僕は4歳年上の姉について回る金魚の糞だった。姉は山崎恵理といい、皆から「えりちゃん」と呼ばれていた。澄んだ声と明るい性格を持ち、友人も多く、近所では中心的な立場だった。 雄次という名前の僕は「ゆうちゃん」と呼ばれ、小学校に上がる前から姉の友人たちと慣れ親しんでいた。 僕は彼女らの遊びにも参加した。それでも4歳年上の皆と同じように振舞うことは難しい。特に5、6人で鬼ごっこをするとき、僕はいつも「おみそ」にされていた。鬼に捕まっても半人前扱いなので、決して鬼になることはない。この特権的な、同時に差別的な立場は、地方によって「みそっかす」とか「おまめ」などと呼ぶこともあると、大人になってから知…続きを読む
1年以上飼っている白い鳩を、逃がしてやりたくなった。 失恋を経験した私は、思い出という鳥籠の中に閉じ込められたままでいる。 私も鳩もこのままでは自由に羽ばたくことができない。だから解き放つべきだ。 その鳩は私がシロキチと名付けたオス。真っ白い羽を持ちながらも、その白が過ぎたのか銀鳩と呼ばれている種類だ。 シロキチと出会ったのは少女漫画ばかり描いていた高校一年の夏休みのこと。8月のよく晴れた日だった。 窓際の机で、ちっとも進展しない恋愛漫画を描いていると、まるで入道雲の中から生まれてきたかのように遠くの空から白い鳩が飛来し、ベランダに降り立った。 私は「この鳩は運命に従ってやって…続きを読む
長机と数脚の椅子が置かれた休憩室にいるのは、俺たち二人だけだ。 向かい側に座る斉木さんは、小ぶりのお弁当箱からピンクの箸で卵焼きを取り、口を開けてその一端を噛み切る。彼女は「美味しい」と思ったようだ。 ショートカットのおかげで露わになった斉木さんの両耳を見ればそのことが分かる。 ご馳走を不意に誰かに奪われないように、周囲の些細な物音も聞き逃すまいとしているのだろう。彼女の両耳は明らかにピンと立つ。 その様子はリス科の小動物が木の実を齧っているときのよう。上目遣いに俺を見ている斉木さんの耳は、その集音力を最大限に発揮しているに違いない。 歯型の付いた卵焼きを箸で挟んだまま、一口…続きを読む
君を見ない日は無い。 灼熱の太陽が盛んに東京のアスファルトを焦がす日も、横殴りの雨が降る日も、ビルの谷間につむじ風が吹く日も、君は変わらず視線の先にいる。 やがて僕の視界のすべてを埋める。僕の視線は君に固定される。 そして君を見ない夜も無い。 新月の夜、眠らない街の灯が数多の星を隠しても、眩いばかりの人工の光が君を照らす。その姿は僕の瞳を奪う。僕の心は盲目的に君に支配される。 僕はずっと君を見ている。 僕が初めて君を意識した時、君はまだ成長の途中だった。毎日少しずつ成長していく君の姿を、僕は微笑ましく思い、暖かく見守っていた。 それでも、日に日に君のウエストのくびれが目…続きを読む