ピンポーン一人暮らしのワンルームには似つかわしくない大きな音が響く。あとで音量を小さくしよう、などと呑気なことを考えていたが、すぐに焦りに変わる。久しくチャイムを鳴らす人がいなかったから忘れていたが、この音は来訪を知らせるためのものだ。しかし俺は腹痛で今トイレにいる。お腹に溜まったものは出せないし、俺は出せないと出れない。ちょっと上手いことを言った感もあるが、そんなことはどうでもいい。ひとまず返事くらいはしておこうと思ったその時だった。ガン!ガン!ガン!ガンガン!俺の思考は止まった。ドアを思いっきり打ち付けるような音がしている。これは異常事態だろうし、明らかに敵…続きを読む
「俺さ…流行語作りたいんだよね」「あー、流行語」「そう、流行語」「流行語って作ろう!っていう意気込みの元できるもんじゃないと思うんだけどな」「いやぁ、でも作ろう!って思っちゃったからさ」「気持ちが止められないのはわかるけど…」「で、もう考えてあんだけどさ」「あ、そうなんだ。作りたい、じゃなくて、作った、なんだね」「いやほら、まだ作っただけであって流行語ではないから。俺が今から初めて世に発信するわけだし」「無駄な謙虚だな。しかも世じゃなくて俺だけにだしね」「じゃあ、心して聞いてくれよ」「…いや、そのハードルの上げ方はまずいな」「え、何がよ」「ご…続きを読む
「いらっしゃいませぇ」陽菜の声の俺は反射的に同じ言葉を喉から引っ張り出す。「いらっしゃいませぇ」この時間帯のお客さんは珍しいから、猫騙しをくらったような感覚に陥る。しかし、いくら店内を見渡しても人影は見られない。代わりに、と言わんばかりに陽菜はしてやったり顔をしている。「お前さぁ…何度目だバカ」「何度目だって言っとるんに引っかかるツッキー好きやわぁ」舌打ちをしておにぎりを前に出しながらも、陽菜の笑顔が見れるなら何度も引っかかってやろうとも思う。俺は田舎にあるコンビニでバイトをしている。数字を使っていたり、あなたとコンビになったりするような有名なコンビニではなく…続きを読む
被害者は越村菜美。旅館の一室で背中を刺されて亡くなっていた。俺は旅行をしにきただけなんだが、たまたま事件に遭遇するなんて困ったものだ。そして事件が起こったとあれば、俺は自然と身体が動いちまう。全く、職業病だ。俺は被害者の部屋に集めた関係者を見渡しながら、台詞を放った。「犯人は…この中にいる!」俺の言葉に、この場にいる関係者全員がそれぞれの反応を見せる。探偵である俺は、その一挙手一投足すら見逃しはしない。「なっ…私も疑われてるって言うの!?」容疑者その一、常磐信子。被害者とは隣の部屋であり、友人二人と旅行に来ていたそうだ。しかし、友人二人が長風呂をしている時、早…続きを読む
「最近コンビニ飯ばっかで飽きてきたな…昼休憩であんま遠くまで行けないし、なんか近くに定食屋でもあったらいいんだけど…ん?こんな店、あったっけ?最近できたんかな、入ってみよ」チリンチリーン「いらっしゃいませぇ。2名様以上でしょうか?」「あ、いや、1人です」「…あ、申し訳ありませんでしたぁ!こちらの席へどうぞ!」「なんか気遣われちゃったよ。何名様でしょうか、だろ普通。変わってんな、この店」「ご注文、お決まりになりましたらそちらのベルを押した後に『カモン!』と言いながら指パッチンをしてください」「いや後の工程いります?そのシステム採用するならベル廃止すべきでしょう」「…続きを読む
「多田慎二、出房だ」僕は促されるままに立ち上がった。執行日は知らされないとは聞いていたけど、本当に知らされないとは思っていなかった。なんとなく慌ただしかったり、見回りの警察官が僕を見て哀れんだ目をしたり、そういったところから勘づくことができると思っていた。日本の警察官は優秀なんだな、と思ってもいないことが一瞬、脳に湧いて出てきたけど、鼻で笑って吹き飛ばした。以前までは、執行日を知らせていた時代もあったそうだ。前日に知らせることで、覚悟を持たせてあげようとする警察官のくだらない優しさが垣間見える。しかし、そんな偽善を握りつぶすかのように、死刑囚の自殺が後を絶たなかったそうだ。…続きを読む
私の夫は外国人だ。最初は困難もたくさんあったが、今では幸せの暮らしている。彼の一番好きなところは、日本人にはない強引なところ。今日も彼は私を呼ぶ。「Honey!Come!」私は彼の強気な物言いにはにかんだ。…続きを読む
中学の友人だった佐々木が突然連絡をしてきたのは上司にボロカスに怒られて帰路に着いている時だった。ブラック企業に勤め、このまま死んでしまった方が楽なのだろうかと思っていた矢先だったため、何かが起こりそうな予感がした。佐々木からのメッセージを確認すると、淡白な文面が綴られていた。「いい話があるから会おう」中学時代の彼を思い返してみると、彼の「いい話」はおそらく女か金だろうな、と予想の段階で呆れ返る。それと同時に少し胸が高揚した。どれだけ仲がよかろうと、学校という小さな社会でできた関係性だ。一度その社会を抜け出せば、疎遠にもなってしまう。実際、俺と佐々木も最後に会ったのは高校2年生…続きを読む
「なぁ、ピザって十回言ってみ」「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」「めっちゃ従順やん。いきなりなんやねん、とか言うやろ普通」「いや普通ノるやろそこは。なんで人を犬みたいに言うねん。お前こんな会話しとるからピザ十回効果なくなってもうてるわ。絶対膝って言う自信あるわ」「いや効果なくなってるなら肘って言うやろ。バリバリ効果ありやんけ」「遅効性があるってことやろ。ボンドみたいなもんやで。あれもじわじわと効果出てくるやろ」「例えがよくわからんねん。ほしたら、ボンドって十回言うてみ」「なにをボンドって再利用しとんねん。頭の回転早いところ見せつけんでもええねんで」「な…続きを読む
久しぶりにあなたを見た。あの日離した手は、別の誰かと結ばれて、くっついて、一つの生き物のように、形を作っていた。あの頃とは違う笑顔で、あなたはあなたの半身となるその人を見ていた。きっと、あなたはその人を泣かせたことはないのでしょう。もしもあったとしても、あなたの口は精一杯その人を慰めるために動くのでしょう。私たちはただ、出会うのが早すぎただけだ。「どうしたの?」「ううん。なんでもないよ」私は、あなた以外の人を、あなたを見るように見ようとしている。…続きを読む