この街は不安定だ夜が訪れるとあちこちで悲鳴があがる人々は聞こえない振りをして足早に立ち去るある人はイヤホンで両耳を閉じてある人は慌ててタクシーに飛び乗って僕も同じく通りすぎるつもりだったが悲鳴の方向に落ちている小さな熊のぬいぐるみと赤いエナメルの靴を見つけてしまったはぁ……ため息くらいついても良いだろうこのあと待っている面倒な展開を思うと本当は煙草を一服したいくらいだカラスがうるさく鳴くほら、呼んでるよと言わんばかりに他人事だと思って苛つく胸ポケットから渋々サプリを取り出すあえてサプリと呼ぶことにしている錠剤という点では所詮紙一重だ違う点と…続きを読む
夜のあと 朝があり。ふんわりとした薄紫の霞がかかる雨上がりの朝、町一番の大きな屋敷から、背中を丸めた一人の男が静かにそっと出てきた。くたびれた帽子を目深にかぶり、腫れた赤い眼を上手に隠す。手にはこれまた古びた旅行鞄。荷物はたっぷり入っているが、男のこの先の人生を案じたら、中身はあまりにも頼りなさすぎた。もう片方の手にかたく握りしめていたのは一枚の切符で、帰りの切符なんて持ってなかった。--------「無かったことになんてしないで」彼女のことばを直に聞けたのはこれが最後だった。 正確には寝言だったのかもしれないけど、たぶん一生忘れられない。最後の言葉だから噛み…続きを読む
雲に貼られた辞令を見て、大きな溜め息が出た。【辞令】○○殿2021年3月を以てお天気の神様《雨》に任命する何度見直しても、そこに書いてあるのは自分の名前で。 キャリアとして、そろそろ異動はあるだろうと覚悟はしていた。だがしかし、よりによってお天気の神様、よりによって雨担当とは。神様と言えど、お天気はなかなか思うようにいかないと聞く。辛い任務である。体力も根気も必要で、24時間フル稼働。あちらを立てればこちらが立たぬし、お願い事も多ければ、クレームも果てしない。ままならない辞令に、神様の願いって、誰が叶えてくれるんだろうなんて考えながら、…続きを読む
あら、お父さんおでかけ? 「...梅の湯行ってくる」梅の湯?だめよ、銭湯なんて! 「大丈夫だよ、ちゃんと気をつけて行ってくるよ」気を付けるたって限度があるでしょ、 「ギリギリまでマスクと眼鏡の完全装備で行くさ」桶とか椅子とか...「それも完全装備、持参していくさ」でもお湯とか... 「いつもより熱湯だし、いつもより泡立てて洗って、菌殺せばいい」お友だち同士、会ったらおしゃべりしたくなるでしょ 「みんなで黙って耐えるさ」 体調悪い人いたら感染しやすいのよ 「入り口を守るのは番頭の仕事だ」でも、、、「緊急事態はずっと続いてんだ。今俺ら客が…続きを読む
私は、好きな人には臆病になる。高校生のとき、好きな人ができた。隣のクラスの男子。きっかけは本当にささいなこと。清々しい桜の朝、目の前にはドミノ倒しになった自転車、犯人は私。もうすぐチャイムが鳴るからと慌てて駆けてく人の中で、一人だけ駆け寄ってきて黙々と直してくれた。終わりに、ありがとうと言ったら、小さく頷き玄関に駆けていった。名前は知らない。でも自転車に貼られたステッカーで同じ学年だと知った。気だるい猛暑の昼、球技大会の体育館は蒸し風呂状態で。それでも一際爽やかに目を惹く姿があった。楽しそうに嬉しそうに目尻をシワシワにしている横顔。元々バレー部だったん…続きを読む
「早起きは三文の徳」って言うから三文がいくらなのか気になって、起き抜け早々検索をする。レートは諸説ありだけれど、だいたいで言えば100円ぽっちですって。とは言え、一週間で700円。1年間で、36,500円。80数年で、3,000,000円。なかなか捨てたものではない。「朝茶は七里戻っても飲め」とも言うから七里がどのくらいなのか気になって歯磨きしながら検索をする。一里は大体4㎞らしい。つまりはおよそ28㎞ですって!比較対象になるのかならないのかだけど、山手線の一周が約40㎞。そんな距離戻ってまで飲めと言うなら、さすがに先に飲もうって思いました。朝飯前に…続きを読む
寒い朝朝ごはんの最後に、母がトンっと置いてくれる温かい飲み物が好きだったこっくりとしたココアとかレモンの砂糖漬けスライスの入った白湯とか苺ジャムがとろけた紅茶とか眠気眼でトーストをかじりながら何気なく母がいるキッチンを覗き鍋で茶葉をじっくり煮出している光景を見つけると「お、今日はチャイラテだ」とご機嫌になってくる甘さと優しさが身体に染み渡り行ってきます!と元気に寒空に出掛けていける社会人になってからの朝は低血圧も相まって 益々持って不機嫌でせっかく作ってくれた朝食を「今朝は卵ちょっと無理」とか「急いでるからいらない」とかそそくさとテーブ…続きを読む
大事な話をするときは、相手にとって悪影響にならない時や場所を選ぶことが、最低限のマナーであり、エチケットだと思う。言う側にとっては長く準備を進めてきたことだとしても、聞く側からすれば、寝耳に水のことかもしれない。殊に、一方的な別れ話などというときは、慎重に慎重を事を重ねるべき、非情にデリケートな案件だ。どちらかの自宅でするには忍びない、自分のテリトリーを壊されるのは嫌だし!相手のテリトリーで好き勝手されても太刀打ちできそうにないからと、迷ってしまうのは仕方がないので、やはりどこか程よい場所を探して、一対一で向き合うべきだと思う。静かすぎず、かと言ってうるさす…続きを読む
「幸せを返して」遠くに聴こえる話し声をよそにぼんやりと考えるはあ、幸せってなんだっけ?唯一差し入れられた暇潰しの、何度と見たページを思い出す「幸せ」幸 漢字 由来・手枷をつけられた人・若死にをまぬがれた人首枷でもなく、銅枷でも、足枷でもなく、手枷だけで、済んだこと。重い刑罰を受けず済んだ、すなわち運が良いこと。手枷だけで済んだこと。手枷だけで済んだこと。何か言いたいことは?と問われ、「ああ、そうか」ポンッと手をたたく。納得。そうか、ならば私は幸せだ。灰色の柵に…続きを読む