代官山町に訪れたのは、これが初めてでした。 友人と喧嘩して渋谷を飛び出して、東横線で帰宅しようとしたけど、胸のモヤモヤが収まらないまま家に帰るのも何だか嫌でした。気分転換に散歩しよう。そう考えているうちに、わたしは駅に降りていました。 渋谷とはまた違う、大人な雰囲気。カフェや洋服屋から出入りする人達は、みんな洒落ていてキラキラしている。容姿だけ大人で中身は子供っぽい、そう言われるわたしにとっては、何だか似合わない空間でした。 劣等感に似た感情が湧き出て、舌に合わない空気に少しだけ息苦しさを覚えて、ちょっと早いけど帰ろうかと思った矢先、町から距離を置いたような場所に一件の小さなお店…続きを読む
ぽたん、ぴちゃん、ぱちゃん、ぴちょん。 ぽたん、ぴちゃん、ぱちゃん、ぴちょん。 灰色の雲から雨粒が落ちる。 飴色をした雨粒が余すことなく地面を濡らす。 ぽたん、ぴとん、ぱたん、ぴたん。 ぽたん、ぴとん、ぱたん、ぴたん。 宙を駆ける雨粒が、地を跳ねる。 紫陽花の葉を、跳ねる。 一軒家の屋根を、跳ねる。 そして、私の頬を跳ねる。 ぴちゃん、ぱちゃん、ぽちゃん、ぺちゃん。 ぴちゃん、ぱちゃん、ぽちゃん、ぺちゃん。 何も知らない雨粒が、私目がけて降りかかる。 空と同じ色をした、私の顔に降りかかる。 しょっぱい雨粒が、降りかかる。 ぴちょん。 ぴちょん。…続きを読む
––––放課後にゲーセンに立ち入るのは校則違反だ。 中学の時、学年主任の鬼教師が唱えた教え。今考えれば、俺はあの時ぐらいアイツの言葉を聞き入れるべきだった。 退屈を嫌い、束縛を嫌う。問題児の代表例だった俺はその日の放課後、繁華街のゲームセンターの看板が目に留まった。白と赤を基調とした背景に、日暮れ前だから光を灯さない、寂しげなネオンの青いロゴが印象的だった。 その日は無性にムシャクシャしていた。何故なら学校を出る直前、例の鬼教師に呼び出され、説教を喰らったからだ。普段通りどうでもよく、しかし普段以上に挑発的な口調。我慢できずに話の途中で感情を爆発させ、学年室を飛び出して乱暴に扉を…続きを読む
中学校の昼休み。あと五分とちょっとで五時間目になろうとしていた時のこと。 次の授業に体操服で出席することをど忘れしていた俺は、慌てて着替えようと自席に向かう。直前まで委員会の仕事が立て込んでいて、記憶から抜け落ちていたのだ。 二つ並んだ机の上。そこに置いてある二つの布袋のうち、自席に近い黒色の方を掴み、体操服を取り出す。白い無地の半袖シャツ。制服を脱いだ上でそれを着用する。 しかし、首を外に出した途端、何故か違和感を覚えた。いつもと変わらないはずなのに、あまりにも明確な違和感を。 まず、どういうわけか着心地が悪い。普段着ているものであるはずなのに、まるで他人の家に初めて上がり…続きを読む
俺の人生は、どうやらある日を境に恋愛シミュレーションゲームの世界線の枠組みに捉えられてしまったようだった。 俺には「美空」という好きな人がいた。長くて艶のある黒髪に子供っぽさの残る笑顔。しっかり者だけどたまに抜けているところがあって、変てこな天ぷらのキャラクターを好む、天真爛漫な女の子。俺にとって、朝の空から差し込む暖かな日差しのような存在だった。ちょっと喩えが悪いかもしれないけど。 高校生活の中、交流を深めていくうちに想いが募っていった。ただ、仲が良くなった弊害として、彼女の『秘密』も知ってしまった。美空はサッカー部の部長に好意を寄せていた。高身長で爽やかで、責任感に満ちた好青年。…続きを読む
今日も、ボクは待っている。 ご主人様の帰りを、待っている。 一体、何度お日さまが昇って、何度お月さまが隠れたかも数え忘れちゃうぐらい、ずっとずーっと待っている。それなのに、ご主人様はいつまで経っても、帰ってこない。 意地悪な人間たちに、痛い目に合わせられる時もあった。見ず知らずの人間たちに、頭を撫でられた時もあったっけ。いろんなことがあったけど、やっぱりご主人様は帰ってこない。匂いすら、してこないんだ。 だけど、ボクは待ち続けた。 そうじゃないと、本当に会えなくなる気がしたから。 それに、ボクがいなかったら、ご主人様が迷子になるかもしれないから。 だから、ボクは待ち続け…続きを読む
「……グースバンプス」 一本の蛍光灯だけが細々と照らす夜の一室。ガラクタだらけが散乱するその部屋の片隅で、青年はパソコンの画面を一瞥し呟いた。工具や機械に囲まれた机上のパソコンには、黒一色の背景に灰色の枠のツールバー、その上に白文字の表題がぽつんと記されていた。 その名も『Goosebumps(グースバンプス)』。 最近密かに開設されたという、新しい動画サイトだ。 きっかけは、友人である根津から聞いた噂話だった。丸眼鏡にニキビだらけの頬、リスのような出っ歯。オカルト研究部の部長である彼からこんな話を聞かされたのだ。「面白い怪奇現象を耳にしてネ。最近、とある動画サイトが開設され…続きを読む
全国吹奏楽個人コンクール。その県内予選。 一人には広すぎるホールの舞台に、僕は数々の打楽器たちと共に降り立った。静寂な空間が引き起こす耳鳴りが、腹に残る緊張感を更に煽る。 僕が演奏する楽器は、マルチパーカッションと呼ばれるもの。楽器と言ったが『編成』と喩えた方が正確だろう。スネアドラム、トム、バスドラム、ボンゴ。大きさも音の高低も異なる様々な打楽器たちから特徴的な曲を具現化し、紡いでいくのだ。 アナウンスされる奏者名。疎らな拍手。やけに響く自分のローファーの音。審査員を含む観客に深いお辞儀をし、位置に着く。小さな一息、腕の振り上げを合図に演奏を始める。 最初の一音は、空気を微…続きを読む
目の先に、白銀の大地が広がっていた。 コテージのデッキにある、二つのロッキングチェア。そのうちの一つに、私は腰を降ろす。白い溜息が、冷たい空気に溶けていく。隣の席には、あなたが座っている。肘掛けに置かれたその冷たい手を、無言でゆっくりと握った。 この一帯の中で一際高い丘。その上に建つこのコテージに住み始めてから、早くも五年が経過した。一年の大半を彩る雪景色も、今ではお馴染みの光景だ。そのことを不便だと思うことはないし、かと言って特別気に入っているわけでもない。 だけど、こうして白き平原を毎朝椅子に座って眺める時間が、私にとっていつしか日課になっていた。 無意識なうちに。 一…続きを読む
有人小惑星帯ゼノ。 その中でも飛び切り大きい二つの惑星、惑星αと惑星β間で、小競り合いが起きていた。 戦争のきっかけは意見の食い違いだった。一方は他惑星との貿易の活発化を推奨し、もう一方は自分達の命を守るべく鎖国ならぬ『鎖星』をするよう訴えた。これらの意見の衝突は両者の間に亀裂を生み、やがて戦争を勃発するまでに関係が悪化した。小惑星帯の未来を決める重要な選択であったことから、両者ともに退けなかった。 戦況は、どちらにとっても痛手だった。毎日のように両惑星間を戦闘機が飛び交い、兵士が爆風と共に散っていく。酸素も重力もない宇宙空間での闘い。それは一度攻撃を受けただけで地獄行きという、…続きを読む