「ただいまぁ」仕事から疲れて帰ってきた彼女は、玄関のドアを勢いよく開けると、そのまま僕の胸に飛び込んできた。夜の外は少し寒くなってきたのか、彼女の洋服からひんやりとした温度を感じる。「今日ね…」その言葉から始まるのは、いつも決まって会社の愚痴と少しの世間話。そんな彼女をなだめながら、僕は作っておいたご飯をテーブルに並べ、今日もお疲れ様と声をかける。ごちそうさまの後お風呂からも上がり、仕事で疲れている彼女はすぐにベッドに潜り込む。同じように僕も隣に潜り込むと、嬉しそうに抱きついてきて、「あぁ〜、癒される!」そう言って満足げな顔をする。そんな彼女を見て思わず笑みを浮かべた僕…続きを読む
17歳の春。私は不思議な体験をした。もしかして夢なんじゃないかと思ったけれど、確かに絵空事ではなかった。ちょっぴり甘酸っぱくて、嘘みたいで、ほんの一週間の出来事だけど心にちゃんと刻んである。あれはそう、高校からのいつもの帰り道だった。*****高校から私の家までは歩いて20分ほどの時間を要する。いわゆる田舎町の通学路では、青々とした草木の隙間から色を付けた花たちが顔を覗かせている。その道沿いを流れる川にもたくさんの命が芽吹いていることが見て分かる。生き物たちが溢れるこの道が私はとても好きだった。時々道沿いに目を落としながらも、その夕暮れに染まる道を一人歩いていたときだ。…続きを読む
来週のお題かぁ。個人的な趣味ですが、こんなお題でみなさんがどう表現するのかが気になるのでいくつか提案させていただきます。①『私にとってはこれが幸せ』普段の生活の中で他人に言うほどじゃないけど、少し幸せな気持ちになった。そんなフィクション、ノンフィクションを見てニヤニヤしたいです。②『ダジャレから始まる物語』「ふとんが…ふっとんだ」それを聞いた私は気がつけば走り出していた。こんな感じで、しょうもないダジャレから始まるショートストーリーを見てみたいです。くだらないダジャレに隠れた感動エピソードなんて、誰か考えてくれないかなぁと。③『空白の物語』このシーンどうな…続きを読む
物理室の一番右列の後ろから二番目の席、そこが私の定位置だ。私は物理が好きではない。過去の偉人が見つけた法則やらなんやらにロマンなんて感じないからだ。そんな風にかっこよく理由をつけてみたけれど、ただ単に難しくて分からないのである。相変わらず六限目の授業はスローモーションに進み、わずかに開いた窓から吹き込む夏風は私の眠気を誘った。それにしても、女子高校生の青春ってやつはどうしてこうも慌ただしいんだろう。部活に勉強に友達付き合い、そして恋愛は…まあそこそこに。特に何も考えず机にペンを添わせた私は、机に『疲れた』って書きこんだ。もちろんその言葉に特別な意味なんてない。授業が終わるま…続きを読む
小さな田舎町で育った僕は、東京という街に強いあこがれを持っていた。自分自身が成長するためには一度、東京のような街に行くべきではないかと。その念願が叶ったのは大学合格のタイミングだった。知らない土地に、知らない人たち。高層ビルなんて田舎では滅多に見ないから思わず空を何度も見上げた。「あいつ田舎者っぽいな」もしそう言われたとしても気にならない程に心は踊っていた。下から見上げた東京タワーは今まで見たどの建物よりも美しく見えた。都会にあるのにどこか懐かしいにおいがしたのだった。東京に来て数日が経った頃、帰り道に占いの看板を見つけた。これも何かの縁だと思い、思い…続きを読む
こんなにも多くの人がいるのに、誰一人隣の誰かに興味を持つことなんてない。ほらあそこには、忙しそうに電話するサラリーマン。あそこには、ヘッドホンから流れる音楽に包まれる男の子。どんな音楽が彼には流れているのかな。SNSをチェックするのに必死な女の子。そこには本当の世界なんてないのにな。何百万人という人がここにはいるけれど、みんなどこかでひとりぼっち。それぞれの世界に深く深く没頭している。そんな東京に憧れたのは紛れもない私だった。いわゆる小さな田舎町に生まれた私は、東京に強いあこがれを持っていた。いつか、いつか東京で生まれ変わった自分に出会えるんじゃないか…続きを読む
微かに開いた瞼の隙間からまぶしい光を感じる。昨日はゲームをしたまま眠ってしまったらしい。この春で高校生になったものの、これといった充実性は見いだせていない。部活で一位を目指すだの、勉強して良い大学に行くだの、僕にとっては何の価値も感じないものだった。適当に学校へ行って適当にやり過ごして帰ってくる。家に着いたら部屋にこもってゲームをする。これがいわゆる僕の青春ってやつだ。学校に行く準備を簡単に済ませ、昨夜からつけっぱなしだったテレビを消そうとする。画面には、適当に「ぺぺぺ」と名付けた”勇者”とヒロインの”エルフ”。勇者は先日倒した宝玉龍の装備を身に纏っ…続きを読む
東京タワーなんて見えない、ワンルーム7万円の小さな部屋。そこに二人は住んでいた。家の前の消えかかった街灯は、その足元だけを弱々しく照らした。君は何度も僕に尋ねる。「どうして私ばっかりこんな目に」「どうして私は幸せになれないの?」「どうして…どうして…?」君が"どうして?"と尋ねるたびに、答えは僕の心の奥に沈んでいった。どうしてって言いたいのは僕の方なのに。思えば二人の波形は初めから重なってなどいなかった。あの日。あの場所で。それは偶然に。瞬間的に。僕と君の一点が儚く深く交わっただけだった。君を何度も分かろうとしたし、…続きを読む
湿った音が街に響いている。折り畳み傘を取り出した僕は校門を出て、見慣れた帰り道を一人歩き出した。学校と家のちょうど中間くらいに、滑り台しかない公園がある。その公園で猫にエサをあげるのがいつの間にか日課になっていた。友達付き合いも上手くなければ、これといって勉強もできないし運動もできない。くしゃくしゃの髪にメガネ、そして平均的な身長が冴えない僕の人生を物語っていた。お昼に買ったパンの残りを握りしめて公園に入ったとき、真っ赤な傘の先客がいることに気付いた。同じ制服を着たその人は、学校でも人気がある先輩カップルの彼女さんだった。僕とは正反対の人だなぁ、そう思っては…続きを読む
日差しの強い、晴れやかな朝だった。彼が命を絶ったという訃報が届いたのは。彼は大学時代の友人で卒業して三年経つが、もう長らく連絡を取っていない。大学では二人で他愛のない話をすることが多かった。むしろ他愛のない会話こそが二人にとってのかけがえのない時間だったようにも思える。彼はよく哲学を語った。世界とは何か、人生とは何か。そんなことを空に問いかけては、また地面とにらめっこをした。彼は学生時代にこんな言葉を口にしたことがある。「どうして死ぬのは悲しいことなんだろう」「また哲学の本でも読んだの?」「まあそんなところ」彼は一度気になったら止まらない。…続きを読む