「〆」が漢字であることを知っていますか? 「〆」は漢字です。なんだか、そのまま見ると、行書というか、記号というか、なんだか漢字には見えませんが漢字なんです。なぜ、漢字かといえば、読みが決まっているから。もちろん「しめ」です。漢和辞典にも普通に載っています。 辞書によると、占いを表す「卜」という漢字をくずしたもののようです。うらなってしめる、ということでしょうか。そして、それは「シメ」の「メ」の字に形を似せています。そして、その形は、ひもを結んだかのようにも見えます。そして、それを「しめ」と読ませる。 うまくできた漢字だと思いませんか? 僕は、この漢字が芸術のようにさえ、感じます。だ…続きを読む
「うわあああああ」 さっきから、通勤電車の混み合った人たちの中で、子どものぐずる声が止まらない。ベビーカーに乗せられたその子からすれば、窮屈な車内で、お母さんに抱っこされることもできず、周りの景色を見ることもできず、しかも目の前には、見知らぬ人の足があるわけだから、ぐずりたくなるのもわかる。 大人のこちらだって、ぐずりたくなるような状況なのだから。 満員電車、ラッシュアワーというほどではないが、それでも、狭くて、圧迫感があることには何ら変わりない。そこにベビーカーを持って乗ってきた母親は、子どもがぐずる度に、いたたまれないような表情を浮かべて、必死にご機嫌をとろうとする。ただ、子どもはそ…続きを読む
古典、中古と呼ばれる平安時代において、朝は別れの時間だった。 貴族の女たちは、家から出ることなく、ひたすら、男の訪れを待つ。一夫多妻制だから、いくら結婚しても、男が自分のもとを訪れるとは限らない。彼女たちにできることは、訪れがないことを恨む歌を詠むくらいで、なんとか、その琴線に触れて、男が自分のもとを訪れるように待つしかなかった。 「蜻蛉日記」を書いた、道綱母の、百人一首にとられた歌は、 嘆きつつ独り寝る夜の明くる間はいかに久しきものとかは知る(あなたが来ないことを嘆いて、ひとりきりで寝ている夜が明けるまで、あなたが来るのではないかと待っている時間は、どんなに長いか、あなたはご存…続きを読む
彼女は今日、白いウェディングドレスを着て、結婚式に臨んだ。 彼女の母親は、黒留袖、父親はモーニングをレンタルして、この式に出席している。披露宴の最中、彼女の両親は、主賓のテーブルや友人のテーブルをビール瓶を持って回り、お礼を言っている。彼女は高砂に新郎と並んで、友人たちの祝福を受けながら、横目でその様子を眺めていた。 こんなに幸せな日が来るとは想像できただろうか。いや、自分がこんなに幸せな瞬間を迎えるなんてイメージできただろうか。 ありとあらゆるタイミングが自分を中心に回っていく。すべての人が自分に視線を投げかける。ありとあらゆるものが自分を祝福してくれているようだ。かけがえのない、…続きを読む
近所のフィットネスクラブには、優秀な水泳のコーチがいる。過去の優秀な選手の実績があるわけでもなく、優秀な選手を輩出するわけでもない。ただ、間違いなく、泳ぎのうまくない人たちをあっという間に、ある種のコツをつかませていく。だから、そのフィットネスクラブの会員たちは、彼が受け持つ水泳講座になると、大挙して彼の教えを請おうとする。実際、僕もこの講座を受けるために30分前に整理券をもらわなければいけなかったくらいだ。でも、その時だって、もう数人のおばあさん達が待っていた。 このように彼は優秀で、人気のコーチだったが、そこには大きな問題があった。 彼はカワウソなのだ。「いいですか。お腹にぐっと…続きを読む
今日は、近くのマクドナルドにPCを持ち込んで仕事をする。一杯100円のコーヒーを頼む。とりあえずはそれだけ。後で、時間をつぶすために、追加をする予定だけれど。今日、ここを選ぶ条件は、WIFIがつながること。となるとファミリーレストランか、近くのショッピングモールにあるカフェか。でも、近くのショッピングモールは、モールの無料WIFIだから、店の中に入るとつながりにくい。そう考えると、コストパフォーマンスからしても、マクドナルドがよくなる。 仕事をする場所を探すために、その内容に応じて、僕は場所を探す。受験生じゃないけれど、一杯のコーヒーで、何時間も粘られることは店にとって必ずしもいいことでは…続きを読む
「うわああああ」という大きな泣き声が響く。 こうなったら、もう、僕にはどうしようもない。彼女にとっては、世界の終わりがやってきたのだ。「しょうがないだろう。お母さん、仕事なんだからさ。」と慰めてはみるが、それは彼女の耳には届かない。目覚めて、彼女が自分の母親がいないことを訴えるためには、ただ、泣き叫ぶしかないのだ。「お母さんは、がんばって働いてるんだから、今日はお父さんでがまんしてよ。」 そう声をかければ、かけた分だけ、違う、とでもいうように、彼女の泣き声は、また一段ボリュームがあがる。 もう、これは手に負えない。 そうは思うが、だからといって、彼女にかまえるのは、残念ながら自…続きを読む
ヒロはここに来るまですれ違った高校生を見て思わず、「そうだ、文化祭の季節だな」 と呟いた。 そういう彼が訪れたのはどこにでもある都内のファミリーレストラン。ヒロはここを集合場所に選び、そして今、このファミリーレストランのドアを恐る恐る開けて入っていく。どんなにそっと入ろうとしたところで、入ってきた彼を感知して、客の来店を告げるチャイムが鳴る。本当は、もう少し入り口でみんなが集まっているか確認してから入るつもりだったのだが、ファミリーレストランのチャイムは、そんな猶予を与えずに客を迎える。そのチャイムを聞いた瞬間、こっちを確認されたらどうしようと思わず下を向く。だいたいみんな忙しいんだか…続きを読む
「お父さん、今日、受かったらさ、このケーキが食べたい」 小学生になる娘の声で、振り向いた画面には、自分の勤務先付近のケーキ屋が映し出されていた。娘も小学生だから、駅の名前が彼の勤める会社の駅と同じであることに気づいたのだろう。実際、前を何度か通ったことのあるオシャレな人気店で、混んでいる時には行列しているのも見かけたことがある。その店のスイーツをモデルのような女の子が自宅のような場所でおいしそうにほおばっていた。 ロケもきっと制約があるんだろうな、と彼は思った。彼の娘は今日、スイミングクラブの進級テストを受ける。娘は毎週、彼の仕事が休みの水曜日に通っていたから、彼もたいてい送りがてら見学に…続きを読む
仕事から帰ってくると、テレビをつけてその音を聞きながら料理をすることが日課になっている。結婚して家事の中でも料理は多少分担していたから、学生時代まで実家で過ごした彼は、その後少しは料理ができるようになっていた。 料理はストレスの発散にもなる。手順を考え、組み立て、準備して形にする。しかも、それをおいしいと言って喜んでもらえる。作品を作り上げていくような喜びがある。 しかし、今は単身赴任で誰も彼の料理を食べてくれない。作る喜びが半減したから、単身赴任になってから、しばらくはスーパーの半額シールのついた惣菜や弁当ですませることが多かった。毎日、外食するような余裕はない。 最初のうちはそれで…続きを読む