弁早は孤高であった。 それは彼が「詭弁術」において世界に比肩するものなき達人であるという事実に大きく起因していた。 「詭弁術」とは今風に言えばディベートの技術、つまり、相手を巧みうに納得させる話術のことである。だが、現代においてはこの「詭弁」という言葉にはマイナスのイメージがつきまとい、早弁老師は世間から誤解されること甚だしかった。 まだ文字のなかった太古より「詭弁士」は歴史の闇の中を暗躍しつづけてきた。 彼らは噂やデマ、今でいうフェイクニュースの流布などの情報操作にはじまり、歴史の分岐点における重要人物の説得や論破、言葉により要人を自殺に追い込む「暗殺」まで、およそ言葉をもって…続きを読む
その朝、「もず4号」は、長年働いていたプクプク運送をぬけだした。 止めようとした「おおとり1号」の下にフォークをさしこみ、おもいっきりひっくり返したあと、追ってきた「きゅうかんちょう3号」をプラットホームから落とした。 「もず4号」はもう戻らないつもりだった。 あの人に、会いに行こうと思った。 もう、あんなところで働くのはいやだ。 天井の太陽電池パネルが、朝日を浴びて、ここちよかった。体に力が湧いてくる。 これのおかげで、「もず4号」はエネルギーの心配をしなくてすむようになった。 この太陽電池パネルをつけてくれた、若いエンジニアのことを思い出した。 彼のことを思うと、悲…続きを読む
商店街に向かう人の波に混じって歩いていると 雑踏の中で進むでもなく 止まるでもなく 寄り添うようにして 立ちつくしている二人の老人の姿が見えた どこかで見た二人だった。 細身でワイシャツを着た老人は足取りがおぼつかない もう一人の近鉄バファローズの野球帽をかぶった がっちりとした老人にわきを支えられ 人の流れから守られるように 一歩一歩ぎこちなく進んでいる そうだ 僕はこの二人の老人を さっきハンバーガー屋を出たときに一瞬だけ見たのだった そのあと僕は二十分は本屋にいたのだ この二人の老人は この遅々とした二人三脚を 続けていたのだろうか…続きを読む
みずいろのレオのごはん入れが バックオーライの車にひかれて ペッチャンコになってしまった 「ハッハ ハッハ ハッハ ハッハ」 息をきらせてロードワークから 何も知らないレオが戻ってくる とたんに水を飲もうとするけど 「ハッハ ハッハ ハッハ ハッハ」 水入れ用のボールの中にごはん 鍋焼きうどんのアルミなべに水 一瞬レオの困惑の無垢なる微笑 「ハッハ ハッハ ハッハ ハッハ」 なにごともなかったかのごとく アルミなべの水をペチャピチャ ボールの中のごはんをがっつく 「ハッハ ハッハ ハッハ ハッハ」 レオはなんにも知らな…続きを読む
1 お天気象さんは 雨の中 庭の芝生の 百葉箱 お仕事ですから チェックします 飼育係の シーク君は ブラシと セッケンを持ってきて 象さんの身体を洗います「お天気象さん かゆい所ないですか?」「お天気象さんは かゆい所あります」 今日は意外と しおらしく 臆病なシーク君は ほっとします「どこがかゆいの? お天気象さん」 お天気象さんは うわのそら シーク君の質問に 答えずに「知ってる? こんな 驟雨(スコール)が 大地を濡らすときにはね その大地のどこかで 女が濡れながら 泣いているのよ だから 雨はただ降るのではなくって その…続きを読む
雨は強くなるばかりであった。 護民長官ペトロニウスは、展望台から城壁の外を眺めていた。 城市(まち)の外はすべて《海》になっていた。気に入らない景色だった。 かつてこの国を覆い尽くしていた緑の農地も、狩場も牧草地もなくなってしまった。 彼がまだ若く新米の護 民官だったころから、毎日毎日見続けてきた牧歌的な風景はもうどこにもなかった。 世界は《海》によって覆われていた。 ペトロニウスは天に唾を吐きかけたい衝動に駆られたが、すぐに思い直した。馬鹿馬鹿しいことだ。天になど唾を浴びせかける価値もない。昔から『天に唾を吐きかけると、自分の顔に跳ね返ってくる』という。だが、 それを信じて…続きを読む