生き霊を装填した。導火線にたいまつを近づけ、耳を塞いで待つと、大きな音と地鳴りがして、大砲から半透明の男が飛び出し、雨雲で覆われた空に放物線を描いた。彼は恨みを持っていた。敵の一人に、子供を奪われたからだ。恨みは充分な濃度らしいから、敵陣を充分に混乱させてくれるだろう。 私は巨大な溝の中にいた。仲間たちと横一列に並んでいた。それぞれの左にキャビネット、右に大砲があり、その砲身は溝からはみ出していて、先端は見えない。私の目の前にあるのは地面の断層だ。真っ白な土。それだけがあり、敵陣は確認できない。 こちらの陣地も、なにがなんだか解らない。火薬の匂いが立ちこめ、土煙がひどかった。自分の持って…続きを読む
あなたが羽化してしまったあともあなたの殻がずっと隙間に残っている。精米所と精米所の隙間に挟まっている。夜、といってもすでに朝が近づいていることもあるけれども、少なくともまだ辺りが真っ暗で枯れた田んぼが目に映らないうちに、わたしはマンションの自動ドアを抜けて殻のもとへ歩いていくのだった。冬のあいだは駆けていった。しかし、冷気を飲み込んで胸を重くし喘いでいるわたしを見ても、殻が口にするのはいつも通りの、「ありがとう、本当に助かるよ」だけだった。春になってからは走っていない。 携帯のライトで照らして殻の全身を点検すると、ひだり肩に入ったひびを発見した。昨日はなかった。精米所の隙間は、前を背の高…続きを読む
夜になり、やつらが走り出し、建物が揺れ、振動に合わせて彼女も細かく震え、仰向けになったその身体の辺縁から、白く薄い屑がはらはら落ちた。そのうち、ひだり肘が取れた。前腕と二の腕はかろうじて繋がっていたが、肘があった部分には大きな空洞が残り、そこから茶褐色の液がゆっくり流れてきた。リノリウムに転がった肘へとそのまま染みていき、水溜まりで濡れる砂糖と同じように、徐々に肘が形を失っていった。 完全に崩れてしまう前に、取り置いておこうと思った。可能ならば瓶に詰めて保存したかった。それくらい肘は真っ白で美しかったのだが、わたしが触れた途端、割れた。頂点にひびが入り、亀裂が広がり、肘のてっぺんが、肘自身…続きを読む
みんなこいつのことをボウリングと呼ぶ。あたしも倣っている。でも心の中ではボオリングと呼んでいた。字が違う。「安い店のがR先生も嬉しいよな」ボオリングが、脱いだスパイクに挟まった土を穿りながら言った。まただ。こいつはこうやって細かい棘を放ってくる。棘は透明だし、ほとんどの壁を通り抜ける質量ゼロの代物だ。だけどあたしには見えてしまう。その悪意。先生も嬉しい、とは何様なのか、と思う。怒りが湧く。中二のころ、あたしが勘付いたその攻撃性は、三年が経ったいまでも健在だった。むしろパワーアップしている。 体育倉庫と校舎のあいだで立ち話しているのはあたしたち二人だけではなかった。ちょっと離れたところで二人…続きを読む
元気でいるかって訊いてもいいかな? とかいうまどろっこしい訊きかたで、君が元気か、君に訊いてみようと思った。住宅街のせまい道を歩きながら、リュックを前に回して携帯を出そうとした。だけどリュックの中のジャンバーがじゃまだ。意外に暑くてさっきしまったばかりのジャンバーがじゃまだった。わざわざ出すのもおっくうだ。むりくり手をつっこむうち、フリスクのケースがリュックから飛び出て、用水路のすきまに消えた。(買ったばっかなのに) 結局携帯を出すのもあきらめて、リュックをしょい直して歩き出した。思えば、さっき思い付いた文言を送ったとしても、君が顔をしかめるのは明白だ。僕の中のまどろっこしい部分が…続きを読む
カフェのテーブルに両肘をついた。両手の指が顔に接近して、わたしは思わずのけぞった。直前に頭皮を掻いていたから、床屋みたいなにおいが手に染み付いていた。 わたしののけぞりにパトラは気付いたろうか。彼女は表情を変えなかったが、おそらく気付いているだろう……そうわたしが思ったことにも気付いているだろう。 しかし何一つおくびにも出さず、パトラは喋り続けた。「7チャンネルを見てるとさあ」彼女は腹をなでながら言った。妊婦用の服ではないグレーのTシャツは、ぱつぱつとみだらに伸びていた。「どの番組を見ててもさあ。7チャンっていう巨大な番組を見てる気になってくるよねえ」彼女は疲れをにじませながら、さも最後…続きを読む
半端な赤で、完全な夕焼けには程遠いし、助手席のガラスを通して見ているせいで、ところどころ虹色に光って、それはそれできれいなのかもしれないが、一貫性がない。 案外お前運転は丁寧だよな と僕が言うと、 いやうるさいな、うるさいよ と女は騒がしく笑った。 ハンドルを握る彼女の右手が滑って、一瞬クラクションが鳴った。 窓を開けて見たが、もう香ってこない。海はだいぶ遠くなった。 そのとき通りすぎたサービスエリアの名前を見て、そういえば前回来たときもここいらで窓を開けたなと思い出した。 あんただいぶうまくなったね と女が言った。 そうか? なったよ。三回目なのに…続きを読む
「昨日昼寝してたら」「はい」「夢って解ってるんだけど、起きられないみたいな、あれになって」「ありますね」「あれも一種の金縛りなのかね」「さあ……そういえばフラミンゴいるじゃないですか」「ん? いるね」「結構助走しないと飛べないみたいで。だから動物園のフラミンゴの檻には屋根がなくてもいいんですって」「へえ……」「らしいんですよ」「で、金縛りなんだけど……本格的に掛かったことある?」「ないですね……そういえば昨日わたし木登りしたんですけど」「は? ……うん」「その土地で誰も登ったことがないっていう大樹だったんですけど」「あんのかよそんな樹」「小一時間掛けて頂上に着いた…続きを読む
「いいよ掃除とか適当で。どうせ明日で閉まるんだし」「そんなもんすか」「海の家に残ったゴミなんて、波がさらってってくれるって」「そこまで波打ち際でもないですけど……」「あ、すごいこれ。チケット落ちてる」「なんのですか?」「フェスのやつだ。二枚落ちてる。かわいそうな人がいたもんだ」「ああそれ、今日の昼に来てた男が捨ててったやつですよ」「え? なんで捨てたの?」「一緒に行こうとしてた相手にフラれたんじゃないですか?」「かわいそうな人がいたもんだ」「胸が痛みますね」「須藤君、もらっちゃえば?」「いいんですかね?」「わたしからのプレゼントだよ」「まあ、じゃあお言葉に甘えて」…続きを読む
「お兄さんも、お病気なんですか」「え」「お病気なんですか」「まあ……そうすね。ここ病院ですからね」「お肌のお病気ですか」「まあ皮膚科ですからね。病気に付ける丁寧語のワンフレーズって『お』なんすかね」「わたしはずっとお肌がかゆくてねえ」「はあ」「通うのが大変ですよ。今日もカネミダさんに送ってもらったんですけどもねえ。わたし老人ホームに住んでるんですけど」「はあ」「老人ホームでお肌の病気が流行っててねえ。いまやねえ、罹ってる者と罹ってない者の間で、覇権争いが起きてますの」「ええ……? シビアですね。そんな三国志みたいな……」「お兄さんはなにされてる方なの」「急に……僕はま…続きを読む