「ねぇ、ねぇママ。どうやって私は生まれたの?」「それはね、お祈りするのよ。神様、子供が欲しいですってね」 当時はサンタさんと同じで不思議だなぁ、くらいにしか思わなかった。お母さんの言うことは全て真実でこの世に嘘なんて存在しないと思っていた。 どうして今こんなことを思い出すんだろう。別にお母さんもお父さんも恨んじゃいないのにな。私が恨んでいるのはこの不寛容な社会。社会が腐っているのは誰のせいでもない。大人の事情ってやつかもしれない。そして私がこうなる事は必然。私は誰も恨んでなんかいない。 生まれてこなければよかった、私がこうなる事を想像しなかったの、なんて言ったらお父さん…続きを読む
キスしながら違う相手の名前を呼ぶなんて失礼極まりないと思いませんか。安藤さん。僕はきちんと真由美って呼んでるじゃないですか。僕だって傷つきますよ。 でも、何も言えないじゃないですか。あなたがあんな罪悪感に満ちた目で、今日で終わりにしよう。そして今日だけは私の好きにさせて。なんて言われたら。 彼女は僕じゃない男を見ていた。別にそれが誰れなのかとかは訊かない。返ってくる応えは想像できるし、それを彼女に言わせるのはつまらない。彼女はいい人だからきっと正直に応えて、そして僕に謝るだろう。 そんなことはどーでもよかった。ただ、今日の安藤さんは今まで一番美しかった。しかしこの感想はこの映像と…続きを読む
もしもし。私、フタコって言います。お悩み相談電話ボックスってこれで合ってますよね? そうだと信じて話し始めますね。私の悩みは普通の女の子になりたい、普通になりたいです。もちろん普通なんて無いことはわかってます。人間ひとりひとり個性がある、だから普通の人間なんていないってことですよね。そんなことはわかってるんです。だからそんなこと言ってこないでくださいね。でもこの世界に普通って言葉はあるじゃないですか。例えば犬は普通ワンと鳴くし、猫は普通ニャーって鳴く。そういう普通に私はなりたいんです。人間は普通、他人と共に生きていく。普通は仕事に就く。普通は恋人が欲しい、結婚したい。そんな普通の人…続きを読む
「死にたい」 消え入りそうなほど儚い声が念美の口から零れた。「あ、また言った」 僕はふざけた調子で彼女を叱る。念美は共用のパソコンのマウスを動かしてシャットダウンさせた。数個のマルが画面中央でくるくる回り、画面が暗くなる。「あ〜ごめん」 でも、と言いたげだけど、彼女はそれを口には出さない。「また落ちたの? 面接」「うん。もうー、ほんとに死にたいよー」 今度はふざけた調子で言う。右足で床を蹴り座っている椅子を回しながら嘆く。それを見て僕は彼女が好きだと改めて思う。同時に悲しくもなることを彼女は知らない。「紅茶でも飲む?」 念美はうん、と…続きを読む
さよならはいつも何かとセットでやってくる。例えば夕日、子供のころ遊び足りないと嘆き、夕日に照らされながら友達とよくさよならをした。例えばお気に入りの洋服。どんなに可愛くて、大好きな服でも買った時にいつか来るであろう、さよならがセットでついてくる。さよならは何にでもついてくるくせに、さよならがセットで連れて来るのは大抵悲しいことばかり。服のタグのように切り離せれば良いのに。 さよならの時間が来た。終電の時間と言い換えてもいい。私は当たり前のように裕貴の家から出る準備をする。憧れのお泊まりデートはまた次の機会になってしまったが、ほっとしている自分もいた。誘えない裕貴が悪い、それにお泊まりデ…続きを読む
黒い絵の具を洗ったバケツをひっくり返したような雨がカーテンのように私の周りで降り続けている。私の頭の上のどんよりとした雲は動かず、まるで世界を一枚の雲がすっぽりと包んでしまったかのように隙間なく黒い。 穴の開いた傘をさして私は当てもなく歩いていた。その開いた穴から雨粒がにゅるりとほっとした顔を見せては落ちていった。傘の隅のほうに穴を開けたので私は濡れなかった。穴を開けた理由は傘をさしたまま濡れたかったからだ。 「明日になったらきっと晴れるよ」 いつの間にか私の足元にいる黒猫が言った。私は邪魔な黒猫を蹴らないように歩いた。ニャー、ニャーとのんきな音を出している。「ごめんね。…続きを読む
「そろそろ人間になりたい」 縋るように私は言った。私のような奴は何かに縋ってないと生きられない。どこかが狂ってないと生きられない。「そんな風に思ってたんだ。意外。僕はもう大抵のことは諦めてるよ」 パソコンのディスプレイの光で青白い顔の彼は言った。彼は就職活動中で上手くいかなかった時、といってもほぼ毎晩のように同い年の私の家に泊まりに来る。そして二人で悲しみを分け合って涙を流さずに泣くのだ。泣いたふりなのかもしれない。涙の流し方を私たちはとっくに忘れていた。「明人はどうして就活なんてやってるの? 辛いなら私みたいにやめればいいのに」「ね、どうしてだろうね。自分でもよく分からな…続きを読む
夕日に染められた空を見ると悲しくなるのはきっと彼女のせいだ。この空はいつまでたっても僕にバイバイを仄めかす。とても大きな夕日を睨みつけていたあの頃を思い出させる。「夕日、綺麗だね」「う、うん」 僕は夕日が大嫌いだったので何とも言えない気持ちになり、曖昧な返事をして頷いた。夕日は僕にとってバイバイを最も強く思わさせる風景なのだ。「この空の色の知ってる?」「知らない」 まだ夕日の話をするのか、と僕は少しうんざりした気分になった。「茜色って言うんだよ!「茜と同じ名前だ!」 僕は驚いて言った。うんざりしていた気分は嬉しいそうに言う茜の顔を見てどこかへ飛んでい…続きを読む
これはわたし、美鈴が奥手の彼氏、悠介くんにロマンティックなキスをしてもらう物語である。 わたしこういうの一回言ってみたかったのよね。◇キスミー作戦「キスミ〜」 わたしは舌を犬みたいに出して悠介くんに言う。どうして舌を出したのかは訊かないで。悠介くんは盛大に無視した。はらたつ! 折角の上目遣いが白目になるのをわたしは必死で抑えた。「ねぇ〜。無視しないでよー」 わたしは悠介くんに擦り寄る。二足歩行を今まで生きてきたとは思えないほど滑らかに。イメージは妖艶な蛇。悠介くんは足を組んで本を読んでいる。普段かけない眼鏡なんかかけて。似合ってるから余計にムカつく。「あの…続きを読む