大江戸線•蔵前駅に到着するやいなや、ひたすらに地上を目指す。お日様の下を競歩のように歩いていると不思議な感覚に陥る。これは本当に地下鉄の乗り換えなのかと。歩けども歩けども乗り換え先の浅草線・蔵前駅がどこにあるのかわからなかった。しかし急にたくさんの人が流れに乗って、競歩のカーブに差し掛かる瞬間がくる。そしてまた地下に潜る。目を覚ますと高さ1メートルほどの天井が迫っていた。足元のカーテンの隙間から朝の光が入ってきている。昨夜はついに乗り換えをしなかった。やってやったぜという高揚感が身体中にみなぎる。自宅ではないし、まどろむにしてはカプセルの中は窮屈な空間。起きよう。時がもった…続きを読む
「最近一緒に帰ってないね。もし今日誰とも約束がないのなら、学校を出て三つ目の信号で待っています。オッケーだったらあなたの机の中に天体望遠鏡を入れてありますので、今、取り出してください」手紙を読んで最後の一行に固まる。天体望遠鏡?あんな大きなものがこの机の中に?俺は教室の1番後ろの席から、黒板前に座る埜々子の後ろ姿を眺めた。こんな手紙を出したおぼえなどなさそうな背中。俺は騙されているのかもしれない。誰に。埜々子じゃない、このクラスの誰かに。手紙を鞄にいったんしまい、顔を上げ改めてクラスを眺めた。派手めの女子グループでは、今日もリーダー格のレナが楽しそうに取り巻きと喋…続きを読む
勢いづいて塾の玄関戸を開けると、古びた引き戸が外れそうになった。「荒れてんねえ」 手前の座敷からもみじ先生の声がした。ギリギリギリギリギリギリと断続的に小さな回転音が聞こえてくる。 築40年和風住宅の玄関の引き戸を労りをもって直し、換気対策で襖が開きっぱなしの座敷に上がった。畳の部屋には洋机と椅子がいくつも並んでいる。ちぐはぐした空間の奥、ミルを手にコーヒー豆を挽く20代の男性の、なだらかで繊細な背中が小刻みに揺れる。「カイトどうした?」「親がクソなんですよ」 俺は通学リュックを床に無造作に置いた。いつもより早く着いてしまったので他の生徒たちはまだ来ていない。「中二って親がクソ…続きを読む
ふたつの大きなゴミ袋が、透き通った春の空高く、青の世界に放り投げられた。 歩道で倒れている中学生の少年少女の頭上を俯瞰でなめながらゆっくりと交差して落ちてくる。 地上に落ちたゴミ袋の傍らで2人はまだ起き上がらない。少年の頬にくっついた桜の花びらは風が撫でても離れようとしない。 さて、それで?少年と少女は入れ替わったのか、はたまた転生したのか?ーーーーーー 襖の向こうからめざましテレビの音は聞こえている。軽部アナがエンタメのニュース読んでるようだが、好きなタレントのスキャンダルでも流れて来ないと頭は起動しない。 ぐだぐだ布団にくるまっていると襖がいきなりナイフのような切れ味で開い…続きを読む
「彼氏から同棲しようって言われてるの。どうしよう」 私が相談すると、優子は難しい顔をして「一回ドリンクバー行ってくる」と言って席を立った。 休日のアイドルタイムのファミレスは私たちみたいにちょっとお暇な女子が、あちらこちらで2時間ぐらいのおしゃべりに精を出している。 カプチーノを持って優子は席に戻ってきた。「同棲は絶対やめた方がいい。結婚は苦労も共にするけれど、同棲なんて良いところだけつまみ食いされるようなもんだよ。結婚を本気で考えてたら同棲しようなんて言わないと思う。彼氏、結婚考えてないんじゃないの?20代の女子の一番良い時期を無駄にするよ。あなたのこと大事にしてくれる人と結婚して欲…続きを読む