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ホーム 完結

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全曲ダイジェストを視聴し、感化されて書きました。
※聞こえてきた歌詞を、所々に散りばめています。
  問題があれば、該当部分を即刻削除致しますm(__)m

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 花冷えの頃。駅のホームに設置されたベンチに、私はポツンと腰掛けている。眺めているのは、携帯電話のメール画面だ。少し前まで大切に保存していたそのフォルダには、もう二度とメールは増えない。

 白く現れては、消えていく吐息。親指は結局消去ボタンを押せずに、画面の外へ離れていく。

 向かい側のホームには、何人かが電車を待っているのが見える。景色と一体化している彼らの前を、学生と思わしき男女がゆっくりと通りすぎていった。

 大きめサイズの学生服。繋がれた手は、どこかぎこちない。

「本当に大好きな人と一緒にいられたら、きっと幸せだろうな」

 無意識に、口からそんな言葉が漏れる。ツーッと目からこぼれ落ちた雫が、白い吐息を突き抜けて、薄汚れたアスファルトに歪な染みを作った。

「おねーさん」

 気付くと、ベンチの後方に男性が立っていた。辺りを見回したが、こちら側のホームにいる女性は自分だけだ。

「これ、飲んでくれない? 間違って買っちゃったんだよね」

 そう言いながら彼が置いたのは、そこの自動販売機で売っているココア缶だ。缶には手を触れず、傍らに佇んでいる彼を見上げる。真新しい紺色のコート。少し開いた襟首から覗くストライプ柄のボタンダウンと、無地のネクタイ。短く刈り上げられた襟足は、少し寒そうだ。

「あの、お金払います」

「いや、いいよ。貰ってくれないかな」

 鞄を探る私を手で制止した彼は、こちらに背を向けた。今にも歩き出そうとしたその時、はたと立ち止まる。

「やな事があった時は、甘いものって言うじゃん。それ飲んだら、きっと元気出るよ」

 じゃね、と手を振りながら、今度こそ彼は去っていった。私は咄嗟に立ち上がって手を伸ばしたが、しばらくボーッと佇んでから再びベンチへ腰を下ろす。残されたココア缶を手に取ると、その温かさに指の先がじんわり融けていく気がした。

 もう一度、彼が去っていった階段へ目を向ける。

 ココアは、この上なく甘い味がした。

 旭光輝くホーム。スーツ姿の社会人達や、学生服姿の若者達が規則正しく列を作っている。私は列の後ろの方を、早足で歩いていた。視線を縦横無尽にさ迷わせていると、やがて目当ての横顔を見付ける事が出来た。

 ココアの彼だ。

 (もう、1分1秒待ちきれない。もっと近くで、もっとこの人の事を知りたい)

 彼の出勤時間帯が分かったのは、ココアを貰った日から数週間経った頃だった。あの日からずっと、私の心は彼の情報を求め続けていた。

 最後尾に並ぶ彼の後ろに立ち、私は彼を見上げる。相変わらず短く刈られた襟足。肌が弱いのだろうか、少し赤くなっている。

 (靴……キレイだな)

 黒光りする革靴の踵。高級そうではないが、よく手入れされているように見受けられる。皺の無い薄手のコートといい、ビシッと折り目の付いているスラックスといい、几帳面なのだろう。

 やがて、目的の電車が到着した。息を吹き返したように動き出す人々。流れに身を任せて歩き出そうとした私は、とんでもないものを見付けてぎょっとした。思わず彼の手を掴んでしまい、慌てて手を引っ込めた。

「……何か?」

「すみません、あの」

 言葉を続けようと口を開いたが、緊張に襲われ声が出てこない。不審に思ったらしい彼が再び歩き出そうとしたので、私はまた彼の手を掴んだ。そして震える手で、やっと彼の鞄を指差した。

 げ、と言いながら、彼が表情を歪める。すべすべとした革の鞄にべっちょり付いているのは、真っ白な鳥の糞だ。

「何だコレ、きったねぇ!」

 彼の絶叫は、過ぎ行く電車の音にかき消された。

『話がある。いつものホームで待ってる』

 携帯電話の画面に表示された、無機質な言葉の羅列。ソワソワしながら電光表示版を眺めていると、電車はあっという間に目的の駅に到着した。

 夕映えのホーム。急ぎ足で降りようとすると、ヒールがホームと電車の隙間に挟まってしまった。

「あっ」

 身体がぐらりと傾きかけた時、脇から身体を支えられた。ツンとしたコロンの香り。

 一瞬の間の後に、足元注意のアナウンスがホームに流れ、電車が風を巻き上げて出発する。私は彼に手を引かれて、ベンチに座らされた。

「あの、ありがとう」

「俺に会えるのが楽しみなのは分かるが、あぶねーなあ」

「ちっ! ……違うから」

 少年のようにはにかんだ彼はそんな軽口を叩きながら、私の隣に腰かけた。私は頬を膨らませながら、赤らんだ顔を隠すようそっぽを向く。

 (もっと素直になりたい)

 本当は、彼の言う通りだ。ただ、会うのが楽しみというレベルではない。何をしていても心にはいつも彼の姿が浮かんでいて、会いたくて会いたくてたまらなかった。

 もっと傍にいたい。特別な目で私を見て欲しい。そんな事を思う自分の事が恥ずかしいが、これが真実の私だ。

 

「話って、何?」

 部活動のバッグを背負った学生達が、ぺちゃくちゃ喋りながらベンチの前を通りすぎていく。会社を出る前に櫛でとかしてきた筈の髪の毛は、気付かないうちにボサボサだ。さりげなく撫で付けて、耳にかける。

 彼は視線を線路に向けたまま、人差し指を曲げて小鼻をポリポリと掻いた。ホームの壁で反響した喧騒が、急に存在感を増す。

「鞄、ありがとな」

「え?」

「いや……あの時、鳥の糞落とすの手伝ってくれただろ」

 一ヶ月前の話だ。私は苦笑いを浮かべながら、もう片方の髪を耳にかけた。その様子を横目で見ていた彼も、フッと軽く笑みをこぼす。

「ホント、お人好しだよな。見ず知らずの俺の為に、会社を遅刻してまで」

「う……。でも、私はお人好しじゃないよ。いつもはそんな事しないから」

 彼は私の言葉を聞いて不思議そうに目を丸くした。言葉の外に含ませた思いに、彼は気付くだろうか。自然と多くなる瞬きの回数。爪先を見つめていると、ふと彼が靴の先を私のそれに合わせてくる。

 ハッと息をのんで顔を上げると、彼と目が合った。夕日で赤く照らし出された彼の真剣な表情は、私の心を射抜く。

「俺……俺さ、実はあの時からずっと」

 言葉の続きは、駅に流れるアナウンスにかき消される。けれど口の動きを見ていた私の目には、涙がじわりと浮かんできた。

「私も。私も、あなたの事」

 重なったままの靴の先。橙色に染まった線路に伸びた二人の影が、ゆっくり重なった。

 

 ラッシュ時には人で溢れ返っていたホーム。二十二時を過ぎた時分とあっては、歩く人もまばらだ。ベンチに腰掛けている私は振り返って、屋根と壁の隙間から見える夜空に目を向けた。

 今夜は、雲一つない星月夜だ。電車がまた到着し、風が巻き起こる。

「悪い、待たせた」

 どっと降りてきた人々が階段へと掃けたあたりで、息を切らした彼がやってきた。かすかに香る彼の匂い。私は軽く首を振り、鞄からハンカチを取り出して彼へ手渡した。

「すごい汗。良かったら、これで拭いて」

「え? いや、使えねーよ」

「そんな事気にしないで。汗を拭く物、持ってないでしょ?」

 彼は一瞬口をつぐむと、観念したように息を吐いた。礼を言ってハンカチを受け取るその姿を、私は微笑みながら眺めている。

 (今が儚い夢だとしても、傍にいさせて欲しい)

 ふとそんな考えがよぎって、きゅっと胸が締め付けられるように苦しくなった。限りある命。切ない、けれどこの上なくいとおしい。

 とても幸せなのに、何故今そんな事を思うのだろう。けれどこの恋が私の人生に於いて、最後の恋になればいいと強く思った。

「ん、ありがとな」

 彼が使い終わったハンカチを私へ手渡す。その際に指と指が触れ合い、私達は顔を見合わせた。

「そろそろ、帰る?」

「ああ」

 自然に絡む指。私達は立ち上がって、閑散とした改札口へゆっくりと歩き出した。

 駅員室。蛍光灯の白い光を浴びる、疲れた様子の駅員。出口地図の隣の壁にもたれ掛かって、携帯電話を眺めている若者。手を繋いだ私達は、一歩一歩名残惜しく出口へ進んでいく。

「来週の日曜日、何の日だか覚えてるか?」

 歩きながら彼が口を開いた。私はその横顔を見上げながら、勿論、と答える。

「三ヶ月記念日でしょ。忘れる訳ないじゃない」

「はは、そうだよな」

 出口に差し掛かる。私達は繋いでいた手を緩めると、お互い向かい合った。

「どこ行きたい? その日は一日中、一緒にいられるようにするから」

「……ホント?」

「ああ」

 多忙な彼が、こう断言するのは珍しい。一瞬パアッと気持ちが弾んだが、すぐに視線を落として目を伏せた。そして、なるべく明るく笑ってみせた。

「当日、決めてもいい?」

「ああ、いいぜ。期待して待ってな」

「ハイハイ。じゃあね」

 駅を挟んで真逆に位置するそれぞれの自宅。限られた時間を大切にする為に、お互い遠回りはしないと決めたのは、関係を始めた当初の頃だ。

 私達はハイタッチを交わして、それぞれの家路につく。

 (きっと二人がこんな風にしていられるのは、そう。お互いを大切にしているからだよね)

 振り返ると、ちょうど彼もこちらを見ようと振り返ったところだった。軽く手を振り、どこか浮き足だって歩き出した。

 じっとりとした空気の漂う、白雨のホーム。お気に入りのワンピースに身を包んだ私は、ベンチに腰掛けて携帯電話を眺めていた。

「まだ来ない……」

 三ヶ月記念日の今日。待ち合わせ時刻の三十分前に到着した私は、我ながら遠足が待ちきれない子供のようだと思う。着いた時に彼がいなくて良かったと当初は思ったが、今となってはその時に彼がいれば良かったのにと思う。

 私はホームの壁に掲げられた時計に視線を向けた。長針は既に、十二の部分から大きく外れている。

「今日、本当に来るんだよね?」

 誰に言うでもなく、小さく呟く。待ち合わせ時間が近付く度に膨らんでいた希望は、時間を過ぎると風船に穴が開いたように急速に萎んでいった。そのかわりに胸の中へ溢れてきたのは、諦めや寂しさのようなマイナスの気持ちだ。

 すると、携帯電話がブブブと震え出す。一抹の希望を抱いて画面を見た私の表情は、ぐしゃりと歪む。だらんと下がった手から音を立てて落ちる、携帯電話。

「急な、仕事……かあ」

 無数の行き交う足音。携帯電話を取り落としたまま項垂れている私へ向けられる、奇異の視線を感じる。私は携帯電話を拾い上げると、平静を装いながら返信文を入力した。

『ホントにごめん。埋め合わせは必ずする』

『大丈夫だよ。お仕事頑張ってね』

『ありがとう。大丈夫って言ってもらえて、助かる』

「……大丈夫じゃないよ、馬鹿」

 私は電話を放り出して、自分の腿に突っ伏した。堪えようとしても、目元が熱く湿っていく。

 (大丈夫って言うけれど、大丈夫じゃないことぐらい分かってよ。ねえ、分かってよ!)

 そう心の中で叫ぶが、その声が彼に届く事はない。雨は激しさを増し、私の耳から周りの人間の存在を消していく。

 ひとしきり泣いた後の身体はすごく重たく感じた。私はゆらりと立ち上がると、ずぶ濡れの気分で帰路についた。

 黄葉のホーム。時折外から風が舞い込み、ホームに散らばった枯葉がカサカサと音を立てている。

 私と彼は、人一人分座れるような隙間を開けてベンチに座っていた。久しぶりに会えたと言うのに、どちらもムスッとしたまま、口を開こうとしない。

「悪かったって言ってるだろ。機嫌直してくれよ」

「こんなのいらない。私が子供だとでも思ってるの?」

 二人の中間に置かれた、ココア缶。アイス、と大きく書かれたそれは、おそらくとても冷えていると思われる。

 彼はハァ~っと長いため息をついた。そのため息を聞いた私の、何かがプツンと切れた。

「もういい。帰る」

 わざと音をたてて立ち上がり、後ろも見ずにキビキビと歩き出す。待てよ、と手首を掴まれた時、一瞬心が緩んだが私はその手を振り払ってホームから出ていった。

 この時つまらない意地を張って帰ってしまった事を、私は後に死ぬほど後悔した。

『一旦距離をおこう。俺達、友達になれるかな』

 そんなメールを受信したのは、その夜の事だった。

 寒月輝くホーム。人の通りの多い乗降口付近のアスファルトは、そのあまりの寒さに一部凍り付いている。だがそんな寒さなんて跳ね返してしまうように、連れ立って歩く男女が華やいだ笑い声をあげながら通りすぎていく。

 男女の姿が多いのは、今日が十二月二十五日だからだろうか。

「……寒いなあ」

 あれから、彼とは全く会わなくなった。その気になれば、いつでも連絡を取ることは出来た。だがどうしてもメッセージの送信ボタンを押せないまま、季節だけが過ぎてしまった。

 勿論向こうからも連絡はない。声を聞いたのは、くだらない喧嘩をしたあの日が最後。

「そろそろ帰ろうかな」

 一人呟く。うつ向き気味の視界の中を、おもちゃ屋の紙袋と男性の靴が通りすぎていく。思わず顔を上げて、その姿を目で追った。

 家で待っている子供にプレゼントするのだろうか。急ぎ足で去っていくその後ろ姿は、あっという間に見えなくなる。

 (プレゼントなんて無くていいから、声を聞きたい)

「夢の中でいいから、今夜会いに来てくれないかな」

  密かな呟きは、白い息と共に冷涼とした空気に消えた。

「転勤する事になった」

 寒凪のホーム。珍しく穏やかな日差しが射し込む中、私と彼は並んでベンチに腰掛けていた。平日の昼間とあって、辺りは閑散としている。

 彼の言葉と老人のくしゃみがたまたま重なった為聞き返したところ、彼はこのように言ったのだった。

「内示が出た。俺もまだ行った事ないんだ。ここからは飛行機を乗り継いで、やっと着くような所なんだと」

 その言葉を聞いて、しばらくは声が出なかった。激しい動悸と冷や汗で、身体が小刻みに震えている。その間も彼は何かを話し続けていたが、ひどく動揺した私の耳には全く入ってこないのだった。

「……そっか。じゃあ、お別れだね」

 そんな言葉が、無意識に口からこぼれ落ちる。彼はチラリと私を見てから正面を向くと、コクンと頷いた。

 彼が去ってからも、私はしばらくその場に留まっていた。日は傾き、空は茜色に染まりかけている。

 別れたくない。でもそんなに遠い所へ行ってしまうのなら、今までみたいに会うことは出来ない。近くにいてもうまくいってないのに、遠く離れて上手くいくなんて事はないだろう。

 悩んでも考えても、結局新たな行動は起こせなかった。暗くじめっとした気持ちを抱えたまま、とうとう彼の出立の日を迎える事となった。

 春隣のホーム。何ヵ月も降り積もっていた雪は日に日に融け始め、息を深く吸い込んでも芯から冷えはしないような季節になった。

 出立の日。スーツケースを引く彼。私はその後ろを、トボトボと付いていく。

「じゃあ、ここで」

 行き交う人の足音や話し声でガヤガヤ騒がしい中、彼がこちらに向き直って言った。私はその顔を見ることが出来なくて、うつ向いたまま頷いた。

「元気でな」

「……そっちも、ね」

 軽く握手を交わし、彼は電車に乗り込んでいく。私はいつものベンチに座りながら、その様子をぼんやりと眺めていた。

 発車まではまだ時間があるようだ。ずっと様子を眺めているのも気まずいので、私は携帯電話を開いた。

 メール画面を遡っていると、ふと鍵付きのフォルダを見付けた。何だろうと思いながらフォルダを開くと、一年前に別れた初彼氏からのメールが山程保管されていた。

 文面を目にした瞬間、ふと当時の記憶が走馬灯のように蘇った。

 (ああ、この人の事、大好きだったなあ)

 大好きだったこの人の事を早く忘れたくて、このフォルダを全て消してしまおうと何回もトライした。だが結局、消去ボタンを押せずにいたのだ。

 そんな時、彼と出会った。

 (懐かしいなあ……)

 消去ボタンをタップすると、次の瞬間にはフォルダは綺麗さっぱり無くなっていた。特に何を思うでもなく、微笑んですらいる自分に驚きを覚える。

 そうか。初彼氏との恋は、思い出へと昇華したのだ。

 (時間が経てば、辛い恋も思い出に変わっていくんだ)

 顔を上げて、座席に座る彼の横顔を見た。何度も見てきた凛々しい横顔。もう二度と抱き締めることは出来ない。けれど、彼の幸運を願う気持ちは、ずっと変わらない。

 (いつかこの恋も、思い出になる)

 アナウンスが流れ、慌てて電車へ乗り込む人が私の横を駆け抜けていった。私はふと、彼が座席の窓を開けてこちらへ手招きしている事に気付いた。

「そうだ、コレ渡そうと思ってたんだ」

 そう言いながら彼が手渡したのは、見覚えのあるココア缶だ。優しい温もりのそれがコロンと手の中に転がってくると、私は目を見開いた。

「……元気でいろよ」

 駅員の警笛が鳴る。顔を上げると、切なそうに表情を歪めながら目を潤ませる彼の顔が見え、そしてその顔が徐々に離れていく。

 瞬間、私は荷物を全て放り出した。ヒールを脱ぎ捨て、勢い良く駆け出す。硬く、そして冷えた地面。ストッキングはすぐさま破れ、スカートは無様に捲れあがる。

「おっ、お客様! お止めください!」

 当然すぐさま駅員に取り押さえられた。羽交い締めにされた私は、子供のように暴れた。私の様子に驚いて席を立った彼が、あっという間に見えなくなっていく。

 私の目からは、涙がボロボロと溢れてきた。怒りが腹の底から沸き上がってきて、グツグツと煮えたぎっているようだった。

 (何が幸運だ、何が思い出だ)

 今まで強固に居座っていたイイコちゃんの自分は、頭の中で本当の自分にボコボコにされている。次の電車が来ると、いても立ってもいられなくて早速飛び乗った。最前の車両で目を血走らせて涙を流しながら、貰ったココアを一息に飲み干した。

 (思い出になんか、絶対にさせない。このまま終わるなんて絶対嫌だ。絶対離れるもんか。私だって、私だって彼の事が)

 一つ先の駅では、彼が心配そうにホームに立っている姿が見えた。私は一直線にその胸へ飛び込んでいくと、思いの丈を大声で打ち明けた。

 十年後、私はベンチに一人で腰掛けていた。人気のないホーム。人生最後と決めた彼との恋は、思い出へと変わった。

 私は目を閉じて当時の風景を思い浮かべながら、温かなココアの缶に口を付ける。優しい甘さは、舌の上をまろやかに通り抜けていく。

「お母さん、お待たせ!」

 顔を上げると、私の顔によく似た少女が嬉しそうに駆けて来た。その後ろを、少し老けた彼が大荷物を抱えて付いてくる。

「お父さんも早く早く! 遅れちゃうよ!」

 少女はそう叫びながら、弾む足取りで電車へ乗り込んだ。私は彼の荷物を一つ持ちながら、彼と顔を見合わせて微笑む。

 発車のアナウンスがホームにこだまする。私は彼と緩く手を繋ぐと、二人で電車に足を踏み入れた。

 プシュー、と音を立てて閉まる扉。電車はゆっくりと進みだし、赤紫色に染まる地平線へと姿を消すのだった。

修正履歴

  • 誤字、脱字の修正をおこないました。(2018/10/04)
  • 内容に影響のない範囲で、一部表現の変更や追記をおこないました。(2018/10/03)

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力作をありがとうございます!
アルバムとの関連性もさることながら、「これ、どんな結末になっちゃうの?」と一気読みしましたが、ハッピーエンドで良かったです。
アルバム発売後にフルコーラスを聴きながら読み返していただけていたら幸いです。
(スタッフH)

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とじる

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とじる

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