ちゃんと泣ける自分になりたかった涙の理由と出逢って素直に泣いてみたかった大粒の涙をポロポロこぼしてみたかったそんな願いを、カイは叶えてくれたのだ。それは突然の出来事だった。スイッチを押しても部屋の明りがつかない。夜はそこまで来ていて、もうすぐ私を包み込む。私は暗闇がこの世でいちばん嫌いなのだ。まだ、この部屋に引っ越して来てから日も浅い。電球が切れるなどという事態は、まだ私の日常に組み込まれていない。私は急いで電球を外し、トートバッグにお財布と携帯を投げ込み部屋を飛び出した。私は自転車で5分ほどの大きな電気屋さんへと向かった。あたりは暗くなりかけている。私は小走り…続きを読む
あの有名な愛が終わったニュースが大きな文字で報じられている。でもいくつもの無名の愛も、日々この街で終わっているのだ。車両に乗り込んで来た人が、中吊り広告を見上げて、必要な情報を心に貼りつける。今日は休日出勤の代休で平日に休みを貰う事が出来た。渋谷から半蔵門線に乗り、いちばん端の席から車内の様子を眺めていた。午前中に電車で、会社以外の場所に行くのは本当に久しぶりだ。少しすると電車は表参道駅に着いた。今、どうしているんだろう。拓は。心が自動的に、いちばん底にしまっておいた記憶をいちばん上に浮かび上がらせた。私は抵抗出来ずにあの頃と向き合わされる。拓と一緒に過ごした日々。…続きを読む
私の名前は擦り切れている。長い間リクに使われてボロボロになった。もう休ませてあげたかった。私の名前は、しばらく誰にも呼ばせない。ショッピングビルの2階にある本屋が、今の私の職場だ。私は今、正社員ではなくアルバイトとして世の中と手をつないでいる。命を維持するにはお金がかかる。大学4年初冬。私はリクと出逢い私の全部で恋をした。「獅子座流星群を見る会」という名の飲み会での事だ。誰かの部屋のベランダで、私は落ちて来る星を待ちかまえていた。リクに言わせると、私は睨むように空を見ていたらしい。確かに私は、星をひとつぶも取りこぼさずに願い事を、その光に乗っけてやろうと思うほどに何に…続きを読む
遅刻https://monogatary.com/story/186437…続きを読む
大学受験のために通い始めた週3回の塾。授業が終わると送迎バスが家の前まで送ってくれる。今夜もまた時間通りに私は家に届けられた。「レイ。早く家に入りなさい」見上げたベランダから声がかかる。私は月夜に洗濯物を干す父親と、恋に溺れて家を出た母親を持っている。リビングの扉を開けると、テーブルの上にはオニギリが2つ用意してある。「今日はどうだった?」パパのいつもの質問。ただその声はかなり疲れている。いつもなら「別に」と言って、さっさと自分の部屋に向かうが「いつもと同じだよ」と、いつもよりちょっと優しく言ってから自分の部屋に向かった。パパの世界にもいろいろあるんだ。中学3年の…続きを読む
「ねえ、前の彼女との最後のキスって今も覚えてる?」笹中芽衣が唐突に聞いてきた。「えっなんで?」そう聞き返しながら、記憶のどこかにしまいこんだ、その時の瞬間を探し始める。「そんな事聞いて、どうするの?」僕は、まっすぐな質問を斜めにずらそうと試みる。アパートのベランダで入社同期の笹中芽衣とふたりで夜の風にあたっている時だった。僕達は、今日会社の研修で初めて言葉を交わした。実はずっと前から、彼女は気になる存在ではあったのだ。笹中芽衣は、社内では感じの良い対応が出来る女性として好かれていた。僕は遠くから、彼女の笑顔に時々見惚れていた。そんな彼女が、帰ろうとしている僕のそばにやっ…続きを読む
愛してるって言葉は、心の中のいつもの場所にしまってあった。そして私は、あの夜もくちびるにのせてルイに渡そうとした。でも見あたらなかった。愛してるって言葉は、どこかに消えてしまったのだ。2週間前に、私は会社を辞めた。自分の体を自分でコントロールすることが出来なくなったからだ。夜、眠ること。朝、目を覚ますこと。ご飯を食べること。どれもが難しくなってしまった。哀しみのつきあたりを両手で探っていた長い日々は、苦しくてたまらなかった。だから、あきらめた。哀しみのおしまいを目指して、日々を生きることをやめたのだ。すると気のせいか、あたりは少しずつ明るくなっていた。ルイは大学を卒…続きを読む
何度、雨の季節の入り口に立っても、曇り空の日々の先に、陽射し眩しい夏の日々が必ずやって来る事を、僕は上手く想像出来ない。この時期の僕の心の温度はかなり低めだ。瑠璃がいつものようにテーブルにトーストと半熟の目玉焼きを並べてくれる。そして、2つのマグカップにサーバーからコーヒーを注ぐ。このコーヒーの香りで、今日も1日を始めようという気持ちになる。2年前、この部屋に暮らし始める時におそろいのマグカップを買った。恋人達が一緒に住み始める時のマニュアルの1行目に書いてある通りに。今、あの日買ったマグカップは僕だけが使っている。瑠璃のマグカップは、僕が手をすべらせて割ってしまったのだ。…続きを読む
学校には神様が何人か在住している。勉強の神様や、スポーツの神様などいろいろだ。当然、恋の神様もいる。恋の神様は、その学校に運命の相手がいる場合に、その2人を出逢わせて絆を結ばせる。その為のいくつもの偶然を用意するのだ。そして、神様の努力も虚しく結ばれなかった場合は、最後のチャンスを用意する。同窓会だ。この頃には神様もかなり手を抜いていて、再会はさせるが、後は勝手に2人でその後の運命を決めるが良いという態度を取る。私は大学を卒業してから、ずっとひとりで暮らしている。今年で30歳になる。最近私は一枚の葉書に悩まされている。中学の同窓会の案内の葉書だ。出席か欠席かのどちらか…続きを読む
あの日、私はこの世の端っこから飛び降りようとしていた。命を止めれば、哀しみも止まると思ったからだ。やめておいて良かった。命を止めなくても、哀しみは止まった。私は今日、駅ビルの2階の突き当たりにある歯医者にやって来た。右上の奥歯に痛みを感じたからだ。この歯医者の先生は、かなり腕が良いという評判の先生だ。患者を痛がらせずに治してくれるらしい。私は痛みに弱いのだ。予約した5分前に到着して、私は順番が来るのを待っていた。しばらくすると、背の高い男の人が入り口の扉を開けて入って来た。その人は、受付の方に目を向けて、待合室の椅子に座っている私には目もくれない。何故。今。ここに。…続きを読む