ざざざ、と大きな音をたててカーテンを開く。溢れる朝日にそなえて目を細めて。シャワーで汗を洗い流すように朝の光で洗い流すのは夢でクウを切った翼に付着した暗いオリのようなもの。昨日の夜の忘れたい夢。それは飛行ではなくて落下、で。タタマレ。私の肩甲骨の上に翼は幾重にも重くオリ。タタマレ。私はうまく飛ぶことも歩くこともできない。アイジョウトカ イウ。自由への翼が私の夢の中では自由への足枷となる。助走すらつけられない体を夢の中においていつもの朝の光の中に着地する。飛ぶためじゃなくまた歩き出すために。…続きを読む
午後の薄い夕暮れ突然開いたページの別れの会話に縦書きの雨音が重なる。香る 湿った匂い。庭の葉の栞。窓を開けて首を外に伸ばすとまだ日に焼けていない無防備な顔を空に向ける。閉じた目も唇も なにより頬が冷やされて気持ちいいのは私の体が思いのほか熱を帯びているからだろう。あなたは いない。雨が記憶を連れてくる。差し出された傘を拒んでびしょぬれのままあなたを見上げたあの時とうとうあわれささえ武器にしてなんとか抱きしめられたいと願った。ずっと作れなかった本当の笑顔と泣き顔が内気な子供がするみたいにだぶって ゆがんでも雨が…続きを読む
授業中の廊下は 長くて冷たい。それほど寒い季節ではないのに静かさがむき出しの膝裏にしみる。教室を追い出されるほどの反抗は従順というカテゴリーで皆と一緒にくくられたくないからだ。先生。それでもあなたのいないどこにも 行く気になれない。ざらついた教室の壁に耳をあてすませば机の間を回り後ろの引き戸に寄りかかってあなたが独特のリズムでリーダーを読む声が聞こえてくる。ぺたんと腰をおろし廊下側からその戸に寄りかかった。膝をかかえ見上げる空のつきぬける青さにすべては阻害ではなくて開放なのだと知る。扉一枚をはさんでせなかごしに伝わる静かな…続きを読む
初冬の朝。柔らかな日差しのキッチンであなたと向き合う。ハムエッグとトーストをゆっくり口に運ぶあなたに新聞で仕入れたばかりの今朝のニュースをできる限り身振り手振り交じりで伝えるのが私の日課だ。政治的な大きな事件は仕方ないけど暗い気の滅入るニュースや興味のない芸能ニュースは省いてあなたをどれだけ笑わせることができるかが私の勝負。今日こそ笑いすぎたあなたが食後のコーヒーにむせますように。さて、と言うとあなたは身なりを整えて今日も着ぐるみシティに働きに行く。あの町では表情もなくお互い心を見せあうこともなく人々は働いているそうだ。いってらっしゃい。…続きを読む
父さんから手紙が届いた。砂漠にラクダの写真の絵葉書だ。「昨日、この国に着いて新しい仕事を始めた。この国には四季がない。ただ風が強い」僕の家は団地の7階にある。東の窓からは大きな川が見える。僕は学校から帰り、ランドセルを置くと毎日川を見に行く。大きな水が動いていくのを橋の上から見るのが好きだ。川にはいろいろなものが流れてくる。枝や葉っぱ。ゴミや死んだ動物。たまに死んだ人も流れてくるらしい。今日、橋の上から見た川は茶色く濁っていた。底も見えない。空も映さない。あれは、あの絵葉書の砂漠と同じ色……。突然僕は父さんが仰向けになって静かに流れてくる気がしていつもより大きく…続きを読む
自動販売機のかげでストッキングを脱ぐと夜の潮風にさらされる両脚が無防備でたよりない。通勤スーツのままであなたも私も裸足になって静かな夜の砂浜を歩く。暗い海では波の音が近い。足指の間の濡れた砂の感触。月明かりに光る波打ち際の手前で両手から靴も鞄も砂の上に落として立ち止まる私を後ろからあなたが強く抱きしめてくれる。乱れた髪。その体ごと。南に見えるスピカはあの日こぼれた真珠のひとつ。耳元であなたが何かを囁いている。聞こえないけど私はうなづいている。さっきから あなたの人差し指がそっと私の背中をすべって服の下の今は見えるはず…続きを読む
始発電車を降りて初冬の暗いプラットフォームに立つ。火照る体をいましめる寒さがヒールを伝い登ってくる。わたしはくるぶしまでのコートの上から強く自分の体をかき抱(いだ)いて乾いた唇をそっと噛みしめてみる。朝帰り。不眠と興奮はお酒とあの男のせいだ。 ミットモナイ モウ スコシモ タノシクナイ ノニ ワラッテふらつく体のバランスをとるのに夢中になる。改札口の外にいるはずのないあなたの明るい笑顔を見つけるまでは。蛍光灯の白い光の下でいつものように優しい「おかえり」の声。驚くわたしを言い訳もごめんなさいもなしで許すあなたの心のそばに良い女ぶった邪魔な靴を脱ぎ棄…続きを読む
助手席で目覚めるとフロントガラスの向こうに冬の空が広がっていた。運転席に高史の姿はない。「高史?」ドアを開けたとたんに波音に包まれる。駐車場の弱いオレンジ色の灯りを頼りに車を降りた。また、この場所に来たんだ。手が凍えてしまう前に羽織ったダウンコートのファスナーを急いで上げた。風が強い。ほどいていた髪があおられて視界をさえぎる。あわてて手首にはめていたゴムで髪を一つに束ねた。「起きたか」車の後ろをあけて高史は、荷物を降ろしている。二人で入れる大きな赤い寝袋。今夜、わたしたちの暖かい子宮になる。「ごめん。助手席で寝ちゃって」「はいはい。早く手伝えよ」笑…続きを読む