「先輩、タバコとか吸うんですね」私、高橋梨佳が細く白い息を空中に吐き出したところで、教室のドアがスライドした。そして開口一番がこれである。私は持っていた缶コーヒーの空き缶にタバコを突っ込んで、入ってきた人物を見上げた。迫哲也、同じ研究室の2つ下の後輩。私は院の2年生なので、迫は学部の4年生になる。私たちの研究室は院生と学部生が混在して研究を行う。その中だけで言えば4年間の付き合いだが、たまに話をするくらいの仲だ。ただ時々まっすぐと、心の中まで視てくるような、迫の眼が私は少し苦手だ。「…一番見られたくない奴に見られた」「うわ、ひどいな」「本心だから言っただけ」「余計ひどいですよ」何を…続きを読む
毎週木曜日、午後5時15分。その時間が待ち遠しい。______________________________________図書室はいつも静かだ。静かでない時を数える方が難しいくらいだ。聞こえる音は、外から響いてくる吹奏楽部の金管の音色と、ページとページが擦れる紙の音。それくらい。それだけの音が心地よくて、志保は好きだった。「やっぱり、今日も綾垣さんが先だ」ガラリと志保が座っている図書室のカウンターの横の扉が開き、声がかけられる。「先輩、お疲れ様です」志保はその声の主、高瀬悠斗に頭を下げる。毎週木曜日は志保と悠斗が図書当番の日である。図書当番は、図書委員会に入っている生徒が…続きを読む
三階の一番端、地理資料室のベランダ。そこが、狭く自由な自分たちの世界だ。「よっ」「よー」先に来てスマホをいじっていた俺は顔をあげると、ジュースを片手に古山が来た。春の穏やかな風が古山のスカートをゆらゆらと揺らす。俺は少し横にずれて、古山のスペースをあけた。「どーも」「いーえ」「あ、それ今日発売のやつ?」「そうそう。朝コンビニで見つけて買った。食う?」「いただきまーす」新発売のチョコレートを口放り込んで、古山はもぐもぐと咀嚼した。小柄なせいでハムスターのようにも見える。「なー、4組ってもう数学やったか」「なに?エロせん?あれ?ゆいちゃん先生だっけ?」「江口先生、の方な。可…続きを読む
転がったビールの缶を指先で転がす。カラカラと転がったそれは、私の涙が染み込んだティッシュにぶつかって動きを止めた。明日は日曜日。休みだ。別にやけ酒しようが、何しようが関係ない。目をこすらない努力をしていたが、泣きつかれた頃にはその甲斐もなく、目元は赤くなっていた。それでも、いいのだ。明日は休み、明日は休み…。そう心の中で繰り返して、また缶をあける。テーブルに置いたままにしていたビールは温くなっており、飲み込むと特有の苦味が喉を通って、その苦さにまた涙が溢れてくる。もう何もかもが悲しみの何かしらのスイッチになっているようだった。 彼氏にふられた。付き合ってもうすぐ二年がたとうとしていた。年齢…続きを読む