「うわああああ」という大きな泣き声が響く。 こうなったら、もう、僕にはどうしようもない。彼女にとっては、世界の終わりがやってきたのだ。「しょうがないだろう。お母さん、仕事なんだからさ。」と慰めてはみるが、それは彼女の耳には届かない。目覚めて、彼女が自分の母親がいないことを訴えるためには、ただ、泣き叫ぶしかないのだ。「お母さんは、がんばって働いてるんだから、今日はお父さんでがまんしてよ。」 そう声をかければ、かけた分だけ、違う、とでもいうように、彼女の泣き声は、また一段ボリュームがあがる。 もう、これは手に負えない。 そうは思うが、だからといって、彼女にかまえるのは、残念ながら自…続きを読む
ヒロはここに来るまですれ違った高校生を見て思わず、「そうだ、文化祭の季節だな」 と呟いた。 そういう彼が訪れたのはどこにでもある都内のファミリーレストラン。ヒロはここを集合場所に選び、そして今、このファミリーレストランのドアを恐る恐る開けて入っていく。どんなにそっと入ろうとしたところで、入ってきた彼を感知して、客の来店を告げるチャイムが鳴る。本当は、もう少し入り口でみんなが集まっているか確認してから入るつもりだったのだが、ファミリーレストランのチャイムは、そんな猶予を与えずに客を迎える。そのチャイムを聞いた瞬間、こっちを確認されたらどうしようと思わず下を向く。だいたいみんな忙しいんだか…続きを読む
「お父さん、今日、受かったらさ、このケーキが食べたい」 小学生になる娘の声で、振り向いた画面には、自分の勤務先付近のケーキ屋が映し出されていた。娘も小学生だから、駅の名前が彼の勤める会社の駅と同じであることに気づいたのだろう。実際、前を何度か通ったことのあるオシャレな人気店で、混んでいる時には行列しているのも見かけたことがある。その店のスイーツをモデルのような女の子が自宅のような場所でおいしそうにほおばっていた。 ロケもきっと制約があるんだろうな、と彼は思った。彼の娘は今日、スイミングクラブの進級テストを受ける。娘は毎週、彼の仕事が休みの水曜日に通っていたから、彼もたいてい送りがてら見学に…続きを読む
仕事から帰ってくると、テレビをつけてその音を聞きながら料理をすることが日課になっている。結婚して家事の中でも料理は多少分担していたから、学生時代まで実家で過ごした彼は、その後少しは料理ができるようになっていた。 料理はストレスの発散にもなる。手順を考え、組み立て、準備して形にする。しかも、それをおいしいと言って喜んでもらえる。作品を作り上げていくような喜びがある。 しかし、今は単身赴任で誰も彼の料理を食べてくれない。作る喜びが半減したから、単身赴任になってから、しばらくはスーパーの半額シールのついた惣菜や弁当ですませることが多かった。毎日、外食するような余裕はない。 最初のうちはそれで…続きを読む
目覚ましがなくても勝手に目が覚める。小さい頃から別に用意周到なわけではなく、むしろ、いつも親に起こされていた。でも、仕事をしはじめてからはそうはいかない。顧客との打ち合わせ、プレゼン資料の作成、昨日返事したメールがどう伝わったか気になる毎日。スマートフォンが鳴れば何かの呼び出しかとおびえ、鳴らなければ鳴らないで、何かミスして仕事がとんでいるんじゃないかと気になる。 自分が思い描いていたのとは違う形で、大人になり、朝、目覚めてしまう自分になる。疲れていないわけじゃないから、ソファーからクッションをとりあげて床に寝ころび、昨日脱いだままにしていたコートを体にかける。でも、寝る気にはならない。…続きを読む
「過去の中で、私はいつも中心にいたのだと私は気づいたのです。そして新しい現在に、新しい関係を私は求めようと私はあがいていたのかもしれません。」 カズ、コウ、チエ、ハルは高校の同級生。高校の時の文化祭で、なぜか4人で演劇をするはめになった。卒業後4人は会う機会もなく、それぞれ別の生活をする。それぞれが大学に進み、そして就職した後、コウが倒れたという知らせをきっかけに、4人は彼の病室で再会する。チエとコウは卒業後、大学で再会し、一時期、付き合っていた。高校の時から、ハルもカズも、二人のそうなるだろう関係をなんとなく感じ取っていた。4人が久しぶりにそろった病室で、高校の時からコウに憧れていたハ…続きを読む