私が私について考えることは悪だろうか。この薄暗い四畳半の部屋で一人在る私は、どこから来てどこへ向かい、何を好みどうやって生きるのか。どうせ最後には誰に対する何の罪だかわからないままに懺悔し、漠然とした不安と恐怖に押しつぶされて眠るだけだ。そう頭で理解していてもやはり納得できるはずもなく、数少ない友人らが講義を真面目に聴いているであろう平日の昼前に、私だけは家の中にいて、己の中に在る全ての私たちの声に耳を傾けている。そしてこの静かな部屋は私は気に入る所であるのだから、私は世界に適応しないままに生まれ、何を得ることもなくここまできてしまったことの証明のようでなんとも切ない。休むことが悪だとされる…続きを読む
境界を飛び越えるビー玉世界を曖昧にして閉じ込めた夏の味を思い出す駄菓子屋に通うこと秘密基地への道を自転車で走ること永遠であるかのように思っていた少年の日忘れてしまった妖と出会えそうな予感がすると友人の声は遠くに響きなおして青が降る先に風が吹いて山が笑っていたような気がする何度ログインしようとしてもあの日に見たカーブミラーに映る灼熱のアスファルトがぼくの脳内を焦がすだけでまだ眠っている蝉の繰り返されてきた歌を詩にするためだけに座った小さな端末まだ夏は来ない長い雨の後に露に閉じ込められていた過去が入道雲に吸われて溢れ出すそのときまでに少年に…続きを読む
ここでは幸せでなければ生きていけない。人々が幸福町と呼ぶこの小さな世界では少しでも他者と違う言動をするだけで英雄にも飲み物にもなるわけで、わたしは毎日のように悪い意味での「はみ出し者」が排除されそれぞれの色を持つ蜜が増えていく様子を目にしている。わたしには名前がない。あなたが決めれば良い。どこかのアイデスとかいうところの誰かみたいなことだから、深くは考えなくていい。ただこちらの世界は西瓜糖なんかより甘い、それはもう過剰なほどに。不幸な奴はみんな躑躅の花に食べられていくのだから。そしてその花はわたしの住む森の中から街へ出てすぐの所にある店で売られるのだから。幸せなふりというのはなかなか…続きを読む
天気予報によると空は降ってこないはずだったのに土砂降りになったから、急いで傘をさして喫茶店の屋根の下まで走った。上を見上げると画用紙みたいに真っ白な中で太陽だけがぽっかりと浮かんでいて、もう空は残っていなかった。「それが今から20年前のことさ」ぼくの10歳の誕生日の日、父さんは夕焼けを収穫しながら言った。ぼくはそれを手伝いながら質問する。「なぜぼくらは空を育てて売っているのに今も世界は真っ白なままなの?」「空は本当に貴重なものだからね、簡単に元どおりというわけにはいかないのさ。それに一度剥がれ落ちてしまったものは何度だってそうなる。そんなものに金を使うくらいなら…続きを読む
「あの、このあたりで落し物しませんでしたか?」「落し物?」「はい!あなたの命、落としませんでした?」軽やかに布が揺れ、重そうな髪も波のように形を変えて、柔らかく重力に逆らって遊んでいる。その儚さからは想像ができないほど大げさな動作と喋り方に、つい興味を持ってしまった。ラムネみたいな声を懐かしく、仮面のように変わらない笑顔をほんの少し気味悪く感じた。「いえ、落としてないですけど…」なぜそんな事を聞くのか疑問に思うより前に、口が動いた。「そうですかぁ、これから落としたらどうするんです?死んだ後のこと、今決めとかないと」僕は10年前の夏を思い出した。セミがうる…続きを読む
紅茶とコーヒー混ざり合ったら見つめ合えるような気がした君と僕の出会いと同じかき混ぜても平行線すれ違い届かない紅茶色のネココーヒー色の瞳で見つめる君全てはティーカップの中の出来事遠い遠いあの日の紅ヒーの味…続きを読む
何かを落とした気がする心と同じくらいの重さで夏を閉じ込めたような香りがするそれから二酸化炭素と同じ色だったはずなんだけれど知りませんか?「それは不思議な落とし物ですね全部ここにありますよ」嘘だなにもないじゃないか見えない僕が本当に落としたのはなに?「落とし物が落とし物をするなんて珍しいこともあるんですねぇ」…続きを読む