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去年のTシャツ 今年のパジャマ

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合計:31

恋のおはなし十人十色。掌編オムニバス

1位の表紙

目次

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■ 失恋ミールとプレゼント

 会社帰りの途中下車。ひとりでぶらぶらするなんて、いつぶりかな。駅近のモールで、お気に入りのブランドの服と、新色のアイカラーを買った。一番の目的を少し後回しにして。

「いただきます」

 小さい声で言った後は、ひたすら食べる。ポテトって便利な食べ物。何度も口に運ぶから、すごくいっぱい食べた気になれる。

 うん。やけ食いってやつ。

 思い出に変える方法は、これが一番。野菜いっぱいのハンバーガーなら、太っちゃうことをあんまり気にしなくていいけど、今日ぐらい太ったとしても別にいい。

『俺がいなくても、君は強く生きて行けそうだもんね』

 それは、あなたが決めることじゃない。知ってたよ。彼女が現れてから、あなたは別れる理由を探してた。でも、心変わりを私のせいにするのはずるいよね? やっぱり、口を大きく開けてモリモリ食べられるものをチョイスして、今日は正解だった。

『じゃあ、元気でね』

 明日また、職場で顔を合わせるのに?

 別れの言葉の文字列に興ざめしたのと同時に少し笑えて、思わず口元を隠した。携帯を伏せて、ちょっと視線を向けてみる。あなたは何食わぬ顔で、書類に目を通してた。 

 面と向かってサヨナラしたら、泣き付かれるとでも思った?

 ホントにずるい終わり方。でも、このシチュエーションを選んでくれたことには、感謝しとく。争う力もなくして、最後に声で交わした言葉が何だったかさえ忘れかけてる。このまま細く消えて行くのがいいのかも。

 あなたと私の関係を知らない、天使みたいな笑顔の彼女を恨むのは、ちょっと違うかな。私を傷付けたのはあなたであって、あなたに惹かれた彼女に罪はない。だから明日からも、私はいつも通りの顔で彼女に会える気がする。あなたが言う通り、きっと強いんだな。私は。ふたりを祝福出来るかどうかは、別として。

「Enough! ごちそうさま」

 誰にも言えない恋は、もうおなかいっぱいなの。

 空席が埋まって行く店内。長居するつもりもなかったから、席を立つ。ドリンクカップの氷をザッと捨てるのが気持ちよかった。店員の『ありがとうございました』の声に押されて、モールの出口へ向かう。

 あ、アレ対策…… 忘れるところだった。

 モールに引き返し、雑貨店を見て回る。手のひらサイズで、すごく可愛いクリスマス飾りを買った。少し早いけど、デスクの左端に置くために。シーズンが過ぎて、この飾りを片付ける頃までには、彼の席に視線を向ける癖を直したい。過去になった恋を見つめてる暇なんてないから。

「ご自宅用ですか?」

「いいえ、プレゼントです」

 自分への。

 明日は新しい私の始まり。メイクを変えて、彼の好みを気にせずに選んだ服を着る。ヒールの音が嬉しくて不思議。私、失恋したんだよね?

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1

失恋のお話なのに湿っぽくなくて清々しい。
素敵でした。
軟弱男には過ぎた人だったのですな(´∀`*)ウフフ

大久保珠恵

2018/10/1

2

大久保珠恵 さま
服は流行過ぎたら捨てる、化粧品はいずれ使い切る、クリスマス飾りは26日に捨てる。失恋記念品にしない買い方 笑

作者:花ミズキ重

2018/10/1

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とじる

■ お揃いのTシャツと通過駅

 朝のチャイム直前、教室に滑り込むなり、どよめきが起こった。クラスの男子と服装がかぶっていたのだ。同じTシャツに、合わせたデニムも似た感じ。一番驚いたのは、たぶん本人同士だ。冷やかす声は止まなくて、私は彼のことを気にした。

「偶然! 偶然だってばー! ね? 黒川くん」

 笑って誤魔化すみたいに大きな声で言ったのがいけなかったのか…… 私と視線が合うと、彼は表情を変えないまま小さくうなずいた。机に肘をついて窓の外に顔を向けてしまった彼。気を悪くさせるつもりなんてなかった。

 彼の方も、そう思ってたらしい。

「ねえ、なんか、ごめんね。服一緒で…… 嫌だったり、するよね」

 休み時間、彼は教室移動の途中で私を呼び止めた。内気な彼にとって、それはとても勇気の要ることだったはず。

「私は平気。黒川くんは?」

「気にしない…… 逆に、偶然過ぎて、面白いっていうか」

「ホント、こんなことってあるんだね」

「だね。でも僕なんかが一緒に歩いてたら、流石にまずいよね。ごめん、じゃあ……」

「ねえ、平気だってば。一緒に行こ。黒川くんもこのブランド、好きなんだね」

「あ、うん」

 周りを気にしながら目も合わせられずに、バツの悪そうな顔をして、彼が『ごめん』と言う理由…… それはきっと、彼がクラスで孤立しかけてることを、彼自身が気にしてたから。春にクラスの皆で連絡先を交換したきり、彼は誰とも会話らしい会話をしたことがなかった。でも、偶然のペアルック騒ぎのこの日を機に、私と彼との距離は縮まり、彼はクラスに溶け込み始めた。

「こころと付き合い出してから黒川くん、いい感じになったよね。別人みたいに明るくなったって、皆言ってるよ」

「私黒川くんの彼女じゃないよ。趣味とか、話が合うから、普通に仲良くなっただけ」

 とは言え、付き合ってると誤解されるほど一緒にいることが多いのは確か。お昼は彼と学食行くし、ふたりで行事の実行委員をやってみたりもした。私たちはお互いを気に入ってた。

「ねえ、こころさん、遊園地とか好き? 親が会社から招待チケット貰ったんだけど、期限までに行けるひと、周りにいなくて」

「行きたい行きたい! いつ? 何着て行く?」

 彼は私の返答に吹き出して、おなかをかかえるほどに笑った。どうしてそんなにおかしいのか、その時は教えてくれなかった。

“だって、心臓飛び出そうなほど緊張して誘ったのに、あっさりOKするんだもん”

 そう聞かされたのは、だいぶ後になってからだ。

 横浜線橋本で乗り換えて京王多摩センターまで、1時間ちょっとの距離。普段と変わらない会話のようでいて、いつもより彼の笑顔が多い。広い遊歩道に親子連れが行き交い、その先に、お城のとんがり屋根と虹のゲートが見える。向かう足取りは、自然と早くなった。

 館内に入ると、出迎えのキャラクターたちに人だかりが出来ている。混雑をすり抜けながら彼が私の手を取ってくれた時、これはデートなんだと気付いた。拒む理由はなくて、彼の手を握り返した。彼は時々照れくさそうに顔を背けながらも、手を繋いで過ごしてくれた。

「ねえ、多摩センターの冬のイルミネーション、見に来たことある?」

「ないけど、きれいらしいよね」

 クリスマスの約束も出来ずに、ぎこちなく終わった、彼との最初で最後のデート。学校で顔を合わせるだけの日々を重ねるうち、あっという間に卒業を迎えてしまった。

 学校で話しかけるのは彼の方からだった。でも、放課後や休日に電話したり、メッセージを送るのは決まって私から。卒業してから気付くなんて、バカみたい。

 私は彼を試した。どんなに待っても、やっぱり彼から連絡が来ることはなかった。

 黒川くん、寂しくないんだ……

 卒業が、彼の『終わり方』だったのなら、きっと彼を追うべきじゃない。彼との日々を思い出すと、涙がこぼれて、後悔ばかり膨れ上がった。

 好きって、ちゃんと言えばよかった……

 彼とお揃いのあのTシャツは、その翌年、襟ぐりがちょっとくたびれて、外に着て行けなくなった。部屋着になり、パジャマになり、Tシャツは着古されて行った。引越しを機に、捨てる決心をした時には、始まりのあの日も、別れてからの寂しさも、淡い思い出になってた。

 でも私は毎日2度、彼を思い出す。通勤で通る『黒川』の駅名。急行に乗ると通過する駅だけど、今日も窓の外を見て駅の名を目で追ってしまっていた。ちょうどその時、バッグの中で携帯が震えた。画面は、メッセージ受信の通知。

“お久しぶりです。黒川です。近くに住んでるらしいって聞いて、連絡してみました”

“お久しぶりです。ありがとう。今ちょうど黒川くんのこと考えてた。黒川通過したところだから”

“小田急線? どっち方面? 僕いま多摩センター着いたとこ”

“ホントに? 私ももうすぐ多摩センター着きます”

“よかったら、ご飯行かない?”

“喜んで!”

“ありがとう。改札で待ってるね”

 再会は5分後。改札を出た私をすぐに見付けて、彼は手を振った。

「こころさん、お久しぶり。きれいになったね」

 あんなにシャイだった彼は、少し変わったみたい。

「急に僕から話しかけても、平気だった? 待ってたんだけど、なかなか連絡くれないから。ごめんね。どうしても、会いたくて」

 やっぱり変わってなかった。こみ上げる思いが喉につかえて、私は何も言えなかった。卒業してから3度目の冬。私も彼も、思い出の場所に移り住み、同じ駅ですれ違ってた。

「こころさんも多摩センターに住んでるなら知ってるでしょ? 今日、イルミネーションの点灯式」

「あ、そうだね」

「ちゃんと誘えなくて、一緒に見れないままだったから、今年こそはと思って」

 彼の思いは、色褪せていなかった。2度目のデートは、私から手を繋ぐ。彼は私の手を握り返して、するっとコートのポケットに入れた。

「今日はちょっと、寒いから」

 言い訳めいた白い息。少し視線をそらしてうつむく彼の表情が、やっぱり好き。

「ねえ、遊園地誘ってくれた時、どうしてあんなに笑ったの?」

「だって、心臓飛び出そうなほど緊張して誘ったのに、あっさりOKするんだもん」

 彼との思い出の続きが、今日から始まる。

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1

態度をはっきりさせなかったばっかりに、思い出に変わっていくはずだった恋が……という趣向が面白かったです。
花ミズキさんの恋愛譚は、流れが自然できれいで、ぐいぐい読ませますね。
こちらのお話はとてもほっこりしました(*´`*)

大久保珠恵

2018/10/2

2

大久保珠恵 さま
表紙のコたちのエピソードでした。終わったような終わらないような、始っていたのかも曖昧で、みたいな感じですね。青い春でございます~

作者:花ミズキ重

2018/10/2

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とじる

■ ふたりの朝礼と明日の名札

 部下のために笑って悩んで、時には目を潤ませる彼。スマートなのに人間味溢れる上司は、支持率が高い。社食や更衣室での日向口が、誰かを介して彼の耳に入ると、彼はあたふたとそれを否定する。

「君たちが思うほど僕は立派な人間じゃないから。外であんまり褒めないでください。囁き声は、尾ヒレがついて伝わってしまうものだって、何度も言ってるでしょ?」

『はい』と返事をしつつ、女っていう生き物は、さえずらないではいられない。控え目でまっすぐな彼の一面も、慕われる理由のひとつだった。

「あーもぉ、駒井さんが独身だったらなぁ」

「めっちゃ思うぅ。私は愛人でも全然大丈夫だけど、駒井さん、ゼッタイ浮気しないタイプだよね」

「Death! 玉砕」

「彼氏ほしいなぁ。第1希望、ご本人。第2希望、ドッペルでいいから駒井さん」

「第3希望以降で、ガンバー」

 楽しそうな話し声を、私は笑ってやり過ごす。若い彼女たちの会話に積極的に入るのを遠慮していた。

「三ツ橋さんはいいな。彼氏いて。ってか、婚約者ですよね。いいないいなー」

「だって私は皆さんより10歳近く上だし、そろそろ結婚しないと……」

「結婚決まってる三ツ橋さんに言っていいのかアレですけど、三ツ橋さんが駒井さんと話してるのとか見ると、絵になるなぁって、めっちゃ思うんですよねー」

「あ、それ分かる! 駒井さん、何か三ツ橋さんに優しくないですか?」

「私まだまだ新人だから、心配で見に来てくださる感じでしょ? それが駒井さんのお仕事だもんね」

「え! 駒井さん、三ツ橋さんのポジション見に行くんですか?」

「うん…… 新設したポジションにひとりだからって、上の方もいらっしゃるかな。最初のうちだけだと思うけど、細野さんとか、矢田部さんとか、ちょくちょく」

「なーんだ。社員の偉いひと、皆行くんだ」

「びっくりした。三ツ橋さん、駒井さんのお気に入りなのかと思ったー」

 こんな彼女たちには、口が裂けたって言えない。彼は、私とのコミュニケーションを大事にしてくれる。

「三ツ橋さん、だいぶ仕事に慣れたみたいに見えるけど、どうですか?」

「はい。毎日楽しいので、徐々にですけど要領よくなっていると思います」

「楽しいですか。それはよかった。ウィークデーは三ツ橋さんひとりだけ早番でしょ? ポジションも皆と離れてるし、心細くないかな?」

「大丈夫です。駒井さん、毎日来てくださるし、日曜は若い皆さんと同じチームに入れていただいてるので」

「三ツ橋さんはいつも前向きで、ホッとしますね。どうやら道に迷わないひとみたいだし。優秀優秀」

「え?」

「バックヤードは複雑だから、エレベーター間違えただけで、この事務所にさえ辿り着けないんですよ。だけど、三ツ橋さんが打刻遅れたことないもんね。新人は大抵迷子で遅刻するんだけど」

「そうなんですね…… 私、駒井さんに教わった道順しか知らないので」

「ははは。なるほどね。だけどそれ、時間に余裕を持って動いてる証拠だな。急いでると、つい搬入口横のエレベーターに飛び込みたくなっちゃうんだよ。通用口に一番近いからって、あそこに乗ったらアウト。地下は地続きでも、上の階は別棟だからね」

「知りませんでした。気を付けます」

 毎日のブリーフィングの後の会話は、この職場の習慣なのだろうと思っていたけれど……

「こうやって僕と話してること、ほかのキャストには内緒にしてくださいね。僕、三ツ橋さんとしかこういう時間取ってないので。じゃあ、いってらっしゃい。今日もお願いしますね」

 特別なことらしかった。私たちは、恋をしていた。

 会話を重ね、彼の人柄にふれる毎に、私は媚薬を飲まされたかのように彼に惹かれて行く。彼と同じ場所にいられる幸福感の中で、私は働いていた。

 ある日のランチ、社食で彼の背中を見付けた。

「駒井さん、お疲れさまです。ご一緒してもいいですか?」

「ああ、もちろん。どうぞ」

 彼は食べ終わってしまいそうだった。私は急いでお弁当の包みを開ける。彼が席を立つ前に、少しでも会話をしたかった。

「駒井さん、今日は少し、お昼遅いですね。いつもは入れ違いなのに」

「そう。たまたまね。三ツ橋さんがいつも持ってるそのバッグは、お弁当だったんだ。へぇ、美味しそうだなぁ」

「いえいえ! 残り物ばっかりですから」

「ははは。隠さなくてもいいのにー」

 それ以降、彼は食事の時間を私に合わせてくれるようになった。毎日じゃない。最近よく会うね、と上手に周りに見せかける。決まって彼は、私より先に席を立って行くけれど、彼は食べるのに時間をかけてくれた。本当は麺類が大好きなのに、日替わり定食を注文して。

「駒井さん、甘いものお好きですか? これ昨日焼いたんですけど、よかったら社員の皆さんでどうぞ。カットしてありますので、このままお茶菓子に」

「わぁ、どうもありがとう。売ってるパウンドケーキみたいだ。後で皆でいただきますね。三ツ橋さん料理上手だなぁ。旦那さんになるひとが、羨ましいよ」

「駒井さんは何でも美味しそうに召し上がるから、奥さまは毎日ご飯の支度が楽しいでしょうね。私は奥さまが羨ましいですよ」

「食いしん坊だからなぁ、僕は」

 ランチの時間の他愛もない会話や仕草の中に『好き』を散りばめ、いつもあなたを見ているとアピールした。その心に気付いているよと、遠まわしに確かめ合う。恋心が愛情になった頃、現実に向き合わざるを得ない時が訪れた。

「小さいことでも遠慮せずに、僕を呼んでくださいね。妹を見ているように、あなたのことが気がかりで」

「妹、ですか…… ありがとうございます」

「ガッカリさせる言い方しか出来なくて、申し訳ない。引き合わされるのが3年早ければ…… よかったんだけどな」

 彼は少し肩を落とした。ひと呼吸おいて『いってらっしゃい』と私の腕をポンと叩いて、持ち場へ送り出した。ふたりが3年前に出会うなんて、あり得なかった。

 私は結婚が決まってからこの土地に来て、入籍を前に婚約者と暮らしている。子どもが出来るまでの間、少しでも働きに出てみようと職を探し、今の勤め先に採用された。婚約者のもとへ来なければ、私は彼に出会うことはなかった。

 恋心のクールダウンを促すように、雨模様が続いた。婚約者への気持ちばかりが、冷たく沈んだ。入籍は『ゼッタイ忘れることがなくて、必ずケーキを食べる日』クリスマスにしようと決めていた。私はその日が来る前に、婚約者のもとを離れたいと思い始めていた。

 彼は? 私とどうなりたいの?

 尋ねあぐねているそのことを、彼の方から示した。秋、契約更新時期を迎え、面接に呼ばれた時だった。

「契約更新の意志確認って言われても、三ツ橋さんにとっては最初の更新だからね。もちろん続けてくれるでしょ?」

「はい」

「よかった。次の求人で早番募集するつもりだから。それまでは今のポジションひとりだけど、頑張ってもらえるとありがたいです」

「はい。新しい方が、入るんですね」

「今までのようには行かなくなるけど、ふたりで話す時間は作るつもりでいるから」

 不意に彼がテーブルの上で組んだ手には指輪。それを気にして一瞬視線を泳がせてしまった私の表情を、彼は見逃さなかった。

「そう…… 僕には問題があるけど、クリアしたいと、思ってます。あなたがまだ……」

『結婚をしないでいるうちに』と続いたのだろうか。彼は私の手を取って、指輪のない薬指を撫でた。彼が秘めていた覚悟の大きさ。私は彼の手のぬくもりを握り返して泣いた。

「泣かないで。愛してるよ」

 私は彼を選ぼうと、心を決めた。不倫とか、略奪とか言われる恋。ふしだらな理由で婚約を破棄したと、非難されるだろう。たとえ誰にも祝福されなくても……

「私も、愛してる」

 その日帰宅した私に、婚約者は『ビッグニュースがある』と告げた。私も話があると答えた。

「俺から先に言っていい?」

「うん。どうぞ」

「今日、婚姻届出しちゃいましたー!」

 ゼッタイ忘れることがなくて、必ずケーキを食べる日……

「ねえ、そっちの話って?」

「ごめん…… プレゼント、買い、そびれちゃって……」

「いいよ。プレゼントなんて。ケーキは作ってくれるでしょ?」

「明日でも、いいかな…… お休みだし、ゆっくり……」

「泣かないで。愛してるよ」

 結婚記念日になったのは、夫の誕生日だった。

 日曜のブリーフィングは、私も若い子たちの輪の中に入る。連絡事項を読み上げながらさりげなく見渡し、キャストの身だしなみをチェックする彼。ネームプレートをつけていない私に『あれ?』という顔をしたのが分かった。

 各持ち場のチーム編成とケジュールの確認が終わると、キャストは皆足早にバックヤードから出て、各々の持ち場へ散って行く。彼は私を呼び止めた。私も、彼に言わなければならなかった。

「駒井さん、私…… 苗字が、変わりました」

「そうですか……」

 彼は事務的に、手に持ったファイルの表紙を開けた。書類の隅に私の苗字をメモしながら、唇を噛みしめる。彼を見ていられずに、うつむいた。落ちて止まらない涙を、彼は労わってはくれなかった。

「すぐにお渡しできればいいんだけど…… 新しいネームは、明日のブリーフィングに間に合うように手配します。申し訳ない、今日一日だけ旧姓のネーム、つけていてくれるかな」

「はい」

「僕のために」

 どちらからともなく。ただ一度抱きしめ合って、私たちは終わりにした。

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とじる

■ 横浜と横浜

「ユイがいなかったら、たぶん別れなかった…… じゃあ、切るから」

「ウチらのことめちゃくちゃにしたくせに、電話して来るとかもうやめて。遠くに行ってくれて、ありがとう。ブロックさせてね」

 彼が離れ、親友も失った。彼を好きになったのは、いけなかったのかもしれない。でも、ふたりが壊れちゃったのは全部、私のせい? 一方的に悪者にされて悔しい。

「お母さん、横浜に帰りたい」

「ここは横浜だけど?」

「青森県上北郡横浜町じゃなくて! 神奈川県横浜市に帰りたいの! ユイひとりでもいいから横浜帰らせて」

「中学生が、家族から離れて暮らせると思うの? 神奈川はちょっと長かったもんね。そんなに好きなら、大きくなったら神奈川に住みなさい」

 ニンジンの皮をむきながら、母は答える。ほぼ聞き流してる状態だ。

「もー! お父さんのせいで引越しばっかじゃん。単身赴任にすればいいのに……」

「ユイちゃん、ここにいるなら玉ねぎむいてくれる?」

「横浜に帰りたい……」

「はいはい。カレー食べてからにしなさい。明日は新しい学校にご挨拶に行って、制服も買いに行くからね」

 八つ当たりもまるで歯が立たない。彼のところに帰っても、振り向いてもらえないことぐらい分かってる。でも、ふたりいっぺんにいなくなっちゃうなんて、思わなかったから……

“元気? お話ししたいよぉ”

既読……

“ユイがもし横浜帰ったら、会ってくれる?”

 送信したメッセージを、彼は読んでさえくれなくなった。せめてもう一度、ちゃんと話したいけど…… 納得の行く別れ方も出来ずに、終わってしまったみたい。

 気落ちしたまま始まった、新しい学校での新年度。仲良くしてくれそうな友だちはすぐに出来たけど、みんな部活があったり、逆方向だったりで、登下校はひとりだった。歩くには少し遠い道のりは、風車が見える菜の花畑と空。ミツバチが飛んでる。トンビも、飛んでる。

「横浜なのに、全然違う…… コンビニ寄って帰りたいなぁ」

 後ろから、自転車が私を追い越して停まった。ジャージの袖のストライプは、3年生の赤。振り向いた男子は、同じクラスの…… 名前、何だっけ。

「お前んち! どこ? あっちなら、乗せてやるよ」

『お前』って、何よ。

「早く帰らないと降るぞ? 雨の匂いしねぇ?」

「菜の花のニオイしか、しないけど」

「乗れって」

 気にしてみると、海の匂いがしたかもしれない。ふたり乗りの自転車が、畑を貫く一本道を加速する。この背中が彼だったら、なんて滅入る気持ちも、風を浴びるうちに薄れるのが分かった。でっかい雲がキレイ。

「すごいね! 黄色」

「すごいか? 黄色」

「あー! 待って待って待って! 曲がっちゃうなら降ろしてくれない?」

「家着く前に降られるぞ。雨宿りして行け」

 何ひとつ目印のない交差点を、左に曲がったその先も、黄色。空に繋がる道を犬の声が追って来る。

「ねえ、犬がついて来るよ」

「俺んちの犬。いっつもこの辺で俺が帰るの待ってんの。ブンブン、ただいまー!」

 犬に吠えられながらスピードが落ちる。くぐったゴールは、時代劇みたいな門。分厚い表札は『鈴木』だった。昔話に出て来るみたいなお屋敷の前で自転車を降りると、ポツポツと降り出した。『セーフ!』と玄関戸に飛び込む。

「すごいね。ホントに降った。ねえ、青森の子って、皆天気予報出来るの?」

「ははは。さあ」

 彼と私の話し声を、使用人らしいひとが出迎える。そのほんの少しの間に雨が強くなった。

「喜佐衛門ぼっちゃん、おかえりなさい。あれあれ今日は、お友だちお連れになって。おいでなさいませ」

「こんにちは……」

「ただいま。タエさん、友だちの前でその名前呼ばないで」

 クラスにそんな珍しい名前の子、いたかな。少し機嫌を損ねて靴を脱ぐ彼の、胸の刺繍をチラリと見て思い出した。

『鈴木宇宙』

『コスモ』って読む子だ。どうして『キサエモン』なんだろう……

 通されたのは、居間にしては広い部屋。縁側のすぐ外に、ログハウス風の犬小屋が見えて、和風の庭にはちょっと違和感がある。でも、雨が真っ直ぐに落ちている風景が素敵で見とれた。さっきのタエさんが『きっと通り雨ですよ』と、サイダーの栓を抜いてコップに注いで行った。軒下をウロウロする犬の巻き尻尾が見え隠れしている。

「ブンブン、放し飼いにして迷子になったりしないの?」

「ちゃんと帰って来るよ。なたね植えてるとこは俺んちの畑だもん。庭で遊んでるのと同じだろ?」

「え! 菜の花畑全部? すごいね……」

「畑抜けるまでは雨宿り出来るとこないから、俺に発見されてよかったな。ははは」

「ありがとう」

 小豆がひさしを叩くような雨粒の音。次第に弱まって行くのを気にしながらも、彼との会話は弾んだ。時々口に含むサイダーは炭酸が強めで、刺激の後に、蜂蜜のフレーバーを残す。喉に細く落として、珍しい味わいを楽しんでいた。

「おいしいね。このサイダー。蜂蜜味って、初めてかも」

「地サイダーだよ。俺んちの蜂蜜でサイダー作ってんだ」

「鈴木くんちって、サイダー屋さんなの?」

「もともとは農家だったり、養蜂だったり。サイダーは、お父さんが始めた」

 瓶のラベルは、クレヨン画みたいな菜の花とミツバチのイラスト。『鈴木喜佐衛門』と製造者の名前が記してあった。

「ねえ、名前のこと聞いてもいい? どうしておうちでは喜佐衛門くんって、呼ばれてるの?」

「俺の本当の名前だから。生まれた時からの名前は『コスモ』だけど、『キサエモン』を襲名したんだよ」

「襲名? すごいね。かっこいい。歌舞伎のひとみたいじゃん」

「かっこいいか? お父さん死んじゃって、俺、家継いだんだ」

「あ、ごめんなさい…… それは、悲しかったね……」

「しんみりするなって。色々大変で悲しんでるヒマなかったっていうか。もう平気だ。家業継ぐのがちょっと早くなっただけ。ってかお前『すごいね』ばっかだな。ははは」

「ねえ、青森の子って、おうち継ぐ時、皆名前変わるの?」

「襲名は珍しいだろうけど、うちは代々喜佐衛門で、昔から苗字より『喜佐衛門さん』で通ってるんだ。この辺りには鈴木が多いんだけど、皆親戚なんだよ」

 雨が止むと、タエさんが手提げ袋を持って姿を見せ、彼の背後からすっと膝を下ろした。

「ぼっちゃん、お帰りをせかすのじゃありませんけど、おうちの方が心配なさるといけませんから、あんまり長いことお引止めしませんように」

「うん。分かってる。ありがとうタエさん。ユイ、そろそろ帰るか。家まで乗せてく」

 彼の家庭環境はまるで別世界だった。それに今度はことわりもなく呼び捨て。彼のことが何だか、殿さまっぽく見えた。改めて部屋を見渡すとやっぱり立派なお屋敷で、私は今更のように怖気付いてしまった。

 タエさんが持たせてくれた手提げ袋の中身は、サイダー2本と蜂蜜の大瓶だった。家に帰って、いつもより帰宅が遅くなった訳を話すと、少し母は慌てた。

「えー、お土産付きの雨宿り? 何て親切なの? お礼の電話しなくちゃ。連絡網がある学校でよかったわー」

 その日の夕飯は、カリカリチキンのハニーマスタードソース。早速、いただいた蜂蜜を使ったんだと、母が嬉しそうに食卓に並べた。

「それでね、名前がすごいだけじゃないの。鈴木くんちって、お手伝いさんがいて、ホントにお殿さまみたいなんだよー」

「立派な家柄なんだろうけど、大したもんだな。まだ中学生なのに家業を継ぐなんて、よく決心したと思うよ」

「応援したくなっちゃうわね。地サイダーは亡くなったお父さんが立ち上げた事業だから、きっと彼は守りたかったんじゃないかしらね」

 彼を話題にしながら食べる私の大好物は、いつもより美味しい気がした。けど、それは気のせいじゃなかったみたい。

「このソース、いつもとちょっと違う?」

「ユイも思った。美味しい」

「レシピは一緒よ。蜂蜜が美味しいの。引っ越してこの蜂蜜とお別れするのは残念よね。お取り寄せ出来るのかしら」

 次の日、彼にそれを確かめた。『鈴木くん』と彼を呼ぶとクラスの男子、6人の鈴木くんが一斉に私に注目した。焦った。

「あ、えっと、そっか。喜佐衛門くん……」

 今度は彼が、鈴木くんたちの視線の集中砲火を浴びる。彼は慌てて私を廊下へ連れ出した。

「何だよ」

「あ、昨日は、ありがとう。蜂蜜がとっても美味しくて、お母さんがお取り寄せ出来るのか知りたがってて」

「まじか。ありがとう! 注文くれたら送るよ。蜂蜜ほしいひといるなら、宣伝して」

「よかった。今度の引越し先からでも買えるんだね。お母さんに言っとくね」

「引越し? 来たばっかなのに、お前転校すんの?」

「まだ決まってないけど、たぶん、この学校では卒業しないと思う」

「そうなんだ…… ってかお前、皆の前で喜佐衛門って呼ぶなよな。学校では俺、まだコスモなんだから」

 子どもっぽくしゅんとしてしまったのを誤魔化すみたいに、彼は話を切り替えた。転校を繰り返している私には、それがどういうことか、すぐに分かった。彼はきっと、別れのシチュエーションが苦手なタイプだ。そんな彼がお父さんとの死別の悲しさを簡単に笑えるはずがない。『もう平気だ』と気丈に振舞う内側で、現実を受け入れようとしている彼の頑張りが垣間見えた気がした。彼に『ごめんね』と返す一瞬で、色んなことが頭を巡った。

「分かったよ、そんな顔すんな。許す。喜佐衛門って呼んでもいいから」

「え?」

「俺、喜佐衛門もコスモもあんま好きじゃないんだ。何でキラキラネームかシワシワネームのどっちかなんだよ。普通の名前がいいのに……」

 あれ? 私、考えすぎ?

 その日から彼は、よく私に話しかけてくれるようになった。思い出作りのために一肌脱いでやる、と言わんばかりに、彼は私をあちこち連れ回す。行事の係り活動、地域のボランティアやお祭り、普段の宿題やテスト勉強も一緒…… 半ば引きずられるみたいに、私は彼との時間を過ごした。朝は『ユイ、行くぞ』下校の時間は『ユイ、帰るぞ』と、人目も気にせず、彼は私を自転車に乗せた。通学路でミニパトにふたり乗りを注意されたこともあった。

 青森での楽しい思い出の全部に、彼がいた。

「いい思い出、いっぱい出来たか?」

「うん! ありがとう」

 悲しいけど、私の声は元気だったと思う。私は夏休み中に引越すことになった。

「岐阜で彼氏出来ても、俺のこと忘れるなよな。ははは」

 彼の精一杯の告白だったのかな、なんて、ちょっと自惚れてることも、きっと青森の思い出になって行く。関東に入ると高い建物が増える。昔を懐かしむような気持ちと、どこかスッキリした感覚で、窓の外を流れて行く横浜を眺めた。

「お母さん、いつか横浜帰りたいな」

「まだ言ってる。そんなに神奈川が好きなら、大きくなったら神奈川に住みなさいってば」

「違う。青森の横浜町」

「いい子だったわね。キサくん」

 母との会話に、メッセージの通知音が割り込んだ。

“ユイ、やべぇ! 寂しいwww”

 吹き出すと同時に涙を堪えた。

「キサくんからだ。寂しいってー」

「もぅ、ホント可愛いわね、あの子」

「ははは。ゼッタイまだ泣いてるよー」

 彼が涙をゴシゴシ拭いた、別れ際の言葉。

『いつでも青森来いよ。俺、ずっとここにいるから』

 私は決めている。いつか必ず、彼との思い出『黄色い青森』に会いに行く。その頃彼は、どうしてるのかな。

 彼に返信を打ち込む。

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