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やさしくまわりこむきれいな光 完結

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生きていくというのは、忘れていくことだと思います。何を忘れようとするか、そこに生きる態度が現れるのかもしれません。

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「思い出なんていうのはね、ふわふわの気持ちや出来事にバタークリームを塗りたくってかためたケーキみたいなもんだよ。それかさ、結婚式でもらう、真空パックみたいなガスくさいパウンドケーキ。私あれ大嫌いなの。」

バルコニーのジャグジーにつかったまま、僕はぼんやりと水平線を眺めていた。ゆっくりと目を開けるように、青白い光が射してきている。朝日が昇ってこようとしてるみたいだ。

「だからね、思い出なんて、1つもいらない。」

なるほどね。と短く返した。彼女の言う通りだと思うけれど、僕の言葉で言い換えると、それはきっと忘れることに関係している。

何かを知るために生きているのではなくて、何かを忘れるために人は生きているのだと思う。出来事も、気持ちも、セットのまま生き続けていたら僕の頭はきっと一週間でフリーズしてしまうだろう。だから人は大切な何かを守るために、大切じゃない何かを忘れて生きていく。

それで、世の中の多くの人にとって大切なのは、壊れないように守るということだから、気持ちをぎゅっと圧縮して、パサパサのバターケーキみたいな思い出をコレクションしていくのだろう。事実よりも、気持ちの方が空気をたっぷり含んでいて、小さく圧縮しやすいから。

ベッドに横になってタバコを吸う彼女の足元に、素っ裸のまま腰掛けた。サイドテーブルに置かれたサガンの小説に、栞がわりのハイライトの空箱が挟まっている。

「今の気持ちを忘れてしまうぐらいなら、死んだ方がまし。梅の花が咲くのをきれいだなと思うとか、気持ちいいなと思うとかさ。いい思い出だったね、あそこ行ったよねー。あんなこと言ってたよね、なんて言って楽しそうにしてる人の気持ちがね、私はわからないんだ。」

彼女らしい、と笑ってしまった。知性と衝動が、たまたま重力のせいで人の形をしている、恒星のような人だと思う。時々吹き上がるフレアは僕の頭上遥か高くを龍のように轟音で走り抜けて、あらゆるものを焼き尽くしていく。

そういう風になれたらいいね。気の無い返事に聞こえただろうか。彼女は不機嫌そうにベッドを出て、ようやく服を着はじめた。あなたもわかってくれないのね。そんな風に言われた気がした。

まあでも確かに、附属の同級生の名前もさ、半分も覚えてないわ。つまんなかったなー、って、それだけは覚えてるのにね。

「たしかに!」

彼女はようやく、アハハ、と笑った。

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とじる

彼女に初めて恋をしたのは、確かあれは9月の放課後のことだったと思う。委員会室は夕暮れで、古いデスクトップのパソコンと、書類棚、窓辺には体育祭で使う大量のボンボンが山積みにしてあった。よく晴れた日だった。クーラーの効いた部屋には、橙色の光がたっぷりと注いでいた。

あー、疲れた、とふざけて僕がボンボンの山に仰向けに寝転がると、彼女も隣にボフンと横になった。

そうしてたまたま触れた指先の感触とか、目を閉じた彼女の横顔だったりとか、そういうものを何度も頭の中で反芻するのだけれど、きっとそれは映画を見ているのと同じで、呼び起こされる気持ちはニセモノなんだな、と思って悲しくなる。

僕は一体いつ、その時の気持ちを忘れてしまったのだろう。大切だったはずの感情や衝動は、いつのまに、思い出なんかに変わってしまったのだろう。

ホテルを出るなり、彼女はミニクーパーの幌を開けた。

「今日は涼しいからさ、この方が気持ちいいよ。」

いい加減やめたらいいのに、彼女の車にはまだipodが積んである。シンバルズとか、ピチカートファイブとか、スーパーカーとか、そんな音楽がいっぱい詰まった彼女のipodは塗装も半分はげてしまって、痛々しいような素肌をさらしていた。

2度目の恋は音楽だった。二十歳になったばかりの頃、男と女と、アートと文学と、音楽とアニメと、そんなことばかり考えていた頃のことだ。街の小さなカラオケ屋で彼女が奏でた音楽はとてもきれいで、若くて、健康だった。僕たちは笑いあいながらいつの間にか朝を迎えて、でも半年もしたらそれぞれ、また歌いながら次の恋をした。僕はいまだに彼女が歌ったドリカムを聞くたびにはっとするけれど、やっぱり無くなってしまったあの夜の気持ちは、そうやって再生産しないと返ってこなくて、僕のipodはどこにやったっけな、と、スポティファイしか入ってないスマホを片手でくるくる回して、また悲しくなる。

さて、3度目の恋はどうなるだろう。彼女のミニクーパーは、田舎道をバカみたいなアクセルワークで走る。助手席の居心地の悪さは、僕のそんなバカみたいな思考をいい感じに散らしてくれた。

「寄ってく?私のヒミツ基地。」

彼女は国道脇の湿地を抜けた先、海辺の小さなアパートの前で車を止めた。

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  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/10/03)

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とじる

彼女の秘密基地には、小さな花瓶があった。海に向かう大きな窓の足元に花瓶だけが置いてあって、それ以外には何にも無かった。照明器具もなくて、西向きの窓からさす光が、花瓶のやわらかな影を落とした。

「まだね、借りたばかりだから何もないけど。」

そう言って彼女はフローリングに大の字に寝転がった。窓の外には、静かな海が見えた。半島に抱かれる、湖のように静かな海。たくさんのものを湛えていて、何も知らない顔をしている。

彼女の仕事は決まっている。大学病院のインターンもあとわずか。2、3年そのまま大学で働いたら、家業の病院を継ぐ。何1つ進路の定まらない僕から見れば羨ましいような気もするけど、彼女はどうだろう。いつも、もがいているようだった。何かになることが決められているのは、幸せなことだろうか。

昆虫はさ、サナギの中で一回ドロドロの液体になるんだって。それがなんでかわかんないけど、きれいな形になって出てくるの。不思議だよね。僕の言葉に彼女は興味深そうに頭を上げた。昆虫は幸せだろうか。サナギの中で海になって。それでも、正しい形は決まっていて。

一度だけ、通学路でセミの羽化を見たことがあった。背を破って羽を広げて、痛々しいほど白い体を晒して、耐えるようにして硬くなっていく。いまの僕たちも、同じようなものだと思った。何者でも無かった幼虫の頃はとうに過ぎて、真っ白な体を、世の中に晒そうとしている。彼女の形はもうきれいに決まっていて、僕は未だにサナギの中でタプタプと揺れているけれど。

「卒業したらさ、帰ってこないの?」

壁を向いて横になった彼女が、珍しく真面目な声を出した。どうだろう。帰ってきたいけど、仕事がね。生返事に彼女は答えてくれなかった。カーテンの無い窓から風が吹き込んで、柔らかい彼女の髪を小さく揺らした。

「あっそ。」

ヒミツ基地からの帰り道、ミニクーパーのアクセルワークは心なしか緩やかだった。

✳︎✳︎✳︎

それから1ヶ月も経たないうちに、僕らの恋は終わってしまった。西武池袋駅の改札前で彼女からの電話は一方的に切れて、携帯を握りしめたまま、最終の電車の中で、彼女の部屋のことを思った。静かな海と、何もない部屋で寝転がる彼女。白磁の花瓶。透けるような細い髪。やさしくまわりこむきれいな光。

こうやって僕はまた1つインスタントな思い出を作って、壊して、丸めて、また思い出して、彼女の部屋を忘れないようにするのだろう。本当に忘れたくないのは、そんなものなんかじゃなかったのに。

<了>

修正履歴

  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/10/04)
  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/10/04)

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