あれから一年が経った。 僕はそんな今日という日に、ぼんやりとこの街を歩いている。 何を探しているわけでもない。何かを探したところで、僕の望んでいるものが見つかるわけはないことくらいわかっているから。 夏。「代官山」というどこか高級で澄ましたような名前の街では、渋谷や原宿なんかと同様に蒸すような東京の大気がまとわりついているはずなのに、人々が涼しげに歩いているように見える。とはいえ本当に涼しいわけもなく、僕は乾涸びてしまいそうと思いながら、一方その湿度のせいで乾涸びることも許されず、生きているのか死んでいるのかもわからないような気分でのろのろと道を歩いていた。 時折道端に見かける看…続きを読む
ep.0.1 僕ではない君「あなたは誰?」 僕。あるいは僕ではない何か。 今、ガラスを隔てた向こう側の少女から提示された質問への答えとするのならば、きっと前者が適切だろう。 だけど僕は、その答えに自信がなかった。「僕は、誰だろう」 彼女はその答えに、戸惑いを隠せない。いや、もしかするとガラス越しにはこの声が聞こえていなくて、彼女は自分の質問に対する返事がこないことにどうしたものかと悩んでいるのかもしれない。 ガラスの向こう側へ興味津々の幼い少女。まだ10代前半くらいだろう。真っ白のワンピースを着ている。少しグレーがかった透き通るような髪が肩の高さまで伸びている。「わ…続きを読む
空っぽだ。 そう言葉にしてみたときに、もうそれは僕が感じていた「空っぽ」ではなくなってしまった気がして、それ以上の言葉が続かなくなって途方に暮れた。 何もないことを伝えるためにはどうしたらいいのだろう。「何もない」と言葉にしてしまえば、そこにはもう「何もない」があるように感じてしまう。世界が終わった、という語りが存在するときそれがなぜ存在しうるのかが気になってしまう嫌味な性格の僕は、「何もない」という言葉をうまく使いこなせないでいた。 なぜ金曜日の夜にベッドに仰向けで寝っ転がりながらこんなことを考えているのかというと、枕元に置かれているスマホに、僕がお風呂に入っている間に届いていた…続きを読む
「あはは、そんな怖い顔しないでください」 彼女はナポリタンをこっそり食べたことを指摘した時のように、別に責めてるわけじゃないですよって表情で笑う。「もし秘密にしておいて欲しかったら、わたしとお付き合いしていただけませんか」 上目遣いに俺の顔を見る咲希の潤んだ瞳。「うるうる」という効果音が聞こえてきそうなくらいわざとらしく潤っている。心臓の鼓動がうるさくなっていくのは、アルコールで血の巡りが良くなっているからだと自分に言い聞かせる。決して彼女の放った一言に焦りを覚えているとか、俺を見つめるその瞳に見惚れてしまったとか、そういうことではない。 誰だ、こいつは、と俺は思考を巡らす。同業者、サ…続きを読む
一週間何も投稿してないぞ、ということに気づいたのだけれど、あまりに頭の中で物語がまとまらないので、苦し紛れのエッセイを投稿することにした。 何について書くかというと、ズバリ映画についてである。(ネタバレはしないので安心して最後まで読んでいただけると嬉しいです) 昨年末から上映されている映画『ラストナイト・イン・ソーホー』。エドガー・ライト監督。ロンドンの服飾科の大学に進学したエロイーズが、下宿先で眠りにつくと何故か1960年代のロンドンに迷い込んでしまい、ひとりの美しい女性サンディの人生と交錯していく、というストーリー。ジャンルとしてはサイコホラーということになっている。 もう映画…続きを読む
雪化粧 凛と佇む 一輪の 遠くを眺む 夢は紅 うん、いい短歌が生まれた。短歌の定義もよくわからないけれど。とりあえずは5・7・5・7・7。教養のない僕にしてはなかなかの出来だ。ま、そもそも教養があったらこんな短歌を読むことにはなっていなかっただろうけれど。 うっすらと雪に覆われた道路の端っこ。僕は目の前に咲く真っ赤な花を見下ろす。僕は慌てたふりをしてスマホを取り出して110番をコール。「あ、あ、あ、あの、道を歩いていたら人が死んでいて……」 ボスからも定評のある迫真の演技。別にプロになんかなれなくたっていいけれど、一回くらい演劇とかやってみたかった。「大丈夫ですか、落ち着いてくだ…続きを読む
「虚沢(うろさわ)さん、お電話です」 虚沢は電話が嫌いだった。 電話で仕事を依頼してくる輩は全員、悪魔と一緒に地獄へ祓ってやりたいと思うくらい嫌いだった。だって普通に考えておかしい。他人の家を訪問する際には、突然伺うのは明らかに失礼だという認識があり、さらには約束の時間よりも少し遅れて行きましょうとか5分前に行きましょうとか、状況に合わせて暗黙のマナーさえあるのに、どうしてそれが電話になった途端、いつ何時でも他人を呼びつけていいことになるのだろうか。大体今時メールがある。メールなら手の空いている時に読んで、必要があれば手の空いている時に返事をすればいい。そして相手もまた同じように自分の都合…続きを読む
ふたつ上の兄、落合ヒカルは、身内だからそう言うとかじゃなく、本当にかっこいい。多分兄ちゃんとつるんでいる仲間たちもみんな、一瞬の迷いもなくそれを認めるだろう。なんなら彼のことを嫌っていたり馬鹿にしていたりする人たちでさえも、この件に関しては頷いてくれるかもしれない。明るくて、信頼できる仲間たちがいて、仲間たちからも信頼されていて、誰かのために行動ができて、ついでに結構イケメンで、だから兄ちゃんは僕にとって憧れの存在だった。 高校でなんとなく人間関係を広げられずにいた奥手な僕を仲間に入れてくれたのも兄ちゃんだった。「ノゾムは俺と違って頭が良すぎるから、他人のあれこれを気にしすぎなんだ」…続きを読む
僕は今日も、パソコンに向かってぼんやりとしている。筆が進まない。 僕が主戦場としている(お世話になっている)小説投稿サイトはほぼ毎日正午にお題が更新されていくのだけれど、今日に限ってはなぜかそれがない。毎日更新されると、投稿していない自分に焦りを覚えることもあるけれど、一方更新されないままだとそれはそれで投稿するべきなのではと焦ってしまう。人間というのはそんな愚かな生き物だ、いや、僕だけかもしれないけれど。 結局僕はパソコンを開いたまま、手近にあった小説をパラパラと見返す。面白い。自分の書くものとはどこか別の場所にあるみたいだ。 ついでにもう少し手を伸ばして、本棚に並んでいる何十巻も…続きを読む
人生ってどうしてこうも面白くないのかなって思う。 田舎で育ったわたしは、田舎特有の空気にうんざりして東京へ出たけれど、都会に出てみたところで結局劇的な変化はなかった。例えばお母さんが大事そうにDVDにダビングしていた『東◯ラブストーリー』みたいな大人の青春なんてどこにも転がっていないし、昔憧れたディ◯ニープリンセスみたいなロマンチックなお姫様にもなれそうにない。 田舎にいた頃は、わたしは「それなりに聡明でそこそこ美人」というキャラだった、と思う。それで、よく近所のおばさんとか親戚のおじさんとかに、「鈴美(すずみ)ちゃんは美人だし気も利くからいいお嫁さんになりそうだねぇ」とか言われて、普…続きを読む