私は知っている。あなたが今どこにいるのかを。同棲を始めて3年。最近彼の様子がなんだかおかしい。携帯を見てニヤけ顔を浮かべているし、帰りは遅いし。私に構わなすぎだって怒っても相手にしてくれない。横に彼女がいるのに本当にお目出度い人だと思う。根っから恋愛気質な私には理解できなかった。こういう心が狭いところが嫌われるのであろう。心がざわざわする。すると、お約束のように遠くの方で彼の携帯が鳴った。彼はいない。今なら見れる。端ないほどの集中力で画面に目をやる。勘が冴えて悔しいくらい、予想は的中した。空っぽな頭で、指を作業的に動かす。いつの間にか偽善的な笑みで溢れた。私が知らない…続きを読む
2020年、ウイルスにより、マスクを付けることが義務化された。政府の法令につき、付けない人は懲役2年と決まっている。だけど街にはそんな事態でも楽しもうとする個性あふれる色たちで溢れ返っていた。無個性な不織布のマスクを口に重ねる。静かで退屈な世界はもうとうに飽きていた。朝日がキラキラと鬱陶しくまとわりつく。...学校行くの嫌だなあ。私は話すのが苦手だ。相手の話を聞くのももちろん。だって聞こえないんだもん。2、3年前から私は突然に耳が聞こえなくなった。だから話を聞く時は口の動きを見て読み取るようにしている。一生懸命話に参加しようと。でも、マスク生活だとそれが出来ない。そ…続きを読む
「眠ったばかりなので、そっとしておいてくださいね。」すれ違いざまに部屋から出てきた女性の、ふわっと香るフレグランスが鼻を刺激する。コツコツとした足音がろうかに響き、彼の心音とリンクした。広い部屋にポツンと一つ大きなベット。殺風景な部屋だ。私は荷物をその辺に置き、彼の側に駆け寄る。そして願うように手を包んだ。じんわりとした温かさが伝わってくる。ぎゅっと握ってみた。返事はない。当たり前か。今はまだ眠っているもんね。ここ最近、彼は何度も目覚めては眠り、目覚めては眠るの繰り返していた。長く起きている時もあれば、突然、体のスイッチがふっと切れたかのように眠り続けてしまう。そして大…続きを読む
信号待ちの交差点、見覚えのある黒くて長い髪の女性が目の前を横切った。「あっ。あの...」とっさに声をかける。涼しげなワンピースが風に乗ってふわりとゆれた。やっぱりそうだ。一瞬の出来事ではあったが、声をかけたその女性は紛れもなく中学時代の同級生だった。彼女と話したことはない。だけど物静かで目立たない性格とは裏腹に、華やかで整った容姿をしていたので俺ら男子の中では密かに人気があった。「今仕事帰り?」「うん。」突然話しかけられてもあまり動揺していない。俺のことを覚えているのかも。さすが学年きっての秀才だったこともある。「俺も帰りなんだけど、今から居酒屋でもどうかな?あの.…続きを読む