「橙」は「だいだい」で、ざっくりいえばみかんのことだ。 だから、だいだい色っていうのは、オレンジ色のことで、日本語でも英語でも同じだって気付くとちょっと感動する。言葉には不思議とそういうところがあって、全然似ていない言語だったり、文化だったりするのに、なぜか同じような表現を持っていたりするのだ。 色の場合、不勉強なこともあるのだけれど、他には思い至らない。英語を不勉強なせいもあるのだろうけれど、英語の色をあらわす単語が何か名詞であるイメージがないのだ。 というのも、日本語の場合、赤、黒、白、青の4つだけが、古来からある色をあらわす単語なのだ。 赤は「明かし」。形容詞は「~し」…続きを読む
私のそばに母はいなかった。 それが私の記憶。 いつも一人。 保育園も学童もお迎えはいつも最後。学年が上がると家で一人帰りを待つ。洗濯物を取り込み、宿題と明日の準備をして、掃除して、食事して。 一人で何でもできるようになって母の帰りはまた遅くなりました。 父が亡くなったんだから仕方がない。 スイミングや英語も通いました。お金が十分あるわけじゃないけれど、それを理由にして何かができなかったことはないし、遠慮したこともありません。「好きにしなさい。」 それが母の口癖。 高校受験をする時も、私立高校を考えました。「一番行きたいところに行きなさい」と母が言うから私立の進…続きを読む
「『メロスは激怒した。』って物語が始まるんだけど、唐突なんだよ。」 飲んだワイングラスをどんと置く。唐突に激怒してんのお前だろ。まあ、こいつが興奮してるのはそれはそれで楽しいけれど。 映画の後入ったイタリアンレストランでの夕食も終わり、映画の話もほどほどに「走れメロス」についてこいつは語り出した。さっき観た映画が太宰の物語だからだ。国文科で文学オタクのこいつが喜ぶのは十分想像できる。だからこそ私はこいつを映画に連れ出すこともできたんだけど。「メロスは、勝手に激怒して勝手に城に乗り込んで王を殺そうとして捕まるわけ。普通考えるでしょ?『王は人を殺します』って聞いて王殺すってお前は何者なん…続きを読む
「ちょっと報告がないんだけど。」 いきなり彼女は上司につかまった。「えっ、昨日、私が彼女からメールで報告受けたあと、そのままお話したと思うんですが…」「あのさ、私が聞いてないって言ってんだからさ、それは報告したうちに入らないの。言ってんじゃない。とにかくちゃんと報告してって。こういう大事なことをさ、後から耳に入れられても困るの。その場、その場で対処していかないと…」「はい、すいません。」 間違いなく報告したのに…という言葉をぐっと飲み込み、彼女は仕事に戻ろうとする。それを引き留めて、上司の攻撃は続いた。そもそも問題を起こしたのは彼女ではなく、同僚。その一報が彼女に届いてしまっただ…続きを読む
人生はいつも平凡で、ドラマチックでないはずの僕らは、実はいつも劇的な三角関係の中を生きている。 一人で映画を観た帰り、駅前のビアホールに立ち寄ってグラスをかたむけながら僕はあらためてそう思う。映画の中の切ない恋の物語と自分の凡庸な人生を比較する。喉を通るビールが心地よい。誰からも視線を向けられず、ただ一人ビアホールでビールグラスを傾ける自分の方が、映画で出てくるような切ない三角関係の中にいるなんて、誰が想像するだろう。 意外かもしれないが、平凡で、凡庸で、常に端役のように人生を生きている僕たちこそが、常に劇的な三角関係の中にいるのだ。 あまり知られていない、人生の真理。 想像…続きを読む
この映画「お兄ちゃん2」の製作が決まったとき、「私は正気か」と声をあげた。 それは、大人気映画「お兄ちゃん」の続編が観られるという喜びであり、そしてあの面白さを超える作品が作ることが可能なのか、という疑問である。そして、前作の、あの感動的なラストシーンをどのように工夫して、今作「お兄ちゃん2」につなげていくのかという疑問であった。 前作「お兄ちゃん」は言うまでもなく、久しぶりの大ヒット映画であった。子供から大人、それこそ高齢者までが楽しめる国民的映画と言っても過言ではない。もちろん、それぞれが感動するポイントは違うにせよ、ここまで老若男女が観た作品は、振り返ってみてもないのではないかと…続きを読む
その時、ハルカの目から涙がこぼれた。 それに気づいて僕は反射的に、「どうしたの?」と聞いてしまう。 本当は聞かない方がよかったかもしれないのに。でも、もう遅い。思わず口にしてしまった。本当に僕は迂闊なのだ。「ううん。なんでもない。カズユキさんには、関係ないの。」とハルカは笑顔を見せる。 でも、言葉と笑顔とは裏腹にその目からは確かに、涙がこぼれ続ける。「あれ?本当に私、どうしちゃったんだろう。」彼女はつぶやく。 なんていうことのないクラゲが漂う、その水槽の前で、彼女は泣いた。まるで言葉として口から吐き出せずに堪えていた思いが、思わず目からこぼれてしまったように。彼女の思いと…続きを読む
こうえんのまえのどうろをはさんだむこうがわに、たんぽぽがはっぱだけのすがたで、ひとりたたずんでいました。 なつのあいだたんぽぽは、ほかのくさにかくれていてみつけにくいけれど、あきがやってきてほかのしょくぶつがかれると、たんぽぽはひとりだけさむさにたえていきています。 そうして、ひとりでおひさまのひかりをあびます。 さむいふゆのあいだ、たんぽぽはひとにふまれながら、いっしょうけんめいいきています。 どんなにつらいことがあっても、しっかりとねをはやしてたえるのです。 ねさえしっかりはえていれば、たんぽぽはつよく、しっかりといきられるのです。 たくさんのつらいことをのりこえて、や…続きを読む
自由と活気のあふれる、渋谷の商業施設。多くの若者たちが買い物を楽しんでいる。あなたは立ち止まり、ぼんやりと白いパネルを眺めている。後ろから男が声を掛けてくる。男 「こんなに平和なのに、世界の遙か彼方では戦争をしているんですよ。信じられないですよね。ここはこんなにも平和で、日常で、いつも通りに動いているっていうのに。この白いパネルだって、きっと明日には新しい映画のポスターが貼られるんです。」男、買い物袋を提げている。あなた「何、買ったの?」男 「核シェルターです。持ち運び可能のね。ちょっと高かったし、本当に使えるかわからないけれど、それでも持っておくにこしたことはありません…続きを読む
バレンタインデーにチョコレートをもらうことが一大イベントだったのはいつの頃までだろう。少なくとも自分が学校というものに通っていたころはそれなりの意味を持つものだった。例外なくチョコレートは男子から女子へ贈られ、もちろんそれが「義理」であるかどうかという認識はとても重要だったにせよ、バレンタインデーというのは男子が、自分には全く縁のないイベントだということをどれだけ認識していても、それなりに期待と不安に胸を躍らせて、そして何事もない、昨日までと同じ一日を終える特別な一日だった。 でも、自分が高校生の頃にはそんな雰囲気はなぜか消え失せて女子同士が手作りのお菓子をばらまき合うイベントに変わって…続きを読む