彼氏が死んだ。首や胸の何箇所を刃物で刺されて、病院に運ばれたけど出血多量で死んでしまった。 彼氏を刺したのは、私の幼なじみだった。 私はそれをニュースで知った。ぐずついた天気の朝のことだった。私はリビングのソファにだらしなく座って、グラスに注いだトマトジュースに口を付けていた。昨日から返ってこないL I N Eの返事にいらだちながら。なんで二人とも私のことを無視するの。チャンネルを変えようとしてテレビのリモコンを手に取った時、その報道は私の目に飛び込んできた。「昨日の午後4時34分頃、埼玉県浦和市のアパートの一室で『人を殺した』と110番通報がありました。室内にはS大学3年生の大…続きを読む
夜、母が鏡の前で溜息を吐く時、私は未来の自分を見ているような錯覚をおぼえる。「あぁ。またシミが増えてる」 そう言って、母は高純度のフェイスクリームを顔に塗りたくる。 擦って擦って、叩いて叩いて、頬が赤くなるまで何度もそれを繰り返す。母の赤くなった頬を見るたび、私の心は雪の塊を押し付けられたように、痛く冷たくなる。 母は美人だった。町一番の美人だったと、親戚は口を揃えて言う。綺麗で明るくて、文字通りマドンナだったのよ。この町に住む男の子たちの初恋は、みんなあなたのお母さんだったんじゃないかしら。「櫻子ちゃんは、小さい頃のお母さんにそっくりね」「だから櫻子ちゃんも、きっと将…続きを読む
薄い青色の空、新しい空気、鳥たちの鳴き声、太陽を見た時に出るクシャミ。ぼんやりした頭で食べる朝食、顔を洗った時の水の冷たさ。 私は朝が好き。1日の中で、朝がいちばん好き。 と言うと、大抵の人はしかめ面をする。朝は眠くて、だるくて、やる気が出ないのが普通だよって。 そんなことないよって否定したいところだけど、なんだか変な奴に思われるのも癪なので、私も朝が嫌いなフリをする。 眉間に皺を寄せて、わざとらしく大きなあくびをして、テンションも普段より3段階低めに。自分でもなかなかの演技力だと思う。朝の主演女優賞は、私が毎日受賞している。 好きなものを嫌いだと言う。私の1日は、そん…続きを読む
綺麗なうちに死にたい、と櫻子ちゃんが言っていた。 時刻は午前2時17分。みんなが寝静まった頃の過疎気味のタイムラインで、その言葉はひどく異質なものに見えた。『若くて綺麗なうちに死にたい』 櫻子ちゃんの投稿は数分後には削除されていた。だけどその言葉は、鋭いナイフみたいに私の心を抉った。自分は価値が無い人間だと、思い知らされているような気分だった。 あぁ、美人っていいなあ。 綺麗なうちに死にたいなんて、私は美人ですって宣言しているようなものだ。私はそんなこと口が裂けても言えない。 もし本当に櫻子ちゃんが死んだら、沢山の人がお葬式に参列して涙を流すんだろう。お花みたいな笑…続きを読む
今の社会は「極端な人」に支配されている、と何かの本に書いていた。 たしかにそうだよな。それを読んで妙に納得したのを、私は覚えている。 S N Sが生活の一部になった今、毎日どこかの誰かがネットで炎上して、不謹慎狩りの標的にされて、誹謗中傷の波に飲み込まれている。 極端な人が台頭するようになってから、私たちは表現の自由を失った。知らない誰かからバッシングを受けるのが恐くて、当たり障りのない話しか出来なくなった。 子どもの頃みたいに、楽しくおしゃべりが出来なくなった。それに気づいてしまった時、今度は上手に息が吸えなくなってしまった。 ねえ、誰か。私に呼吸の仕方を教えて。…続きを読む
この番組ではみなさまのリクエストを募集しております。甘酸っぱくて素敵な恋のエピソード、お待ちしております。 それでは最後の質問をお読みします。ラジオネーム「恋する14歳」さんからです。◇ いつも楽しくラジオを聴いています! 私はK市内の公立中学校に通う、女子中学生です。部活は美術部。今は2ヶ月後に控える文化祭で展示する絵を描いています。 いきなりですが、私には片想いする男の子がいます。隣のクラスのサッカー部の男の子です。まだ3年生も引退していないのに、試合にもスタメンで出場してるらしいです。 同じクラスになったことがないので、直接話したことは一度も無いんですが……だけ…続きを読む
「好きな動物を訊かれた時にさ、何て答えるのがいちばん気持ち悪いと思う?」「人間とかキモくない?」「キモい。カタカナで『ヒト』は?」「さらにキモいな」という話を、このまえ恋人としました。ちなみに、いちばん好きな動物はキリンです。あんまり共感されないけど、"ガチ" でキリンがいちばん可愛いと思っています。特に子キリン。よかったら、「キリン 赤ちゃん」で画像検索してみてください。今日からあなたもキリンの虜です!話は戻りますが、好きな動物を訊かれて「ヒト」と答える人間、かなりのヤバ奴だなと思ってたわけです。逆に友達いなさそ〜とか勝手な偏見を持ったりもしてました。架…続きを読む
『天才写真家が作る、モノクロームの世界』 書店に平積みにされた雑誌の表紙を見て、俺は呟いた。 ああ、またルイの写真だ。東京タワーをこんなに蠱惑的に撮れる写真家は、ルイしかいない。 嫉妬や劣等感はとっくに捨てたつもりだった。それでも俺はルイの名前を見ると過剰に反応してしまう。いや名前を見なくたって、ルイの写真なら一目見ただけで分かる。写真の構図、色彩、ピント、そして被写体の選択。どれをとってもアイツは天才だから。 指先に微かな震えを感じながら、俺は雑誌を手に取って開いた。『伊丹ルイ、モノクロームの世界へ』 そこにはカメラを持って笑うルイがいた。少し顎を引いた、は…続きを読む
ノブちゃんは自分が盛れていない集合写真をS N Sにアップされても怒らない。それどころか、嬉しそうにリツイートする。「楽しかったね」というコメントに絵文字まで添えて。 きっと良い子なんだろうなと思う。普通の女子高生はそんなことしない。私だってそうだ。自分の目が半開きになっている写真を、好き好んで公開しようなんて思わない。正直、牽制したことだってある。「この私、事故ってるから載せないでよ」って。 だから私にはノブちゃんの気持ちが分からない。 ノブちゃんの本当の名前は、しのぶという。漢字じゃなくて、ひらがなで書く。平成生まれの私たちにとってはなかなか珍しい名前だ。 一度、クラス…続きを読む
この子はまだ父親の顔を見たことがない。生まれてから、一度も。 「新型コロナウイルス感染症の院内感染防止のため」だ。出産の立ち合いはおろか、面会さえも不可能だった。 定期検診で切迫早産の診断を受けて入院、そのまま帝王切開。私は一人で赤ちゃんを産んだ。今日で生後7日になる。本当なら今夜はお七夜だった。赤ちゃんの命名を祝う大切な日。一生に一度きりの記念日なのに、家族と一緒にお祝いできないなんて。 この子はなんて可哀想なんだろう。 一人部屋の病室が、余計に孤独感を煽った。私は産後うつなんだろうか。あと数日したら退院できる、そう分かっていても気持ちは晴れなかった。 ごめんね。隣で…続きを読む