「おまえ、何歳なんだよ」 男が僕に訊いてくる。顔は見えないが、見知った人間でないことはたしかだ。僕から見えるのは彼の後ろ姿だけだ。よれた白Tシャツの背中には、グレースケールで外国人男性の顔が大きくプリントされている。ところどころプリントがはがれている。Tシャツの襟から覗く、日焼けした首。癖の強い黒髪は伸びきっていて、うしろで乱雑に束ねられている。パーマをかけているのか生まれついてのくせ毛なのかわからないが、美容院で手入れをしているようにも見えないのでおそらく後者だ。顔が見えないので年齢を推測することは難しいが、声を聞く限り、特に幼い感じはないし、そこまで歳を重ねている雰囲気もない。僕と同じく…続きを読む
山本みなみは、東京メトロ半蔵門線渋谷駅のホームにいた。アナウンスが流れ、薄紫色のラインが入った電車がホームにすべりこんでくる。 今日の目的地は日本武道館だ。彼女の敬愛するアーティストのライブが開催される。山本みなみはわくわくしていた。それと同時に、九段下駅への到着がすこし怖くもあった。このわくわくも、数時間後には終わってしまう。なんてことだ。このままずっとわくわくしていたい。終わるくらいなら始まるな。いっそのこと、九段下になんて一生着かなければいい。山本みなみは目の前で停車した電車を見ながら、そう思った。 ホームドアと車両のドアが同時に開き、山本みなみは押上(スカイツリー前)駅行きの電車…続きを読む
駅前の書店で、ジョン・トラボルタと目が合った。終業後の帰り道、寒さから逃れるためにふらりと立ち寄った書店。棚に置かれた映画雑誌の表紙で、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』の主人公「トニー」に扮した若き日のトラボルタが、左手の人差し指を高く掲げたあの有名なポーズをきめていた。あのころ私が使っていたスマホの背には、その表紙の写真とまったく同じデザインのステッカーが貼ってあった。なつかしさのあまり、私はその雑誌を手に取った。 来春公開予定の映画、映画好きの芸能人のコラム、渋谷に新しくできたおしゃれなミニシアター。映画に関する雑多な情報に視線をすべらせていく。と、最後のほうのページで視線が動か…続きを読む
「小説って、全部嘘のはなしなんだよな」 読んでいた文庫本を閉じて、翼(つばさ)が微笑む。私たちは行きつけの喫茶店で、それぞれ違う本を読んでいた。私たちが座るのは、いつも決まってこの窓際の席。レースのカーテンのかかったレトロな出窓からは、やわらかな西日が差している。「これが全部、人間の想像力だけで作られてるだなんて」 翼はそう言いながら、読み終えた文庫本をしみじみと見ている。しばらく表紙と裏表紙を交互に眺めたあと、ふっとこちらに顔を向けた。「想像力ってほんとすごいよな。それさえあればなんにでもなれるし、どこにだって行ける。人間が自由に空を飛ぶことだってできる」 そう話す彼の目…続きを読む
追突された。拓斗がそう気がついたのは、後方からの衝撃でハンドルに頭をぶつけそうになった、その瞬間の十秒ほどあとだった。最寄りの競艇場から自宅——正確にいえば優香という女の家——へと帰る途中、赤信号で停車していたところに、うしろから突っ込まれた。衝撃で車が交差点へと飛び出しそうになり、拓斗は慌ててブレーキを強く踏んだ。目の前をトラックが通過して、冷や汗が出た。そこでようやく追突されたことを理解した。 一歩間違えたら死んでたぞ。これは金になるかもしれないな。このふたつの思いを胸に、拓斗は路肩に車を寄せ、ドアを開けて外に出た。すると追突してきた赤いコンパクトカーも拓斗の車に続くようにして停車した…続きを読む
「私の名前がルイだから、きみの名前はウェインにしよう」 そんなよくわからない理由で生涯使う名前を決められたのは、ルイの部屋に連れてこられてすぐのことだった。元々私には違う名前があったが、別に名前なんてなんでもいい。好きに呼んでくれたまえ。「ふたり合わせてルイス・ウェインだね」 ルイはうれしそうに言い、私の頭を撫でている。「ルイス・ウェイン? なにそれ」 私はルイの膝の上で彼女の顔を見上げながら言った。ルイは私を抱いたまま立ち上がり、棚から大きな本を出してきた。「ウェインも見る? きみの名前の由来になった画家の画集」 ルイが正座で座り、床に本が開かれた。「私の憧れの画家だよ。猫ば…続きを読む
どれだけ疲れていても、どれだけ悩んでいても、大きなお風呂にゆっくり入ればなんだかいろいろとどうでも良くなってくる。だから私は、銭湯がとっても好き。 今日も来た。誰にも邪魔されずに良いお湯を堪能したいから、ともだちと一緒になんて絶対に来ない。それと、もし知り合いに会っちゃったりしたら最悪だから、私の行きつけは、自宅から車で小一時間離れたところにある銭湯だ。だって銭湯で知り合いに会うって、地獄じゃない? ゆっくりできないし、恥ずかしいし。本当に最悪。 でも今日は、近所に新しくオープンした銭湯に来ている。銭湯が好きな、っていうかもうこれはたぶん、銭湯に行くのが唯一の趣味って言ったほうが良い…続きを読む
ラーメン屋の経営はキツイから絶対にオススメしないよって言われていたけれど、それでもどうしてもやってみたくて、周囲の反対を押し切って店を出した、はいいものの、やっぱりラーメン屋の経営は本当にキツイ。マジでお客さんが来ない。この店は、あとどれくらいもつのだろうか。今日も、お客さんは一人も来ていない。もうお昼時もすっかり過ぎてしまった。 オレは厨房のイスに座って頭を抱えた。もう、終わりか。カッコ悪いな、オレ。 そんな時だった。「すみませーん」 女の子がひとり、店の入り口に立っていた。高校生くらいだろうか。無地のパーカーにシンプルなデニムを合わせたその姿は、ユニクロの広告を思わせた…続きを読む
ベランダから見えるものは、青い空と、向かいのアパートの洗濯物、そしてゆりの直売所と、畑、細い道を通る自動車。そのくらいだ。細い道を通って少し進めばスーパーがあるけれど、ゆりの直売所と向かいのアパートに遮られえて見えない。 私は今日も、ベランダでマルボロを吸っている。冬の終わりの澄んだ空に向けて煙を吐く。田舎は空気がおいしい。「禁煙すると空気が美味しくなる」と言うけれど、あれは嘘だろう。マルボロの煙を吐き、それから吸い込むここの空気はとてつもなくおいしい。 かの有名なおばさんが代表を勤めるエステサロンで働いていた期間は、このマルボロとはお別れしていた。有名なおばさんはとてもうるさかった…続きを読む
MUSIC LIFE 2021年4月号 RICCAのすべて ~『右側』から『終わらないLOVE SONG』までの軌跡~ (17ページから20ページ)〇お久しぶりです。前回インタビューをさせてもらったのは、半年前くらいだったかな。今日はよろしくお願いします。 「よろしくお願いします!」〇今日は、ニューアルバム『夕焼け色のラブソング』のリリースを記念して、RICCAがデビューしてからの5年間を全て話してくれるということで。 「はい。すべて話します。私自身の話なんて、需要があるのかどうかわからないけど(笑)」〇みんな聞きたいと思うよ。デビューシングル『右側』で彗星のごとく音…続きを読む