私は物心ついた時からずっと団地住まいだった。その為なのか私の幼い頃の記憶はいつも、建物の中の薄暗い、ジメジメとしたカビっぽい階段を駆け降りる所から始まるのだ。 一番下へ降りると、雪かき用のママさんダンプやスコップを横目に見ながら重い引き戸を開け、外へと出る。集合玄関は大抵外の地面より一段高くなっていて、よくそこに座って同じ棟に住んでいる子達とノートに空想の町を描いて遊んだり、ポコペンの始まりの地点として利用したものだった。そういえば、一階下に住んでいた男子にちぎったトンボを投げつけられたのもこの場所だった。その日私はポロシャツを着ていて、その生地がトンボの足とよく絡まって剥がすのが難しかっ…続きを読む
僕は『monogatary.com』を楽しむとあるユーザーである。深夜にふと目が覚めたのでサイトを閲覧していると、新着の欄に気になる物語があったのでクリックしてみた。 以下はその物語だ。◇ 私は警察庁情報通信局に急遽設置された、インターネット取締課に属していました。この部署は、2018年6月に施行された『インターネット禁止条例』により、インターネット使用者を摘発する為のものです。 摘発者は月日を追う毎に増えていき、各地でデモや暴動等が起こった時もありましたが、国家権力によってそれらはことごとく鎮圧され、その年の冬頃にはそういった話は全く聞かれなくなっておりました。 しかしそれは…続きを読む
「今日の君は、とってもプリティーだね!」 僕達夫婦は、結婚して五年経つ。もう新婚とは言えないけれど、それでも僕らの仲はアッツアツだと思っている。出会った時からいつも笑顔で、とても魅力的なうちの奥さん。 でも彼女は最近、何故だか機嫌が悪いのだ。その愛らしい顔からは笑顔が消え、いつもムッとしている。今だって褒め言葉をかけたのに、ツーンとそっぽを向かれてしまった。 しかし僕はめげない。彼女に笑顔を向けてもらうその日まで、頑張って彼女が喜びそうな言葉をかけ続けるのだ。「あ、前髪切った?」「切ってません」「その口紅、この前買ったやつでしょ!」「毎日つけてますケド」「こ、この煮物すっご…続きを読む
「ちょっと抱きしめてもらっていいですか?」 そう言いながら僕の前に現れたのは、制服姿でニッコリと微笑む、とびっきりの美女だった。「ぼ……僕ですか?」「ええ、あなたです。さあ、抱きしめて」 タイトなスカートから覗く、黒ストッキングを履いた艶かしい足が僕へ一歩踏み出す。薄汚い作業着姿の僕は、思わず生唾を飲んだ。 こんな人通りの多い中、彼女は中々大胆な事を言う。「本当に僕なんかがいいんですか?」「はい、さあ早く」「それじゃあ……」 ここまで言ってくれているのなら、と僕も一歩踏み出す。少し恥ずかしいが、そっと抱きしめた。「あ……」「どうですか?」「すごく……イイです…続きを読む
「パパー! パパどこー!」 僕は、パパと二人で遊園地に来ていた。朝からずっと楽しく遊んでいたのに、パパはいつの間にかどこかへ行ってしまい、僕は一人ぼっちで辺りをさ迷っていた。「パパ……パパぁ……」 どれだけ歩き回っても、どれだけ人の波をかき分けても、パパの優しい顔はどこにもなかった。そうしているうちに僕は疲れてしまい、顔を覆って泣き出してしまった。 そうしてシクシク泣いていると、僕は何かにぶつかった。びっくりして顔を上げると、巨大な男の人が僕を見下ろしていた。勿論知らない人だった。「……あん?」「……っ、パパぁー!」 髪の毛が金色で黒い服を着た男の人は、とても怖い顔をし…続きを読む
あの日の自分に捧ぐ。 この妊娠が分かったのは、その前年の9月の事だった。幼い長女と共に熱を出して病院を受診した時の事。『(女性の方)妊娠中、または授乳ですか?』 問診票の最下部にある項目を見て、いつもは冴えない勘が働いた。とりあえず薬を貰うのはやめにして検査してみると、妊娠が判明したのである。…続きを読む
小さな頃から物をよく無くしてきた。 覚えている中で一番古い記憶は五百円玉だ。三つ年上の姉と手を繋いでおつかいに行った帰り、なぜかは忘れたがお釣りの小銭を道ばたでぶちまけた事がある。左は車がビュンビュン走る車道。私達がいるのはアスファルトの歩道。右は雑草の生い茂った空地というシチュエーションで、空地部分に小銭が散らばった。姉と二人、しばらく辺りを探したが一番価値の高い五百円玉は、最後まで姿を現さなかった。当時を振り返っては今でも話題になる、「あの五百円玉はどうなったんだろうねぇ……」の思い出。 季節は巡り、時は過ぎ、いい大人になった今でも私はモノを無くす。 今から書き記すのは、娘の靴…続きを読む
ポコン。私の背中に何かが当たったと気付いたのは、とある日の歴史の授業中の事だった。 (おや?) 椅子に座ったまま屈んで、その“何か”が転がっていった足元に手を伸ばす。指先に感じるクシャリとした感触。 紙だ。それもクシャクシャに丸められた。 (ゴミ?) 拾い上げて、まじまじと観察する。おそらくノートの一ページを引き千切って丸めたであろうそれ。広げて中を確認してみるが、鉛筆でぐちゃぐちゃと書いてあるのみで、他には特に何も書かれていない。裏も然り。 (誰かが投げたのかな) 何だろうと思いつつも、私は再び黒板へと顔を戻す。そう、今は授業中だ。一週間後にはテストが控えている。…続きを読む