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島になった少女

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合計:44

密かに恋心を抱いていた幼馴染が行方不明になり、僕は途方に暮れていた。
しかしある日突然、彼女は帰ってきた。

――島ほど、大きくなって。

1位の表紙

2位

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「まこちゃん、まこちゃーん」

 突然の声に僕は目を見開いた。間違いない、紗綾の声だ。

 とうとう僕は幻聴を聞くようになったのだろうか。だけどいい。別にいい。たとえ幻聴だとしても、紗綾の声が聞けるならそれでいい。

 紗綾はもうきっと、この世にいないんだから。

 うっすらと天井が見える。もう明け方なんだろう。だとしたらさっきの声は夢だったのかもしれない。

 そう思い目を閉じた時、また声が聞こえた。

「まこちゃんてばー。返事してよー」

 ……やっぱり幻聴、か。

 耳から聞こえるというより、頭が紗綾の声を自動再生しているような。

 忘れた事なんてない、ずっと憶えている紗綾の顔が瞼の裏に浮かんだ。

 真ん中で分けた肩に掛かる程度の黒髪、くりくりとした大きな目、この世の何よりも眩しい笑顔。

「……聞こえてるよ、紗綾。久しぶり」

「あっ、ほんとに聞こえてるんだ! よかったー。朝から悪いんだけどさ、ちょっと海まで来てくれない?」

 海。須磨海岸。

 紗綾の消息が途絶えた場所。

「ごめん。海にはもう行かないって決めたんだ」

「いやいやいや! そんな事言わないで、お願いっ! まこちゃんしか頼れる人いないんだよー!」

「……どうして僕だけ?」

「それは……分かんないけど。でもまこちゃんになら私の声が届く気がしたんだよ。ほら、実際届いてる訳じゃない?」

「だってこれは僕の幻聴だから」

 物音一つ聞こえない、束の間の静寂。

「……いやいやあの、幻聴じゃないんだけど?」

「分かってる。幻聴でもいいんだ。紗綾とまたこうして話せるなら、頭がおかしいと思われたっていい」

「分かってない分かってなーいっ! 私、生きてるから! まだ生きてるから!」

「法律上はね。一応まだ行方不明って事になってる。でも――」

「そういうのもういいから! まこちゃん、よく聞いて? 私が今すぐ海に来てって言ってるの。じゃあいつものまこちゃんなら、どうするかな」

 再び目を開いた。気のせいか、さっきより天井が明るく見える。

 枕元の眼鏡を掛け、ベッドから抜け出した。

「もちろんすぐ海に行く」

「だよねっ! ありがと、待ってる!」

 幻聴だっていい。何だっていい。

 紗綾に呼ばれたら僕はすぐに駆け付ける。そんなの当たり前じゃないか。

 電車に乗って三駅。横断歩道を渡り、陸橋を渡って南へ。

 こんな朝早く海に来たのは初めてだ。

 分かってはいたけど、砂浜には誰もいない。

「紗綾、着いたよ」

「おっ、相変わらず早いね! もっと海の方まで来てくれる?」

 相変わらず幻聴は聞こえる。僕は自然に幻聴と会話している。

 紗綾がいなくなった海に誘われるように近付いていく。

 このまま海の中まで導かれていくんだろうか。

 紗綾が消えた場所で、僕も消える。

 それも悪くない。

 潮騒が聞こえる。幼い頃、潮騒は水平線の向こうから聞こえてくると思っていた。

 波が砂を洗う音が潮騒だと教えてくれたのも、紗綾だった。

 足元で潮騒が鳴る。

「紗綾、来たよ」

「ありがとう! えーっと……どうしよう、とりあえず座ってくれる?」

「うん」

 言われるがまま砂浜に座る。新しいジーンズだけど気にしない。

「まずね、何があってもびっくりしないでほしいんだ」

「分かった。大丈夫」

「……ほんとに?」

「本当に」

 もう幻聴と会話してるんだ。幻覚が見えたっておかしくない。

 むしろ紗綾の声が聞こえて、見えるなら、きっとその方が幸せだ。

「例えば、例えばなんだけど、私がびっくりするぐらい大きくなってても?」

 紗綾が大きく?

 違和感を覚えた。それは僕にない発想だ。

 今、こうして話している紗綾が幻聴であれば。

 僕の想定外の事は話さない、いや、話せないはずなのに。

 だけど分からない。僕はきっともうおかしくなってるんだから。

「大丈夫だよ。驚かない」

「ほんとに?」

「本当に」

「ほんとにほんとに?」

「本当に。絶対に驚かない。約束する」

「……約束、だからね」

 今まで一度だって紗綾との約束を破った事なんてない。

 クリスチャンが神の存在を疑わないように、僕にとって紗綾はそういう存在だったから。

「じゃあ……今から顔を出します」

「うん」

 不自然に波が引いた。

 これも幻覚だろうか――そんな事を思っていたら、遠い海に何か黒いものが見えた。

 朝陽を浴びる黒い何かが大きくなっていく。

 いや、海から上がってくる?

「え……ええっ?」

 黒い何かの両横から突如現れたのは、手。

 常識と距離感と脳を疑うほど巨大な、手。

 巨大な手は黒い何かを真ん中でかき分け、下から肌色が覗いた。

「えええええええっ!?」

 遠い海に上がるそれは、人の眉らしきものを見せ、くりくりとした大きな目を見せ。

 現れたのは見違えようもない、紗綾の顔だった。

 ――そして初めて、僕は紗綾との約束を、破った。

 要するに気を失った。

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4

え、え、えって展開はいつもワクワクしますね。

sacman

2017/12/25

5

ありがとうございます! そうですね、これからどうなるのか、私も期待しています(考えないで書くタイプ)。この作品、楽しいです!

作者:アキラシンヤ

2017/12/25

6

気を失ったところで大爆笑してしまいました(笑)。
女の子のお名前の読みは「さあや」で大丈夫でしょうか?(すみません、名前に疎くて…)

緒川ヒカリ

2018/1/16

7

えっ、そんなに笑えましたか?w じゃあ今後の展開がお気に召さないかも……心配です。コメントありがとうございます!

作者:アキラシンヤ

2018/1/16

8

あっ、名前はさあやです。うっかりうっかり。

作者:アキラシンヤ

2018/1/17

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とじる

 バタバタと乱暴に空気を叩く、ヘリの音が、いくつも。

 目を開くと真っ白な天井――いや、体育会で仮設されるテントみたいだ。

「気が付いたかい、鳴海真琴くん」

 声に振り向くと、見覚えのないおじさんがベッドの隣に座っていた。

 手にした文庫本を閉じ、笑っていた。胸元を開けた白いシャツの似合うおじさんだ。

「……どうして僕の名前を? おじさんは誰ですか?」

「ははっ、おじさんか。そうだな、高校生からしたらもうおじさんだ」

 乱暴に文庫本を丸めてパンツのポケットに突っ込み、おじさんは立ち上がった。思ったより背が高い。

 前髪をざっと後ろに流すと、おじさんはにっと笑った。真っ白な歯だ。

「もうすぐ医者が戻ってくる。今きみが置かれている状況は、思っているより複雑だ」

「……僕の脳に異常が?」

「いや。おそらくきみは正常だ。狂ってるのは世界の方かもしれないな。ああ、その前に質問に答えよう。きみの名前は通学定期から調べさせてもらった。俺は藤宮吾郎。政府の人間だ。そうだな、吾郎おじさんとでも呼んでくれ」

「……政府?」

「そう、政府。便利な言葉だよ」

 何だろう、ぼんやりしている。

 もっと大切な事を聞かなきゃいけないはずなのに、頭が回らない。

「そうだ、紗綾が!」

「起き上がらない方がいい。自分の身体をよく見るんだ」

 びっくりするぐらいの速さで、吾郎さんは起き上がろうとした僕の身体を抑え付けてきた。

 あまりの力に全身が強張る。……身体? 僕の身体がどうしたって言うんだ。

 見れば、たくさんのケーブルが吸盤のようなもので身体にくっ付けられていた。

 左腕には点滴も打たれている。

「このケーブルは、何ですか」

「四時間、きみは真夏の海辺に倒れてたんだ。分かるだろう、極度の脱水症状だ。見えないだろうが頭にもケーブルが貼ってある。医者が戻るまで待ってくれ」

 言われて初めて定期的な電子音に気付いた。おじいさんのお見舞いに行った時に聞いた音とよく似ている。

 四時間……じゃあ今は九時か一〇時ぐらいか。あれからそんなに経ってたんだ。

 だけど、どうして脱水症状で身体中、頭にまでケーブルが?

「真琴くん。紗綾というのは一年前ここで行方不明になった、杉田紗綾さんで間違いないかな」

「……そうです。明け方、紗綾の声が聞こえたんです。海に来いって」

「そうか。……そうか」

 吾郎さんの表情に暗い陰が差した気がした。

「やっぱり、僕は幻覚を見たんでしょうか」

「いや。残念ながら幻覚なんかじゃない」

 きっぱりと断言された事に、僕はどう思えばいいのか分からなかった。

 僕の脳は正常だった。

 じゃあ、勝手に再生される紗綾の声は?

 海から現れた巨大な紗綾は?

 吾郎さんは政府の人?

 そもそもここは?

「ドクター、手短に頼む」

「分かってる!」

 たくさんの疑問にぐるぐるしていると、白衣のお姉さんがいきなり僕の目を覗き込んできた。

「瞳孔収縮正常、脈拍正常、きみ、名前と生年月日は覚えてる?」

「鳴海真琴、二〇××年九月二一日です」

「オーケー問題ないわ。吾郎、ケーブルを全部外してちょうだい」

「おいおい、俺は医療従事者じゃないぜ?」

 そう言いながら、吾郎さんは何だか嬉しそうにケーブルをパツパツ外していく。

 ドクターと呼ばれた女の人は点滴を抜いてくれて、絆創膏を貼ってくれた。

 吾郎おじさんを呼び捨てにしていたけど、この人も政府の人なんだろうか。

 太い縁の眼鏡を掛けたドクターは手持ち無沙汰なのか、癖の強い茶髪をいじりながら大きな機械を見つめている。機械から何かがプリントされてるみたいだ。

 その様子をぼうっと見つめていると、吾郎さんが肩をぽんと叩いてきた。

「真琴くん、間違っても彼女をおばさんなんて呼ぶんじゃないぞ」

「うるっさいわよ! 脳波データが採れたらすぐ退避! あんたも準備しなさい!」

「アリサ、俺はここに残るよ」

 相変わらず機械は紙を吐き出している。

 吾郎さんはドクター……アリサさんに笑みを向けていた。

 アリサさんはじっと機械を見つめたままだ。

 居心地が悪い。僕はここにいていいんだろうか。

「……冗談はやめてちょうだい」

「冗談なんかじゃないさ。俺はここに残る」

 たくさん聞きたい事があるのに、どう考えても今は聞けそうにない。

『ここ』ってどこなんだろう。そんな事を考えながらシャツのボタンを閉めていく。

 二人はどういう関係なんだろう?

「吾郎は本当に、本当に昔っから自分勝手ね」

「そうだな。すまない」

 絞り出すようなアリサさんの言葉に対し、吾郎さんの言葉はとても軽い。

「……いつ戻るつもりなの」

「遅ければ、盆に」

「縁起の悪い事言わないで!」

 突然アリサさんは怒鳴り、機械をバンと叩いた。

 縁起が悪いって、どういう事だろう?

 吾郎さんはアリサさんに微笑みかけていたけど、アリサさんは決して吾郎さんを見ようとしない。

「大丈夫だ、必ず戻る。だからこそ今だってここにいる。そうだろう?」

 深い深いため息をつき、アリサさんは機械から出てきた紙束をまとめた。

「勝手にして」

「ありがとう。恩に着るよ」

 そうして一度も吾郎さんに顔を向けないまま、アリサさんはテントを出ていった。

 何だかとても気まずいけど、吾郎さんは気にする様子もなく僕の肩に手を回した。

「俺達も行こう。誰もが救われるハッピーエンドに向けて、いざ勇者の出立だ」

「行くって、どこへ行くんですか?」

「決まってるだろう。杉田紗綾さんに会いにいくんだ。今度は気絶するんじゃないぞ」

 紗綾に会いにいく?

 そう思った時、うるさいヘリの音の中、静かな潮騒が聞こえた。

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とじる

 テントの外に出た途端、眩しさに目がくらんだ。

 歩く度にさくさくと鳴る。目が慣れると青い海と空が見えた。やっぱりここは須磨海岸だったんだ。

「あの、僕本当に見たんです。すごく大きな紗綾の顔が、海から……」

「分かってる。きみが見たのは本物だ。きっと本物の杉田紗綾さんなんだろう」

 吾郎さんは信じてくれている。ちっとも疑ってない。

 どうしてだろう? そう思って吾郎さんを見ると、吾郎さんは海をまっすぐに見つめていた。

 テントの中にいた時より険しい顔をして、スマホを耳に当てた。

「マスコミのヘリが邪魔だ。言う事が聞けないなら撃ち落とすと伝えろ」

 それだけ言って、吾郎さんはスマホをポケットにしまった。

「撃ち落とす……ですか?」

「冗談だよ。でも邪魔なのは確かだ。ところで真琴くん、今も杉田紗綾さんの声が聞こえるのかい」

「いえ、今は――」

 言われて気付いた。今は紗綾の声が聞こえない。

「じゃあ、きみから呼びかける事は?」

「試してみます」

「待ってくれ。ヘリの音が聞こえなくなるまで」

 そう言われて、黙ったまま吾郎さんに連れられるように海へと歩いていく。

 今朝と同じように波打ち際に行くものと勝手に思っていたけど、きっと釣りをする人のためにあるんだろう、ちょっとした細いでっばりの先まで歩いた。昼前だからか足元がセメントだからか、暑くて身体が汗ばんでくる。

 そのまましばらく待ち続けた。

 吾郎さんは海に脚を投げ出して座っていたけど、とてもそんな気にはならなかった。

 ヘリの音が聞こえなくなるまで、それほど時間は掛からなかった。

「待たせたね。それじゃあ一つ、杉田紗綾さんを呼んでみてくれないか」

「はい」

 そう返したものの、さっき会ったばかりの人の前で紗綾と呼ぶのは照れくさい。

 だけどもし、僕の脳が正常なら。

 また紗綾に会えるのなら。

 そんな事は気にしていられなかった。

「紗綾、紗綾ーッ!」

 海に向かい大声で叫んだ。

 誰か見ていたらバカみたいに思われるだろう。でも僕は大真面目だ。

「紗綾ーッ! さっきはごめーん!」

 約束を破ってしまった事。まずそれを謝らなければいけなかった。

 耳を澄ませる。聞こえるのは潮騒。

 聞こえない声を聞こうとして、目を閉じ聴覚を研ぎ澄ませる。

 瞼の裏にいなくなる前の紗綾の笑顔を思い浮かべて。

「……ううん、まこちゃんは悪くないよ」

 聞こえた。紗綾の声だ。目を見開いた。青い海が広がっていた。

「紗綾、紗綾! よかった、今どこにいるの」

「杉田紗綾さんの声が聞こえてるのかい?」

 吾郎さんの声に頷き、ひたすら海に目を走らせる。

 波が起こるのは月の引力に海が揺れているからだと教えてくれたのも紗綾だった。

「海の中。ぶくぶく」

「分かった!」

 また紗綾に会える。それだけで嬉しかった。

 だから海へ飛び込む前、すっかり忘れていた。

 身体が宙を舞って思い出した。それではあまりにも遅すぎた。

 ――しまった、僕は泳げないんだった。

「まこちゃん!?」

 身体に貼り付く冷たい感触、たくさんの小さな気泡、音のくぐもった世界。

 それでも紗綾の声だけは鮮明に聞こえた。

 ジーンズがやたらに重たい。空気を求めて海面に顔を出そうとしても足を引っ張ってくる。

 息が、息が苦しい。

「真琴く――だいじょ――ッ!?」

 かろうじて海面に顔を出す度に聞こえる吾郎さんの声は途切れ途切れ。

 ああ、やっぱり僕も紗綾と同じようにこの海に消えるのかな――

 酸欠と不安の暗さで何かを手離そうとしたその時。

 ふわり、と身体が宙に浮いた。

 海の重たい鎖を引きちぎり、僕は海面に出ていた。

「げほっ! ごほっごほっ!」

 飲み込んだ海水が喉から溢れる。鼻からも流れ出る。

 ああ、死ぬかと思った。

 吾郎さんが見えた。ボタンを引きちぎりシャツを脱いでいた。

 僕を助けようと海に飛び込もうとしてくれたんだろう。

 それにしても、どうして吾郎さんを上から見下ろしてるんだろう?

 足元を見た。僕を持ち上げたのは肌色の何か。

 よく分からず、後ろを振り返る。

「……紗綾?」

 手。今朝、遠くの海に見た、巨大な手。

 あんまりにも大き過ぎて、自分が小さくなったような錯覚を覚える。僕の身体なんて小指にも足りない。

 だけど間違いない。これは紗綾の髪をかき分けた手だ。

 

「紗綾、ありがとう!」

「……ごめんね。迷惑ばっかりかけちゃって」

 そう言って紗綾はでっばりまで手を下ろしてくれた。

 僕は飛び移らない。

 元気がない。せっかく戻ってきてくれたのに、哀しい顔をしているのが目に浮かぶ。

 だから僕はびしょ濡れの顔で、満面の笑みを浮かべてみせた。

「紗綾が戻ってきてくれて本当に嬉しい! 聞きたい事がたくさんあるんだ、話したい事がたくさんあるんだ! お願い、一緒に帰ろう!」

 両腕を大きく広げた。抱えきれないほど大きな紗綾を、それでも迎え入れるように。

「無理だよ。私、怪獣になっちゃった。人間じゃ、なくなっちゃった。もう帰れないんだ、帰れないんだよ。ごめんね。まこちゃん、ほんとにごめんね」

「そんな事ない、そんな事ないよ! 絶対大丈夫、きっと何とかなる! 何ともならなくても、僕が何とかするから!」

 嗚咽が聞こえた。紗綾が泣いている。

 どうして? どうしてなんだ?

 せっかく戻ってこれたのに、どうして紗綾が涙を流さなきゃいけないんだ!

 僕は何て言えばいい。

 何て言えば紗綾は帰ってきてくれるんだ。

「真琴くん、戻るんだ!」

 突然、後ろから身体を持ち上げられた。吾郎さんだ。

「やめてくださいっ! 今紗綾から離れたら、また戻ってこなくなるっ!」

 どれだけもがいても抜けられない。

 それどころか、吾郎さんは僕を抱えたままでっぱりへと飛び移った。

「お願いです、離してくださいっ! また紗綾にいなくなられたらっ!」

「きみまで連れていかれる訳にはいかない! 今は戻るんだ!」

「紗綾、紗綾ーーッ!」

 喉がちぎれそうなほどの叫びも虚しく。

 再び声が聞こえる事はなく、紗綾の手はゆっくり、ゆっくりと、海に沈んでいった。

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1

迫力のあるシーンに対して、気持ちは繊細に描かれており、すごくリアルな仕上がり。これからのストーリーが気になります。

枯葉猫

2017/12/25

2

ありがとうございます! やや遅々とした展開ですが、好きに書いておりますのでご了承くださいませ。今後ともよろしくお願い致します。

作者:アキラシンヤ

2017/12/25

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とじる

「真琴くん。杉田紗綾さんの件は大きな問題なんだ。きみが思っているよりずっと」

 冷静に話そう。

 テントの中まで運ばれベッドに座らされ、吾郎さんから何度もそう説得された。

 広々としたテントの中は涼しくて、少しアルコールの匂いがする。

 吾郎さんから受け取った氷水を飲みながら、僕は黙って話を聞いていた。

「兵庫県南部及びその近辺、徳島の一部にも避難命令が出ている。名目上は某国による弾道ミサイル発射実験の失敗。ネットにも大規模な規制をかけた。真実を知るのは政府と真琴くん、きみだけだ」

 吾郎さんの言葉が右から左へとすり抜けていく。

 頭に浮かぶのは膝を抱えて寂しそうに泣く紗綾の姿だけだ。

 泣く声は、幻聴だろうか。よく分からない。

 吾郎さんの言っている事もよく分からない。

「各国もこの状況を深刻に見ている。某国もだ。杉田紗綾さんを現状のまま上陸させる訳にはいかない。理由は、言わなくても分かるね」

「……分かりません」

 考える気のない問題を空欄のままにして返す。

「吾郎さんは政府の人じゃなかったんですか。どうして政府の人が世界中と繋がってるんですか。外交関係はもっと複雑なものじゃないんですか」

「政府の人間だよ。ただし日本国政府とは言っていない。きみは少し、杉田紗綾さんの事になると理性を欠く癖があるね」

 そうかもしれない。だけどそんな事はどうだっていい。

 話しているのが煩わしい。こうして無駄な時間を過ごしているあいだにも、紗綾はまた遠くへ行ってしまうかもしれない。

「きみが思っているより世界の構造はシンプルだ。人類にとって都合の悪い真実は手を取り合って隠蔽する。簡単な話さ、世界は今の杉田紗綾さんのような存在を認める訳にはいかない」

「どういう意味ですか」

 急に話の焦点が合ったように、僕の思いと吾郎さんの話が繋がった。

 気付けばベッドから立ち上がっていた。吾郎さんのシャツの襟を掴んでいた。

「認めないってどういう意味ですか。紗綾を追い払うんですか? そんな事はさせない、絶対に許さない!」

「落ち着いてくれ真琴くん」

「紗綾は人間です! 姿かたちは変わっても僕の知ってる紗綾です!」

「落ち着くんだ! 撃退するとは言っていない!」

 固く握り締めた拳を振り上げても、吾郎さんはじっと僕を見据えるだけだ。

 殴るなら殴れ。そう言っているように見えた。

 だから震える拳は行き場を失くし、僕は脱力してベッドに腰を落とした。

「……じゃあ、どうするんですか。紗綾はこのままずっと、独りぼっちなんですか」

 泣く声が聞こえる。きっと、幻聴じゃない。

「正直に言おう。今はまだ様子を見るしかない。だが、こういったケースは初めてじゃないんだ」

「そうなんですか?」

 思わず顔を上げた。吾郎さんは真剣な顔をしていた。

「きみは知っているかな。二〇一三年、チェリャビンスク州の隕石落下。隕石が原因と確定したとされた中では初の大規模な人的災害をもたらした案件だ」

「知ってます。動画サイトで観ました」

 空を貫く高くて大きな音、眩い光。

 外側から粉々に砕け散るガラス、たくさんの人達が血まみれのままでいる病院。

 リアルタイムで見た訳じゃない、それでも大災害だったのは容易に想像できた。

「だが真琴くん、あれは隕石なんかじゃなかったんだ。閃光を纏い空から落ちてきたものは、ただの石なんかじゃなかった」

「じゃあ、何だったんですか?」

 吾郎さんが何を話そうとしているのかまるで分からない。

 紗綾とチェリャビンスク州の隕石落下に、何の関係があるんだろう。

「ヒトだよ。あくまで広義のね。それもSF映画みたいに宇宙船に乗ってきた訳じゃない、生身のヒトが落ちてきたんだ」

 まさか。そんなはずがない。

 人ひとりが落ちたところであんな惨事が起きる訳がない。

「それが紗綾とどういう関係があるんですか」

 痺れを切らして尋ねた。

 吾郎さんはまったく関係のない話をしている。

「俺は今回の件、杉田紗綾さんの巨大化は、彼女と同じ類のケースだと考えている。杉田紗綾さんの情報が少ないから、まだ断言はできないけどね」

 この人は何を言ってるんだ?

 紗綾は空から落ちてきた訳じゃない。

 物心が付いたときから――いや、その前からの幼馴染だ。

 ずっと一緒だったんだ。吾郎さんは何も分かってない。

「そんな怪訝な顔しないでくれ。もうじき彼女が来る。会えばきみも理解できるはずだ」

「彼女って、誰ですか?」

「私よ」

 その子は突然に現れた。テントを開ける音なんてしなかった。

 水銀を流したようにきれいな長い銀髪、兎みたいな赤い目、この世の何よりも冷たい声。

 足首に届く薄灰色をしたロングパーカーのポケットに手を突っ込み――

 いや、違う。

 ポケットじゃ、ない。袖の生地と繋がっている。

 こんな服どうやって脱ぐんだろう?

「いきなり脱がす事を考えるのね。このど変態。童貞をこじらせたクズ野郎」

「えっ、え……っ!?」

 いきなり冷たく鋭利な声が包丁のように飛んできた。

 どうして? そんな事言ってないのに。

 いや、思ってもいないのに。

「そう。どっちでもいいわ。久しぶりね、藤宮」

 あれだけ口汚く罵っておきながら僕に何の興味もなさそうで、僕と目が合った時と同じ目のまま吾郎さんにそう言った。

「ああ。元気にしてたかい? シルドラ」

 シルドラ――銀髪で口汚い彼女の名前は、シルドラ。

「ここに連れてこられるまではね。暑くて死にそう、いい加減に拘束を解いてもらえないかしら」

「考えておくよ。真琴くん、紹介しよう。彼女はシルドラ、チェリャビンスク州に舞い降りた白銀の天使だ」

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驚きの冒頭から、謎を残しつつテンポよく展開する構成で読みやすいです。巨大化という現象、シグドラは何者なのか、「政府」は正義なのか悪なのか、これからの展開も楽しみですね!

2

それは何よりです。元旦からお仕事お疲れ様です。

作者:アキラシンヤ

2018/1/1

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とじる

 シルドラ。チェリャビンスク州に落ちた隕石の正体。

 広義においての、ヒト。

 彼女の存在は吾郎さんが属する政府によって完璧に隠蔽された。

 事実として、シルドラの遺伝子は一〇〇パーセント地球人と同じらしい。

「だがシルドラは地球人にはない特性がある。だから彼女にはちょっと窮屈な生活をしてもらってるんだけどね」

「すべての娯楽を口にするだけで手に入れられたんだもの。部屋から出られなかった以外は概ね満足だったわ。真琴、もっと温度下げてちょうだい。と言うか初めから下げられるだけ下げておきなさいよ。ほんと、使えない男」

「ご、ごめんなさい……」

 どきなさいよ。の一言でベッドを占領され。

 暑いから温度下げて。の二言で使い走りにされ。

 そして今、温度を一六度まで下げたところ。正直寒い。吾郎さんはいつの間にかジャケットを羽織っていた。

 広いテントだけれど、座れる場所といえば吾郎さんの使っているイスかベッドしかない。

 居心地が悪い。だけど外に出たら出たできっと怒られるんだろう。

 それに吾郎さんはシルドラを紹介してくれている。

 今の紗綾と同じ類というのも気になるし、話は聞いておきたい。

 そんな訳で何となく二人のあいだに突っ立っている。

 それにしても、この子がチェリャビンスク州に落ちてきた女の子? 本当に?

 だとしたら僕より年上って事になるんだけど、どう見てもそうは思えない。

「いやらしい目でじろじろ見ないでちょうだい、虫唾が走るわ。あと女性に年齢を尋ねるのは失礼よ。小学校で習わなかったのかしら」

「そんな事思ってないし言ってもないよ!」

「そう。どうでもいいけど」

 ……やっぱりシルドラは、僕の心を読んでいるのだろうか?

「シルドラ、あんまり真琴くんをいじめないでやってくれ。今回の件で一番苦しんでいるのは彼なんだ」

「私と何の関係もないわ。いつまでもこんな暑いところにいたくないの。さっさと終わらせましょう」

「待ってよシルドラさん。終わらせるって、紗綾をどうするつもりなの?」

「あんた、本当に私の事何にも知らないのね。でもいいわ。知らないほうがいい。そうよね藤宮」

 尋ねておいて返事を待たず、シルドラは唐突に立ち上がり、テントの出口へと歩き始めた。

 思わずシグドラの腕を掴んだ。何だか嫌な予感がした。

 振り向いた彼女の目はとても冷たい。

「毎日オナニーしてる手で触らないでくれるかしら。汚らわしい。離しなさい? 今ならまだ――」

「紗綾をどうするつもりかって聞いてるんだ!」

 自分のものとは思えないぐらい大声で怒鳴ってしまった。

 僅かな間を置いて、シルドラは口元に笑みを浮かべた。

「藤宮、どうするの。この子も『なかった事』にする?」

「いいや。そんな事は俺が許さない。シルドラ、きみは自分が生かされている立場という事をもう少し自覚するべきだな」

 吾郎さんはあくまでにこやかに笑っている。

「きみを呼んだのは杉田紗綾さんを撃退させるためじゃない。DNAの採取、彼女の声を聞き取れるか、それだけだ。もし余計な事をしたら――分かっているね」

「拘束具、一生外すつもりはなさそうね」

 しばらく二人は見つめ合っていた。方や冷たく、方やにこやかに。

 不意にシルドラが視線を外した。

「まあいいわ。行くわよ、真琴」

 どこへ行くかなんて決まっている。紗綾のところだ。

「本当に、紗綾に何もしないよね?」

「細胞の一部は削り取るわよ。DNA鑑定に何が必要かぐらい分かるでしょう」

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