠い東の国へ渡っただなんてことは。

 そして、私が普通の人間ではなく、人外と呼ばれる不思議な生き物で、例えあの人と出会わなくても、彼と添うことはできなかったことも。

 がらんどうの部屋に、彼を放り出してきた。

 ◇ ◆ ◇

「ただいまー」

 玄関の扉が開く音がした。

 息子が帰ってきたのだ。

 あの人の声質に似ているが、まだわずかに高めの少年の声。

「あれ、ねえ、お父さんこんなに早く帰ってきてるの?」

 息子が軽くノックしてから、私の部屋に顔を出した。

 ソファに転がって眠りこけているあの人――この子の父親を見て呆れ顔になる。

「よく寝るよな、お父さん。蛇の人外なんじゃなくて、猫の人外じゃねえのこの人」

 息子と私の夫の目元は、よく似ている。

 寝顔なんかそっくりだと思うのだが、多分、そう言ってからかったら、そろそろ気分を害する年齢だろう。

 この人を選んで、この国で生まれたこの子は、もう高校生になる。

「お母さんの新作? 見せてよ」

「まだスケッチだけどね?」

 息子は私から受け取ったスケッチブックをしげしげ眺める。

「後ろ姿だけど、お父さんがモデル?」

「よくわかったわね」

「お母さんの描くお父さん、なんか気合の入り方が違う」

 あれから、何作の、あの人の絵を描いただろう。

 キャンバスの中で、あの人は神話の怪物になったり、悪魔になったり、古い時代の英雄になったりするが、息子には一目で父親だとわかるらしい。

 世話になっている画廊のオーナーも気付かないことなのだが、息子は必ず自分の父親を見抜く。

「静かにね。この人、モデルで集中して疲れて、今眠ったばかりなのよ」

「相変わらずお父さんに甘いよね、お母さん」

 けろけろと息子は笑った。

 今の生が、鮮やかに人生のキャンバスの、古い絵を塗り潰していく。

 あの恋が、いつ思い出に変わったのか。

 私は思い出せすらしない。

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時間の経過とともに変化する目に見えない暖かさをとんでもなくうまく表現された物語でした。
思い出に変わっても温もりはあり続けるところが良かったです。

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>あふりかのそら様
コメントありがとうございます!!
時間が経ってから穏やかに思い出せる思い出もありますよね。
流れで角が取れてまるくなったみたいな感じでしょうか。
ささやかな温もりを感じ取っていただけて嬉しいです(´∀`*)ウフフ

作者:大久保珠恵

2018/9/26

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