この子が 物心ついた時に、私は傍にいてあげられないのだ。産まれたばかりの我が子を腕に抱きながら、父親であるこの時間を味わうと同時に、その終わりを嘆いた。自分が悪いのだと理解しながらも。私に妻ができて、間もなく妊娠がわかった。父親になるという実感は全くわかないかったが、とても嬉しかった。不器用な私はそれ以上の表現を知らない。それでも、この幸せな気持ちに偽りはなかった。だが、悲劇は私を音もなく襲ってきた。若気の至りとでも言うのだろうか。大丈夫だろうと安易な考えで承諾した借金の保証人。借金をした友人と連絡が取れなくなった。「あぁ、映画やドラマでよく観る展開だ」と思ったが私は物語の…続きを読む
「甘えるな」「誰でもつらいんだよ」「そんなことで悩んでるの」僕は悩みを打ち明けなくなった。会社からの帰り道。新卒で入社した会社から、もう3年もこの道を帰っている。失敗した日には、行き場のない心のモヤモヤを打つけるように、暗い空を睨めつけた。「死のう」そう何度も思った。他の人がやればすぐに終わるような仕事に、僕は倍もの時間をかけている。誰もそうは言ってこないが、感じ取れた。上司に相談したことがある。「思うように仕事ができないくて、辛いです」それを聞いた上司は「最初は誰でも辛いんだよ」そう言って数ある文句の1つに僕の言葉をしまった。また別の日には先輩に、相談しか事が…続きを読む
可愛いものを見て「可愛い」と声を大きくするけれど美しいものを見て「美しい」と囁くような声で言う。 僕は彼女を見た時に、囁くような声で「可愛い」と言った。これが運命だと思った。 通勤途中、毎朝通っているカフェ。ある日、そのカフェに見知らぬ顔が加わっていた。その客さばきは新人のアルバイトのそれではなく、他の店舗から異動になった女性社員だと分かった。 彼女を見た時、美しさではなく何かまた別のオーラとでも言うのか、特別な何かを感じた。無意識に「可愛い」そう囁いていた。コーヒーを買って出社したあとも、彼女のことが頭から離れなかった。次の日、僕はまたカフェへ行った。接客をしてくれる彼女…続きを読む
迷って君に言葉だけ投げかけた。「君はどうしたいんだ」僕の言いたい言葉とはだいぶ違う気がしたけれど、何かが変わる気がした。 付き合ってから3年。新鮮味も会話も減って、君の心がどこか別のところを向いているのを、表情と瞳から痛いほど感じた。僕は君と離れたくない。その一心で君が前に「仕事終わりスーツで迎えに来てもらうとか憧れるな」と言っていた言葉を今更のように実践するなどした。でも、君の冷めた瞳は変わらなかった。このままじゃいけない。何かしなければと、焦りだけが募っていた。 「あなたはどうしたいの」君は静かに、そう返してくれた。僕は君が何を考えているのか知りたい。君が傷つかない。君が願う…続きを読む
聞いてください。誰でもいいのです。会社で仕事を任されても、思うようにできない。できたと思っても失敗してしまう。結果だけ見る社会で、この悩みは誰にも理解されない。理解されたとしても到底、受け入れられないことです。そんなことは、自分が一番よくわかっている。痛いほどに。「ごめんなさい」帰宅して毎日、そう呟きます。ベッドに入っても何度も何度も「ごめんなさい」と頭の中で呟きます。 ある日、母が気分転換にとディナーへ連れ出してくれた帰り道。母が言いました。「月を見て」と。私は月など見る気分ではなかった。自分のダメな部分、人ができることができないことに対しての劣等感。それが頭を占めている今、…続きを読む
monogatary.com。3周年おめでとうございます。このサイトを知ったきっかけは、今や日本を代表する音楽ユニット「YOASOBI」monogataryの小説を題材にした楽曲は、私の心も虜にしました。元々、小説や詩を綴るのが好きで、チョコチョコとSNSなどに投稿していました。ですが、小説となると一つの作品を完成させるのにかなりの時間がかかってしまい億劫に・・・。そんなときに出会ったmonogatary.com。形式に囚われない現代にあった小説の在り方は、書き手にも読み手にもマッチしている素晴らしいコンテンツだと感じました。これまでにいくつか作品を描きました。拍手やコメント…続きを読む
悪魔がいても明日は来る。悪魔がいても、私は生きなきゃいけない。生きることをあきらめることさえ、考えられないほどにつらかった。得体の知れないものに怯えていた。つらいとはまた別の感情なのかもしれない。寂しい。そうだ、私はとても寂しいのだ。 泣いても、喚いても、誰も声を掛けてくれない。傷ついたことすら誰にも気が付かれなかった。町なかに出ると、恋人や友人、家族と微笑みあう人たちが見える。その姿をみて、自分は一人なのだと突き付けられている気がした。その現実から逃げるように、部屋にこもった。締め切ったカーテンから少しだけ差し込んだ光を見ていると、「孤独」の文字が浮かんで見えるように思えた。何がつ…続きを読む
あなたに振られてとても悲しいわこうかいしているでしょう?私、あなたのこと許さないもの。でもいいの、幸せになってね。きっとみんなが見守っていてくれるから。…続きを読む
大学でよく話す彼が言った。「俺、淡い水色のスカートが好きなんだ」それを聞いて私はすぐに空色のスカートを買った。彼はこのスカートを履いた私を見てどう思うのだろう。そんな事を考え、私の気分はふわふわと浮いていた。スカートを履いていった日。食堂で、見知らぬ女の子と話す彼が見えた。楽しそうに白い歯を見せて、その女の子に途切れぬ視線を向けている。ふと、彼女の洋服を見た。水色のスカート。彼が好きと言ったスカートを彼女は履いていた。私はそれを見て思った。「知っているの私だけじゃないんだ」顔とか、性格とかそんなものは比べていない。ただ一つ。彼の好きなスカートを彼女も知っていた。…続きを読む
小さなライブハウス。次第に歓声が大きくなる。私は大きく息を吸った。高校最後のライブ。私が青春をささげた高校生スリーピースバンドの寿命は、今日で尽きる。ギターのチューニングを済ませ、マイクに唇をつけた。そして、ドラムとベースに目で合図を送る。電気が走ったかのように、息の合った一音が会場に響き渡った。この一音のために、三年間演奏し続けてきたのかもしれない。徐々にサビへと近づいてくる。観客も徐々に徐々に前のめりになってきた。一緒に歌ってくれているのか、みんな口を大きく開けて私には聞こえない声を向けてくれている。さあ、サビだ。力いっぱい歌い、有終の美を飾る。何も怖くない。…続きを読む