ポトリ……と、目の前の男子生徒は生徒手帳を落とした。「ふ」と、息のような声が男子生徒の口から漏れ出る。「っざっけるな! こんな、こんな校則おかしいだろ!」 僕がその手帳を開い、開いてあった校則の部分に目を向ける。 一応、校則が手帳に書かれていることは知っていたけれど、この五月の中頃までわざわざそれを確認するなんてこともなかった。 当たり障りのないことが書かれているだけの欄で、特に気になるところはない。 男子生徒が作ったお弁当を箸で突きながら、椅子から立ち上がっている彼をジトリとした目で見つめた。「……どうしたんです? いつにも増しておかしいですけど」「どうしたもこうし…続きを読む
この光景を知っている。 彼女の家と自分の家を繋ぐ道なのだから、見覚えがあるのは当然だ。 そう分かってはいるけれど、あまりに見覚えがありすぎて不自然に思えた。 通りを歩く人の服。 前の車の車種やナンバープレート。 チラッとデジタル表示の時計に目をやると時刻は夕刻、17時12分。 外気温は9℃。 何度も時計を確認するほど急いでいるわけではないけれど、どうしても目が時計を追ってしまう。 表示されている最小単位の分の表示が13を示した。 どくり、と体の中で血が流れる音を聞く。 知っているはずのない大量に血が流れ出るような感覚を無視するために、彼女のCDを掛ける。 音楽には興…続きを読む
僕こと杉並 尽子は普通の学生である。 成績は良い(カンニング)。 運動は比較的得意だ(筋力は低い)。 友達は少なく、いつも教室では暇をしている。 趣味は犯罪、ヤクザの金を奪ったりとか……ちょっとした悪いことをしてみたい年頃なのだ。 犯罪繋がりの仲間である竹城君を見て小さく溜息を吐く。 同じ高校で同じクラスではあるが、それを除けば接点はなく、普段は必要がなければ話もしない仲だ。 ガンガンに効かされた冷房に対抗するために、夏だと言うのにパーカーを羽織ってスカートの下にはスパッツを履いている。 それでも寒く、ただでさえいにくい教室から追い出されるようである。 ジジジと音を鳴らして…続きを読む
【祈る神なんて】 少女が夜の街を歩く。 小柄、華奢、細身、低身長、幼い子供のような姿をした少女であり、近隣の名門高校の制服を着ていることのみが、少女の年齢を正しく示していた。 少女の息は切れはじめており、日々の運動不足が祟って早歩きをするだけで脇腹が痛みを発して、息を吸って吐いてとしている気管が乾いてヒューヒューと音を鳴らす。 その少女の後ろから追いかけてくるのは、現代日本では秋葉原かハロウィンでしか見ないような膝の下まであるような黒いローブを着た男達。 嫌に着慣れた格好は安っぽいコスプレらしさを取り除いて、妙な威圧感を放っていた。 少女は逃げられると思っていなかった。…続きを読む
12月26日。世間ではクリスマスも越えたその日になって、彼女のクリスマスが始まる。 ──やはり、この日は特別なものですか。 齢にして16。年頃の女性には珍しい、洒落っ気のない黒いコートを着込んだ少女は頷いた。「ええ、まぁ……そうですね。毎年のことではありますが、期待と不安が、どんな時よりも高まる日ですね」 準備を整えながら、そう語る彼女は真剣な表情だ。 半額クリスマスケーキハンター、杉並つくしの朝は早い。 半額クリスマスケーキ、ケーキ屋、スーパーやコンビニ、あるいはパン屋などで、クリスマスケーキが大量に製造、発注され、その売れ残ったケーキは、翌日には価値が暴落する。 …続きを読む
部活帰りの時間。 などと言うには普段よりも少し遅い。 隣にいる後輩と「こちらの方が駅に近いだろ」などと言いながら狭い道を歩く。 制服の袖同士が擦れるように当たり、半歩だけ車道に寄る。 会話もないのに二人で歩き、噛み合わない足音を合わせようとするほどに妙なズレが生まれる。 そんなことをしているうちに着いた人の少ない駅、定期券を使って中に入り、次の電車の時間を確かめた。 すぐに着いた電車に乗って、外を見るフリをして、ガラスに映る後輩の少女を見る。 後輩は俺の目線を追って、くすりと口に手を当てて笑う。「月が、綺麗ですね」「……なんだよ。 突然」「いえ、先輩がずっと月を見…続きを読む
「こういう日は気分がいいな」 防音の音楽室ではなく、ただのいつもの教室。 男はゆっくりと手を伸ばして、ギターを手に取る。 いや、ギターではないかもしれない。 私は楽器や音楽には詳しくないので、ギターとヴァイオリンの違いもよく分かっていないからだ。「詳しくないってレベルじゃねえよ、それは」「音が鳴ったら一緒じゃないんです?」 雨足が強まったのを機としたように、男は楽器を弾きはじめた。 曲名があるのか、それとも適当に弾いているだけか。 詳しくないから分からない。「……今更ですけど、なんで先輩は雨が降ったら音楽をするんですか?」 男は楽器を弾きながら答える。「雨の音で…続きを読む
説得、というものは存外に難しい。 おおよその場合、考えを変えさせなければならないし、場合によったら不利益を被ってもらうことを頷かせなければならない。 弁護士の弁護は法律が根拠を示してくれるが、説得には何も根拠がないことの方が多いのだ。「説得屋、ですか」 胡散臭げに俺の表情を見る。 小柄で幼げなかんばせながら、目ざとく俺の目の動きを見ているところを見れば、年相応以上には賢そうだと勝手に判断する。 年齢、というか、学年は俺より二つ下の一年生だということが制服のリボンを見て分かる。「そう、説得屋。 ……なんて冗談みたいな名前で通せたら都合もいいんだが、まぁそうもいかないわけだ…続きを読む