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千歳重ねど忘るることなく 完結

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合計:2

いつか出会った小さな人の子へ。私はきっと、君に恋をしていたんだ。

*******
山に住む神と人の子の一生。
他サイトでは書けなかった話のトゥルーエンド。

1位の表紙

目次

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白練

 いつもの如く私は祠から離れて山の麓へと降りていった。つい百年位前なら子供たちは外へ出て、山や野に出て走り回っていたのにここ数十年は皆あまり外に出ず屋内で遊んでいるようで、私が麓へ降りてもほとんど子供なんていなかった。けれど私は誰でも良いから話がしたかった。

 いつからか、私のもとへ訪れる人間はほとんどいなくなってしまった。山から下りなければ、私は誰とも会うことがないのだ。

 私の姿が見えるのは、神の持ち物と呼ばれる七歳までの子供だけ。それ以上の年の人の子は私を見ることができない。

 寂しい、だなんて殊勝な感情は私にはないけれど山の中で一人いるのはつまらない。いつの世も、人間を見ることは愉快なのだ。

 山も町も等しく染め上げる黄昏時、私は麓まで降りて遊んでくれる子供を探した。何も遊んでくれなくても良い。少し話をするだけでもって。期待半分、諦め半分それくらいの心地だった。

それで私は一人の少年と会った。

とても驚いた。期待していたとはいえこんな夕方に五つくらいの年の子供が一人でいるだなんて。回りを見ても兄弟や両親らしい姿は見えない。迷子か何かだと思って話しかけたんだ。近づけばその背丈は私の膝ほどしかなく、手足は小枝のように細かった。

「君、一人?お父さんやお母さんは?」

少年は俯いたまま返事をしない。でもこのまま放っておくこともできなかった。日が落ちてしまえば良くないもの達が動きだし、きっとこの子も食べられてしまう。

「おうちはどこ?暗くなる前に帰った方がいいんじゃない?」

 最初こそ遊んでもらおうと思っていたのだが、どうにもそれはできそうにない。なんとかこの子を家へ帰したい。

しゃがんでその少年と眼を合わせて頭を撫でた。

「……っふぇ、」

「っ……?!」

みるみるうちに少年の赤みがかった瞳に涙がぶわりと溜まり溢れ落ちそうになった。

「ど、どうしたの?!どこか痛いの?!」

「ふっうぅ……う……、」

何を聞いてもただ声を殺して泣くだけで埒が明かない。しかもこんな時間帯の山の麓に人の姿もなく本当に困ってしまった。

家に送ろうにも少年の家の場所は知らないし、他に助けてくれそうな人の子もいない。

しかもそうこうしているうちに日はとっぷりと暮れてしまった。

ざわざわと草木は音をたて、虫は静かに鳴き出し、影は闇を深くした。夏の夜独特の嫌な風が辺りを包む。

――――ガサガサガサッ!

少年の後ろの草木から何かが近づく音がした。

「っ……!」

明らかに良くないものがそこにはいる。寒気が走った。山神様のいるこの山では強いモノは現れない。だが良くないモノであるのは確かだ。

「……ごめんね!」

「へ……、うあぁぁっ!!」

咄嗟に少年を抱き上げて地を蹴りふわりと身体を空に飛ばした。子供を抱えたまま空を飛ぶのは初めてだったため不安だったが、一人で飛ぶのとあまり変わらずそっと嘆息した。

ふと先程までいた草むらに眼をやると、良くないものがじっとこちらを見上げていた。強くはないようたが人の子では一堪りもない。抱き上げた少年がキュッと白い着物の肩口を握っているのを見てハッとした。つい逃げるために飛んでしまったが町の家々の灯りを一望出来るような高さの不安定な空が怖くないはずがない。

「しょ、少年、大丈夫?」

また、返事がない。恐怖のあまりに声も出ないのかと思い少年の顔を覗く。そしてそれは杞憂であったと知った。

「…………!!」

恐怖に歪むわけでも、ぎゅっと目を瞑るでもなく、少し垂れた目をいっぱいまで開いて暗い町を煌々と照らす無数の灯りに見入っていた。彼の目には既に涙は浮かんいでなくキラキラとした光を映していた。

「……綺麗でしょ?」

「!……うん、すごく!」

少し興奮したような声色に見慣れた景色なのに私まで嬉しくなる。

だがそれもつかの間。私はこの子をおうちまで送っていかなくてはならない。

「この明かりの中に、君のおうちもあるんだよね?お姉さんが連れていってあげるから道案内をお願いできるかな?」

出来るだけ楽しそうにおどけるようにすることを心掛けたが、途端に少年の顔が強ばる。

「帰りたく、ない……。」

当たってほしくない予想がドンピシャで当たり一人頭を抱えた。帰りたくないでは困る。私は人の子を拐う趣味はない。ただ遊んで、それで日がくれる前におしまいなんだ。神隠しをした日には山神さまに私が怒られる。

そっと片手で頭を撫でながら優しく問う。どうして、という言葉はそっと胸のうちに止めて。

「お父さんやお母さんが心配しちゃうよ?」

手に力が込められる。

「……お父さんも、お母さんも、いない……、」

再び引っ込んでいた涙が溢れだしギョッとする。泣かれるのは苦手なんだ。落ち着かせるようにトントンと背中を擦りなんとか涙が溢れ落ちるのだけは防ぐ。

どうしたものかと天を仰ぐ。濃藍の空にはポッカリと月が浮かび満天の星の輝きを微かに奪っていた。

それを見ていたらなんだかどうでもよくなってきて、何となく笑いが零れた。

「……少年は帰りたくないんだね?」

「うん……。」

「じゃあ今晩はお姉さんと遊んでくれないかな?」

「へ……?」

僅かに涙に濡れた長い睫毛がぱちぱちと上下された。

「夜が明けたら君はおうちへ帰る。それで良いかい?」

「……い、良いの?」

「ふふ、良いよ良いよ。お姉さんひとりぼっちで寂しかったからね。」

そう言うと首に腕を回されぎゅうっと抱きつかれた。

「僕も……ひとりぼっちなんだ。」

「……そっか、じゃあ今夜はふたりぼっちだねぇ。」

ヘラりと気にした風もなく笑うと少年もハニカミながら笑ってくれた。

「それじゃ、散歩でもしようか。しっかり掴まっててね?」

「うんっ!」

楽しそうな少年を腕に、私はゆっくりと空中に踏み込んだ。一夜限りの神隠し。山神様も許してくれよう。

******

空中散歩もそこそこに少年は私の腕の中で眠りについた。はしゃぎ疲れた彼を起こさないようにそっと聖域に降り立つ。聖域は私の祠の側一帯の空間。本来なら何者をも侵入を許さない領域だが、聖域は少年を拒絶することはなかった。一枚の大きな羽織をどこからともなく出し、少年に掛けた。起きている間はとりとめもない話をした。少年の名前はシグレ。どんな字を書くのかはわからない。

何の疑いもなく私の膝の上で眠る少年の頬をそっと撫でた。彼の年は五つ。あと二年もすれば私のことが見えなくなると思うと、少し惜しい気がした。

空が白練りに色を変えた頃、少年をゆさゆさと揺すり目を覚まさせる。まだ寝ぼけ眼の少年を抱え、聖域をあとにした。

少しずつシグレからおうちの情報を聞き出す。

先生がいる。皆がいる。広い。人がたくさん。十字架。

言葉を繋げて想像する。

先生、というとどこかの学校の宿舎か何かか、修道院か、孤児院の施設か。彼の年から考えて修道院か施設。十字架はそのどちらにあってもおかしくない。

だが広い、人がたくさん、というと修道院ではないように感じる。彼の口ぶりからして、ミサや礼拝で一時的に人が増えるのではなく常に多くの人がいるようだ。

この辺りの孤児院、簡単に目星をつけてそれへ向かう。明け方とはいえこの時間帯に空を歩くのはあまり適切ではない。たとえ彼らからは見えていないとしても。

ひとつの孤児院の前で立ち止まる。

「君のおうちは、ここ?」

「……うん。」

閉まった門を飛び越え地面にシグレを降ろす。孤児院の左手にはなかなか立派な教会が建っていた。恐らくこの孤児院の所有するものだろう。少年が既に『主』のものだと思うと面白くない。

「そう、夜はあまり外に出ないほうが良いよ。」

「あ、あのっ!!」

手を離し祠へ戻ろうとしたとき、腰に抱き付かれる。

「……どうしたの?」

「ま、また……会いに行って良い……?」

不安げな顔に口角が上がるのを感じた。

「……いつでもおいで。」

シグレの腕を解き門を越え軽い足取りで町を歩く。彼が私のことを見ることができるのはあと数年。普通の子供なら一度遊べばお別れだが、彼はまた遊びに来るという。ああ、こんなに楽しいのはいつぶりだろうか。期待を胸に進んでいく。ジョギングをする青年と擦れ違うが彼に私は見えていない。それだけのいつものことなのに、それさえも愉快に思えた。

何より、嬉しかったこと。

『お姉さんの名前は何て言うの?』

『―――、』

自分の名前を最後に聞かれたのはいったい何十年前だっただろうか。誰に名乗る名前でもなかったが、自分でもちゃんと覚えていた。

『……鈴蘭、だよ。』

『鈴蘭!』

楽しそうに笑顔で私の名前を呼んだ。

ただ私を表すだけの名前だったのに、彼に呼ばれるとそれがとてつもなく素敵なものに感じた。私の中の何かが震える。

「ふふっ……、」

笑みが零れた。

山の麓まで行き、そして私は聖域まで駆ける。

昨夜いた良くないものは既に姿を隠していた 。

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とじる

黄櫨染

 少年と出会った日から、彼は毎日私のもとへ訪ねてきた。それは何週間経っても変わらなかった。いつしか彼の気配を覚え、彼が山に踏み入れた時点で彼の居場所が分かるようになった。

 彼と遊ぶ日々はとても楽しかったが、逆に怖くもなってしまった。どれだけ楽しくても、あと数年で彼は私のことが見えなくなってしまう。私の思っている以上に、シグレのことを気に入っているらしい。

 そんな日々から数年、彼は八歳になった。

 「…………何で見えてるんだろ?」

 「鈴蘭?何か言った?」

 「なんにもー?」

 彼は八歳になったのに、変わらず私の聖域に訪れた。分からない。しれっと現れ、私の作った木の切り株の机で学校の宿題をしている。

 今まで千年と二百年程生きてきてこんなことがあっただろうか。いや、なかったことはなかった。しかし少なくともこんな小さな子供ではなかった。彼らは道術を使う導師であったり、陰陽術を使う者、所謂然るべきところで然るべき修行を積んだものだけである。間違っても、何の変哲もない幼い人の子が私のもとを訪れることはなかった。

 首を傾げるが、その理由は分からなかった。ただまあ、楽しいならそれで良いや、と考えることを放棄し鉛筆を握る彼を何をするでもなく眺めた。

 シグレが勉強をしている間はどうにも暇で彼に気づかれないよう、そっと聖域を抜け出した。少し離れたところに動物がいる音がするので、その子に遊んでもらおうと思ったのだ。

 しばらく歩いていると、やはりいた。茶色の野ウサギだ。話しかけ、了承をもらったあと抱き上げてホクホクとしながら聖域へ戻った。この重さと温かさが生きているもの独特で嬉しくなる。

 「鈴蘭っ!」

 「ん?どうしたの?」

 聖域にはシグレがいたのだが、何やら慌てている。野ウサギを抱えた私にドン、と抱きついてきた。その衝撃に、初めて会ったときよりも大きくなったな、一人ごつ。

 「どこ行ってたの!?」

 「え?いや、その辺にこの子がいたから遊んでもらおうと思って。」

 ほれ、と手に持った野ウサギをシグレの頭に乗せる。頭の上にそれなりの重さのものが乗るのでシグレはバランスを失いフラフラとした。ウサギはウサギで落ちたくないので、シグレの頭にしがみつく。結局彼はバランスをとりきれず尻餅をつき、頭に乗っていたウサギはシグレの腹の上に鎮座ましましていた。

 「ふ、くくくっ楽しそうだね、シグレ。」

 「寧ろ楽しんでるの鈴蘭だけでしょ。しかも何かこのウサギ態度でかい……。」

 不服そうな彼の苦言は華麗にスルーする。

 ふと空に目をやると暗い色の雲が空を覆い始めていた。空気も湿気を増し身体に纏わりつくようで気持ち悪い。

 「シグレ、そろそろ雨が降る。帰った方がいいよ。」

 「ええー、まだ夕方にもなってないのに!」

 「ダメダメ、君みたいなおちびちゃんは雨に濡れたら風邪引いちゃうでしょ?」

 「ちびじゃないっ!」

 噛みついてくる彼をいなしつつ、さっさと彼の持ってきたプリントやら文房具やらをしまっていく。これらが雨に濡れてしまったら彼の努力が水の泡だ。実体を持つようで持たない私が雨に濡れることはないが、普通の人間のシグレや彼の持ち物は濡れてしまうだろう。

 「はいはい、我儘言ってないで帰った帰った。」

 しかし彼は聖域から出ていこうとしない。いつもならある程度駄々をこねても、渋々といった体で引き上げるのだが、今日の彼は迷ったように、しかしはっきりと意思をもって帰ろうとしない。何となく、それは初めてあった日を彷彿とさせた。

 「……帰りたくないの?」

 「帰りたく、ないというより……、帰り道が……。」

 理由がはっきりしないものの、とりあえず今は彼が帰ろうとしないのは明白だ。ばれないようにため息を吐き、降るであろう雨のために雨避けの大きな楠木を一本聖域に生やす。

 メキッ、ミシミシミシッ……!

 「…………!」

 大きな音をたててみるみる異常なスピードで成長する木を、あんぐりと口をあけて見るシグレを見て、改めて人の子から見ると異質であることを自覚した。

 「ははっ、びっくりし過ぎだね。まあこっちへおいでよ、話はそれからだ。」

 呆然とする彼を楠木の根本へ呼び寄せ、座らせる。暫くするとパタパタと、木の葉を打つ雨音が響きだした。シグレの抱えていたウサギを自身の膝の上に乗せ、話の続きを促す。

 躊躇いながらではあるが、少しずつ話し始めた。

 「先に言うけど……嘘じゃないよ?」

 「ふっ、嘘だと思うような話なの?そもそも君が私に嘘を吐いたことなんてないでしょ。」

 緊張を解くように、片手で灰色がかった髪を撫でる。

 「でも……皆に話すと嘘つきって言われたし、先生たちだって、よそで言っちゃダメって言ってたから。」

 不安げな顔にすっと目を細めた。

 「とにかく、話してごらん。理由が言えないなら傘だけ持たせて帰しちゃうぞ?」

 そのあともモゴモゴと言おうとして止めるのを繰り返す。私はシグレが話せるまで膝の上のウサギを緩慢な動きで撫でた。ウサギが微睡んだころ、やっと意を決して口を開いた。

 「……雨の日とか夜になると、いっぱいいるんだ。」

 「何がいるの?」

 「わかんない、けどなんか変な奴ら。人間みたいなのに、他の人には見えてないみたいで……。幽霊?」

 ほお、とどこか感心しつつ、腑に落ちた。彼にはどうやら霊感、といった類いの物があるらしい。力が強いから、この年になっても私を目視できるのだ。

 「山にもたくさんいる。雨の日になるといつもよりもっと増え……!!」

 話が途中で途切れ、あまりよくなかった顔色が更に悪くなる。青白いを通り越して最早土気色だ。震えながら何かを見ているらしい。ついっと、彼の視線の先にあるものを見て、身体が強ばった。

 それは聖域の外にいた。

 しとしとと降る雨など気づかないかのように立ち尽くすそれは、辛うじて人の形を保っているだけのぼろ雑巾のようだった。服も身体も浅黒く、痩せこけ、所々身体は腐り落ちている。目は落ち窪み、黒く塗りつぶされたよう。虚ろに開けられた口、ざんばらな黒い髪。まさに幽鬼と呼ぶに相応しい姿。

 それが、聖域の外にいた。

 なるほどあれは恐ろしい。

 恐怖のあまり動けなくなったシグレの肩を叩くと弾かれたように私に抱きついてきた。それが彼の視界に入らないように、後頭部をそっと撫で肩に顔を埋めさせる。

 「だーいじょーぶ。あれは聖域の中には入れないから、ここにいれば何の問題もないよ。」

 「…………っ!!」

 身体を震えさせるシグレを落ち着かせるように撫で続ける。

 どうやらあれと目があってしまったらしい。

 正直あれは最早消えかけで、何の力も持っていない。何か恨みをもって死んだものの、古すぎて多分本人も忘れている。恨みだけを糧にさ迷っているだけ。聖域に入ることもできないし、聖域の内側、つまり私たちを見ることもできない。恐らくこちらをたまたま向いていたから目があったように感じただけだろう。

 日が落ちる時と、雨の日はああいうものが元気になる。シグレを無理矢理帰さなくて良かった。雨の中、一人あれと遭遇するのは可哀想だ。

 大丈夫と言うが、彼は今だ怯え身体を細かく震わせている。どうしようか。

 害はないしあれくらいなら放って置いても数十年も経たない内に消えるだろう。

 だがまあいかんせん、目に毒であることに変わりはない。あれは大の大人でも慄くだろう。何にせよ、あれがいてはシグレに安寧はない。

 「全く……面倒な。」

 別にあのような幽霊に対する同情など持ち合わせてはいない。ただ、あそこにいられると私たちが困るのだ。

 酷く荒んだ心持ちで、盤若心経を唱える。死後も浮き世をさ迷い歩くモノ達への救済。どうか安らかに消えてくれ。

 突然経を唱え始めた私をシグレが不思議そうに見上げた。視線の先のそれは、少しずつ姿を変えていく。見るも無惨な身体は少しずつかつての姿に戻っていく。削ぎ落とされていた肉は甦り、ぼろ切れだった服は淡い色のカーディガンに。まだ年若い、女性だった。

 聖域の外でも私の声が聞こえているらしい。私の方をしっかりと見ていた。

 そして、かつて女性であったそれは黄色い光の粒となり、消えていった。

 本当に迷惑なので、山を彷徨するのは止めて欲しい。山神さまにでも相談しようかな。

 終わったとシグレに声をかけようとしたが彼は既に顔をあげていて、光の粒の向かった先をただただ見つめていた。

 「シグレ……?」

 「鈴蘭、あれはどこに行ったの?」

 「んー?極楽浄土。簡単に言うと天国かな?」

 その辺の詳しいところは完全に私の管轄外なのではっきりとは言えない。ただまあ審判を受けるにしろ、恐らくいずれは浄土へ行くだろう。

 「鈴蘭も、消えちゃう……?」

 「んん?消える予定はまだないかな。どうして?」

 我関せずと今だ眠りこけるウサギを片手で撫でつつ、言いづらそうなシグレの言葉を待つ。シグレの赤の強い黄櫨染の双眸が不安げに揺れた。

 「だって、鈴蘭も幽霊なんでしょ?」

 「んー?誰が幽霊だなんて言った?」

 「だ、だって鈴蘭空飛んでたし……。」

 「鳥も飛行機も空飛ぶよ?」

 「そういうんじゃなくてっ!」

 憮然とする彼を呵々と笑い飛ばしはぐらかす。

 特に教えない理由はないのだが、面白そうなのでまだ言わないでおく。

 「ねえ、もし私があれと同じ幽霊だったら、怖いかい?」

 「……怖くは、ないと思う。鈴蘭は、優しいから。先生とか、学校の奴らより、ずっと。そのっ……鈴蘭が幽霊でも、大好きだよ!!」

 一生懸命なその様子に笑みが零れる。何て愛らしい子だろう。嬉しいことを言ってくれる。

 嬉しい、だが彼の言葉にちょっと不味いな、と危機感を抱かないでいられなかった。

 この子は人の子。あまりこちら側にいない方が良い。彼が生きるのはこちらの世界ではなく、人の世だ。いずれ私からは離れていかなくてはいけない。

 どうすればシグレを穏便に人の世に帰すことができるだろうか。模索するも良さそうな案は浮かばない。

 ふしゅん、と膝の上のウサギがくしゃみをした。

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とじる

藍墨茶

 今日も今日とて、聖域では平和なのんびりとした時間が緩やかに流れていた。

 いつのまにか住み着いたウサギに、この子につれてこられた鹿やキツネも来るようになった。ウサギがキツネに襲われやしないか当初ビクビクしていたが、茶色の野ウサギは私が思っているよりかなり強かであった。

 さて、シグレだが早いことに彼は高校生になった。小さく素直だった彼は可愛いげがなくなった。そしてそのまま聖域に来る回数が減った。

 …………なんてこともなく、ほとんど毎日のように聖域に訪れる。数年前の私の懸念は杞憂にならなかった。目下の悩みである。

 「鈴蘭!」

 「志呉くん、また来たの?学校は?」

 「あー?今日から冬休みだから半日だったんだよ!」

 学ランの上からコートを羽織り、ベージュのマフラーを巻く彼はどこからどうみても所謂、今時の高校生だ。毎日のごとく山に通うことを差し引けば。

 「鼻赤いよ……寒いんだからわざわざこんな所に来なくても……。」

 「へへっ、どうせここは適温だろ?それに寒くてもここに来ねぇと鈴蘭に会えねぇし。」

 聖域に入ると着込んでいたコートや手袋を外す。聖域の中が適温なのは、持ち主である私が最も過ごしやすくなるように聖域が対応するからだ。これは何百年前から変わらない。

 「若者は若者らしく、若者同士で青春すれば良いよ。学生なんてあっという間でしょ?」

 「一度たりとも学生をやってねぇ奴のセリフじゃねぇよ、神サマ。」

 特に隠す意図はなかったが、志呉が中学生の時に普通に明神であることがバレた。当然だ。聖域の入り口の脇に私の祠と古びた木札がある上に、木札にはご丁寧に『鈴蘭明神』と書いてあるのだから。

 「だいたい青春に何するとかあんのか?」

 「……あれ、太陽に向かって走るとか?」

 「昭和か。」

 「黙ると良いよ若造。……ええっと、部活に勤しむ、とか?あとは普通に友達と遊んだり旅行に行ったり?」

 なんとなくイメージで言ってみる。山に祠を持つ明神なので私はこの土地に縛られていて、一人では一定の範囲内しか動き回ることができない。麓までいくと彼と同じくらいの年の子たちがいるので、その子達から聞き齧ったものだ。盗み聞きというと外聞が悪いが、どうせその子達には私が見えていない。逆に開き直る。

 「俺部活入ってねぇし。」

 「なんで入ってないの?君、運動神経良いでしょ。」

 志呉は体格も良いし山の中腹にあるこの聖域まで麓から息切れなしに駆け登ってくるくらいには体力もある。大してスポーツについて知っているわけではないが、彼に向いているといっても問題ないだろう。

 「は……?」

 しかし志呉は小さな声を漏らし、目を瞠って訳がわからないとでも言うようにこちらを凝視する。思わずぎょっとした。何か今の私の言葉のどこかに地雷でもあっただろうか。

 「何言ってんだ、お前?」

 「う、ええぇ……ご、ごめん?」

 ため息を吐かれ更に焦る。何かあっただろうか、というか今までの会話で部活のことについて触れたのは今日が初めてだったはずだ。

 「そりゃお前、部活なんかに入ったらここに来れる回数が減るからに決まってんだろ!?」

 「そんなこと!?」

 緊張して損した、と脱力する。

 志呉は相も変わらずこの場所を気に入っている。いや、気に入りすぎている。だが本来ここは人の子が来るべきところじゃない。そもそも人の子はここを見ることもできない。まあ見えてしまっているからこそこうして私も追い返さずに彼を置いてしまっているのだが。

 「……ごめん、志呉くん。少し聞いてくれるかな?」

 「ん?おう。」

 冬でも青々と茂る草むらに向かい合って腰を下ろす。普段は少し離れたところだったり、隣に座ったりするのに、こんな風に向かい合うときは大事な話をするときの、二人の暗黙の了解だ。

 「君はもう、あまりここへは来ない方が良い。」

 真面目に作られていた顔が歪み、赤の強い目が見開かれる。驚愕、疑問、戸惑い、そして絶望が綯い交ぜになった色だった。胸がきしむ。やはりもっと早くに言い出せばよかった。

 「な、んで……?」

 「聖域は人が来る場所じゃない。本当なら見ることも叶わない場所。そんな場所に人の子である君が入り浸るのは、とても不自然で異常なことなんだ。」

 しかしどのような事柄においても、異常なものは淘汰される。それが今だ。

 「君はもう、本来あるべき場所に帰らなきゃいけない。」

 これ以上は、君があるべき世界に戻れなくなってしまう。

 それは物理的にではなく、精神的にだ。

 志呉は両親はおらず、孤児として施設で育ってきた。しかもなまじ見鬼(けんき)の才があったせいで回りからは避けられ、疎んじられてきた。そんな彼を気まぐれに抱き上げてしまったのが、私だ。片や自身を肯定してくれる小さな世界。片や自身を疎んじる大きな世界。志呉が小さな世界に逃げ込んでくるのは当然であり、必然であった。私はもっと早くに彼を追い返すべきだった。

 「何で……、鈴蘭は俺のこと嫌いなのか?」

 「そういう問題じゃない。いつまでここにいるわけにはいかないでしょう?少なくとも、人の生活の一部を削ってまでここに来ることはあまり良くない。大人になればここへ来ることができる時間はほとんどなくなる。今のうちに、少しずつで良いから離れた方が良いんだ。」

 諭すようにこんこんと語る。いつかのように、彼が涙を溜めることはない。彼はもう子供ではないのだ。

 「……大丈夫、そっちの世界で馴染めるようになれば、私のことも、ここであったことも全部忘れる。最初は辛いかも知れないけど、そっちの時間の流れはここよりも速く、濃密だ。ここでの記憶は薄れ、消えていく。」

そして思い出すこともないだろう。幼いときに私と関わっても再びここへ、私に会いに来た子はいない。私が彼らの記憶を消したわけではない。刺激で溢れる日常が、ここでの記憶を埋もれさせるのだ。

 それがこちらとあちらの常である。

 頼りなさげに揺らぐ瞳に罪悪感と一握りの後悔が込み上げる。でも私はそれをぐっと押し止めた。

 「……嫌だ、絶対嫌だ。」

 「っ!」

 獅呉が身をのりだし、私たちの間にあった距離は半ば強制的にゼロとなる。背中に回された腕が痛い。私の腰辺りに抱きついていた怖がりな少年は、気づけば私を包み込むほどに成長していた。

 「……志呉くん、大丈夫、すぐに私のことなんて忘れるよ。君のいるべき世界は広くて、新しいもので溢れている。ここみたいに、君を退屈になんてさせないよ。」

 「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だっ……!」

 熱に浮かされるようにただただ拒絶の言葉を吐き出す。肩口に顔を埋める志呉の少し固い藍墨茶の髪を梳いた。

 「大丈夫、大丈夫だよ。……君はきっと、もうひとりぼっちじゃない。回りには君のことを見てくれる人達がいる。」

 「他の奴等なんてどうでも良い……お前さえ居てくれればそれで良い。だから、もう来るなとか言うなよ……!」

 余裕のない様子に息が詰まった。彼はここにいたいと言う。じゃあこれからも来ると良い、そう言いそうになるのをなんとか堪えた。ここで折れてしまえば今となにも変わらない。獅呉に会いたくない訳じゃない。でもそれ以上に、彼には外に目を向けて欲しい。

 「だーめ。他はどうでも良いとか言わないの。……よく見てみると良いよ。」

 ぐいっと志呉の肩を両手で突っぱねるように押し返す。泣きそうな表情は見ないふりをして、視界を開けさせた。

 「見てみて……志呉くん、君と初めて会ったときからもう十年以上たつよね。私はあの頃から全く変わってない。でも君は変わった。泣き虫な小さな少年じゃなくなった。それにここもそう。私が動かそうとしない限り、ここにある木も、草も、花も、育つことも枯れることも決してない。一方で、ここから出た世界では、生き物は産まれ、育ち、そして土に還る。かつてあったものは消え、変わりになかったものが産まれる。」

 動くことを忘れたかのような志呉の頬をそっと包み込むように撫でる。

 「こことそっちには、絶対的で相対的な違いがある。……生き、日々変わる君は、ここにいるべきじゃない。」

 そう言い切り、彼の様子を伺う。どうか、これで終わりにしなくてはいけない。一時の気の迷いを、いつまでも引きずるべきではないのだ。

 疑問、懊悩、苦悶、そして微かに縋りつくような表情に、心が揺らぐ。ぐらぐらと揺れるそれを抑え付けるように、小さく唇を噛んだ。彼を突き放すのに、私が動揺の色を見せてはいけない、絶対に。

 とん、と肩を志呉に押され、私はその力に逆らうことなく身体を後ろへ傾かせた。同時に、言葉を発することなく志呉は立ち上がり、脱いでいたコートを手に振り向くことなく草を分け祠の脇を通り過ぎて行った。

 ああ、ああ、これで良かったのだ。きっともう、彼がここに来ることはない。

 二度と訪れることはなく、そしてここで過ごした約十年の思い出もまた、激しく流れる日々の中に埋もれ風化し、失われる。いつしか消え、思い出すこともなくなる。今までここに訪れた他の人間たちと同じように。

 これで良かった、彼のために望んでいたはずなのに

 一瞬だけ見えた彼の頬に伝う涙が、なぜか目に焼き付いて離れなかった。

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とじる

藤納戸

 翌日、彼は来なかった。

 翌々日、彼は来なかった。

 違うのに、今日は来なかったじゃなくて今日も来なかった。もうきっと彼は二度とここを訪れないのに。

 私が、彼に来ないよう言った。突き放した。浮き世から取り零れかかる彼を、元の場所へ返すために。

 ハラリ、ハラリ

 痛いほど白い雪が舞うように降り注ぐ。ひやりとした感覚に身を竦ませながら緩慢な動作で楠の根本に腰を下ろした。季節など素知らぬように青々と茂る葉を見上げはたと思う。

 この木はまさにあちらとこちらが混ざったものであると。

 数年前、志呉が来た雨の日に生まれた楠。彼がいなければ決して生まれることはなかった。それはあちら。一方で、時を無視して育ち、私が手を加えないがためにその日から新たな葉が、枝が、実が生まれることはなく、葉の一枚とて落ちることがない。それがこちら。

 あちらがこちらに来たがために生まれた一つの命。

 いっそ刈り取ってしまおうか。

 この木がある限り、私は彼のことを否が応でも思い出してしまう。彼がこちらに関わってはいけないのと同じように私もまた、あちらへ肩入れしてはならない。この数百年がそうであったように、関わりを持ってもいずれあちらが私のことを忘れてしまう。同様に私も彼らのことを忘れてしまう。稀有な人間こそ記憶に残るものの、それに感情は決して伴わない。

 それがどうだろう。今の私は自然に忘れることもできず、たった一人の人間のために頭を悩ませ心を動かす。なんとも情けない。矮小な人間に揺さぶられるなど。私が一度瞼をおろし、しばし眠りについたなら、目を覚ましたころには消えてしまうような。脆く儚く、ひどく不安定な存在。かつて天孫が岩を望ます、桜だけを愛したがために。

 私たちを祀り、力に縋り、祈ることしかできない。そして私たちは気まぐれに願いを叶えてやる。それだけ。

 そっと楠の固い幹を掌で撫でた。私が一寸願えば、まるでそこに最初から何もなかったかのように消し去ることができる。聖域の主であるが故の特権。

 「その木、消しちまうのかい?」

 「っっ、庄虹様!」

 バッと振り向くとほんの少し後ろに山神様である庄虹様が立って、楠を見上げていた。深い紫の瞳に楠を映す彼が何を考えているのか、私には分からなかった。

 「……はい、そのつもりです。」

 「なんで?」

 寸の間もなく飄々と問う声にぐっと言葉が詰まった。何故、なぜ?

 「それさ、最近来なくなった人の子となんか関係あんのかい?」

 「なっ……!」

 何故それを、そんな表情をしたであろう私を山神様はクツクツと楽しそうなのか、そうでもないのか軽く笑った。白と黒だけの着物が目に痛い。

 「何で知ってるかって顔だな、ん?……この山は端から端まで俺のモノ。いつどこから誰が山に踏み入れたかくらい手に取るようにわかる。ま、ここみてぇなそれぞれの聖域の中までは把握していないがな。」

 「そう、でしたね……。」

 なんとも馬鹿なことを聞いてしまったとうなだれる。むしろ墓穴を掘ったに等しい。

「あの餓鬼、かなり長い間通い詰めてただろ。流石に気配を覚えるわ。……それで、最近来てねぇってことは、ついにあれもお前のことが見えなくなったのかい?」

 もう元服過ぎた年だろ?、とこともなさそうに言う彼だがその言葉に身体のどこかが軋んだ。

 そうか、彼も私が見えなくなるのだ。遅かっただけで、私や聖域、また人でないモノから離れ信じなくなり見えなくことを願ったなら、見鬼の才は失われる。それはある意味、大人になることの同意だ。

 見えなくなる。それは彼が二度とここに来ないことを顕著に示していて確かで不確定なドロリとしたものが胸の奥からこみ上げる。これは何。これを何と呼ぶのか私には分からない。

 「……きっと、見えなくなります。あの子はもう、ここには来ません。」

 自分で言った言葉がズシリと鳩尾に沈んだ。

 「へぇ……。」

 分かったのか分かってないのか、気の抜けたような返事をする山神様の顔をまともに見ることができない。

 「……お前が、追い出したのかい?」

 「はい、」

 「お前は、それで良いのか?」

 「……ええ。」

 強く手を握りしめる。伸びることのない爪が掌に突き刺さることは、ない。

 「ふっ、あっはははははっ!やるなぁお前!」

 突如として笑い始める山神様に思考がとても追いつかない。何に対して彼がそんなにも笑っているのかが全く見当もつかず、訝しむよりも先に呆然としてしまった。どうすることもできず、笑いが収まってくれることを待つ。それからしばらくして若干苦しそうに笑いをおさめ最後に息を整えるようにため息を吐いた。

 「はぁー……、格上である俺に対して、嘘をつくたぁなかなか度胸あるんじゃねぇの、んん?」

 「っ!……そんなことはっっ、」

 「あるっての。」

 のらりくらりと意図を掴ませないくせに間髪入れずこちらの懐へと入り込み私を中身をかき乱す。今に始まったことでもないので苛立ちは覚えない。ただ異常なほど胸が詰まった。

 私たちにとって『嘘』と『真』は大きな意味を持つ。私たちは決して嘘をついてはいけない。正直でなくてはならない、それが私たち神の持つ最大にしてほぼ唯一と言っても良い制約、縛りだ。日本古来の神でないにしろ、私もまたこちらの神に近いものだ。その縛りは私にも及ぶ。

 ひょいと顎を掬われどこまでも深い藤納戸の双眸は何もかも見透かすように私の顔を、瞳を覗き込んだ。純粋とも無遠慮とも取れる瞳の色に、一瞬脳裏に黄櫨染(こうろぜん)がチラつき失笑と嘲笑を口元に滲ませた。

 「本当に、お前は……それで良いのか?」

 「っ良い、と申し上げたはず、です。」

 一つ一つの音に力を込めて問われ、震えを抑えていたはずの声は情けなくも掠れた言葉を発した。顎から指が離れ、藤納戸はついっと逸らされた。

 「……ま、お前が何考えてるくらいは大体わかる、が。そう肩肘張らずに生きてもバチ当たらないんじゃねぇの?真面目すぎるんだよ、お前。」

 さもこともなさげに紡がれる言葉はじわりじわりと私の胸に何かを落としていく。どこか阿呆のようにこれが彼と私の格の違いか、などと分析してみたりした。

 「あの餓鬼のこと、気に入ってたんだろ?追い出す必要はなかったはず。……大方、時間の流れやら人間の世とか気にしすぎて追い返したんだろうけどよ、本当にそれで良かったのか?それでお前は後悔しねぇのか?……嬉しかったんだろ、楽しかったんだろ?どうしてそれを自分から手放そうとする。」

 「――っいつか手放さなくてはいけないと分かっているからこそ、突き放したんですよ!ここにいてはあの子のためにはなりませんっ、それに、」

 堰を切ったように零れ落ちる言葉を止める術は見つからない、いやたぶん探そうともしていないのだろう。感情的になり、矢継ぎ早に言葉を紡ごうとする私の額を、細く長い指が強かに弾いた。

 「いっ……!?」

 「あーもーうるせーうるせー!真面目すぎ!いちいちうじうじと面倒くせーんだよ、鈴蘭!大体なぁ、俺達みてぇなのは我儘なくらいが丁度いいんだよ。特別なんだから、常識なんて持つ必要はねぇし、気まぐれ、理不尽、傍若無人が寧ろ代名詞なんだよ!上等だ!気に入ったモンを手放したくなくて何が悪ぃ!?欲しいモンを願って何が悪ぃ!?お前は自由だ。お前の願いを、欲を縛ってんのはお前自身だ鈴蘭っ。」

 未だかつて、生まれてこの方、千年以上の間で彼がこんな剣幕を見せるのは初めてのことだ。良からぬ人間が踏み込んだとき、良くないモノが入り込んだ時でさえ感情を、激情を覗かせることは一度としてなかった。呆然としながらも、凛とした藤納戸から目が離せなかった。

 「お前がどうすべき、じゃねぇ。お前がどうしたいか、だ。……誰がお前を咎める、何がお前を断罪する?したいようにしろ。誰も文句を言う奴ぁいねぇ。」

 聞き分けのない子供を諭すように静かに語る。彼の言葉はするりと胸に吸い込まれていった。

 「好きな、ように……。」

 「ああ、好きなように、だ。絶対に悔恨を残すな。一度開いちまったモンは時間じゃ消せねぇ、俺たちはな。」

 「ぁ……、」

 好きなように。

 私がしたいこと、好きなこと。

 あの子の笑顔が、いくつになっても好きだった。

 彼と過ごす静かな時が、何よりも大切だった。

 私の鼓膜を震わせる彼の笑い声が、心地よかった。

 ――――……あの子といること、それが私の幸せだった。

 遅すぎた自覚が胸をせりあがる。

 愕然としたような僕を前に、山神様は小さく笑った。

 「ま、何にせよ俺にはどうしようもねぇことだからな。形見の雲を仰ぐくらいの気でいろよ。……それと、」

 ごつごつとした楠の幹を愉快そうに撫ぜた。

 「この木、消すな。勿体ねぇからな。」

 嘘を吐いた分はそれで許してやんよ、と言う彼の意図は相も変わらず明確には読むことができなかった。それでもその意図の端だけでも、掴むことができた気がした。

 言うだけ言うと彼は再び姿を消した。私よりもずっと生きている貴方は、何か後悔していることがあるのですか、という問いはついぞで出なかった。

 静寂に支配された、時を忘れた空間に、志呉の忘れていった花浅葱のマフラーだけが心地よい存在感を主張していた。

 時の流れがない、それゆえに、

 私の気は長いのだ。

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とじる

青藍

 自分の中でキチンと区切りを入れて数日、志呉は本当に何気なくひょっこり戻ってきた。本当のところ、戻ってきた、という表現はおかしいのだが私は笑顔の彼を見て、『戻ってきた』と感じた。

 「鈴蘭っ!」

 「っ!志呉くん!」

 数日に渡る不在など知らぬように抱きついてきた志呉に半ば押し倒された。大型犬の飼い主はこんな気分なのだろう。彼が素知らぬふりをしているので私も便乗して素知らぬ顔で藍墨茶の頭を撫でた。

 ああやはり、私はこの子を手放すことなどできない。

 「し、獅呉くん……ちょっと重たいから退いてくれると嬉しいかな……。」

 「まあ、んなことよりも!!」

 私の内臓破裂の危機は彼にとってどうでも良いことらしいです。しかし上体だけは起こしてくれたので私も膝を彼に乗り上げられたまま向かい合うように上体を起こした。そして彼の薄い学生鞄から引っ張り出され半ば押し付けるように差し出されていた一冊の古びた本を手に取る。

 「これっこれ見てみ!!」

 「その本は?……随分古そうに見えるけど。」

 嘗ては美しい青藍であっただろう朱子織りの丁装に目を引かれる。所々擦りきれほつれているのは性質上必然であるが、青藍から瓶覗きに色を変えてもなお強い光沢は失われていなかった。作られた当時も相当高価であったことが伺える。しかし見たところ表紙、背表紙共に題名らしきものは見られない。

 「『客人(まれびと)』っつう本らしい!地方に伝わる伝承とか民話とかを集めた……民俗学?関係の短編集らしい。」

 「らしいって……」

 「詳しいことは知らん!そういう本が読みたいっつったら司書のセンセーがこれ貸してくれた。」

 その本を片手に珍しく真面目な表情で何かを探すように視線が走らされる。どうやら既に一度は読んだらしく、当たりを付けたものを改めて探しているらしい。この時代には付箋というものあるのだからそれを使えば良いものを……。

 「あ、そうそう。本探してたから此処んとここっちに来られなかったんだ。」

 その言葉に知れず安堵の息を漏らした。どこかで危惧していた、愛想を尽かされたのではという一抹の不安はどうやら杞憂に終わったようだ。だがまあその安堵の息に嘲笑を滲ませるのは致し方ないことである。同時に嘆息した。

 「んん?寂しかったのか、鈴蘭?」

 本から目を話さずにからかうような彼にふっと口許を緩ませる。

 「……そりゃあまあ、寂しかったよ」

 そういうと黙り込むので、なんとなしに彼を伺うと耳まで赤く染めていて、私はどうしようもなくて笑みも言葉も飲み込んだ。

 「……あっ、あった!これっ鈴蘭この話読んでみろよ、な!」

 「へ?あ、うん……。」

 やっとのことで見つけたらしい一つの話のある頁を開きぐいぐいと押し付ける。昔と違い、彼の方が体も力も強いので地味に辛いのだが……。

 読まねば納得しないだろうし、彼がここに来ることもなく探していたという話にも興味があったので私は特に断ることもなくそれを受け取り文字に視線を走らせた。

 『矢車の柚子』

 日焼けし色を変えた紙に眉を寄せるも、懐かしい古文調に口許が緩んだ。

 しかしざっと目を通して首をかしげる。

 読むようせかされ、隣からやたらとキラキラした視線を送られるが彼が何を意図しているのかが分からない。

 「読み終わったか!?」

 「え、ああうん。読み終わったけど……?」

 「どうだ?!」

 「や、どうだって……、」

 何やら期待に満ち満ちているがどうしたら良いか分からず眉が下がる。正直内容として本当にどこにでもある話だった。

 日照りにより渇いた矢車という村が、山奥の泉に住む竜神に雨乞いをするために柚子という娘を神の嫁として、無事に再び村は潤った、という伝承にはよくあるハッピーエンドともバッドエンドとも言いがたい話である。

 「感想は?」

 「よ、よくある話だな、と。」

 「それだけか?」 

 依然として期待に溢れた視線に晒され、うっと言葉につまる。現代でこそ少ないがつい数百年前であったらこのような神の嫁や生け贄、人柱などよくある話であったのだ。それをこうも読まされ観想を求められ、あまつ期待を寄せられるなど正解が分からない。現代の感覚で言えばこんな風に娘を差し出すなど非道で凄惨であろうに、何故志呉は楽しげなのだろうか。

 「鈴蘭はさ、前に俺とは生きていく世界が違うって言ってたよな?」

 「うん?まあ言ったねぇ。」

 興奮冷めやらぬ風な志呉の意図が相も変わらず読めないが、この若者が何か血迷ったようなことを宣うのではないかと内心冷や汗をかく。

 「俺を鈴蘭の嫁にしてくれ!」

 「……は?」

 聖域の外側で盛大に吹き出す声を聞いた。

*******

 嗚呼、頭が痛い。痛覚なんて基本的に持っていないけれど頭が痛い。

 立ち聞きしていたらしい山神様は私が気が付いたことを察し退散しているが、ささっと手を振り聖域と外との壁を厚くし音が漏れないようにする。

 現実逃避もほどほどに嫌々ながら志呉に向き合う。

 未だ彼はキラキラとした目をこちらに向けている。

 頭が痛い。この子は決して馬鹿ではないのにどうしてこうも頭の弱いことを言うのだろうか。

 「……落ち着こう、落ち着こうか志呉君。」

 「おう?俺は落ち着いてるぜ?」

 「落ち着いてる状態でそれならお姉さんは頭が痛いよ!」

 私の言葉に「お姉さんて……」などと胡乱な目で見られるが無論黙殺する。

 しばらく頭を押さえ彼に何から説明し何を思ってそんなことを言い出したのかを問いただそうと頭の中でまとめ、よしと気合を入れてからもう一度向き合う。

 「まず一つ目ね。君は男でしょ、どうやって嫁になるんだい?」

 「あっ、じゃあ鈴蘭を嫁にもらいたい!」

 ダメだ、話せば話すほど論点がずれていく……。

 「……志呉くん、頼むから説明をして……。いったい君を会わなかったこの数日で何を考えてこんなことを言い出したのか……。」

 「ん?じゃあ順番に。……鈴蘭に俺は人間で鈴蘭は人間じゃないから、あんま長くはいられねェって聞いたから、まずそこからなんとかしようと思っていろいろ資料漁ってみたんだ。他に神と人間が一緒にいた例はないのかってさ。んで、この話見つけたんだ。この『矢車』の話みたいに結婚すればずっと一緒にいられるだろ?」

 キョトンとしてこちらを見つめる。こういう顔してるとまだまだ子供らしくて可愛いだなんて思うとは世も末だ。私の目の替え時なのかそれとも現実逃避をしているのか。

 ああ本当にどうしてくれようか。

 「神を嫁にもらうなんて聞いたことも……いや、羽衣伝説はそうか……。兎にも角にも、そういう伝承に出てくる神は『神道』の神なんだ。大体は『山神』『土地神』や『水神』『火神』とかの自然の神。あとは政に関する神、それぞれ色んな道具に纏わる神。でも私は『明神』、ざっくり言うと『仏教』の生まれなんだ。だから基本的に私たちは生け贄や神の嫁を要求したりしないの。人身御供(ひとみごくう)は『神道』であっても限られた地域でしかやってないんだ。私たちは生け贄に人間もらっても普通に困る。」

 神道と仏教はそもそも根本的に異なる。神道の始まりは風土に基づく恵みと禍い、要は自然の圧倒的な力に対し祀ったものである。一方仏教の基本は六道輪廻に基づく魂の救済。簡単にするなら神道は神々を祈ることで自然の脅威を和らげることで、仏教は自分達の魂の救いを求めているのだ。

 特に大乗仏教は、本人も含めた大衆の救済を願っているのだから生け贄を出すことはあり得ない。

 とまあ難しいこと言って煙に巻くが、実は明神の人身御供は遡るとなかなかあるのだ。明神は仏教と神道の混ざった習合神なので人身御供を全面的に否定しているわけではない。もっとも、仏教的な見方でいくと、明神に対する人身御供は実は明神が要求してるのではなく、神を名乗る妖しが要求しているという考え方に落ち着くらしい。

 「……ん?じゃあこの山には山神はいねぇのか?」

 「いや?山神様いるよ。さっきまで近くにいたし。」

 「……神道の神様の山に仏教の明神の鈴蘭が住んでんのか?」

 「それについては山神様のこの山に私の祠を建てた数百年前の人間に言ってほしいかな。」

 それについては苦笑いを禁じ得ない。大体の山に山神様がいるのに後になって仏教が入ってきてあれよあれよと広まったために私たちのような山は日本中にある。まあそれを理屈付けるために山崎闇斎などは頑張ったのだろうが。

 「まあそれは深く突っ込むと垂加神道とか難しい話になるから流してくれると良い。なんにせよ、そういうのは仏教には当てはまらないよ。しかも君が男の時点で神の嫁にはなりえないし、神に捧げられるのは処女の娘か身体の部分でどこか片方……片目とか片足とかが欠けてるものだね。ってことでことごとく条件を満たしていないね。」

 「……で?」

 「他をあたって?」

 綺麗な笑顔で取り付く島もなく叩き切るとキラキラとしていた目から一転してムスッと膨れぺいっと本を興味なさげに放ったため慌ててキャッチし勝手に志呉の鞄に詰めなおす。借り物だというのにあんまりな扱いに窘めようとするも、もともとの要因は自分であるのでなんとも咎めがたく視線を投げるだけに留めておいた。膝をつきささくれ立つ瓶覗きの表紙を撫ぜていると突如グッと背中に重みがのしかかる。

 「っ……!」

 慌てて本を寄れた黒い鞄の中に突っ込み巻き込まれるのを防いだ。

 じわじわと背中に生き物独特の温かさが広がる。

 「……志呉くん、重いよ。」

 「……鈴蘭は俺のこと、嫌いか?」

 「…………、」

 何も答えることができず、返答に詰まる。また少し重みが増した。

 「俺の何がダメなんだ?年が離れすぎてるから?俺が子供だから?……俺が人間だからか?」

 「……そうだ、ね。」

 よく分かってるじゃないか、だなんて言えなかった。

 でもそうでしょう?

 何をどうしても志呉は人間以外の何物にもなりようがなく、同じように私もまたしがない小さな神以外になりようがないのだから。

 何もかもが違う。

 志呉は生きている。一方私には生死の概念すらない。

 「っ……なあ、自分じゃどうしようもないところで判断されて、はいそうですかって納得できるわけねぇだろ……!」

 「んっ……、」

 後ろから覆いかぶさるように腕を胸の前に回され身じろぐこともできなくなる。首筋に彼の硬めの髪が掠め、耳には直に彼の言葉と吐息が当たりびくりと身体を震わせた。

 「鈴蘭……、俺がここに来るのは迷惑か?今の年になってもお前のことが見える俺が嫌か……?」

 「……君に会えること自体は嬉しいよ、とても。でも、君が生きるべきは人間がいる世界でしょう?……私に君のあるはずの未来の幸せを奪う権利はない。」

 私にとって志呉と会う時間は何百年という長い時間のうちのほんの一瞬にすぎない。基本的には何も変わることのないつれづれというに相応しい生活。終わりが来ることはない。だが志呉は違う。私なんかよりずっと命は短く時間は短い。彼をここに留めておくことで、本来彼が人間の世界で感じるはずだった幸せな経験、感情を私が奪っていいはずがない。

 「俺の幸せを勝手に決めんなよッ……!」

 更に腕に力が籠められ一瞬息が詰まる、がそれと同時に首筋に柔らかいものが触れ、

 「うあぁっ!?ちょ、何ッ!」

 生暖かいものがベロリと這い上がった。堪らず押しのけようにも力ではどうにもできずなんとも間抜けな悲鳴を上げた。

 「もういっそ……、」

 「いっそ!?いっそって何!?」

 じたじたと抵抗を試みるも効果はなく、今度は着物の襟から見える首からうなじにかけて舐めあげられる。ゾワりと寒気にも似たものを感じて逃げようにも術がない。

 「鈴蘭……、」

 「へ、ちょ、志呉くん……!?」

 どうすることもできず身を竦めた。

 私たちは気付かなかった。

 「「ぐっ!?」」

 背中にかかる負荷が突如として増加し二人して蛙が潰れたような呻き声を挙げた。私だけではなく志呉も声を挙げているということは。

 「くっ……何、何か乗ってるの!?」

 「み、見えねぇからわからんっ!!何か、何か乗ってる!超踏まれてる!!痛ぇ!!」

 胸の前に回されていた志呉の両腕は私の顔の両脇に突かれているのでパニックになりつつももぞもぞと身体を反転させるとそれと目が合った。

 志呉の肩越しに、鹿と目が合った。

 「し、志呉くんッ!鹿っ鹿乗ってるよ!!」

 「鹿ぁ!?蹄が痛ぇなコレ!!」

 ふしゅーと息を吐き我が物顔で志呉君の背中に立つ鹿。

 サクッと小さな音が側からし、ぱっと目を向けるとキツネがいた。

 こちらをジッと見てさっと跳躍した。

 「うおっ!なんか重くなった!重い!!」

 「た、多分キツネが乗ったんだと思う。」

 「どこのブレーメンだよッ!!」

 顔の両脇に突かれた獅呉君の両腕がプルプルと震えているのを見て身の危険を感じる。

 「ちょ、志呉君頑張って!耐えて!!」

 「いつまで!?」

 サクッとまた音がする。慌てて音の方を見ると、いつかのウサギがいた。

 ウサギなら……などと思ったが完全に私はこのウサギの跳躍力をなめていた。

 「ぐあっ……またなんか乗った!重くなった!」

 「ウサギっウサギ!件の子!」

 志呉が力尽きる前に何とか彼の下から這い出し横から状態を見ると中々であった。

 「うわあ……。」

 下から志呉、鹿、キツネ、ウサギ……何百年も存在しているがこんなリアルブレーメンを目撃するのは初めてである。一番下の獅呉さえ必死でなければ癒される光景に思えないこともない。

 志呉の助けを求める声を無視し続けること約数分、思う存分楽しんだ後で一匹ずつ下ろしてあげた。

 何もなかったように顔を見合わせ笑う。

 せめて、せめてほんの少しの時間で良いから、目を逸らし、耳をふさぎ、何も知らぬ幼子のように笑うことを望ませてほしい。

 ごめんなさい。

 のらりくらりと過ごしてきた私には、君に答える覚悟がないのです。

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